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2023.10.28
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​​​​ もうかなり昔の事(2005年)になりましたが、当時の7月21日付の朝日新聞朝刊・神奈川版に「在日集落 歴史に幕」というかなりスペースを割いたコラムが掲載されました。この記事でわたしが反応したのは本見出しではなく中見出しの方で、ご覧の通り「川崎の河川敷 戦後から生活の場に」という一行に眼が釘付けになりました。​​

​

 もしかして・・・あそこのことかな???  読者の方の中には既読の方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしは数年前、このブログに​ 「冷麺の味」 ​と題する在日朝鮮人の少年との交流を綴った記事を書いたことがあるのですが、この新聞記事はその題材になった場所のことではあるまいかと思ったのです。しかし、あの記事の記憶から半世紀以上が経過しています。いくらなんでもあの鶏小屋より粗末だった掘っ建て小屋の集落が今日まであるわけがないなと脳みそを納得させようとしたのですが、この記事には詳しい場所の地図まで示されていたのです。その地図を一目見た瞬間、あのときのあの場所だ、間違いない、と・・・。
 その後は記事の一行一行を何度も読み返し、今日現在のあの場所に想いを馳せたのでありました。 ​

(コラムの実物は コチラ↑ )

​  この記事の掲載後、7月も終わろうとしているある日、猛烈な暑さに襲われながらも行きたい・見たい・逢いたいの一心で当地に出掛けてきました。
  その時は、絶対に失敗無くしっかり記録に残そうという想いが強かったので、記録写真機としては打って付けと思われる昭和の中盤時代に新聞報道カメラマン達が愛用していた中判のそれも6×9判の「マーシャルプレス(1966年製)」という大きなカメラを引っ張り出して望みました。このカメラは、 実に冷徹なまでに有りのままの情景をその場の空気まで包み込んでしっかりと記録してくれるニッコールレンズの付いた信頼度120パーセントのカメラです。これをメイン機に据え、小型35ミリ広角カメラを幾つかサブで携えていくことにしました。 ​


​ ​  現地に着いてみると、新聞に書いてある通り当時とは違ってかなり部落が膨張しています。家々の個数からするとざっと10倍以上には膨れていましょうか。通りすがる住人の方々と挨拶を交わしながら、複雑に入り組んだ家々の中心部に向かって進んでいきます。しかし、ここにお住まいのみなさんはどういうことなのでしょう、わたしは風体からして、だらしのない中年男でそれにカメラなど何台もぶら下げた怪しいよそ者なのですが、こちらの皆さんは若い方(といっても30代半ばくらい)もお年寄りもみなコチラが「こんにちは・・・」と言う前に皆さんの方からニッコリ微笑まれて「こんにちは」と挨拶されてしまうのです。今までに知らない街に入ってこのような接し方をされた経験がありません。どう見ても暮らしぶりが厳しいことは瞬時に分かるのですが、心根は全く逆で心中豊かな方達であることがすぐに理解できます。幾人かの方々に許可をいただき、建物の写真を撮らせていただき、また昔のことなどいろいろお話しを伺うことも出来ました。 例の少年やお母さんのこともお訪ねしたのですが、なにしろ45年も昔のこと、こちらの記憶もかなり危うくなってしまっていて、はっきりとしたことは分からず手掛かりを得ることもできなかったのですが、わたしはそれでも充分に満足がいきましたし、むしろあの幼き日のむず痒い思い出は霧が晴れない方がいいのかもという心境になったりしたのでありました。 ​​


​ 以下の写真、 ​ ● マークの付いたものが「マーシャルプレス」での写真です
​●​ マークはリケノン28mm/2.8を「ペンタックス・スーパーA」に装着して撮ったものです
​●​ ​
マークは「ペンタックスPC35AF」で撮ったものです
​


​ ​● ​​ あの日、少年のあとについて辿った土手下の道です
いまでも、おなじ道の幅、おなじ草の匂い・・・

​​ ● かなり背の高くなった夏草が無造作に繁茂する中を掻き分けていくと・・・
うん?・・・ここだったかな???​

​

​ ● ​ 岸辺側から・・・
素人の手作りでしょうか、バラックがびっしり建て込んでありました

​​
​​
● このような家並み(?)が続きます​

​​

● 土手側に回って、集落の入り口付近
昭和39年(1964)東京オリンピックの年にここは電気がひかれたそうです
私が初めて来た当時はランプを灯していましたよ​

​●​



​●​

​​

● 家々で取り囲むようにして集落の中心あたりに猫の額ほどの耕作地があります
そこでは、朝鮮の食卓には必需品のエゴマやトウガラシが・・・​

​​​​
● 立ち退きのことなど、お話を伺いましたが、
「やはり住み慣れたところを離れるのはね」と寂しそう・・・


● かつてはこの集落の中に焼肉店までもがあったと教えて頂きました​​

​​​​
● 集落の下流側にはなんと3棟の集合住宅まで出来ていました



● 中心に通路があり部屋は左右に分かれて付いています
一部屋の広さは6畳一間ほど・・・
​​

​
​●​ 共同の水道場、水道は40年ほど前に引かれたと聞きました
水道が来たことで、急速に人口が増えたとも・・・



小さなバラック仕立ての教会があり牧師さんもいらっしゃいます
きょうは日曜日、住民の方がミサに集まります(この写真のみ二眼レフの”マイクロフレックス”にて)

​
● 再開発の足並みは200m先まで近づいています
この集落も年内中には消えて、2年後には奥に見えるようなマンション群に変貌します
戦後を語る昭和の遺構がそこに住む人と共に消滅してゆきます


​今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。​





# Marshal Press


​​​​​​​​​






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最終更新日  2024.08.22 06:56:34
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