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★ パオラ・フォルツィーニ (vf) Paola Folzini
1953 年 5 月 2 日にミラノ生、歌手。
活動期間 : 1960 年代後半 –
所属レコード会社 : Cipiti
サンレモ音楽祭出場 1 回 :1975年 参加
公式サイト :
1960年代後半から歌手として活動をはじめ、68年自転車競技大会付帯事業、第4回新人歌謡コンクール歌の6日間で唯一15人勝抜き、優勝しました。 その後様々な地方の音楽祭まで参加し続け、遂にレコード会社を立上げたアルド・ボノコーレ (Aldo Buonocore) の目にとまり、72年ジタ (Zita) の芸名でデビューしました。
73年サンレモ音楽祭の登竜門カストロカーロ新人コンテスト (Festival di Castrocaro) に出場しました。優勝歌手は エマヌエラ・コルテージ (Emanuela Cortesi) で74年にサンレモ音楽祭に出場、入賞した彼女とラウラ (Laura) の二人は翌75年のサンレモに出場します。
CPT ・ NP- 1008 (1972 年 Cipiti - CBS Sugar) Si Fa Così/Tanti Auguri [come Zita]
CPT ・
NP- 1008
CPT ・
NP- 1036
CPT ・ NP- 1036 (1975 年 2 月 Cipiti - CBS Sugar) Il Ragioniere ( 経理士 )/umpete Zà
折角デビュー出来た彼女ですがチピティが制作活動したのは75年までで、その後はARアルファ・レコード (AR ・ Alpharecord) に引継がれます。76年フランコ・ヌッツィ (Franco Nucci) 監督の映画「 Stangata in Famiglia 」で ミーノ (Mino Reitano) 、とフランコ・レイターノ (Franco Reitano) 兄弟が作った主題歌を歌った後、パオラの消息は途絶えました。
パオラ・フォルツィーニの国内盤はありません、 以上で す。
★ ニコ・デイ・ガッビアーニ (vm) Nico dei Gabbiani
本名ニコ・ティローネ (Nico Tirone)1944 年 9 月 18 日シチリア島西端の町サンブカ (Sambuca di Sicilia) 生、 2012 年 4 月 12 日シチリア島西端の小都市マツァーラ・デル・ヴァッロ (Mazara del Vallo) 没、歌手、バンド・リーダー。
バンドのニコとガッビアーニ (Nico e i Gabbiani) としてデビュー、解散後ソロ歌手になります。芸名は単にニコだけや、絶頂期のバンド名「ガッビアーニ」を付加えたを芸名を使いました。
活動期間 : 1966 – 2012
所属レコード会社 : CGD, Fonit Cetra, Isola, Five Record
サンレモ音楽祭出場 1 回 :1975年 入賞
公式サイト : http://www.nicodeigabbiani.it/ ( 閉鎖 )
まずニコとしてソロ活動をする前に有名になったビートニック・バンド、ニコとガッビアーニを結成した頃から話を始めましょう。
ニコがまだ学生の頃シチリア州アグリジェント県のサンブカ (Sambuca) で5人のバンドを結成し、地元ではかなり有名になっていました。
メンバー構成
・ニコ ・ティローネ (Nico Tirone) :ヴォーカル、ギター
・ジュリオ・プレスティジャコモ (Giulio Prestigiacomo) : 1941 年 9 月 15 日 -2009 年 5 月 16 日シチリア州カリーニ (Carini) 生・没、キーボード
・フランコ・マンイーノ (Franco Mannino) 1944 年 6 月 26 同州カリーニ (Carini) 生、ギター
・ヴィート・バルサモ (Vito Balsamo) 1945 年 10 月 2 日同州カリーニ (Carini) 生、ベース ・ サックス
・ヴィック・カタルド (Vick Cataldo) 1947 年 10 月 20 日同州カリーニ (Carini) 生、ドラムス
彼らを故郷のお祭りやパレルモの古道具屋、トレイラーで演奏を始めました。そしてマネージャーにミラノのレコード会社、シティーでレコーディングができるようにお願いしました。
ビートニック曲のシングル盤を数千枚プレスしましたが直ぐに完売しました。デビュー盤 B 面の“ Parole( 言葉 )” はヒット・パレードにランクインし、レリオ・ルッタッツィ (Lelio Luttazzi) のヒットパレード・ラジオ番組でも週間ゴールド・ディスクを獲得しました。デビュー曲は67年年間ヒット・ランク6位というメガ・ヒット曲になりました。
C-6189 (1967 年 City - Ariston ) Ora Sai/Parole( 言葉 )
C-6189 
67年シティー・レコードの国内販売権を持っていたアリストンが早速自社との契約に切替えさせ、 ウンベルト・バルサモ (Umberto Balsamo) の書いた“ Amore ”とビー・ジーズの“スピックス・アンド・スペックス”のカヴァー曲をカップリングしジュークボックス用シングルを製作しました。
AR- 0237 (1967 年 Ariston - Ariston) Amore/Qualcosa Resterà (Spicks And Specks スピックス・アンド・スペックス )
AR- 0237
AR- 0247 
AR- 0247 (1968 年 Ariston - Ariston) Ritornerà L'Estate/Amore
68年はもう1枚シングル盤“ Nico Ricordami ”を出しています。
68年A面をニーサ (Nisa) 作詞、ジャン・バッティスタ・バルビエリ (Gian Battista Barbieri) 作曲の“ Ritornerà L'Estate ”に変えて発売され、“ Amore ”は68年間ヒット・ランク84位になっています。
AR- 0291 (1968 年 Ariston - Ariston) Nico Ricordami/Serenata Celeste
AR- 0291
AR-10027 
AR-10027 (1968 年 Ariston - Ariston) Successi di ieri e di oggi
1 .Parole ( 言葉 )
2 .Nessuno Al Mondo ( 君だけの世界 )
3 .Come Se Fosse Già Autunno
4 .Amore
5 .Serenata Celeste
6 .Nico Ricordami
7 .Lili Marlene ( リリー・マルレーン )
8 .Per Un Bacio...D'Amor ( 愛のくちづけ )
9 .Ritornerà L'Estate
10.Jalousie ( ジェラシー )
68年末シングル曲にカヴァー曲など何曲か追加して作られた彼ら唯一のアルバムが発売され、既にこの頃から解散の兆候が出ていた感じです。
69年アリストンは新人養成レーベルのファースト (First) を作り、彼らはそちらに移ります。ファーストからの第1弾は69年夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“言葉の川”でした。本戦には出場したものの、決勝戦には進めませんでした。
原因は何だったのでしょう?一言でいえば「人気と実力に差が有り過ぎた」からです。シディーに持ち込んだ「言葉」は曲も良く、素人っぽさが前面に出たのが大受けしてしまい、それ以上の成長がなかったためです。
FR-5001 (1969 年 First - Ariston) Fiumi Di Parole ( 言葉の川 )/Vivo
FR-5001
FR-5011 
FR-5011 (1970 年 First - Ariston) Nessuno Al Mondo ( 君だけの世界 )/Per Un Bacio...D'Amor ( 愛のくちづけ )
69年12月31日モンブランのイタリア側麓にある冬のリゾート地クールマイユール (Courmayeur) でのコンサートを最後に、ニコとガッビアーニは解散しました。翌70年唯一のアルバムに収録されていた“君だけの世界”と“愛のくちづけ”2曲のカヴァー曲が最後のシングル盤となりました。
70年ニコはCGDに入社し、レ・アリ・ビアンケ (Le Ali Bianche) をバックに“ Un Raggio Di Sole ”でソロデビューしました。
N-9817 (1970 年 CGD – CBS Sugar) Un Raggio Di Sole/L'Uomo Del Tuo Cuore [Nico e Le Ali Bianche]
N-9817
CGD-115 
CGD-115 (1971 年 CGD – CBS Sugar) Cento Campane ( 愛の鐘はささやく ) /Ti Porto Nel Cuore
ニコは71年5月16日から5回の TV ミニシリーズ推理ドラマ「 Il Segno Del Comando 」のテーマソング“ Cento Campane ”を歌いました。別にヒットしなかったのですがヨーロッパ各国で火が付き、、スウェーデンではスタイン・インゲブリッツェンがカヴァーがナンバー・ワン・ヒットとなりました。イタリアでは後にランド・フィオリーニ (Lando Fiorini) がカヴァーしています。
SS-2217 (1972 年 11 月 RCA – ビクター音楽産業 ) 愛の鐘はささやく ( ディン・ドン・アモーレ ) スタイン・インゲブリッツェン (Stein Ingebrigtsen) /タリヤ・フュアンス楽団 (Terje Fjaerns)
SS-2217
発売当時、原題や作者名を見てイタリア物と思い買ったのですが、解説にはイタリアの「イ」の字もありませんでした。ずっと不可解でいたのですが、ニコの事を調べる内にやっとオリジナルがイタリアの TV 番組の主題歌とわかり、40数年後に迷宮入りの事件が解決した気分になりました。
さてニコの話に戻りましょう。73年CGDから“ Cuore Bugiardo ”を出しましたが、気にかける人もいませんでした。この盤でCGDを去ったようです。ウィイキペディアやディスコグス (Discogs) のディスコグラフィーは75年のサンレモ音楽祭出場曲に飛ぶのですが、2年も音沙汰内のは不思議でした。
1819(CGD) (1973 年 CGD – CBS Sugar) Cuore Bugiardo/A Me [Nico]
1819(CGD)
OPL-19004
OPL-19004 (1973 年 12 月 Ominia (Nappoleon) –Durium) Nico – Fantasia
1 .Soli Soli Nella Notte ( 二人だけの夜 )
2 ..Canti Nuovi ( 新しき歌 )
3 .Creola ( クレオラ )
4 .Firenze Sogna ( 夢のフローレンス )
5 .Tango Delle Capinere ( しじゅうからのタンゴ )
6 .Sulla Carrozzella ( 四輪馬車の上で )
7 .Un Giovanotto Matto
8 .Piccola Santa
9 .Come Le Rose ( バラのように )
10.Signorinella ( シニョリネッラ )
11.In Cerca Di Te ( 失われた愛を求めて )
12.Tango Del Mare ( 海のタンゴ )
彼の事を調べるため当時のイタリア音楽業界誌「ムジカ・エ・ディスキ (Musica e Dischi) 」を見ていると、73年12月号に72年 ロス・マルチェロス・フェリアル (Los Marcellos Ferial) のリーダー、マルチェロ・ミネルビ (Marcello Minerbi) が、興したナポレオン (Nappoleon) という小さなレコード会社の広告が載っていました。ナポレオンのサブレーベル、オミニアからカフェシャンタン時代のヒット曲をニコが歌ったアルバムが載っていました。当時懐メロが流行り、売り上げが落ちてきたヒット歌手がこの方法を使っていました。
ニコは考えたようです。同名の歌手が山ほどいる余りにも平凡な芸名で、67年に年間ヒット・ランク6位 ( この年はジャンニ・モランディの上位でした ) になったガッビアーニのリード・ヴォーカルと誰も気づいてくれていないと。
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