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あまり素晴らしい記事なので、転載させていただきます。
はじめ
ポチです。
年の瀬も迫り、あわただしい今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は、依然として仕事の山と格闘しています。そのうえさらに、先日、上司から「年明けに大きな仕事が入る可能性があるので、いつでもとりかかれるように準備を始めよ」と言われ、へこんでいます。
ホントにできるのだろうかと不安な日々を過ごしています。
で、今日は、延び延びになっている中村哲さんの講演会のことを書きます。
なぜ、延び延びになっていたかというと、もちろん、仕事に追われ、書きかけては中断、、また書いては中断を繰り返していたからなのですが、それだけではありません。
講演会そのものは、中村さんが、写真を紹介しながら、淡々と、ときおりジョークをまじえつつ話されたのです。驚きと感動の連続でしたが、それは、彼が、彼 らがやりとげてきたことの驚きと感動でした。そして、飄々と話す中村さんからは、それをやりとげるうえで彼が、彼らが乗り越えてきたとてつもない苦難や障 害については思いを馳せることができませんでした。
私は、ただ単に、話を聞いた驚きと感動をレポートしようと思ったのです。
ところが、ところが・・・・。
実は、私は、講演会の会場で、中村さんの近著「医者、用水路を拓く」を買い求めました。中村さんのサインも入っていました。
この本を読み始めて、愕然としたのです。講演会での飄々とした中村さんの姿はそこにはありませんでした。
あるのは、激しい怒り、嘆き、悲しみ、そして、いらだち・・・・・。
米軍の爆撃の恐怖とのたたかいはもちろん、何を言っても受けつけてもらえない報復戦争開始前後の冷静さを失い狂気と興奮に支配された日本の世論、憶測と事 実誤認にもとづく「人道支援」、現地の常識や文化を無視し欧米の常識を振りかざしての「民主化」押し付け、カネにあかし事態をますます悪化させる各国 NGOのやり方・・・・・、そして、ご家族の不幸。彼は、これらと壮絶なたたかいをしてきたのです。
現地で、人の命を守ろうと死に物狂いになってがんばっている人から見た、アメリカ軍やブッシュ大統領、日本政府や自衛隊、日本人、欧米人、「反戦家」、NGOです。
この本を読むまでは、思いもよらないことだらけでした。
「安易に講演会のレポートを書いていいものだろうか」「講演会のレポートでは、けっして、彼の思いは伝わらない」。
どうするかを悩みました。
仕事のほかに、延び延びになっていたもう一つの理由がここにありました。
しかし、私などが、中村さんの熱い思いの内を代弁することなどできるはずもありません。中村さんの思いを理解するには、中村さんの本を読み、話を聞くしか ありません。私にできることは、できるだけ早く講演会のレポートを仕上げ、中村さんの本を読んでほしいとよびかけることではないかと思いました。
以下の文章のほとんど(とくに前半部分)は、ここまでに書いたもの以前に書いたものです(部分的に書き加えています)。ですから、上の文章にそぐわないオチャラケたところがあることをお許しください。
では、中村哲講演会のレポートです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は、当日、ICレコーダーをもって行っていて、すべてを録音したつもりでした。これを書こうと思って聞いてみると・・・・・録音されていない・・・・・・。
ショック!!
録音があるからと思ってメモもとっていませんでした。
ということで、記憶を頼りに書くことにします。
11月20日、山口市の県立大学でペシャワール会の中村哲さんの講演会がおこなわれました。
新聞で、講演会のことを知った私は、「これはなんとしても行かなければ」と心に誓いました。しかし、講演会は平日の昼間。仕事を山のように抱えている身で あり、悩みに悩んだのですが、体調の悪い母親をダシにして、「母を病院につれていくので、ちょっと仕事を抜けます」などと嘘をついて仕事をさぼって、無事 行ってきました。行き、帰りとも、超法規的なスピードで運転したことは言うまでもありません。
ヨレヨレのスーツ姿で登壇した中村さんは、その日の朝、タイから福岡空港について、会場に直行したそうで、「なんとか間に合いました」と話しておられました。この講演会の後、何日か日本にいて、各地で講演をされるそうで、しょっぱなが山口でした。
講演は、スライドを使ってすすめられました。
最初に、中村さんは、アフガニスタンというところはどういうところなのかについて話されました。
アフガニスタンというのは山岳国家だそうです。7000メートル級の山々がつらなるヒンズクシー山脈の西の地域です。
私たちが新聞やテレビなどで観るのは首都カーブル(一般的には「カブール」だと思うのですが、中村さんは講演の中で「カーブル」と言われており、著書でも「カーブル」と表記してありましたので、私もその方を使います)。
で、驚くのは次の写真(写真はクリックすると大きくなりますので、よかったらどうぞ)。
わかりますかね。山の急斜面にある集落です(写真が斜めになっているのは、私が会場の左寄りの席に座っていたからです。見にくくてすみません)。
これは特殊な集落ではありません。ほとんどの集落が、こんな風に、山の急斜面にできているそうです。
ペシャワールのあるパキスタン北西辺境州とアフガニスタン東部の地図です。
中村さんは、このペシャワールに1984年に、ハンセン病コントロール計画のために赴任されました。最初に、行った時は、壊れかけた診療所に、使おうとす ると耳を怪我してしまう壊れた聴診器しかない状態だったそうです。その時の写真も紹介されたのですが、撮り損ねてしまいました。
そして、多数の ハンセン病患者の治療に当たりつつ、ハンセン病だけ診ていたのではだめだということに気づかされます。ハンセン病は感染症です。ハンセン病が広がる地域に は、同じ感染症であるマラリアや腸チフスなども広がっています。そして、ペシャワールを本部に、アフガニスタンでの僻地医療に乗り出します。首都カーブル はもちろん、北部山岳地域などに次々に診療所を開設していきました。
以来、23年間、アフガン難民をはじめ、地域の方の医療に携わってこられました。「頭の方は自信はないが、体力には自信があったので、歩いて山岳地帯を歩き、集落を訪ねて診療をした」と言われていました。
下は、その当時の写真です。真ん中が中村さん。
次の写真は、いま、ペシャワールにあるPMS(ペシャワール医療サービス)の病院です。中村さんが赴任した当時からは比べものにならないくらい立派な病院ですね。
」
続く
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