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五、異文化の魅力――祭り、言語と国際交流竜祭り、銭型祭り、八朔人形祭りなど、地元のいろいろ祭りを見物した。熱烈な雰囲気が溢れ、異国情趣が漂っている祭りから、独特な風情も残っている日本の様相が見える。この一年間、農業研修のほかに、一番時間が掛かったのは、日本語の勉強だ。学生時代、外国語は英語だけを勉強したので、日本語が下手だ。図書館からたくさんの本を借りて読んだ。友達のおかげで、毎日の「日本農業新聞」、「朝日新聞」なども読んだ。初めのうちは、話し言葉が苦手だったが、K社長の奥さんはいつもほかの人の讃岐弁の言葉を標準日本語に「通訳」し、丁寧に説明してくれた。Tetywest夫人は自分の子供の教科書を私に貸して、教えてくれた。流石に大学の教育学部出身の奥様なのだ。日本語を勉強して、日本の言葉が日本人の考え方をどのように決めてきたか、また、日本人の考え、感覚がどのように言葉に反映しているかをだんだん理解できた。日本語の勉強は興味のつきないものだと思う。研修のもう一つの収穫は、日本の友人との交流がよく出来たことだ。曾保小学校、仁尾中学校、三豊と観音寺地区中学校生徒会幹部講習会、三豊地域女性問題懇談会で、講演して、中国人の生活、中国の農業、中国の教育、中国の男女平等の現状などを紹介した。それに、果樹研究同志会の定期研修会、観音寺農協報告会、三豊農業共済組合報告会、曾保運動大会などにも参加し、幅広い交流ができた。六、 感謝と期待――帰国前の心境時間はどんどん過ぎ去って、もうすぐ国へ帰るが、皆様と別れるのが名残惜しい。中国唐朝の詩人王勃の詩を思い出した。「海内存知己、天涯若比隣。」そのとおりだ。天下に知己がいると思えば、空の果てへ行っても、お隣の家へ行くようなものではないか。さらば瀬戸内海よ。中日友好の使者弘法大師の故郷から帰国したら、微力ながら、精一杯努力して中国と日本の農業交流に出来る限りのことをするつもりだ。さらば私の友達よ。皆さんのおかげで、ホームシックなど感じたこともなく、充実した研修生活を送ることができた。皆さんからの真心のこもった励ましの言葉は、これからの人生の旅へのはなむけの言葉として心に刻んで頑張る。最後に、日中農林水産交流協会、JA香川青果連と仁尾町の皆さんに心から感謝を申し上げる。1999年10月1日
2004年07月15日
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四、自然と人間――興味津々の研修旅行 受け入れ農家とほかの友達のおかげで、各地へ旅行して、見聞を広め、美しい景色を楽しんだ。山紫水明の京都を見物して、社寺庭園、名所旧跡から優雅な日本美を発見した。熊本の阿蘇山に登り、今でも水蒸気が噴出している火口の跡を見て、大自然の雄大さに驚嘆した。長崎平和公園と原爆資料館を見物して、黙想にふけ、世界の平和を祈念した。九州から帰りに、世界でも屈指のしまなみ海道を通った。本州の広島県と四国の愛媛県を九つの島で結んだこのしまなみ海道は、人間が自然を改造する一つのしるしだと言ってもいいだろう。モータボートに乗って、何回も瀬戸内海国立公園へ遊びに行った。そのはかに、瀬戸大橋、観音寺、善通寺、高松栗林公園、香川用水記念公園、満濃公園、大平正芳記念館なども見物した。日本人は経済奇跡を遂げたうえに、環境保護にも腐心している。国土の七割は森林なので、どこへ行っても、緑の世界だ。日本に一年間生活して、さくら、つつじ、紅葉、白梅などを楽しんだ。そういう生物たちが運んできてくれた季節には、どこか温かみが感じられる。
2004年07月14日
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三、組合と素養――日本農村の印象 私が日本で研修して一番感心のは、農業技術ではなく、日本の農業共同組合と日本農家の素養なのだ。 日本の農業共同組合は信用事業、共済事業、販売事業、購買事業、倉庫事業などを行い、大きな役割を果たしている。日本の農家にとって、農協は生産経営に欠かすことのできないものだ。私は大学時代から日本の農協についての情報を少しずつ聞いていたが、「百聞は一見に如かず」、日本に来て、中国の農村で日本農協のような組織を作る必要性を痛感した。 農業と農村の主体は農家だ。日本の農家は優れた素養を持っている。たとえば、私の受け入れ農家tetywestさん夫婦、Kさん夫婦はみんな大学を卒業したうえに、絶え間なく勉強して、該博な知識を活用してる。tetywestさんは1996年から自宅でインターネットを利用して、仕事に役立っている。Kさんはコンピュータでハウス蜜柑の温度調節のデータを記録し、分析している。二人とも果樹研究同志会の責任者として、蜜柑の伝統産地の維持と発展に努力している。1999年3月、tetywestさんは私の勤め先の招きに応じ、中国へ講演に行き、日本の果樹生産技術を中国の農家に教えた。 こんな高素養の農家がないと、発達した日本農業もないと言っても過言ではないだろう。
2004年07月13日
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二、発達の農業――見学からの実感 研修期間に、いろいろなところを見学した。 東京では、JA全農畜産技術中央講習所で研修して、農林水産省農業生物資源研究所、家畜衛生試験場、畜産試験場を見学した。特に、農林水産省畜産試験場では、日本におけるクローン家畜研究の現状を紹介されて、それは私の専攻ではないのに、先端技術の開発についていろいろ考えさせられた。 香川県で、青果連果樹課の課長のおかげで、県農林水産フェスティバルと県内の幾つかの農業試験場や地域農業改良普及センターやJA選果場や農業関係の会社などを見学した。年間売上げ200億円以上のホクト産業株式会社の香川きのこセンターで、会社の役員の紹介を聞いて、みんな感嘆してやまなかった。現代の大規模企業化生産は伝統農業と比べものにならないほど高い効率を遂げて、また、高度なバイオテクノロジー技術の裾野は広大無辺だとつくづく思う。 三豊みかん共同選果場の販売課長のおかげで、何回も選果場で研修して、果物の選別、包装、流通などの知識を勉強した。曾保で、近所のたくさんの農家からもいろいろ教えてもらった。 果樹研究同志会会長のtetywestさんはいつも熱心に農業技術を初め様々な分野の知識を教えてくれた。四代百年にわたり、みかん作りを行うtetywest農園の生産技術は地元で有名だ。特に生産量の適当調節により、隔年結果を防止し、長年の安定生産ができる。また、園地の基盤整備と農業機械の導入により、省力化と作業能率を高めることに成功した。それに、tetywestさんは十年前からコンピュータで農業経営簿記のプログラムを作成して、生産経営に活用している。 そのほかに、Hさんの高品質栽培と産地直売、Oさんの無農薬有機栽培なども忘れられないイメージを残った。
2004年07月12日
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桜、富士山、一衣帯水の隣国、同文同種の民族――子供の時から、私は胸に日本の姿を描いた。日本は一体どんな国なのだろうか、日本の経済奇跡は一体どのように成し遂げたのだろうか、私は日本の素顔を見たかった。1998年10月から、農業研修生として、一年間の研修生活を過ごして、長年来の望みが叶った。一、 実際の体験――ホストファームでの作業私は香川県仁尾町曾保で研修した。曾保は110年前から蜜柑を栽培して、香川県で有名な蜜柑産地である。独特な気候、土壌条件で蜜柑の品質は良くて、全国の品評会で入賞したことがある。私の受け入れ農家は有限会社K農園とtetywest農園である。30年前から農業法人になったK農園は、ハウス蜜柑、露地蜜柑、キウイフルーツ、枇杷などの果樹を栽培している。生産した果物は農協へ出荷したほかに、近所の四軒の農家と一緒に選果場を作って、直接に販売する。K社長は果樹研究同志会の副会長として、豊富な生産、経営の知識と経験を持っている。中国では、私は農学部を卒業して、農業技術普及の仕事をしていたが、農村で生活したことがなかったし、実際の農作業もやったことがなかった。その一年間、農園の職員と一緒に、施肥、防除、剪定、摘果、収穫、選別またはハウスのビニール更新、温度調節など基本的な作業から日本の果樹生産技術を勉強した。初めのうちは、度々失敗したが、だんだん慣れるようになった。一年間の実際の農作業は、私にとって、かけがえのない体験だと思う。日本人は勤勉な民族として有名である、一年間研修して、私は日本人の勤勉さに感銘を受けた。K社長はいつも私たちと一緒に作業した。曾保の山は勾配が強く、水も足りないが、どのようにして蜜柑の名産地になったのかは、私は最初ちょっと不思議だったが、K農園で、みんな汗みずくになって働いている姿から、曾保蜜柑110年間の発展史が読み取れた。
2004年07月11日
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古今東西、どの国にでも礼儀がある。しかし、国によって、社会によって、時代によって、礼儀の内容と形式がだいぶ違う。「礼儀の邦」といわれている中国では、昔から礼儀を重んずる。科挙試験でみんな勉強しなければならない「四書五経」の一つ「礼記」は「周礼」、「儀礼」と共に「三礼」と称されて、礼儀についての記述と理論はかなり詳しかった。礼儀を知らないと一人前にならないと思われていた。ところが、管子の言った通り、「衣食足りて礼儀を知る」、道徳心が高まって礼儀を知ることは物質生活の豊かさに深い関わりがあるという。阿片戦争以後の百年間、外来侵略と旧政府の腐敗の所為、国民は内憂外患に苦しんでいた。そんな境地に陥った人々は礼儀に気を配る余地がなかったのも不思議ではないだろう。今日の世界各国を見回したら、「礼儀の邦」といわれるほど一番礼儀を重視する国はたぶん中国ではないだろう。礼儀の内容と形式も時代の発展につれて、だんだん変わってきている。辛亥革命以後、たくさんの古い習慣が廃棄されて、礼儀もだいぶ変わった。古来のやり方の変わりに、欧米から伝わってきた握手はだんだん中国の社会に定着して、いまでも極基本の礼儀としてよくやっている。大体十年前まで、中国人のよく使った挨拶「御飯を食べましたか」、今もうあまり使わないようになったのも、中国経済と社会の高速発展のおかげだと言ってもいいだろう。国によって、民族によって、礼儀がそれぞれ違う。それは各国の文化伝統や社会現状などと関係がある。だから、違う国からの人々が付き合う時、お互いに向うの礼儀習慣を尊重し、理解するべきである。外国で生活したとき、「郷に入っては郷に従え」、地元の礼儀に従うことがとても重要だと思われる。もう一つ大切な点は、どんな形式の礼儀をしても、こころをこめて、おこなうことが重要である。
2004年07月10日
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就職観は人の生き方、価値観の反映である。それに、人の就職観は社会のありさま、社会発展の状況と深い関係がある。反対に、人の就職観と生き方などは社会の発展に影響を与える。中国人、日本人、アメリカ人の就職観とこの三カ国の社会発展の関係を簡単に比較してみよう。改革開放までの三十年間に、中国人にとって、現在の意味の就職観がなかったと思われる。ある程度職種に対して希望表明はできるけれど、人力資源開発とか、労働力市場とかいう観念が全くなかった計画経済時代には、職業は「人民に奉仕する」手段とされているので、自由に選ぶ余地は殆どなかった。しかし、改革開放のコースに伴い、人びとの就職観が一変した。大体十年前、大学卒業生の就職政策が変わったばかりの時は、我が身の不幸を託った人もいったが、今やみんな馴れてきた。社会で大活躍している若者、商売繁盛の会社、仕事能率があがった政府機関、みんなこの新しい政策に恵まれていると考えられる。政府から配られた仕事を待つのではなく、自分自身の能力で自分自身に合う仕事を見つける、この就職観の転換は、中国の社会進歩のしるしだと言っても過言ではないだろう。日本人の就職観は、長期雇用制度と集団の中での地位の上下関係が重視された、いわゆる「序列社会」に深い関わりを持つと思われる。「業種よりなにより先に、就職したい大会社の名前がまず頭にある」ということ、つまり、どんな仕事をするかという「就職」の意識より、どの会社に入るという「就社」の意識が強いのは、縦割りの秩序が出来上がっている序列社会だからである。これらの制度は、経済奇跡といわれた日本の経済発展に大いに役立っていたが、最近は厳しい国際競争を乗り切るために、経済不況に悩んでいる日本企業ではこの制度を見直す動きが活発になっている。これにつれて、日本人の就職観もだんだん変わっていくのだろう。なにしろ、就職観は社会発展と経済動きによって、出来上がったのである。これに比べて、過去数十年アメリカ人の就職観の移り変わりは基本的に人気職種の変わりだけである。安定の政策、先端技術、競争意識、冒険を認める企業文化などにより、アメリカ経済は長年にわたって持続的に成長してきた。日本人の「誰でもやればできる」という能力平等主義や、「経験がものを言う」という経験至上主義の就職観に対する、アメリカ人の徹底した能力主義の就職観が注目を浴びる。それで、アメリカ人の仕事を変える回数は、日本人よりずっと多い。興味がある、また自分の才能を十分に生かせる仕事を見つける。そういう就職観の背後には、活力に満ち溢れているアメリカ社会を支える生き生きと積極的な生き方があるのではなかろうか。各国の文化伝統と社会のありさまがそれぞれ違うので、どんな就職観がいいのか、いちがいにはいえないが、しかし、各国の発展史を見て、自国の状況にふさわしい雇用制度をつくり、社会のありさまに合う就職観を育つことは、国にとっても、個人にとっても、重要なことだと思う。人びとの就職観には、未来に対する憧れがあるので、それから人びとの生き方が見えます。苦労と修練を重ねて、自分を鍛える生き方をとるにしても、現代風な自然な生き方をとるにしても、才能と努力が必要である。適切な就職観を育て、自分に合う職業に就き、才能と努力により、自分の夢を実現することこそ、社会の発展を促すことであろう。
2004年07月09日
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『外交フォーラム』で『目の前の富よりも、長い目でみる教育を』という記事を読んだ。「目の前の富は貧困の解決にはなりません。長い目でみたら『教育』こそ、貧困を解決すると私は信じています」。ガーナの貧しい村出身の女性が言った、この実感のこもった言葉に、 私はとても感心しました。作者も彼女のこの言葉はとても説得力があったと思って、「目の前の富よりも、長い目でみる教育を」という言葉をタイトルにしました。同じ発展途上国の中国にとって、貧困を解決することも、大きな課題である。何年前から、中国中央テレビで「知識で運命を変える」という公共広告が繰り返して放送されていた。呼びかけたものはガーナのこの女性の言葉と大体同じだと思う。確かに、先進国に比べると、中国の教育は遅れている。1993年に、中国の公務員の中、短大以上の学歴を持っていた人の比率はただ32%で、日本の農民よりちょっと低かった。しかし、2002年に、この比率は69%に及んだ。9年間に倍以上増えた、喜ばしいことは喜ばしくても、疑問があるのは、それだけに、公務員の素養、仕事の効率と能力も倍以上あがったのか。今、一生懸命勉強している人がたくさんいる。ところが、単に学歴乃至水増しの学歴を手に入れるために勉強している人もいる。教育自身にも問題があると思う。素養の教育、教養の教育ではなく、ある程度に試験受けのための教育だと思う。農村教育はたいへん難しい、教育経費が足りない(一年間の費用が千元未満の農村小学校は珍しくない)、貧乏な農家は子供の教育費が出せない。それに、ガーナのその村の人が言ったような問題は中国の農村にも存在する。「卒業しても何の職も得られない。かといって農業も知らずに育ってしまった、こんなことだったら学校に行かせなかったほうがよかったのに」と考えた人も大分いる。中国の教育をどのように発展させるべきなのか。まず、教育を優先的に発展させる。国民は望ましい教育を受ける機会を享有し、高校段階の教育が基本的に普及し、非識字者がなくなるようにする。人間の全面的な発展を促す。次に、教育への資金投入および農村における教育への助成を大きくし、貧困学生を援助する国の政策と制度を充実させる。もう一つは、教育を革新し、教育改革を深化させ、教育構造を最適化させ、教育の資源を合理的に配置し、教育の質と管理レベルを向上させ、職業教育と育成・トレーニングを強化し、生涯教育システムを構築する。いずれにしても、国民の素養の向上することが一番大切だと思う。中国が学歴の社会ではなく、全国民の学習、生涯学習という学習型社会になってほしい。教育の目的は学歴ではなく、教養だと思う。教養とは、第一に、物の見方、考え方を身につけることである。それに、美しいもの、善いもの、聖なるもの、総じて価値と呼ばれるものを求める。考え、創り、信じ、また行動できる人間を育てることこそ、教養が求める高い理想なのである。二十一世紀の優れた教養のある国民は国家のホープだと思う。
2004年07月08日
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1998年10月から1999年10月まで、私は日本の香川県仁尾町で研修した。日本ではいろいろな祭りが行われている。その中で、三月三日の雛祭りは女の子の祭りとして有名である。ところが、私が住んでいた仁尾町ではひなまつりは行なわれない。その代わりに、八朔の日(旧暦の8月1日)に八朔人形まつりがあり、女の子の雛節句も祝っている。いわゆる八朔人形まつりは、空き店舗や民家を利用して地元の人々が箱庭風の飾りを造る恒例の祭りである。最初私はちょっと不思議だったので、地元の人に聞いて、原因が分かるようになった。仁尾城は、永禄年間から仁保・吉津・比地中村の領主であった細川頼弘公居城だったが、戦国時代の420年前天正7年3月3日、土佐の長曽我部元親の侵攻を受けあえなく落城した。それ以来、3月3日の雛まつりは行わず、八朔の日(旧暦の8月1日)に女の子の雛節句も祝うようになったのである。初めての男子誕生に際し、その子の健やかな成長を願って、八朔に神功皇后と団子馬を飾る風習は西香川一円に広く見られるが、これに加えて仁尾町では、古くから店舗や座敷に舞台を設け、石、砂、草木などで箱庭風の山川渓谷を作り、人形を置いて人々に広く知られている歴史上の物語やお伽噺の各場面を再現するという風習が出来あがった。この紹介を聞いて、たいへん感心した。仁尾町の人々は大昔の事件を忘れなく、ほかのところと違って、全国でも珍しい伝統行事を作り、また、それを商店街の活性化に結びつけて、地域の個性を生かす。毎年の開催期間中、町人口を上回る観光客が訪れる。全国五十八の新聞社と地域活性化センターが主催第七回ふるさとイベント大賞に、「仁尾八朔人形まつり」は最高賞(総務大臣表彰)に選ばれた。日本滞在中、八朔人形まつりのほかに、地元の龍祭り、銭形祭りなど、いろいろ祭りを見物した。こういう熱烈な雰囲気が溢れて、異国情緒が漂っている祭りから、独特な風情も残っている日本の様相が見える。わたしはこれからいろいろ考えさせられた。日本では、各自治体は地域活性化をとても重視する。地域活性化を促すために、いろいろ工夫が凝られている。地域活性化センターのような組織を作って、多様多彩な催しを行なっている。いろいろイベントのなかでも、祭りは特に重要な役割を果たしている。先人が築いた伝統と文化を復活、創意工夫を凝らした祭りは地元の住民全体の関心が寄せられているだけではなく、たくさんの観光客も見物に訪れて、産業振興と経済発展に大いに役立っている。最近、中国人もこの点をだんだん認識してきて、日本の祭りのような文化の催しを行なうところもあるが、効果はあまりよくないようである。原因の一つは中国のこれらの催しのほとんどは政府が主催しているだけで、地元の民衆の関心と参加が不十分である。それに対して、日本の祭りは、ふつうは民間組織が主催し、みんなやる気があり、子供から大人まで住民が一体となって盛り上げたものなのである。祭りを行なうことによって、人々は故郷への愛が強くなり、民間組織がもっと活発になり、観光客を引き寄せ、地域活性化の目的に達する。中国はこういうやり方を見習うべきのではないか。
2004年07月07日
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先日、ある日本学者の文章を読んで、まずびっくりした。特に、「近世から近代の大衆の意識の中には、『一人ぐらいはこのような馬鹿がいなけりゃ世間の目が醒めぬ』式のやくざ賛美が根強く残っていた」ということは思わなかった。そういう「やくざ賛美」についていろいろ考えさせられた。「やくざ」という言葉は語史も語源も明瞭ではない。その作者は一般に及んだ花札説が詳らかではないと思っていて、「やくざ」を「語の破片」として、「千年単位の精神史の残欠を復元する大切な手がかり」として意味深く分析した。その分析から日本人の民族性が覗けるのではないかと私は思っている。日本人の民族性が理解できないと、「やくざ賛美」なんて不思議になるかもしれない。なぜ「やくざ賛美」という意識が日本に存在したかというと、これは日本人の個人と集団、恥と罪、平常と異常、寛容と苛酷などについての考え方からであると考えられる。まず、やくざは集団で行動する。日本人は概して集団を重んじ、集団行動を好む。集団になると、考えられないほど強い力を発揮するが、個人個人の力はたいしたことはない、とよく言われる。だから、自分の属する集団に忠を尽くし、ほかの関係よりも自分の属する集団に対する連帯感が優先する。やくざは義理を重んじ、決まりが厳密な集団である。日本人の集団主義を最も端的に示していると言えるであろう。べネディクトは世界の文化の類型を「罪の文化」と「恥の文化」の二つに分けて、日本の場合を後者の典型としてあげた。日本人にとって、いちばん恥を意識するのは、自分が属する集団を裏切ること、集団から指弾されることである。「罪の文化」より「恥の文化」、これは「やくざ賛美」が有り得る土壌だといっても過言ではないだろう。その上、やくざは平常の有りざまを超えたものである。江戸時代、やくざはしばしば百姓一揆の先頭に立って、いわゆる「古代神の近世的零落版」のような異常な姿で登場したのである。作者が述べた通り、日本人は「不平」とか、「異和」とかいう常軌を逸した異常偏奇に至るものを「神への道を辿る」とされているようである。だから、やくざ映画の主人公はスクリーンでは決して死なない。放浪の若者は原則として不死であり続ける。まるで神のようである。やくざに対してこのような態度から見たら、日本人は特定の場合に「異常」のほうが好きだと推察できるのではないか。さらに、日本人のこの態度から、日本人の寛容の一面(特に異常なものに対しての寛容)も見えるであろう。というと、やくざは「世のひずみ、世の悪を正す」などいわゆる「神の御業」を行なう一方、そのまったく逆の一面もあることは否めない。しかし、日本人はやくざを全般的に否定しないのである。日本人は物事に対して厳しい、融通が利かないと思っている人が多いが、やくざに対しては意外に寛容だと言えるだろう。要するに、日本人の民族性は日本国民の考え方、価値判断などをかなりな程度に決めている。それに、そういう国民の考えを基づいて作られた政策や具体的なやり方などは日本のやくざのありさまをある程度決めると思う。
2004年07月06日
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神道は日本民族固有の伝統的な宗教的実践と、それを支えている生活態度および理念である。祖先神や自然神への尊崇を中心とする古来の民間信仰が、外来思想である仏教・儒教などの影響を受けつつ理論化されたものなのである。自然崇拝は神道の中核の一つとして日本人の生活様式やものの考え方などに大きな影響を与えてきた。1998年10月から1999年10月まで、私は中国農学会農業研修生として日本の農村で研修したことがある。今日自然崇拝が日本の農林産業の発展に与えた影響について考えてみたい。 神道といえば、神を祀るところである神社が心に浮かぶであろう。日本の多くの神社の中で、特に大小神社の首班に列する二十二社の一つ稲荷神社に着目してもらいたい。稲荷というのは、五穀をつかさどる倉稲魂を祀ったことである。したがって、倉稲魂神への信仰は稲荷信仰といわれている。その稲荷信仰は今や商業神・屋敷神など多岐の信仰に拡大したが、もともとは農耕信仰だったのである。日本のたくさんの祭りももともと自然崇拝・農耕信仰と関わりがあると思われる。もちろん、そういう自然崇拝・農耕信仰は日本だけではなく、ほかの国にもある。しかし、日本の自然崇拝は日本しかない特色があると考えられる。というと、はかの国の人は自然の恐ろしさから自然を敬遠したり、或いは改造したりする気持ちが強いのに対して、日本人は特に自然に恵まれているから、自然にありがたい気持ちが強いのである。つまり、日本人には自然を人間と対立するものとみなす思想はまずないのである。そういう日本人の自然崇拝の特色とも言える考え方は日本の農林産業の発展にも大きな影響を与えてきた。日本人の森林保護と木材消費に関する考え方がそのことを最も端的に示している。植物材料好きの日本では、木材の消費量がたいへん巨大だが、その半分以上は東南アジアや南米から輸入してきて、自国の樹木はできるだけ伐採しない。日本全国で林業の就職者は7万人だけで、2000年の伐採量は2470万立方メートルであった、国内木材需要の約52%は輸入に依存している。だから、日本の人口密度が中国の二倍以上も高いのに、国土の七割は森林であり、森林被覆率は中国の四倍である。これに対して、中国は過去数十年間、山野の樹木が次次と切り倒され、過度の伐採で自然の緑が失われるばかりでなく、水害や土砂崩れなどの災害が副次的に起ってきた。日本の農業もできるだけ自然をそのまま利用するのに腐心してきた。日本の農用地面積は国土の14%で、農家一戸あたり1﹒60ヘクタールに過ぎない(アメリカ農家の1%にも足りない)。しかし、日本では、何十年前の中国のように湖を埋めて農地を造ったり、草原を耕して食糧を生産したり、山の樹木を伐採して棚田を造ったりしなくて、大自然を大切にしてきた。今、いわゆる「自然農法」が実施している。私の専攻は果樹で、一例を挙げる。日本人はミカンが大好きで、一人あたりのミカン消費量は世界一である。ミカンの研究にいろいろ工夫が凝らされている。いわゆる温州蜜柑はもともと中国から日本へ伝わったものだが、今中国で栽培しているほとんどの温州蜜柑は日本で改良して、ミカンの故郷である中国が逆に輸入した改良品種である。ミカンの温室栽培も日本人のミカン研究の成果である。1970年代から日本で出現した温室栽培のミカンが1980年代に一時増えていたが、1990年代の後半から、減少の傾向が見られているようである。ミカンの主産地に廃棄したハウスミカンの温室がだいぶある。経済面の原因のほかに、加温のために使用した重油やハウスを造る資材としてのビニールなどが環境を汚染すること、ハウスミカンの農薬施用量が露地ミカンより多いことも重要な原因だと思われる。今、日本ではミカンの年間農薬施用回数は中国の三分の二くらいで、化学肥料の施用量は中国の三分の一にも足りない。肥料の中で、有機肥料の割合は中国よりずっと高い。ほかの農産物の生産も大体同じである。つまり、できるだけ自然的な方法で農産物を生産したほうがいいと考えられている。だから、遺伝子組替えの食品を遠慮し、輸入の農産物も安くても人気がないのである。そういう神道の自然崇拝からの考え方とやり方には、合理的なものがあると思う。自然の開発と並んで、自然の保護も大切だからのである。中国の伝統文化の中に、「天人合一」の思想もあるし、「人定勝天」の考えもある。過去数十年間、中国では一時「人定勝天」を偏重して、「天人合一」を忘れてしまったような傾向がみられるのではないか。なにしろ、人間と自然の調和が一番重要だと思う。それは信仰とも関係なく、イデオロギーとも関係なく、人類の生存と発展に関する重大な課題だと言っても過言ではないだろう。
2004年07月05日
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武士道は日本の武士階層の道徳である。鎌倉時代から発達し、江戸時代に儒教思想に裏づけられて大成し、封建支配体制の観念的支柱をなした。忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・簡約・尚武・名誉・情愛などを重んずる。武士道に対して、ヨーロッパには騎士道がある。それは中世ヨーロッパで、騎士身分の台頭によって起った騎士特有の気風である。キリスト教の影響をも受けながら発達、忠誠・勇気・敬神・礼節・名誉・寛容・女性への奉仕などの徳を理想としたものである。しかし、騎士道はただ昔の騎士特有の気風に過ぎないのに対して、武士道は日本人の精神的象徴のようなものとしてよく知られ、日本国内でも「武士道すなわち大和魂(日本精神)なり」という説がある。これはなぜなのか。これは明治以後の日本近代史と関わりがあると思われる。明治政府はヨーロッパ諸国に追い付こうとして、「富国強兵策」を打ち出した。日本の産業は飛躍的に発展して、日本は開国して半世紀しかたっていないのに世界強国の一つになった。その結果、日本は大陸に市場を求めた。そして、侵略戦争を始めた。日本の近代史は戦争史である。しかも、防衛の戦争ではなく、全部侵略戦争である。軍国主義者は戦争を引き起こすために、理論と宣伝が必要である。不幸なことに、武士道は一時軍国主義の具に堕してしまった。だから、「武士道すなわち大和魂(日本精神)なり」とか、「武士道は武士勃興と共に成立したものだが、その源流は遠く神武天皇の建国当初にある」とかいう説が第二次世界大戦の戦前、戦中の文教政策のなかで大手をふって闊歩した。神道の運命も大体同じだった。神道はもともと日本民族固有の伝統的な宗教的実践と、それを支えている生活態度および理念である。しかし、明治以後、国家神道が形成されて、神道は侵略政策を出した日本の支配体制と結びついていた。戦敗の1945年、GHQが日本政府に対して「神道指令」を発して、国家神道は解体され、神社は在来の国家的性格を改めて宗教法人として再発足した。もともと、武士道が重んずる忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白などの徳にしろ、神道の中核である自然崇拝と先祖崇拝にしろ、侵略戦争と必然的な関係がないだろう。むしろ、その中でも、合理的なものがあると言えるのではないか。例えば、信義・名誉・礼儀などは、日本戦後の平和発展に大いに役立っていて、今の日本社会でも美徳とされている。しかし、当時の軍国主義者は侵略戦争を引き起こすために、自分民族の伝統的な考え・意識・精神などをほしいままにひん曲げて、国民を騙し、戦争に煽てた。だから、伝統的な考え・意識などをどのように社会の発展に導くのが一番重要なことである。不合理的なものを取り除き、合理的なものを発揮し、新しいものを入れて、国家の平和と発展に役立つ民族精神を作るべきだと思う。
2004年07月04日
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天皇と言えば、中国人は日本のいろいろなことを連想する。日本の明治憲法は天皇を神聖不可侵な存在とし、統治権の総覧者として議会の権限が及ばない広範な大権を認めていた。この憲法の下で行われた侵略戦争の後でA級戦犯は死刑に処せられたが、天皇は戦争責任追及されずにすんだ。これを理解できない中国人もいる。現在の日本国憲法は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と宣言している。人間的な天皇のイメージ作りがマスメディアを通じて行われているが、他の国の君主と比べるとなお宗教的権威がある。これはなぜだろうか。 まず、天皇の歴史が長い。中国のように頻繁に王朝交替が行われず、記紀によると少なくとも大和時代からのおよそ1700年の間は天皇の統治下にあった。次に、日本の歴史を振り返ると、天皇は大部分の時期に政治紛争の渦中にはいなっかた。まるで雲の上人のようだったのである。この点は非常に重要だと考えられる。これは長い時期に地位を保つにも、その地位を神秘化また神格化するにも不可欠な要素だと推測できる。もう一つの大切な要素は日本人の宗教観だろう。日本固有の民族宗教は神道である。神道は自然崇拝と先祖崇拝を中核とし、制度的には天皇制と分かちがたく結びついていると理解されている。こういう点では、天皇が宗教的権威を持っているのも当然であろう。それに、日本では一般に外国から新しい宗教が入った時には、既存の宗教との衝突らしいものはあまり見られなかった。ある調査によると、日本の宗教別の人口の合計は全人口の2.7倍ぐらいになったそうだ。一人の人が二つ以上の宗教を持っていることが多いのである。従来の信仰が新たなものと調和しやすいのが日本の宗教の特徴の一つだし、また日本社会の特徴の一つだと思われる。従って、社会が発展するにつれて科学精神や民主精神などが日本人の心に浸透して、日本の社会に定着しても、天皇の宗教的権威は変わることなく、天皇は日本国の象徴また日本国民統合の象徴としての役割が果たせるのだろう。戦後の新憲法下での象徴天皇制も含めた現在の日本の体制が日本に50年間以上の平和と発展をもたらした。外国人として、日本の国家制度と日本国民の気持ちを尊重すべきである。 ところで、中国はどうだろう。中華民族のバックボーンと言えるものとは何だろうか。次に私見を述べたい。 中国の歴史を振り返ると、中国は分裂したこともあり、何回となく外来民族に抑圧されたこともある。しかし、中華民族は決して亡ぼされることなく、最後には必ず抑圧を取り除いて、国を統一した。伝統的な中華思想によって磐石のように支えられていた中国は驚くほど強い生命力を持っている。いわゆる中華思想の中でも、特に炎黄子孫としての誇りと使命感に着目したい。炎帝は神農氏として、黄帝は軒エン氏として、この二人は中華民族の始祖と尊ばれている。度重なる王朝交替にも関わらず、炎帝と黄帝の神聖な地位は永久不変である。歴代の統治者はみんな黄帝を祭っている。抗日戦争時期、無神論者である中国共産党も代表を派遣して、黄帝陵へ行って、黄帝を祭り、滅亡の危機に瀕した中国を救おうと民族の始祖に誓った。歴代の帝王の功罪をめぐって、いろいろ論争があるが、黄帝に対しては、このうえない尊敬だけのようである。この気持ちは時代と関係なく、宗教と関係なく、それに、イデオロギーとも関係ない。中国の伝統文化の代名詞である炎黄文化、また、中国人の心を支えている炎黄子孫としての使命感は中華民族のバックボーンだと言っても過言ではないだろう。 人間としても、民族としても、国家としても、思想と文化が必要である。但し、この思想と文化が自分の国を平和と発展の道へ導く思想と文化であるべきだと思う。
2004年07月03日
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中国でも受試戦争が行われている。入学試験、資格試験、採用試験など、人々はいろいろな試験に追われる。毎年英語試験に関する売り上げ高だけでも何十億元にも上り、「試験産業」と言われるほど大きなビジネスのチャンスが生まれた。試験の成功に恵まれている人もいるし、受試のストレスに苦しんでいる人もいる。とりわけ、毎年の大学入試は全社会の関心が寄せられている。試験の功罪をめぐって、いろいろ意見がある。その中でも、今の試験制度を見直すべきだという声が特に強い。 さて、試験といえば、世界最初の全国統一の大規模な試験は中国の科挙制度だろう。この世界でも屈指の試験制度が「文明古国」といわれる中国で生まれたのは偶然なのだろうか。近代になって、欧米の進んだ文明成果を取り入れるにしたがって、科挙制度の代わりに、欧米式の入学試験や採用試験などがだんだん取り入れられてきた。ところが、「文化大革命」の十年間には、殆ど試験はなくなった。「受試のストレス」などはいっさいなかったが、しかし、知識人にとって、文化と教育にとって、この十年間は暗黒の時期で、決して試験を脱出した楽さを感じた時代ではなかった。1977年に回復した大学入試がたくさんの人の運命を変えた。その時に大学に入った人々は今でも感激の気持ちを持っている。社会が発展するに伴って、いろいろな試験が社会に定着するようになった。だから、現代社会の人々は試験と切っても切れない縁があると言ってもいいだろう。 しかし、試験が必ずしも社会によい影響ばかり与えるとは言えない。たとえば、官吏登用制度としての科挙制度は人材を引き上げることに、教育を促すことに、一時ある程度役立っていたが、しかし、近代になって、科挙制度は社会発展の障害になった。「子曰く、詩に云う」式の教育と「四書五経」ばかりの試験は近代社会に役立つ人間を育てない。その試験の内容と方法はもう近代社会のありさまに合わなかったからだ。だから、それに替わるものとして欧米式の教育と試験が登場した。試験は人を評価する一つの方法であるが、決して唯一の方法ではない。また、同じ人に対しても、試験の内容、形式などによって、ずいぶん異なった結果になることがある。 だから、人を正しく評価するには、まず、科学的合理的試験制度を作らなければならない。そのほか、試験以外の評価方法も必要である。それに、試験そのものと教育そのものに対しても、科学的な評価が要求されるだろう。たとえば、二十一世紀の発展のために、長い目でみれば、中国の教育を受験教育から素質教育へ転換しなければならない。ところが、「素質教育」という言葉がもう流行語になった今日でもなお、本当の素質教育はなかなか推進していない。原因はいろいろあるが、教育に対して科学的な評価システムがまだ作られていないのが、一つの重大な原因だと思われる。今の評価方法を少し考えてみよう。高い点数の取れる学生がいい学生、進学率の高い学校がいい学校、日本における「いい学校からいい会社へ」という神話のように、中国では「高い学歴で高い地位を」という考えがある。したがって、大学と大学院の規模が風船のように膨らんだ。質を高めることなく、単に規模拡大を追求する大学の合併と再編は理念なき旗振りに過ぎない。また、大学の教育計画は社会の経済計画とのバランスを重視するあまり、基礎研究とか教養養成とか真理探究とかをおろそかにする傾向もある。それらの問題はいずれも今の不合理な評価方法と関わりがある。だから、新しい評価システムを作らなければならない。 この新しい評価システムとは、古い評価方法の安易な実用性と一面観を否定して、学生・教師・学校・試験・教育に対して、長い目で、現代的な見方で、科学的に全面的に分析、評価するシステムなのである。このシステムによって、今のいろいろな試験は、受験者を評価する一つの方法として、見直され改革されるべきだと思う。教育の真の目的は人間の全面的な発展を促すことである。同様に、試験も人間の全面的な発展を促す役割を果たすべきであろう。しかし、これは決して容易に解決できる問題ではない。やり方の改革より考え方の改革の方ががもっと難しいが、新しい評価システムの考えがだんだんわが社会に定着してほしいと思う。
2004年07月02日
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