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★ ジルダ (vf)Gilda
本名ローザンジェラ・スカラブリーノ (Rosangela Scalabrino) 、1950年5月31日ミラノの西50 km にある山間の小さな町マッセラーノ (Masserano (Biella)) 生。

活動期間 : 1969 年 – 現在
所属レコード会社 : Excelsius, Radio Records, Sun, City, Sides
サンレモ音楽祭出場 1 回 : 1975年 優勝
サンレモ音楽祭出品 1 曲 : 1975年優勝曲
公式サイト :
丁度14 才の時にトリノとミラノの間にあるヴェルチェッリ地方 ( 現在では彼女の出生地も含まれる ) では彼女の仲間やファンから支持され、トリノの最大手新聞ラ・スタンパの投稿欄「時代の鏡 (Specchio dei tempi) 」に地方で有望なフォークソングの女性グループがあることを書いてくれました。
グループであったかソロであったか未確認ですが、1965年にチェトラのサブ・レーベル、エクセルシァス (Excelsius) からシングル盤 ( レコード番号不明 ) を出しました。サンレモのカヴァー曲で ウィルマ・ゴイク (Wilma Goich) の“花咲く丘に涙して”と ジリオラ・チンクェッティ (Gigliola Cinquetti) の“夢みる想い”でした。
EXS-034X (1965 年 Excelsius - Fonit Cetra) Le Colline Sono In Fiore ( 花咲く丘に涙して )/Non Ho L'Età ( 夢みる想い )
この後位いから思いますが、可憐な声でイタリア南部の出稼ぎ労働者の事を歌ったフォークソングを自作して歌っていました。南部の出稼ぎ労働者は社会問題化し、ルキーノ・ヴィスコンティ (Luchino Visconti) 監督、アラン・ドロン (Alain Delon) と クラウディア・カルディナーレ (Claudia Cardinale) 主演の 映画「若者のすべて (Rocco e i Suoi Fratelli) 」 でも取上げています。
この後も色々な新人コンクールにも参加し、67年12月にミ ーナが起こしたレコード会社PDU のサブ・レーベル、サン (Sun) のスタッフがローザンジェラを見出し、ジルダ (Gilda) の芸名でシングル盤デビューをさせました。
SUA-3015 (1969 年 7 月 Sun (PDU) - Durium) Nu Ferru De Calzetta/Tu Chi PartiPe ’ Luntanu
SU ・
A-3015
C-6263
C-6263 (1971 年 City Record – Ariston) Far Tacere Il Cuore/La Ragazza Dell'Estate
71年シティー・レコードで1枚のシングル盤を作りました。両面ともシティーの芸術監督のパオロ・ガッティ (Paolo Gatti) 、 A 面はシティーで仕事をしているテレジーナ・フェラーリ (Teresina Ferrari) が、 B 面はジルダが共作しています。
この頃地元の広場で演奏をしながら、トリノ大学医学部に入り医学の勉強を始めました ( モーディナの大学の薬学部という説もある ) 。 医学生となったローザンジェラは決して歌手の夢を捨てなかったようです。
72年彼女のために書かれたミュージカル・ショウに出演、ブラジル出身歌手のクラウディアーノ (Claudiano) と国内ツアーを行いました。シティー・レコードの曲が南部でマイナー・ヒットとなりサンレモ出場権を得たようで、73年に74年サンレモ音楽祭の出場曲に“南の少女”を出品しましたがあえなく落選しました。
74年再度75年サンレモ音楽祭に去年も出した“南の少女”を再提出しました。悪運強く、開催膳のごたごたで混乱した選定委員会を通過し、本選に出場できることになりましたが、当然のことながら後で問題にはなったようです。
“南の少女”は第1日に歌われ22票で予選1位通過していますが、予選2位のロザンナ・フラテッロ (Rosanna Fratello) の歌った“行けよ希望 ( Va Speranza Va) ”が18票で圧倒的に強かったとも言えません。自作の反フェミニスト的歌詞が受けたとも思えません。けれど自作自演女性歌手が自作を歌って優勝した最初の曲であることは、忘れてはならない事実です。
500-3003 (1975 年 Sides Records - Phonogram) Ragazza Del Sud ( 南の少女 )/Nina La Bionda ( 夢見るあなた )
500-3003
RR-5300 ・
161 
RR-5300 ・ 161 (1976 年 Radio Records - Phonogram) Bolle Di Sapone – Gilda
1 .Bolle Di Sapone
2 .Un Amore Senza Tempo
3 .Tienimi Stretta A Te
4 .La Gente Come Me
5 .Aspetta
6 .Uomo
7 .Cerco
8 .3/4 Sull'Aia
9 .Lontano...Da Chi
10.Chi Ha Detto
76年末、最初で最後のアルバムをラディオ・レコードで作りました。タイトル曲“ Bolle Di Sapone ”は彼女の特別インタビュー番組のテーマソングでした。
80年ラディオ・レコードからシングル盤を1枚出しますが、カンタウトゥーリチェ ( 自作自演女性歌手 ) としての創作活動よりかは、催し物で歌うことを選んだようでした。
ZBRR- 7198 (1980 年 Radio Records- RCA Italiana) A Canto (Di Una Notte Sull'Aspromonte)/Revival
ZBRR- 7198 
トリノに住み、ホテル経営をしながら催し物で歌を歌っていたようです。2010年テレビの回顧番組「 ''I migliori ann( 最高の年 ) 」に出演したり、13年 ウンベルト・ビンディ (Umberto Bindi) のオマージュ・アルバムの製作に参加もしています。また17年故郷のマッセラーノでパブリック・コンサートを開いています。
ジルダの国内盤
SFL- 2021 (1975 年 6 月 PHILIPS - 日本フォノグラム ) 南の少女 (RAGAZZA DEL SUD) /夢見るあなた (COME SEI BELLA)
SFL- 2021 
GXF-81 ~ 90 (1979 年 2 月 5 日 SEVEN SEAS - キング ) 30cm 10LP Box サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)
10- 6 . 南部の少女 (RAGAZZA DEL SUD)
GXF-81 ~
90
GXC- 141 ~
2 
GXC- 141 ~ 2 (1979 年 7 月 21 日 SEVEN SEAS - キング ) 30cm2LP サン・レモ優勝のすべて (I VINCITORI DI SAN REMO)
1- 5 . 南の少女 (RAGAZZA DEL SUD)
ジルダは 以上で す。
★ レイラ・セッリ (vf) Leila Selli
本名レッラ・スパダーロ (Lella Spadaro) 1940 年 (1950 年説もあり )7 月 18 日ローマ生 。フィレンツェの歌手で俳優の オドアルド・スパダーロ (Odoardo Spadaro) は大オジ。

活動期間 :1950年代 - ?
所属レコード会社 : Cetra 、 Polaris 、 Variety 、 Mustang 、 Warner Bros 、
サンレモ音楽祭出場 1 回 :1975 年 参加
フィレンツェの歌手で俳優のオドアルド・スパダーロの甥でヴァイオリン教授の娘としてローマに生まれました。
1950年代に芸能界の仕事を始め、最初はクラウディオ・ビルラ (Claudio Villa) のレコーディングでバック・コーラス・メンバーとなりました。
また58年グイド・マラテスタ (Guido Malatesta) 監督のコメディ映画「 Valeria Ragazza Poco Seria 」で映画と同名の破壊的“マジカル・ロック (Magico Rock) ”を披露しています。果たしてこれだったか確証はりませんが、この映画のサントラ盤を見付けました。
EPA-30 ・ 299 (1958 年 RCA Italiana - RCA Italiana) 17cmEP Carlo Innocenzi – Mia Nonna Poliziotto - Valeria... Ragazza Poco Seria
4 .Valeria Ragazza Poco Seria [canta Il Quarteto Spadaro]
5 .Via Condotti
4 ~ 5 映画「 Valeria... Ragazza Poco Seria. 」サントラ
EPA-30 ・
299
4 曲目の映画と同名曲 “ Valeria Ragazza Poco Seria ” を歌っているのがクァルテット・スパダーロ (Il Quarteto Spadaro) なので、この事だと思われます。
この後様々な音楽を歌ったようですが、これといった記録が残っていません。69年チェトラからフランコ・リーヴァ楽団をバックにシングル盤を出します。歌手名はレッラ・スパダーロ (Lella Spadaro) です。ジャケット ( ピクチャー・スリーブ ) 画像がないのが残念です。60年代にはイタリアのマリリン・モンローと言われていたようです。
SP- 637 (1959 年 Cetra – Fonit Cetra) Baciami Così/Bye [Lella Spadaro e Franco Riva]
SP- 637
FK-25 
FK-25 (1972 年 Polaris - CBS Sugar) Amica Estate/Non Litigo Più
75年サンレモ音楽祭の芸術監督をした元サンレモ出場歌手で作詞家、プロデューサーのブルーノ・パレージ (Bruno Pallesi) が71年に作ったレコード会社ポラリスから翌72年に出したシングル盤です。歌手名はレイラ・セッリ (Leila Selli) を使い、彼女が一番成功したレコードでした。この盤が75年のサンレモ音楽祭出場に繋がったと思われます。
74年セリー (Selly) 芸名を使ってカンタジーロに出場します。とは言っても最盛期のカンタジーロではなく、前年73年から実施する組織が崩壊し、単なる音楽ショー形式になっています。B面の“エリザ”はセルジュ・ゲンスヴール (Serge Gainsbourg) が69年に作った曲のカヴァーです。
FNP ・ NP-10218 (1974 年 Variety – Ri Fi) Cara Signora/Elisa ( エリザ ) [come Selly]
FNP ・
NP-10218
MS-100003 
MS-100003 (1975 年 2 月 Mustang – Dischi Ricordi) Sola In Due ( 2人の孤独 )/Non Litigo PIU'
75年サンレモ音楽祭に“2人の孤独”で出場しました。声は ベティー・クルティス (Betty Curtis) をちょっとハスキーにした感じで、この曲の歌い方もクルティスが60年代前半に歌っていた感じです。クルティスがお好きな人は『良い曲だ』と言うでしょう。しかし時代が違い過ぎていました。入賞出来ません。
76年WEAイタリアーナからレイラ・セリー (Leila Selly) 名で出したシングル盤です。ソロ歌手として最後のシングルではないでしょうか?“ Amica Estate ”に次いで見付けやすい盤です。
T-16734 (1976 年 Warner Bros – WEA Italiana) Mille Volte/Sorride E Va [Leila Selly]
T-16734
FVNP-05003 
FVNP-05003 (1981 年 Forever Records – Panarecord) Senza Michele/Io Trasmetto Amore [I Pullover]
81年フォーエヴァーからプルオーヴァー (I Pullover) のリード・ヴォーカルとして“ Senza Michele ”を出しました。
2002年レイア・セリー名のCDが出ています。収録曲は一切分かりません。多分今までに出た曲の集大成だと思います。(案外新録音のセルフ・カヴァーだったりして)。誰か情報をお持ちでしたら、教えてください。
cm-00102 (2002 年 Cantieri Musicali) CD Leila Selly – Per Sognare
cm-00102

レイラ・セッリの国内盤はありません、以上です。
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