わたしは価値を創る

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September 7, 2015
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もう強すぎる!織田信長の神業的策略!武田軍を完全に撹乱&ハメて崩壊へ



織田信長といえば、ランチェスター戦略風にいえば「弱者の戦略」の使い手です。

戦争において弱者とは、兵力数が少ない方を指します。

普通なら絶対不利の弱者が勝つための方法が、弱者の戦略です。

■たとえば、「桶狭間の戦い」においては、圧倒的兵力数を誇った今川義元軍を移動せざるを得ないように仕向けて、軍列が間延びしたところを、ピンポイントでついて勝利するという方法をとりました。

これは「ある局面で数的優位を作る」という戦い方です。

■「長篠の合戦」においては、戦国時代最強を謳われた武田騎馬軍団に対して、馬防柵で足止めした上で鉄砲隊で射撃するという武器を変える(差別化策)戦いを行ったと知られています。

ところが、実際の戦いにおいては、それ以外の工夫もいろいろされていたようです。

■まず、武田軍最大の武器である騎馬隊を無力化する必要があります。なんとしても、馬防柵に追い込まなければならない。



突撃する気まんまんの武田軍とすれば、柵に追い込まれたという意識もなく、罠に嵌っていったようなものです。

■それ以前に、武田軍は「織田・徳川軍など恐れるに足りず」という気持ちを持っていました。以前、「三方ヶ原の戦い」で、徳川軍を散々に打ち破った経験があるからです。

その徳川軍とそれより弱いといわれる織田軍など簡単な相手だと思ったらしい。

しかも、織田軍は主力軍を窪地に隠して、兵力数を少なく見せていました。

自軍よりも弱い上に、少ない相手と戦うわけですから、我攻めで何とかなると思ってしまったのが運のつきでした。

■もともと織田信長は、自軍を弱いと認識していました。

だから彼の戦いは、弱くても勝つにはどうすればいいのかと考えた上でのものでした。

簡単にいえば、敵が強さを発揮するような局面(戦場、ルール)では戦わなかったということ。

ルールそのものを変えて戦うという方法を追求していきました。

■一方、彼の部下であった豊臣秀吉も、百姓出身である自分が強いなどとは思っていなかったでしょう。

だから、間違っても負けないような戦い方を志向しました。



実際には、秀吉の選んだ方法の方が確実で、効果を発揮しました。

歴史は皮肉なものです。





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Last updated  September 22, 2015 11:47:35 AM
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