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その勢いで、ミーノ・レイターノの国内盤を総ざらいして、勢いづいてシルヴィ・バルタンのイタリア語曲の話を今日書こうと思ったのですが、いかにも準備不足。ゴメンナサイです。ミーノ・レイターノのことを知っていらっしゃる方はほとんどいないので何を書いても大丈夫(前回のブログで書いたこと、載せたジャケット画像は裏の取れた事実、決して嘘は書いていません)ですが、シルヴィ・バルタンになると私も"アウェイ"だし、どんな質問、クレームを受けて立つほど知識はございません。
手元にあるのは2000年にBMG RICORDIの出したCD"I GRANDI SUCCESSI ORIGINALI SYLVIE VARTAN"と2006年にBMGジャパンからでたCD"シルヴィ・バルタン/シングルス・イン・イタリー"。それにイタリア語で歌っているであろう数枚の国内シングル盤が手元にあります。 久々に全部聞いてからにします。
せっかくなので2月10日の"話のマクラ"で書いた1961年サンレモ音楽祭参加曲「あ、あ、あ愛をさがそう(A.A.A. Adorabile cercasi)」がブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino)とユーラ・デ・パルマ( Jula de Palma )とデュエットで歌うことがなかった、の理由を書いてお茶を濁しましょう。
理由は簡単です。残念ながらレコード会社が違ったからです。ブルーノ・マルティーノはV.C.M.(現在のEMI MUSIC ITALIANA)、ユーラ・デ・パルマはDURIUM(レーベルはCIRCUS)でした。現在のように違うレコード会社の二人がデュエットし、お互いにバーターで曲を出すことはありませんでした。
音楽祭で違うレコード会社の歌手とデュエットすると、レコードの方はそれぞれ相手の歌手の部分を自社の歌手に歌わせてレコードを作っていました。

7MQ-1521 (V.d.P. - V.C.M.) c/w"十二月の海(MARE DI DICEMBRE)"
なせ"残念ながら"なのかと言えばユーラ・デ・パルマは前年までV.C.M.に在籍していたからです。もし同じレコード会社だったらデュエットした可能性もあります。ドリウムは彼女を迎えるため新レーベル"サーカス"を立上げ、この「あ、あ、あ愛をさがそう」の曲に最初のレコード盤をつけました。

CN・A-9001 (CIRCUS - DURIUM) c/w"IMMENSITA'"
イタリアでは大物歌手を迎えるために新たなレーベルを立上げたり、専用のレコード番号を使用することがあったようです。彼女のドリウム時代の曲が1曲だけ国内盤で出ています。JET-4010(25cmLP 1962年日本ビクター)「スクリーン・テーマ・イタリアーナ」に"小さなじゃがいも(パタティーナ)(PATATINA)"が入っています。この曲もこの年のサンレモ音楽祭参加曲ですが他の人のカヴァーです。オリジナル曲の方を入れてほしかったところですが、曲としてはこちらの方がヒットしていました。
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