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Stage11 本州横断 A(内陸8県縦走時走破済み)01年9月27日~9月28日 新宮~十津川~奈良~京都231km B
(今回走破分)03年9月18日~9月19日 京都~大津~琵琶湖西岸~今津~国境峠~敦賀 100km
○03年9月18日(木)晴 京都~逢坂の関~大津~(琵琶湖西岸)~高島~今津(旅館・泊)150km
本州横断後半の旅へ
2年前「内陸8県縦走」で、本州横断の前半部「紀伊半島・新宮から十津川~奈良~京都」を走っており、今回は「京都~琵琶湖西岸~敦賀」を走り、本州横断(胴切り)への旅となる。
三条大橋で自転車をカメラにおさめ、国道1号線を大津へと向う。一般道最大の幹線「東海道」だけあって、大変な交通量だ。
道は、JR東海道本線、JR湖西線と並走しながら上りの連続。本来は白いはずのガードレールが、排ガスまみれで暗褐色に覆われいる。
行く手には、万葉の時代から歌に詠まれる「逢坂ノ関」があるが、今はその下を長大トンネルで通過することになる。
排ガスにむせながらトンネルを抜けると大津の街だ。
道端の「焼肉店」で遅い昼食で腹ごしらえ。
大津から湖西ルートを今津へ
大津からは琵琶湖を右に見ながらR161・湖西ルートを北上、おおむね平坦な道を快走する。
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今津までは54km、楽勝気分で湖岸のあちこちで道草を食ったのが大誤算。今津の手前で陽はとっぷりと暮れてしまった。(今津では「船宿」でも、、)とのんきに構え、宿を決めていなかったのが急に心配になる。
ライト点灯で走っているうち、いつの間にか今津を抜けてしまった。街を迂回するバイパスだったのだ。
あわてて逆戻り、湖岸の旧街道沿いで「宿探し」。何軒かあたってみるが「満員お断り(どうやら『一見さんはダメ』の雰囲気)」だ。
時刻はもう7時を回っている。テント・寝袋は、次の出発地・日光へ先送りしてしまったことを悔やむことしきり。
あやうく宿無しに、、
これが最後と思われる宿屋(丸よし)で、(ダメかな?)と期待半分で宿を頼むと、「どうぞ」とおかみさんの優しげな声が返ってきた。
広い玄関土間へ「自転車も中へ入れなさい」の気遣いもうれしい。
「あやうく宿無しになるところを助かりました」と、ホンネのあいさつ。「ウチは部屋があればいつでもお泊めしてます。間に合わせでよければ夕食もどうぞ」とうれしい答えが返ってきた。>
風呂上り、茶の間兼用の部屋でおかみさんの給仕を受け夕食。
部屋には、おかみさんの趣味というたくさんの水墨画がかけられている。
古くからの「街道宿」とのことで、おかみさんが「昔は雪が多く旅人が難儀したこと。バイパス開通前は凍結でスリップしたトラックにぶつけられ、店先を壊されたこと一再ならずとか、交通の便がよくなりお客は旅人から釣人に様変わりした、、」など、興味深いお話を聞かせてくれた。
増改築を経ているようだが、黒光りする柱や階段、桁材などが「年代」を感じさせている。
ともあれ「宿無し」にならずによかったと、ほっとして眠りについた。