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カテゴリ: サンレモ音楽祭
第24回 1974年3月7日(木)~9日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:コラッド (Corrado)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮:  の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)、ヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)
形式:初めてカテゴリー制を導入、カテゴリーAはスター部門14曲は最終夜の決勝戦に進め、カテゴリーBも14曲、第1夜、第2夜でそれぞれ7歌手が歌い上位2歌手、合計4歌手のみに決勝背の出場権を与え、最終夜に18歌手が歌い、出場した中から優勝を決め、上位3歌手のみ得票を公表し他の歌手は入賞曲とする。

レコード会社別出場歌手数
[数]は外人歌手数
RICORDI 7[1] (RICORDI 4[0]); Produttori Associati 1[0] ; Spark 1[0]; Ariola 1[1])
RCA Italiana 5[0] (RCA Italiana 4[0]; EDIBI 1[0])
Ri Fi 3[0]
CBS SUGAR 3[1] (CGD 1[0]; CiPiTi 1[0] ; Vogue 1[1])

ARISTON 2[0]
EMI Italiana 2[0] (EMI Italiana 1[0]; PDU 1[0])
PHONOGRAM 2[1] (POLYDOR 1[0]; PHILIPS1[1])

 1974年のオーガナイザーは前年に引続きヴィトリオ・サルヴェッティと前々年のエリオ・ジガンテに62~68、71年のオーガナイザーだったサンレモの“ドン“ジャンニ・ラヴェーラの3人体制で行われました。これだけの顔触れが揃えば何でもできそうでしたが、お互いの利害を主張しあい、結局は不協和音が起こる始末でした。
 司会は放送作プロデューサー、司会者、マルチタレントのコラッド(コラッド・マントーニ)、アシスタントは前年好評だった女優のガブリエッラ・フェリノンが務めました。

 毎年減少する出場枠、前年はアドリアーノ・チェレンターノの棄権とローザ・バリストレリの失格があり、30歌手となりましたが、最初の出場枠は32歌手で、74年は最終28歌手の出場枠となりました。歌手音楽家組合は外人出場枠を4歌手以下に留めるように要求し、ペルシャ系イタリア人カムビスをどう扱うかは別として、フランスのレ・シャルロ、オランダのマウス&マクニール、イギリスのミドル・オブ・ザ・ロードと組合の要求をのみましたが、新人歌手(候補歌手カテゴリー)を16歌手にする事は退けられました。
 これは2夜で各8歌手を歌わせ、各2歌手を選出し、あと2歌手を敗者復活戦で勝ち上がらせる計画でしたが、RAI(イタリア国営放送)が放送時間が延びることを嫌がり(電力事情で23時放送打切り)、実現しなかったと思っています。

 応募曲は126曲から28曲が選ばれました。ミルバの“人形のモニカ”は72年に選出されましたがミルバが歌手に選ばれなかった為に彼女が拒否、73年も同様でやっと74年ミルバが歌うことで出場曲となりました。
 歌手選定は以前ほど右往左往しませんでしたが、ロック・バンド系は避けられ外国人のみの出場となります。前々年、前年とペピーノ・ガリアルディ、ペピーノ・ディ・カプリのナポリ勢が強く、74年はジャンニ・ナザーロだけに絞られ、また外国人歌手はホセ・フェリシア-ノ、ウィルソン・ピケット、スージー・クァトロ、さてはリンゴ・スターの名前も挙がりましたが大物歌手を呼ぶことは出来なかったようです。






 <入賞曲>  (表中で出版社の後にある は、候補の部から勝ち上がった曲です)
◇夏の夜 Notte dell'estate (Claudio Celli - Aldo Buonocore - Albino Mammoliti) 出版社 LA VOLPE
ヴァレンティーナ・グレコ (vf) Valentina Greco (CiPiTi – CBS Sugar) CPT・NP- 1026 [45]

CPT・NP- 1026HIT-2200

◇村の狂人 Il matto del villaggio (Franco Migliacci - Claudio Mattone - Piero Pintucci) 出版社RCA ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari (RCA Italiana – RCA Italiana) TPBO-1027 [45]

TPBO-1027  6012-421

◇ああ愛 Ah! L'amore (Ettore Lombardo - Gilberto Sebastianelli - Ermanno Cappelli - Hans Van Hemert) 出版社出版社KARMA マウス & マクニール (duo=ho) Mouth & McNeal (PHILIPS – PHONOGRAM) 6012-421 [45]

◇道はひとすじ A modo mio (Claudio Baglioni - Antonio Coggio) 出版社 RCA - SUCCESSO  ジャンニ・ナザーロ (vm) Gianni Nazzaro (CGD – CBS Sugar) 2228 (CGD) [45]

2228 (CGD) HIT-2136

◇逆光の中で In controluce (Paolo Limiti - Albano Carrisi) 出版社 V.d.P. – PRIMATO アル・バーノ (vm) Al Bano (EMI – EMI Italiana)3C・006-18004 [45]

3C・006-18004  Ld・A-7840

◇恋人たち Innamorati (Luciano Beretta - Mino Reitano - Franco Reitano) 出版社 FREMUS - FIUMARA ミーノ・レイターノ (vm) Mino Reitano (Durium – Durium) Ld・A-7840 [45]

◇星の中の幻想 Un po' di coraggio (Dante Pieretti - Antonio Ruggero Mancino) 出版社JUBAL ロザンナ・フラテルロ (vf) Rosanna Fratello (RICORDI – Dischi RICORDI) SRL-10・716 [45]

SRL-10・716  SPT-1544

◇白馬 Cavalli bianchi (Miro - Giulifan - Bruno Casu) 出版社USIGNOLO - L.TONY Mus. リトル・トニー (vm) Little Tony  (CETRA – FONIT CETRA) SPT-1544 [45]

◇人形のモニカ Monica delle bambole (Luciano Beretta - Elide Suligoj) 出版社ILLER ミルバ (vf) Milva (RICORDI – Dischi RICORDI) SRL-10・717 [45]

SRL-10・717  13224・AT

◇黄色い太陽 Sole giallo (Maurizio Piccoli - Pino Donaggio) 出版社 CURCI ー



次回は参加曲に続きます


 74年初参加のレコード会社は2社目はスパーク(Spark)です。私がこのブログを書く大切な情報源の一つとしているディスコグス(Discogs)では、イギリスのレーベルとされ、ディスコグラフィーもその扱いになっていますが、本当はイタリアのマイナー・レーベルで何かの思い違いと思いますが、私も断定的な事を言う勇気はありません。ここでイタリアのスパーク・レーベルの事を書きますのでご参考にしていただければ良いかと思います。スパーク・イタリアーナというレーベルは別に存在します。



 スパークは1972年ミラノで設立されました。元は1887年に出来たカリッシュ音楽出版が1949年に自社の楽曲をレコード化するために作った会社カリッシュ(Carisch)が61年にリフィと共同で設立した新人開発レーベルMRC(Milano Record Company)でした。
 親会社カリシュはドイツ系のレーベルのオデオン(Odeon)やパーロフォン(Parlophone)を持ち、
ルチアーノ・タヨーリ (Luciano Tajoli) が在籍したオデオンを取得、 クラウディオ・ビルラ (Claudio Villa) がパーロフォンからデビュー、ナポリの大御所 ヌンツィオ・ガロ (Nunzio Gallo) ジョルジョ・コンソリーニ (Giorgio Consolini) を擁し、映画「恋愛専科」で“アル・ディ・ラ”を歌い、 ドメニコ・モドゥーニョの“ヴォラーレ” に次いで全米ランキングに名前を連ねた エミリオ・ペリコーリ (Emilio Pericoli) 、またロック調ナポリターナで立続けにヒット曲を出した ペピーノ・ディ・カプリ (Peppino Di Capri ) がデビューしています。
 MRCの初成功は63年新人コンテスト・カストロカーロでジリオラ・チンクェッティと共に優勝した
ブルーノ・フィリピーニ (Bruno Filippini ) 伊東ゆかり で“恋する瞳 (L'AMORE HA I TUOI OCCHI)”を歌いましたので、日本でも名前が知られます。64年には カテリーナ・カセルリ (Caterina Caselli) も巣立ち順調にことは進んでいました。
 さらにカリッシュはパーロフォンを持っていたので、英EMIがヨーロッパ系レーベルの統合、専有する67年までビートルズのイタリア販売権も持ち、イタリアでも一流のレコード会社でした。
 しかし68年以降オデオン、パーロフォンを失い、ペピーノ・ディ・カプリも独立し急激に経営が悪化します。そこで新興の
ミウラ・レコード の傘下に入りますが、そのミウラも72年破綻しカリシュとMRCも巻き添えになります。カリッシュはクラシックに特化し、MRCはリコルディに売却されスパークとして再出発しました。
 スパークにはベテランのサンレモ音楽祭出場歌手
ウィルマ・デ・アンジェリス (Wilma De Angelis) が在籍、サンレモに出場したアントネッラ・ボタッツィは花開かず、女優のミニー・ミノプリオ(Minnie Minoprio)、 クリスティアン(Christian)、プログレ・バンドのアントニウス・レックス(Antonius Rex)やピン・ポン(i Ping Pong)もいましたが、これと言ったヒットが出ず閉鎖、78年カタログをリコルディが吸収しその歴史を閉じました。


      
ロッセラ (RCA ITALIANA)   レ・シャルロ (VOGUE)       ソニア・ジリオラ・コンティ (Ri Fi)


・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。





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Last updated  2017.07.15 12:36:16
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