2015.12.24
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
先週ネットで購入したチェスセットを広げ、店にある二冊のチェスの棋譜本の一冊を開き、ボビーフィッシャーの試合を選び(対戦相手は忘れた)、一手一手再現し始めた。チェスの上手い人であれば(例えば杉下右京とか)、試合の再現は頭の中でできるのだろうが、画像処理能力と記憶領域の問題を抱えている僕にはとてもできることではない。そもそも、チェスの棋譜というのを目にするのは初めてなので、その読み方さえ試行錯誤で辿って行かなくてはならない。P - K4、Kt - KB3・・・というように書かれてある、PはポーンでK4、つまりキングの列の自分の側から数えて4行目に進めた、という意味で、次のKtはナイトをKB、キング側のビショップ列の3行目に進める、ということだ。やがて、O - Oという手があって、どうやらこれはキャッスリングのようで、キング側のキャスリングとクィーン側のそれとでは、Oの数で区別してあるようだ。ちなみに、書架から取り出したこの本は、1965年に出版されたIrving Chernevの著書で、どうやら棋譜の記載方法が現在のものとは若干違うようだ、ということは後から発見した。(注)

最初の客が入ってきた。店の<開店>のサインを外向けにするのを時々忘れるので、ドアの所まで確認に行くと、彼女は「大丈夫よ、ちゃんと<開店>になってるから」と親切に教えてくれた。机に戻り、フィッシャーの手を進めることにした。

数分後、「ここに積んでおいていいかしら」と、一冊の本をレジの机に置いて、彼女が言う。
はっと気が付いて、「もちろんですよ、ゆっくり選んでください」と答えて、はじめて彼女の顔に目をやると、20代後半だろうか、端整で優しそうな顔立ちの人だった。
机に置かれた本はルース・ベネディクトの「Patterns of Culture(文化の型)」、ベネディクトの「菊と刀」という本は、学生時代に読んだことがある。
「ルース・ベネディクトというと、日本についての本を書いた人類学者ですよね」と、例によって思いつくままに言葉を投げかけてみた。
「ああそうなの?」と彼女、一息置いて、「日本って、すごく複雑よね。私、去年日本にいたのよ」
「へー、そうなんですか。どのくらい?」
「一ヶ月、北大で勉強してたの」


彼女はニュージーランドの大学で地質学の博士課程にいる学生なんだそうだ。彼女のいう日本文化の複雑さとは、一言でいうと、古い伝統と新しい技術の組み合わさった日本人の暮らし、ということだった。そのあと、日本での外食のバラエティの豊富さやウォッシュレットの便利さなど、心地よく話は進んだが、彼女はこのあと誰かと会う約束があるとかで会話は適当に切り上げて、本の選択に戻り、サルトル、ニーチェ、フロイト、ホーマー、そして先ほどのベネディクトなど4000円程買ってくれた。更に、僕が広げてあったチェスボードを見て、「私、中盤はいいんだけど、終盤が弱いのよね、何かいい本ある?」と訊ねるのだ。
「この店には、チェスの本は二冊しかありませんよ」と僕の使っていた本ともう一冊を取り出して見せた。
「どっちがお奨め?」
もう一冊の方はAlexander Alekhineという世界チャンピオンの本で自分の試合を振り返ったもの、一方のIrving ChernevはAlekhineほどの打ち手ではなかったが、こちらの本は歴代の名勝負の棋譜を載せてある、「本の状態はあまりよくないですが、いろいろな名手の棋譜が載っているChernevの方がいいと思います」と独断と偏見で推薦した。素直な彼女は進められた本を即座に購入本に加えた。実は、Chernevの本は、僕が広げて使っていたせいもあって、ページがあちこち背表紙から剥がれていたので、申し訳なく思い、これまた独断で200円程値引きした。もちろん、いい顔をしたいという動機もあったことは全然否定しない。

彼女が去った後のチェスボードは、フィッシャーの試合の序盤十数手のところで止まっている、これが映画なら、出会った人が去った後の名残惜しさを表現するため、峯に別るるよこぐものそら、とでもいうように並んだ駒の映像を5秒ぐらい流すかもしれない。ところが僕の場合は、参考にしていた本を奪われてしまったので、手を進めることが出来ないのだ。せっかくの名勝負も万策尽きた、キングを横に倒して終えることにした。

午前中の優雅な時間は長く続かなかった、クリスマス・プレゼントに古本を買う人は意外と多いもので、次から次に客が来て、ついに僕のシフトだけで4万5千円もの売り上げとなった。その後、オーナーから聞いた話では、この日の総売り上げは8万5千円を超えたそうで、彼女の覚えている限りでは新記録だそうだ。フィッシャーの棋譜は失われてしまったが、いい日であった。

(注)チェス棋譜の記載方法についてウィキペディアを覗いてみると、なんと9種類も掲載されていて、Chernevの本で使われていたのは"Descriptive"と呼ばれている。1970年代までは英語圏で使われていた方法と書いてある。現在では横軸をabc...、縦軸を123...で表し、その組み合わせで表示する方法、Algebraic法が最も普通に使われているそうだ。これは表計算で使われる方式なので使いにくいこともないが、Descriptive法のアナログ的なところはかわいい。尚、ウィキペディアの記事は日本語のものは見つからなかった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.12.26 01:48:54
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

cozycoach @ Re[1]:キンドル本をダウンロードできない(12/04) 松本 穣さんへ パソコンは面倒くさいです…
松本 穣@ Re:キンドル本をダウンロードできない(12/04) こんにちは。僕は松本穣と言います。滋賀…
cozycoach @ Re[1]:キンドル本をダウンロードできない(12/04) たいていの人は何かに、誰かに、アンチを…
JAWS49@ Re:キンドル本をダウンロードできない(12/04) 解決策を思いつかれてよかったですね。 私…
cozycoach @ Re:キンドル本をダウンロードできない(12/04) ほんとにねー、アメリカのサポートはイン…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: