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有機化学美術館さんは前々からちょくちょく覗いていたのですが、このほど本を出版されました。 マリオも購入させていただきました。 有機化学美術館へようこそほぼ ホームページの内容を書籍にしたままですが、最初の数ページにわたって化合物のカラー写真があり、うっとりさせてくれます。 内容はちょっと専門的で、興味の無い人にはつらいかもしれません。が、面白話やよもやまエピソード、身近な話もうまく絡ませてとても楽しんで読める本です。 『シクロ阿波踊りン』なる妙ちきりんな名前の化合物とか。 『ナノプシャン』なる、人の形をした化合物とか。白川英樹、野依良治博士ら、ノーベル化学賞にまつわる話とか。ろうそくでさえ溶かしてイオンにしてしまう、魔法のような『マジック酸』の話とか。 私は有機化学は化合物名を記憶するところで早速頓挫した不勉強家ですが、こういう話がもっと楽しめるなら、ちゃんと化学も勉強しとくべきだったかなぁ、と若干後悔してたりして。こういうホームページを目指しているのですが、なかなか。道は遠いです。っていうか停滞気味です。 まぁ、興味を持った方がいらっしゃったら、ゼヒどうぞ、という宣伝でした。
June 10, 2007
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汗ばむ陽気に心も踊る日々のはずですね。マリオはなんだか疲れています。流行りのハシカでしょうか?シャレになりませんな。 最近は何だか新鮮な日々であります。新鮮な『日々』というのは、『普通の生活なはずだけど何だかちょっと違う日常』って感じです。 先日、久しぶりに球遊びをしました。試合もしましたね。で、練習の合間に。 〇〇にタマが直撃しました。 ご想像にお任せします。多分ご想像に難くない部位です。くり返しです。 初めての経験でした。 なんていうか…地味な痛みですね。 もっと、こう、身体の奥底から染み入るような男にしかわからんような痛みかと思っていました。普通に痛かったです。 普通すぎて何だか悲しくなりました。幸い、後遺症はなさそうで安心しております。 サークルの同期と就職お祝いの飲み会しました。マリオだけ非就職組でしたが。 なぜだか知らないけど、政治談議、社会談義になりました。そんな話で熱くなることなんて今まで全然無かったんですけどね。不思議な感じです。例えば。 えーと。 … 話した内容を忘れました。 オジサンの仲間入りでしょうか。みんな好き勝手に喋っていて、議論になっていたか微妙です。でも楽しかったです。 普通に見えるけど、少しズレた日常。なんだかちょっとワクワクしませんか? そんなマリオです。
June 5, 2007
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『たんぱく質占い』の結果 ―トリプシン―たんぱく質分解酵素。自分自身たんぱく質でありながら、たんぱく質を分解してしまうという、たんぱく質界の異端児。というわけで、皆からはちょっと奇異な目で見られたりするのですが、彼(彼女)なくしてはたんぱく質界の経済活動、そして我々動物の栄養摂取はできない。そんな大事な仕事を淡々としかし誇りをもってこなす職人気質を持ってます。 食物に含まれるたんぱく質はそのままでは利用できません。(よってコラーゲンを食べてもそのままコラーゲンでお肌つるつるとはいきません。)一回アミノ酸まで分解して、再構成する必要があります。この分解を行ういわゆる消化酵素の一種がトリプシンです。主にすい臓から分泌され腸の消化吸収を助けます。 ―ミオシン―箸の動かし方からジョギングまで、我々の運動のすべての根幹となる超弩級縁の下の力持ち。一つ一つの出す力はとっても小さいのだけど、何個も何個も集まって集まって集まって、ついには重たい買い物袋もお宅のお子さんも何でも持ち上げられる、そんなみんなで集まって何かをすることの大切さを教えてくれる、和の伝道師であります。 筋肉の収縮において、エネルギーを用いて片割れのたんぱく質『アクチン』を引き寄せることで筋収縮を起こします。ミオシンとアクチンはそれぞれ集まって、筋肉の筋細胞で繊維状の束を作ります。束は一部重なっていてその部分では相互に作用しています。この重なり部分では一分子のレベルでくっついていて、ミオシン分子はエネルギーを使ってアクチン分子を引き寄せます。その結果、アクチンの束はもの凄い力で引き寄せられ、束の塊は全体として収縮します。さらに多数の束、多数の筋細胞が繊維状に集まって一気に収縮し、結果筋肉が収縮します。こういった複雑な動きを神経で制御してやることで、我々はいろいろな運動をすることができるのです。 ―NMDA型グルタミン酸レセプター―我々の脳にぽっかり空いている穴。…穴?いやいやただの穴のはずがない。 記憶や学習に深く関わる、電流を通すという摩訶不思議な穴。うまく働けばあなたも天才になれるかも?ただし、一筋縄ではうまくいかないクセ者。けれどもいったん心を開けば素直に受け入れてくれる照れ屋な、クセ者ツンデレっ子なんやそれ。 NMDA型グルタミン酸受容体(NMDAR)は脳の神経細胞にあり、細胞に電気を通す穴を作る『イオンチャネル』というものの一種です。イオンチャネルは普段は閉じていますが、必要に応じて開いたり閉じたりします。グルタミン酸受容体とは、『グルタミン酸』がくっつくことで開く穴、ということです。(グルタミン酸は味の素の主成分です。グルタミン酸を取りすぎるとバカになる、とかいう話はこれらグルタミン酸受容体のせいですね。)NMDARは普通のイオンチャネルと違って多段階のロックがかかっていて、中々開いてくれません。まず、名前の通りグルタミン酸がくっつかなくてはなりませんが、それだけではダメです。マグネシウムイオンが穴をブロックしており、第二段階の鍵がかかっています。これを外すためには、ある程度の電流がこの神経細胞に流れる必要があります。大きな電流が流れるとマグネシウムイオンは外れ、穴が開いて電流を通すことができるようになります。同じグルタミン酸受容体であるAMPA受容体は、NMDARとは違ってグルタミン酸がくっつくことで簡単に開きます。 NMDARはどうしてこんなにツンデレなのか? 話が変わりますが、『長期記憶』という言葉をご存知でしょうか?受験勉強で覚えた英単語は、一回書いただけではさっさと忘れてしまいがちです。忘れないためには、何度も口に出したり書いたりして、記憶に刻み付けなければなりませんね。記憶とは神経細胞の回路のつながり方だと言われており、何度も特定の回路に電流が流れることで記憶が増強されるらしいです。NMDARはこの学習と記憶の基礎をつくる分子の一つであると言われています。英単語を聞いたときには、例えば『what』という単語を一回聞くと、ある回路に1回電流が流れます。しかしマグネシウムイオンでブロックされたNMDARは開いてくれません。が、何度も『what,what,what,what...』と聞くとこの回路に頻繁に神経細胞に電流が流れ、NMDARのマグネシウムによるブロックが外れ、NMDARも電流を通すようになります。すると普段よりも大きな電気が流れるようになり、それがきっかけでこの回路は他と比べて強くなります。これが長期記憶の基礎だといわれています。NMDARは脳のたんぱく質の中で精力的に研究がなされているたんぱく質です。
May 30, 2007
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今週の木曜に、近くのプールで泳いできました。なかなか利用できるところが無く、近場ではここが唯一やすく利用できるところでした。 40ぐらいの年配の方が主でしたが、気にせ新調のゴーグルと水泳帽を被って水に。 マリオは昔スイミングスクール通ってたのですが、3年ぐらいでやめてしまいました。習い事(というか面倒ごと)がたいそう嫌いで、当時はこんなことをやらす親を呪いたい気持ちで一杯でしたが、今になってみて趣味らしい趣味は習い事だったピアノぐらいしかないのですから、この年になってみて親に感謝するばかりです。とは言うものの、面倒くさがりなので、泳ぎ方は下手糞な限りです。 昔の気分でとりあえず、平泳ぎで50メートル。 ああ、そういえば水ってこんな感触だったなぁ、と感慨にふけりながら泳ぐこと20分。 ・・・ 脇の筋が切れそうになりました。 痛ぇ!痛ぇ!クロールで、平泳ぎで腕をふるたびに筋がピーンってなって、筋が!筋が! 隣のコースでは年配の方々が健康目的で水中ウォーキングをやってたのですが、『若いもんがそんな恥ずかしいことできっかよ!』と、なんだか妙な江戸っ子気質を丸出しにして、切れそうな筋からできるだけ意識を避けて、30分休憩まで泳ぎ続けました。 休憩中腕を伸ばして筋をほぐしました。 休憩終わって、また泳ぐ。 クロール、クロール。 クローッル。 クロー ィアッ!!! 足がつりかけました。 危ない!もちょっとで攣るところだった!!こんな中ほどで攣ってしまったら、プールのど真ん中でタコ踊りをする羽目に。恥ずかしい。 っていうか普通に危ないです。 でも、水の魔力のおかげというか、途中でやめようとは思わず、結局終わりまで一時間半泳ぎ続けました。体力の衰えは相当自覚できましたが。途中はオジサマ方に混じってウォーキングやってましたw でも、なんか水の中って落ち着きますよね。もともと我々が海にいた名残だー、とか言う学者もいますが。確かに楽しい、気が落ち着く。 とりあえず翌日は全身余すところ無く筋肉痛。でも、二日後にはほとんど治っていたので、まだまだワシも若いのぉ、とかちょっと自分の若さに自信を取り戻したマリオでした。 当日家に帰ってから、歩くだけで胸筋が震えて筋肉痛に。胸の大きいヒトはこんな感じなのかな、とかアホな想像をしていました。すんません、すんません。 ******************** 話は変わりますが、アッカタッカさんのところで『アンパンマン占い』をやってたので、そういえばこんなのあったなぁ、とか思って。 『たんぱく質占い 』 専門外で誰がやるよ、こんなの。多分、普通のヒトにはあんまり意味わからんやろうけど。 もしやってみた方で、「これ何やねん」 と興味を持った希有な方がいらっしゃったらマリオまでご一報を。稚拙ながら説明させていただきますw ちなみにマリオは『チューブリン』 細胞の形を支える大事なたんぱく質であります。今日の運勢は…8位か。低!
May 26, 2007
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研究室はいつまでも煌々とした灯りがついています。なぜか?みんな思い思いの時間に来て、思い思いの時間に帰るからです。 朝五時に来る人、昼10時に来る人、夕方5時に来る人、夜8時に来る人。夜七時に帰る人、夜十時に帰る人、深夜一時に帰る人、深夜3時に帰る人。 割と誰もいないときがないのです。 「自由に来て自由に帰れるんだ、いいなぁ」マリオもそう思ってましたけどね。 ある人は、朝六時に来て夕方六時に帰ります。またある人は、朝9時に来て夜9時に帰ります。さらにある人は、夕方5時に来て時に来て朝七時くらいに帰ります。また別の人は、朝11時に来て、夜…少なくとも二時以降に帰ります。 学生はたいてい、朝10時くらいに来て夜11時くらいに帰ります。 …労働基準法はどこへ? まー、まりおみたいな学生は割りとだらだらしてる場合が多いですけどね。そうでない人もいます。12時間動きっぱなしですよ。そんなに学生と研究員をこき使ってる教授さまは、さぞかしいい待遇なのだろう。 …どう見ても、毎日3時間くらいしか寝てません。 50後半にしてあのエネルギーはどこから来るのか。 研究に限らず、好きなことをやってる人のエネルギーってすごいもんです。 逆に言えば、好きでないとやっていけない世界ですね。 自転車操業みたいです、止まると死んでしまう。
May 23, 2007
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本当にご無沙汰してます。毎日遅く帰るようになると、どんどん日記の習慣が薄れてしまいまして…って空き過ぎですけど。 半年くらい放置になってしまいました、 ちゃんと生きてます。 院の生活も二年目を迎え、将来のことにも悩み、考え方もいろいろ変わりました。24にしてまだまだ変われるところはありそうです。 なにはともあれ、大学院生生活は不規則です。 抜け毛も増えます。 マジで(泣)。 マリオはちょっと髪の毛薄いです。結構キてます。24にして。 まあ、それはいいのです。そんな人間も認めてくださいよ。最近はネタにして楽しんでおります。 そんなマリオですので、髪の毛の話題には敏感です(笑)。 自然科学系の世界最高峰の学術雑誌『Nature』の今週号にこのような論文が載っていました。 Wnt-dependent de novo hair follicle regeneration in adult mouse skin after wounding (邦訳)成体マウスの創傷後の皮膚におけるWnt依存的な毛嚢de novo再生 Pubmedリンク 小難しい言い方をしてますが、簡単にいいますと、 けがで毛が生える ということです。 いや、ホントに。 シャレでなく。 驚くべきことではないでしょうか?怪我をするとその傷跡から毛が新しく生えてくるというのです。怪我をして、その部分の毛の細胞が死んじゃったら、もう生えてなんてこない気がしてしまいますが。 毛は皮膚の奥にある毛嚢(のう)細胞から生えています。この毛嚢細胞は我々が生まれてくる段階で形成されるもので、通常は大人になってから新しく作られることはありません。(思春期になってきて胸や足に体毛が生えるのは、もともと毛嚢細胞が存在しているからでしょうか?よくわかりません。マリオの不勉強です。)しかし、 なんと傷によって全く毛が無くなり、毛嚢細胞が失われた皮膚から、毛が再生してくるというのです。 著者らは、マウスを使っての実験でこのことを確かめました。痛々しいことですが、マウスの背中の皮膚を1平方センチほどざっくり切り取ります。 この部分には毛嚢細胞は無くなります。しかし、15日ぐらい経つにつれ、毛嚢細胞が徐々に現れてきて、さらに80日ぐらい経つと毛が生えてくるのです。この傷跡から生じた毛嚢細胞からは、毛が抜けてまた生えるという、ヘアー・サイクルを繰り返します。(アデランスとかのCMでやっているヤツですね。)つまり、この新しく生まれた毛嚢細胞は完璧にもとからある毛嚢細胞と同じものなのです。 毎日抜け毛にびくびくする(という脅迫観念を社会に持たされている)人たちには、このことは非常に希望が持てる内容ですよね。ただ、だからと言って自分の頭の皮膚を削ってやってはいけません!よく考えてみれば、毛が再生するというだけで“毛があたらしく生えてくるワケではない”のです。皮膚を削って死ぬほど痛い思いをして、しかし元からあった毛が無くなるだけでしょう。がっかり。 しかし、この論文には希望があります。いろいろな意味で重要です。 まず、 「実験が生体で行われている」(in vivo system)ということです。実験はしばしば異常な条件で行われます。生体内で使われる以上の濃度の薬を投与したり、細胞一つだけで実験してみたり。しかし、今回の報告は極めて生体に近い条件です。通常のマウス個体を使っていて(遺伝子変異導入は行っていますが)、この再生反応が極めて自然に近い現象であることがわかります。 また、同じ哺乳類であるマウスから人への応用はそんなに難しいことではないでしょう。人への応用研究が期待きます。 次に、 「再生反応」であるということはそれ自体重要です。ヤモリ(?でしたっけ)の尻尾は、敵に襲われたときにプチッと切り離すことができ、その隙にヤモリは逃亡します。プラナリアという動物がいます。恐ろしい再生能力を持っています。体の一部を切れば再生します。体半分を切れば体半分が再生します。頭を切れば頭が再生します。頭を10個に分割すれば、10個の頭になります。まるでヤマタノオロチみたいに(頭ですが)。 ヒトにはこういう能力はありません。残念なことに事故で手足を失った人は、プラナリアのようにそこから四肢が再生することはありません。この論文で著者らは、再生した毛嚢細胞は周囲にある普通の毛嚢細胞が分裂あるいは移動してきたものでは無さそうだということを示唆しています。(少々不確定です。)毛嚢細胞自体ではなく、その周囲を取り囲む皮膚の細胞が毛嚢細胞になったらしい、ということです。すでに皮膚の細胞としての役割を果たしていた細胞が、その役割を変えたのです。細胞の転職です。役割を決めた(分化している、と言います)細胞は、一生その運命を全うします。途中で役割を投げ出すことは滅多にありません。細胞社会は専門的すぎて、転職が難しいのです。ただ、言い換えれば融通が利かないわけで、これはいわゆる再生医療の妨げになります。毛嚢細胞が皮膚細胞から生じたとすれば、そのメカニズムの解明は再生医療に大きく寄与するでしょう。なにより髪の毛ですしね(笑)。 そして、なにより驚くべきことは、この反応がただ傷を作るということだけで生じるということです。特別な薬を投与したわけではありませんし、ものすごい高度なテクニックが必要なわけでもないと思います。自然に、生体内の反応として再生現象が起きたというのは驚くべきことだと思います。 この現象は特別なシステムを使っているわけではなく、上記のように通常の毛嚢細胞と区別できません。つまり、ナチュラルな再生反応であり、応用への期待が高まります。 また「Wnt」と呼ばれる分子がこの再生反応に関わっていることもわかりました。Wntは細胞間のコミュニケーションに重要な分子です。このWntを活性化すると毛嚢細胞が倍増し、不活性化するとなくなりました。Wnの関与からわかるように、再生反応に何らかの分子が関わっていることが予想されます。これらを探して、将来の再生医療に役立てることができるでしょう。 という風に、色々妄想は膨らみます。応用がすぐにできるワケではないですし、マリオは再生医療の専門家ではありませんので、再生医学の分野のヒトがこの論文をどう思うかは知りませんが、個人的に面白いなー、と思いながら読んでいました。決して毛の話だったからではありません(笑)。ウソですごめんなさい、気にしてました。 参考: Ito et al., Nature; 447, 316-20(2007)Cheng-Ming Chuong , Nature; 447, 265,6(2007)
May 19, 2007
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ごめんね、ミスチル・・・ 「しるし」、いい曲じゃないか、チクショウ。 今までミスチルの曲は、アルバム・シングルすべて集めていたのですが、「箒星」でもう集めるのをやめるつもりでした。なんか、最近意固地になって集めてるような気がしてきて、なんかちょっとバカらしくなってしまっていたのです。 ドラマの曲で流れているのを知っていましたが、なんかやたら「だーりんだーりん」言ってるなぁ、ぐらいで聞き流していました。どうせなら、女の人に言われたほうが…ウソですごめんなさいはい。 初めてミスチルのCDをツタヤで借りるという経験をし、PCに取り込んで聞いていたのですが、 いい曲作るじゃないか桜井和寿3○歳。ええ、そのダーリンというセリフですらいといとおし。 久々にミスチル好きという色眼鏡を外しても、いい曲だという思う曲でした。 なぜこの曲から買うのをやめるつもりにしたのだろう・・・悔しいです。 しかし、相変わらずよくタイアップのつくバンドです。どういう事情なんでしょうね?
December 10, 2006
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ブレイクスルー! 僕にとっては一年越しの、先輩にとっては六年目に突入するかというところで、ついに研究の大前進がありました。多分。 あー、日々同じような作業の繰り返しがやっと少し報われました。進展のきっかけがつかめないまま、よく意味のわからない実験結果相手に苦戦しながらだらだら半年。 ついに…データが現れたとき、ひとり暗い部屋の中で、「シャー!!」 とガッツポーズ。 でも、まだまだ、目標に向けて一歩が踏み出せたところです。これから半年頑張らねば。 でも、結果が再現しなかったらどうしよう・・・ちょっと適当にやった実験が、何故かあたってしまったので、細かい条件とかが少しあやふやです。研究者にあるまじき・・・ とりあえず明日先輩に報告します。
November 29, 2006
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大して故郷というものに思い入れはありません。僕にとって、振り返る故郷らしきものには、いつも何かしらの違和感を持っていたものです。脳裏によみがえる同窓生の顔について思い起こすことは、支離滅裂で予測不可能な言葉を発してくる機械のようで、僕という機械はそれにどうレスポンスすればよいか必死で考えていた記憶しかありません。父親と母親はといえば僕には理解しがたいお面を被っていて、撫でても叩いても切り落としても駄々をこねても出てくるものはといえば、全く同じお面のようでした。金太郎飴だったのです。田舎の、といっても同じ町内でしたが、祖父母の家に夏休みの間は一ヶ月近く滞在していて、いったいこの二人との退屈な時間をどうやり過ごせばよいのかと、カレンダーを眺めていました。自分で楽しむということのできない愚鈍なこどもでありました。近くの同い年の子達とは、割合、楽しく遊んだ記憶があります。 たいていの場合、故郷とは僕にとって形式的なものでした。見渡す風景は、ごく個人的でより内面世界に依存したセンチメンタル以外に、いわゆるノスタルジックなものを想起させるものは何もありません。 一週間ほど前、祖父が他界したのですが。 「ああ、この祖父でも死ぬのだな」 という思いでした。毎日半升近くの酒を飲み、色んな場所に顔を出し、やりたいことを楽しくやり、そして息子を見舞うことはあっても入院したことなど一度も無かったそうで、僕の目にも、そのまま永遠に行き続けるような気がしてました。寒い朝に家の土間でぱったり倒れていたそうです。田舎ですのでヘリコプターで搬送したらしいですが、そのまま次の日にはあっさり逝ってしまいました。 帰省して既に棺桶に納められた祖父の顔は、たまたま帰省して話をした3日前と同じ顔でした。 突然のことで、父親や叔父たちも押し流されるように葬儀の準備に動かされ、わずかながら自分もそれを手伝い、何だかよくわからない出来事を何だかよくわからず処理していきました。 祖父だったものが家を出るときになってはたと、もうこの家に帰ってきたとき祖父はここに居ないのだと気づきました。在るのは、ぜんまい採りに使うかごいっぱいくらいの、何だかわからないリン酸カルシウムの塊なのだと。その喪失感を堪えきれず涙を流しました。ああ、これが故郷なのだと。自分の過去に連なり、しかしどこもかしこも抜け落ちた空洞ばかりのもの。 祖父の思い出はこれ以上積み重ねることができない、ここで積み終わりだと気づきました。退屈であったはずの形式的な日々はもうやってこない。非常に身勝手であるのですがそれはどんなにか悲しいことか。 人の死を悼むということは、 その人がいなくなったことを悲しむということは、自分が彼を体験するということの終わり、彼という自分のものでもある日記帳にはもう余白がないということを残念に思うことなのですね。 僕にとって、この形式的なものが故郷であったことは驚きでした。 田舎の祖父に会うということは、僕にとっては面倒だと思っていたことで、そして祖父は当たり前のものであるということであって、そして今では当たり前のことであったはずのものなのです。 とてもいとおしい思い出であり、僕の日記の一部であり、その当時は事務的作業の一つでした。なんとも身勝手なこころのうつりかわりなのですが、それがふるさとというものなのでしょうか。 ふるさととは、自分の元であり、自分の考え方や在り方の基礎となるものでしょう。祖父は僕にとって形式的なものでありました。いわば些事でした。しかし、今祖父は間違いなく僕のふるさとです。 小学五年生のときに遊びに行った下級生の家には、お婆ちゃんがこたつに入っていました。 これは極めて些事でした。どうでもいいことです。しかし、これもふるさとの一部です。 僕にとって故郷は、どうでもいいことの集合体のようです。それは僕には、どうでもよくないことがあまり多くないからかもしれませんが、我々が他の人や社会との関係性を持つとき、我々が自分を社会的に何者であるかと考え、どのような足跡を残し、そしてどう社会に捉えられるかということは、極めてどうでもいいことの積み重ねなのではないかと思いました。仲の良い友達とどこへ行ったか、大好きな相方とどう日々をすごしたか、仕事はどれほど意義のあるものか、大好きなバンドのライブがどう楽しかったか、家族をどれほど愛しているか。大切なものは大概自分の中の、内面的なものです。向こうに持っていけるものです。もちろん周りに知ってはもらえますが、それより持っていけることが重要な気がします。どうでもいい人とのおしゃべりや、仕事の上でのつきあいとか、すれ違った人との会話とか、どうでもいいニュースとか。そんな些事がとても認知される自分には大事、特に自分が自分の外に対してどうあるか、ということに大事な気がします。何もかも失ったとき、自分に対して支えになるのは自分の大切にしてきたもの。何もかも失ったとき、自分を支えてくれるものは今までの自分の些事を積み重ねたもの。そんな気がします。 とても不思議です。 どうでもいいことが、自分のありようの基礎になっているというのは、どうにも不思議なパラドックスです。 祖父は死にましたが、祖父の作った人とのつながりは残り、そしてそれは形を変えて僕にも新しい関係性をもたらしてくれます。 僕が死んだとき、僕の作ったふるさとは残るのでしょう。それは「あいつ、~なヤツだったなぁ」であり、それが歴史というものなのでしょう。 僕は自分の好きなものに満足して死にたい。そして、できるだけ多くのふるさとを残して死にたい。そう思います。 祖父は僕の夏休みのcomponentでした。そして今では、僕の夏休みの思い出のcomponentであります。 僕は祖父をとても愛しています。
November 27, 2006
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今日はサークルの友人達と食事しに行きました。ゆったりまったり。とりとめのないおしゃべり何種類もある楽しい前菜皿を客にあてる店員瑞々しい紅葉の写真ゆらめくキャンドルほのかなムードあやうくスープをこちらにぶちまけそうになる店員しっとりとした音楽水を注ぎきってしぶきをかける店員「またね」 …一部ノイズが入りましたが、いい雰囲気で久しぶりにまったり楽しかったです。
November 23, 2006
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寒くなってきましたね。低血圧の某は、起床時間一時間前に目覚ましをかけておかないと、目的の時間にベッドから出られないです。 今日のワタクシ的しゃーわせ 9時に下宿に帰ってきてるのに気づいたとき・・・! 最近帰ってくるの遅かったからなぁ・・・これじゃあ逆に暗くなるな・・・ もう一つ。 コタツに足をつっこんで、無音の部屋の中、じっとしてファンの音を聞いているとき 一人暮らしの下宿で、こういう状況にひどくほっとします。 足がじんわーりと温まって、こわばっていた身体が緩んでいくのを感じながら、「ィィィ」というコタツのファンの音が安心感を与えてくれます。なんていうんですか?あのその、郷愁? なんでそんなものを感じるかわからないのですが、コタツはやはり日本人の心の故郷なのかもしれません。 個人的趣向的には、コタツの周りが布団でいっぱいだったら最高です。僕、狭いところ大好きで、よく押入れの布団のなかにもぐりこんでいました。周りにモノがあって狭いところにいるのが好きです。ええ、ヘンなヤツです。
November 17, 2006
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ウソです。京都は紅葉が遅くて心配されているようです。忙しくて長文はかけないので、簡単に更新できるネタを探したりしてます。思いつきで実行。ワタクシ的「ちょっとした幸せなかんじ」ビールをグラスに注いで飲んでいて、もう無くなったと思っていたら、残っていたとき
November 16, 2006
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とか作ってみたりしてます。 お手軽にできて外れはあまり少ないですね。だが、アレだ、その、明らかにタレの味で色々ごまかしてる気がします・・・ ま、そういう料理かもしれませんが。 自分で作ったものって割となんでも美味しく感じるから不思議です。最近色々とあって、自炊をちゃんとしてます。料理楽しいよ料理。 最近のワタクシの座右の銘 腐ってもタイ 炒めりゃ何でもなんとかなる。んー、素材のやりくりはマダマダです・・・
October 10, 2006
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2006年度のノーベル賞の発表が現在進行形です。これを知って、ここが科学ネタのブログだったことを思い出しました。ダメポ。(そう言えば、いつの間にか楽天ブログになってる・・・?気づくの遅い?)一昨日に医学・生理学賞が、昨日物理学賞が、今日付けで化学賞が発表されました。残念ながら今年も科学賞には日本人はおりません。文学賞に村上春樹が大穴で来るかも?みたいな予想はあるようですが、はてさて・・・そういえばこの間「海辺のカフカ」を読んだばかりでした。透徹な世界観は嫌いではありませんでした。「ノーベル賞を○○年間に○○人出す」とかいうヘンな国の目標を良しとする気は毛頭ありません。どういうつもりでああいう発言が出たのか、僕にはよくわかりませんけれど、ノーベル賞は世界的に見て注目される賞であることは確かで、非常にインパクトのある研究を行った人が選ばれるので、注視して損はないハズです。物理学賞は宇宙論に実測的な証拠を与えた宇宙背景放射の研究について評価された、ということらしいです。物理は全くわからないので誰か詳しく教えてくれないでしょうかね・・・医学生理学賞は、2本鎖RNAによる遺伝子の働きに対する干渉、RNAi(RNA干渉)の発見に対して、でした。今回の受賞者がこの現象を報告してから、まだ10年も経ってないというのに、競って研究が行われ、遺伝子治療に向けた臨床段階の一歩手前だというのだから、おそろしいインパクトだったのでしょうね。今年論文捏造疑惑の持ち上がった東大の教授は、この「RNAi」の権威でした。競争の激しさの象徴でしょうか。曰く、「もらって当然の発見」だったそうで。この技術が実用化すれば、身体に害となる遺伝子の発現をこの小さなRNAを使って抑えることができ、病気の治療・予防に役立つということです。化学賞は、またもや核酸に関わる話ですが、「DNA→RNA→タンパク質」という生物の基本原則、いわゆる「セントラルドグマ」のうち、DNAからRNAへの情報の移し変え、「転写」についての―それも我々ヒトなど高等生物を含む「真核生物」の―研究が受賞理由でした。最近の化学賞は生物よりの受賞が多いですね。**************************************************************************さて、化学賞の受賞者はロジャー・コーンバーグという人なんですが、最初この名前を見たとき、「ん?」とハテナマークが浮かびました。コーンバーグという名前が珍しいのかどうかはわかりませんが、以前どこかの教科書で見た気がしました。「美味しそうな名前だな」と思ったんですよ。「そうそう、アーサー・コーンバーグだ」生化学・分子生物学の教科書には必ず載っているでしょう。アーサー・コーンバーグは、1959年に医学生理学賞を受賞しています。受賞理由は『DNA合成酵素の発見』です。我々が生きていくためには絶えず細胞は新しく作りだされなくてはなりません。皮膚が毎日垢となってはがれていってそのままならば、私達はすぐに骨と内臓だけになってしまうでしょう。新しく皮膚の細胞が作り出されるためには、細胞が分裂しなければなりません。細胞が分裂するとき、親細胞が持つDNAも分裂した細胞に等しく分配してやる必要がありますが、もし親となる細胞がそのままDNAを子供細胞にあげてしまえば、子供の持つDNAの量は半分になります。遺産といっしょですね。この場合、子供は遺産を親の半分しか持たないので、財力が半分しかありません。彼が子供にまた遺産を分配すると、孫の持つ遺産DNAはもともとの1/4になってしまいます。このままではそう遠くないうちに、この家系は没落し、細胞分裂できなくなってしまうことでしょう。子供細胞が相続で不満を言わないためにも家が安泰に続くためにも、親は(現実にできたらどんなにかいいことでしょうが)DNAを倍にして子供に受け渡すという離れ技をやってのけます。これで子供たちも満足して親と同じ額の遺産DNAを受け取ることができます。以下同文でめでたしめでたし。この離れ業、『DNAの複製』を行うのがDNA合成酵素です。A・コーンバーグは存在の示唆されていたこのDNA合成酵素を発見・精製し、なんと試験管のなかに複製したいDNA分子とDNAの材料と精製したDNA合成酵素を入れて、みごとDNAを複製させ、世界を驚愕させました。親から子、子から孫へと生命が連綿と続いていくための根本的な作用、DNAの複製という仕事を、試験管の中でやってのけたのです。アーサー・コーンバーグは80歳を過ぎていまだに自分で研究を続けています。精力的なんてもんじゃないですね。彼は、自分は「酵素に恋をした」と言ってます。・・・ここでの反応は人それぞれでしょうかwなんとも研究者らしい言葉であるとは思います。さて、今回化学賞を受賞したR・コーンバーグは話の流れからお分かりのように、アーサーの長男です。親子での受賞は、ノーベル賞の歴史の中でこれで7組目だということ。受賞理由が“DNAからRNAへ”ですから、まさに父親の跡をついだ、ということになるでしょうか。RNA合成酵素はアーサーと同時に受賞した研究者によって発見されていましたが、ロジャーはこの、DNAからRNAへどう情報を写しとるか、という謎を分子のレベルで明らかにしました。『分子のレベルで』というのは、このRNA合成が細胞内で実際に起こるためには、Aという分子がDNAにくっついて、次にBという分子がそれを補助して、さらにC分子がBにひきつけられてDNAにくっついて、DがRNA合成のスイッチをオンにしたらDNA上をRNA合成酵素が動き出すという風にDNAの情報の写しとり、という神秘的で神の作りたもうた(ような)現象が分子を使った言葉で説明できるようになった、ということです。ロジャーのすごいところは、この神秘的なRNA合成(転写)反応を、我々ヒトなどの高等生物の属する『真核生物』について明らかにし(原核生物については研究がなされていたようです)、なぜたった一つの受精卵から発生した私達が神経や筋肉や皮膚など、多種多様な細胞を持つことができるのかについての理解を進歩させたこと、そしてさらにそれを分子レベルに飽き足らず、原子のレベルで明らかにしてしまったこと、でしょうか。ロジャーは反応が進んでいるところの『写真』をとることに成功したのです!コーンバーグ親子はともに生命の根幹である遺伝子DNAについての研究でノーベル賞を受賞することになったわけですが、(ノーベル賞のホームページにもあるように)偉大な研究をなした父に劣らず、息子にも“コーンバーグの遺伝子”が受け継がれていた、ということなのでしょうね。Nobelprize.org参考。流石親子。二人とも顔がソックリ。The Dolan DNA learning center:右上のMedia showcaseのなかに、Transcription: DNA codes for mRNA, 3D animationというのがあります。実際にグラフィックでRNA合成を見れます。割と感動。割とコミカル。と、大風呂敷を広げておいて、今度の更新の時には、その内容について説明できたらいいなぁ。ノーベル賞の内容の説明とかしたら、インパクトある内容だし、こっちも勉強になるかな、なんて思いました。
October 4, 2006
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ディープインパクトは3位ですか、残念・・・かなり接戦でしたのにねぇ!競馬は全く興味ないのですが、この間フランス行ってきたし、とか思ってみてました。にわかです。惜しい。流石の武にも世界の壁は厚かったか・・・ディープインパクトに350万円もかけた日本人がいたそうですね。まあ、そういう人はある意味で夢をかけたわけで、この結果にも満足なのでしょう。多分ね。しかし、配っているパンフ?だかチラシ?だかに必死で群がる日本人は何か哀しいですね。向こうの人はどう思ったのでしょうか。まあ、フランスは日本のこと好きですし!…主に日本のお金とか?こう、相手が世界だったりすると、日本人としては何だか無性に燃えるものがありますね。僕も含めてです。どこの国でもそうなのかもしれませんが、スポーツとかシェフとかダンサーとか、世界に挑戦する日本人、とかいうフレーズにはかなり惹かれますよね。自分がその分野にたとえどれほど無関心でも。日本という国家についてとか愛国心とか、そういうのには何だか無性に無関心なのに。それって、民族性かなぁ。時流かなぁ。それとも劣等感からくるものなのかなぁ。意外と世界に対して、日本って頑張ってるんですよね。でも、島国だからか、自分達はそういう世界に対抗できるものがあることに直に接することができない。もっとそういうものに触れることができたら、日本ももっと自信を持てるようになるのかな、とか思いました。「美しい国」なんていう綺麗な箱庭を造ってあげて眺めさせるよりも、自分達の手で造り上げた金字塔を直に見れるようになることが、もっと国民に自信と誇りを取り戻せるようになると思うんですが、そこんところどうでしょう、ソーリ。もっと世界を身近に感じられる環境とか、大事だと思うんですよ。
October 1, 2006
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昨日までフランスに旅行に行ってきました。一週間ほど。ええ、夏休みですしね。かなり歩き疲れました。欲張って色々行き過ぎましたんで。楽しかったです。旅行内容はひとまずおいておいて、日本に帰ってきて、周りが日本語だらけになるとほっとしますね。横断歩道を渡る人が発する日本語。とても自然な。テレビをつけると流れてくる流暢なニュースを読み上げる声。ああ、自分は日本に生きてきた日本人なのだな、と感じたりします。比較するものを見て始めて、自分自身は何者なのかというのを感じられるのだな、というのをよくよく実感いたしました。
August 28, 2006
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ククク、前回更新はほぼ一ヶ月前ですね。こうやってブログは放置されていくわけですね。コンスタントに行きたいところではありますが、どうもムラっ気がある私ですので、この調子で適当に更新していきたいと思います。んー、ダメダメかな?精神的に安定したらもっとちゃんとできる気がするんですがね。結婚しようかな?相手がいないけど。 3日ほど前にMRI検査を受けてきました。「おいおい何があったんや」ってな感じでしょうが、さかのぼること3週間ほど前、いつものごとくコンビニで週刊誌を立ち読みしていたら、視界の右半分が歪んでしまったんですね。 フフフ、なかなかテラーでしたよ。右側にある物体に意識を集中させてもぐんにゃりと曲がってしまうのですよ。これは怖いですよ?このままあなたの知らない世界にご招待!なのかと期待してしまいました。いえ、正直ほんとに若年性脳梗塞にでもなったのではないかと思いましたが。しばらくしていると、もとの世界に帰ってきたのですが、流石に怖い。僕には「私が死んでも代わりがいる」わけではないですし。 というわけで病院にMRI検診を受けに行った次第。 機器のある部屋に行っての感想。「おお、本当にイメージ通り」 人一人入れる円筒型の機械。まんまです。 技師の人曰く、「イレズミないですか?」 ありませんよ。こんな見かけ人畜無害そうな男にそんな大層なものがあるとお思いですか?どうやら、MRIの強力な磁場のせいで、イレズミの際に使うコバルトなどの磁性体に影響がでるらしいです。へぇー。「閉所恐怖症じゃないですか?パニック起こす人もいるんですよ」 いえ、むしろ閉所愛好症です。昔から、押入れの布団にくるまってキャーキャーいって嬉しがってたアホなヤツです。 そして挿入(される)。枕のようなもので頭を固定され、 殺人鬼がかぶっているようなプラスチックのケージを頭にかぶせられました。確かにこれはせまいところ嫌いな人には辛いかも。挿入(され)後、 ドガガガガ。 うるさい。なるほど、これが噂の騒音ですか。 ブンブンブンブン。 しかもパターンが何種類かある。結構落ち着けないです。 ヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンヴァン ヴァン ヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンブー 動いてます動いてます。耳のそばを通るときうるさい。 とまあ、こんな感じで、明確なパターンもなく不愉快な電磁音が30分ぐらい続くわけですから、たいていの人は不安になったり落ち着けなかったりするのでしょうね。 流石に狭いところダイスキな僕でも、10分ぐらいしか眠れませんでした。 結果は、「異常なし」 …なんでしょう。自覚した症状があるのに、医者に異常なしといわれるとものすごく 納得がいかない気分になりますね。原因を知りたいのは患者のサガであります。でも、自分の脳みそを見れてなんかドキドキしました。変態? というわけでMRIは意外と楽しいものでした。少なくとも僕にはですが。何か不安のある場合、皆さんも一度試してみてはいかがでしょう。意外と気軽です。多少値は張りますが、安心はします。五千円くらい。学生としては「ヒィー」 ですが。 ときに、MRIは磁気共鳴画像法(Magnetic Resonance Imaging)の略ですが、外国ではNMR(核磁気共鳴;Nuclear magnetic resonance)が一般的でそっちが正しいのですが、医療現場に「核」という言葉を用いるのは不安感をあたえる、としてMRIと呼ぶようになったとか。正直「アホらし」 と思いましたね。この場合の「核」は原子核という意味だけであって、「核分裂」とは全く関係が無いのに。日本人の核アレルギーの凄さをあらわすものでもあるのかもしれませんね。放射能汚染なんて喰らうはずもありません。
July 8, 2006
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「大化の改新」が何年だったか忘れた どうしたもんか、どうだろう?どうですか?中学生に「ねーねー、大化の改新っていつか知ってる?」って聞かれて自信満々に答えられない自分を想像してものごっそ凹んだ…大化の改新がいつかって知ってるって、年長の小学生が年下の子に「へっ、すごいやろ。オレ大化の改新何年か知ってんねんで」 っていうレベルではなかろうか。 久々の更新がこれか… もう一つ。 洗濯物が溜まってたが、生憎と雨だったので仕方なくコインランドリーで乾燥させた。上下2段の乾燥機の下側に洗い上がりの洗濯物どもを放り込み、100円を3枚入れて、乾燥温度「標準」のボタンを押し、「スタート」 動いた動いた 空っぽの上段の乾燥機が ポカンと開く口。無意味に回り続ける乾燥機。動き出す気配のカケラもない洗濯物の山。 洗濯を待ってるらしき女の人の視線が気になるああ、こっち見てる?ストップボタンないし。しょうがないので、今度こそ下側の乾燥機の投入口へ… 100円玉無いし 両替機はあるが、1000円札無し。 女の人の前を通って、近くのコンビニへ 。無意味に5000円札でレモン水(105円)を買い、また女の人の前を通って今度こそ100円玉3枚投入。回る洗濯物ども。回る空っぽの乾燥機。見ててとても悲しかったです。まあ、このくらいは日常茶飯事なのですけどね。
June 17, 2006
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何とか発表も終わり、やっと落ち着きました。あー、疲れた…一時間以上も喋りっぱなしだとさすがに疲れていたらしく、部屋に帰ったらうとうとしていつの間にか眠りの中に。暑さなのか焦りなのか、喋ってる最中は身体じゅうの汗腺が開いたのではないか思うぐらいに大汗かきながら乗り切りました。 人間、余裕がないと何事もダメですね。開放感バリバリ。 ***********************そんな個人的な話とは全く関係ないのですが、この記事はさすがにどうかと思いましたね。年金保険料、4万人分以上を不正免除・猶予 社保事務所 社会保険庁は云々かんぬんはもうだいぶ前の話になったと思っていたのですが、自分がいざ納める立場になってみると、こうも勝手に扱われるとなるとさすがに腹が立ちますね。(学生控除を今年から止めたので)そりゃ未納の人が30%近くいるそうですから、納付率を上げようとする気持ちはわからんでもないですが、国民という大規模な資金の泉からくみ上げる数字を、そんないとも簡単に変えられてはたまらんですよねぇ。「数値達成できないから。3万人ぐらい免除にしちゃえ」うーん、そんな信じられないくらい適当な考え方でやられると、僕らみたいな若者が納付したくなくなる気持ちは仕方ないと思います。受け取れるのって40年も先なワケですよ? 「免除を勧めるため、何度訪問しても会えない。未納のままでは年金が受けられなくなる」 うーん、なるほど。システムの問題もあるのかもしれませんが…善意だと言うなら、ちゃんと公表するべきではないのでしょうかねぇ。法律で禁止されているのなら、社会保険庁の独断ではできないことでしょうし、これは明らかに納付率の向上を偽装するためとしか思えませんね。大変だとは思うのですが、責任を持って欲しいところです。そいで下の首切りだけで終わって欲しくないものです。 今日は珍しく社会派なマリオでした。
May 23, 2006
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たまには科学の話題を出してみましょう。 つーても、新聞からの抜粋ですが。asahi.comより 先読み脳細胞解明、サルで実験 将棋やチェスで必須の「先読み」をするときの脳の細胞レベルの活動を、東北大の虫明元(むしあけ・はじめ)教授(生理学)のグループがサルの実験で突き止めた。大脳の前頭前野にある複数の細胞が一手ごとに対応しており、課題を見た瞬間に同時に活性化することで先読みをしているらしい。前頭前野は思考に深くかかわることで知られるが、課題解決の際の活動を細胞レベルで明らかにしたのは初めて。人工知能の開発にも役立ちそうだという。 成果は18日発行の米医学誌「ニューロン」に掲載された。 実験では、ニホンザル2匹にコンピューター画面で簡単な迷路を見せ、3回のレバー操作で目印をゴールに移動させる訓練をした。熟練したサルの脳に電極を取り付け、脳の活動をみると、こめかみ周辺にある大脳の前頭前野の背外側(はいがいそく)と呼ばれる部分の細胞がいくつも活性化した。 迷路を見せた直後は、多くの細胞が一斉に活性化した。目印移動の操作を始めると、1手目、2手目、3手目でそれぞれ別の細胞グループが活性化した。迷路を最初に見た時に活性化したのは、1~3手目に対応する細胞グループすべてだったことがわかり、同時に活性化することで3手先まで先読みしていた、と解釈できた。 それぞれの細胞グループは、さらに上下左右のどちらの方向に移動するかで細かく分かれていることも判明。「1手目、右へ移動」「2手目、上へ移動」など操作の順序と方向ごとに別グループになっているので、迷路を見た際にどの細胞が活性化するかを見て、サルが実際にどう迷路を解くかを予測できたという。 虫明さんは「思考する時の脳細胞の働きが詳しくわかれば、認知症の解明や治療法開発にも役立つはず」と話す。 東京大の宮下保司教授(大脳生理学)は「巧みな課題設定で、先読みをするときの脳活動を細胞レベルでみることに成功した意義深い研究だ」と話している。 ホンマですかね?にわかには信じがたい話ですが、本当なら面白い話ですねぇ。「Neuron」は最近ほとんど目を通してなかったので見落としてました。 要は、洗濯をしようとするとまず、服を洗濯機に放り込んで、洗剤をぶっかけて、スイッチを押す。最低でもこれくらいの手順は必要でしょう。 洗濯しようと決めた瞬間、僕たちの頭のなかの神経細胞のあるグループが反応して、服を洗濯機に放り込む担当神経、洗剤をぶっかける担当神経細胞、スイッチを押す担当神経細胞、とに割り振られるということでしょう。「先読み課題」とは少し違うと思いますが。割り振られた細胞たちは、自分達の担当時期を記憶しておき、まず「服」担当が仕事を終えたのを確認したら、「洗剤」担当が「あ、じゃあオレね」と、洗剤をふっかけるよう指令を出し、そしたら「スイッチ」担当が、洗剤を確認して「じゃあ最期にオレだ」と、スイッチを入れる、というわけですな。 これは面白い。日々の課題はこうやって頭の中で処理されているのかもしれませんね。 ホントかなー、って感じもしますが、 脳というのは面白くて、この間勉強してて知ったのですが、ヒトがモノを見るときに、視野の中をモノが動いたとき、右に動くのに反応する神経細胞、右ナナメに動くのに反応する神経細胞、四角い形のカドに反応する神経細胞、 などがあるそうです。それも、視野の中のほんの一部の領域に対してこういうのがいくつもあって、視野全体ではその種類と数は膨大なものになるようです。そういった神経細胞が担当する細かな情報をいくつも統合して、最終的にあなたは「あー、これはマリオが書いているアホな文章だな」、と判断するわけです。だから、課題の一部を担当する細胞、というのがあっても不思議じゃない気もしますね。 ふう、今日は珍しく科学の話です。ん?もともとそういう日記だったのじゃないか?…いえ、忘れてませんよ?ちょっと休憩が長いだけですよ?
May 19, 2006
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デスクワークがしんどいんですが 嫌いなわけじゃないんだっ。もともとインドア派だしっ。(あんまり関係ないですか)でもずーっと続けてるとしんどいですがな。あー、実験したい… 笑いのセンスがないと言われた。くそう。関西にやってきて早5年目。それなりに研鑽をつんできたつもりだったのに。 名古屋人には言われたくないね! (名古屋の人すみません) あ、でもあいつも関西来て5年か…修行期間はいっしょでした… いいんだ、俺天然ボケキャラだし。 とか言ってる時点でダメか? …落ちない。面白い文章書ける人ってすごいですよね。
May 16, 2006
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意味のあることを書こうとするから、意味のあることをしなかった日は日記を書こうなどという気にならない。だったら、意味の無いことを書けばよい。ウソ。だってわざわざ書くんだから、意味のあること書いてたいですわな。耳あかの話はストップしてます。元原稿(というほどのものでもない)はあるのですが、練り直すのに時間がかかる…図をいれるのも。そのせいで進みませんね。もう2ヶ月かい。今朝、親父の打ったソバをゆがいて食べたら、腹壊した。一週間近く置いてたら、生なんで痛みますわな、そりゃ。ごめんよお父さーん! そういや京は葵祭りだったらしい。祇園は二回行きました、時代はちょっと見かけただけ。しまったなぁ。
May 15, 2006
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五月病の憂鬱から少し復活。論文がなんとか読めたから。それだけでかい。機器の使い方がわからなくなったり、実験の手順がうまくいかなかったり不器用だったり、説明してもらったことがさっぱりわからなかったり、論理的に考えることがさっぱりできなかったり…みんなはさくさくできるのに。ああ、考えるとまた凹んできた…まあ、実際のところ、僕まったくこの仕事向いてないんでないかい?と思う今日この頃です。人よりマイペースでやらないと何もできなくなるくせに、他の人の評価を気にしたり、他人と自分を比べてみたりして。落ち込むだけなんでやめりゃいいんですけどね。こういう場合、マイペースでもやり遂げると少しは自信がつくのがわかりました。一休みひとやすみwもうすぐ論文紹介のゼミがあるので、論文ばっかり読んでます。ほとんど実験してないので教官の視線がちょっと怖い日々。いや被害妄想デスヨ?日本語よりも英語を読むのが楽になってきた気がする…
May 14, 2006
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一昨日は、弱気な愚痴にコメントしていただいて、ホンマ感謝です。あんな愚痴にもコメントいただけるなんて、私は幸せ者です。うん。 おかげで、ちょっとだけ復活したマリオです。今日が晴れだったせいもあるんですが。ってそんくらいのことで凹んでたんかい。すんません… 話は全然違うのですが、有機化学美術館、知ってますか?有機化学の話を紹介されているのですが、わかりやすくて面白い!僕もこういうHPにしたいのですがね… ナノカーとか、ナノキッズとかは必見です。正直「アホか!w」と言いたくなりますが、こういう科学のココロも大事なのでしょう。 この有機化学美術館は「K.SATOH's official website」の 一部なのですが、この方の「余談の森」は秀逸です! 分量もネタも重厚!科学の話に限定せず、あれやこれや、くだらなすぎたり面白すぎたりする雑学がいっぱいです。思わず「ヒー!」とさんま笑いしてしまうこと間違いなしです。 オススメは…いっぱいありすぎです。 「マイケル・ジョーダンは泳げない」 「日本国内で核爆発を行った者は、7年以下の懲役に処されると決まっている。」 「「私もまだ読んでないんでよく知りません」(松本伊代、自分のエッセイ集の出版記者会見で、本の内容を質問されて) 」
May 8, 2006
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季節はずれの風邪を引きました。この時期の風邪はこじらすと、長い…ものすごい大量の汗を無理やりかいて直そうと思ったのですが、悪化の一途。おかげでGW潰れたじゃないかどうしてくれるんだ。 5日までは実験してたんで、今日からふらっと一人旅をしたかったんですがねー。 …いや、しなかっただろうな、俺フットワーク重いし。 GW中何かしたかと言えば、サークルの先輩が帰ってくるというので、大阪まで出向いて飲み会の幹事をしたくらいでした。 その人と対面で話をしてて言われたのですが。 「あんた、人生楽しめんキャラやねん」 そうですか、うすうす気づいていたのですがね。 確かに苦行を自ら課して、楽しむクセがあまりないですが。飲み会とかしても、気をつかうばっかりで後で思い返してみると楽しめてないような気がしますが。 そういえば、GWで何かイベントってしたことあったっけ?家族以外に… そもそも、あんま楽しいと思えることって、今までの人生で無かったなー … うーん、ダウナーな文章ですなぁ。勉強ばっかしてたわけじゃないんですが、自発的な行動力が極めて乏しい僕なのでありました。 もっか、最近は何か楽しいことを探して生きているのであります、割と切実に。生きてるだけで、丸儲け 、と。某お笑い大御所のように構えていてもいいですが、あの人は本当に人生楽しそうだ。 風邪引くと気弱になりますね。ああ、頭イタイ…
May 6, 2006
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これは驚きでした!何の変哲もないただのCGですが… AとBではどちらが暗いでしょうか? 答えはこちら。 びっくりでしょう?印刷して紙を折ってみたりして、見方を変えてみたりしたのですが、どうしても同じ暗さには見えませんでした!これほど、同じ暗さだとわかってさえ違ってみえる錯視は初めてです。Edward H. AdelsonというMITの教授のHPで紹介されていました。 人の錯覚とはげに恐ろしきものでありますな。
April 28, 2006
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妙に最近やる気がでなくて困ってます。色々、果たしてこれが自分のやりたいことなのかー、とか考えております。 それと、なんか明朝まで練れなくて困ります。朝四時くらい。 眠れないのではなくて、「寝たくない」という状況。なんか寝るのが勿体無くて…うーん、なんかあまりいい精神状態ではないですね。ふさぎこみなわけではないですが…
April 27, 2006
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注:今日は愚痴なので読む意価値は無いです。 あー、もうやる気でない。本当に これが自分のやりたいことだったんか…?実験面白くない、意味わからん。結果が遠すぎるー。 気分転換、気分転換!今週末はマージャンだー!! 以上
April 20, 2006
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inktomisearch.comが来るのが多すぎると思う。googlebotも多い。検索ロボットだからべつにいいのだが、これらのせいでカウンタが回ってるのがなんか嫌だ。 とりあえず彼女をつくったほうがいい、と言われた。そうか… 頑張るよ先輩。 しかし、そのためにはまず、坊主にして空手を習うとよいらしい。 …ん?
April 19, 2006
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下宿に帰ってきて、さっさと眠ればいいのに、「なんか眠るのもったいないなー」とか、よくわからないことを考えて3字とか4時まで毎日起きているのです。たとえ7時におきなあかんくても。そして余裕で寝過ごしたり。 寝過ごすタイムリミットまで、 「おきなあかん、起きなあかんで、自分」 (関西では他の人に対して使うが、この場合は本当に自分に向けて) もんどりうって、伸びをして、また反対向いて、丸まって。タイムリミットに向けて動きはどんどん激しくなっていき…そしてタイムリミットになって、 爆睡。 うむ、お約束ですな。 焦ってるのか、そうなのか。時間がもったいないと思っているのかどうなのか。 自分のことって本当にわからないです。ああ、他人のこともわからないけれど。 そういえば、人ってどういうものなのか知りたくて、研究者になろう思ったんでした。 大きくなったら、なにが本当にしたかったことなのか、本当に大事なことだったのか、どんどん曖昧になってきて、大事だったことに後からくっついてきたことのほうが大事になっちゃったりするんでしょうかね? コドモのままでいられれば、大事なものを両手に大切そうに抱えて階段を上っていける。オトナになるには、オトナになれば、オトナでいるためには、掴みたいものや掴んでしまったもの、掴まなくちゃいけないものや掴むべきものが、階段のそこかしこにいっぱい散らばっていて、それに手を伸ばした拍子に、抱えていたモノは自分の身体の奥底に沈んでいってしまう。そうして、大事なものが増えていくんでしょうね。 コドモでいるのも、オトナになるのも、どっちも大変ですね。 楽天の日記を見てて思うのは、やっぱり人ってホント色々。 考え方も生き方も楽しみ方も悲しみ方もぼーっと仕方も千差万別千本桜。 今はエゴイズムが流行の世の中だけど、個人のあり方から見ればそれは本当に稀有なことではないのでしょうか。 自分のしたいことをして、それを良しとしてくれる社会。希有希有。偶然だとか環境だとかそんなものがあったとしても、恵まれたことですわな。いまだイビツなものはあるにせよ。 でも、したいことをすればしただけの責任が伴うのですね。割とそれって忘れがちですよね。 責任とエゴ。 人は今、エコノミーとエコロジーの世を生きているのだなとふと思いました。 何を食べて何を捨て、何を大切にして何を切り捨てるのか?それは自分達の十歩先の絵を書いているのだということなんでしょうかね。 春酔月、請雨。意図意味不明也。 今日はうまく時間を使った「気になりました」 おやすみなさいzzz
April 14, 2006
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これは3月16日づけの、『Nature』の表紙を飾った論文のFigureです。Vol 440 16 March 2006 こんなFigure載せちゃまずいのかなー、論文とかって著作権うるさそうだ…どうなんでしょう?ダメかな。 なんじゃこりゃ、って感じですが、これは「DNA Origami」です。うん、意味不明。五段ありますが、一番上が設計図、その下が完成イメージ、でその下が実際に合成したDNAの拡大写真、最後が全体像です。このオリガミ、大きさは1000000000分の1メートルぐらいという、とんでもない小ささ!そんな小さいのどうやって作ったんだ、とお思いでしょうが、作り方は下の通り。 これも意味がわからないですね。DNAはA,T,G,Cの塩基のうち、AとT,GとCがくっついて相補的に2本の鎖がらせん型になるという性質があります。著者は、その性質を利用し、「長いDNAの鎖のうち、ここにAを置いて、また別のところにTを置けば、AとTがくっついてノリみたいにDNAの鎖が思い通りに形をとってくれるだろう。うまいこと設計すれば、思い通りの図形が作れちゃうなー」 というアイデアのもと、こうこうこういう配列のDNAを合成すれば、そのDNA鎖は勝手にノリがひっついて、形をとって、自分の思い通りの「オリガミ」になってくれるだろう、というのを考え、実際に合成してみたのです。 果たして、ただの鎖であるはずのDNAはひとりでに形をとり、星やスマイリーマークがつながったものになったわけです。ATGCの塩基配列がずらずらつながっただけのDNA鎖が、ひとりでに形をとって図形になるというのは、なんとも不思議でかわいらしいものです。 スマイリーマークいいですよねー。こんなものが1000000000分の1メートルの大きさでうじゃうじゃいると思ってください。・・・・気持ち悪い気もしますね。 まあ、DNAを使えばものすごい小さな構造物を作ることができますよー、といういわゆるナノテクの論文なのですが、明らかに筆者が楽しんでやってますね。しかもこれを表紙にするNatureもやるなぁー、と思いました。 この論文の著者、一人なんですよね。だいたい生物化学系の論文の著者って少なくとも3人ぐらい、普通で5,6人、ゲノムプロジェクトみたいな巨大なヤツだと30人ぐらいにもなるものなのですが。だもんで、普通の論文で使われる一人称が"We"なのですが、この論文の場合、"I"でした。私が一人でやりましたー、みたいな。 Origamiはこれにとどまらず、まだあります。真ん中にあるのは世界地図ですね。こんな風に設計どおりに素晴らしい図形が顕微鏡で見えた日には、一人でニヤニヤせずにはいられないんじゃないでしょうかね。 *************************出会い系のTBが多すぎて、極めてウザイですね…どうにかならんか。
April 12, 2006
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「言葉は時に残酷で無力だ」最近、朝日新聞?のコマーシャルでやってますなぁ。言葉の扱いはとかく大変だと思いますね。ちょっとした語尾の違いとか、抑揚のポイントだけでもまったく違った印象を受けてしまう。日本語って特にそうなんじゃなかろうか。よく外国語はしらないけれど。「それってそうすればいいんだよ」そう言えばいいのに、「えー!?そんなやり方してんの?ダメだねぇ」…うーん、今考えると言葉の扱いの問題じゃない気がする…その言い方はないだろ。イライラしていいでしょ、その言い方。またイントネーションがむかつくんだよな、コイツ…イライラするのがわかってて言うのも腹立たしいいかん、愚痴になってしまった。まー、率直に言うのも大事ですが、相手に不快な思いをさせるだけ、損だと思いますねー。もったいない。そんくらいの言葉でムッとする俺が狭小なのか?
April 11, 2006
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ナイナイの岡村さんは、この時期ふらっと京都に旅に出てしまうのだとか。起きたら13時ジャストでした。今日は何も予定ないし、明日は雨だそうだから雨で汚れる前に桜を見に行こうと思い立ちました。2週間前に御所が満開だと聞いていたので、そこにしようか、いやそのとき満開だったらもう散ってるだろうな、なんて北から下っていたところでした。川端沿いは丁度今が満開でした。いやー綺麗でした。けど、そんなときに限って、デジカメの電源切れるし!もうすぐ日が暮れるし!でもこの機会を逃すわけにはいきません。だって明日雨ですし。急いで下宿に戻って、ちょっとだけ充電して暮れかけの並木道を撮りました。トップのフォトアルバムに公開してみたりして。よかったら見てみてくださいな。何かいつのまにか日記に色々機能がついていますね。フォトアルバム便利だ、ちょっとだけ。しかし、デジカメの画像のサイズと容量がでかいせいで、アップするために一枚一枚フォトショ使って変えなきゃならんのがとてもめんどくさい…!!皆さん、どうやってるんですか?ぜひぜひ教えてくださいおお、絵文字も使える!?**************************川沿いから見るよりも、道路沿いから見るほうが僕は好きです。車という人造のものと、桜という自然のもののコントラストが、桜を際立たせてくれるような気がします。もう少し南に下ると、もうだいぶ満開は過ぎたころでしたね。今年は確実に例年より寒いと思うのですが、桜の開花時期はそんなに変わらなかったかな?御所も一応行ってみたのですが、やはり満開は過ぎていました。が、沈みかけの太陽とすこし盛りの過ぎた桜、という組み合わせはなんともまた見事でした。これはお気に入りの一枚ですね。カメラっていいな。ちょっとした趣味になりそうだ。*****************************髪が薄くなって困ります…高校のころからヤバイなー、とは思ってましたが、最近ますますひどくなりました。立派なブルース・ウィルスですもう仕方ないんで、格好いいハゲを目指すことにしました。ジャン・レノとかウィルスとか。所さん…は微妙か?それもまた難しいですがねぇ。**********************「耳あか」にレスポンスが無いので、ちょっと寂しいです。長すぎたかな、つまんないかな、難しいかな?まだまだ精進です。徒然と書いてみました。まさに日記ですね。
April 9, 2006
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今日はすごい人と出会った。サシで話ができた。僕は彼が何を言っているのか、ほとんど理解できなかったが、彼の本質を探ろうとするまなざしを多分、いつまでも忘れない、忘れたくない。それがたとえ幻想であっても、それはさしたる違いは多分無い。僕がそれが素晴らしいと感じられたのだから。enthusiasmにそうある彼の眼差しを忘れたくないために。2006/04/04
April 4, 2006
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やっと、アップしました!といっても、まだイントロダクションにとどまっています。主題にまだいたっておりません。でも、分量が多すぎて読みづらいかもしれません。ページはこちら感想いただけると嬉しいです。次のアップはいつだ!?
March 29, 2006
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やっと文章がまとまりそう。今週中にはアップできるだろうか…?放置しすぎである。やー、話をまとめるって大変ですね。
March 12, 2006
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ええ、早起きしましたとも。朝は五時に目覚めて、研究室に行きましたとも。やっぱりいいですね、一日の時間がたくさんあるというのは。少し眠い目をこすりながらも、今日はいい日になりそうだと思いながら自転車をまたぐわけですね。んで、同じく早起きの先輩に装置の操作を教えてもらいまして、ちょっと時間が空いたわけですよ。朝早く起きすぎてこんなにいい気分だし、「よし、たまりにたまったブツを洗ってやろう!」と思い立ち、いったん部屋に戻って洗濯機のスイッチを回すわけです。小一時間後…空も晴天は神々しく、素晴らしき日を予感させるのであります。こんな日には布団も干してやるのが人情ってもんでしょう。いつも自分を温かくやさしく包んでくれる毛布に感謝しながら、シーツに、掛け布団に敷布団に感謝しながら。一式、全部干してあげたのであります。そして研究室に戻る。無駄に時間がかかるぞこの作業意外と作業が長引いて、終わったのが結局午前二時。午前・二時。…ちょっと辛かったです。残念ながらあまりいい日では無かったようです。布団が夜露に濡れてしまっている事は想像に難くありません。…まあ、いいのです。そうは言ってもこの素晴らしい天気の中で、あまり手をかけてやれなかったオフトン達は、光を存分に浴びて、十分に滅菌されたことでしょう。あったかぬくぬくとは言わずとも、日なたの匂いぐらいはするでしょう。それだけでも十分であります。過度の期待は無茶なのであります。ささやかな幸せだけで…疲れたこの身体を存分に、ああそうとも、存分に暖めてくれたまえ。さて帰ろう。そしてドアを開ける。ザーーーーーッ…………???うぁぁッ!?…こう、不規則な生活を送っていると、天気予報を見なくなってしまうのです。あの晴天にだまされました…時間の合間にでも帰っておけば、取り込めたものを…床はとても固いです。腰が痛くなりました。コタツ布団があっただけマシですが…それでも早起きは得なのです…たぶんきっと。次の日、起きたら昼の12時でした。
March 12, 2006
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自分はとても気分屋であります。(前回の日記をみればわかることですが。)カメハメハ大王のごとく、雨が降ったらお休みで、というほどではないですが、義務感で「どこそこにいかなくちゃ」っていうのがイヤになります。(むしろ雨は好きです。なんかしんみりしたのが好きです)悲しい曲を聴くと身体の動きがギシギシのからくり人形みたいになります。ささやかな楽しいことでウキウキウォッチングです。朝の目覚めは特に重要です。タイマーのCDプレイヤーから流れてくる曲にその一日左右されてしまいます。「image」とかはダメですね。一見快活に起きられるかと思いますが、のーんびりした気分で一日過ごしてしまいます。何もできません。ゆっくり起きたりすると、貧乏性でもありますから、なんかとっても損した気分になって、滅入ります。朝から~時間も損してるじゃないかって。ここらへんは本当にぐーだらカメハメハ大王って感じがします。早起きは大事です。一日にハリがでますね。なんか、最近滅入っていたので、明日は頑張って起きます。ああ、もう逃げられない…起きなきゃ。
March 7, 2006
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とぼとぼと歩いているこの身は、どういうわけだか身体の中心を通る軸にたいして右に半分だけズレている、そんな錯覚を持ってしまったりするときがあります。そんな右半分ずれた自分は、自分の感情や周りを取り囲む環境にとても敏感であるらしく、ともすれば、感情の渦に引き込まれて現実歩いている僕を、たやすくそっちにひっぱって行ってしまおうとしたりするのです。多分それはいつでも甘美な、独りよがりな沼の中ににぬるりとはまり込んでいきたい半身感傷的で郷愁に満ちた風の調べにのって、どこまでも運ばれていきたい半身現実逃避独善的世界自分の足元の頼りなさを恥じ、いっそ清流にのっていくかお風呂の渦に引き込まれたいなぁ、とか思ったり。そんな不甲斐ない、けれどもおそらくは一生ひきはがせない愛すべき我が半身を、日々自分の方に頑張って引き寄せながら歩いているのであります。離してしまえば楽だけど、半分になってしまった自分は歩きづらい。散歩で先に行こうとはやる気持ちを抑えられない犬を、しっかり紐を引きながら、足取りしっかり歩いていく、そんな感じであります。おかげで歩みはカメよりものろく、当たり前ながらウサギよりものろい。それゆえ多くのものを見落とさないですむんだと信じながら。意味なき独白かな。春ですしね。
March 5, 2006
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もう一週間たってしまったんですが、先週北野天満宮に行ってきました。見事に梅の時期ははずしてしまいました。一枝かそこらぐらい。ギリギリツボミがほころびだしているかなぁ、といった感じでした。今日か明日ぐらいには満開でしょうか、残念だ。そういえば、親子連れが多かったです。さすが学問の神様のお社。(昨日今日は国立大学の二次試験ですね。)天満宮の帰り道、路地裏に迷い込んでしまいました。京都ならではですね。その途中で、家の前に一本のサボテンが…花が!でっかい花だなぁ、と思ってカメラを向けたのですが、よく見ると…(わかりづらいと思いますが)花だけ造花でした一瞬、口をあんぐり空けてしまいましたわ。サボテンの先っぽに造花をグッサリさしてありました。お茶目なサボテンに針1000本。
February 26, 2006
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モーグル女子は健闘したんですが、メダルまであと一歩。残念でしたね…でも、上村選手の3Dはすごかったですね。素人から見ても「カッコイイー」と叫びたくなります。そしてジャンプの原田選手は…ちょっとびっくりですが、あれもあの人っぽいと言える…のかな?しかし、待ちに待ったあの舞台で、体重が足りないなんていう理由で失格だなんていっそ悔やむのも腹立たしいくらいでしょうな。200gくらい、教えてやってもよいだろうに。ニュースでなぜか引き合いに出される牛乳を飲んでくりゃ済む話ですが。それを許さないのもスポーツ競技ならではなんでしょうか。厳しい…*********************************耳あかの話ですが、論文を読み終えて、今内容をまとめているところです。色々調べてみると知らなかったことも出てきますねぇ。耳あかって苦いらしいですよ?知ってました?早速舐めてみよう…?
February 12, 2006
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朝食にパンにレタスとハムをはさんだ出来合いサンドイッチを食べて、何やらかにやら作業をしながら、食事をとりに抜け出せずに、結局夜の九時まで何も腹に入れず…あれですね、お腹減りすぎると、何だか景色がゆがんで見えるような、足取りが何だか軽くなるような、そんな気がするのですね。脳内麻薬でてるんですかね?でもね、そんな極限状態の晩飯は究極的に美味しかったりするのですね。それが鍋だったりすると、五臓六腑といわず、タマシイにまで染み渡る気がするわけですね。堪えて堪えて堪えきって、そしていきなり許されて解放される欲望は最高なのであります。「マゾの原理」ですね(そんなの無い)。
February 8, 2006
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先日、「耳垢の遺伝子」についてちょっとした話をしたところ、複数の方に面白い話題だ、と思っていただいたらしく、ちょっと、いやかなりまりおは嬉しいです。その日記の内容に対して、あさひ素材さんから「こういう面白い話題が定期的に世に出てくると科学者を目指す子供もたくさん出て来るんじゃないかなぁ」というコメントをいただきました。全くその通りだと思いますね。耳垢なんて言い方してますが、子供に言わせりゃ「耳ク○」ですわね。そんな「耳○ソ」の話に子供が飛びつかないはずがない。「お前の耳ク○乾いてらぁ、AがGになっちまってよぉ」…なんてのは下手な冗談であります。そんな飛びつき方をされても困りますね。(遺伝子で人を差別するのは大いに間違っております。優劣でなくただ適応して多様なだけなのです)ただですね、意外とこういう話は定期的にでているのですよ。新聞とかの片隅にひっそりと、時々結構大き目に二面とかに、そしてごくごくたまーに一面にでかでかと出ているわけなのですよ。ただ、これがどういう風に重要なのか、どういう風に面白いのか、ちゃんとした説明が足りんと思うのですね。専門用語でつらつらと言われても何がどうなのかさっぱり、それこそ「よくわからん」なのでしょう。注釈があるけど、それでも固い、わかりづらい。いや、そりゃ新聞ですからね、子供にまでがわかりやすいように書けんとは思うのですが。つまりは、解釈ツールが充実してないんでしょうね。「コレコレコウイウ事実が発見された、ドレソレノ解明につながり、ナニナニノ病気の治療につながる」…???「それのどこがすごい(面白い)のか?」これだと思うんですね。わかった科学的事実を理解して、面白い不思議だと思うには、それを面白いと思うだけのバックグラウンドとお勉強(単に受験勉強とかに限らず)が必要なわけですね。でも、子供達はそれを持ってない、持ってないから理解できないし勉強もしたくない、だから興味も持たない。悪循環ですねぇ。強引に強烈に、その面白さをイメージさせるものが必要なわけで。それはつまり、身近なものに即して、バックグラウンドをあまり必要としないくらいにわかりやすく、それゆえ興味を惹きつけるようなスポークスマンが要るなぁ、と思うわけであります。これは子供に限ったことではありませんが。いや、むしろ大人のかたの方が興味をもってくれやすいとは思います。まあ、そういうのができたらなぁ、と思ってHPを作っているのです。個人的には結局は科学アピールという自己満足なのですが。というわけで、すこし嬉しかったので、論文を刷って読んでみました。読んでみると、もうちょいと面白いことが書いてあるようなので、きちっとまとめてみようかな、という気持ちになりました。内容は自分のやっているのと全く異なる分野なので、完璧には理解できないのですが、スポークスマンの真似事をやってみようと思い立ったのでありました。では、楽しみにしている方がいれば…嬉しいな。近日後悔…しないように公開します。って、いつになるかは未定だけど。referenceA SNP in ABCC11 gene is the determinant of human earwax typenature genetics adovanced online publication29 January 2006おお、それっぽい。
February 6, 2006
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―耳アカの科学―ネバネバか、カサカサか、耳あかのタイプは、ある遺伝子の塩基配列のたった一つの違いで決まることが、新川詔夫(にいかわ・のりお)・長崎大大学院医歯薬学総合研究科教授らの研究で分かった。この遺伝子は、薬剤の代謝や排出と関係しており、将来、耳あかの型が、薬の効果や副作用を予測する一指標になるかもしれないという。29日付の米科学誌ネイチャー・ジェネティクス電子版に発表した。 チームは、大学の関係者ら126人の協力で、耳あかとDNAの違いを比較分析した。「カサカサ型」の88人は1人を除き、「ABCC11」という遺伝子の塩基配列の特定の場所が「A(アデニン)」だった。一方、「ネバネバ型」の38人は、そこが「G(グアニン)」だった。この遺伝子は、薬剤の代謝と関連があると知られており、どんな薬と関係が深いのか、研究を進める。また、遺伝子が特定できたことで、耳あかの「ネバネバ型」と深い関係が知られている腋臭(えきしゅう)症の研究も進みそうだ。 耳あかの型は民族による違いが大きく、日本などアジアでは8~9割が「カサカサ型」で、欧州やアフリカでは9割以上が「ネバネバ型」だ。 2006年 1月30日 朝日新聞****************************以前、「耳アカがwetかdryかは、たった一つの遺伝子で決まっている」という話をしたことがありますが、実際に遺伝子の同定までされたのですね。(Nature Geneticsの記事は読んでないですけど)耳アカと薬剤代謝と関係づけられるのは面白いですね。耳アカなんて気にしたことなんて、皆さんもないんじゃないでしょうか?僕も数年前までは、耳アカは乾いてるもんだと思ってたんですが…(未だに湿った耳アカなんて想像できません。耳掻きしたら、耳掻き棒がべたべたにちゃうんじゃないでしょうか?そこんとこどうなんですか、wetな方々?)この耳アカの種類を決めているとみられる遺伝子の塩基配列のうち、一塩基がA(アデニン)からG(グアニン)に変わっていた、ということですが、例えば1000個の遺伝子塩基配列の一部が…ATGCGCTAAAAATTTGCTATTTTAAATATACGCCGATCGATCGATGCCTCGAT…であったとすれば、Aが一つGに変わるとは、…ATGCGCTAAAAATTTGCTATTTTAAATATACGCCGATCGGTCGATGCCTCGAT…となっていた、ということですね。(どこかわかりますか?(^^;))たったこれだけで耳アカがwetになったりdryになったりするんですから、遺伝子ってのは怖いモンですね。(耳垢は一つの遺伝子によって決まりますが、多くの他の性質はそうとは限りません。例えば、鼻の形とか血液型とか)この一つの(耳アカ)遺伝子DNAの塩基配列の違いは、あるタンパク質の違い(耳アカタンパク質)に反映されます。(DNAの配列の暗号は、細胞によってあるアミノ酸の配列に解読されます。暗号解読に従って、長いDNAの配列はアミノ酸の連なった配列となります。この連なったアミノ酸がタンパク質、と呼ばれるものです。)例えば、さっき出てきた配列…ATGCGCTAAAAATTTGCTATTTTAAATATACGCCGATCGATCGATGCCTCGAT…は、…MRSKFAILNIYADRSIDRAAS…となります。(MとかRとかはアミノ酸の略号です)DNA⇒アミノ酸の遺伝暗号はこちらコレがさっきのA⇒Gの配列変化のために、…MRSKFAILNIYADRSMDRAAS…となるわけです。たったこれだけのことで、耳アカがwetかdryかが決まってしまうのです。それは、I⇒Mのアミノ酸の変化が、この耳垢タンパクの構造に大きく変化を与えるからです。これがI(イソロイシン)一方これがM(メチオニン)形や曲がり方が全然違うのがわかりますでしょうか?もし、この変化がタンパク質の、「耳垢を作るのに必要な部分」で起こると、全く異なるはたらきをすることがあるのです。例えば、耳垢がwetからdryになってしまうとか、血液型がABからOになってしまうとか、瞳の色が黒から焦げ茶になるとか。タンパク質の形は、そのままその機能に直結するのです。以上のようなしくみによって、個人個人の遺伝子のわずかな違いがタンパク質のアミノ酸配列の違いとなって反映され、それがいろいろに組み合わさって個人の違い、種の違いを示すのです。
February 1, 2006
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本年もよろしくお願いします。っていうのは、自分への皮肉でしかないわけですね。なんとまあ、一ヶ月も放置してやがりましたか、このダァホは。いろいろいっぱいいっぱいで余裕がないと他のことができなくなるのは、僕の習慣というか能力の限界とか、そういうものなんですが、むしろ日記を毎日つけるぐらいの余裕があってしかるべきなんですよね…まったく。実は今日はかなり凹んでおります。教授に怒られました。いや、全く僕の失礼が問題だったわけですが。そんなときにブログに頼って憂さ晴らしするのも、自分の弱さを象徴しているかのようで、ヘンに生真面目な僕はさらに自分に鞭打ちたい気分になったりするのです。こうね、凹んだりするときにいろいろ自分を慰めたり、前向きな言葉や方向性を探してなんとか立ち直ろうとするのが、僕のいつものパターンなんですがね、意外とネットって青臭い言葉に満ち溢れてたりしますよね。もちろん、聞くに堪えない、リアルワールドでは絶対にいえないでしょ、な罵詈雑言が飛び交う、それが主たるネット社会だったりするのですが、むしろそれよりも高次には、「普段いえないことが言えちゃう」ということにつきると思いますね。評論家みたいなことばはさておき、ネットでも意外と、いや意外でもなんでもないんですが、ネットだからこそ癒されたり前向きになれたりする言葉が飛び交ってるんですよね。今日、そんなちょっとやさぐれたタマシイを癒してくれる言葉を捜していたとき、あるブログに行き着きました。ときに、もう「9.11」(テロでなく)の戦いも去年の話となり、自身始めてとなる選挙に行ったのもなつかしいことなんですが、あの時はテレビは「小泉チルドレン」一色でしたね。そんなこんなで平社員から大転職して有名になって調子こいて専務にしかられて、謝罪してちょっと言葉が少なくなって目が泳いでいた、そんなあの人のブログに。タイゾーの三日坊主コレね、いいですよ。この人、とってもウィットに富んでいます。文章からみるだけでは、このタイプ、周りにいたら、とんでもなく面白いか、とんでもなくウザいかどちらかじゃないんでしょうか?ちょこっと見てまわっただけですが、国会議員のページでここまで面白く文章をかけている人いないんじゃないでしょうか。ゴーストライターいるんじゃないかと思うぐらいです。面白い面白い。しかも、無駄にアツイです。まー、なんていうか、この人も一応政治家なわけですから、国民へのアピールは大事なわけで、大げさな言い方や、腹にイチモツ抱えている文言はあるはずなんですが、(厚生労働省と幹事長褒めすぎ)それでもホントのヤル気と真摯さ(+ちょっとした軽いノリ)が見受けられます。同上で、脚本家がいるんじゃないかと、もしこのアツさが完全にフェイクなら文章のアクターになれるんじゃないかと、そう思うのです。キレイゴトばっかり言ってるのですが、あまりに偽善的を貫いているので気分が悪くはありません。少なくとも他の政治家の日記と比べりゃダンチです。僕はキレイゴトが好きなのです。若い人を肯定的に言ってくれるのも好感度大です。まあ、愛と努力で乗り切れると、真正面から言い切る政治家はどうだろうか、とも思いますが。実務でどういうことをしていくか、期待してます。自分を、苗字も含めて名前で表現する人物は、自分に対して自分を支える柱と「根拠の無い自信」を持っている人だと僕は思うのです。この人、この先々絶対に落選しないだろうなー、と思います。たとえ、テレビに出なくなっても、片山さ○きが落選したとしても。何十年後かに、目の濁ったオトナにはなって欲しくないですね。少し自民党を見直した気がしました。当選末席とはいえ、やはり見るべきものを選んでいるのだろうか、と。まあ、僕ミーハーですから。最近、ライブドアの問題が起こっていますが、ホリエモンの日記に「私は堀江さん信じています」「ライブドア負けるな」とかいうコメントが寄せられていて、「ウソだろ、まだ信じてんの?」って思ったんですが、日記読んでみて僕ならこの杉村太蔵議員に「投資」してもいいかな、って思いました。案外、「ホリエモン教」と揶揄されるもそのようなものなのかもしれません。あ、実は最近株式投資を始めてみました。デイトレードは無理そうなので、中長期投資で勉強中です。ライブドアショックには驚きましたが、僕のもっている株(一単元株だけです…)にはほとんど影響がなかったです。っていうか、他の株価が上がっているくせにものすごく値動きが遅いです。まあ、そんなんでボチボチ勉強して、経済に強くなろうと思ってます。まあ、ぜひ杉村太蔵ブログ、読んでみてください。オススメです。
January 20, 2006
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今日はお休み。土曜日だからというわけではなく、する実験がないので休みです。朝、目が覚めたとき、今日は研究室いかなくていいんだー、と思うと「あー、ほんま幸せやわ」と思いましたなり。研究室行くのが苦痛なのではなく(いや、実験云々以外で多少はあるけど)、ずーっと実験やっとんのはしんどいけど苦痛ではなくむしろ楽しいというか当たり前のことだと感じつつある今日この頃、よくよく考えたらこの一週間毎日12時間以上労働やないかこの場合労働基準法はどないなんねんいやそもそもこれ自発的勉強のくくりにはいるんやから抵触せんわけかい、などと考えています。「仕事」のない休日というのは、いくら仕事にプライドを持っている、仕事を楽しんでいるお父さん方でも幸せに感じるのでないか、それがいま自分が感じている幸福感なのではないか、と考えたりするわけであります。そこんとこ、どうなんでしょうか?よくよく考えたら、娯楽のない“寂しい”毎日なのかもしれないけど。もし、研究することを娯楽だと思えるようになったら、自分的にそれは素晴らしいことだと思うわけであります。(もちろん研究しかない人生なんてイヤだけど。)まだそう思え続けるようになるかは自信がありません、飽きてしまうかもしれないし。ほかにしたいことアレコレあるし。上の人たちは普通に「仕事」として少々のお金もらって、12時間ぐらい毎日働いてますし、それができるのはやっぱり研究が好きだからで、でもそれだけじゃなくて実績を出さなくてはいけない「責任」が伴っているのでしょう。好きなだけでは好きな仕事はやっていけない、実績とか責任とかが伴う。それは勿論、どんな職業にもあてはまることなんだろうけど、『好きなことをやっている』というのならそれはことさらだと思うわけであります。ただ好きなようにやって何も成果が出なかったら、公の機関であるゆえ、税金を使ってる責任がとれない、成果が出なかったら職を失う、職を失えば自分が家族が路頭に迷う。そんなプレッシャーのなかでも日々精をだして、笑いながら器具に向かいながら実験する人たちはすごいなぁ、と思うわけで。「いいねぇ、税金使って好きなことやれて」確かに、でもそれだけでもないなと思ったり。利根川進の曰く、「研究はストレスフルな仕事である」アナタでさえそういうなら、普通の人にはどれほどのものか。まだまだ、「仕事」としてやってけるか、とてもとても不安であったり。とりあえず、今日は息抜きに知り合いと焼き鳥食いに行ってきます。そして、夜12時くらいには実験結果をチェックしに行く予定だったり…(^^;)いま一番不安なのはこのモチベーションがいつま続くか、「もうやだ」って思ってしまったらどうなることか。この間の手袋をして風呂で本を読む、という“実験”は微妙な成功を納めました。ちょっとページをめくれるようになったかな、という感じ。さらなる改善を検討中です(笑)
December 10, 2005
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最近、お風呂で読書したいと思うのです。しかし、容易に想像できるように、湿気で本がダメになってしまうでしょう。そこで、誰もが想像できるように、透明なビニール袋の中に文庫本を入れて読むことにしました。これなら湿気にやられることもありません。しかし、ビニール袋はつるつる滑ってとてもじゃないけどページがめくれない…!!これでは快適な読書ライフとは言えません。…どうするか?どうにか滑らないようにすればよい。もっとざらざらしたビニール袋があればいいが、それでは透明ではなくなってしまい、本が読めない始末。じゃあ手がもっとざらざらすればいい。生憎、つるつるのお肌とは言えないが、僕の手も人の手である以上、それなりにはすべる。人工的にざらざらにするには…おおそうだ!!BJの気分で「それではオペをはじ」じゃなくてこれがあった!実験で使ったゴム手袋を着ければよいではないか!これならそれなりに滑りを防ぐことができるかもしれない!さっそくやってみよう!…ん?でもこれって快適なのだろうか?なんかまだ実験してる気分…つーか身体あらえないんじゃ…?実験の結果は明日にでも(^^;)それではアイタタタ。なんか今日はいつにもましてイタイ気がする…
December 5, 2005
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なんと、一ヶ月以上も放置してしまいましたね…これはちょっとひどいです。確かに忙しかったのですが、時間が全く無かった僕の怠惰の極みであります。どうにも面倒くさがりやなので、部屋が少しずつ巷で有名なゴミ屋敷かしつつあります。机の上には飲み終わったペットボトルが並び、右隣にはねっ転がって読んで放り出した文庫本が乱雑に散らばり、左手にはパイの実とその残りカスたる一個一個の小分け用のビニールが、コンビニのビニール袋に押し込まれ、エトセエトセ。そんなえんとろぴー急上昇な我が部屋に少し愛着を持ち始めてしまってます。やばい!これはものぐさへの急階段に足をかけ始めたとうことですね!でもどうする気にもならんのですよ、軍曹!冬ですし。こたつさいこう~****************************毎日毎日実験失敗ず~ん実験せいこ…失敗ずず~ん時たま成功ッシャア!な日々です。僕が扱っているのは犬でもネズミでも、ハエですらなく、われ等が腸で細々と生きているようなヤツらなんですが、生物屋さん全体としてはは扱う対象がバカみたいに広いから、そらハエとかセンチュウとかだって酵母だってネズミだってウシだって使うわけですな。お隣さんはネズミの解剖とかしてたりするわけです。そう、「使う」わけです。いつだったか、アメリカで動物実験に反対する団体のうち、とても過激な人たちが研究者の家を襲撃したりした、なんていうニュースを聞いた覚えがあります。正直な感想は「怖い」でした。自分も少なからずそういう立場にいるわけですし。気持ちはわかりますね。ウチは犬飼ってましたが(二匹とも去年“亡くなり”ました)、死んだときは悲しかったです。もし自分の飼っていたネコが死んだら痛いほど悲しいです。長い間ずっと一緒だったら泣き咽ぶかもしれません。自分の飼っていたセキセイインコが死んだらとても悲しいでしょう。自分の飼っていたカメが死んだら悲しいでしょう。金魚が死んだら悲しいでしょう。マリモが死んだら悲しいでしょう…多分。育てていたサルビアが枯れたら残念です。育てていた大腸菌が死んでも…僕は悲しくありません。大腸菌も入れてしまえば、僕みたいな人は稀に見る超絶虐殺者です、億、兆、京レベルの。しかも嬉々としてそれを行う、極めつけ。まあ、こんなのはアホらしい喩え方で、気分が悪くなるぐらいなんですが。要は自分から種的に近ければ近いほど愛着を感じやすく、その死を悼む、ということです。そういう問題じゃないでしょ、と言われそうですが、多分これも事実なんでしょう。生き物に一般的でない、つまり人に近く関わる研究している人たちには、動物実験はどうにも外せないと思います。製薬とか化粧品関係とか、そうなんでしょうねぇ。よく知らないけど。正直、感情的に「動物実験反対」という言い分もわかるのですが、理性的にはまったく止めなさいなんて現代においてどだい無理な話ですね。妥協して、死んでしまう数を極力減らそうという策はなされているようですが。これは大事なことだとは思います。実際に僕のように実験をするかもしれない立場になってさえ、こういうぬるま湯につかっているような曖昧な態度なのですから、大多数は「まあ可哀想だけど、仕方ないよね」で済ませてしまっているのでしょう。だからいったい何が言いたいのよ、と思うでしょうが、僕も良くわからないのですから、読んでいてもわからないのは当然、つまりこの文章は単なるぼやきでしかないわけで。この世は情動的感情と現実的感情のハザマで動いているのだな、と思ってみたり。久々に日記書くとこうだ…
December 4, 2005
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最近何が悲しいって、妙にけち臭くなった自分である。別にコンビニ弁当を買わなくなったとか、自炊したご飯を持って食堂に行くとか、そういう金銭面のことではない。Time is money.最近このことを実感する、というか実感せざるをえなくなる。ああ、大学生活は素晴らしい、そしてなんと自堕落なことか。今思えば贅沢の極み。別に今が忙しすぎて、「こんな生活ヤダ!!」って思ってるわけではなくて、15分でも空き時間が見つかると、何かしてないと勿体無くてしょうがない。心に余裕がないということか、時間の大切さを知ったと言うことか?どっちにしろ、そうあくせくしても結局うまく時間が使えてないのだから、よくないことなんでしょう。「ヒトは部品を自己調整しつづける機械である」 by まりお…ん?なんか悲しいセリフ…かもしれない。寝るのが一番ですね。座・リフレッシュ。
October 28, 2005
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ふむ…見事に更新が止まってますね…これではすでに日記ではないのかもしれません。日々は忙しいのですが、日々は何かを考えながらすごすということで楽しいのではないでしょうかね。世の中は複雑で、まっすぐ進んでいくのは思ったより大変なことなわけで。でも向き合うということが何より活力を呼び覚ますものなのかもしれません。もちろん流されるのもそれはそれで大変。悩みはしなきゃいけないわけだから。それなら疑うことも悩むこともしなきゃいいじゃないか。ああ、それが一番幸せなのかもしれません。しかしながら、僕にはまだそこら辺が正しいのかどうか、想像をめぐらすことができず、残念です。そんな意味のわからないきれいごと?を考えるあたり、僕もまだまだだと思うわけですが。
October 27, 2005
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