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遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、遙か雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。 満天の星を頂く果てしない光の海を豊かに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる夜の静寂の、何と饒舌なことでしょうか。 光と影の境に消えていった遙かな地平線も瞼に浮かんで参ります。 (「ミスター・ロンリー」のBGMがしばし続きます。) 夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは、遠ざかるにつれ次第に星の瞬きと区別がつかなくなります。 お送りしておりますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように・・・。 おぉ~、なんと素晴らしく印象的なプロローグなのでありましょう・・・。耳から聞いても、こうして文字に書き起こしても絶世の名詩ですネェ~。 あなたは、城 達也さんの名調子で始まるこの「ジェット・ストリーム」というFM放送を覚えていらっしゃるっでしょうか。昭和42年、FM放送が開始以来、今日まで営々として続いている名物番組の導入部分ですね。 城さんは27年間にわたり、この番組のパイロット役を続けてこられましたが、平成6年に降板以来、このプロローグを聞くことが出来なくなりましたが、私にはこの一言一句が深く脳のヒダに刻み込まれております。 この放送が始まった昭和42年当時、私は学生でありました。その頃は、もっぱらラジオの深夜放送を聴きながら学習することが一つの文化として息づき始めた頃だったのです。 それぞれの民放ラジオ局が競って番組を盛り上げていましたのでリスナーの若者も「誰が何と言おうと糸井五郎が最高」とか、「私は土井まさるがいいナァ~」などと、いろいろ青春していたわけです。 私も深夜、期末試験の勉強中にそれらの放送を聞いていたのですが、どうも脳味噌が二つのことを同時に処理できる能力を持ち合わせておらず、どうしても聞き込んじゃうンですね。それほど面白かったということもあるのですがラジオを聞きながら物理のルート計算とか英語の助動詞がどうしたこうしたなんて器用なことが出来ないんですよ。 気が付くといつも、パーソナリティがしゃべっている恋愛相談なんかをジィ~ッと聞き込んでしまい、「うん、それで」などと相づちを打ちながらどっぷり番組に漬かり込んじゃう。とてもじゃないが、勉学どころじゃなくなっちゃうわけです。 この癖(へき)は40年を経た今も直らず、仕事中にラジオをつけると聞き込んじゃう。 ところが、このジェットストリームに限っては城さんが控えめに、それも品良く曲名をサラッと案内するだけ。取り上げてくれる曲も、イージーリスニング ちゅ~やつですか、心地よく耳に響くものばかりで、これは勉学の邪魔になるどころかスイスイ能率が上がるような錯覚が出来て非常に具合が良かったのであります。 以来、深夜放送といえば、「ジェットストリーム」が定番になってしまいました。おかげで、友達と交わす深夜放送の話題では、いつも蚊帳の外、糸井五郎さんの「Go・Go・Go」には着いて行けなかったのであります。 話が、またまたギュゥ~ンとコースを逸れてきましたので戻します。そう、これは「写真機の話をしよう」なので私の単純極まりない脳味噌のことなど、どうでもいいことだったですね。今回、お話ししようと思っているカメラは「チノン35FX-III」です。チノンとしては結構売れた「チノン35F」の後継機ですね。 この35FX-IIIは、1990年代初頭に出てきたカメラなので、昔ながらのコニカC35的デザインの35Fとはまったく異なって、いわゆるストリームデザ インに身を包んでいます。アンバー色でオシャレをした電源スイッチとシャッターロックを兼ねたスライドレンズカバーの形が、エアーライン機の客席窓を、ま た、ファインダーをカバーしている透明な窓がコックピットウィンドウを連想させませんか。 このカメラをジィ~ッと見つめていると、そんな想像が湧いて生きて、折しもそれが深夜だったものですから、前段の「ジェットストリーム」などに想いが巡ってしまったわけです。 それではこの「35FX-III」なるカメラの正体をほんの少し・・・。 レンズの焦点距離は、相変わらず35ミリ。昔は35ミリといえば立派な広角レンズでしたが、この写角に慣れてしまうと、これほど使い易くて便利な焦点距離は他にないですね、スナップやファミリー写真撮るのならベストな写角です。 レンズはf4.5。「35F」ではf3.8でしたので一見するとスペックダウンのように感じますが、このカメラはピント調整をする必要の無い固定焦点式 です。ですから深度を稼ぐ意味でも1段くらいなら暗い方が安心なのです。何だか変な理屈ですが、そこはあまり深く考えずに納得しちゃってください。 もちろんレンズ構成は伝統(?)の三枚玉!トリプレットの名機は数あれど、このチノンの三枚は魅惑的ですね。私の経験など極々少ないのですが、今のところ、このチノンの三枚は他社では決して真似の出来ない頭抜けたクセ玉(勿論、最上の褒め言葉として)だと感じています。 シャッターは電気が必要な機械式?1/125秒の一速のみ。(間違いなく機械式なのですが、どういう訳か電池を入れないと作動しないのです)撮影時は常にf8で固定されています。フラッシュをオンにしたときだけf4.5(開放)に開きます。私がここでアタマを捻っちゃうのが「DX対応」という仕組みで す。ボディの右横に、如何にも自慢げに金色のシルク印刷で「DX」マークが付いているんです。(当時はコレが先進性のステータス)フィルム缶に印刷された バーコードをカメラが自動で読んで、感度設定するという仕組みです。しかし、コイツはいつ如何なる時でも1/125秒&f8(f4.5)な訳です。これでどう対応することが出来るのでありましょう・・・ワッカンネェナァ~・・・??? さらに、DX対応機って、フィルム室にコードを読みとるらしい金属製の接点が3つ4つ並んでいるでしょ、しかし、コイツにはそんなボツボツはまったく付いておらず、フィルムの有無を見知する小さなバネ片が一つあるのみです。 うぅ~む、怪しい・・・どう考えてもおかしい、「DX対応」だなんてウソでしょ。1/125秒&f8だけで対応出来るわけがないもん。こうゆうのって、不当表示とか不正表示に該当するんじゃないの?まっ、当時はそんな法律なかったんですかねぇ。 ただ、不思議なのはフィルム感度がISO100でも400でもそれなりに写真が撮れ ちゃう。やっぱり、何か仕掛けがあるのかナァ~・・・、多分、ネガフィルムのラチチュードに助けられているんだろうと思ってますけど。 さて、こんなストリームラインに身を包んだヌメッとしたデザインのカメラですが、これが使ってみると実にしっくりと使い易い! 握るところはちゃんと窪 んでいるし、裏蓋の指を置くところにはちゃんとギザギザ成形が施してあります。この窪みとギザギザに添って手を置くと自然に正しいホールドが出来るよう設計されているんです。いわゆる、痒いところに手が届いている作りがされているんですね。「35F」のときは右手のホールドは問題なかったのですが、左手が どうも中途半端で、ぎこちない使い方を強いられたのですが、こちらは両手とも完全にしっくりきます、やはり伊達の歳月ではなく見事に進化していました。 写りに関しては、35Fのようなギラギラした生命感を感じる野性味はまったく影を潜め、良く言えば洗練度が増したよう、悪く言うと大手メーカー製に近づいちゃったかなという感じ。少し優等生になってきちゃったのかしら・・・。しかし、チノンの「キラッ」はまだ色扱いなどに残されていることは確かなようです。この手では良くある遠景のいい加減さもダレることなく35F同様にピッチリ写りますよ、コニカのK-miniなんかを使ってヒドイ目に遭い、金輪際、固定焦点機なんてイヤだと懲りた人でもコレなら大丈夫。 もし、あなたがこのチノンカメラに興味を持ち、一台仕入れてみようとお思いになったら、この「35FX-III」までのシリーズがお薦めです。なぜかといえば、この次の「35FX-IV」以降になってしまうと、フラッシュは手動ではなく低輝度自動発光になり、少しでも光が落ちるとやたらに発光し始めちゃ うんです。これは使いにくいカメラの極みですからね、ご注意を。シルクロード 明治から昭和初期にかけて絹織物を輸出するため、桐生(群馬)から横浜港までを最短で繋ぐ道がありました。いわゆる「絹の道」ですね。ここは八王子の丘陵から神奈川に入る辺りの「絹の道」。雑木林に人が通って道が出来、そこの雨が降って川になり、また人が通る・・・。その繰り返しで、このように窪んでしまっています。今では通る人の姿も見あたりませんが。東大・法学部校舎 校舎の修繕に来ていた若い職人さんは休憩中。エリートを目指す同年代の学生が前を通り過ぎます。これくらいの光量になると、フラッシュを催促する赤いインジケーターランプが点灯し始めますが無視してください。その誘いに乗ると絞り羽が開放になってダレた写真になってしまいます。木造3階建てのアパート「本郷館」明治に創建された東大生のための下宿施設です。現在は、取り壊されて鉄筋の高層マンションに姿を替えました。いずれも手抜きの無い描写で、高級一眼レフで撮った写真を遜色がないですね!三枚玉って、とことんオモシロいですよ。今回も最後までご覧下さいましてありがとうございます。#chinon FX35#チノンFX35
2020.09.16
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今年の夏は北海道までも巻き込んだ連日の異常な酷暑、それが一段落つくと思いきや今度は線状降水帯の襲来を受け散々な目に遭ってしまいましたね。規模の大小に拘わらず被害を被られた方々には心よりお見舞い申し上げます。こんなことを言っては不謹慎の誹りを免れないのですが、子供達にとっては異常気象や台風の接近や上陸って一種の非日常事態ですから大いなる冒険心を擽られちゃってちょっとワクワクしたりしてしまいます。 わたしが子供だった頃(昭和30年代)のことを少し思い出してみましょう。当時は現在のような気象衛星や予想コンピューターなどの気象予報システムなどまったく完備していませんでしたし、最新の情報を受け取る手段は新聞とラジオ放送だけでしたから現在位置や状況がはっきり市民に伝わっていませんでした。朝起きて、激しい風雨に耐えて登校すると先生方が校門前で「今日はお休みにしますから気をつけて帰って家で自習してくださ~い」と、ハンドスピー カー片手に声を枯らしています。当時は、それぞれの家庭に電話など普及していませんから現在のように学級連絡網などという手段は無く、とりあえずは全生徒が登校しちゃったものです。 ここで子供達は折角学校までやってきたのにと思いつつも、ほぼ全員がニタッとしまたよ。中には飛び上がって喜んじゃうオバカなヤツもいたりして・・・。そうゆうのはたいがい、勉強もろくすっぽ出来ない鼻から洟を垂らした悪童でしたね。うん?オマエはどうだったかって?ハイ、もちろんわたしも飛び上がっちゃったクチです。 そんでもって帰りの道々、友達連と今日一日の楽しい行動計画を立て合うわけですヨ。たった5分前に先生から言われているはずの「家で自習」なんてハナから頭には無いわけです。傘が上手く差せずにビショビショになりようやく家まで辿り着くと、よく父親がステテコ1枚になって雨戸のない窓に板切れを×印のようにして打ち付けていましたよ。あれってどれ程の意味があったんでしょうかね、大抵の家には軒下にそれ用の板切れが仕舞われていましたが、その効果たるやどれほどのものなのか、まぁ〜気休め程度の効果は期待できたと思いますがね。 そうして学校が休みになったり親達の日常でない行動を見るにつけ、当然のこと子供達も尻が落ち着かないというか、わずかに興奮状態になって行くのでありました。台風を迎え撃つ準備に忙しい親を尻目にランドセルを投げ捨て、先ほど悪童と約束した場所に出掛けようとすると「アンタ、こんな時に何処行く気なの!(怒)」と母に見つかり、引きずり戻されます。「ったくバカなこと考えてるんじゃありませんよ、これから何が来るのか判ってんのかいっ!(怒×2)」こうして妹と一家四人、六畳一間のバラックでラジオを取り囲むように座りながら、ジ~ッと台風の通り過ぎるのを耐えるのでありました。 ということで、いきなり話が飛びますが、「あぁ~ぁ、つまんないなぁ〜・・・」というような非日常の日々を過ごしていた昭和の中頃に活躍していたカメラが今ここにあります。岡谷光機が作っていた「Lord」というカメラです。今、わたしが手にしているのは「Lord 35 IV型-B」と言う昭和32年に製作されたカメラで、これがすごく良いのであります。 わたしが拾ってきたこの「35 IV B」は、当初あちこちが腐食してアルミパーツは真っ白、貼り革は乾燥しきってベロベロ、もちろん各リングは言うに及ばず巻き上げレバーさえ固着していた、とうの昔に命途絶えたカメラでした。 で、なんでそんなゴミのようなカメラを例え僅かな金額とは言え、お金を費やして買ったかというとですね、手に持ったときのズッシリとした「重み」ね。このカメラ、片手に載せても指が余るほど小さい(横幅は11センチほど)のですが、その容積にまったく比例しないドッチリとした手応えにやられちゃったんです。いやいや、カメラは単に重けりゃいいというわけではないのですが、大きさのバランスに比較して絶妙の重さというのがあるでしょ。厳密に言うと手で包み込んだときのバランスとでも言うのでしょうか、心地よい均衡の重さが感じられるというものがありますよね。とにかく持ってみると実に手に馴染むんですね。なので例え修理が成功せずともココロの平安を得たいときの手慰め用にでもなってくれればいいなと思ったわけです。 というわけで、あまりにも状態が悪かったのでバラせる限りバラして洗浄と磨き込みを施しました。するとどうでしょう、念ずれば通ずとでも言うのでしょうか、なんと固まっていた所が動き出し、機能を回復しちゃったんですね。それでもパリパリになってしまっていた張り革は再生不能ですので替わりのモノを張り直しました。 これは0.5ミリほどの厚さで細かいエンボス加工がされているゴムシートで、裏にはご丁寧に粘着材まで付いているものなのですが、カメラのボディに使うと指が滑らずに大変具合がいいのです。ホームセンターなどのゴムシートコーナーに置いてありますので、皆様にもぜひお薦めの補修品であります。 あとは、巻き上げレバーの先っぽが強烈な腐食で欠けてしまっているのですが、これは別の個体から持ってくるか、工作機械を用いて部材を削り出すしか方法がないので、何とか現状の物で我慢するしかありません。使い勝手に少し不便をするのですが、巻き上げられない訳ではないし、これで使うことと致しましょ う。 さてこのカメラ、実際に使ってみるとやはり実にいいんですね。写真からもお判りのようにシャッターボタンの位置が距離計の出っ張り近くにあって凄く押しにくそうでしょ。ところが、これが実に良く出来ています。 それはですね、このカメラは巻き上げを2回やって完了するのですが、1回目でフィルムが半分送られます。そして、もう一度巻き上げると残り半分が送られると同時に、シャッターバネがチャージされてボタンがポチンと5ミリほど飛び出して来るんです。ウン、これは巧い仕組みを考えた物です。なので、この位置でも距離計の出っ張りに煩わされることなくレリーズできます。さらにポチンと飛び出したシャッターボタンの下縁には赤い鉢巻きがマークされていて、「巻き上げは終わってますヨォ~、シャッターもチャージ出来てますよぉ~」と撮影準備の完了を 知らせてくれるんですね。これまたイカしたアイデアではございませんか。 それとね、私が一番気に入っているのがトップカバー左サイドに抜群のセンスで取り付けられている「Lord」という切り出し文字のエンブレム。これ、他のカメラのようにトップカバーの内側からプレスで出っ張らしたものではなく、丁寧なクロームメッキを掛けた別部品を貼り付けてあるのです。う~ん、小憎らしい意匠ではありませんか、すばらしい細工ですよ、これは! 「Lord」とは支配者とか君主、大きな意味では神をも意味する壮大な意味の単語なのですが、このカメラ、結局業界の支配者や君主とはなりえず、このカメラが世に出て2年後の1959年、「Lord Martian」と言う名機を最後にカメラ製造の舞台から降りてしまいます。何とも残念なことでしたが手抜きを一切拒否してコスト無視で良質なカメラを指向したことが短命を招いてしまったのかもしれません。 あぁ~・・・その他、フィルム巻き上げ機構のアイデアとかフィルムを途中でカットして現像する為のフィルムカッターの工夫とか、お話ししたいことがまだまだたくさんあるのですが、もう随分と作文が長くなり過ぎちゃいましたので今回はこの辺で・・・また機会を見て続きやることといたしましょう。ロード35IVBでの作例です↑ この写真は、絞り開放ですがココまでいけちゃいます!今回も最後までご覧下さり、ありがとうございました!
2021.08.28
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人間も満40歳になると「不惑」なんて言ったりしますね。「私もついに不惑の年になりまして・・・」なんて言ったりします。不惑とはご存じ「論語」の中に出てくる「四十にして惑わず」という記述から引用したものですがこの言葉、現在の日本ではとても通用する言葉ではないですね。先が一向に見えてこない令和の大不況の中、現在の40代はリストラや倒産に怯え、不惑だなんて泰然自若にしていられる状況では無くなってしまったわけです。精神的にも毎日がグラグラと揺れ動く始末で、惑いっぱなしというのが正直なところではないでしょうか。何せ70をとうに過ぎた私が不安定な日々に戦々恐々としているのですから・・・(情けない!)。 写真機メーカーの老舗中の老舗「RICOH」も銀塩カメラからの撤退の後、同じく老舗のペンタックスと結婚したり、ミノルタがソニーと結婚したりでデジタルになってからのカメラ業界の再編も目紛しい限りです。リコーほどの大メーカーになると、銀塩カメラの開発部門に携わっていた人々は下請け会社を含めると千人規模であるとは確かでしょう。その方々がすんなりデジタルカメラや事務機部門に移行できるはずもなく、当然リストラクチャーが生じたことは容易に想像がつきますよね。 私が少年の頃、初めて手にしたカメラがリコーの「リコレット」、高校時代のデートには、やっぱりリコーの「ハイカラー35」・・・そして現在この年になっても孫撮り専用にリコー 「R1s」、旅行にはリコーの一眼「XR-7」といった具合で、生粋のリコーファンなのでございます。この先、とうの昔に製造が中止されたリコーの銀塩カメラが手に入らないとなれば今の内に買って置かねばと、先日以前からR1sのスペアーとして狙っていた「MF-1」というコンパクトカメラを新宿の中古屋さんに買いに行きましたが、数店回っても1台として残っておらず見事に売り切れ! 更に驚いたことにはMF-1以外にも「RICOH」のロゴマークのついたカメラは全て売り切れ、まったく残っていなかったのです。ヒェ~~、世の中には私なんか足元にも及ばないリコーファンが大勢いたんですねぇ、いやぁ〜 ビックリしました。 そんなわけで今回壇上へ上がっていただいたのは「リコー・エルニカ35」です。中途半端に古い昭和47年(1972年)に誕生した、一応カテゴリーとしてはコンパクトカメラです。この年、田中角栄さんが総理大臣に就任したんです。皆さんまだ覚えているでしょ、日本列島改造論をブチ上げちゃって就任当時の人気は凄かったですね。角さんならこの日本を何とかしてくれるかもと国民の期待は一気に膨れ上がりました。日本列島改造の御旗の元、国家予算を蒔くだけ蒔いて公共事業をフル稼働させ、ある意味で日本のインフラ整備が進んだことは彼の功績大であったことは衆目の認めるところで有りましょう。 さて、このカメラをよ~く見ていると遠くの方にキヤノンの「キャノデートE」が見え隠れしてしょうがないんですね。いわゆる印象がダブるってヤツです。細かな部分を一つ一つ取り上げれば共通するのはシャッターが同じようなグニュグニュした感触の「セイコーFSシリーズ」ということ位しかないのですが、見るに付け使うに付けどうも同じ様な味がするのです。調べてみると、なるほど合点がいきました。この”エルニカ35”にはキャノデート同様に日付写し込み機能を搭載する予定で開発されたカメラだったらしいのです。(リコーがそう言っているのですから間違いないでしょう) 寸法や重量はほぼ同じ、基本的なレイアウトもそっくりなのです。そうか出発点のコンセプトは同じだったんだ。しかし日付写し込み機能の開発が遅れに遅れて結局上手くいかず、この目玉になったであろう機能を載せないまま見切り発車・・・!この辺がリコーらしいといえばリコーらしいのですが、何とも特徴のない中途半端なカメラになっちゃった訳です。 この両者の決定的な違いはカメラにとって一番大切なレンズに相違があります。”キャノデートE”は、3群4枚40mm/f2.8のテッサータイプを前玉回転式で使っていて実に軽快に使えるカメラに仕上げていますが、こちらはダブルガウスの大口径4群6枚40/1.8という大層贅沢なレンズをヘリコイドを用いて使っています。さらに前述のシャッターですがこちらは2秒から1/1000秒まで作動する「セイコーBFS」、キャノデートの方はひと味違う4秒から1/500秒で切れる「セイコーEFS」です。従って絵作りに関しては趣がかなり違っていて、こちらは線よりもトーンを重視した重厚な写真に仕上がります。 ただねぇ~スタイルがどうもイケません。こんな重厚で上等なレンズとシャッターを載せていながら何の工夫も感じられない平凡な形・距離計窓の周りに乳白色の格子模様が彫り込まれたプラスチックパネルなんかくっつけちゃって、もう許せないほどのペナペナさ、何とも安っぽく軽々しい仕上がりになっていますよね。幾ら他社が真似の出来ない製品作りを目指す会社とはいえ珍しいですよ、これほどまでにチープな造形物を造り上げるメーカーも。そこがまたリコーらしいといえばそうなのでしょうが・・・。そのせいかどうか撮影範囲を示すブライトフレームなんかキャノデートのパッチリクッキリとは雲泥の差、ポアンと薄くて見難いことこの上もありません。 とまぁ、このカメラについてはディスってばかりを並べ立てましたが、これもリコーカメラを愛しているからこそのことなのであります。これで撮影結果が良ければスタイルのことなど目を瞑れますが、みなさまのご判断は如何に・・・。下の試写の結果をとくとご覧下さいませ。ELNICA 35の作例です今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。#ricohelnica35#RICOHELNICA35
2022.11.26
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我らアマチュアにとってジャストスペックな一眼レフとは、どんなものだろうか。言い替えれば一眼レフとして"完成"された形のものというこもできる。それがペンタックスで言うなら、この「Super A」あたりではないかと思う。 プロのように連日使うわけではないので「LX」ほどの耐久性は必要ないであろう。露出モードはマニュアルは勿論、P/S/Aと全て使えるし、TTLオートストロボまで同調してくれる。また、シャッターも最長で15秒から最速1/2000秒までオートは勿論、マニュアルでも使うことが出来る。私の撮影スタイルからすると、これでもまだオーバースペックなのだが、まあアマチュアが使いこなすカメラとしては、この辺がベストなのではないだろうか。 AFに関しては論外で、露出のAEぐらいは妥協できるとしても、趣味の範囲でやっている以上、最低限撮りたいもののピントぐらいご自分で合わせなさいと言いたいですよね。実際、”EOS 55”を使うこともあるが、出来上がった絵はカメラが勝手に撮ってくれた写真という気がして全く面白みが無く、仕事で使う以外は出番は全くないのが現状です。本当は仕事でも常用している、SRT101やRICOH XR-7または、このSuper Aを用いたいのだが顧客と同行する場合、40年以上昔のMFカメラをひっぱり出したりすると非常に不安な顔をされるので持ち出さないことにしている。 一眼レフの完成形ということでは、人によってはTTL測光が搭載されたあたりのカメラや、はたまた開放測光が可能になった頃、と諸説言われ続けている問題でもあるが、カメラの電子化と言うところまで選択の範囲を視野に入れて考えれば、このカメラあたりが進化の頂点にあるカメラと思われるが、皆さんはどうお考えになるでしょうか。 レリーズボタンの外周ダイヤルは、モード選択用、シャッター速度はその左側に2個の小さなボタンを押して設定するが、これは使い勝手が悪くほめられた設計ではない。 この写真では、コシナの「55mm/f1.2 MC」を装着しているが、このレンズを付けてファインダーを覗くとさすがf1.2、飛び切り明るい景色が飛び込んでくる。従ってピント合わせも非常に楽で、常用標準レンズとしたいのだが大口径のせいかズッシリと重たいのが難。かなり昔に銀座の「ウツキカメラ」で新品を購入したが、1万円ちょっとだった。大口径の割には、ボケが少しザラ付くがそれ以外はちゃんと写るレンズで、価格を考慮すると大いに得した気分にさせてくれるいいレンズでした。Pentax Super Aの主な仕様発売年度・価格1983年 68,000円(ボディのみ)レンズマウント ペンタックスKAマウント シャッター電子制御式縦走りメタルフォーカルプレーン 15ー1/2000秒(オート、マニュアル共)、Xシンクロ1/125秒露出モードP, AV, TV, M, TTLオートストロボ, 外光オートストロボ測光方式TTL中央重点全面測光電源LR44またはSR44を2個使用大きさ・重さ幅131・高さ86.5・奥行き47.5mm 490g (ボディのみ)主な特徴ペンタックス初のマルチモード一眼レフPentax Super Aを使ってみましたCOSINA 55mm f1.2 MCもろ逆光のカットです。発色も押さえ気味で好きです。花のがくのアンダー部もそこそこ出してくれています。マルチコートの威力はこんな強い逆光でもちゃんと絵にしてくれます。RIKENON 200mm f4これも逆光で撮ってしまいました。どうも花と対峙すると私は光の裏側に回り込むクセがあるようです。このリケノンはコントラストもほどほどで、階調が豊かなのでこのような被写体にはとてもマッチします。今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。#pentaxsuperA
2023.07.29
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手前からセミライラ、左はゼノビアR、後ろがモスコー4型 今回は、スプリングカメラ3兄妹の試写を一気にやってみました。その結果、先入観を持って物に対してはいけないと云うことを、今回はイヤというほど思い知りました。 モスコーは写りがいいと評判のカメラだったのでいつかは使ってみたいと思っていました。ゼノビアRは、名機「ワルタクッス」の発展型ですので、これも期待できます。問題は最後に残った長女(昭和11年生)の「セミライラ」です。このカメラに関しては以前にも何かのカメラの紹介で取り上げましたが、故佐貫亦男先生が著した「ドイツカメラの本」の中で「セミライラの屈辱」という稿を寄せておられて、このカメラのことを完膚無きまで徹底的に叩きのめしているのです。この稿に関しては皆さんもよくご存じのことと思います。私としてはいくらドイツカメラを礼賛する内容の本とはいえ、国産カメラの味方ですので、同じ日本人としてここまで悪口を叩かなくてもと思ったほどでした。しかし元々技術屋の佐貫先生にしてみれば、形だけを恥ずかしげもなくそっくりセミイコンタを真似て中身の工作や部材に関しては足元にも及ばない稚拙な物をこしらえたことに腹を立てたんでしょうね。あまりにひどく酷評したこの記事を読んで以来、実物を見たこともないのに「そんなに劣悪なカメラだったのかぁ」という先入観がしっかり根付いてしまったわけです。 そんな訳で、このカメラとご対面したときは「うぅーむ、これが例のセミライラかぁ、どれどれ」としげしげ眺め回してしまいました。 手元にきた「セミライラ」は、75mm/F.35のフジコーレンズとフジコーシャッターの組み合わされたII型のようです。シャッター周りと絞り羽の動きがやや渋かったので少し手を入れましたら快調になりました。やはりカメラというものは手入れ次第でいくらでも寿命を延ばすことが出来るんですね。この辺が機械式カメラの良いところ、電気カメラではこうはいきません。電気を通わすことで動くパーツが逝ってしまったらそれでお終いです。さてこのカメラ、メッキや塗装の質は格段に違いますが、それにしても見れば見るほどセミイコンタにそっくりですね、隅から隅まで実によく似せています。これじゃぁ件の先生も腹を立てる訳だ。 とりあえず、カメラの精度とクセが判らないので、表に出て速度を変え、絞りを変えて1本撮ってみました。早速現像してみると調子のいいネガが上がっています。更にルーペを当てて見るとネガなのでハッキリは判りませんが、かなりしっかり撮れている様子。なにしろ劣悪な写りという先入観が頭にこびり付いていますからまだ半信半疑です。更にスキャナーで反転して拡大してみると予想とは全然違って凄くよく写っています。 「うぅ~む、これはどうゆう事?」佐貫先生のように上等なカメラばかりを渡り歩いてきた高尚な写真眼を持った方には鼻にも掛からない写りなのでしょうが私のレベルでは上等の描写です。いくら尊敬している先生とはいえ、人の話を丸飲みにして信じてしまうのは危険だと改めて思いました。何でも自分で経験して見ることが大切ですね。 ということでこの長女、私は勝手に「上等」と判断いたしましたので作例には謹んで男らしい黒一色の世界同じ年生まれの「昭和11年製D-51蒸気機関車様」にモデルになってもらい車両をグルッと一周して撮ったものを選びました。セミライラの試写です 次の作例は、次女「ゼノビアR(昭和27年生)」です。今はもう無くなってしまった”第一光学”という光学メーカーが作った単独距離計を備えた実に美しい仕上げのカメラで、3姉妹の中では一番の美人です。軍艦部のプレスなど角の成形が見事なほどに綺麗で梨地のメッキも非常に高級感があり惚れ惚れするような仕上げです。二眼レフのゼノビアフレックス同様、搭載されている切れの良いレンズ「ネオへスパー」の写りに痺れているファンは内外を問わず今だに大勢いますね。ファインダーは距離計併用の一眼式ですが、測った値をレンズの距離リングに移す作業が必要で、連動距離計に慣れてしまっているのでついこの移す作業を忘れちゃうんです。ファインダーを覗き二重像を合わせると、これでOKとばかり安心してシャッターを押しちゃうんですよ。おかげで最初の1本目はピンボケ写真のオンパレード。頭では理解しているのですが手指がなかなか着いてきてくれない、困ったもんです。Zenobia Rの試写です ラストは、三女モスコー(昭和29年生)です。さすがに物量豊富なソ連がツァイスをコピーしたカメラだけに「モスコー」は素晴らしい解像です。実際は独ソ戦でのドイツの敗戦でソ連軍がドイツに侵攻し、ドレスデンにあったツァイスの設備を技術者ごと接収し、モスクワ近郊のクラスノゴルツクで造ったものですから1型に関しては「スーパーイコンタ」そのものです。それにしてもそのカメラによりに寄って「モスコー」と名付けてしまうんですから、旧ソ連共産党の厚顔さも相当なものです。スプリングカメラといえば目測が常識のような世界、それも殆どがfeet表示でメートル尺度が脳に埋め込まれている私などは混乱の極みに至ります。このカメラのように連動距離計があると、確実に心配の種が一つ減りますね。目測ですと現像後でないと設定した距離の良否は確認出来ませんから、それまでずぅ~と心配を引きずっているわけです。「ピントはもう全て私に任せて、あなたは露出の事だけ考えていてね。」という、実に優しい女性(カメラ)です。フィルムサイズも6×9判ですので悠々たる大情報量で大伸ばしも難なく出来るし、じっくり被写体と向き合うような作品撮りにはぜひ欲しいカメラです。因みにモスコーは終戦後の1946年から1型が生産されはじめ、1958年の5型まで12年間継続されますが、この三女は4型でした。Moskva IVの試写です 今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。#semilyra #zenobiaR #moskvaIV
2023.08.26
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突然ですが空から降ってくる物と言えば・・・雨か雪とお思いでしょうが昔はよく紙ッペラも降ってきたんです。更にもっと昔はアメリカ方面からの爆弾も降ってきたのだそうですが私は戦後生まれなのでそれは幸い経験がありません。50代後半以上の方だったらご存じであろうと思いますがよく降ってきましたよねぇ~、紙片が。 これはもちろん天上の雲間から降ってくるわけではなく飛行機から地上に向けて蒔いた物です。そうですねぇ、おおよそハガキ大くらいの薄いペラペラしたピンクや青や黄色の紙です。もちろん戦後のお話ですから投降を促す米軍のビラではありませんヨ。近隣の大きな街の洋品店や薬局やパチンコ店の新規開店を知らせたり大安売りの告知が印刷されていたりしていました。 大抵が土曜か日曜の昼下がり、単発の小さなセスナが段々と高度を下げながら近づいてきて高度100メートルくらいまで降りてくるとゆっくり旋回し始め、機体の下に取り付けたスピーカーから楽しげな音楽やら女性の声でアナウンスが流れ始めます。と同時に搭乗者が窓から件のチラシを何千枚と投げ蒔くのであります。 この様子が実にキレイだったんですよ。一瞬プロペラ後流にサァ~ッと流されるのですが、じきにフワァ~っと大きく拡がって陽の光にキラキラ反射しながら実にゆっくりとヒラヒラ舞い降りてくるのでありました。 当時、私はまだ小学低学年の遊び盛り、原っぱで三角ベースや馬乗り遊びに興じているのでありますが、このビラまき飛行機が飛来すると皆それまでしていた遊びをピ タッと止め、自転車に跨るや一斉にこのビラが舞い降りてくる方角に向かって突っ走って行くのです。自転車を持っていない子はとりあえず誰かの後にしがみつき「それ行け~」ってなもんです。 何たって目標の方向は空ですから上を向きっぱなし。それで自転車漕いでいるのですから危険この上ない走り方。勿論いまほど車は走っていませんでしたがよく事故に遭わなかったものです。そして落ちてきた地点まで汗だくで走ってきては夢中で拾い集めましたね。路上や空き地はもちろん他人様の垣根なんか平気でずかずか乗り越え・・・やがて子供達が庭でがさがさやっているものだから怖いジイさんが出てきて「コラァ~ッ!」、飛びあがらんばかりにビックリして逃げ出したりして。 こちらは子供ですから書かれた内容などには全然関心がありません、そもそもひら仮名はともかく漢字はほとんど読めませんでしたから。そんなことより飛行機という憧憬の対象から蒔かれた物を手にすることにワクワクしたんです。その挙げ句、ポケットに入りきらないほど拾って家に持ち帰れば当然親の目に触れるわけで、ここで初めて広告として生きてくるんです。それにしても長閑な時代だったんですね、拾われなかった物はそのまま芥になってしまうわけで、よくこんな宣伝方法をお上が黙認していたものです。良い時代でしたね。 もしこの時代、写真屋さんが新規開店してビラ広告をしたとしたら多分セール品目に載っていただろうカメラが今回の主役、昭和34年に誕生した「ミノルタ A3」です。えっ、主役の登場が遅すぎるって・・・まぁまぁ、そこはいつものことなので大目に見てください。 ミノルタ(モルタ合資会社)という関西にあった会社は戦前から日本で最初の二眼レフやスプリングカメラを世の送りだしていた老舗です。戦後になってすぐライカカメラの将来性に強く共感し、35ミリ判小型カメラの開発に着手するんです。最初は当然のごとくライカを手本にフォーカルプレーン式距離計付きカメラから出発しました。やがてレンズシャッター機の有利さを感知し、昭和30年に完成させた「ミノルタA」が最初のレンズシャッター機として世に出されました。 このカメラは、3群4枚テッサータイプ50/3.5レンズを搭載し、シャッターを後ろ向きに付けて鏡胴の出っ張りを極力抑えるなどユニークなアイデアとスタイルを持ったオムスビ型のカメラでした。 このミノルタAは成功し、人々から受け入れられシリーズ化されていくことになるのですが、今回の「A3」は文字通り3番目、それまでのゴロンとしたオムスビスタイルを一新し、いわゆるレンズシャッター式距離計カメラの元を築いたデザインを与えられたのです。(もちろんライカM3の衝撃的なデザインが引き金になっていることは言うまでも有りませんが) ↑この写真をとくとご覧ください、実に綺麗に纏まっています。前モデルまでのゴロンとしたデザインと比べると如何に”ライカM3”のインパクトが激しいものであったかが判ります。イモ虫が成長を遂げてアゲハチョウになるのと同じほどの変態ぶりです。このA3になってレンズも少し明るい45/2.8に変更され「ロッコールTD(Tはテッサータイプ、Dはアルファベットの4番目、4枚レンズという意味)」という名前が付けられました。 さて問題はこのTDなのです、以前「ミノルタ・ユニオマット」というカメラを試した際に艶感のある今にも飛び出さんばかりの立体感を表現するレンズにすっかり惚れ込んでしまい、以来ミノルタ3群4枚偏執狂的病状は近年のプラカメにまで手を出す始末で深刻度を増すばかり、一向に治癒の気配すら見えません。 ユニオマットでは速度優先のオートでしかシャッターを切ることが許されず度々歯痒い思いをさせられました。そこで何とかマニュアルで自在に使える物を探していたらこのカメラと巡り会うことが出来たというわけです。正真正銘、初代ロッコールTD・・・期待に応えてくれるのでしょうか、撮影が楽しみなカメラでああります。ミノルタA3の作例です以下の写真は、モノクロはKonipan400を、カラーはKonika Centuria200を使用しました。今回も、また最後までご覧頂き、ありがとうございました。#minolta A3#ミノルタA3#rokkor TD
2020.11.03
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カメラメーカー各社がフィルムカメラの製造から撤退が始まってそろそろ20年が経とうとしてます。その後には国産メーカーの再編の嵐でリコーがペンタックスと合体したり、コニカもミノルタと統合したその先にソニーと結婚したりで、日本のカメラ環境は激変してしまいました。 リコーの理研光学は昭和の初めより、コニカに至っては明治期に日本で最初に写真機を製造した伝統ある会社です。長い歴史のあるこれらの会社が何故独自にカメラを造ることを止めてしまうのか、それは一にも二にもカメラが売れないからでありますね。いや正確には銀塩カメラが売れなくなっちゃったことに端を発します。両社とも相当数の品揃えで誘客していたにもかかわず製造を止めてしまうのですから、カラっきし売れなくなってしまったんでしょうね。更にそのことを象徴するように日本中のあちこちの商店街からカメラ屋さんが姿を消していることは皆さんもお気づきのことと思います。 一昔前は、どんな小さな商店街でも写真屋さんの一軒や二軒は必ずあったものです。写真を撮り始めると最初は大概操作の簡単なカメラから始めますが、少しでも向上心がある人ならじきにその写りに飽きたらずもう少し複雑な機構と上等なレンズを持ったカメラを指向するようになるでしょ。そんな時の相談相手になってくれたのがいわゆる写真屋のオヤジさんたちでした。写真屋のオヤジさんというのは、大体が写真が好きで商売を始めるんですね。ココが他のお店やさんと少し違うところ。お菓子屋さんや金物屋さん、文具屋さんなどは別に自分が売っているものが特別好きでなくとも務まるわけですから。まぁ、言ってみりゃぁ道楽商売の帰来がないわけでもありません。ですから好奇の心でこちらが質問などを持ちかけると待ってましたとばかり商売そっちのけで懇切丁寧に教えて下さるオヤジさんがたくさん居ました。私が若い頃に使っていた多くの一眼レフやコンパクトカメラもオヤジさんの蘊蓄を散々聞かされ て購入したものです。しかし、そのお陰もあって露出のなんたるやを覚えてきたのも事実です。 ここから話の方向を例によって、チト曲げますから着いてきてくださいね。世にゴマンと存在するカメラですが、こと日本のメーカーに関してはそのネーミングにはなかなか苦労していたようです。それなりの商品にピッタリ填るイメージのネーミングが付いている場合はお客も覚えやすいし、また名前の浸透の早いことは納得がいきます。特にカメラに関してはフランスで発明されドイツで発展したものですから、日本のメーカーはどうしても首が西に向いちゃう。老舗の小西六は「パール」、レンズには「ヘキサー」、これは英語圏でも立派に理解できますね、さすが由緒の正しい老舗だけのことはあります。しかし、中には苦し紛れではないかと思わせるような訳の分からないネーミングもありますよ。大概は会社の所在地である地名を基にしているだろうとは思うのですが例えば、お馴染みミノルタレンズの「六甲・・・ロッコール」、東京光学はトプコンレンズの「志村坂上・シムラー」、大船光学の「大船・・・オフナー」この両者などはそのまんまですが、日本人には何となく理解が出来るものの海外ではどんなものでしょう。まぁ、一種の固有名詞ですから何でもアリなんですが、外国人の耳にはヘンテコに聞こえるでしょうね。 さて、お待たせいたしました。今回も前回に引き続きリコー・エルニカシリーズを持ち出して来ました、「リコー・エルニカF」という小形カメラです。当時、爆発的世界ヒットの「コニカC35」に追随したと思われるまんまコピーカメラです。機能やサイズはもとより、各レバーやシンクロターミナルの位置までそっくりそのまま!レンズだけが40ミリとやや違っているだけです(C35は38ミリ)。異彩のデザインを誇ったオートハーフやオート35Vを生み出した会社の製品とはとても思えませんね。『キミにはプライドというものがないのか!』リコー大好きで、その製品に拘りを持っている私としては実に情けないカメラなのであります。まぁ、今さら泣きを入れもしょうがないので、先へ進めましょう。 さて、この「エルニカ」というネーミングですが、これがさっぱり分からない。辞書を牽いてもこんな単語は出てこないし、リコーが勝手に作った造語なんでしょうか。エルニーなカメラで「エルニカ」かな?そんならエルニーってなんだべ?更に、お尻におまけで着いてる「F」という記号も意味不明。よくレンズの枚数をアルファベットで表示したりすることがありますが、このカメラは4枚玉ですので慣例に従えば「D」ということになっちゃいます。こんな調子で、どうにもこうにも意味不明なのであります。これはもう販売戦略としては失敗ですよ、商品のイメージがピッタリしてこそのネーミングなのですからね。 どうもリコーの年譜を見てみると70年代って不作の年代とでもいうのでしょうか、オリジナリティ溢れるリコーらしい製品が出ていないんですね。こぼしてばかりいてもしようがない、本家本元「コニカC35」を視野に入れつつ使っていくこととしましょう。 ハッキリ言って、写り方までC35とそっくりなような感じがします。「ハイカラー35」で示すようなパキンと突き放すような乾燥したクセもありませんし周辺光量も十分余裕がありますよ。うぅ~ん洗練されちゃいましたネェ、こなれちゃいましたネェ~・・・。焦点距離が38ミリのC35、40ミリのエルニカF、アナタならどちらにしますか? 後日、クラシックカメラに詳しい某氏から、「エルニカ」の語源について教えていただけました。そのお話によると”エレクトロニックカメラ”を縮めて「エルニカ」としたそうです。うぅ~ ん、いかにもリコーの手抜き精神が発揮された命名であります。こうなると、エルニカFの「F」は4枚レンズを意味するFourの頭文字ですね、きっと。(笑)リコー・エルニカFでの作例です 今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。#ricohelnicaF#RICOHELNICAF
2022.12.03
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いやぁ~でっかいですねぇ~このカメラは・・・。「コニカAuto S1.6」幅が14cm、重さも800g近くあります。1967年製でヘキサノン45mm/f1.6(5群7枚)という一眼レフの標準レンズをも凌ぐような怪物レンズがズド~ンと取り付いています。まさに重戦車、どんな敵(被写体)でも潰せそうです。上のタイトル写真をよ~くご覧ください、大柄なボディからド~ンと突き出た大口径レンズを納めた鏡胴、どうです迫力満点でしょう。こんな大きなカメラは欧米人にはともかく、幾ら何でも日本人向きではないですよね、このサイズは。 私もまる1日、このカメラを首から提げてつき合った日は、首の筋と肩がコッチンコッチンです。あの時代、幾ら大口径戦争が勃発していたとはいえ、もう少し軽さにも腐心して戴きたかったですね。何しろ現在のようにエンジニアリングプラスティック天国の時代ではないので、隅から隅までキッチリ真面目に金属を一生懸命に加工して作ってあるんです。これだけ重いと間違って足元に落とそうものなら甲の骨など骨折しかねませんよ。カメラなんて便利に使えてなんぼのもの、一点豪華主義や見栄張りの道具ならいざ知らず、実用として考えたらいかがなものなのでしょうかね。結局、ヤシカリンクス14、マミヤスーパーデラックス、リコースーパーショットとどれも超重量級レンジファインダーカメラは歴史の徒花となりましたね。 一眼レフではレンズの明るさがそのままファインダーの明るさに反映されるので大きなメリットであるわけですが、距離計カメラの世界で何でこんな大きなレンズを必要としたのでしょうか、光量の厳しい室内や夜間に有利だからと言う点には理解が出来ますが、そうそう撮影のチャンスが多いわけではないでしょう。コレも時代の流れだったのでしょうか、あの頃、山本直純さんが「♪大きいことはいいことだぁ~♪」なんてテレビでよくやっていましたね、チョコレートのCMでしたっけ・・・。 大きいことは豊かさの象徴でもあったのかなぁ~、昭和30年代に始まったモータリゼーションも「スバル360」からスタートし「トヨタ・パブリカ」、「ニッサン・ブルーバード」とだんだん大きくなって、この時代(1967年)は「♪白~いクラウン」にまで発展しましたからね。一億総中流化、当時のアッパーミドル達は競って白いクラウンに食いつきました。このカメラも中古市場では結構多く見かけるので、同じくアッパーミドル達が標的とされ大いに売れたのでしょう。 しかし、このバカでかさには小西六でも反省があったのかどうかは知りませんが翌1968年、一気に小型軽量化した名機「C35ジャーニーコニカ」を出すことになるんです。これは今までの超重量級への反動か市場は大歓迎し、爆発的にヒットしましたね。反動だとすれば、コニカではなくてもヤシカ、マミヤ、リコーなど、どのメーカーが同じ狙いのカメラを作っても成功したはずです。もっとも各社後追いでC35のライバルを急遽作りますが、商売は最初にやったもん勝ち、井上順ちゃんの「じゃに~」のテレビCMもブームに火を付け、売り上げは鰻登り。C35を販売数で凌ぐものはなかなか難しかったようです。C35は、全体の作りやファインダーの見えなど、この「コニカAuto S1.6」には遠く及ばないチープなカメラでしたが、写りは皆さんご承知のように素晴らしいものでしたね。軽くて小さく何処へでも気軽に持ち運べてシャープで良い写真が撮れる、おまけに値段も3割以上安いとなれば、もうこの「Auto S1.6」が生き延びる道は残されていませんでした。カメラの進化が小型軽量に向かうと、これらの重戦車的カメラはティラノザウルスのごとく絶滅していくしかなかったのです。 コニカの「Sシリーズ」の集大成とも言えるこの「Auto S1.6」。大柄なボディ・重量と引き替えに可能な限りの機能が盛り込まれています。明るいレンズをサポートするシャッターにはコパルSVA、これはシャッター速度優先のEE撮影ができます。ISO400のフィルムを詰めて、1/60秒を選択してEEにセットすると(絞りはほぼ開放になります)夜間でも町中なら締まりのある綺麗な写真になります。勿論マニュアルで使うことも出来ますので、ファインダー上部のメーター指針を参考にしながらオーバー目・アンダー目も自在です。 またSシリーズ伝統のパララックス補正ファインダーは、更に磨きがかけられて二重像の分離もキッチリして見易いことこの上もありません。フィルム装填もこの機種にはイージーローディングのコニリールが装備されるようになりました。これはキヤノンのQL(クイックローディング)のように複雑な構成はまったく無くて、リールに挟み込んだフィルムをくわえ込むだけの簡単な仕掛けですが理に適った方法でグッドアイデアものです。 熱烈なるヘキサノンファンの方からお叱りを受けぬよう頑張らなくてはと、試みた試写の結果ですが私の力量では上手く持ち味を引き出せません。首筋の筋肉を鍛え、再度挑戦しなくてはならなくなりました。今回は暫定と言うことで・・・ヘキサノンファンの皆様、お許しくださいませ。KONICA Auto S1.6の作例ですご覧の通り、絞りの変化で硬軟自在の絵が出来ることは当然なのですが、そのどちらもが、素晴らしい解像をしてくれることだけは確認できました。今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。#konica#autoS1.6#konicaautoS1.6
2023.05.20
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願えばいつかは叶うと信じ、ずぅーっと待ち焦がれていたカメラがあります。それが今回のテーマ「ミノルタAF-S」なのです。 「な~んだ、当てにならないAF時代の古ぼけたプラカメじゃねぇ~か、そんなカメラのどこがいいんだい、いってぇ~何を待ち焦がれていたんだ」と、今アナタそう思ったでしょう!? 確かに30年も前に誕生したプラカメで、スタイルだって別にど~てぇ~ことはないんですが・・・がぁ~、がですよこのカメラしゃべるんです。 そう、お話が出来るのヨ。ど~ですスゴイでしょ、少しは興味が湧いてきたでしょ。 「イ~ヤ、そんな子ども騙しの手にゃ乗らねぇよ」と思われたウイットセンスのない方とはココでお別れです、そうゆうアナタにとってはこの先の話は参考にならないばかりか一つも面白くありません。ではまた次回にお会いいたしましょう、ごきげんよう。(残念だナァ~、この先が面白くなるのにナァ~・・・) さぁ~て、ウイットとユーモアセンスをお持ちのアナタ、お待たせいたしました、話を先に進めましょうね。過去にもいろいろな工夫でお客を惹き付けようとした試みはカメラでも随分見かけましたが、お話をしてくれるカメラは多分コレが最初でしょう。して、どんなお話をしてくれるかと言うとですね、転ばぬ先の杖のお知らせをしてくださる。例えば、写真を撮ろうとしてシャッターボタンに指をかけます、すると「フィルムをお入れ下さい」と、そうだそうだ、フィルムを入れないことには写真が撮れネェ~・・・ありがとネェ~。 そして光がか細くなってf2.8、1/40秒以下の条件を露出計が捉えると手ブレを警戒して「ストロボをお使い下さい」とおしゃべりになる。まぁ~まぁ~、なんとご親切なカメラでやんしょ。しかも、しかもですよ、年の頃なら25、6歳、土屋太鳳さんのような、すこぶる美人の方がおしゃべりになる。 「カメラが勝手にしゃべるだけで何で美人と分かるンや?アホちゃうんカァ~、このジイサン」と、今アナタそう言ったでしょ、正直に言いなさい、聞こえているんだかんネ。あのねぇ、疑うんだったらその声を聞かせて上げるからコッチへいらっしゃい。 ・・・ねぇ~、このお声です、もう絶対美人に決まてっる!分かったでしょ。 なぜ、私が美人だ美人だとお熱を上げているかというとですね、このおしゃべりになる声が本物の女性の声なんです。いわゆるカーナビの音声案内のような電子合成したボーカロイドの声ではないの。あの合成音声って嫌ですよねぇ、促音とか破裂音が必ず引っかかるでしょ。でもこのカメラの中にいる土屋太鳳さんは、発音完璧! まさしく正真正銘、女性の声なのです。 このカメラ、どのような仕組みでこのようにおしゃべりになるのかはサッパリ分かりませんが、こんな小さななりして、いろいろな電気的構造物が入って居るんでしょうね。そういう現実を直視しちゃうと興ざめになるので、あまり深く考えないことにしましょう。 電気カメラに関して言えば、私は修理には手も足も出ませんし、耐久性にも限度がありますからあまり興味がないのですが、同じ電気でもこのような利用法は気が利いています、いいじゃないですカァ~、大好きですよ。 いつも一人寂しくカメラを抱えて街をほっつき歩いていますが、このカメラが来てからと言うもの、ぜ~んぜん寂しくなんかないの。いつも土屋太鳳さんがお供してくれるわけだから。もしね、アナタが英会話学校に通っている最中だったら裏蓋に付いている言語切換スイッチを「英語」と書いてあるほうに切り替えてごらんなさい。 そうすると今度はボン・キュッ・ボ~ンのエマ・ワトソンが登場して「Road film」って、これまた完璧な発音でしゃべり始めます。そしたらアナタも覚えたての英語を駆使して返事をして上げて下さい。これで英会話もどんどん上達します。ネッ、楽しそうでしょ、このカメラ。 さぁ、そこの彼女いない歴ウン十年のアナタ、善は急げ!コレを読み終わったらすぐ中古カメラ屋さんへ突入しましょう。彼女が首を長~~くしてアナタが買ってくれるのを待っていますよ。 さて、ちょっぴりマジメにこのカメラについて考察を入れておきましょう。 このカメラ、当初は「トークマン」という愛称を着けられて市場に出てきたのです。ソニーのカセットプレイヤー「ウォークマン」が大ヒットしたんでそれにあやかったんでしょうかね。3大メーカーの一角を成すミノルタとしてはちょっと安易じゃありませんか、あまり歓迎できるネーミングではないですね。 しかし、トークする声が「マン」ではなく「ウーマン」ですからこの愛称はおかしいと思ったのか(この場合の「マン」は、性別ではなく人間を意味したものでしょうが)若干の意匠変更をして「V & D」(ボイスアンドデートの意か)と愛称を変更しました。私の所にあるのも、この「V & D」の方です。 このAF-S、しゃべってくれるだけで十分なカメラなのですが、ちょっとだけ機械的なプロフィールも紹介しておきましょうね。 AFはまだアクティブ方式ですが、ステップ数が初期のハイマチックAFなどよりも増えているのか、精度が格段に上がっていますし、もちろんフォーカスロックも出来るようになっています。 電源は単3型電池2本で全ての作動を賄っていますので、フラッシュの立ち上がりには多少時間(6秒前後で、レディランプが点灯しますが、10秒以上蓄電しないと光量不足になることがあります。)を要します。 シャッターも電気で動くプログラムAE(1/8~1/625秒)のみですから、作画意図をもって撮るような撮影には不向きです。 しかし、先にも書きましたようにf2.8、1/40秒以下の条件になって土屋太鳳さんが折角してくれる忠告を無視(太鳳ちゃん、ゴメンね)して、フラッシュを使わずともシャッターは1/8秒まで切れますから、結構雰囲気のある写真を撮ることもできます。 レンズは35mm/f2.8の単焦点、3群4枚のロッコールTDの流れを汲むテッサータイプのものが使われています。ハイマチックFやSで実績が磨かれ、もう完璧に完成の域に達してしまった銘レンズです。 カラーの場合、フジカのように決して色が突出するようなことはなく、かといって、キヤノンのような沈み込みもありません。極々ニュートラル、良く言えば ナチュラル、悪く言ってしまえば、あまり面白みがないということも言えます。いっそのことモノクロに徹してしまうという方向もあるかも知れませんネ。 それでは、私と彼女の生活ぶりをちょっぴり公開しちゃいましょう。Minolta AF-Sでの作例ですこのモノクロでの2枚は、絞りが解放になってます。それでいてこれだけの描写力!今回も最後の1枚までご覧下さり、ありがとうございました。#minolta AF-S#ミノルタAF-S
2021.02.23
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「ちゃんとしなさい、ちゃんと!」と子供の頃、よく母親からこうして叱られていましたねぇ~。私の記憶ではほぼ1日2,3回はこのセリフで叱責されていたように覚えています。まぁ、余程だらしのない子供だったんでしょうね。しかし私もやがて成長し、結婚して子供を持つようになると同じことを自分の子供に言っているんです。親から見れば子供なんて未完成な物体もいいところですからチャンとしている訳がない。もし5、6歳でやることなすことちゃんとしていたらこれはこれで怖いものがありますよね。ですから子供はちゃんとしていなくて当たり前なんです。これが子育て中にはなかなか冷静でいられない、今この歳になって孫を見ていてやっと分かる始末で、愚息たちには悪いことをしたなぁ~と・・・。 一方で大人はというとどうでしょう、最近はこの国の首相を筆頭に実にちゃんとしていない大人が増えちゃいましたね。日本の首相といえばこの国で最強の力を行使できる人間です。その人がちゃんとしていないわけですから国民は暗澹たる気持ちになるのも無理なからぬことであります。 人が溢れかえる都会で仕事をする私たちは余計に感じるのかもしれませんが、街々にはこれまた、ちゃんとしていない大人を大勢見かけます。例を挙げるときりがないので 止めておきますが、どれもこれも想像力が欠如しちゃっているんですね。自分がこんなことをしたら他人はどう思うだろうと一瞬でも考えられる思考力があるならとてもやれたものではないと思うのですが・・・。もしかしたら知らずに私も人に嫌な思いをさせているかもしれない・・・自戒を込め、くれぐれも心して行くことに致しましょう。 今回ご紹介するカメラは「リコー35L」↑です。これは実にちゃんとしているカメラなんです。まずは上の写真をご覧ください。シンプルなラインでまとめてはあるのですがカッチリとした精密感も持ち合わせているでしょう。リコーのカメラってデザインに関しては冒険をすることが多く、結構破天荒なものが多いのですがこの”35L”に限って言えば、思わず「これがリコー!?」と首を傾げたくなるほど理に適った流麗さを備えています。 ファインダー窓やセレン電池のフレーム処理は本当にスマートで惚れ惚れするほど美しいですよ。このカメラで私が一番気に入っているのが、トップのデザイン処理ですね。左端の巻き戻しはレバーは無く、平たい丸いノブのままなんですが矢印の刻印やローレットの仕上げがとても綺麗で上等です。アクセサリーシューと露出メーターを挟んで右前にシャッターボタンがありますが、これまた座を卵形に凹ましたりして気が利いていますね。最後の一押しは「RICOH 35L」とプレスで刻印されたロゴの洗練された書体と大きさ、いや小ささ。実に遠慮がちに小さく表示されています。このような控えめでモダーンな感覚はそれまでの国産カメラでは例を見ない気取り方です、実にカッコイイでしょ。 このカメラが誕生してから数年後、「リコー・エルニカ35」が出てくるのですが、何と落差の大きいことでしょう。完全にデザインの後退がありますよね。 外観がここまでちゃんとしているということは、当然中身もちゃんとしているわけで、レンズはリコーとしては初めて使う日東光学のS-KOMINAR 4.8cm/f.2(1961年にオート35Vというカメラで45/2.8のテッサータイプの日東製を搭載します)、ダブルガウスの高級品です。 シャッターには正確無比な最上級セイコーSLV。ファインダーは当然のことパララックス自動補正で、露出メーターはトップカバー上は勿論のことファインダー中の上方でも視認することもできます。もっとも私の個体はセレン自体が死んでいますので、何の役にも立っていないのですが。 アクセサリーシューはホットシューになっていて対応するフラッシュならそのままで発光してくれますが、トップカバー右サイドにシンクロターミナルも付けてくれましたのでコードでの装着で遠距離発光にも対応しています。 巻き上げレバーはリコー35シリーズ伝統の底部に付いているもので操作感や感触は完成の域に達しています。カメラのプロフィールはザッとこんなものですが、リコーにもこんな八方美人的優等生カメラがあったんですねぇ。このようにカメラとしては外見も中身も実にちゃんとしているのですが、肝心の写りはどうでしょう、大口径の日東コミナーはちゃんとしているのでしょうか、下に試写の結果があります。貴方はどうお感じでしょうか、ご感想などお聞かせいただければ有り難いのですが。Ricoh 35Lの作例です今回も最後までご覧下さり、ありがとうございました。#ricoh 35L#リコー35L
2022.03.26
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古いカメラに興味を持ち、いろいろと囓ってくるとその手の専門書や雑誌にも目が行きますね。しかし、そこに掲載されているものは大方がいわゆるこの道のメジャーといわれているカメラが殆どで、編集内容としてはあまり面白いものを見たことがありません。まあ、これも出版する側からすれば1冊でも多く売りたいわけで、名前も聞いたことのないマイナーなカメラを取り揃えたところで売れる見込みはないからしょうがないことなのですけれど・・・。 またマスメディアが取り上げたもので、かつ詳細なインプレッションレポートなどがあるものを読んでしまうともうそれだけでお腹一杯、満足満足という具合になってしまい、今更追体験をしてもなぁ・・・と、購入欲まで削がれてしまうこともよくあります。それともう一つ、紙面の体裁に拘るためかチープで簡素なやつも登場しませんね。著者や編集者のプライドが許さないのでしょうか、いわゆる庶民が愛したファミリーカメラ的なものも省かれがちです。しかしコチラとしては、このブログの主題でもある「庶民の味方カメラ」に強く傾倒しているので、今ひとつピタッとくる本がないのは残念ですね。 そんな本達を幾つか読み拾った中で、これは使ってみたいなぁと思ったものがありました。それは皆さんもよくご存じの「コニカ3A型」というカメラで、これにはかなり強く惹かれましたね。しかし上記のような書籍に常連のごとく登場するもので、人気があるのか店頭では異常と思えるほどの高値になってしまって小生の財布の中身では簡単には手が出せません。 そこで、3A型の半額以下で容易に買える、同じ系列のレンズを搭載した「コニカS」だったら描写の雰囲気ぐらいは味わえるのではないかと思ったわけです。このコニカSは、3A型の後継機として1959年に出現したカメラで露出計を備えたスマートなデザインは前モデルの印象をどこにも感じさせない全く新しいカメラのように見えますが、レンズやファインダーは3A型のスペックと同様なのですね。そしてSシリーズは、S, S2, S3と年代ごとに進化して行くのですが私が入手したものは、1961年発売の「S2型」です。 初代モデルとの差異は露出計のメーターが軍艦部のみでなくファインダー内上部にも表示されるようになったことくらいで基本スペックは変化していません。しかし、このカメラ、ボディデザインに関しては情けなるくらい良いところがないんですね。 お店のウインドウに鎮座しているときは第一印象で形の好き嫌いを判断しますが、あまり好印象を持っていなかったカメラでも手に取ってじっくり観察していると思わぬ発見をして感動することってよくありますね。私はほんの小さな箇所でも工夫の跡や設計の妙を見つけるのを楽しんでいるのですが、このカメラを手にかなり長い時間、撫でたりさすったりしていたのですがそんな所が見つからないんですよ。 やはり3型に比してあまりの個性のなさが不人気の最大の要因のようです。セレンやファインダーを取り巻くプラスチックの枠や、本当にお皿の形をしたシャッターボタンの指皿、はたまた素っ気ない造形の巻き上げレバーなど見れば見るほど辛くなるデザインです。これには少し悲しくなりましたね、日本最古のカメラメーカー「小西六」ともあろうものが幾ら実質に拘ったとはいえ、それはないだろうという感じです。 しか~し、しか~し、あったんです、このカメラの凄~~く凄~~く偉い所が・・・。小生の拙文をここまで我慢をして読み進んで頂いたみなさま、本論はここからでございます。もう少し辛抱願います。そんなこといいから早く言え、という声が聞こえてきそうなので、では先に進みます。シャッター速度は1~1/500秒まで、絞りはf.2~22まで。実用範囲としては充分です。 カメラというものは撫でたりさすったりして良さが判るものもありますが、やはり撮影を想定して操作してみないと判らないものもあります。いつものように手に持ってファインダーを覗きながら身の回りのもに焦点を合わせて、いろいろと距離の違うものにピントを合わせてみます。ファインダー自体は少しブルーがかっていますが隅々まで全く歪まず「おお、キレイ!」と思わず声が出てしまうほど素晴らしい像です。そして更にこの綺麗な像に輪をかけるかのように、凄~いものを発見しました。それはピントを合わせる距離の違いによって生ずる画角の大きさをちゃんと補正して見せてくれる工夫です。単にパララックスだけでなく画角まで補正してくれるカメラは私の場合、このカメラが初めてです。 まあ何て真面目な作り込み方、感動です! 3A型にも同じ工夫が確認できますが、所謂「生きているファインダー」とはこうゆうことなのですね。但しこのカメラの像は等倍ではなく、やや小さく見えますがそれにしても凄いファインダーです。思わず軍艦部を外してどんな仕組みか覗いてしまいました。この構造は文章では表現しにくいので、皆さん是非開けてみてください、きっと感動しますよ。 というわけで、もうデザインのことなどはすっかり忘れて何処かにすっ飛んでしまい、どうでも良くなってしまいました。このファインダーだけで充分満足、何度見ても飽きません。スバラシイ・スバラシイ!!ヨッ、さすが小西六!いいぞ・いいぞ、やっぱりあなたはただ者ではなかったんですねェ。(さっきまでの話は何なんだ、このお調子もん!)KONICA S II を使ってみました。このカメラは、精度の高いファインダーのおかげ正確なフレーミングが出来ます。カラーで使うと、しっとりと湿気のある抑え気味の発色をしますが、トーンは豊富で柔らかいのでポートレイトに良いかもしれませんね。今回も、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。#konicaS2
2022.08.20
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ファインダーがガチャガチャ とっても精密感が漂う端正な顔立ちの今は消えてしまったアイレス社製の高級カメラ「35 IIIs」です。 手にするとその全金属の重みがズッシリと掌に伝わってきます。トップカバーの左端には小型の光電池式輝度計も付いていてその精密感をいっそう盛り上げています。 さて今回のこのカメラ、レンズ鏡胴部分のレンズ・幕類共にまことに具合が良いのですが、肝心のファインダーに大きな問題を抱えています。まず、ピント合わせのための二重像が大きくズレてしまっていて、何処にピントが来ているのかさっぱり分かりません。もっとも最悪の場合、このトラブルが解消しなくても鏡胴に刻んである距離数値で目測設定は出来ますけどね。でもしかし、これほどの堂々たる押し出しの利いた写真機を目測で使うのはいかにも忍びない。また、そのことに付随した原因のものなのかどうか、パララックス補正枠がかなり右下に寄って沈んだまま固着していてピントリングを廻してもビクとも反応しない、という二つの不具合を持っています。これらの問題、どこまで解決できるか分かりませんが、取り敢えず中でどうなってしまっているのか見るだけは見てみることに致しましょう。1 まずは、ど素人の私がいじくることで致命的な失敗をやらかして、そのカメラでの絵を見ることなく息の根を止めちゃう事も考えられますので最初はどこにも手を入れず、距離セットは目測にしてこのままで一度使ってみましょう。ついでに露出計のセレンメーターもピンピン元気に動いていましたのでその精度も確認してみます。ワンコの鼻先まで距離1.2mと読みました。シートの当たりまで距離3.5mと読んでみました。2枚共しっかりピントが来てますね、距離リングの数値にズレは無いようです。2 トップカバーを開けるとこんなふうになってました。 ファインダーには昔のフジカ製カメラと同様の豪華プリズム2個抱き合わせ仕立てです。あっ、ちなにみこの写真機のファインダーは正確な「等倍」で出来ています。「うん、これまますますファインダーを元通りに直して使いたい」という意欲が湧いてきましたよ。黄色の枠で囲ったプレートを外すとパララックスの可動枠が入っています。この枠が底の方でグリス固着により引っ掛かっていたのが原因で不動になっていましたので軽く洗浄して調整しました。これで1つの問題は解決です。3 今度は肝心の二重像のズレをなんとかしなきゃなりません。 黄色の矢で示したネジがその調整用ですが、これは横ズレをいじるためのネジです。例のごとくピントを∞にセットして、その場所から望めるもので一番遠くに見えるのもを見ながら合わせていきます。 慎重に二重像を合わせるも、やっぱり縦にも像が相当にズレてしまっています。 この写真では、右上に見えている4隅に切り欠きがあるプレートが「2」で直したパララックスの補正枠です。4 縦位置のズレを調整するのはこの可動ミラーの後に付いている小ネジでやります。 こちらはほんの少しの回転角で大きくズレが移動しますので、ちょびっとずつちょびっとずつ慎重に廻しながら合わせていきます。 いずれにしてもご覧の通りの「基線長」のたいへん短い距離計ですので、調整はとてもデリケート。焦らずにゆっくりやることがコツかもしれません。5 調整後、ファインダーでの「最短」(80cm)で撮ってみましたがほぼ正確に合っているようです。もちろんトップカバーに付いているメーターも今度は感度設定で+0.5ほどズラしてみましたが、これも良好なようです。一番よく使うであろう中間距離もシッカリなピントで、これでまたしばらくは使えそうです。なかなか男前の写真機ですよねぇ~こういうカクカクしているスタイルのカメラ、好きだなぁ・・・ 今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。#aires35IIIs
2022.11.05
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もしこれからフィルムカメラを弄ってみたいとお思いでしたら絶対に私がお薦めしたいのが今回登場の「ヤシカ35MF」です。もうとっくにフィルムカメラと遊んでいるよなアナタにもこれを強くお薦めしたい。ダマされたと思ってぜひ一度お使いただきたい!決して損はさせませんから。もうすでにお使いの方は「ウンだ・ウンだ、オマエの言わんとすることはよ~ぐ分かるチャ、この際だ、想いのタケを存分にぶじまけレ!」とご理解いただけますよね。 ヤシカカメラの歴史は大ヒットカメラ・エレクトロシリーズの開発で精も魂も使い果たし、そこで終焉したと思われてもしょうがないほど、エレクトロというカメラは最高最上の歴史的傑作品であったことは世界中の誰もが認める事実です。本来であればこの大ヒットシリーズをもっと引っ張りたかったのかも知れませんが、人の人生同様に会社の進路にもいろいろな紆余曲折を避けて通ることは出来ません。 エレクトロシリーズの最終型になった”GX”は1975年に誕生したのですが、その前年に日本の、いや世界のカメラ業界にとってトンでもない事態が勃発しちゃったんですね。そうです「コニカC35EFピッカリコニカ」が世に出てきたんですヨ。 ゾーンフォーカスで大まかな距離さえ合わせりゃ昼でも夜でもキレイな写真がビシィ~ッと撮れちゃう!それまでの写真機の概念を根底からひっくり返した画期的なカメラです。その証拠に、20世紀の偉大なる発明品ということで、大英博物館にも展示されているらしいのです。私は現認しているわけではないので、伝聞話ですがね。 そもそもコニカは、それまでのC35ですら小さな割によく写るということでかなり売れたカメラでしたが、それを更に明暗という撮影条件の制約を一切取り払っちゃたわけですから鬼に金棒です。井上順さんのTVCFに乗って発売早々から売り上げNo.1のカメラにのし上がっちゃった。 こうなっては、幾ら大口径ダブルガウスの高級レンズを武器にして「ローソク1本の光で」を経文のごとく唱えたところで勝ち目を拾うには無理な相談です。仄暗い室内でたとえ絞りを開放にしても1/30秒以下まで速度が落ちては、万人向けとは言い難いですよね。それに引き替え、件のピッカリコニカはフラッシュ内蔵というそれまでに無かった新兵器とフルオート露出設定という武器を与えられたことにより勝負はあっけなく着いてしまいました。 この事態にライバル各社は一斉に追撃を開始するのですが、ヤシカが送り込んだ刺客が今回の主役のコレ「ヤシカ35MF」です。 レンズはライバルのコニカにピッタリ照準を合わせるようにまったく同仕様の38mm/f2.8のテッサータイプ。その他は、シャッターがコニカは1/60と1/125秒の2速を露出によって自動選別する方式ですが、ヤシカの方はもっと頑張っていて1/60から1/250秒を無段階に変化できるようにしてあります。 価格もEFが31,800円、MFが31,000とぴったりマークしています。ピッカリコニカの性能に関しては誰もが文句の付けようがないほどしっかりしたものであることは周知の事実ですが、このMFはただしっかり写ればいいだけのカメラに終わっていなのです。 ココです、ココなんです、私がクドクドやっている理由は。ヤシカにはナンと言ってもエレクトロシリーズという神様が存在していた。この全能の神の力は偉大で、たとえ安価な大衆機を計画するにも彼が睨みを利かせている以上は、その影響をどうしても引きずっていくことになります。ヤシカが狙ったであろうエレクトロからの買い替えユーザーにしたって、エレクトロの万全の写りを熟知しているわけですから彼らを満足させるものでなくてはならないわけです。 この”35MF”に載せてある3群4枚のレンズは、ヌケの良さと尖鋭度はライバルたちと大差ないのですが、このヤシカレンズは階調(トーン)をとても大切に扱ってくれています。そのせいで画面には言うに言われぬ艶めかしいほどのしっとり感が生まれ、豊饒な描写をしてくれるんです。 特にお薦めなのが日暮れ時からのアベイラブル撮影。絞りは当然開放(ファインダー右側に測定した絞り値が常に表示されていまので視認出来ます)になってしまいますが、このレンズ、タダ者ではありません。開放でも実に美味しい良いお仕事をしてくれます。この感触をぜひ味わっていただきたくて、クドクドと書いてしまったわけです。 このカメラの形状やデザインについても、ソフトで高級な感触のレザーで包まれたボディに黒の艶消し塗装を施されたトップカバー、そして程良い大きさで表示されたヤシカ伝統のロゴと、どれを取っ ても品の良い高級感が漂います。ただしペカペカとした安っぽい光沢を放つ鏡胴だけは今回は見なかったことにして下さい。 では、その”神が宿っている”かもしれない本機の写りをご覧下さい。ほとんどの作例が絞り開放のものです。Yashica 35MFでの作例です今回も最後までお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。
2021.05.16
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私自身、コンパクトカメラに関しては「コニカC35EF3」が世界最高と褒め称え続け、今もその思いは全く変わっていません。この傑作機(私だけが勝手にそう呼んでいるだけで世間では認めてくれないかも?)が誕生するには、その礎になったカメラや技術があってこそで、いきなりあのような傑作機が生まれ出たわけではありません。そこで今回は「C35EF3」の真の親というより今日のコンパクトカメラの元祖となった「C35」のオリジナルモデルを使ってみることにしました。 本来なら先ずこのカメラのお話をした後に後続モデルのことを語るべきなのですが私の場合、例えば「EF3」が良いとなるとその次のモデルのC35AFには発展せず、逆にその前の「C35EFピッカリコニカ」の方へと好奇心がどんどん過去に過去にと逆行するクセがあってこのような次第になってしまうんです。 このカメラの誕生の経緯については、書籍やweb上でたくさん語られて貴方もご存じの事と思いますのでここでは割愛します。ただ私的には世間でよく語られている「ローライ35起因説」にはどうもすんなりとは納得がいきません。いくら何でもローライ出現後、たった1年でこのような完成度の高いカメラが作れるとは到底合点がいきません。先ずライバルを良く研究し特許を避けつつ、それ以上の機能を盛り込みコンセプトを立ち上げ設計して行きます。 更に設計試作を繰り返し完成度を高め、金型製作や量産試作等で不具合を煮詰め、商品化となりますが、どう考えてもこれだけの仕事を1年で達成出来るとは思えないんですね。このカメラは1968年に誕生しましたが、4年前にオリンパスペンの大ヒットで追随して出した「Konica EYE」がベースになっているのは間違い無く確かです。縦横寸法はほぼ同じ、レンズ焦点距離の関係で奥行きだけが5ミリほど長いだけです。たまたま時代の要求というかタイミングがローライ35と重なったのではないでしょうか。 C35の語源となったCompactさについては、この1号機から非常に良く煮詰められていて全く無駄な空間を残していません。フィルム室の切り詰め方なんかはもう目一杯でパトローネのフィルム出口から2ミリも行くともう撮影面になってしまうほどです。また軍艦部を開けてみても距離計・露出計・巻き上げ機構が寸分の隙間なくギッシリ詰まっています。それでいて機能的にはほぼフルスペック(距離計・ AE・フラッシュマチック・セルフタイマー等)を達成しているんですから、これは凄いカメラですよ。 またレンズ部を開けてみると解りますが、このカメラのレンズはユニットごと全群移動してフォーカスを合わせる上等な方式が使われています。どこまでも手抜きや妥協がない素晴らしい作りなのです。そして肝心の使い勝手ですが、これが至ってスムース!なんの抵抗を全く感じることなく実に手の中で自然に使うことが出来ます。最初の1カット目からもう10年以上使い慣れたカメラのごとく操作できます。ここがこのカメラ最大の美点でありミソでもあります。 撮影していても小さくした為のコセコセ感を殆ど感じません。不思議ですね、ローライ35はミニマムリミットの点では確かに究極であることは異論がないのですが、決して使い易いとは思えませんね。(ローライファンのみなさまゴメンナサイ!)それでもムリに粗を捜すとすればフォーカス時にピント環を握るようにすると指でファインダーを隠してしまう事くらいでしょうか・・・ 当時、コニカはこのカメラを余程の自信を持って世に問うたのでしょう。そのことがこのカメラのロゴから察することが出来ますね。「KONICA C35」と記されたロゴの「C」をご覧ください、他の文字より2回りも大きく記されています。『非常に小さく造ったが完成度は高いんだよ』ということを如何にも自信たっぷりに表現しています。このカメラから始まるC35の歴史は1984年の最終機「C35 EFP2」まで実に21年間に及ぶ一大ヒット商品になりました。 もし、あなたがこのカメラを使ってみようするならば、ぜひ露出の面白さを楽しんでみてください。このカメラにはメーター押さえ込み式のAE露出計が搭載されています。ファインダーでピントを合わせそのままレリーズしてしまってもそこそこの写真は撮れるのですが、更に高度な使い方もできます。 それはテーマとなる被写体をファインダーのセンターで捉えシャッターボタンを半押しするとそこでメーター指針が押さえ込まれ露出が決定できます。その様子はファインダー右辺にメーターが表示されていますので視認できます。(更に正確を期すのであれば、被写体にギリギリまで近づいてそこでシャッターを半押ししてしまいます)その後で距離をとりフレーミングすれすれば、メインの被写体の露出はバッチリ綺麗に決めて撮ることができます。今で言うAEロックというやつを完全マニュアルで設定するわけです。更に感度設定ダイヤルまで併用すれば露出に関しては自在にコントロール出来るというわけです。こんな面白い遊び方が出来るのもこのカメラならではです。 というわけで、元祖C35も非常に良く出来たカメラでとても気に入ってしまい間違いなく私の常用カメラの仲間入りです。こうなると「EF3」がベストと言い切ってきた自信がぐらついてきます。そこで次のように使い分けることにしました。速写重視の人物スナップには圧倒的に目測が有利なので「EF3」で。少しゆったりした気分で作画を楽しみたいときは、この「初代C35」でと。 全て不動のジャンク品を購入したためコスト的には3台合わせても3,000円少々なんですが、何か贅沢な気分だなぁ・・・・。因みに、このカメラは2台ともシャッターが不動だったのですが、両方共にヘリコイドグリスが滲み漏れて来たことによるシャッター羽の油脂固着でした。たまたまかもしれませんが、2台とも同じ原因でしたので、C35はここがウィークポイントかも!? もし、シャッターが固まったC35を見かけたら拾って上げてください。レンズユニットは簡単に外れますから、後はベンジンで2、3回洗浄すれば元気に動き出します。今回は多くの諸先輩がカラーで美しい作品を発表されていますので敢えてモノクロで構成しました。作例は「KONICA PAN400」をD-76で標準現像処理をした画像です。 今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。#KONICA C35#コニカC35
2021.06.26
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年齢を重ねとうとう焼きが回ってしまったようです。実に情けない失敗を繰り返しました。かなり前から捜していたカメラがやっと手に入ったもので、ざっと点検し喜び勇んで試し撮りです。折良く同好の士のオフ会があり、持参して早速撮影開始。巻き上げもスムース、シャッターも快調、そして被写体にも恵まれ現像を楽しみに帰途につきました。 翌朝、少し早起きしていそいそと現像してみるとこれが何と素ヌケの真っ白状態で1コマも写っていません。「ギャ~ッ、何じゃこれは・・・」と叫んでも後の祭り、折角のオフ会スナップがすべてパァーです。ちょうど現像液が10本目を数えた辺りでそろそろ現像液を交換しなきゃなぁと思っていた所だったので、すっかり液の疲労が原因と思い込み、やはりこうゆうものはケチってはいけないなと反省しつつ仕方なく再度、近所を一周してまた1本撮り直し、今度は新品の液で慎重に処理しました。しかし、またしても真っ白シロのスッカラカン! ここまでやってやっとカメラの故障を疑う始末、この脳天気のバカ爺は救いようがありません。申すまでもなく、このカメラはシャッターが何と全開で開いたまま固着していました。こんな事もあるんですねぇ、シャッター羽が開いたまんま固まっているのです。更に電子シャッターだったのでボタンを押すと「カチャッ・カチャッ」とそれらしい音まで出してくれているのです。これにすっかり騙されてしまいました。 いわゆる普通のカメラならいくら何でもシャッターが開きっぱなしなら裏蓋を開けた際に向こうが素通しで見えるわけですからどんな脳天気でも異常に気が付きますが、レンズ面をカバーで覆っているバリアータイプのカメラだと真っ暗けですから分かりません。(泪)かなり使い古された私のMamiya U、ゴミとの境界を彷徨っています というわけで、さんざんな目に遭わせてくれたイタズラ坊主が今回のテーマ「Mamiya U」です。前述のシャッター羽固着の原因は、ファインダーガラスの下に貼られたショック吸収用のモルトが経年劣化で脂となって解けだし、羽までに回っていたものでした。たぶん前の持ち主が久しぶりに持ち出し、一度レリーズしたところで脂に捕まって羽が開いたままになったのではないでしょうか。どうりでジャンク箱の中にあったわけです。 脂が原因の固着と解ったので、これは何とかなるだろうと早速修理です。電子シャッターだし、機関部やレンズ部の部品も極めて少なくバラバラに分解するのも至って簡単。1個1個丁寧に洗浄して修理完了、電池を入れていろいろな輝度でシャッターを押すとちゃんと絞りが変化しています。 「よしよし、いいぞぉ~・・・」露出メーターが正確に機能しているかは撮ってみないと分からないので、このまま使ってみることにしました。結果は下に貼った写真です。ご覧の通り、期待以上の写りをしてくれました。たとえ小さくても”セコール”を謳ったレンズは伊達ではありませんでした。35ミリという焦点距離ですが周辺まで歪んだりダレたりせずにきっちり写っています。 さて、このカメラのデザインですが、四角いボディシェルとレンズバリアーのお椀の形がどう見てもデザインの統一性を欠いていてオリンパスXAのような洗練されたデザインではありませんね。何だかバリアータイプのカメラが流行りそうなので社命を受けて急拵えしたような中途半端さが漂います。 実はこの中途半端さが心に引っかかってXAよりも欲しかったカメラだったのです。何と云いますか完璧なものより何処かヘンだったり忌避されるようなものに心惹かれるひねくれた性格なんですね、私は。変な理由付けですが、米倉涼子さんより安藤サクラさんが好きといったようなニュアンスでしょうか。あっ、安藤さんに失礼でしたね・・・。 このカメラのプロフィールを簡単に紹介しましょう。発売年は1981年(オリンパスXAは79年です)、レンズはマミヤセコール35mm/f2.8で4群5枚構成。フラッシュを内蔵したため全体としてはXAにフラッシュユニットを装着したものより一回りコンパクトに仕上がっています。低輝度時シャッターが1/30秒以下になるとファインダー内に赤ランプと電子ブザーで警告してくれますがシャッターはロックすることはありません。ピント調節は最短で1mからの4点ゾーンフォーカス、ファインダー中にこの数値が出ればベストなのですがそのサービスは付いていません。露出計はこの時代によく使われたCdsではなく一眼レフでも使われているシリコンフォトダイオードで測っているので応答はすこぶる早いです。その半面、レリーズ時に瞬間計測をしてしまうために露出を前もって固定出来る、いわゆるAEロックができません。そのせいかどうか、大きく操作しやすいフィルム感度設定レバーがちょうど左手中指の位置に如何にもこれを使ってねといわんばかりにセットされています。レンズバリアーの開閉は上面のスライドバーで行いますがこれが電源スイッチも兼ねていて、さらにファインダーにも遮蔽板がかかる仕組みになっています。これはとても良いアイデアでバリアーの閉じ忘れがありません。Mamiya Uを使ってみました今回もラストまでお付き合い下さいまして、ありがとうございました。#Mamiya U#マミヤ・ユー
2021.12.18
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写真機の調整や修理に必要な道具は色々ありますが、その中でも使用頻度のトップは精密ドライバーといわれる小さなネジを扱うためのネジ回しです。種類はマイナスとプラスの2種がありますが、ここ半年ほどはプラスネジの精密ドライバーの出番がさっぱりなくなってしまいました。数多くのカメラを分解した経験のある皆さんはお分かりのことと思いますが、1960年以前に製造されたカメラには内外を問わず、殆どプラスネジは使用されていません。 ということで最近はかなり年季の入った物件ばかりを相手にしていたことに気づいたのです。カメラに使用されている極小のマイナスネジはドライバーの先端が滑ったりして作業性が非常に良くありませんね。その点プラスネジだとスイスイ作業がはかどります。解ってしまえば簡単なことなのですけれど、もっと早くプラスネジが実用化されていてもよかったのではと、まぁ今そう思ったところで致し方のないことですけど・・・。余談ですが、このプラスネジという発案は日本人の発明だと学生の頃、何かの授業で聞いたことがあります。 さて本題の「小さな真珠・パーレット」ですが、年季の点では相当のもので実用品というよりは骨董品に分類されてしまうかもしれません。コダックのフォールディングカメラと同様に依然として蛇腹カメラの歴史には興味があって、今度は日本でのファミリーカメラの祖始に触れてみたくなった訳です。 いろいろと私なりに調べてはみたのですが、写真界の重鎮あるいは長老と云われているような人々の回顧録や経験談の中に必ずといっていいほど、この”パーレット”という写真機が登場するんですね。それで前々から気にはなっていたのですが、事前にプロフィールを調べてみると、日本初のロールフィルムを使用した写真機らしいのです。どうやらこのカメラが日本のファミリーカメラの元祖のようです。うぅ~ん、これは興味津々であります。 造ったのは「六櫻社」、現在のコニカミノルタですね。やはりここでも狙いは一般家庭に対しての写真機の普及、コダックと同様にフィルムメーカーがこしらえたカメラだったんです。造られたのは、1925年(大正14年)もう100年近くも昔のことです。その後20年以上に亘って生産されたらしいのです。凄っいですねぇ~、何とまあ製品寿命の長いこと! 多少の設計変更や改良が加えられたにせよ、一つのモデルで20年以上の製品寿命とは、よほど品質が良かったのか、次の製品開発を怠けていたのか、何とも悠長なことではあります。時代もそれを許していたんでしょうね。今のデジカメに至っては、製品鮮度はわずか3ヶ月、1年も経ったら完全に商品価値を失ってしまいます。このめまぐるしい進行の早さはやっぱり異常です。端で見ていてもイヤになってしまいます。 端で見ていると書きましたが、わたくしデジカメに関してはとうとう乗り遅れてしまい、恥ずかしながら未だにまともなデジタル一眼レフにさえ触ったことがないのです。したがってこのブログでご覧頂いている各カメラのプロフィール写真は、銀塩カメラで撮影したものなんです。これまた、なんて悠長なことをしているんでしょうねぇ、時代遅れも甚だしいです! 実は友人にデジカメの開発に関与している人がいて、「今度、こうゆうの出すから買うんだったらそれまで待て!」とアドバイスしてくれるんですね。そうこうしているうちに発売日が近くなるとまた現れて、「今、こうゆうの開発しているから、買うんだったらそれまで絶対待て!」とまたまたストップをかけられる んです。彼にしてみれば、最新の良いものをと善意で社外秘の事情を耳打ちしてくれるのですが、私にしてみれば鼻の先に餌がいつもぶら下がっているようで一向に踏ん切りがつかないわけです。そんなこんなでかれこれ4年、彼とのつき合いが続いているうちはデジカメGETというわけにはいかないようです。 さて、話をパーレットに戻しましょう。このカメラ、ロールフィルム使用といってもコダックのように6×6cmの120タイプではなく、127タイプと呼ばれる4×6.5cm画面の通称”ベスト判”というやつを使うんです。コニカは勿論、コダックもフジも現在ではそのフォーマットのフィルムの製造していませんが、一部のカメラ店でFOTOKEMIKA(クロアチア)製の「efke」というモノクロフィルムを入手することが出来ますので撮影は可能なんです。 アンティークカメラの猛者の中には、120のブローニーフィルムの天地をカットして自作してしまうエキスパートもおりますが、私の場合はついつい行きつけのお店に置いてあるので買ってしまいます。 では、このカメラを仔細に観察してみましょう。ボディの金属部分は全て塗装仕上げがしてあり貼り革はどこにもありません。これは手本になったベス単やピコレットの影響を多分に受けたものと思われます。さすがに80年の時を経た塗装面は酸化と劣化でひび割れてボロボロです。しかし、大東亜戦争の戦乱に巻き込まれつつも今こうして私の手元にあることを考えるといろいろな感慨が湧いてきますね。東京をはじめ、主な都市はことごとく米軍機の爆撃を受け、焦土と化してしまったのですから、よほど大切に持ち出されたか運良く地方にあったものなんでしょうね。 レンズボードの左上に六櫻社のシンボルマークらしきシールが貼ってあるのですが、このデザインが桜の五弁の花びらに漢数字の六をあしらったもので、何と なく何処かの小学校の校章というか、「よくできました」マークというか、カメラの性格とも相まってプライマリーさに溢れていて実に「昭和初期の日本」を感じさせてくれます。ベスト版のフォーマットとも相まって、蛇腹を畳むとデジカメほどのコンパクトさになります。 撮影するためには、まずレンズボードの天地に付いているギザギザのあるベロを持って蛇腹を引っぱり出します。設定された位置まで引き出すとカチッと音がして止まるのですがこの仕組みが実に良く出来ています。蛇腹の伸縮はタスキになった2対の金属棒が司っていますので、出そうと思えば金属棒が突っ張るまで出てしまうんですね。実に簡単なメカで確実に定位置でレンズボードが止まるようになっています。文章で表現しようとするとかなり複雑に書き込まなければ私には表現できませんのでお店などで見かけたら是非その仕組みを見てみてください。Simple is bestの見本のような仕掛けに感動しますよ。他のベストポケット型カメラもこの定位置で固定する仕組みが千差万別でそれぞれの工夫が実に面白いです。 このカメラにもコダックものと同様に上から覗く小さなファインダーがついています。こちらものはコダックのものより更に見えが小さく、慣れない私にはどこが投影されているのやらさっぱり見当すらつきません。この形式のファインダーって本当に活用されていたのでしょうか?あまりの見難さに私は首を捻ってしまうのですが・・・。 もう一つこのカメラには、ファインダーとおぼしき装備があります。レンズボードの縁に沿って針金製の枠があります。この枠を180度反転させ立ち上げます。そして今度は、裏蓋に付いている円盤状の中に仕舞われている銀色のプレートを引き出します。そのプレートの先端に小さな穴が開いていて、そこから覗くとこれが素通しのファインダーになっているんです。この穴から見た被写体は非常にクリアーですね。なんたって、レンズを通していないからヌケのいいこといいこと!こちらは至って実用的です。 シャッターは「Echo」と刻印されたB, 1/25, 1/50, 1/100の4速エバーセット方式、ちょっと油断して巻き上げを忘れると2重露光の連続になります。絞りはf8からf64までというスペック。レンズは単玉の固定焦点ですが近接用にファインダー枠に固定された凸レンズを1枚付加することが出来ます。したがって近距離用と中遠距離用の2焦点をアバウトにカバー出来ます。 ということで、使ってみた感想ですが、一言で云うと「楽しい」カメラでした。何が私を楽しませてくれたというと、一つ一つの操作がとても新鮮に感じたんですね。こんな古いカメラのどこが新鮮かとお思いでしょうが、ガイドに潜らせるフィルムの装填から始まってファインダーの操作や極小絞りのf.32・f.64での撮影(大判用のレンズではここまで絞れますが、小型カメラでは普通 f.22位まででしょう)手ブレ必至のシャッターボタンの位置など、今までに経験したことのない作法を教わりました。たぶん最新のデジカメを手に入れても、このカメラほどの楽しさや新鮮な感動は得られないのではないでしょうか。このカメラの扱い方についての取説も文献も勿論ないので手探り状態ですがカットアンドトライで撮影してみることにしましょう。どんなふうに写るのか、ワクワク・ドキドキ・楽しみだなぁ~。この写真では見にくいですが、フィルムの平面性を確保するため、圧板ではなく鉄板製のガイドにフィルムを通して使います。センターに開いている矩形の窓は裏紙のフィルムナンバーを読み取るために開けてあります。右側の裏蓋には、SAKURA FILMのシール、レトロそのもの。レンズボードのアップです。蛇腹は本皮を用いていますが相当数のピンホールが発生しています。左が見難いことこの上ないファインダー。右寄り半円形のベロがワイヤーレリーズ取付ネジ穴、現行のレリーズと同じピッチなのにビックリ!ついでに三脚取付用ネジ穴も縦横2カ所にあるのですが、現行のネジとピッタリ合います。右に赤くペイントしてあるのがシャッターボタン、エバーセット式です。何とまぁ、この位置では手ブレ必至であります。通常の撮影では、レンズボードの周囲のある針金製のフレーム枠を立ち上げて撮影します。写真の状態は、近接距離での撮影用、レンズ先端に凸レンズを1枚付加します。六櫻社パーレットを使ってみました。明暗が交錯する難しい風景でしたが、マグレで当たった1枚。f16・1/25手前の草は50センチ位なので、ピンは外れてしまいます。昨夏の強烈な日差しが注ぐ、蓮池。それなりにコントラストもしっかりでビックリ!後方の店までは10m位、単レンズ独特の懐かしい描写をしてくれます。ファインダーの見えが恐ろしく小さくて見難いことこの上ないので、アバウトでレリーズしてしまいましたが、案の定カットしたつもりの手前のゴミ箱が見事に入ってしまいました。(笑)このカメラのフレームは4:6.5。かなりワイド画面です。お客の男性までは3m位、固定焦点ですのでピントが心配でしたが合っているようです。折角ですので、近接撮影用に装備されている凸レンズを被せて撮ってみました。ポンプまでは1.5m位、ちゃんとピントが合うようです。疑心暗鬼だったのでf.16まで絞りました。今回はefkeのフィルムを使用したので感度はISO100、手持ち撮影でスイスイ撮れましたが、このカメラを現役で使っていた100年前の人は、低感度・低解像度のフィルムに苦労したんだろうなぁとプリント作業をしながら考えてしまいました。ベストポケット型のカメラとしては、あまりよい評判を聞かないパーレットでしたが、どうしてどうして、良く写るではないですか。コダックベス単やピコレットはこれ以上なのでしょうか。興味は尽きませんね。今回も最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました#pearlette#パーレット
2022.04.09
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絞り羽にヘリコイドリングの油が回ってしまい途中で止まって動かなくなってしまっているジャンクのキヤノン大口径レンズが転がってきましたので整備を試みてみます。これまでの経験から大抵のキヤノンFL・FDシリーズレンズは絞り羽までは前からのアタックで到達できましたので、これも前から行くことにしましょう。 レンズを観察すると最前端のネームプレートリングにはカニ目穴は有りません、しかしフィルターネジに沿って付いているようなので、ここはまず円形のゴムブロックを用意して回してみることにします。この時、プレートリングよりレンズの前玉の方が出っ張っていますので、写真↓のようなゴムブロックを使います。(テーブル座用としてどこのホームセンターでも売っています)3段あるレリーフリングのうち、中心部のレリーフをナイフでカットすれば、レンズ面に無接触で回すことが出来ます。 プレートリングが外れると下の写真のようにハッキリと分かりやすいカニ目の付いたリングが露出するのですが、これが外周と内周と2個あります。内周にあるリングは前玉を固定しているものです。今回の作業ではこれを外す必要は有りません(赤矢印の方)。緑色のカニ目リングを外して下さい、ネジ方向はこれまでのものすべて純ネジ方向です。 このカニ目ネジを外すとご覧の通り、レンズの前群と中群が一つにまとまってゴロンと外れてきます。これで一気に絞り羽のところにまで到達できます、簡単でしたね。 羽はご覧のような状態↓で、かなり硬い油で固まっています。たぶんヘリコイドグリスが経年で溶けて絞り羽にまで回ってきてしまったのでしょうね。この状態で溶剤を用いて丁寧に拭き取ってしまうやり方でまずは作業を進めます。それでダメだと反対側から探っていって絞りのブロックを取り外さないとと相当面倒なことになります。かといって、このままベンジンのお風呂に浸けてしまうようなアラワザはさらにヘリコイドグリスを全パーツに塗りつけるようなことになってしまいますので逆効果です。 何度か繰り返し繰り返し油を拭き取っていきます。羽もだんだん綺麗になっていきますが、問題は動きなのでスムースに羽が開閉するようになるまで根気よく拭き取りを繰り返します。機構部にまだ溶剤が残っているうちはスムースに動いても乾燥してしまうとまた渋くなったりしますので、ここは時間を掛けてしっかり検証しながら作業を進めます。この乾燥までの待ち時間はけっこう暇ですので、この際ついでに前群中群の清掃もやっておくといいですね。2枚目の写真の説明の項で赤矢印のリングを外すと、前玉が外れてそれ以降のレンズをばらすことが出来ます。ただ光に透かしてみてまったくクリアーで有れば無理に開ける必要はありませんけどね。 こうして油除去清掃が一応終了しましたら、この状態でカメラに取り付けてみて絞り羽がセットした数値の位置まで絞られてシャッターが切れるか何度もテストをしてみて下さい。それでオッケーなら、外したレンズブロックを再度取り付けていきます。 さて、この1964年製のオールドレンズ、一応実用の範囲にまで動くようになりましたが、どんな絵を作ってくれるのか試写が楽しみなってきました、週末散歩のお供はこのレンズを着けたCanon FPで決まりですね。今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。#canonlenz#canonfl50f1.2
2023.02.11
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このカメラは欲しくて手に入れたわけではなく、行きつけの KTムラカメラのジャンク箱に埋もれていたのを、いわゆる”救出”したものです。箱の中には20台くらい入っていましたが何処に放置されていたのか、このカメラだけがあまりにホコリだらけだったのでついつい可哀想になり連れて帰ってきました。ひと通り点検しましたが、不具合は電池室の電極に多少緑青が出ている程度で露出計をはじめ機能は全て生きていました。汚れやホコリは外装だけに留まらずファインダー、フィルム室、レンズと全てに亘っていたので分解して清掃。こうして新品同様ピカピカに甦ったのが上のタイトル写真です。 どんなカメラでも手元の来た限りは設計者の拘りや美点を見いだしたいものですが、このカメラの設計者は過去の一連のHI-MATICシリーズと同様に金属ボディで作りたかったのではないでしょうか。このデザインはどう見ても金属プレスを想定していたような気がするんですね。しかし時代がそれを許さなっかた。フラッシュを内蔵したための感電対策でプラボディにせざるを得なかったのでしょう。唯一裏蓋を金属板プレス製にしているところに設計者の拘りを感じます。 それにしてもミノルタはなぜ、この社名ロゴデザインを1978年に変えたのだろうか。 このハイマチックSの社名ロゴはカメラボディに似合ういいデザインだと思うのですが・・・。後のロゴデザインは事務機や家電製品にはともかく、カメラのボディには全く不似合いでセンスのかけらも感じられないですよね。 カメラ店のショーウインドの中でNikon、Canonに挟まれて陳列されているMinoltaのカメラを見比べてみると、この新しいロゴデザインがいかに不格好かがよくわかるでしょ。例えば、昔の一眼レフのSRシリーズ、その次のXシリーズとデザインや意匠に関しては、他社を一歩も二歩もリードしていたメーカーなのに残念で仕方がないです。後年の一眼レフのα9やα7にしても、操作性を犠牲にしないで綺麗にまとめたよいカメラだと思うのだが額に付いている「MINOLTA」のロゴで全てがブチ壊しになってしまい、何ともかわいそうです。 さて、試写の結果ですがコンパクトでもさすがにロッコールです、実にナチュラルで柔らかく、まじめにキレイに写ります。コントラストもそれほど強くなくしっとりしたいい描写をするので、雨の日とかに使うと絶対いい雰囲気が出せると思いますね。距離計はないがファインダー内でゾーンマークを針が示してくれる親切設計で、ピントを外すことも殆どありません。同じような仕様の「KONIKA C35EF」は少しクセのあるHEXANONで、思いもよらない描写をしてくれる楽しいカメラですがこの「HI-MATIC S」はあるがままに”何も足さず、何も引かない”実にリアルな絵を写し撮ってくれます。私の好みは後者なのですが、あなたならどちらを選びますか?プラボディの軽さに起因するのか、どうも粗雑に扱ってしまうことがある可哀想なカメラ。次からはバッグに入れるにも、そぉーと入れて上げよう。 このカメラのライバル達は、おしなべて開放値がf2.8なのにこれだけがf2.7なのはどんな理由によるものなのか。この0.1の明るさの差をセールスポイントにしたかったのだろうか。使った感じでは、その差は全く解らないです。 ボディ正面の機種名を表示している黄色い「S」のシルク印刷、これは最悪。全体のデザインはキリッとしまっていて好感が持てるのに、この一文字でおもちゃカメラになってしまいました。ゾーンマークは、最短80cmから無限遠まで5分割HI-MATIC Sの主な仕様発売年度1978年レンズROKKOR 38mm f2.7 3群4枚構成(テッサータイプ) シャッターセイコー製絞り兼用2枚羽 オート時1/4から1/450最短撮影距離80cm大きさ・重さ幅130・高さ84・奥行き55mm 330g 発売時の価格31,000円(ケース付き)主な特徴フラッシュ撮影時、距離のセットに連動して絞りを自動で最適値にしてくれるフラッシュマチック機構をそなえる。Minolta Hi-matic Sを使ってみました 今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。#minolta#hi-maticS#minoltahimaticS
2023.04.15
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