自転車18年にっぽん旅日記

自転車18年にっぽん旅日記

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

cyarioji

cyarioji

コメント新着

どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
cyarioji @ 新たな出会いに感謝です。 それにしても「秋田屋焼失」よく見つけま…
cyarioji @ Re:おはようございます^^(09/11) ももさん >このblogを見つけたのはたま…
cyarioji @ 秋田屋さん再起を祈ってます。 ももさん、ビックリしました。滅多にない…
もも@ お騒がせ致しました お泊り頂くはずでした秋田屋の女将の娘で…

フリーページ

2005年11月28日
XML
カテゴリ: アウトドア・釣

○02年9月4日(水)晴 椎葉~飯干峠~湯山峠~市房~多良木~人吉(旅館・泊)84km

 昨夜の取材クルーのメンバーと別れ、昭和30年完成の日本初のアーチ式で知られる椎葉ダム沿いに南下する。

 ダムを通過すると道はぐんと険しく狭くなる。

無人の椎茸畑
 道傍のあちこちに黒いネットの帯が続く。中を覗くと、丸々と育った椎茸がホダ木にびっしりと付いている。周りは誰もいない山の中だ。

 わずかな平地をいとおしむかのように稲が育てられている。

 椎葉の人々の気質がうかがえてほのぼのとした気持ちで往き過ぎる。

黒木兄弟刑殺の地


 「黒木六左衛門 田大六兄弟殉難顕彰の碑」とある。

 「掲札」には、「この地において享保16年(1731)7月19日、人吉からの藩遣使役人により名主黒木六左衛門
田大六兄弟が仕置きされ、村人の嘆願により遺体の引渡しを受け、懇ろに弔い碑を建立。刑殺の理由は、椎葉村民長年の苦境の救済策として、藩林の伐採と搬出の許可を村人連署で願い出たことが、幕府法度の『強訴』に触れたと裁断されたことにある、、」と記されていた。

 きれいに清掃された碑には香華が供され、270年を過ぎた今日もなお、無念の黒木兄弟への、村人の追慕の気持ちが深いことを知らされた。

西郷軍と飯干峠
 道は九十九折れの登山道並みの険路が続く。

 「西南戦争」に敗れた西郷軍の一隊は、追討の政府軍を避けて、椎葉から飯干峠を経て人吉のルートをたどったと伝えられている。

 草鞋を失った兵は、道端に捨てられた「馬草鞋」を奪い合い、山人の狭い家は寒さを避ける兵ですし詰め状態になったともいう。

 飯干峠の頂上で、はるか人吉・鹿児島方面を望み、往時の西郷軍をしばし偲んだ。

人吉へ
 湯山峠を越えると「ご褒美の下り坂」、球磨川沿いに一房~多良木と駆け下って、午後4時ジャストJR人吉駅に着いた。



 観光案内所で紹介の宿へ向かうポダリングの途中、街中に掘りめぐらされたゆたかな水路にそよぐ水藻と鯉に見とれる。戦国期から700年の相良の殿様代々の遺産で、「水路を汚した者には厳しい仕置き」があったという 刑殺の名主慕いて今になお香華絶やさぬ山里の人




 滔々の球磨の流れと競いつつ九州縦断人吉へ


 (続く)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年11月28日 08時43分46秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: