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ヨーロッパにおける自然科学の発達に大きく寄与しているのは以下だと思います。①ルネッサンス以降、復興したアリストテレス哲学をローマ教会が異端であるとしたこと。 アリストテレスは自然を知性で捉えたが、それは数学を用いた詩的=美しさのみを追求したものであった。宇宙論についてもなんら観測・実験結果に基づいていなかった。②ガリレオが宗教裁判で異端宣告を受けた。 ガリレオ・ガリレイ、調子こいて宗教裁判→7/6ブログ ガリレオは地動説について十分な実証を揃え(現在なら十分なエビデンスとなりうるのですが)ぬうちに、ローマ教会に乗り込み反論しようとした挙句、宗教裁判で有罪となります。以降、科学者たちは19世紀に至るまで、聖書に反する研究結果の発表は命がけなんです。そこで、徹底的な実証結果を用意するようになります。例えば、ダーウイン。「種の起源」を発表するために、とてもたくさんの証拠を用意します。それでも、出版時にはイギリスで大騒ぎになりました。また、ハクスリー(ダーウインの理論的擁護者)は教会の中で科学と宗教の分離を慎重に進めて行きます。この辺りの話はこちらでID=インテリジェントデサインと米国→2017/11/13ブログ自然科学の発達にはネガティブ・プレッシャーでしたが、研究結果の徹底的な精査と十分な証拠を提出する必要はここで醸成されたものと思います。
2018.07.07
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<はじめに、参考図書>S.ワインバーグ「科学の発見」文藝春秋田中一郎「ガリレオ裁判−400年後の真実」岩波新書を読んで直感的に書いたものです。誤読や当時の雰囲気を捉え損ねているかもしれません。あくまで私の理解です。ガリレオは、観察ばかりでなく、コントロールされた実験で仮説を検証することを始めた、ヨーロッパ科学革命の始祖です。しかし、ローマ教会との関係で「調子こいて」しくじった。ちょっと残念な科学者です。問題になった彼の著作「天文対話」とその前後のガリレオと教会の関係をまとめてみる。<コペルニクス説に傾倒する>ガリレオは1564ピサ生まれ、ピサ大学医学生、アリストテレス信奉者で、数学に興味を持ち、その後、ピサ大学数学教授になった。物体の落下の研究で「アリストテレス」とは逆に重い物体の速度は感知できるほどにはその重さに左右されない」ことを発表。1591年ベネチア共和国パドヴァ大学教授。1597年、ケプラー「宇宙の記述の神秘」受取り手紙で「私もコペルニクス派」とケプラーに伝える。パドヴァ大でも、アリストテレス哲学が主流だったが、アリストテレス派と対立し、議論でガリレオは「計測については、天空の計測だろうがとうもろこしがゆの計測だろうが、数学者を信頼するしかないのだ」と言っている。<16Cの宇宙観>16Cには4つの宇宙観が並存してた。①約2千年前のアリストテレスの宇宙。これは、観測値との誤差が大きかったのですが、大学にはアリストテレス派がまだまだ多かった。②プトレマイオスの宇宙。地動説だが、「周転円」や「エカント」の導入で観測値にだいぶ近い。③ティコ・ブラーエの宇宙。地動説と天動説の折衷。地球の周りを月と惑星を従えた太陽が回る。ティコの精密な観測結果に合うモデルで、コペルニクスの地動説よりもいい予測ができた。ガリレオは「天文対話」で知りながらも書いていない。反駁できないからだろうか?④コペルニクスの宇宙。ガリレオが支持、傾倒した天動説。観測値とはかなりズレがあった(ケプラーの登場を待つしかない)。コペルニクス説は教会にとって、惑星の見かけ上の動きを計算するための純粋に数学的手段として容認可能であった。<星界の報告>ガリレオは望遠鏡を作って月や惑星を観測している。それを「星界の報告」にまとめた。内容は地動説=コペルニクスモデルを証拠づけるものであった。しかし彼は、ここではコペルニクス支持をあからさまにしていない。この姿勢のまま、証拠をつみあがていけばガリレオの異端宣告はなかったように思う。異端審問官ベルラミーノ枢機卿(イエズス会、彼によってコペルニクス支持のジョルダーノ・ブルーノは火刑にされた)は浮力についてのガリレオとアリストテレス派の議論では、ガリレオを支持している。このように、ガリレオは異端審問官にかなり大目に見てもらっていたようだ。<調子こいた「天文対話」>ローマ教皇はコペルニクス説を神学者の審議にはかって「哲学的に見て馬鹿げており多くの点で聖書の明確な立場を否定しているため公式に異端である」1615ガリレオはよせばいいの友人達が止めるのも聞かず、反論のためローマに出かけて行き、結果、異端審問所、非公開の命令書を受けることになる。1.コペルニクス説を信じること、擁護することを禁ずる2.いかなる方法によってもコペルニクス説を信じること、擁護すること、教えることを禁じる(署名なし)一方で、ガリレオ崇拝者のバルベリーニが新教皇となるとガリレオは6回謁見、潮汐理論を披露(地球の自転公転を前提)したが、1616の命令書は黙っていた。それで数学的仮説としてなら潮汐理論の発表の許可をもらった。これが「天文対話」となる。そこでは、潮汐問題より地動説の言説が多く、中にはローマ教皇をからかったとも受け取れる記述もあった。<異端裁判1633>ガリレオは異端裁判にかけられる。罪状は「異端審問所の命令書1616違反」である。「天文対話」は3人の対話。サルヴィアティ(ガリレオ)とシンプリオ(アリストテレス派の哲学者)、サグレド(審判役)である。シンプリオではローマ教皇の言葉がいくつか使われている。シンプリオは完全論破されるが、教皇は怒るわなー。<終身刑でよかったね>異端濃厚により終身刑を受け、ガリレオは「地動説撤回」「虚栄心にかられて言い過ぎた」と反省の言葉を残している(心中は別でしょうが)。シエナ大司教預かりで自分の別荘で軟禁され、物体の研究を続けることができた。1642死去。というわけで、ジョルダーノ・ブルーノのように火刑にならず、軟禁で済んだのは、教会としても彼の知性を大切に思っていたのであろう(私はローマ教会を擁護するつもりはないけど)。今にして思うと、もうちょっと、慎重であったなら彼の業績はさらに増したであろうに。科学の発見 [ スティーヴン・ワインバーグ ]価格:2106円(税込、送料無料) (2018/7/6時点)斬新な切り口でヨーロッパのが科学史をまとめている。時間がかかったが面白い(ベンゼン屋)新赤版 ガリレオ裁判 1569 / -岩波書店 / [ 新書 ] シリーズ-岩波新書価格:842円(税込、送料別) (2018/7/6時点)資料としては良いが、面白さにかける(ベンゼン屋)
2018.07.06
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文藝春秋刊「科学の発見」S.ワインバーグを読む①斬新な科学史 ↑2018/3/12ブログ文藝春秋刊「科学の発見」S.ワインバーグを読む②科学は実験が必要 ↑2018/3/22ブログ と書いてきましたが、西欧科学の始まりギリシャ哲学から2000年以上後、16・17世紀の科学革命の前までをまとめます。プラトンやアリストテレスの「自然哲学」は科学ではありません。3/22「科学は実験が必要」でも書きましたが、仮設→人工的に計画された実験→仮設→実験→の繰り返しが近代科学の手法です。16・17世紀にガリレオによってこの形が出来上がるのですが、それまで紀元前4Cごろギリシャの自然哲学者は「美しさを優先した詩人である」S.ワインバーグ(以下S.W.)。すなわち、実験観察で実験を正当化しないまま、理性だけの力で真実に到達しようとしたのです。たとえば、「物体の落下はコスモスの中心に物質は集まる」アリストテレスなど、原理ではなく目的を考えていたのです。天文学や光学、数学など観察結果と一致する精密な数学的、自然主義的理論で、かっきり値がそろうものはこの時発達し、後のエジプト、アレキサンドリアで実用上も完成を見るのです。この後、A.D.4Cローマ帝国でキリスト教が国教になると「異教徒の科学は、キリスト教徒が取り組むべき霊的な問題から人の心をそらすものだ」と言われ、優秀な知的若者は科学より教会での立身出世を求めるようになってしまい、以降17Cまで、ヨーロッパの科学は停滞するのです。ギリシャの哲学者とその記述物は西のアラビアへと流れて保存され発展します。A.D.7Cごろイスラム帝国は西はエジプト・スペイン・モロッコ、東はペルシャ・中央アジアまで版図を広げます。多くの古ギリシャの文献はアラビア語に翻訳されて残ります。この時期にインドから0やインド数字、10進法、60進法、ローマ数字がアラブに集まります。化学や光学の発達も顕著でした。また、イスラム教のための歴や方位(特にメッカの方向など)をつくるために天文学も発達します。しかし、アラブでは11C には「科学は民衆を惑わす」として敵視され、科学者は宗教に対する恐怖と不安を持つようになります。イスラム教では酒は禁止されていますが、「科学は酒と同じ、一時的な活力をもたらすが、やがて酩酊してしまう」と敵視しました。ローマ帝国のキリスト教、イスラム帝国のイスラム教ともに根は同じなのですが、一神教です。結局、敵視するようになるのはそのせいなのでしょうか。一方、ギリシャ時代は多神教。このあたりが自然科学に対する寛容さがあらわてているのかなぁ。
2018.03.25
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文藝春秋刊「科学の発見」S.ワインバーグを読む①斬新な科学史←2018/3/12ブログで読み始めた、「科学の発見」S.ワインバーグです。全体像と宗教についてはあとでまとめます。科学の発見 [ スティーヴン・ワインバーグ ]価格:2106円(税込、送料無料) (2018/3/22時点)今日は、17Cガリレオ『新科学対話』から始まる科学革命の箇所です。人は常に「実験」を意識的・無意識的に繰り返してきました。ケーキを作る、人との関係を構築する、試行錯誤して経験を積み、実用に生かすのは実験に他なりません。しかし、科学では「自然に関する普遍的理論を発見、検証する」ために行われるとワインバーグは書いています。科学において、ワインバーグは「実験の始まり」の時期をガリレオの1645年『新科学対話』であり、「現代実験物理学の真の始まりとなった」と述べています。ガリレオのたくさんの実験のうち、落体の運動に関する定量的研究が特に重要でした。自由落下を精密に計測するために、斜面を使って距離と時間を測定するあの有名な実験です。(This work is in the public domain in its country of origin and other countries and areas where the copyright term is the author's life plus 70 years or less.)ガリレオは「自由落下する物体の速度は、時間に比例する」さらに「落下した距離は経過時間の2乗に比例する」ことを斜面の実験で説明しました。当時は「自由落下する物体の速度は、その時間内に落下した距離に比例する」説が広く信じられていました(結果は間違いないのですが、理論としては違う)。この他、『新科学対話』には投射体の軌道についての実験が書かれており、投射体が放物線を描く論拠を述べています。様々な速度で打ち出す水平投射の実験装置を作り、「水平移動距離は経過時間にほぼ比例」し、「垂直移動距離は経過時間の2乗に比例する」ガリレオは初めて「人工的に設定された」実験を行った(過去にもいろいろ実験があるけれども)とワインバーグは書いています。素晴らしい研究は、卓抜した仮説とそれを証明する優れた実験からなると私は考えています。観察・観測→仮説→実験→仮説→実験…の繰り返しが科学研究の方法だと思います。ガリレオの『新科学対話』は科学の方法が出来上がるマイルストーンです。
2018.03.22
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英、ケンブリッジ大学の教授スティーブン・ホーキング博士が亡くなりました。いまは素粒子となって地球を離れていることでしょう。20代に入り筋萎縮性側索硬化症ALSを発病。ずーっと車いすと音声合成装置で活動を続け、3/14未明に76歳で亡くなりました。ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで ハヤカワ文庫 / スティーヴン・ウィリアム・ホーキング 【文庫】1988年にハードカバー刊行、今は文庫になってます。もう、20年以上前にこの本を読みました。なんだか難しいなぁという印象しかなかった。今読むとずいぶん違って読めるかなと思っています。ところで、「見当識」って言葉ありますよね。時間・場所・周囲の人・状況について正しく認識する機能です。ひどく頭を打った時に「ここはどこ?」「いまはいつ?」「あなたはだれ?」と聞かれるのは見当識の確認です。同じ問いは自然科学の目的でもあります。人間の精神機能の発露が自然科学だなと思います。ホーキングのこの本はまさに「ここはどこ?」「いまはいつ?」「あなたはだれ?」
2018.03.14
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神の存在の介入を許さない、自然主義的・実証主義的な現代科学の方法を発見するまでの歴史を綴った本書TO EXPLAIN THE WORLD The Discovery of Modern Science邦題「科学の発見」を読んでいます。科学の発見 [ スティーヴン・ワインバーグ ]価格:2106円(税込、送料無料) (2018/3/12時点)表紙はフェルメール、ジャケ買いしそうなほど好きな画家です訳者は赤根陽子著者のスティーブン・ワインバーグは1933年生まれのアメリカ理論物理学者。電磁力と弱い力を統合し「ワインバーグ=サラム理論」を完成。1979年にノーベル物理学賞を受賞した方です。著者は科学史を書いた本書を「不遜な歴史書」という。現代の基準で過去の哲学・科学者をさばいているからで、歴史学の研究では禁じ手とされるからです。それゆえ、本書は大きな論争を呼び起こしています。しかし、どの科学者・哲学者が現代科学の方法を形作る礎になったのか、何が阻害したのかを明らかにしてくれます。本書の大項目を目次から拾うとはじめに 本書は不遜な歴史書だ第一部 古代ギリシャの物理学第二部 古代ギリシャの天文学第三部 中世第四部 科学革命テクニカルノート古代ギリシャからローマ、ペルシャと時代が移り変わる中で登場する幾多の哲学者・科学者を評価していきます。「アリストテレスは愚か者か?」という章もあります。(不遜ですねぇ)私のテーマの一つ「宗教と科学」について知りたくて読み始めました。現代科学の手法を完成を阻害したものに宗教があります。ルネッサンス以前では、ローマ時代のキリスト教、アラブ(ペルシャ)時代のイスラム教です。私は、科学万能主義ではありませんが、「キリスト者の科学者」ルネッサンス以降、現代まで存在する素晴らしい科学者の脳内の宗教と科学の共存に興味があるのです。この本をゆっくり読んで、少しずつ紹介していきます。ご興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
2018.03.12
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インテリジェントデザイン(以降ID)は「宇宙・自然界に起こっていることは自然科学だけでは説明できず、ある構想・意図・意思・目的を持った何者か(神?提唱団体は「神」を出さない)の働きによるものであることを科学として認めよう」という理論・運動です。1990年代にアメリカの反進化論団体や一部の科学者が提唱し始めました。「えー!あの科学技術が発展した米国で?」と思われるでしょうが、1987年最高裁判所:公立校における「創造論(IDの前身)」授業は違憲判決 このあと、教育委員会へ委員としてID論者の浸透が始まる1991年ギャロップ調査:47%(大卒では25%)「神がこの1万年のある時点で人間をほぼ現在の形に作った」と信じている。2004年CBS調査:55%の米国人が神が人を創造したと考えている。2005年ジョージブッシュ大統領発言:「インテリジェントデザイン(以下ID)を学校で教えられることは良いことだ」2005年ペンシルベニア州ドーバー学区:IDを生物の授業に取り入れることに反対の保護者による裁判2009年ギャラップ社調査:「進化論」を信じる人39%、全く信じない人25%イギリスでは1831年から36年のビーグル号航海で得られた知見とアイデアを1959年「種の起源」として自然選択説を発表したのですが、20年以上慎重に理論武装と証拠を積み重ねて出版したのにも関わらず、大騒ぎになりました。この辺りの経緯は面白いので後ほど取り上げようと思っています。「種の起源」発表後新聞に載ったダーウインの風刺画イギリスの自然科学と宗教の分離はハクスリー(ダーウインの番犬で有名)の教育活動を契機に起こり、それ以降、多くの議論がなされ自然科学と宗教は切り離されたのですが、アメリカはイギリスからの移民の国で、その議論はしないまま現在に至ってます。「ハクスリーの教会とマックスウェルの悪魔」M.スタンレー著(邦訳は未出版)はこの辺りの経緯を書いた本ですが、スタンレーはアメリカ公教育がID化することを恐れ、本当に最後の最後、最終章でID批判を恐る恐るしています(それが本書のねらい)。「利己的遺伝子」R.ドーキンスはイギリス人ですから、「神なんかいるわけねーだろが!」風な無神論的なことを書いても、何とか社会的な圧力も強く受けずに受け入れてもらってます。(ドーキンスをめぐる議論・批判は根強いです)米国中西部はいまだにID論者(キリスト教ファンダメンタリスト)が多くて、スタンレーも慎重です。このIDについては、米国は一神教がベースの国ですから、ちょい怖い。日本は伝統的に八百万の神。色々な神を受け入れてきた国ですから、「進化論」なんてとてもすんなり入ってきますよね。
2017.11.13
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2年ほど前から「科学と宗教(キリスト教)」というテーマで、小さな研究会に参加しています。キリスト教会から東京教区主事補S氏、化学者R大Y先生、化学者J医大Y先生と私の4人が中心になっている研究会です。他に参加者が数名加わることもあります。昨日の土曜日で12回目でした。科学は世界の理解にエビデンスを求めます。実験など再現可能なものの提出が求められます。哲学や宗教は世界の理解に「真・善・美・倫理」などの視点を持ち込みます。哲学はそれを考え続けますが、宗教は思考の最後に神が登場します。S氏とお二人の化学者はなかなか信心深いキリスト教信者です。この3人と無神論者の私がそれぞれの主張をレポートして議論するのですが、「科学と宗教ははじめっから立ち位置が違うので議論しようもない」と思われるでしょ?でも、次のことから私(無神論)には興味深くワクワクして参加しています。私のこの研究会でのテーマは次の2点です。①ニュートン、マックスウェル、ダーウイン…名だたる科学者はキリスト教と深い関わりのある信徒だった。これらの近代科学を革命的に進めた、科学者の宗教観は科学的な発想にどう影響を与えたのか?②キリスト教徒の参加者(化学者)の頭脳の中でどう科学と宗教は共存しているか?はじめに示した図はこの話を始めるに当たって、人間がこの世界を観るための思考の道具「科学・哲学・宗教」の関係を掲げました。めんどくさそうな話です。しかし、授業には科学史、特に、世界の見方の変化と科学の手法の確立を意識しておく必要があります。時々このテーマ「化学・哲学・宗教」をアップします。時々、お付き合いください。
2017.11.12
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