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★ コラージェ、 { イ・ } (compl) Collage,{I}
サルディニア出身のメンバーで70年代初頭に結成され、70、80年代を代表するポップ・ロック・バンド。現在も活動を続けており、2000年にメンバー交代があったが30年間同一メンバーであったことは長寿バンドが多いイタリアでも珍しい存在でした。
活動期間 : 1971 年 – 現在
所属レコード会社 : SAAR (Up, Harmony), Dischi Ricordi, Lupus
サンレモ音楽祭出場 4 回 : 1977 年第 2 位、 79 年 4 位、 ,81 年入賞、 84 年参加
公式サイト :
1971年結成時のメンバー構成(太字はサンレモ音楽祭出場メンバー)
・ トーレ・ファッツィ (Tore Fazzi) ヴォーカル、ベース:本名サルヴァトーレ・ファッツィ (Salvatore Fazzi) 1954年7月13日サルディニア北東部オルビア=テンピオ県の小さな町アラ・デイ・サルディ (Ala dei Sardi (Olbia-Tempio)) 生
・ピエロ・ファッツィ (Piero Fazzi) ヴォーカル、アコースティック・ギター:1951年8月13日サルディニア北東部オルビア=テンピオ県の小さな町アラ・デイ・サルディ (Ala dei Sardi (Olbia-Tempio)) 生
・ピエロ・ピシェッダ (Piero Pischedda) ギター1955年11月21日サルディニア北東部の小都市オルビア (Olbia) 生 . ( 在籍 1971-2000 年 )
・マジーノ・ウザイ (Masino Usai) ドラムス:本名トマッソ・ウザイ (Tommaso Usai) 1953年6 . 月5日 サルディニア北東部の小都市オルビア (Olbia) 生 .( 在籍 1971-2000 年 )
・ピノ・アンボブロージョ (Pino Ambrosio) キー・ボード1954年1月1日サルディニア北東部の小都市オルビア (Olbia) 生 . ( 在籍 1971-2000 年 )
・ルチアーノ・デゴルテス (Luciano Degortes) – ヴォーカル ( 在籍 1971-1974 年 )
1971年サルディニア島のオルビア (Olbia) で2つのバンド、マルP2 (I Mal P2) とアラ・デイ・サルディ (Ala dei Sardi) 出身のピエロとトーレ・ファッツィ兄弟がいるジ・エンジェルス (The Angels) が連合することから始まります。2つのバンドはシチリアのローカル・バンドよりもっと全く情報がなく、極めてローカルなバンドであったようです。
オリビア出身のギタリスト、 ピエロ・ピシェッダ (Piero Pischedda) の発案で、サキソフォン奏者でマネージャー ( バンドの便利屋 ) 、パオルッチョ・マサラ (Paoluccio Masala) の指導の下に連合は進められました。
まずリード・ギターのピエロ・ピシェッダにドラムスの マジーノ・ウザイ (Masino Usai) 、キー・ボードとヴォーカルの ピノ・アンボブロージョ (Pino Ambrosio) 、リズム・ギターとヴォーカルの ピエロ・ファッツィ (Piero Fazzi) とベースとヴォーカルの トーレ・ファッツィ (Tore Fazzi) 兄弟が加わり、他に74年に兵役のために脱退するヴォーカルのルチアーノ・デゴルテス (Luciano Degortes) も参加しました。そしてバンド名はプログレッシブ・バンド、オルメ (Le Orme) がその年に出して71年年間ヘスト・セラー26位の大成功したアルバム「コラージュ (Collage) 」からとりました。
翌72年、サンレモ音楽祭の登竜門でもあった7月に開催されるカストロカーロ新人コンテストに“ Tu Che Pensi A Tutti ”で出場しました。この時の優勝者の1人 フランコ・シモーネ (Franco Simone) は74年サンレモ音楽祭に出場しています。
たとえ優勝しなくとも各レコード会社がスカウトしてレコード・デビューをする歌手もいるので、バンドは音楽プロデューサーのマッシーモ・ディ・チッコ (Massimo Di Cicco) の目にとまりましたが、彼らがデビューするまでもう少し時間がかかりました。
その間にヴォーカルのルチアーノ・デゴルテス (Luciano Degortes) が兵役に就き、彼がコラージェを脱退した後はファッツィ兄弟がヴォーカルを担当する5人編成のバンドとなります。
72年 ルイゼール (Louiselle) のご主人で作詞家のカルロ・ロッシ (Carlo Rossi) やエンニオ・モリコーネ (Ennio Morricone) 、歌手の ニコ・フィデンコ (Nico Fidenco) 、プロデューサーの ヴィンチェンツォ・ミコッチ( Vincenzo Micocci ) が設立したパレード (Parade) が倒産したため、その受け皿としてカルロ・ロッシが奥さんのために一人で作ったエッレ (Erre) からコラージェは75年に“ Angeli Sbagliati ”でレコード・デビューすることが出来ました。
RR-3079 (1975 年 5 月 Erre Records – CBS Sugar) Angeli Sbagliati/Dammi Il Tempo
RR-3079 
彼らは75年に SAAR の別レーベルとして出来たばかりのアップ (UP) に変わり、再び76年のカストロカーロ新人コンテストに90年代以降はネック (Nek) に多くの歌詞を提供した作詞家アントネッロ・デ・サンクティス (Antonello De Sanctis) とその後コラージェに楽曲を提供することとなるガブリエッラ・パドヴァン (Gabriella Padovan) が作曲した“太陽の中の少年達”で出場して優勝しました。
この曲がコラージェの再デビュー曲として同年シングル曲“ Due Ragazzi Nel Sole ( 太陽の中の少年達 ) ”が発売されました。新人歌手のコンテストであるカストロカーロの曲が大ヒットすることは珍しかったのですが、これが同年年間ヒット・ランク30位になり、コラージェの代表作になりました。この大ヒットで直ぐさま同名の10曲が収められたアルバムが作られます。
UP-10 ・ 004 (1976 年 Up – SAAR) Due Ragazzi Nel Sole ( 太陽の中の少年達 )/Ma Che Faccia Da Schiaffi

UP-10 ・ 004 LPH-8013
LPH-8013 (1976 年 Harmony – SAAR) Collage - Due Ragazzi Nel Sole
LPH-8013 (1977 年 Harmony – SAAR) Tu Mi Rubi L'Anima (Due Ragazzi Nel Sole '77) [*]
LPUP-5207 (1977 年 3 月 Up – SAAR) I Successi Dei Collage [*]
CD-44133 (1988 年 Joker –SAAR) CD I Successi Dei Collage [*8004883441334]
LPPS-11 ・ 105 (1980 年 Up – SAAR) I Successi Dei Collage [*]
SM-3929 (1981 年 Joker –SAAR) I Successi Dei Collage [*]
CD-10020 (1993 年 Joker – SAAR) CD Due Ragazzi Nel Sole [*8004883105205]
LPUP-5207
CD-44133
1 * 1 .Due Ragazzi Nel Sole ( 太陽の中の少年達 ) [*]
2 * 2 .A Piedi Nudi
3 * 3 .Saprei Darti Un'Anima
4 * 4 .La Notte Era Alta
5 * 5 .Se Fossi Mia
6 * 6 .Ma Che Faccia Da Schiaffi
* 7 .Tu Mi Rubi L'Anima ( 長い髪の少女 )
7 * 8 .Io Non Ti Venderei
8 * 9 .Lei Non Sapeva Far L'Amore
9 *10.E Te Ne Vai
10*11.Cento Guerrieri

LPPS-11 ・ 105SM-3929CD-10020
この実績で翌年77年のサンレモ音楽祭にデ・サンクティスとパドヴァンの曲“長い髪の少女”で出場が決まります。同系のグループが出場する中、 ホモ・サピエンス (Homo Sapiens) に次ぐ第2位となり、77年年間ヒット・ランクではホモ・サピエンスが19位でしたが、それよりも上の12位と超特大のヒットとなりました。
このサンレモでの好成績でアルバムを出すのですが、移籍シングル第2弾だったのでアルバム制作が間に合わず、ファーストアルバム「 Collage - Due Ragazzi Nel Sole 」に“長い髪の少女”を追加したアルバム「 Tu Mi Rubi L'Anima 」を出しました。これは通称「 Due Ragazzi Nel Sole '77 」とも呼ばれ、77年サンレモ音楽祭第2位となった“長い髪の少女”が入ったヴァージョンは何度も再発売をされています。
UP-10 ・ 009 (1977 年 Up – SAAR) Tu Mi Rubi L'Anima ( 長い髪の少女 )/Io Non Ti Venderei
UP-10 ・
009
UP-10 ・
014 
UP-10 ・
014 (1977 年
Up – SAAR) Lei Non Sapeva Far L'Amore/La Notte Era Alta
アップで最後の盤、3枚目のシングル“ Lei Non Sapeva Far L'Amore ”も続いてデ・サンクティスとパドヴァンの曲でした。しかし三匹目のドジョウはいなかったようでした。これでより規模の大きいリコルディにコラージェは移籍します。
77年後半にはリコルディからアルバム「 Piano Piano... M'Innamorai Di Te 」をリリースし、アルバム・テーマ曲の“ Piano Piano... M'Innamorai Di Te ”もシングル・カットされました。この曲はデ・サンクティス作詞、マルチェロ・マロッキ (Marcello Marrocchi) とヴィットリオ・タリチョッティ (Vittorio Tariciotti) の作曲でした。マロッキは60年代に多くの曲を ルイゼール (Louiselle) などRCAイタリアーナ系の歌手に提供した人でした。
SMRL-6213 (1977 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Piano Piano... M'Innamorai Di Te
1 .Piano Piano... M'Innamorai Di Te
2 .L'Istinto Lei Non Sapeva Far L'Amore
3 .Tu Dolcemente Mia
4 .Oh Dio Mio No!
5 .Nel Sole, Nel Cielo, Nell'Amore
6 .L'Amore
7 .Io
8 .Troppo Bella
9 .Proprio Per Te Maria
10.Dormi Amore
SMRL-6213
SRL-10 ・
848

SRL-10 ・
848 (1977 年
Ricordi – Dischi Ricordi) Piano Piano... M'Innamorai Di Te/Io
リコルディ2枚目のシングルは78年の“ Sole Rosso ”“です。この曲もデ・サンクティスとマロッキの作。78年年間ヒット・ランク77位に入るヒットになり、翌79年サンレモ音楽祭出場を確保します。
SRL-10 ・ 868 (1978 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Sole Rosso/Dicci Come Ti Chiami
SRL-10 ・
868
( ご参考 ) レ・オルメ 「コラージュ」
UICY-9465 (2004 年 9 月 16 日 PHILIPS - ユニバーサル・ミュージック ) CD コラ-ジュ/レ・オルメ (COLLAGE)
1 . コラージュ (COLLAGE)
2 . 冬 (ERA INVERNO)
3 . 鉄筋コンクリート (CEMENTO ARMATO)
4 . 空への眼差し (SGUARDO VERSO IL CIELO)
5 . 完全なる逃避 (EVASIONE TOTALE)
6 . イメージ (IMMAGINI)
7 . ある花の死 (MORTE DI UN FIORE)
UICY-9465 
※レ・オルメ (LE ORME) は1982年第32回サンレモ音楽祭に“水夫の夢 (MARINAI) ”で入賞していますので、詳しい説明はその時にいたします。
( ご参考 ) ピノ・アンボブロージョ (Pino Ambrosio)
コラージェは結成以来2000年まで同一メンバーで活動しており、ソロでレコードを出したことは少ないのですが、アンボブロージョが1枚ソロで出しています。
FD-37 (1978 年? Fremus - Editoriale Sciascia (Vedette))Bambina Bambina/Sorridi Così
FD-37 
コラージェ 2は1979年サンレモ音楽祭の後に続きます
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