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新年早々、絶縁状まがいのメールを受け取ってガガ~~ンとショックを受けた私。今年は波乱含みだぞと思っていたら、やはりその通りみたい。母が外に出ると心臓が痛くなるというので、犬を引き取ることにした。犬との生活が始まって3日目、今度は母が透析中に胸苦しさを訴え、入院することになった。肺に水がたまっており、軽い心筋梗塞も起こしているという。母の家はリビング以外が異常な寒さなのがよくないみたい。退院したら、うちで引き取ることになるだろう。3人家族が一気に4人+1匹になるわけだ。これまでみたいな自分本位の生活は当分できなくなるだろうねえ。実際、今朝も7時から犬の散歩に行った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・絶縁状事件と環境の変化で、この日記を続けるのが苦痛になったため、中断することにしました。絶縁状をよこした相手は、私のことを「強くて屈することのない人」であり「自分たちのように傷つく人間とは違う」みたいなことを言っていましたが、あなたのように健康な身体を持ち、親を亡くす悲しみも知らず、子どもの不登校に悩むこともなかった人に何がわかりますか?あなたにあんなことを決め付けられる筋合いはひとつもありません。膠原病を持つ私が、あなたのひどい言葉で、精神的ダメージを受け、病気が悪化する可能性についてはまったく考慮しなかったわけですね?ほらほら、健康な人の思い上がりですよ、それは。それにこういうことは「PTSDになるほど傷ついた」本人が、直接私に言うべきです。いつまでもかばいだてして、彼女が大人になる機会を奪わないで、と私は言いたいですね。私が知らなかったいきさつを知っていた、あのグループの仲間たちには、正直「どうして言ってくれなかったの?」という思いもありますが、逆に「まともな大人なら、これだけ気の強い二人(絶縁状の送り主と私)の間には、とても入れたものではなかった」立場もよ~く理解できます。本来、こんなことは間に人が入ることではないですからね。とりなそうという行為は、ほとんどの場合「よけいなおせっかい」になるはず。なので、何も私の耳に入れなかったことに対して「ありがとう」というべきなのかな、と思っています。では、この日記はこれで終わります。これまでありがとうございました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この日記にコメントいただいても、返答する意志はありませんので、その点、どうぞご了承くださいませ。
2007.01.09
いっぱい・いっぱい文章を書いてしまう。それはたぶん中学生くらいから続く私の習性だ。今日、4件も日記をアップしているのは(つか、ほかにミクシィで2つ書いているのであわせて6つ!)、とっても心が波立っているから。思えば一昨年、ムスコがプチ不登校だったときも「呪いの日記」を毎日、相当な量、書いていたものである。今、読み返すと本当に「呪われそう」な怖さに満ちているが、そうでもしないと倒れ込みそうだったんだよな~。私の日記を読んで、PTSDになるほど傷ついたAさんも、今の私のように心を波立たせていたのであろう。いや、彼女のほうが私よりも数段デリケートだから、もっとすごかったに違いない。かわいそうなことをした。ごめんよ、誤解を招くようなことをして。でも私もどうにもならなかったのだ。つらくてつらくて、書かずにいられなかったのだから。私の日記なんか読まなければよかったのに。どうせろくなこと書いていないんだから。さて、今日は気分を変えようと思い、実家の犬をトリミングに連れて行ったあと、うちに上げてみた。ペット不可のマンションなのだが、もう通いで散歩させるのは限界なので、できれば引き取りたいのだ。日当たりの悪い実家の、さらに日のあたらない道路側につながれたままで、ホント~に!かわいそうなんだもん。毛が白くてお目目が真っ黒・まん丸で、とってもかわいいコ。もう「じいさま」と言ってもいいくらいの年令(たぶん8歳くらい)なのだが、お散歩させていると未だに「子犬ちゃん??」と言われる、自慢のコだ。思っていた以上に、はるかにおとなしいので、これならイケるのではないだろうか。いつも散歩に連れて行くとき、興奮してワンワン吠えまくり、喜んでくるくる回るので落ち着きのないコだと思っていたのだが、あれは彼にとっては「1日のうちのごくわずかな時間」「たまのこと」なのでうれしかったのか・・・哀れだ・・・こうして私やムスコが目に見える場所にいる限り、ワンとも鳴かず、せわしく動くこともない。安心してるんだね・・・哀れだ・・・これならおそらく近隣の迷惑になることはあるまい。・・・てか、私のヴァイオリンのほうがよっぽど迷惑だと思うわ・汗!!まずは夫にこの現状を見せてお墨付きをいただき、そののちにマンションの管理組合に掛け合うことにしよう。
2007.01.05
不幸な証拠。それは私の母親が常に立証してくれている。私の母親は、とてつもないマイナス思考の人なのだ。とりわけ不幸な状況に陥ると、いやもうその「悪意の解釈能力の発露」のすごいのなんのって!なんでもかんでもよくそこまで悪く受け取れるよと、ムスメながら感心する。感心してるだけでなく、ガンガン怒るけどね、もちろん。ハッピーなときというのは、世の中の人がみんな自分の味方をしてくれてる、みたいな気持ちになるものね。つか、そういう能天気なのは私だけでしょうか?ま、要するに「人の不幸は蜜の味」みたいなタイトルを思いつくということ自体、私は決してハッピーな状態ではないということだ。楽天も早くミクシィみたいなシステムを導入してくれないかな。誰に読まれているかわからないというのは落ち着かないものだ。書きたいことはたんまりあるのだが、読んでくれている人を特定できない以上、それを実行するのはあまりにリスキーだし。もうとっくにミクシィでも書いてるから、そっち一本にすればいいのだが・・・それができないのは、画面がかわいくないから。それに尽きる。私はやっぱり身の回りを「好みで固めたい」願望が強いのだろうね。日記の背景画像だって、好きなのでなくちゃいやだわん。でももしかしたら、たとえ顔が見えなくても、リスキーでも、やはり私は不特定多数に向けて何かを語りかけたいのかもしれぬ。それも「本当に思っていること」をね。ウソ言っても仕方ないしさ。人間、本当のことを言わなくては、生きている価値がないではないか。・・・あんまり正直すぎるのもどうかと思うけれども。そのために誤解を生じたり(自分のことを書かれたと思われたり)、もしかしたら敵を作っているのかもしれないが。が、ダメなのだ。「無難」というのがどうしてもできない。「無難で上品」というのがダメだ。難があっても多少上品でなくても(下品すぎるのはいやだけど)、「面白い」ほうがいい。・・・面白くても人とトラブル起こしちゃ、なんにもならんけどね<自爆!
2007.01.05
ということわざがある。あまりにエグイことわざであるが、なぜエグイと感じるかというと、それが真実を突いているからだ。なぜこんなことを書くかというと、一昨日深夜、私にとって今年初めてのトラブルであるところの「友人との齟齬」について書いたあたりから、アクセス数が多いからだ。おそらく私の不幸は、人々を楽しませているに違いない。先ほど、オリーブさんにあっけらかんと母上の悪口を書かれて(コメント欄)、いくぶん気が楽になった私。オリーブさん、ありがとう。しかし私はまだ不幸である。正確に言うと、不幸感を引きずっている。人に憎まれていたという事実の発覚は、いやおうなく私に不幸感をもたらす。もうすぐ50歳だから(ざっくり言うとね)、気がかりなことは解消しておこうと思ったのが間違いの始まりであった。人生、知らないで過ごすほうがよほどいいことがあるということが、今回のことでよくわかった。真実の発覚は、かならずしも人を幸福にしない。そして私にはよくわかる。真実をぶちまけずにはいられなかった彼女の心のうちが。なぜかというと、私もそういうタイプの人間だからだ。私も同じ立場に立たされたら「もはやうやむやにはできない!」と思い、絶対に同じことをしたと思う。それは絶対に彼女にとって本意ではなかったはずだ。できればあいまいにぼかしてフェイドアウトへもって行きたがっていたのを、私が許さなかったのである。私の不幸感を招いたのは、ほかならぬ私自身なのであった。なのでコメント欄で私に同情してくれるのはうれしいけど、彼女のことは悪く言わないでね。それはつまり私に対する非難と同じなので・汗!こんなに同じ繰言を言うようでは、母親と同じだよなあ。気持ちを入れ替えて、ヴァイオリンの練習でもするかな。
2007.01.05
まともな大人ならば、誰しも「しょうもないこと」に煩わされたくないと思うものだ。ところがそこから逃れることができないのもまた人生である。たとえば、私が最近わずらわされていることのひとつに「母親とのかかわり」というのがある。私の母親が特殊なのか、それとも私があまりに短気すぎるのかわからぬが、私は実にしばしば母親にうんざりする。さらに私が長子・長女であり、一番近くに住んでおり、車の運転ができることが私の立場を「もっとも母親にとって使いやすい」ものとしており、そのことも私をイラつかせる。手厳しいようだが、私は母親の病気は健康管理の甘さからくるものだったと思っている。母はなまじ胃腸が丈夫で、その上、食い意地が張っていた。そして、高度肥満→高血圧→糖尿病→糖尿病性腎症→慢性腎不全→人工透析、というルートをたどった。丈夫な体に生まれついていたのだから、それを維持するのが人間の義務というものではないだろうか。それを怠ったのは、明らかに本人の責任だ。母の家は築30年の木造住宅だ。リフォームを一度もしていないので、老朽化が進んでいる。使い勝手も非常に悪い。冬の寒さなど、たいへんなものだ。母はそのことについて不満を言う。しかし私は思う。「だったら、若いころから先々見通してリフォームしておけばよかったじゃんか!」私の父は3年前に74歳で死去したが、70歳までサラリーマンをやった。年金と会社からの報酬を合わせれば、毎年かなりの年収があったはずだ。おそらく、少しでもお金を貯める才覚のある人だったら、ラクに家1軒建てるくらいの余力はあったろう。それをしなかった(できなかった)のは、明らかに「能力不足」によるものである。今になって何を嘆くのか。全部、自分のしたことの結果ではないか。私は今後、極力健康に留意して(難病持ちなのでかなり注意しなくてはいけないと思う)、心がけてお金も貯め、家が思うようにならないと文句言わずにすむようにし、子どもに期待せず、時期がきたらあっさり死にたいと思う。
2007.01.05
くったりした私であるが、いつまでも悩んでいても仕方がないなあと思う。つか、私が悩んで解決するものでもあるまいし。切れたらそれまで、続けば「よかったわ」と思うことにしよう。私としては大事にしたい関係だと思ったから詫びを入れたわけだし。その気持ちには、今でも代わりはない。私にとっては、もっとも自分のヴァイオリンを聴いてほしい人の一人である。その人に拒絶されたということはとても悲しいことだが、相手が「いやだ」と言う以上は、私にはどうすることもできない。PTSDになった彼女のことも、恨む気持ちはない。そうか、誤解されたんだなあ、残念なことであったと思うのみだ。申し訳ないことをしたという気持ちは、正直言って「ない」。相手には悪いが。思い込んだのは相手なのであるから、私に非があるとは思えぬ。ただ、「あの日記に書いたことは、あなたのことではない」ということだけは伝えたい。これが笑い話となる日がくるといいのだが、この関係はこれきりかもしれないので、あまり期待しないようにしようと思う。そのほうががっかりしないですむからね。人間関係というのは面白いものだ。わずらわしいが面白い。でも若いころはそうは思えなかったなあ。それこそ白黒はっきりさせずにはいられなかった。一番ショックだったのは、高校時代、もっとも仲のよかった友達と、21歳のとき物別れになったことだった。私は大学、彼女は2浪してOLになったのが分かれ目であった。当時、私は頭でっかちの娘っ子で、本ばかり(それも今から考えると、くだらないやつ)読んでいた。一方、彼女のほうは社会でもまれ、男の人とも大人の付き合いをするようになっており、溝ができていった。が、私はそのことに気づかなかった。そして決定的な言葉を投げつけられることになる。「私にはいろんな友達がいるけど、あなたのように話題を選ぶのに気を遣って疲れる人はいないわ」いやもう晴天の霹靂なんてものではない。たいへんなショックであった。その後、何年間も人と接すると「相手が疲れているのではないか?」と気を回すようになったのだから、これこそまさにPTSDと言っていいだろう。彼女にはそのあと1度会ったが、ギクシャクしたまま別れ、結婚式にも呼ばなかった。妊娠して「ママになること」が方向づけられてから、私は急に自分の将来が開けたようでうれしく、久しぶりに彼女に手紙を出して、結婚と妊娠の報告をした。「お祝いしたかったのに残念です」と返事が来たので「21歳のとき、ああ言われて強いショックを受け、自分に自信をなくしたけれども、子どもが生まれるのを待っている今、ようやく自分を肯定できるようになりました」と書いて送ったら、お詫びの手紙が来た。本当にごめんなさい、そんなひどいことを言っていたなんて、遠くから幸福を祈っています、とあった。私としては、自分を取り戻すことができたので、もう一度彼女の関係をスタートしたかったのだが、その後、彼女との音信は途絶えた。お互いにとんがっていた。若かった。今ならどうってことないのにね。今頃どうしているのだろうか。もちろんもう全然気にしてはいないので、ぜひ会ってみたいなあ。きっと楽しいだろう。
2007.01.04
昨日から駅伝を見ている。まったく順天堂大の今井くんのなんとすばらしいことであろうか。いや、今井くんだけではない。すべての選手が、チーム一丸となって走る。ただひたすら走る。少しでも早く走る。精一杯走る。そのこと自体がすばらしい。さて、私はといえば、正直なところ「もう走るのはいいかな」という気がしている。もちろん「走る」というのは抽象的な「走る」だが。40代の初めと終わりでは、こんなにも気持ちが違うものであろうか。今後の人生は「余生」として、のんきに過ごしてもいいのではないか、と思ってしまう。もっときれいな服が欲しいと思っていた。もっといい家に住みたいと思っていた。もっと充実した仕事がしたいと思っていた。毎日、はりつめて充実して、交友関係もどんどん広めて、外に飛び歩きたいと思っていた。お金がどんどん入ってくればいいと思っていた。・・・しかし今、なぜ私はそのようなものを求めていたのか、よくわからない。洋服はたんまりあるし、家はこれで満足だし、仕事はある程度していきたいと思うが、きりきり舞いするほどしたくはない。毎日、はりつめるなんて疲れちゃう。交友関係は狭めようとは思わないが、どんどん広げたいほどの気持ちはない。ゆったりした気持ちで過ごせればいいではないか。お金も入ってくるにこしたことはないのかもしれないが、それほど大きな「使いどころ」も思いつかぬ。が、ただひとつ、旅行だけはしたいかも。それも海外、ヨーロッパ文化圏がいいな、今の気持ちとしては。建築物とか街のたたずまいとかに興味があるのだ。それにやっぱクラシック音楽の本家本元だしさ。ヴァイオリンに関してだけは「走り続けたい」けどね♪
2007.01.03
みなさま、あけましておめでとうございます♪今年もよろしくお願いいたしますね♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日はダンナがうまい具合に夜9時前に酒飲んでコテン!と眠ってくれたので、文句を言われずにフィギュアが見られてとっても幸せ♪だった。またまたしつこいようだが、高橋大輔には本当に唸らされる。なんたってすごいと思うのが、情熱の表現の仕方を知っている点だ。大会で上位に入る実力の持ち主に、フィギュアにかける情熱がないはずはなく、そのレベルはみな同じくらいであろう。うまくなりたい、トップに立ちたいという野心も、だれもが同じくらい持っているに違いない。しかし「情熱と野心」を表現する力、という点では、高橋大輔はほかのだれよりも上回っている。だからこそ、彼の演技には人の心を強く打つものがあるのだ。あれで20歳だということに驚かされる。いや、20歳ゆえの表現力というものかもしれぬ。この時代に生き、あの演技が見られたことの幸運に感謝したい。さて、今年40代最後の年を迎える私も、情熱は持っている。それはヴァイオリンに賭ける情熱である。移り気なのでいろいろなことがしたくなり、また手を出してもみるのだが、おそらく最後まで残るのは、やはりヴァイオリンであろう。今日は朝6時半に起きて、ダンナが作ったお雑煮を食べ、母親を透析の病院へ送って行ったあと、2時間ほど爆睡してしまった。1時ごろに迎えに行かなければならないというのに、起きだしたのが11時半!お年賀がわりに手作りのパウンドケーキを作る予定だったので、大慌てで用意した。オレンジの皮のすりおろしと、オレンジ果汁を加えて作ってみた。感心するのが、繰り返すたびにものすごい速さで作れるようになっていくという点だ。だだだだだ~~~っ!!!!!と材料を合わせてオーブンに放り込み、とりあえず今年初めてのヴァイオリン練習をすることにした。最近、やたらと音がよく出るようになってきたので、気持ちがよくて仕方ない。メインはもちろんバッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番・プレリュードである。喜びにあふれた、晴れがましい曲。まったくもって新年にふさわしい。これを40代最後の誕生日である4月8日に、発表会で弾くのを今年の第一の抱負としよう。一時的にベートーベンのスプリングソナタにしようか?と考えたが、やはり長年の第一関門と考えてきたプレリュードこそが、40代最後にふさわしい気がする。午後から母の家できょうだいやいとこに会い、たくさん飲んだり食べたりした。おそらく私は「静かな元日」というのはここ数十年、いや、生まれて以来、一度も経験したことがないのではあるまいか?お正月はかならず実家で、身内と一緒に過ごす。私のオレンジケーキは好評であった。次に大勢で集まるのは姪と甥の誕生会だろう。私の息子の誕生日が1月17日だが、センター試験の直前なので集まるというわけにはいくまい。・・・てか、去年も同じことを言っていた気がする・泣!またみんなを驚かすために、きれいでおいしいケーキを作れるよう、腕を上げておきたいものだ。
2007.01.01
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