今西錦司をちょっと脇に置いてダーウィンの「種の起源」(Origin of Species)をパラパラとめくっていて、ふと気になりはじめた、evolution(「進化」)という言葉はいったいどこで使われてるんだろう。テキスト検索をしたところ、面白いことがわかった(注1)。
「種の起源」初版(1859年)にevolutionという言葉は全く使われていない、evolveという動詞がただ一度だけ、最後の最後で次のように出てくる。「・・・from so simple a beginning endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.」Evolutionの代わりに、descent with modification(修正しながらの世代継承)もしくはtransmutation ofspecies(種の変容)という句が使われている。1872年の第6版にはようやくevolutionやevolutionistという言葉も数カ所で使われている。ということは、「evolution=進化」という言葉自体は、ダーウィンが使ったから広まったものではなく19世紀後半の西欧社会一般にじわじわ普及していたもので、ダーウィンも第6版になって一部にそれを採用した、ということのようだ。その間の歴史については、あまりにも込み入っていて全貌は見渡せない。いくつか目についた点だけを以下に書きとめておこう。
ダーウィンの友人でもあった地質学者のライエル(Charles Lyell)が、その著「地質学原理(Principles of Geology)」の第2巻で、evolveとevolutionを数回使っている。「・・・in support of the hypothesis of a progressive scheme,but nonewhatever in favour of the fancied evolution of one species out of another(下線は引用者、2nd ed.、1832年、p.63)」 種は斬新的に変化していくが、一つの種から別の種が分岐するようなevolutionという現象には証拠がない、とライエルは書いている。evolutionのここでの意味はtransmutation of species(種が別の種へ変異していくこと)だった。ライエルは、1832年の時点ではダーウィンのtransmutation of species説を否定していた(注3)。
一方、19世紀中ごろから活躍した社会思想家にハーバート・スペンサーがいた(Herbert Spencer、1820-1903年)。1851年の著作「Social Statistics(社会静学)」は、日本でも1884年に松島剛訳「社会平権論」として紹介され、自由民権運動に大きな影響を与えたことで知られている。スペンサーの1852年のエッセー「The Development Hypothesis」(注4)には、「Theory of Evolution」という言葉が、transmutation of speciesと同義で使われている。どうやらこの頃には、evolution=transmutationof speciesという同義関係は比較的広く受け入れられていたようだ。
evolutionとは異なる。しかし、スペンサーがevolutionという言葉を種の変化のプロセスを表すのに使用し、一般に広めたことはたぶん間違いない。(ちなみに、survival of fittest、適者の生存、という言葉の造語者もスペンサーである。)スペンサー達の広めた言葉がまずます日常化されてしまったため、ダーウィンの理論も「evolutionary theory、進化論」と呼ばれるようになったのではないだろうか。