全35件 (35件中 1-35件目)
1
2007年10月16日(火)アレキサンドリアの海岸沿いにある、超高級、ソフィテル・セシル・ホテルの最上階に、これまた高級な、中華料理屋があります。そこで、ラーメン食べた事は、既報済みです。ラーメン食べて、あれー? こんな高級ホテルでも、エレベーターは、見通しの良い奴だなー! と思って見ていました。吊り上げられた箱と、そのワイヤのようなのも見えます。ちょっと高級そうにしてありますが、安宿のエレベーターと同じです。で、エレベーターの話でなく、そのエレベーターの隣を、ふと見ると、「マッサージ」、と言う文字が目に入りました。マッサージ大好き人間は、この文字を見ると、金銭感覚を失います。フラフラっと入ってしまいました。金髪のクレオパトラの子孫かと思われる、美しい女性が、説明してくれます。僕は、クラシックマッサージ、40分、80£Eにしようと思って入っていったのでした。すると金髪娘、「なーに、言ってんの!だ~めよ、1時間でなけりゃー!」とか、諸々、説明して来ます。別に時間はあるので、1時間でも良いのですが、マッサージの内容が悪いと、ガックリするので、普通のにしようと思っていたのであります。結果、強引な説明と、勧誘に負けて、1時間、120£Eにしました。すると、金髪娘は引っ込み、身長180cm近くはあろうかと言う、大女さんがやって来ました。お尻の回りは、僕のか細い腰周りの、2倍以上は、間違いなくあろうかと推測されます。なんじゃー! 金髪娘が揉んでくれるんじゃーないのか?ちと、騙された気もしましたが、これは、エジプトで騙され続けた、ふっかけ価格とは、問題の本質が異なります。マッサージは、大型女性の方が良いのです。目的が純正マッサージですから。「オイルは、何にする?」 と聞いて来ました。「えー! オイルマッサージかよ!」僕は、オイルマッサージは、あまり好きでありません。インドネシアでも、タイでもオイルを使う奴は、スケベー方面に移行するのが多いからです。「クラシックマッサージは? オイル使わないでしょ?」、と聞けば、「使う。」、との答え。どうも、正統エジプトマッサージは、オイルマッサージの模様。止む無く、それにしました。スケベー方面に移行しないよう祈って。オイルは、自分で選べます。オレンジとか、花とか、何種類かありました。僕は、香りの良い花のオイルにしましたです。個室に入ると、大女がバスタオル持って来て、全部脱いで、バスタオルで下半身をくるめ! と指示がありました。「おいおい、スケベー方面かよ! 困ったな・・・」、と思いましたが、「ちゃんとしたマッサージして下さいませよ・・・」、と祈るような気持ちで、下着まで脱ぎ捨てました。犯されないように、きっちりバスタオルを腰に巻き付け、片端をしっかり、内側へ押し込みました。そして、中国マッサージのような台にうつ伏せになり、「準備OKですよ!」、と声を掛けると、大女が堂々とやって来ました。そして、きっちり巻き付けたバスタオルを解いて行くではないですか!「な、何するんじゃー!」と叫びそうになり、うつ伏せの頭を持ち上げて、彼女を見ましたが、別に動揺するような素振りもなく、完全にバスタオルを抜き取ると、上から、被せました。「おー、ビックリした。そんなら、そうと始めから言えよ! 驚かすな。」その後は、オイルを塗って、足からふくら脛、太もも、尻、背中、肩と、くまなく、キチンと揉んでくれました。いやらしいスケベーマッサージではありません。始める前に、弱くか? 強くか? と聞かれたので、強く揉んで欲しい、と頼んでおきました。しかし、かなり緩めのマッサージです。オイルマッサージだから、こんなものなんでしょうか?僕は、強めの全盲按摩が好きな位なので、ちょっと物足りません。しかしながら、トルコのハマムのマッサージに比べれば、絶対にエジプトのKO勝ちです。トルコは、それほどサイテーでしたから。仰向けで、揉む時は、タオルを微妙に動かして、あそこは見えないよう、そして触れないよう、オイルを塗ってマッサージするので、安心でした。完了後、オイルが気持ち悪いので、「シャワーは?」 と聞けば、もう50£E支払えば、ここで、オイルを落としてあげる、とか言われましたが、怪しい雰囲気になるのは、ご免被りたいので、シャワー室へ案内して貰いました。エジプトマッサージなるものが、あることさえ知りませんでした。が、1時間、大よそ2500円。中国やタイの、600円とか、800円に比べれば値段は高いですが、そこは、超高級ホテルのマッサージと、街角の按摩屋さんとは異なります。ですから、値段は、まぁ、まぁ、よろしいでしょう。で、マッサージ自体。可もなく不可もなく、と言ったところでしょうか?僕自身は、オイルマッサージは、好きでないので、高い点数はあげられませんが、好きな人にとっては、悪くはないと思います。それなりに、満足で出来ます。このマッサージの翌日、カイロへ戻り、そして、その翌日、サウジへ戻りました。たった16日間の一人旅でしたが、色々とありました。前半から、嫌な想いの方が、多くて、エジプトは、ほんと民度も低く、嫌な国だわい! と印象が強いです。しかし、こう言う気持ちって、後になると、変る事もあるので、後々、どんな風に、エジプトのイメージが変るのか、自分でも楽しみです。それでは、エジプト紀行、おしまいです!
2007.12.10
コメント(10)
2007年10月16日(火)すんごく、驚きました。「な、なんじゃー! なんなんじゃー!」、と絶叫しそうでした。何がって? いや、その世界遺産の アブ・ミーナーです。とにかく、今まで見た、世界遺産と、様相がかなりと言うか、全く異なりました。それでは、順を追って説明して行きましょう。世界遺産だと言うし、アレキサンドリアから、1時間半で行けると言うし、行って見ようと思い立ちました。ほんとは、地中海沿岸を通って、リビアに最も近い所まで行きたいと思ったのですが、日帰りでは、無理なので諦めました。で、どう行ったら良いのか?世界遺産だから、ツアーのようなものがあるだろうと、探して見ましたがありません。街の観光案内所に行って聞いて見たら、 1.まず、10分位、歩いて、セルビスに乗り場に行きなさい。 2.セルビス乗り場で、長距離バス停行きのセルビスに乗りなさい。 3.長距離バス停から、アブ・ミーナー行きの、セルビスに乗りなさい。このような行き方です。えー! 世界遺産へ行くのに、便利な行き方がないのー?珍しいなー! と思ったものです。セルビスとは、女性に名前ではありません。十数人乗りの超小型バスです。乗り場に、行っても、どれに乗って良いか分からず、もう得意の聞きまくりです。行き先の名前を連呼です。ようやく、何とか、長距離バス停行きのセルビスに乗りました。長距離バス停へ行って、アブ・ミーナー行きはどこだ? と聞いても知っている人がいません。世界遺産なのに、おかしいなー、と思いつつ、手当たり次第、聞いて見ましたが、やはり誰も知りません。で、本を見せて、「ここだよ、ここ!」、と見せてやると、「アブ・ミーナー修道院」を指差し、ここならセルビスは行くよ、とようやく分かって貰えたのであります。世界遺産、アブ・ミーナー聖メナス市遺跡は、誰も知らず、修道院の方が知られているのです。そんな世界遺産ってあるでしょうか? 驚きました。セルビス乗り場と行っても、相当広いので、探すのが大変です。これは、セルビス乗り場の一部の写真です。こんなのが、何十列もあるのです。セルビスの中は、こんな状態です。時間は決まっていません。乗客が満員になれば、いつでも出発します。お金はどうやって支払いかと言うと、乗客から乗客へ手渡しし、運転手へ渡します。運転手は運転しながら、お釣りを、又、手渡しで返して来ます。乗り方や、行き先が、分かれば、便利なのかも知りません。セルビスに乗ること、1時間。見えて来ました。これが、アブ・ミーナー修道院です。りっぱです。中へ入って見ました。奥の方に、大聖堂がありました。二つの塔の高さ45m、3000人を収容出来るとのことです。ここもりっぱで、見るに値するものはあります。しかし、ここを見に来たのではありません。世界遺産を見に来たのです。アブ・ミーナーは、この修道院の近くにあると、「歩き方」には書いてあります。しかし、それらしき物は、見当たりません。又々、門番さんなどに聞いて、修道院の中庭の壁に沿って西方面へ。又しても、門がありました。ここでも門番さんに聞いて、確認しました。この門を出れば、世界遺産があるらしいことは、分かりました。門を出て見ると、「ん? んんん?」、な~んにもありません。何にもないけど、道路らしきところを歩いて行きました。そしたら、看板がありました。間違いなく、世界遺産です。しかし、誰もいません。誰もいない工事中のような道を歩いて行きました。やはり、それらしき物は見当たりません。観光客らしき人も誰もいません。「おっかしいなー! ほんとにここか?」、と疑わしくなって来ましたが、門番にも確認したし、看板もあったし、間違いなはずなんです。こんな所なんですよ。何にもありませんよねー!ただ、足跡が結構あるのです。人が沢山通った跡ですから、こっちに行って見ようと、歩いて行きました。やはり何にもありません。引き返そうかとも、思いましたが、ここまで来て見ないで帰るのも癪なので、さらに歩きました。そしたら、遺跡らしきものが・・・「おー! あったぞ!」、感動ですねー!そして、さらに歩いて行きました。ありました、間違いなく遺跡です。柱の基礎があります。さらに、遺跡らしいところが出て来ました。小高い丘があったので、登って見ました。一番遺跡が残っていそうな方向がここです。これが看板にあった場所見たいです。ここの方向以外は、瓦礫の山って言って良いほど、保管状況は悪いです。良くも、こんな状態のものを、世界遺産にしたものだと呆れました。しかし、世界遺産と言えば、ガイドや、物売りや、その他、寄ってたかって、それらで、儲けて食って行こうとする輩が多い中、ここのように、どうやって行けば良いのかさえ、良く分からず、誰もいない世界遺産、それも良いなー、と思えて来ました。そしたら、やたらと、このひっそりとした、世界遺産が、ええじゃないか!と思えるようになったのであります。ガイドブックを、良く読んでみると、ここは、コブト教時代、最大の巡礼地であったそうで、中東はおろか、フランスや、スペインからも、巡礼者が訪れたそうです。現物を見ただけでは、廃墟のようで、分かりませんが、教会跡や、洗礼用に使われた井戸、巡礼者用の宿泊所、浴場、それから、ワイン工場などもあったとのことです。このような、世界遺産、初めてでした!
2007.12.09
コメント(4)
2007年10月16日(火)エジプトに来てから、大したものは食べていません。ラマダン中のせいもあり、ツアーなど、昼食の時間が入ってないので食べられないとか、若しくはて、バスで移動なので、シュワルマのようなファーストフード系のものや、ビスケットなどを腹の足しにしたりしていました。又、ハルガダでは、下痢にもなったので、少し痩せたと思います。ベルトの穴が、足りなくなりそうです。ハルガダのにっくきホテルのオーナー、ハッサンと買出しにいった市場。この肉を買いました。尻尾もついてます。そして、野菜なども、ここで買いました。そして、それらの材料で、この料理を作ってくれました。野菜も、ハッサンが料理しました。市場で買って来たのを、その日に調理したものなのです。これで、何故、お腹がおかしくなってしまうのでしょうか? 未だに分かりません。シュワルマ。これには、ずいぶん世話になりました。手軽で、早いし、うまいし、とっても便利です。安くておいしいエジプト名物と言う、コシャリも食べて見ました。トマト味ですね。麺類が食べたくなるので、スパゲッティも食べました。日本風カレーも食べました。高級中華ラーメンも食べました。
2007.12.08
コメント(10)
2007年10月15日(月)アレキサンドリアでは、絶対に地中海の見える、ホテルの部屋に泊まろうと決めておりました。海沿いの小路を歩いていたら、安宿の客引きが、声を掛けて来ました。調度、部屋を見ようと思っていた、ノルマンディと言うホテルです。客引きなど必要ないので、「いらん! いらん!」と言っても付いて来ます。部屋からは、アレキサンドリアの街と、地中海が丸見えです。35E£(700円)だし、ここに決めました。客引きより、2泊分前払いと言われました。しかし、何か気に入らない事があっても、別の宿に移れないので、「それじゃー止める」、と言ったら、ホテルの従業員が、1泊で良いと言うので、泊まることになったのです。多分、客引きは、支払い応じて、取り分があるのでしょう。部屋に入り、ゆったりして、反対側を見ると、やはり地中海丸見えです。もう、夕暮れです。朝、起きて、気持ちよい風が吹くので、ベランダへ出て見ました。隣を見て、ビックリ!お隣さんの、ベランダが、すぐそばです!このノルマンディ・ホテル、部屋も、まぁまぁなのです。しかし、シャワーが共同だし、お湯の出も悪いので、翌日は、ホテルを変えることにしました。ユニオンと言う、すぐ近くのホテルです。60E£(1200円)で、お値段は若干、お高くなります。部屋です。ベッドもきれいです。バス・トイレ付きです。地中海に面していませんが、ベランダに出れば、見えます。海風が吹くので、カイロに比べると、ずっと涼しく、過ごし易かったです。
2007.12.04
コメント(4)
2007年10月15日(月)駅から降りて、アレキサンドリアの街を散策して見ようと歩いて見ました。因みに、アレキサンドリアは、カイロに次ぐ、エジプト第2の都市であります。紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設された由。この時代を、プトレマイオス朝と言うようですが、その最後の女王が、かのクレオパトラなのです。クレオパトラさん、頑張ったけど、ローマに征服されてしまって、自殺したんでしたよね? この街は、7世紀にアラブの侵入を受けたのです。その後、首都がカイロに移されてからさびれた港町だったそうですが、19世紀になって、西欧化の波が押し寄せ、再び発展したそうな。で、エジプトの他の街と、若干異なる雰囲気を持っています。これは、マスル駅のすぐ近くにある、ローマ円形劇場です。海岸の方へ歩いて行くと、大変な人々です。家族連れ、カップル、若い女性同士、餓鬼ども、などなど、すごい人の波。エジプト中の人が、街に溢れ出て来た感じです。若い女性達も、皆さん笑顔で、挨拶します。アジア人が少ないから珍しいのでしょうか? 「写真撮って!」、などと言う娘もいました。餓鬼どもは、全く五月蝿くてかないません。集団で来て、挨拶を通りすぎてからかって行きます。バックパックのチャックを開けようとしたり、悪戯が過ぎます。よって、早々に、ホテルにチェックインしました。そして、夜、身軽になって、再び見学に出ました。無名戦士の碑です。海岸沿いにあります。こんな人だかりです。(良く分からないでしょうが)何故、こんな多くの人が? と思ったら、ラマダン明けなのでした。断食明けのお祭り、イールド・フィトルとか言う最終日だそうです。道理で、皆さん、はしゃいでいたはずです。しかし、花火も、飾りも、国旗の掲載も何にもないので、分からなかったのです。翌日の夜の人出は、ぐっと少なくなりました。
2007.12.03
コメント(5)
2007年10月15日(月)予定では、砂漠ツアーにて、「エジプト16日間一人旅」は完了の予定でした。しかし、ルクソールでは、2泊3日のフルーカの旅を諦め、ハルガダからカイロでは、1泊の予定だったが、西方砂漠へ直行したりしたので、日程に余裕が出ました。それで、クレオパトラがいた街、アレキサンドリアへ行く事にしました。列車の旅です。お金持ちに相応しく、大枚37£Eを支払って、ファーストクラスのチケットを購入です。(と言っても、たったの750円程度ですが・・・。)ここが、カイロの鉄道駅である、ラムセス駅です。そして、お見せしましょう。ファーストクラスの座席です。さすがに、ゆったりしていて、座席で、胡坐かくことも出来ます。2列、通路、1列の、横には座席が3席のみ。ゆったりと出来るはずです。僕は、こちら側の、1列の席。ええでんなー! ゆったり出来て。一応、優越感を味わう為に、庶民の席、2等席を見に行って来ました。こんな座席であります。結構、違いますでしょう? ファーストクラスと庶民の席?因みに、しつっこいようですが、わたくしは、ファーストクラスです!オホン! エヘン! ウッフン! オッホン!(ふんぞり返ったところです)この座席の写真を撮っていたら、座席がなく、通路に屯していた家族が写真を撮ってくれ、と大騒ぎ。撮ってどうするでもないのですが・・・。ムスリムは写真撮られるのを嫌がるはずなんですが、ここでは違います。写真撮ったら「サンキュー!」、とか、言われました。 約2時間と、45分。アレキサンドリアの終点、マスル駅に着きました。仲々、シャレた駅です。追加の写真えっと、似ていると言うご意見のありました、イスタンブールのスィルケジ駅です。う~ん、似てるって言えば、似てますねー!
2007.12.02
コメント(10)
さてさて、エジプト話に戻りましょう。モタモタしておりますと、もうじき、イエメンへの旅が、始まってしまいます。エジプトの旅も、もう1ヶ月半前の話になってしまいました。=============================2007年10月14日(日)バフレイヤ・オアシスの中心の町、バウィーティに戻る途中、クリスタル・マウンテンへ寄りました。アスファルト道路のすぐ脇にあります。山全体が、クリスタルの結晶で出来ているのです。分かりますでしょうか? もう少し、拡大可能な場所を撮って見ました。さらに拡大して見ましょう。アメリカ女性、ここで、おしっこしていました。いえいえ、見た訳ではありません。彼氏のエジプト人が、すまんがちょっと待ってくれ、と行くのを遮っていたのです。クリスタルじゃー、浸透しないじゃん! 砂漠ですればー? と思いました。そして、アメリカ人女性のおしっこと、クリスタルに、クリト○スって言葉を思い浮かべてしまいました。貧弱な発想だねー! スケベーだねー。おおー、恥ずかし。それはさておき、え? さておかんで良い? 続けろ? ですって?ダンメ。品位が汚れます。スケベー話は終了。さてさて、さらに車は、走り、オアシスの辺りで、いきなり右折しました。「おいおい、もう薪は要らんぜ!」、と思っていました。何の説明もないので、どこへ行くのか、分かりません。そしたら、ここです。砂漠の中の鉱泉です。水量が豊富ですねー!温度はぬるま湯にも満たない低さですが、温泉の匂いがします。アメリカ人も、エジプト人も入ると言います。アメリカ人の彼女、大胆ですねー! すぐさま、すっぽんぽんになって、ここに飛び込みました。青空に、白い身体。似合います。しかし、あそこも金髪なんですねー! 驚きました。しかも泳いでいます。僕も面倒ですが、海パンに穿き替えて、鉱泉に入りました。もう少し、温度が高ければ最高なんですが、温水プールのような感じです。でも、匂いが結構きつく、温泉気分ではあります。注:アメリカ人の彼女、云々の3行は嘘です。事実ではありません。 すいません、想像しました。アメリカ人もそれほど、大胆ではありません。 キチンと水着着用です。着替えは、彼氏がバスタオルで見えないように してあげて、着替えてました。暫く、水量豊富な、鉱泉を楽しんだ後、バウィーティに向いました。ホテルで、遅い朝食、と言うより、ブランチを食べて、バス乗り場へ。予定より、1時間も遅れてバスがやって来ました。1時間と言う遅れは、長いと言うより、いい加減ですが、ここがエジプトです。カイロまでの道は、全くの砂漠。何にもありません。こんな砂漠の中の、アスファルト道路を、5時間と40分、ひた走り、ギザの街に着きました。さらにカイロ市内へ行くのですが、カイロの道路は渋滞するので、ギザで降りて、地下鉄で帰りました。満足な、砂漠でした。カイロから、オアシスまで、本当の砂漠です。全く何もありません。ここに比べると、日本は豊かですねー。日本人が、何故、律儀で親切で、やさしく、情緒に富んでいるか、少し分かるような気がします。そして、日本の現在は、世界でも最も裕福であり、比較すれば、あらゆる意味で、最高の国であると思うのに、この国を作り上げて来た、先人を尊敬せず、この国を運営している、政治家の足を引っ張り、金持ちを許さず、ちょっとおかしいなー、と思えて来ます。数千年前に、あれだけ栄えたエジプトも、今や見る影もなく、広大な範囲を治めたトルコも今や普通の国だし、世界を制覇したスペインだって、大した国でなくなっている。日本も、今、現在が最高潮で、今後は、下降の一途を辿るのであろうか?砂漠をひた走りながら、そんな事を、考えてしまいました。
2007.12.01
コメント(10)
サウジ砂漠探しで、道草しました。又、エジプト記に戻ります。===============================2007年10月14日(日)あれは、2時半か、3時頃からだったろうか?「しまった!」、と、目覚めてから、ずっと星空を眺め、気がついたら、空が明るくなり始めていました。星さん達も、あれだけ見て貰えて、喜んでくれただろうか?5時半には、結構明るくなり、6時には、皆さん起き出した。僕は、散歩がてら、白砂漠を見学に出た。白砂漠に朝日が昇って来ました。見て下さい! 白いですねー! これは石灰岩ですね。ラクダさんが繋がれてました。ここもサウジと同じヒトコブラクダです。アフリカ、アラブは、ヒトコブなんですねー。いつも思うのですが、ラクダって、何ともトボケた、いい味してますよねー!これを食べちゃうって言うのだから、鯨食べるより、ずっと比人道的だと思うのですがねー。白い山へ登って見ました。やはり石灰岩です。薄く剥がれる所もあります。小高い山から、見た風景です。もう1枚。小高い白山からの風景。散歩から、帰ったら、マットレスや毛布を片付けていました。この宇宙人の如く、影で出演しているのが、アジアの星一番さんです。仲々、ハンサムですねー!(嘘コケ! 見えねーっつうの!)アラブ紅茶だけ飲んで、7時には、ここ白砂漠を離れ、帰途に着きました。ヨルダンのワディ・ラム砂漠ツアーと比較すると、夜空の星は、僕の好きなオリオンが見えたので、ここに軍配を上げます。(季節的なものですが)それ以外は、ヨルダンの方に、多く点数を上げたい感じです。両者とも、勿論、悪くはないのです。エジプトに来て、初めて満足したと言えるくらいなのです。何が違うのか? 好き嫌いの問題だとは思いますが、ヨルダンの方が、洗練されたツアーのようです。砂漠ですから、何にもない素朴そのものの方が良いのですが、ヨルダンの時は、その素朴さを充分残しつつ、ツアーを盛り上げてくれました。例えば、食事。ヨルダンでは、呼ばれて行って見ると、砂漠の砂の中から、料理されたベドウィンの料理と言われるものが出て来て、ビックリしました。例えば、見所。ヨルダンでは、アラビアのロレンスなど、午前中から、見所を、何か所も廻って、砂漠の日陰で休んだりして、最終的にキャンプ地に行きました。ここは、薄く暗くなってから、キャンプ地に着き、雰囲気を味わう暇もない。例えば、余興。ヨルダンでは、たまたま、若者だけであったからかも知れないが、サッカーやったり、フリスビーやったり、余暇が結構楽しめた。大自然の中で、身体を動かすのは気持ち良い。ヨルダンでは、食事後、アラブのギターを持って来て、演奏と唄、そして踊りまで披露してくれた。ここは、水タンクで音頭とる唄だけ。(これも悪くはなかったが)例えば、寝床。ヨルダンでは、きちんとテントが張ってあり、寒さ対策は充分。ここは、テントなし。黒砂漠、白砂漠、そして、クリスタル砂漠、鉱泉と、色々と客を呼べる物がありながら、工夫が足りないなー、と思います。客を無理やりホテルに連れて行ったり、道でガイドが誘ったりしなくても、工夫次第では、もっとお金を支払ってでも、又、来たいと言うような方向に持って行ける手段を考えた方が良いと思いますがねー。現代のエジプト人って、ちと、アホかいな? と思ってしまいます。あらー? 又、エジプトの悪口になってしまったかな?ここの砂漠は、良かったですよ!
2007.11.10
コメント(6)
2007年10月13日(土)夕食を食べ終わったら、ガイド達が、水タンクを太鼓代わりに、叩いて、エジプト風の唄を唄ってくれました。僕も、ポリボックスの蓋を持って、伴奏に加わりました。観客は、 カルフォニアから来た青年 エジプト人とアメリカ女性のカップル オーストラリアのメルボルンから来た、家族連れ。4人です。ツアーは家族連れを除いた、僕を入れて4人だったのですが、キャンプ地で、家族が合流しました。ガイド達もあまり唄を覚えていなくて、日本の唄の番だ! などと囃し立てます。しかし、残念なことに、カラオケかギターがないと唄えません。こんな時、手拍子かなんかで、調子良く唄える日本の唄、欲しいですねー!どこへ行っても、このような状況に出会うので、数曲は覚えておきたいものです。どんな唄が、日本っぽくて、外人受けするでしょうか?そんなこんなで、20時半を廻りました。空を見上げれば、満天の星。それはそれは素晴らしいものです。砂漠に泊まるのは、ヨルダンのワディ・ラムに続いて2度目です。あの時も、月の光もなく、全くの星だけでした。そして、今夜も、三日月は、太陽の後を追って、西の空へ消えました。アポロンも、アルテミスもいない世界です。あまりの美しさに、僕は、キャンプ地を離れて、さらさらした砂漠の上に、バタリと倒れて、神秘の星の世界に見入ったものでした。ずーっと飽きもせず、見入っていましたが、風が結構強くて寒い。寒くて、我慢できず、キャンプに戻りました。毛布を2枚貰って、1枚は枕にしてマットレスの上に横になり、又、夜空を見上げました。しかし、電球が1ヶ点いているので、星々の数は、激減です。電気消してくれないかなー・・・、などと思っていたら、いつの間にか眠りについていました。 ふと目が覚めた。真夜中である。「あ! しまった!」、星次は、寝過ごして、あの美しい星を見のがしてしまったかと、叫んだのであった。しかしながら、くっくりと、大きく、オリオンが、星次を見おろしていた。調度、星次と、相向かうような位置に、オリオンがいるのだ。「これほど、美しいオリオンを見た事があっただろうか?」、星次はつぶやく。青白っぽいリゲルも、赤っぽいペテルギウスも、三ツ星も、日本で見るのと同じである。しかし、輝きが違う。オリオンの廻りに輝く星々が違う。「今、何時だろうか?」星次は、腕時計を見たが、星の光では、時間が分からなかった。「今、10月か? それで、オリオンが天井にいるってことは・・・、2時頃かな?」星次は、北の夜空も見たくなった。キャンプは、テントを張るでもなく、ジープの横に、風除けのシートを覆っただけのものである。その南側に、マットレスを敷き、毛布をかぶって寝るのである。星次が見上げる夜空は、真上から南側だけが見えた。そっと起き出して、裸足で砂漠を歩く。足の裏をくすぐる砂が心地よい。カシオペア座が見えた。ダブリューの文字が、横に傾いて、ダブリューに見えない。「北斗七星はどこだろう?」あるはずの、北斗七星が見当たらない。北極星も見つけられない。「おかしいなー?」星次は、星を見続けたが、見つからない。星が多すぎるのかも知れない。諦めて、キャンプに戻る。キツネが、一匹、キャンプ地を覗いていた。星次を見ると慌てて、どこやらへ走リ去った。逃げることもないのに・・・。横になって、再び夜空を見上げる。オリオンに従う、大犬座。そして、子犬座。数ある星座の中で、これらの星座が最も美しいであろう。シリウスは、東京の空でも見つけられるほど明るい。マイナス1.5等星であるから、一番明るい星ではないだろうか? さそり座のアンタレスでも、1等星なのだから。オリオンから、もう少し北の方を見上げたら、昴がいた。プレアデス星団だ。数個の星が見えるように思える。6個見えるはずであるが、星次には、6個全部、見えなくて残念でならなかった。オリオンに目を戻し、眺め続ける。少しずつ、オリオンが、傾いているようだ。足の方が先に動いている。「お前は、今、何をしているのだ?」オリオンの遥か彼方から、星次は、懐かしい声を聞いたように思えた。「あれ?」、首を振って見る。その時、右から左へ、すーっと、星が流れた。長い尾を引いて・・・。「あ! お母さん!」星次は薄れていた記憶が戻って来たようであった。星次の故郷は、太陽系を含む、銀河系が数十集まった銀河群の、隣の銀河群にあった。その星は、数千万光年の遥か彼方にある。調度、地球と良く似た環境の星で、星次の父親は、その星王である。そうなのだ。星次は、その星の、王子様なのである。その、星の王子様が、アジアの星一番と名を変え、時には、アラブの星一番、又、時には、亜州の星次朗、そして、星次と名を変えて、地球に居る。既に、何十万年になるのだろうか?人類を救うために、いや、人類の女性を救うために、いや、人類の日本の、女性を救うために、いや、人類の日本の、悩める、女性を救うために、いや、人類の日本の、悩める、若き、女性を救うために、いや、人類の日本の、悩める、若き、美しい、女性を救うために。(な、なんじゃー、それ? ん~?)地球に降り立ったのである。この目的が達成されねば、故郷の星の、国王としての資格を取れないのだ。日本の言葉で言えば、武者修行をさせられているってことかも知れない。しかし、星次は、未だに一人の女性も救っていない。いや、逆に悩まされっぱなしなのである。女性の心理は難しい。星次は、宇宙よりも奥深い女性が分からない。いつ、故郷に帰れるのか?悩みながら、それで、地球を、世界を彷徨っているのであった。物思いに耽っていると、空一面の様子が少し変化しつつあった。風も止んでいた。どのように変ったのか? 説明に窮するが、真夜中でないと言う雰囲気である。草木も眠る丑三つ時とは、表現出来ないような雰囲気が漂っている。すこーし、全体が明るくなっているような・・・。西へ少し傾いた、オリオンも、若干ながら、色あせた感がある。相変わらず、威風堂々と夜空の天下人ではあるのだが・・・。さらに、少し時間が経つと、東の空が、うっすらと明るみを帯びて来た。東の空が明るくなる前に、全天がわずかながら、薄明るくなるのを知った。それと共に、あれだけ冴え渡っていたオリオンも、徐々に薄くなる。子犬座のプロキオンも、同じような運命にある。シリウスが、頑張って輝いているが、明けの明星の輝きに、相対して、輝きが薄くなって行く。やがて、あれだけあった、星々は、陰も形も見えなくなった。宇宙の神秘に、深い想いを抱いた、星次の夜も、夜明けと共に去り行った。星次は? と見ると、全く普通の目立たない、風采の上がらぬ日本人である。この夜の、あの物語は、真実なのか、それとも、夢想なのか?
2007.11.04
コメント(13)
2007年10月13日(土)黒砂漠から、走ること、さらに1時間。道路の脇にジープが数台止まっていました。どうも故障のようです。我らの車も停車し、ガイドもお手伝い。パンクです。タイヤの交換してました。この辺り、砂漠の色が白っぽくなって来ました。もう白砂漠も近いのでしょう。タイヤ交換に手間取っていたら、周囲は、もう薄暗くなって来ました。早くキャンプ地に着かないと・・・。アスファルト道路を、左折すると、やや! 何と、雪が積もっているように白いですぞ! これぞ、白い砂漠!夕焼けに、でかいキノコ状の岩も見えます。そして、夕焼けを見つめる、永遠の青年、アラブの星一番!ちょっと口開けて、笑ってますなー! って、ちゃいまんねん! 嘘です。これ岩でっせ! ほんまもんの岩です。でも、人間の顔に、似ていると言えば、そう、そっくりでしょ?眉毛のところが、でっぱり過ぎですけど。この近くに泊まることになりました。早速、夕食の準備です。もう、18時半を過ぎました。
2007.11.03
コメント(12)
2007年10月13日(土)そんなこんなで、砂漠ツアーにようやく参加出来ることに、あいなりました。14時半、宿を出発しました。こんな所を走って行きます。砂漠の色が少し黒っぽくなって来ました。まだ1時間も走ってませんが、黒砂漠に着きました。ボタ山(見たことないですが)見たいな、山です。ここへ登りました。黒砂漠山からの景色です。ふと思いましたが、ここら辺のエジプト人が、大相撲に入門したら、名前は、「黒砂漠山」、が良いかな? と。 相撲と言えば、朝青龍、どうしているのでしょうか?元横砂若の花の奥様、タレントの誰かに不倫をバラサれてどうしているのでしょうか?でも、ひどい男がいたもんですねー。寝ました、って週刊誌に言ったらしいですねー。サイテー男です。そう言えば、参議院になった姫なんとかさんも、不倫相手の男に、写真を週刊誌に渡したりされてますねー。ヒデェー男ですなー。こいつもサイテーです。話が、飛びすぎました。すいませんです。何石って言うのでしょうか? 石は黒いです。これらが風化されて、砂漠が黒くなるのでしょう。途中のオアシスで、水と薪を調達し、さらに砂漠を走ります。
2007.11.02
コメント(8)
2007年10月13日(土)昨夜、ニューオアシスホテルに、到着後、砂漠ツアーを薦められる。450£Eとか言っていたが、最終的に、300£Eまで下がったが、それでも高いので、このホテルのツアーに参加するのは、止めにした。北欧の方のおばはん達が10数名団体で泊まっており、それに合わせられたので、朝食が9時半。腹減りました。食事後、ホテルをチェックアウト。バウィーティのメインストリート(と言っても田舎路です)を歩いていると、ジープに乗ったガイドがしょっちゅう、声を掛けて来ます。全て拒絶。今回は絶対に騙されないと心に誓っております。吹っかけられた値段しかないなら、このままカイロへ帰るつもりでいました。これ以上、エジプトの印象を悪くしたくないって、気持ちです。昨夜から、声を掛けられた砂漠ツアー1泊2日の値段を並べると、高いほうから、600£E、450£E、350£E、そして300£Eです。歩き方を見ると、1泊2日のジープが1台600£E~と記載あり。訪ねて行こうとしている、ホテルの、デザート・サファリ・ホームでは、150£E~と記載がありました。グループツアーに参加として、値上がりも考慮すると、200£Eなら、まぁ良い所だし、手を打とうと、見当をつけて、歩いていたのであります。昨夜、ホテルまで案内し、450£Eと言ったガイドが、又、居て、声を掛けて来ました。「砂漠ツアーはどうか?」、と。「アホ! 450£Eなんて、ものすご~~~く高い。行かんわい!」と言うと、彼らの決まり文句、「じゃー、いくらなら行く?」、と聞いて来ます。「200£Eだ!」 と言うと、すぐさま、「OK!」、と言って携帯を取り出した。そこで、200£Eなら成立することを知った訳です。しかし、一旦、450£Eと言った奴のツアーに行く気は全くしないので、「アーホ! 200£Eでもお前とは行かないよー! あっかんべー!」と、どんどん歩き出しましたのです。奴は、「韓国の若い女性二人のツアーがある。そこに入らんか?」、と今度は桃色攻撃に来たのです。「ナヌ?」ちと、心が動きました。男だなー。が、そこは、真面目人間、アジアの星一番、初心は変えません。さらに歩くと、ツアーリストポリスとか言うオフィスがあったので寄って聞きました。目指すホテルの、デザート・サファリ・ホームはどこか? と。そしたら、全く分かりません。何の警察なんでしょう?8000歩程歩いた頃、ようやくホテルを見つけました。ホテルにたどり着く前に、何台ものジープや、ツゥクツゥクのような乗り物で、誘われましたが、怖い顔で拒絶していましたが、何と、その中に、目指すホテルのオーナーもいました。もう、エジプトに来てから、疑り深い人間に変質してしまったようです。そして、知らない間に、すご~くお金に、シビアになっています。何だか、どんどん嫌な性格になって行っているようです。で、ホテル宿泊の値段ですが、何と、25£Eが、65£Eに値上がりしていました。昨夜のホテルは、2倍でしたが、ここは、もっと上がってました。しかし、エアコン付きは、80£Eが100£Eなので、わずかな値上げです。これって、多分、需要に応じて、適当に変えているのでしょうね。何故なら、今の時期、夜はエアコン不要です。結構涼しいですから。泊まるか否か、迷っていたら、オーナーのバドリ氏、写真を持ち出して、砂漠ツアーに行かんか? と早速儲け話をし始めました。「高いから、行かない。」と、もう興味ない風を装いました。ほんとは、せっかくここまで来たのだから、行きたい訳ですし、ここを逃したら、どこへ行けば行けるのかも分かりません。暫く、黙っていると、案の定、「いくらなら行くか?」、と聞いて来ました。で、ずばり、「200£E!」、と答えたところ、即座に、「OK」との返事。いやー、150£Eって言って見れば良かったかなー、と、ちと心残りでした。でも、まぁ、200£E程度が、良い所であると、決めていたので、満足です。砂漠ツアー参加までに、一夜と半日、歩くこと8000歩。いやはや、なんとも、何とも疲れるエジプトであります。午後2時過ぎに出発とのことで、まだ、2時間以上あります。
2007.11.01
コメント(6)
2007年10月12日(金)ハルガダ発、9時10分。紅海沿岸から、スエズ湾沿岸を、バスは走ります。4時間半ほど走り、スエズまで40キロ地点にて、左折し、スエズ湾とお別れ。内陸を通って、カイロへ向かいました。スエズ湾近辺では、風力発電の風車が沢山廻っていました。壮観ですねー!予定通り、15時にカイロ着。今回は、リゾートのハルガダでちょっと疲れてしまったので、少し良いホテルに泊まるべく、探して見ました。3000円程度まで、出しても良いかな? と。4軒見て、良いホテルはあったものの、今一つしっくりしません。腹減ったので、ちょいと、腹ごしらえ。 久しぶりかなー? シャワルマ。これです。4.5£E(90円) 物価からすると、高いですか?それから、明日の為に、一旦、ホテル探しを中断し、砂漠の中のバフレイヤオアシスへのバスチケットを買いに行きました。そしたら、18時過ぎに出発するバスがあると言います。時計を見ると、17時。なんだ、1時間待てば、バフレイヤオアシスに行けるじゃーないか、と、カイロ宿泊を中止し、そのままバフレイヤに直行することにしました。バフレイヤ着が、23時半。朝から、バスに乗り詰めだったので、ちと疲れました。夜も遅いし、客引きに連れられて、そのままチェックイン。「歩き方」に書いてある通り、砂漠ツアーのガイドが、仕事欲しさに、ホテルの客引きを行っていたのです。しつっこい、勧誘にも、もう騙されません。余裕で撃退。でも、ツアーを探す時間がなかったら、ここで手を打っていたかも知れません。1日早く来たので、明日、ゆっくり見て探そうと思っています。ニューオアシスと言う、全11室しかない、ホテルです。木々に囲まれ、花も咲いていて、仲々、雰囲気はよろしいです。物凄く良い匂いがするなー、と思ったら、この花からです。何と言う花でしょう? 良い匂いのするのは、金木犀くらいしか知りません。部屋です。まぁまぁ、悪くはないです。しかし、蚊は沢山やってきます。蚊取りマットを炊いて撃退です。ファンのみ、エアコンなしで、50£E(1000円)、歩き方に載っている値段の倍に値上がりしてました。涼しいのでエアコン不要です。
2007.10.31
コメント(12)
昨夜は、毎月恒例のインド人3名との会食。我が街ジュベールに1軒だけある、タイレストランでご馳走してあげました。彼らは、当然、タイ料理なんて初めてなので、料理には興味津々でした。おいしいとか言ってましたが、トムヤンクンは、ほんの1杯だけで、お替りしなかったので、あの特殊な味が、合わなかったのでしょうなー。その他は、バクバク食べてました。箸も初めてらしく、面白がって使ってましたが、きちんと持ち方を教えたら、すぐにおぼえましたね。意外と器用です。この支払いで、エジプトの宿、10泊分はしました。ですから、この私、根がケチですが、単なるケチだと思わないで下さいね。と言う事で、ハルガダ3日目です。=============================2007年10月11日(木)昨日、紅海を潜ったら、寒くて、とても2日目潜りたくないと思い、1日早めて、カイロへ移動することにしました。宿に帰り、オーナーのハッサンに言ったら、ダメだ! の一点張り。もうお金は、全部払ったし、全く返って来ない。ウェットスーツを替えれば大丈夫。とか、要は貰った金は返したくないから、バスが混んでカイロに行けないなどと、とんでもない話まで、持ち出して、泊まらせようとします。気の弱い僕は面倒になって、止む無くもう1日潜る事にしました。で、本日の朝起きてみると、下痢は止まらず、頭は痛いし、熱までありそう。それで、又もや、ハッサンに言うと、同じような事ばかり。身体は大丈夫か?などと言う言葉は、全く出て来ない。お金は返せない、と言うから、「そんならそれで、結構、僕は日本では有名なライターだから、事実を、そのまま日本の人に知らせるから。」と言って、キャンセルしたのであります。行けるような身体の状況にないのですから。そしたら、今度は、サファリに行かないか、などと言い始めます。「アホか! お前は! 身体が調子悪いから、ダイビング止めるのだ!何で、サファリに行けるか!」、と、腹たって、声を少し荒げて言いました。全く、この国の人間は、どうかしています。狂っているとしか言いようがありません。このホテル以外の食べ物を食べていないので、食べ物が悪かったか、心配すべきなので、そんな事はお構いなしで、金儲けの事ばかりです。この国は、何を買うにも、支払うにも、言い値で買ったら、どえらく高いものになってしまします。例えば、コカコーラ。本来なら、1£以下なのに、高い所は、15£と言って来ます。10£とか、7£と言って来る所もあります。概ね、2£から3£辺りに落ち着きますが、それでも、観光客向けです。ネットでさえ、1時間10£と言います。他の客が来たとき、5£って言って、いたので、何で? って聞いたら、あんたは友達だから、特別に5£にしてやる、とか、言います。お前とは友達ではない! と言ってやりたい。観光地の帽子なんて、135£が、こちらが黙っていても、30£に下がり、さらに、いくらなら買う? とか、言います。呆れてしまって聞くことも出来ません。腹の調子がおかしいです。でも、食欲はあるので、それだけがマシです。このハルガダの後、カイロへ戻り、リビア砂漠へ行き、日程の余裕があれば、アレキサンドリアに行くつもりですが、この様子では、気分の良い旅になりそうもありませんねー。何とか、この最悪のエジプトの印象を、少しでも良くしてくれる御仁はいないのでしょうか? まぁ、いないでしょうなー。もう、エジプトに来て、9日目、益々、印象が悪くなる一方ですから。
2007.10.29
コメント(14)
2007年10月10日(水)憧れの、紅海ダイビング。朝、8時ホテル発なので、6時半起きして、食事も食べて待機。しかし、エジプト時間は、いい加減。車が迎えに来ると聞いていたのが、8時20分に、サンダル履いた若者が迎えに来ました。船が出発したのは、9時45分です。その間、何もすることなし。何のために、早起きしたのか? こんな船で行きます。紅海から、ハルガダの町並みを捉えた写真です。機材も、全部運んでくれて、こちらは何もしなくても良いのです。これは、トルコのマルマリスも同じでした。しかし、同じ船に何組ものグループがいて、午前中は、船を止めて、他のグループがダイビングするのを、待っていました。その間、何もする事なく1時間も昼寝。そして、船は移動し、ポイントに来ました。既に、12時近い時間です。何の為に、早起きしたのか? 何度もそう思います。気を取り直して、ウェットスーツを着る。紅海の海なんですが、結果は? 期待していたので、その期待度からすると、今一つ。世界の3大ダイビングスポットと言うには、普通過ぎます。珊瑚は小さく、色とりどりとまでは言えない。ややもすると、見逃してしまいそう。魚は、小さい群れは、結構いました。アラビア湾より、魚影は濃いです。透明度も、20数m程度か?内海だから仕方ないのか、大型の魚もいません。ここに比べたら、グアムのブルーホールや、サイパンのグロット、そちらの方が、断然、良いですね。寒くて、寒くて、早く上がりたかったです。おまけに、2度目が、上がって、30分もしない内に、潜ると言います。寒いから、もう止めようかな? と思いましたが、インストラクターが進めるので、挑戦する。やはり冷たい。おまけに、耳抜きが不完全で、6~10m程度を、ウロウロと下がったり上がったり。一度、耳抜きに失敗すると、仲々、うまく抜けません。寒くて凍えそうです。おしっこもしたくなるし。上がって、即刻、トイレに駆け込みました。ほっとしたら、ありゃー!後ろの方も、おしっこみたいに、ぴゅーっと出てしましました。座っておしっこしてて良かったです。でなければ、大変なことになってましたです。何か当たったかなー? 何食べたろう?胃腸の強い僕としては、珍しいことです。多分、エジプトに来てから、予想外のことが多すぎて、イライラしたり、腹立てたりしていたから、胃腸も気にして、弱っていたのかも知れません。心の健康は、大切ですねー!インストラクターです。写真より実物の方が、男前です。あんたも撮るぞー! とか言って彼の同僚が来ました。おー、おぉぉー!真ん中の奴は誰だー? お面被ってんのかー? おもろい顔してんなー!アラブの星一番くんだな?ずいぶん、すっきりした顔だなー! イライラしているようには見えないぞ!元気出せー!
2007.10.28
コメント(6)
はてさて、又もや、エジプトの批判になってしまいます。我ながら、うんざり気味でありますが、事実を書かねばならないのです。まぁ、自分のアホさ加減を、お知らせしている見たいな面もありますなー。(トホホ)==================================2007年10月9日(火)ハルガダのバス停で降りると、宿のオーナー、ハッサンが待っていました。宿について見ると、やはり、大嘘でありました。オーナー、落語の熊さんハッツァンの、ハッツァンではないですよ、ハッサンです。エアコンはない部屋。夕食はなし。海なんて、見たくても絶対無理なホテル。毛布にシーツがついてない(いつ洗ったのか?)もうルクソールで、30US$支払ってしまったが、それを捨てて、他のホテルにしようか、迷いました。しかし、エアコンの部屋にする、夕食も付ける、など、対処してくれると言うので、まぁ、仕方ないかと、そこに泊まることにしました。そして135US$も支払ってしまいました。部屋です。綺麗そうに見えますよね? まぁまぁ綺麗です。しかし、毛布にシーツがかけてないのです。毛布を毎回洗ってませんよね? ヨルダンのホテルで、同じような、毛布でひどい目にあいました。それが気になるのです。手洗いです。ここも、まぁまぁ、納得出来ます。しかし、街を歩いていて、もっとボラレた事に気が付きました。ボートダイビングは、2ダイブ全て機材つきで、30US$だったのです。勿論昼食つき。朝8時に出て、夕方5時前に帰ってくると言うので、僕が頼んだのと全く同じです。とすれば、ダイビング2日で、たった60US$です。それに、ホテルは、1泊30£ですから、3泊でも、90£=15US$。全部で、75US$程度です。それを、135+30=165US$も支払ったのです。と言う事は、2倍以上も支払ったことになります。くっそー! 騙されまいと慎重に行動しているのに、大金をとられてしまいました。400円のホテルに泊まって、節約貧乏旅行をしているのに、しつっこさに負けて、頼んだら、1万円も損しました。そりゃー、ルクソールの奴にすれば、1泊10£(200円)で客を泊めているが、30US$も儲かると思えば、しつっこくなります。奴は、口一丁で、1泊の170倍も儲けたのです。しかも、この僕から。くっそー! 許せん!ルクソールの、El Salam(イッサラームホテル)には、絶対に泊まらないで下さい。もし万が一、泊まったとしても、ツアーなどは、絶対に高いので、引っ掛からないように。自分の目で確認してから決めた方が良いです。しかし、こう言う甘言には、引っ掛からない方の僕も、軽く釣られてしまうのですから、彼らは上手です。何とか商法とか、新手の宗教の誘いも、こんな感じで、騙されてしまうのでしょうねー。途中から、もう頼まねば、悪いような雰囲気になってしまうのですよ。彼らの、笑顔とユーモアは商売用。笑顔の下に、したたかに、騙しても金をとってやろうと言う、下心がばっちり潜んでいます。エジプト恐るべし!あぁ、エジプト恐るべし!あぁ、いぃ、うぅ、えぇ、エジプト恐るべし!
2007.10.27
コメント(16)
乾燥機、1時間廻しても、乾かんなー? おかしいなー? と、2時間位の設定で、乾燥させていました。乾燥機のドアを開けると、綿状の細かい埃のようなものが、付着しています。なんだー? と思って調べて見ると、ドアの下に保温のようなものが、1.5センチから2センチの厚さで、ついています。なんじゃろ? その辺りを調べていたら、ここは使用前に毎回綺麗に掃除して下さいと書いてあります。な、なんと、フィルターだったのです。これを取り除いたら、乾燥時間が、半分以下になりました。なんとも、いやはや、知らないと言うことは、おそろしいことであります。==================================2007年10月9日(火)ルクソール西岸は昨日見て、東岸が残っているけど、興味が薄れてしまったので、ダイビングのハルガダへ早めに移動する事にしました。昨夜、全部合わせて、165US$でどうじゃー! と迫られ、気の弱い僕は、それで、渋々了承して、30US$の支払いをしてしまいました。しかし、考えて見ると、おかしいです。絶対に儲かるから、必死で説得しているはずです。しかも、何で、30US$をルクソールで支払う必要があるのか? マージンでしょう? これは。とすれば、既に、30US$も多く支払っていることになるのです。何だか、いやーな気持ちに、なって来ました。ともあれ、ハルガダへ向けて出発です。バスですが、10時出発便が、何と、9時40分に出発してしまいました。もし、ぎりぎりに来る乗客がいたら、どうなるのでしょうか? エジプトのいい加減さには、目を見張るものがあります。この小汚いバスで行きます。エアコンもついてません。リクライニングにしたくないのに、自動的に後ろに倒れる席もあります。良一点は、乗客が少ない事、のみ。日の当たらない席に、いくらでも移動可能です。外国人は、僕だけです。出発から、ナイル川沿いを下ります。ずっとこんな景色で緑豊かです。水の有り難味が分かります。エナと言う街を抜けると、ナイル川から離れて、紅海目指して走ります。すると、景色は一変。こんな景色です。途中で休憩しました。砂漠の中にある休憩所です。コーラが4£しました。街中では、1£ですが、砂漠の中なので、止むを得ないと思います。アブ・シンベルの15£より、良心的。さらに行くと、砂漠でも、土の山が多くなって来ます。そして、紅海が見えて来ました!これが、紅海に出くわした街、サファガです。それから、1時間と20分。ハルダガが見えて来ました。9時40分に出発して、予定の15時ぴったりに到着。エジプトでは、珍しい正確さです。
2007.10.27
コメント(4)
本日は、バハレーンまで行って来ました。日本人会の昼食会があったのです。和気藹々と楽しい時間を過ごしました。奥様や子供さんがいると華やぎますね。その後、ゴルフバッグ探しに、バハレーン中を探しましたが、ありません。ゴルフ人口は、相当少ないようです。================================2007年10月8日(月)ルクソールにて、High Life と言う、日本食が食べられると言う、レストランへ行きました。まぁ、何と言いましょうか、レストランと言うには、ちと、心苦しいと言いましょうか、食堂とも言えないような、外観はみすぼらしいのであります。屋上にテント張ったようなイメージです。暑いしねー。せっかく来たのだから、親子丼を頼んでみました。結構、豪華じゃー、ござんせんか?卵も、鶏肉もきちんと入っております。味が濃そうですよねー?実際も濃いのです。でも、ボリューム満点であるし、腹一杯になりました。日本食もどきではありますが、日本食に間違いありません。うまかったです。と申し上げておきましょう。(日本食に飢えている僕の感覚では、ほんとにうまかったのです。)そして、夕食。又、来てしまいました。実は、ビールに引かれて来たのです。酒屋は簡単に見つかりません。でも、ここで食べれば、酒屋を教えてくれると、昼間、言われたのであります。これです。正真正銘のビールです。つまみに、肉野菜炒めを頼みました。味が濃そうでしょう? 実際に濃いのです。濃いと言うより、はっきり言えば、しょっぱいです。時々、そのしょっぱい塊があります。 うぇー、しょっぺー!ですが、この味に、冷えたビール、最高! です!ここで、ハルガダの勧誘を受けてしまいました。ホテル3泊、ダイビング2日、朝、昼、晩の食事込み。エアコン付き、紅海が見える側の部屋、などなど、好条件ぞろいで、全部合わせて、165US$でどうじゃー! と迫って来るのです。普通に考えたら、安いですよねー?ホテル3泊は、安宿なら、大した金額にならないけど、ボートダイビング2日付きですからねー。しかし、165US$の内、50US$は、今ここで支払え、とか、何となく腑に落ちないことを言います。「何で?」と聞くと、「いや、30US$で良い」となりました。なんだか、おかしいなーとは思うのですが、あまりに熱心で、ハルガダの宿まで電話したり、熱心と言うより、そのしつっこさに負けた感もあるものの、悩みに悩み、バス停までのタクシー代も含ませるなど、交渉と、確認に確認を重ねた結果、申し込みました。はてさて、どんなホテルなのか? 紅海の見える部屋だよな? あれだけ確認したのだ。今度こそ、ボラレていないだろうなー?確認通りのホテルや、値段で、エジプトのイメージの悪さを、払拭して欲しいなー、と願ったものであります。さて、さて、明日が、楽しみです。
2007.10.26
コメント(2)
本日は、予定通り、ゴルフに行って来ました。44、49で、1R 93です。まぁまぁと言う所ですが、ハーフ30台を出したいと言う希望には、ちと、遠い実力です。昼食は、同僚のM家に招待されて、エビフライをご馳走になりました。家族団らん、良いですねー。やさしい奥様に、子供さん、料理もおいしいし。============================ 2007年10月8日(月)ルクソールの西岸、自転車で廻るか、悩みましたが、坂道もあり、結構、きつそうなので、ツアーに参加する事にしました。 王家の谷 ハトシェプスト女王葬祭殿 王妃の谷 メムノンの巨像の4箇所を廻って、245£E。入場料を計算してみると、値上がりを考慮しても、全部で120£E程度。かなりボラレている感じであり、粘って見たが、235£Eまでしか下がらない。まぁ、儲けて貰いましょう、と大きな心で、ツアーに参加したのであります。各ホテルを廻って、客を拾って行きます。まず乗り込んできたのは、デブのアメリカ人女性教師。生徒かと思うほど若い。次には、陽気なニュージーランド人。そして、韓国人の女性二人。ベネズエラの若者二人連れ。マイクロバスだし、もうこれで、出発かと思ったら、又々、若い女性が二人乗り込んできました。日本人? と思ったら、何と、アスワンで、あの警察沙汰おばはんの、ボート代を支払ってあげた、やさしい韓国人でした。アンニョンハセヨ~!と挨拶をしたのであります。で、40分ほどかかって、王家の谷へ。こんな所を行きますが、これに乗っているのは、数分です。一緒のツアーの、ベネズエラ人と、ニュージーランド人です。王家の谷。この崖を繰り抜いて、沢山の王家の墓があります。有名な、スタンカーメンの墓もありますが、中身は、カイロの博物館に行ってるので、値段も高いし見る必要ないだろうとのガイドの説明でした。入り口から、墓までのスケッチが、洞窟の前に描かれています。ここは、14番の、墓です。こんな岩の上にも、墓があります。しかし、ツアーで配られた入場券では、3箇所までしか見られないと係員に言われて、スゴスゴと引き返して来ました。これが、ハトシェプスト女王葬祭殿であります。こんなヒエログリフと言いましたか? 壁に書かれています。次が、王妃の谷です。おんなじような物ばかりで、暑いし、いい加減飽きて来ました。そんなに墓、見たって、しょうがないよ! ってな感じです。洞窟の中に描かれているものです。何で、動物の頭になってしまっているのでしょうか? 聞いたような気がしますが、覚えていません。(神様でしたね。そうです、神様です。)最後の見所として、メムノンの巨像これにも、感動はしませんねー。無感動人間になってしまったのか?朝8時15分に出て、昼食抜きで、14時半には、ホテルに戻りました。ラマダン中ですから仕方ないのかも知れませんが、昼食抜きなんですよね。これって、ラマダン期間以外でも、昼食抜きなのでしょうか?う~ん、たぶん、そうでしょう。ツアー自体は、チップも要求されないし、珍しく、良心的だったと思います。ガイドも、笑顔を保ち、知識も豊富でした。土産屋に1軒、連れて行かれましたが、だれ~も買いません。みな、貧乏旅行者ですからねー。
2007.10.25
コメント(12)
本日は、水曜日。サウジは、木曜、金曜が休みなのです。ですから、今夜は、華金ならぬ、華水です。ただ、こいつは、読み方を変えると、「はなみず」ですから、あんまり気に入ってません。休みが2日ある前の晩って、なんだか、嬉しいですねー。明日は、ゴルフ行って、明後日は、バハレーンへ昼食に行きます。タリタ~ラ、タリラリラ~ン♪ タリラリラ~ン♪ って感じです。さて、エジプトは、アスワンからルクソールへ移動です。===============================2007年10月7日(日)さて、フルーカの件で、一悶着あった後、ムカムカしながら、汽車の駅へ向かいました。その道で、ヘタクソな日本語で話しかけられるのも、腹が立ってきます。ムカついているのです。取り合えず、駅に行って切符を買わねばなりません。もし、ルクソールへ今夜中に行けなければ、それでなくても、貴重な1日がつぶれてしまっているのに、お金に変えられない大損害です。もう学習経験があるので、割り込みはさせません。先に行く輩には、きちんと並びなさい! と注意してあげました。で、17時45分発の2等、26£で、目出度くチケットを購入出来ました。時間は、たっぷりあるので、街中のネットカフェへ何軒も行きましたが、日本語の読めるお店はありませんでした。しかしながら、暇つぶしは出来たので、調度汽車の出発の時間です。街中の道路の端や、公園でも、イフタールの食事です。皆さん、食べないか?と声を掛けてくれます。こう言う時のエジプト人は、良いのですがねー。汽車の中です。だれーも、いません。車両全体を見回しても、乗客は僕だけでした。何だか、汽車を乗っ取ったような気分です。1等にするか迷ったのですが、2等で全く問題なかったです。そして、宿探し。駅について、外に出たら、客引きが、煩いこと、煩いこと。「うるせー!うるせー!」、と怒鳴りながら歩きました。歩き方に乗っている、エベレストに着き、交渉すると、15£(300円)で良いと言う事になりました。朝食付きで、20£(400円)です。部屋も古いけど、こぎれいであるし、温水もたっぷり出るし、エアコンも付いています。ここに決めました。あとは、明日の見所を決めるだけです。
2007.10.24
コメント(4)
エジプトが好きな方へエジプトから帰り、毎日、エジプトの旅について書いています。振り返って見て、そしてこれから書こうとしている事も含めて、どうもエジプトの悪口のようになっているようで、気が引けます。すいません。実際にあった出来事、感じた事をそのまま書いています。お気に触ること、多々あろうかと思いますが、すいません、ご勘弁の程、お願い致します。又、違う! とか、お前がおかしい! とか、異論、異見、反論、その他、ありましたら、どしどし、ご指摘願いたいと存じます。===============================2007年10月7日(月)11時出発と聞いていたので、10時半には、チェックアウトし、船長を待っていました。そうしたら、30分も遅れて、11時半にのんびりやって来ました。船長の後を、プラプラ歩いてついて行きました。これが、2泊3日を過ごす、フルーカです。こんなのに、寝るのかよー? どこに寝るんだ? と聞きましたら、ここです。風通しがいいなー! 何にも横には、遮るものがありません。ここに3日もいるのじゃ、と少し心配になりましたが、金は払ってしまったし、こう言うのも、気持ち良いかと、思い直したのであります。11時半から待つこと、30分。12時になっても、全く出航の気配がありません。写真に足だけ写っている、船長のおとっつぁんは、ずっと同じところで同じ姿で、ぼぉーっとしています。船長に時計を見せて、何時に出発だ? と聞いても、あと二人来る。と言うばかりで、何時出発か分かりません。もう30分も待つと、屋根はあるとは言っても、暑いし、腹も減るし、イライラして来ました。12時半です。おとっつぁんは、相変わらず同じ姿勢。船長はどっかへ行ったきり。それから、13時、13時半、変化なし。おとっつぁんも変化なし。船長も戻って来ない。14時になり、堪忍袋の尾が切れました。ホテルに帰って、金返して貰って、汽車でルクソールへ行くぞ! くそ! と。荷物背負って、立ち上がったら、おとっつぁんが、「10分待ってくれ!」と言いました。なんだ、しゃべれるんじゃないか! と思いましたが、もう待ちくたびれて、暑くて、腹が減って、はらわたが煮えくり返り状態なので、聞く耳持たず。後ろも振り向かず、立ち去りました。そう言えば、10£船長に渡して、水を2本買って来てくれと頼んだが、10£は取り損ねるなー、と、その辺は、腹たっていても冷静なる自分でありました。さて、ホテルに帰りました。ここからも問題です。事情を説明して、ツアー代金を返して貰おうとしたら、なんと、受付の奴、「返さない!」 と言うのです。「な、なんでやー!」、と思わず叫びました。(例の写真の右側の奴です。)2時間、3時間待つのは当たり前だ!出発時間を、11時と決めたのではない! 集合時間だ。2泊3日のツアーで、数時間なんて、大した時間ではない。ここは、エジプトで、日本ではない。この程度は普通だ。等々、堂々と言いやがるのです。こっちも、負けずにずっと言い返しました。「金返せ!」、の一点張りですが。昨日、欧州系の「おばはん警察沙汰物語」を、目の前で見ているので、おばはんに負け時と、結構、強気で、押し通しました。そしたら、「15分待て」、と言いおる。「待てない」、と言うと、「たった15分が何故待てない」、と言いおる。「あほ! お前はたった今、エジプトは遅れるのが普通だと言ったろう。ここはエジプトだ、日本じゃない、などと言ったろう、お前は信用できん!15分が、2時間、3時間、になったって、又、屁理屈こねんじゃろ! この!」と言い返したら、どっかへ電話しだした。こっちも、ムスリムでもないのに、昼食抜きで、疲れているので、ムッとして黙りこんでいました。汽車は、確か夕方だから、ま、多少待っても大丈夫であろう、と計算はしてましたが。待つこと、今度はぴたり15分。船長が、おっとり刀で駆けつけました。でも、あんまり慌てたようでもありません。で、受付のアホが、「ほんとにフルーカ乗らないんだな?」と言うので、「何度言わせる、このアホ!行かねったら行かね!」受付のアホ、船長に、強い言葉を浴びせかけて、返れ! と言うような仕草をしました。船長、可哀そうにすごすごと引き返して行ったのです。そこで、10£渡してあるのを思い出し、「おい、金返してくれ」、と言ったら、「あ、そうか!」、って言うような顔して、金をポケットから出しかけました。それを見て、こいつは、そう悪い奴ではなさそうだと思い、水はあげるから、お釣りだけ返して貰えばいいよ、と告げました。そして受付のアホです。「金は、100£しか返せない」、と言い出しました。「な、なんでや! 115£全額、きっちり返せ!」このアホの言い分は、 既に、ツアーの手配はした。 ホテルは、全く悪くない。 あんたが、勝手に帰って来ただけだ。もう、面倒臭くなったので、高々、300円の話であるし、もういいや、と思いました。しかし、このまま、帰るのも癪だし、俺はな、日本ではな、超有名なライターなんだ。ライターつったって、火ーつけるライターとちゃうど!この1件のこと、全部書いて、日本中の人に、全部知らせてやる。それに、神は今のことを、全て見ているぞ、誰が正しいかと? な!アッラーは、許しはしないぞ!と捨て台詞です。すっ飛びだすように出て来ようとしたら、奴は、慌てて、「ちょ、ちょっと待ってくれ!」、と、金庫を開けようとしていました。たった、15£、もう返して貰うつもりはないので、そのまま駅に向かったのであります。いやー、疲れました。この騒動で、思い起こすのは、あの「おとっつぁん」の事です。僕が、イライラしながら、待っていた、3時間余り。な~んにもしないで、同じフルーカの上で、じ~~~っとしていました。まるで、悠久の時を持っているかのように・・・そして、僕が立ち上がって、帰ろうとした時は、敏速に、手をあげて、10分待ってくれ、と言いました。間を置いて3回言いました。振り返って見たら、何だか、悲しそうな、息子の商売を心配しているような、侘しいような、許しを請うような、目つきでありました。何だか、それだけが、心に引っ掛かっているのです。
2007.10.23
コメント(12)
2007年10月6日(土)夕食は、僕の相棒E君の、お陰さまで、同じホテルに宿泊する日本女性お二人と一緒に、ナイル川に浮かぶ、船上ディナーに行く事になりました。そこだと、ビールが飲めるのです。昨夜、ビールが飲みたくて、街を探した所、酒屋は見つかりませんでした。あちこちで、聞いたら、船上レストランなら売ってくれるとの事で、そこで買ったのです。中缶で16ポンド+税金で、19ポンド(約400円)でした。そこで、船上ディナーレストランを、川沿いを歩き探したところ、ありました。入って聞いてみると、船上ではないし、あまりロマンチックな感じがしない。ビールの値段を聞いてみると、10ポンド。お! おおお! 安い!この安さに目が眩み、ここにしましょう! ってことになりました。しかし、しかし、神は味方せり。ちゃんと、小さめですが、ナイル川に船があったのです、その船の上が、レストランになっているのです。飲みました。 うまい! ビールはうまい! 最高!隣には、滅多にお会い出来ない、日本女性。 う~ん! 最高!ヨーロッパ専門、欧州方面に詳しい、Kさん東南アジアから、インド方面、中東、世界中行っている、Oさんそして我が共、E君世界の旅について、話に花が咲き、大変楽しい、夕食をナイルの川の上で、楽しんだのであります。Kさんの感想 →カイロは最悪。 この感想に僕も同感でした。食事の写真は、話を聞くのに夢中で、撮るのを忘れてしまいました。3人の方の写真は撮らせて貰いました。ブログ掲載OKの、返事も貰いましたので、アップします。これからも、あちこち行かれるようですから、どこかで、皆さんともお会いするかもしれません。Kさん、Oさんは、エジプト後、ヨルダンへ。その後、Kさんはギリシャへ、Oさんはトルコへ、そして帰国のようです。E君は、エジプトで帰国です。明日、皆さん、汽車で、ルクソールへ向かいます。僕は、ナイル川を、凝りもせず、フルーカで下ります。「2泊3日フルーカ ナイル川下りの旅」です。ですから、今夜でお別れでした。楽しい旅を続けて下さいね! お元気で! いつかどこかでお会いしましょう!<その後記>ここのレストラン、199£Eです。と言われて、そんなに食べたかなー? と思ったものの、4人とも、気にせず、50£Eずつ支払いました。しかし、後で考えて見ると、どうしても計算が合いません。 ビール4本 →40£E メインデッシュ3皿 →35£E 軽い皿3皿 →15£Eこれで、90£Eこれに税金22%入れても、110£Eにしかなりません。騙されましたねー! ここはエジプト、油断も隙もありません!
2007.10.22
コメント(2)
2007年10月6日(土)例のイシス神殿へ向かう時です。入場料40ポンドを支払って、神殿へ行こうとしました。しかし、その神殿は、フィラエ島にあり、ボートで渡らねばなりません。欧州系1名、韓国系2名、日本系4名の、総勢7名は、当然、入場料に、そのボート代も含まれていると思っていたのであります。そうしたら、ガラの悪そうな、ボートの船長らしき男が、「一人10ポンドじゃ!」と、偉そうに言ったのでござる。それを聞いた、欧州系おばはん、「そんな金持ってない! 入場券買ったんじゃ!」と、怒り出しました。そしたら、ボートのガラ悪船長、「嫌なら、止めとけ! 帰れ!」とか言い出したのでござる。我ら、一同、欧州系おばはんを支援。「そうじゃ、そうじゃ!」、と声を揃えて、言ったものの、ガラ悪船長には一向に効き目なし。地球の歩き方を、取り出し読んでみたら、どうもボート代金と入場料は、別らしい。「支払う必要がありそうだよ」、と本を見せていたら、ガラ悪船長、それを見て、30ポンドの値段のところを指差し、「ほれ見ろ!」 と言わんばかり。しかし、それには、公定料金は、25ポンドだが、30ポンド以上要求する輩も多い、と書いてあったのです。支払ってボートに乗るにしても、このガラ悪船長のボートには乗りたくないと、他のボートの船長と交渉。韓国女性が、一人8ポンド、総額56ポンドで交渉成立したとのことで、やさしそうな若者のボートに乗り込みました。このボートです。やれやれ、エジプトの観光は、大変なものじゃなー、と遠くを見ていたら、欧州系おばはん、バッグの中身を出し始めました。それをしまうと、僕の方へやって来ました。「あら?何か、やばいか?」おばはん、「カメラがない。盗られた!」と言いだしました。そして、僕の前で、再び、バッグの中身を全部出し始めました。確かにカメラはありません。狭いボートの中も、全部、全員でチェック。ありません。おばはん、「警察を呼ぶ!」、とすごい剣幕です。あのガラ悪船長に盗られたのでは? とか、おばはんが言ってます。しかし、あの状況で、盗るのは難しいだろうなー、とは思っていました。僕らは、神殿を見に行きましたが、見終わって帰って来ても、おばはんは、ポリスと話しており、ボート乗り場まで、一緒に来い、とポリスに言ってました。ボート乗り場まで帰りました。船長は、金を払って欲しいと言ってます。僕らは、約束だから支払いましたが、おばはんは支払いません。そしたら、韓国女性が、代わりに支払ってました。韓国女性、やさしいなー。それで、マイクロバスまで、帰って来たら、どこにあったのか、おばはんカメラ持ってます。当然ながら疑いをかけられた人たちは黙っていません。おばはん強硬。「はよー、バスだすや!」、と運転手に言ってました。「汽車の時間がある、はよバスだしや!」、かなり強硬です。警察も、少し時間をくれ、とか言ってましたが、無視してバスは出発し、この問題は、無事解決しました。考えてみると、このおばはんが、カメラをバスに忘れて、それを盗られたと思い込んだのが、悪いのですしかし、その前に、「ガラ悪船長問題」が、なかったならば、このおばはんもカメラ盗られたと思わなかったのではないかと想像されます。結果、問題なしで、良かったのですが、エジプトの観光は、色々と問題がありますねー。ボート代も後で確認すると、一艘当たり、25ポンドが相場らしく、7名合計で56ポンドは、倍以上、とられていたことになります。観光立国であるならば、観光都市であるならば、もう少し、やり方、システムを考えて貰った方が、結局はエジプトに良い効果をもたらし、観光客も嫌な思いをしないで済むと思うのですが・・・。これでは、この国、この町への、リピーターは少ないと思いますねー。
2007.10.21
コメント(14)
一昨日、18日の木曜日に、カイロからバハレーン経由、サウジに帰っております。米炊いて、味噌汁作って、日本食を堪能しています。今日は、カレーを6人前作って、これから数日は、カレー三昧です。やはり日本食は良いですねー。って事なのですが、まだまだ、「16日間エジプト一人旅」、が沢山残っています。マンネリで、面白くないでしょうが、後、2週間以上は、エジプト記に、お付き合い願いたいと、存じます。今回は、エジプト4日目、アスワン近郊ツアーです。=================================2007年10月6日(土)アブ・シンベルへのツアーは、ショートツアーと、ロングツアーがある。ショートツアーとは、アブ・シンベルのみ。ロングツアーとは、アブ・シンベルへ行って、アスワンに帰った後、市内近郊の見所を廻るツアーです。相棒のE君と、僕は、ロングツアーに参加しました。日本女性の、お一人は、ショートツアーで、宿に帰り、もうお一人は、我々と同じ、ロングツアーです。アスワンハイダムイシス(フィラエ)神殿切りかけのオベリスクこの3箇所へ行きます。まずは、アスワンハイダム。ここです。これは、ダムの下流側。ここからルクソールなどを経て、カイロに通じます。ここで、景観料、8ポンド。そんだけの価値あるのかー? と皆さん疑問風。ロングツアーに残ったのは、韓国女性2名、日本女性1名、欧州系女性1名、日本男性1名、我が相棒E君、そして僕の計7名です。総勢7名で、次の、イシス神殿へ向かいました。入場料、40ポンドを支払い、勇躍、神殿へ。と思ったら、神殿は川の向こうで、ボートに乗らなければ、行けません。ここで、ひと悶着、大トラブルが発生。これは、別掲します。この神殿は、フィラエ島に建てられています。古代エジプトでは、聖なる島とされていたそうで、神が生まれた島でもあるとのことです。そして、古代エジプト時代から、ローマ支配時代まで、色んな神殿が建てられたそうです。美しいですねー。この柱は、下から上まで、同じサイズのようです。アブ・シンベル神殿同様、画が描かれていました。これも神殿でしょうが、いつの時代で、誰の作なのか分かりません。ここで、中国人3名と会いました。蘇州の北の辺りから来られた人たちらしく、3名でした。少し中国語の実戦で復習しました。まぁ、極、簡単なお話は、充分通じます。しかし、中国人が既に、こんな方まで、観光に来る時代になったのですねー。中国人の海外渡航は、結構面倒だと聞いていますが、このような状況だと、今は、韓国人の海外旅行ブームですが、何れ、中国人の海外旅行ブームとなるでしょう。今でも、華僑が多いのに、その内、さらに世界中、中国人だらけになってしまいますねー。 そんな気がします。
2007.10.20
コメント(10)
2007年10月6日(土)エジプト南部のハイライト、アブ・シンベルへのツアーです。朝3時起床、3時15分朝食、3時半出発と言う、おかしなスケジュール。何で、こんなに早く出発するのか、分かりません。アスワンから、280キロ。時速100キロで飛ばせば、3時間足らず。制限速度80キロなので、3時間半程度で、着くのだろうか?実際は、寝過ごして、3時20分頃、ホテルの従業員に起こされる。すっ飛び起きて、慌てて、リセプションに行くも、すぐに出発する雰囲気でない。朝食は、パンと卵だけだが、袋に詰めてくれた。10分ほど待って、3時40分頃になると、日本の女性二人が、眠そうな目をして、リセプションに来ました。あら~? このお二人、相棒のE君がアスワン駅で小走りに追いかけて、何か声を掛けていた人じゃーないですか!奇遇ですねー。相棒のE君、何故か、笑顔満面。「同じホテルだったのですねー!」、と和やかな会話です。愛想の良い受付の人に、「じゃー行きましょう!」 と言われて階段を降りて外へ。暫く待っても、車が来ないので、又、食堂へ戻って、紅茶を飲む。実は、コーヒーか、紅茶くらい、飲ませて下さいよ! と受付の人に頼んでいたのですが、もう車が迎えに来ていて時間がない、とせかされてお茶も飲んでいなかったのです。「あんた方が、遅いからだよー!」とか、日本女性が言われておりました。仲々、迎えの車が来ないので、置いてきぼりかなー? などと心配していたら、4時10分を過ぎた頃、ようやく迎えが来ました。十数名乗りの、マイクロバスです。まだ外は真っ暗。出発したら、皆さん、ぐっすりご就寝。僕は、きっちり7時間寝ましたが、やはり、夢の中へ・・・。そして、7時半、着きました。アブ・シンベル神殿。ここが、入り口です。綺麗にしていますねー。これ、人口的に手入れされています。水を定期的に撒いているのです。でなければ、木々は生きていけません。神殿へ行く途中。ナセル湖がキラキラと輝いています。おぉー! 見えて来ました!アブ・シンベル神殿!きっちり4名が座っています。でかいですなー!この神殿、アスワンハイダムを作った時に、ダムの底に没する運命であったらしいのですが、ユネスコの助けにより、元の位置から、60m上にそっくり移動したと言うことです。1965年頃と言うので、40年以上前なんですねー。これが、神殿の正面です。この真ん中から、中に入れます。写真撮影禁止なので、撮れませんでしたが、大列柱室、側室、前室、至聖所など、部屋が沢山あり、その各部屋に全て、壁画が描かれています。3300年前の、ラメセル2世が作ったとのことで、戦いの図や、神など、色んな図が描かれており、それらに興味のある人には、お宝の山でしょう。が、あんまり知識のない、僕には、どれも同じようで、良く分かりません。この歴史的価値は、良く分かりませんが、この大きな神殿を、そっくりそのまま移動したと言う方に、驚きを感じます。大変な大工事であったと同時に、どのように再設置するか、又、どのように現物を切り出して行くか、その設計が最重要であるし、その設計施工には、多々の苦労があったであろうと、技術者の端くれの僕には、それが感動的でありました。これは、ラメセス2聖像4体と、大列柱室への、入り口のところにある画です。こう言うのが、各部屋に、ぎっしり描かれています。こちらは、小神殿です。ラメセス2世が、王妃の為に建てたと言う、岩窟神殿です。そして再びナセル湖。この向こう側は、もうスーダンであります。アフリカですよー!<追記>相棒のE君、大人しいようですが、しっかりしており、日本女性のお二人とすっかり仲良くなりました。帰りのバスでは、およそ3時間、ずっと話が弾んで寝る暇もなかった位です。
2007.10.19
コメント(10)
2007年10月5日(金)相棒のE君と、夕食に出かけました。あのフルーカの船頭、許せんなー! とか、良いながら、アスワンの街をうろつきました。「マスリー」と言う、由緒あるレストランを、探していた所、この小さな食堂が見つかりました。ここでも、ええかー、と、外に机と椅子を出して貰ったのであります。スープです。鶏がらスープですねー。味が薄かったのですが、レモンを入れたら、調度いい味になりました。生野菜です。水には気をつけていても、これを食べてお腹を壊す人がいるとの、噂もありますが、きっちり食べました。さて、明日、どうなるか?ジャガイモの煮物です。ヤギ肉と、炒め飯。これに、コーラ飲んで、12£E(240円)でした。エジプトに来て、これが最初の、本格的夕食で、うまかったです。帰りに、アスワンの繁華街を、ふらつい帰りました。遊ぶとこ、何もないです。
2007.10.19
コメント(6)
2007年10月5日(金)午前中は、一休みして、午後から、フルーカに乗りに行きました。フルーカ、とは、小さな白い帆のヨットです。ナイル川の辺を歩けば、20メートルに一人ほど、声を掛けて乗らないか?と言って来ます。しっかし、僕らの乗った船長は、大外れで、乗ったとたんに、バクシーシくれと言い出す始末。 (バクシーシ=チップのようなもの。)「そんなもんやらん!」と言ったら、ご機嫌斜めで、ろくな説明もなく、舌打ちしたり、聞き返したりすると、何が腹立つのか、「こっちは、ラマダンで飯もくってねーし、水も飲んでねー!」などと言いだす始末。「アホか、お前!」、と言って、こっちも仏頂面で黙り込む。全く面白くないツアーだ。こんな美しいヨットなのにねー。この船長は心が醜い。宿から見えた、岩窟墳墓群です。入場料が25£Eです。高いなー、入るか止めるかどうするかなー? と思い悩んでいたら、スチューデント? とか、聞いて来ました。何だか、分からないけど、「イエ~ス!」、と答えたら、学生割引の15£Eにしてくれました。よー分からんなー?岩窟墳墓群を、途中まで登って、振り返って見た、ナイル川とアスワンの街。見事に、ナイル川の辺だけ、緑が多く、少し外れると、砂漠。水は大切ですねー!植物公園です。帰りも、このようなのどかな風景です。帰りの帰途につき、岸辺が見える頃になったら、船頭の奴、急に機嫌が直り、「どうだ~、良かったか~?」、などと猫なで声で聞いてくる。「良い訳ねーだろ!」と言ってやりたかったが、無言。バクシーシを貰いたいのが見え見えであり、あれほど態度の悪かった奴に何で余分な金をくれるか! とばかり不機嫌に黙り込んでいました。相棒の、E君も、やはり同様に、無言。船頭、諦めて、奴も黙り込んでいました。ほんと不愉快なツアーです。フルーカから降りて、「ば~か! あ~ほ! あっかんべ~!」と言ってから、ホテルに戻りましたです。
2007.10.19
コメント(4)
2007年10月5日(金)朝の9時半に、アスワンに到着。夜行列車で、同室だった、E君と一緒に宿探し。駅を降りたら、おっとりしているE君が、慌てて早足で歩き出しました。そこで、妙齢の日本女性に声を掛けています。おお! やるなー! 青年!と思いましたが、すぐに、さよなら、とお別れの言葉を貰っていました。E君残念でした。駅の近くの、クイーン・エム 45£E(900円) エアコン、テレビ、シャワー、トイレ、朝食付き。受付はやさしそうな女性で、 印象良いが、毛布にカバーなし。 虫がいそうで、断念。南へ移動し、ヌル・ハン 30£E(600円) エアコン、テレビ、シャワー、トイレ、朝食付き。 まぁ、まぁ、良いが、もう少し、他のホテルを見てみることにした。 手馴れた様子の、日本人バックパッカーが一人、ここにチェックイン。さらに南へ、ヌビアン・オアシス 25£E(500円) エアコン、シャワー、トイレ、朝食付き。ネット、洗濯機無料。 かなり気に入ったが、相棒のE君が、もっと他を見てみたいと言うので、 外に出る。日本人のカップルがチェックイン。可愛い人だった・・・。そして、ナイル川の辺にある、イッサラームへ。45£E(900円) エアコン、シャワー、トイレ、朝食付き。 ナイル川が見える部屋。トイレ、シャワー室が、専用だがドアの外。 そこの所は、若干、不満だが、ここに決定。受付のおじさん(左側)が、愛想良いし、とっても親切。(右側の奴が、後日問題となる男 → やはり憎たらしそうだ。)おぉー! 真ん中の、すっきり顔は、だ、だれじゃー?なんだ、又、君か! アジアの星一番くん。いや、アラブの星一番くん。変な帽子被っとるのー? えー? ふ~ん、トルコで買ったのかー。部屋です。まぁ、納得に行く綺麗さでしょう?タオルも、使い古しで、古いのですが、洗濯はしてあって、このように、綺麗に、ベッドの上に置いてあります。机も、洗面台も部屋に付いてます。部屋から見える景色です。小さいながら、ベランダも付いていて、ナイル川や、エレファンティネ島や、対岸の、ライトアップ(夜は)された、岩窟墳墓群なども見えます。仲々、情緒もあり、たった900円ですから、安いですねー。景色も最高だし、清潔だし、嬉しい限りです。
2007.10.18
コメント(0)
ずいぶん、更新が途絶えました。仲々、ネットカフェが見つかりませんでした。エジプト周回し、カイロに戻って来ました。下痢も治り、元気です。これから、遅まきながら、続きを、毎日数回、アップしたいと思います。=============================2007年10月4日(木)最悪の印象のカイロを、早めに脱出しようと、夜行列車に乗りました。昨夜、カイロに着いたばかりなので、2日目に早くも移動です。しかし、この夜行列車の切符を買うのも一苦労あったのであります。間が悪いと言うのか、カイロの鉄道のサービスが悪いと言うのか?昨夜、早めに切符を購入しておこうと、ラムセス駅へ行ったのです。8時半頃だったでしょうか?待っているのに、どんどん、後から来たのが、割り込んで来て、切符を売る係員も、あんたが先とか、言うでもなく、遅れる一方。意を決して、「俺は、ずっと待ってるんじゃー! 割り込みすんなー!」と、やんわり言ったのであります。そして、順番が廻って来ました。そして、出発時間とか、到着時間、値段など確認して、いざ買おうとしたら、時間切れです、明日、又、来て下さい。と言われてしまったのであります。その後、係員は、取り付く島なし。あったまきたなー! と、係員を睨んでいたら、女性の太った係員が来て、申し訳ないが、明日来て欲しいと、丁寧に言われたので、許してやろうかと思い直したのであります。しかし、明日は、ピラミッドに行く予定であるし、来れないと言うと、それなら、ピラミッドへ行く途中のギザ駅に、事務所があるので、そこへ行って買って下さい、と言われ、じゃー、そうするか、と当日は引き上げたのであります。そして、本日、行けるなら、サッカーラのピラミッドの方まで、行こうかと予定していたものの、汽車の切符も買わねばならないので、ギザのピラミッドを見て、駅へ戻りました。そこで、切符購入可能と、なったのであります。目出度し、目出度し、となれば良かったのですが、60US$だと言うお値段に、100US$を出したら、お釣りがないと言いおる。ならば、エジプトポンドではダメか、と言えば、即座にダメ! と言いおる。銀行へ行ってくずして来いと言われるも、銀行がどこか分からず。聞けば、すぐそこの通りにあると言いおる。その言葉を信じて、歩くも銀行などなし。30分ほど探して、ようやく銀行にたどり着いたら、人だらけ。1時間待ちでないと、窓口まで行けない由。ギザ駅での購入を諦め、再び、ラムセス駅に行く事にしました。いい加減、腹立っていましたが、文句言う所ないので仕方なし。そして、ラムセス駅では、又々、何人にも割り込まれて、仲々買えず。そしたら、昨日の女性が、見るに見かねて、別のパソコンから入力してようやく、切符を手に入れた次第です。切符購入の説明まで、何と、36行も要しました。実際は、ラムセス駅 → ギザ駅 → 銀行 → ラムセス駅、と2日間に渡り、ようやく購入できたのです。恐るべしエジプト!夜行列車の座席です。二人用。夕食、朝食付きですが、座席に持って来てくれます。20時10分出発で、21時過ぎに食事が運ばれて来ました。まぁまぁの内容でしたが、写真撮るのを忘れました。22時頃、ベッドにして貰いました。入り口から、奥を見たもの。奥から入り口を見たもの一応、水道は着いています。が、トイレは共同です。これが、廊下です。翌日、朝の6時頃、ルクソールを通過。9時半にアスワンに到着しました。汽車の振動は大きいように思えましたが、ゆっくりと眠る事が出来ました。バスの夜行に比べれば、汽車の寝台の方が、何十倍もゆっくり眠れます。その分、値段も、何倍もしますが・・・。
2007.10.17
コメント(10)
お控えなすって! お控えなすって!早速、お控えなすって、ありがとさんでござんす!あっしは、渡世人、亜州の星次郎と申しやす。30万石の藩士でありましたが、とある事件を契機に、脱藩し、放浪の旅に出たのでございます。脱藩してから、早や、1年と半年。渡世人の生活が板についてめぇりやした。渡世人になって、色んな意味も込めて、四国お遍路の旅に出て以来、諸国放浪、そうですな、秦国、緬甸、ラオス、馬来西亜、新加坂、こう言った国々を彷徨い歩いたのでござんす。その後でござんすか?へい、窮屈な日本を離れて、何か、もっとのびのびと、やれねーもんかと、シナに渡ったのでござんす。シナ語でも、習おうかと思いやしてな。その後、どうしたって?へい、その勉学仲間に、綺麗なお姉さんが、おりやして、又、やさしいのでござんす。やくざな身を忘れて、その娘が妙に愛しくなってしやいましてねー。やくざな身に、恋は似合わねー。つれねー話でござんす。へい、そりゃー、一生懸命学んだのでござんすがね、その綺麗なお姉さんとは、住処が近かったので、毎日、毎日、一緒に、寺子屋に行ったのでさー。自然と、心も近づきまさーな。こりゃーいけねー、やくざな身で、素人さんに恋しちゃーなんねー、と心に言い聞かすんでござんすが、心って奴ぁー、ちっとも言う事を聞かねーんで、困ったもんでござんす。その姉さんなですがね、名前が、お朋さんて言いやして、色の白い、ほんときれーなお嬢さんなんでさー。お武家さんの娘さんでしたなー。あっしの身の上を聞きたがって困りました。やくざな渡世人に身を落としやしたが、どこかに以前の、藩士の振舞いが残っているのか、「ほしさん(星次郎のほしをとって、ほしさん、で呼ぶんでさー。)は、やくざなんかじゃーない。わたしには分かります」って、いつでも言うのでござんす。いつぞやは、「目を見れば分かります!」って、顔を近づけて見るのでござんす。あっしは、どうしていいやら、どぎまぎしましたぜ。なんとも、いい匂いが、ぷ~んとして、唇なんざー、とろけるようでござんした。過ちを犯してしまいそうじゃーござんせんか?このまま、ここにいちゃー、素人さんに迷惑をかけてしまうぜ、と悩んでいた頃、調度、とある藩が秘密裏に、脱藩者を集めた仕事があるってんで、密使がシナまで来たんでさーな。でっけー、仕事らしい。しかも密航船で遠くへ行くらしい。何つっても、お朋さんと離れるのは、つれーが、離れなければなんねー、渡世人の辛さ、涙ながらに行く事にしましたぜ。分かっておくんなせー。シナの寺子屋を離れる前、お朋さんは、どうしても、あっしと旅がしたいって言い出しましてな、心底、困りやした。嬉しいのでござんすが、その分、別れが辛くなりやす。お朋さん、外見に似合わず、意思が強いんでござんす。なんだかんだと、ありやしたが、結局、桂林と言う、何でも、お朋さんが、ずっと行ってみてー、と思っていた所へ、たった二人で行ったのござんす。ん? あっしは、何を話しているんでござんすか・・・いけねー、いけねー、こんな話は止めにしましょう。あっしの心の中にしまっておかなきゃー、いけねーことでござんす。旅の途中で、どうにも、感傷的になっちまったい。お朋さん、今、何してんだか? もう嫁に行っちまったんだろうか?今、あっしは、エジプトってー、遠い昔から栄えた国に来ておりやす。これが、又、とんでもねー国でござんしてなー、ひでー目にあっておりやす。一人旅ってのは、時間がありましてな、武路愚って知ってなさるか?「武士が愚かな路を行く」って言う、当て字でさーな。ブログと読んでくだせー。渡世人に身を落としても、武士の心は忘れたくねー、しかしまっとーな路でもねーので、そんな風な文字にして見たんでさー。その武路愚を毎日、書いておりましてな。それが唯一の、心の慰みでござんす。そして、こんなあっしの武路愚にも、ふみを下さる方もおりまして、それは、それは、心温まるもんでござんす。旅人にとって、どんだけ、心強くなることか・・・。-------------------------------昨日のダイビングで、寒いなー、とすごく感じていたら、下痢にもなってしまいました。滅多に下痢にもならないのに、どうしたのでしょうか?正露丸飲んでも、下痢が収まらないので、本日のダイビングは、中止にしました。時間があり過ぎるので、亜州の星次郎、渡世人シリーズを書いて見ました。亜州の星次郎の登場は、四国お遍路以来ですなー。
2007.10.11
コメント(11)
2007年10月4日(木)エジプトが、今まで訪ねた国で、調度40カ国目であります。その内、カイロは、最悪に近い印象です。たった1日とちょっとだけで、そのような結論を出すのも、如何なものかと思いますが、正直な印象であります。中国以上、と言えば良いのか、中国以下と言えば良いのか・・・。とにかく、中国を語る時に、出て来そうな言葉が沢山出て来ます。例を挙げれば、1.車の運転が乱暴そのもの。右に左にハンドル切りながら、抜き去る。2.歩行者も、猛スピードの車の列を縫うように、道路を渡る。 (僕は、現地人の少なくとも5倍以上、10倍ほど、時間がかかります。)3.列に並ばない。 1)地下鉄の切符を買おうと思ったら、人を押しのけねば買えない。 2)例え、窓口まで、進んでも油断できず。両脇から、手が3本も 出て来る。 3)列車の切符を買おうと待っていて、3人も先に抜かされた。 (係員も、全く注意もせず、順番を守れとも言わない) 4)地下鉄の電車が着けば、降りるより先に乗ってくる。 5)地下鉄を降りようとしたら、押しのけ、押しのけの競争せねばならない。4.ピラミッドのラクダ、馬乗りは、しつっこく、押し売り同然。5.ピラミッド周辺は、ハエばかり。ラクダや馬の糞が多いゆえ。6.銀行へ行ったら、人だらけ。1時間待ち。7.地下鉄は、エアコンも効かず、暑い、暑い!まだまだ、ありまするが、止めておきます。とにかく、最悪の印象のカイロでありました。初めの印象が悪いですから、良くなる一方であると、期待したいと思います。
2007.10.10
コメント(10)
2007年10月4日(木)クス王のピラミッド周りは、観光客で一杯。カフラー王のピラミッドとなると、観光客は、ぐっと減る。メンカウラー王のピラミッドとなると、パラパラしか人はいない。そのさらに西方の砂漠には、商売でラクダに乗る人たちしかいない。そこを、一人でひっそりと歩いて、砂漠に足を取られながら、下って行くと、大きな岩が出て来たり、その岩に穴を開けたような場所が出て来る。さらに、下って行くと、スフィンクスの後ろ姿が見えて来ます。何とも、愉快な顔をしています。怖いと言う顔じゃーないですねー。前方からのスフィンクスです。こんな所にあるんですよ。ピラミッドの入り口を見張っているのでしょうか?ここで、夜は、光の何とかショーとか言うのやるらしいですが、アスワンで会った人に聞きましたが、大したものでものでないって言ってました。
2007.10.10
コメント(2)
本日、ルクソールで、2回目の更新です。仲々、皆様のブログ見に行けなくて、残念です。-------------------------カイロ近辺のピラミッドは、下記のようです。 ギザ サッカーラ ---ギザの南に約10キロ メンフィス ---更に南へ数キロ ダフシュール ---更に南へ数キロギザには、有名な、クフ王のピラミッド、スフィンクスがあります。その他も、色々と、見所はあるようですが、行き方も良く分からないので、初日でもあるし、夜行列車の手配も、せないかんので、ギザへ行き、可能ならば、出来るだけ、その他も廻って見ようと、ホテルを出発しました。尚、宿は、既報の通り、イスマイリヤ・ホテルで、エアコンはなく、シーリング・ファンだけですが、真夏は通り過ぎたので、快適な睡眠を得られました。(タフリール広場のまん前なのに。)市内のどっからでも、バスは出ていると思うものの、間違いなくあるだろうと思われる、タフリール西バス乗り場まで歩く。ピラミッドは、暑いし、食べ物や、飲み物もないので持参すべし! と本にも書いてあり、バスに乗る前に買おうとしたが、お店が開いてない。歩いてく途中、キョロキョロと探したがなし。ラマダンの影響か?困ったなー、どうすんべー、と悩んだものの、バス停まで来てしまったし、ギザ周辺でおりて、そこで食べるか、買うかしようと、バスの乗り込みました。バスも、どれが行くのか、分からないので、いつもの如く、聞きまくって乗りました。こんなバスです。オンボロですよねー! 前方です。隣のおっさんに、ギザはどこで降りるか、教えて貰って、降車。近くを探し回わり、食堂らしき場所を探したものの、なんにもなし。弱ったなー、と歩いていたら、屋台のサンドイッチ屋がありました。小さな、ほそ~いパンに、肉と野菜炒めを、はさんでくれます。それを3ヶ食べて、ビスケットを2袋、水を1.5リットル買って、再び、バス探しです。どれに乗ったら良いのか、分からないので、ピラミッドや、スフィンクスの写真を見せて、行くかどうか確認をしていました。しかし、ミニバスは、忙しいのか、仲々、止まってくれません。そしたら、綺麗なお姉さんが、「ハラーム! ハラーム!」と叫んでいるバスに乗りなさい、とアドバイスくれました。すぐに、そのバスは来たので、飛び乗りました。あ~ぁ、面倒くさいなー、などと思っていたら。ほどなく、ピラミッドが見えて来ました。なんじゃー、こんな所にあるのかー? と拍子抜けした感じです。意外や意外! ピラミッドの近くに、沢山の民家、建物があるのです。
2007.10.08
コメント(9)
カイロから、アスワンへ行き、ルクソールに来て、ようやくネットカフェを見つけました。実際より、遅れた記載となりますが、アップします。--------------------------ーーーーー----エジプト航空、ダンマンからの出発が、1時間半遅れたので、到着も遅れました。カイロは、サウジより、1時間早いのですが、空港に着いたのが、18時15分。(カイロ時間で、17時15分)イミグレの前に、両替屋があり、そこで、ビザの印紙を売ってます。15US$。バス代とか必要なので、両替もしておく。群れ来るタクシー運転手を掻き分けて、空港の外に出たら、もう薄暗闇。外に出てもタクシーの運ちゃんが、寄って来るので煩くて適いません。市内へのバス乗り場が、分かり難く、彷徨いましたが、何のことはなく、空港から出たら、真っ直ぐ進めば良いのです。地球の歩き方の説明もヘタクソ。空港を出たら、前方にあるので、真っ直ぐ歩け!と書いてあれば分かり易いのに、3番から出たら右へ直進すると1番に出るので、左折して真っ直ぐ歩け!と書いてあります。経験してみれば分かるけど、この説明、極めて分かり難い。市内へは、25分ほど。しかし、どこへ着いたのか、さっぱり分からず、暫くは、色んな人に、聞きまくり、考古学博物館のすぐ隣の、タフリール西バス乗り場と判明。僕は、バスがてっきりタフリール広場に着くものと思っていたので、さっぱり分からなかったのであります。目指す、イスマイラ・ハウスも、何度も聞いて、たどり着きました。45£E(900円)で、シングル個室。内装をしたばかりで綺麗です。バス、トイレは共同ですが、歯磨きしたり出来る、水道は来ています。明日の夜行と、ピラミッド見物の調査に、市内へ出かけました。夜行バスは、どうも難しいらしいと言う、情報より、夜行列車を探しに行きました。地下鉄にのって、ムバラク駅へ。そこを降りると、ラムセス鉄道駅があります。個室寝台が、60US$とのこと。900円のホテルに比べると、高いなー、と思うものの、考えて見れば、大した金額でもないので、買うことに決定。そうしたら、何と言う事か、今、締め切った。今日は買えません。明日の朝、来てくださいって、何とも連れないお言葉。トホホのトホホですが、言っても聞きそうもないので、トボトボと帰ってまいりました。初日から、疲れる対応です。
2007.10.08
コメント(4)
時は、2007年、10月の3日。いよいよ、「16日間 エジプト一人旅」が、挙行される日になりました。トルコの旅から、サウジへ帰国後、結構、色々とあったもので、「いよいよ」と言うほど、待ち焦がれていたような気がしません。準備も不足です。カイロへは、サウジのダンマンから、直行便がありました。飛行時間は、たったの、3時間です。近いのですねー。ダンマン空港は、2度目ですが、田舎の空港の割りに、そこは金持ちのサウジ、結構立派な飛行場であります。エジプト航空。出発が、1時間半遅れました。(やっぱり)そして、今、ラマダン中。アルコール類は、サービスされないのだろうと、それは、諦めていましたが、機内食はどうなるのか? それが興味津々でした。飛び立って、何分位過ぎた頃でしょうか? 45分程度だったでしょうか?機内食が配られました。牛肉と、炒め飯、パン、甘いお菓子、で、ごく普通の機内食です。なんだー、普通じゃん!と思っていたら、それからが、全く普通の飛行機と異なりました。いや、その前にも、およそ、60~70%の人が機内食を受け取っていましたが、残りの人たちは、受け取ってません。ふ~ん、ラマダンだなー。エジプトは、やはりイスラム国家、と、思ったものです。で、機内食配布の、その後。僕は、腹へってませんでしたが、バックパッカーの旅だと、いつ、次に食べる機会があるか、分からないので、すぐさま、パクつきました。結構、うまいじゃん!モグモグ、パクパク。いつもより、やけに、自分の食べる音が聞こえます。何じゃー? と思って、周囲を見回したら、えー! 誰ーも食べてません!モグモグ食べているのは、僕だけ、たった一人です。何だか、悪いことしている見たいだけど、食べるのを咎められている訳じゃーないし、食べ続けました。飲み物サービスもないなー、と思っていたら、ほとんど食べ終わった頃、「あらまー、食べている人がいるわー!」、ってな表情をして、CAさんが来ました。「コーヒー、それとも、紅茶?」、って聞くから、「コーヒー」、って言ったら、空のカップを2ヶ置いて行きました。なんじゃろなー、と待っていたら、ポットを二つ持って来て、1ヶにコーヒー、1ヶに紅茶を入れてくれたのであります。おいおい、いくら、食事する客がたった一人とは言え、一気に2杯も飲めんぞ。と思いましたが、持って帰って貰うのも悪いので、2杯とも完飲しましたです。(腹がポコポコ)で、配布された機内食は、どうなったか?降りる時、皆さん、手に持って降りて行きました。やっぱりラマダンだからですねー。
2007.10.04
コメント(15)
全35件 (35件中 1-35件目)
1