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金曜日は、古谷が担当します。 今週、とても信じられない連絡が…。トウケイニセイの生産者として知られる田中哲実さんが13日、大動脈解離で亡くなられたとのこと。その前週の木曜、門別競馬場で普段の記者席の感じで、「早い者勝ちなー」といつものように差し入れを持ってきてくれて、翌日に千葉セリがある関係で僕は先に記者席を後にすると、「また来週!」と挨拶した哲実さん。それが最後の会話になってしまうとは、今でも信じられません。 この写真は、1月の冬季繁殖馬セールが終わった後、静内の居酒屋で馬産地のメディアが集まった新年会。「ホッカイドウ競馬のメディアが、打ち上げをしないってのが不思議に思うから、今年はやろうよ」と昨年、哲実さんがお話してくれたことがきっかけで、その年のうちというよりは、繁殖馬セールで静内に集まると思うので、そこでやりましょうとなった宴でした。「また近々!」と哲実さんから言われたのに…。残念でなりません。 この写真は2年前、「懐かしい写真が出てきました」とメールで頂いたものです。2009年サマーセールの時のワンショット。この年は、セレクションセールで売却率が50%台、サマーセールは40%弱という厳しい時代でした。その中で、須田鷹雄さんと何を話していたかは覚えていませんが、何人かで談笑している時に哲実さんがパシャっと撮っていたものだと思います。 ただ良い写真だったから…というだけの理由だけではなく、そのメールには「この時から10年以上経過しているのに、メディアの顔ぶれが全然変わっていない業界を危惧する」と付け加えられていました。 馬産地で仕事をしているライターは、僕より下がほぼいない状況です。カメラマンでも、数人しかいません。牧場に至っても人材不足が何年も言われています。競走馬の市場や馬券の売上は右肩上がりであっても、働く環境に対しての不安や課題が改善されている訳ではありません。 哲実さんは、セレクトセールに上場を申し込む青森の牧場へ出向き、写真撮影も行ったばかり。今週も、夏に日高育成牧場で行われる「シンザンフェスティバル」の会議を控えていました。68歳でもバリバリ働いていた哲実さんには、改めて凄さと尊敬の念を抱きます。 ブリーズアップセールに向けた、日高育成牧場での展示会では毎年、調教供覧の時に談笑していました。今年は雨で、例年より人も少なかったんですが、その翌日にアップしたスポーツ報知のコラムを見て頂いた上で「あの雨の中、正直そのカメラでよく撮れていたなぁと感心したよ」と、門別競馬場で会った時に哲実さんから言われた時は、本当に嬉しい思いでした。まだ活力ある中で旅立たれたことは、哲実さんにとって志半ばだったと思います。まだ、色々とお聞きしたいこともたくさんありました。今まで本当にお世話になりました。ただただ、感謝です。御冥福をお祈り申し上げます。
2024年05月17日
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土曜日担当の園田、姫路競馬実況アナウンサーの鈴木セイヤです。楽天ブログの日替わりライターブログが閉鎖される前にご挨拶をさせていただきます。2022年の2月から2年3ヶ月弱でしたが、園田競馬と姫路競馬のレポートを中心に情報を発信してまいりました。その期間にイグナイターがJBCスプリント制覇という歴史的快挙などの嬉しいニュース。最高齢誘導馬のアイスバーグ号との別れをお伝えするなど様々な経験をさせていただきました。短い期間ではありましたがありがとうございました。今後は楽天競馬 Uma+(ウマプラ)内で「競馬マスターズ」として引き続きレポートを投稿いたしますので宜しくお願いします。
2024年05月18日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 今回は、先週の笠松競馬の開催から。(取材日:5月9日) 前回、大型連休の時には、大勢の来場客で喧噪の中にあったこの場所。 いい意味で「いつもの風景」に戻っていました。 この日は天気も良くて、気持ちの良い競馬日和。 前週の名古屋でもお会いしていたのですが… 笠松で、改めてこの人と話をしてみました。(この写真は、名古屋競馬場で撮影しました) 今年4月デビューの新人 明星晴大(みょうじょうせいだい)騎手 2007年生まれの17歳 昨日までで4勝を挙げています「デビューしたばかりの頃は、レースで馬に乗ること自体に精一杯でした。学校で乗っていたときと実戦とは全然違いますし。周りが全然見えていませんでしたね。」 思い通りに乗れないことが、殆ど。 そんな風に感じながら、日々の経験を積み重ねているようです。「毎回、レースが終わって後悔……というか反省ばかりです。『こうすれば良かった』とその都度感じています。」「デビューから1ヶ月が経って、周りが少し見えるようになりました。それにつれて、レースも楽しいと感じられるようになって来ているような気がします。」 いまは、ほんとうに色んなことを「はじめたばかり」の彼。 それでも、わずか1ヶ月の間に、様々なことを感じたり考えたりしながら取り組んでいるようです。これからそういうことが、どんな風に生きてくるのか。半年ぐらい経ったときに、改めて話を聞いてみたいと思いました。 東海の新人同期のツーショット。 左が笠松・明星晴大 右が名古屋・望月洵輝 ふたりの半年後の姿。そして言葉。 いまから楽しみです。 レースのあとの検量室前の風景 勝った馬、負けた馬 それぞれの馬の周りの人々の表情と思いがあります。 ゲームじゃないんだな、競馬は。 リアルに人々が、様々な思いを込めてプレーしている、プロスポーツ。 そこを楽しみたいものですね。 この日のメインレースは、3歳馬の重賞・新緑賞。 今年から、時期が1ヶ月遅くなり、距離も1400mに短縮。6月に行われるぎふ清流カップのトライアルレースになり、駿蹄賞から東海ダービー(今年から東海優駿)へと繋がる中距離の重賞路線とは異なる、短距離路線の重要ステップレースとなりました。 が……出走馬が出そろってみると、何と! 前週に行われた駿蹄賞で注目されながら敗れた、名古屋のミトノウォリアーとスティールアクターが、中5日でエントリーしてきました。 これはさすがに驚きました。 結果的には、スティールアクターは今回も体調が整わず(熱発)競走除外。 ミトノウォリアーと、前走のネクストスター中日本のあとぎふ清流カップに照準を合わせてきている笠松のワラシベチョウジャが、注目を集めました。 ワラシベチョウジャ 減ってしまっていた馬体重も、この日はプラス13kgと回復 ミトノウォリアー パドックを出るときから元気いっぱい 馬体重はむしろプラス1kgと、連闘の消耗を感じさせませんでした。 スタート直後 ミトノウォリアーの岡部誠騎手が、出鞭をふるって出して行ったのには、少し驚きました。レース後の取材では、行ければハナに行くつもりだったようです。 結果、内から主張する馬がいて、ミトノウォリアーは3番手。 ワラシベチョウジャは中段より後ろの内ラチ沿い。 前を交わすタイミングを見計らうミトノウォリアーの動向は注目されましたし 3コーナー手前から、内ラチ沿いを掬って前へと進出してきたワラシベチョウジャの渡邊竜也騎手のプレーも、シビれました。 先行馬を交わして先頭に立った、ミトノウォリアー この馬にとっては、この形になってからが「正念場」「とにかくこの馬は、集中力が続くかどうか。駿蹄賞の時は、先行馬を交わす前から馬が嫌気を出して走るのをやめていました。でも今日はいつもほど、やめる面を出しませんでしたね。」 岡部誠騎手は、レースのあとこのように振り返りました。 外に持ち出して追いすがったワラシベチョウジャの走りも目を惹きましたが、2着まで。 ミトノウォリアー 快勝! 岡部誠騎手の勝利騎手インタビューの模様は、笠松競馬オフィシャルYoutube映像のこのあたり。 角田輝也調教師(馬のすぐ左)の話「(中5日で)このレースに出していいのか、葛藤がありました。自分もスタッフも、神経質でストレスのかかる日々を今日まで送っていました。」 それでも、前走の走り振りを見れば、使うべきと考えたのでしょう。 それほどまでに、駿蹄賞がこの馬の力を全く発揮していないレースだったということが、話から伝わってきました。「(東海優駿に向けては)少し距離が長いかと感じるところもありますが、オーナーの期待を考えたら、長い距離を使っていくことを考えなければなりません。前回は完敗だったフークピグマリオンにどうやったら勝てるか、考えていきます。」 東海優駿は、5月29日水曜日。 大きな目標に向けての戦いは、まだまだ続いていきます。 楽天競馬日替わりライターブログ。 私は、このブログが始まった17年半前からずっと担当させて頂いて来ました。 この稿が、909本目。もうちょっとで1000本でしたか。 この17年半の間、競馬の有様は大きく変わりました。 当時の競馬業界は「平成の底」の時期で、浮上できずにあえいでいました。 昔の自分自身の記事を読むと、その時の競馬場の様子が所々に記されています。見ると本当に、隔世の感があります。 楽天競馬の馬券発売サービスは、このブログが始まった直後の2007年の冬にスタート。その楽天競馬を初めとした、インターネット投票の力で競馬が「浮上」するまで、随分時間がかかってきたような気がします。 私自身の競馬との関わりも、大きく変わりました。 グリーンチャンネルの中央競馬中継や海外競馬中継のキャスターとして、毎週競馬に深く関わりながらも、当時も今と変わりなく、競馬の現場を訪れてはその様子をお伝えしてきました。海外も、あの当時から数年間は、毎年の香港だけでなく、アジア、オーストラリア、ヨーロッパと、あちらこちらに努めて出かけて、物事を見聞きしていました。 そうしたことが、競馬キャスターとして活躍するためにどれだけの意味があったのか、今となってはもうわからないことなのですが……私にとっては現場に出て見聞きしてきたこと全てが、今に繋がる貴重な経験でした。 いま、JRAの競馬場には取材に行くことが出来なくなり、海外競馬に出かける機会も殆どなくなりましたが、それらに代わって地方競馬の競馬場に足繁く通い、場所やそこにいる人々の様子をお伝えしています。馬券という賭け事の面で言えば、例えばJRAの競馬と地方競馬とでは、売り上げ規模にも差があるし、馬の質やレースのあり方も異なります。しかし、地方競馬であっても、競馬という競技そのものは変わらない。そこには、馬に携わる人々の思いと、そこから出る人々のプレーと、そしてそれに応える馬の頑張りがある。そういうことのかけがえのなさが、競馬ということの面白さの源泉なのだと、いま改めて感じています。 グリーンチャンネルで競馬の仕事を始めたときから、ずっと言い続けてきたことがあります。「競馬に、中央も地方も海外もない」 競馬は、競馬なんですよね。 その面白みがリアルに伝わることこそが、競馬が長く続いていくために必要なことなのだと、このブログのための取材とか執筆とかで学んできたような気がします。 これからも、恐らく関わり方は変化しながら、それでも競馬という物事そのものの「リアルな面白み」を丁寧に伝えて行ければ良いなと、心から思っています。 来週からは、場所を楽天競馬サイト内の「UMA+ウマプラ」内に移してお伝えしていきます。 同じような情報の形になるかどうかはわかりませんが、いまの競馬の世の中でとかく見過ごされている、リアルな競馬の姿、リアルな競馬の興味面白みを、引き続きお伝え出来ればと思っています。 17年半の長きにわたりこのブログを書かせて下さった楽天競馬関係者の皆様方と、執筆のための取材に応じてくださった全てのプレイヤーや関係者の方々、そして何より、拙文にお付き合いくださった読者の皆様方に、心から感謝申し上げます。 ほんとうに、ありがとうございました。
2024年05月15日
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日曜日担当の高橋華代子です。 楽天競馬さんからのお知らせにもあったように、 地方競馬日替わりライターブログが楽天競馬Uma+(ウマプラ)内で「競馬マスターズ」としてリニューアルをすることになりました。 楽天競馬の日曜日コラムも今日が最後。 さかのぼれば、2006年12月から始まったんですよね。 最初は月曜日を担当していたと思うのですが、途中から日曜日にお引越し。 17年5か月ほどの間たずさわらせていただき、 南関東を中心に、多くのお馬さんや競馬関係者に登場いただきました。 ありがとうございました。 楽天グループとして、東北楽天ゴールデンイーグルスのことも書かせていただきました(笑)。 それは、わたしがマスコットのクラッチくんファンになった2017年以降ですが。 個人的には馬グッズも好きなので、そういう話題も多く紹介させていただいたと思います。 最近の衝撃的な競馬関連のグッズを(笑)。 大井競馬場のLウイング1階にあるChampionsTCKで、枠番グッズが発売されました。 かなり力を入れているグッズということで、 すごくないですか?(*^^*) 10頭立て~! 店内のディスプレイも、とっても鮮やかです!!! お子様用の小さいサイズもあって、めっちゃかわいいんですよ。 自分が好きな色や数字を選ぶのもよし。 推しジョッキーに関連した色を選ぶのもよし。 あと、アイドル系のグループなどにはメンバーカラーってあるじゃないですか。 いろんなジャンルの推し活にも良さそうです。 2006年当時を思い出してみると、 南関東には馬&騎手グッズはあまりなかったような気がします。 今は、浦和競馬場、大井競馬場、川崎競馬場、船橋競馬場ともに馬&騎手&マスコットグッズを販売してくれるようになり、とても楽しくなりました。 ウマ娘さんの影響だと思われますが、南関東4競馬場のお客様も若い方はもちろん、女性の方がかなり増えました。 場内は前以上に明るい雰囲気になったように思います。 わたしは主戦場が南関東4競馬場なので、これからも南関東に遊びに来て、南関東を好きになってくださる方が増えるとうれしいです! そのきっかけ作りができるように、微力ではありますが、これからもお伝えできればいいなぁと思います。 これからもよろしくお願いします!
2024年05月12日
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耳目社の山中です。皆さん、大型連休はいかがでしたか?競馬にドップリ浸かりましたか?僕は船橋→金沢と、地方競馬三昧のゴールデンウィークでした。船橋競馬場では1日にかしわ記念。雨の中、シャマルの逃げ切り。表彰式での川須騎手の晴れやかな顔も印象的でした。(結果は→こちら)おなじみの船橋ジョッキーズフェスティバルが今年も始まりましたよ。こちらのシリーズの行方にもご注目ください!金沢競馬の大型連休シリーズの後半戦も実況を担当しました。4日のメインは重賞・利家盃。圧倒的人気のハクサンアマゾネスがここも逃げ切って優勝。後続に8馬身差をつけました。利家盃は4連覇、22個目の重賞タイトル獲得!2着エイシンアンヴァル、3着ベニスビーチとハクサンアマゾネスの相手は比較的人気のなかった馬が健闘を見せました。(結果は→こちら)金沢競馬場のウィナーズサークルにてファンに向かって記念撮影タイムこの日は金沢競馬としては珍しい土曜日開催でしたが、吉原寛人騎手の地方競馬通算3000勝&全場重賞制覇達成記念表彰式も行われ、たくさんのファンの方々で盛り上がりました。金沢競馬、次回の「土曜本場開催日」は6月15日です。土曜日なら行ける!というファンの皆様、ぜひご来場下さい。次回の更新からは、楽天競馬 Uma+(ウマプラ)内「競馬マスターズ」で、装い新たに現場からの情報をお届けします。関わる人が一体となって、楽しく暖かい気持ちで競馬を見られるように。そんな環境をこれからはみんなで作っていきましょう。このコラムなどでも頑張っていきたいと思っています。引き続き、よろしくお願いいたします。
2024年05月13日
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火曜日担当の太田です。寒い日が続いたかとおもえば、今日は初夏のような陽気。北海道でオーロラというニュースもあり、地球全体がちょっと変わってきているのでしょうね。ちょっとスケールが大きすぎる話ではありますが、年々少しずつ気候が変わってきているなと感じますね。ここしばらく帯広は暖かい予報。週末は夏日の予報も出ており、徐々に夏に向かっている感じはします。ばんえい競馬もシーズンが始まり、先週からいよいよ2歳馬戦が始まりました。能力検査で好時計をマークした馬たちも出てきて、それぞれいい走りを見せておりました。今季初の新馬戦は白熱の戦い。スタージャガーとウンカイダイマオーとのマッチレース。のっけから痺れる新馬戦でしたね。(主催者提供)スタージャガーが勝ちましたが、負けたウンカイダイマオーもおそらくすぐに勝ち上がってくることでしょう。第1回能力検査2番時計のスーパーシンは順調に勝ち上がりました。(主催者提供)翌日第1回能力検査1番時計のスターイチバンも危なげない勝利。時計でいうとスタージャガーが1分45秒6、ウンカイダイマオーが1分46秒3スーパーシンが1分35秒3スターイチバンが1分49秒4もうひとレース新馬戦がありましたが、勝時計が2分超えていたことを考えると、この3頭はやはり能力がある走りを見せていたということにありますね。特に、スーパーシンはかなりよれたりしてこの時計。大物感を感じました。次回19日(日)5Rに早速これらの馬たちが登録となっております。新馬戦1着から3着までの馬たちによる受賞馬戦。なかなか楽しみな戦いになりそうですね。能力検査も3回が終了。昨年より合格馬が多いとのことですので、これからは新馬戦が多く組まれることだと思います。次回新馬戦は9レース予定しております。将来楽しみな馬たち。推し馬を見つけて1年間楽しんでいきたいですね。先日のばんスタ延長戦「まるのり リターンズ」お楽しみいただきましてありがとうございました。多くの皆さんに参加いただきました。楽しい配信でした。ご覧になっていない方はこちらメール総数も昨年の「まるのり」を上回り、皆さんそれぞれの予想をお送りくださいました。本当にありがとうございました。結果は・・・・まさかのボーズ。惜しいレースが多かった。ちょっと引きが弱かったですね。リターンズとしてお送りしいましたが、今回も結果が出ず、また来年リベンジしたいところ。この手の企画、なかなか大当たりとはならないですね。一度大当たりして、ファンの皆さんと一緒にバンザイ\(^o^)/したいですね。また、同様な企画のときは、ぜひ参加ください。さて、次回ばんスタ延長戦は5月25日(土)にお送りいたします。テーマは「ばんえいアワード2023」です。表彰式の様子や、昨年活躍した馬、プレイヤーについていろいろとお話していきます。皆さんからメールを募集しております。メールテーマは「ばんえいアワードこんな賞があったら?」です。こんな賞があったら、こんな馬や人が選ばれるなあ…。私の推し馬、推し騎手が、こんな賞があれば選ばれるかも…。などんど、自由なイメージでお送り下さい。すでに面白い賞を考えて、メールをくださった方もいらっしゃいます。もしかしたら、その賞が次回採用されるってことになったら面白いですね。奇想天外な賞でまったく構いません。皆さんのアイデアお待ちしております。楽天競馬:地方競馬応援ブログ「地方競馬日替わりライターブログ」ご愛読、お楽しみいただきまして誠にありがとうございます。今回の更新で私のブログは最後となりました。長きにわたり、ばんえい競馬を中心にお届けしてきましたが、拙い文章にお付き合い感謝申し上げます。本当にありがとうございました。次回からは、楽天競馬 Uma+(ウマプラ)内「競馬マスターズ」で太田裕士に代わり、大滝翔アナウンサーが情報をお届けいたします。引き続き、ばんえい競馬をはじめ、競馬全体を応援いただけましたら幸いです。皆さんどうぞよろしくお願い申し上げます。
2024年05月14日
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土曜日担当は園田、姫路競馬実況アナウンサーの鈴木セイヤです。今週から園田競馬はナイターシーズンに突入。火曜日にレース展望収録、水曜から金曜日が開催日と生活リズムが1日後ろにずれ込みました。その金ナイター開幕週は「月曜日に競馬場に行かなくていいのか?」と不安になります(笑)。決勝審判員時代から続いているので、この時期恒例の行事のような感じがしますね(笑)。★大日本プロレス × そのだけいば今年も大日本プロレスが園田競馬にやってきました。心配だった天気も回復して特設リングにて合計4試合が実施されました。メインレースの大日本プロレスカップは今年で27回目。園田競馬の伝統レースと言っても過言ではないですね。試合が始まるとギャラリーが増加。激しい攻防が観られました。仕事の都合で第1試合だけ観戦。レスラーの腕や足は丸太のように太かったです。↓大日本プロレスカップの表彰式今回のメイン実況は三宅きみひと社長。アナウンサーが技をかけられるのは毎年恒例の伝統行事のようです。去年は木村寿伸アナウンサーだったので・・・・来年は私ですね(笑)。覚悟しておきます・・・。★厳しいレースを制して重賞3V ~ のじぎく賞 ~5月8日(木)に行われたグランダムジャパン3歳シーズンの第6戦。「第62回のじぎく賞」は、名古屋のニジイロハーピー(単勝2番人気)が勝利。最内枠からスタートしたニジイロハーピーはダッシュがつかず中団からの競馬。インをロスなく追走しますが、馬込みを嫌がったのか道中の反応はイマイチ。しかし、4コーナーで外に切り替えると一気に加速。先行勢を豪快に差し切って重賞3勝目を挙げました。騎乗した大畑雅章騎手は「つかみどころがない馬でいつも試行錯誤です。どんな競馬でも大丈夫なところが長所ですね」と、乗り難しさに苦労しながらも勝利に導いた。どの位置でも確実に脚が使えるのは強み。初めての馬場でも力を発揮した。※撮影 斎藤寿一 氏2着は3番手外で立ち回った北海道のバラライカ。長距離輸送でも馬体はキープして金沢、笠松の重賞でも好走。前回は大出遅れをしながらも2着。初の園田コースでも能力をみせつけました。3着は2番手追走から早めに動いた兵庫のプリムロゼ。逃げるクライムエンジェルを3角手前で捕らえて早め先頭。遠征勢に捕らえられましたが地元の意地をみせました。ニジイロハーピーは、兵庫クイーンセレクション、東海クイーンカップに続く勝利で、グランダムジャパン3歳シーズンの首位タイに浮上。シリーズ制覇の可能性が出てきました。ニジイロハーピーはシリーズ最終戦の関東オークスに向かうのか?地元の東海優駿に向かうのか?今後の動向に要注目です。名古屋の大畑雅章騎手はカツゲキキトキトで勝った2017年の六甲盃以来で二度目の兵庫重賞制覇です。名古屋の今津勝之厩舎は、兵庫重賞3勝目。 今年1月の兵庫クイーンセレクションに続く勝利となりました。※撮影 斎藤寿一 氏★広瀬航騎手 地方通算1000勝!!5月10日、園田3レースでエクスペリオンで勝利して広瀬航騎手が地方通算1000勝を達成!!今年24年目を迎えるベテランが大台に到達しました。デビューから長い下積みを経験し、地道に努力を積み重ねた苦労人。早朝から攻め馬に跨り1頭ずつ丁寧に騎乗。その成果が勝ち鞍が繋がり、3年連続で年間100勝をマーク。重賞は今年3勝を挙げるなどトップ騎手の1人として兵庫を牽引しています。節目のメモリアルおめでとうございました。次週も園田競馬は水曜日から開催です。そのだブレイクタイム競馬は水曜日と木曜日の12時~13時間で実施。場内にはSKNフラッシュ8と謎のキャラクター?が登場しますので、是非現地で配信でお楽しみください。楽天ブログでの園田、姫路レポートは今回で終了となりますが、楽天競馬 Uma+(ウマプラ)内で「競馬マスターズ」として引き続きレポートを投稿いたしますので宜しくお願いします。
2024年05月11日
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日曜日担当の高橋華代子です。 浦和所属馬たちがお住まいの野田トレーニングセンター。ビッグレースが続いたため、おじゃましてきました。 トレセン前には看板が設置されています。次開催は3月20日から24日まで。22日に南関東牝馬クラシック1冠目の桜花賞(SⅠ、1500m)が実施されます。 2023年も始まったばかりだと思っていたのに、もうクラシックまで1か月ですよ。ほんと、時間はあっという間に過ぎていきますね。 豪華な面々が暮らしていますよ。 フェブラリーSに参戦したばかりのスピーディキック(勝ち馬から1秒差の6着)。北海道時代からも入れると、すでに重賞8勝です。藤原調教師のお話しでは、今年はダートグレード競走を中心に、この後はかしわ記念、年内の最大目標はJBCレディスクラシック(大井)になるそうです。 フェブラリーSは最後の直線で前が壁になるところもあったため、逆に全力で走り切っていないだけに、疲れもなかったそうです。元気で何よりです。 レースから数日後、いつものように森本スティーブルさんへ向かいました。 スピーディキック↓ 先日の大井重賞は2日連続で小久保厩舎V。金盃は東京ダービー馬カイルが馬群をさばいて差し切り、復活の勝利。 「自分の競馬ができれば驚かせるような走りをしてくれるし、それは力があるからこそ動けるので、今回もそれができる状態。スタミナと体力はあるので、長い距離は一番いい条件。スムーズな競馬で集中力が持続できれば結果はついてくると思う」と、レース前に言っていた小久保調教師。 逆に挟まれる箇所があったことで闘志に火がつき、最後に差し切ったシーンはすばらしかったです。東京ダービー馬が古馬になってからも活躍するのはうれしいですね。 (カイルの写真は以前撮ったもの) 同じ金盃には同厩のランリョウオーも出走し、果敢に逃げて惜しい6着でした。 昨年は大井記念と東京記念を含む4連勝を飾りましたが、その後はもう少しの成績。今回は仕切り直しの一戦で「一番強い競馬をしています。展開がかなり厳しくてずっと突かれて、3コーナーからまた来られても、直線半ばまで粘っています。返し馬から気持ちが前向きで復活しているかもと思いました。戻っていますね」と、本橋孝太騎手からもうれしいコメントが聞かれました。 昨年のNARグランプリ2歳最優秀牡馬を受賞したヒーローコールが、今年初戦の雲取賞に参戦し、見事1着。まだ遊びながらの走りで、着差以上の強さだったようです。この後はJRAの伏竜Sを予定。 同厩のニューイヤーカップの覇者ポリゴンウェイヴは、3月29日の京浜盃(大井・1700m)を予定しているそうです。 ちょうど野田トレセンを取材していた日、ティーズダンクが牧場から帰ってきました!!!次走は調教を進めていきながら決めるそうです。どこから使い出すのか楽しみです。 ティーズダンクにとっても水野厩舎にとっても、悲願のダートグレード競走獲りを目指します。 豪華な面々が制ぞろい。今後の浦和馬たちから目が離せません。 取材を終えると、どうしても締め切り時間が迫った原稿があったため、調教を見るお部屋で、原稿を書かせて頂きました。座布団の上でくつろいでいる猫ちゃんを発見(笑)。 原稿を書き終えると、18時頃だったので、もう外は真っ暗でした。 でも、素敵な光景だったのでパチリ。
2023年02月26日
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今回もロイヤルアスコットの模様をお届けします。 怒濤の写真攻勢となっていますが、非力なインターネット環境でご覧下さっている方々には、本当に申し訳ない…せっかくなので、雰囲気を是非お伝えしたいので、ご理解下さい。 開門直後は、まだそれほど紳士淑女も集まってきてはいないので、その間に場内を探索してみました。アスコット競馬場のスタンド。馬場と反対側から見たものです。 昨年に改築→竣工となった近代的なスタンドは、ある意味歴史と伝統の逆を行く雰囲気を出しています。 以前のスタンドがどんな風だったかは知らないのですが、これも21世紀を迎えた競馬の歴史の1ページと捉えるべきなんでしょう。 そして、これが馬場側。スタンド自体が立派なのに加えて、森に囲まれた周囲の風景とのギャップ。圧倒されます。 おっと、ここから先は「ロイヤルエンクロージャー」。「ジェネラルアドミッション」のチケットしか持ってない私は、入ることが出来ません。 こちら側は普通のスーツでもOKなんですが、向こう側はドレスコードが一層厳しく、男性は単なるジャケットではなく、いわゆる「正装」であることが求められます。 こちら側の「ジェネラルアドミッション」は、スタンド内も行けるのは1階だけ。でも、パドックには問題なく行けますし、レースもゴールよりは手前になりますがしっかり見られる。とりたてて「敷居」を感じることなくロイヤルアスコットを楽しむことが出来ますよ! スタンドの中。こちらも容赦なく近代的なデザイン。本当に垢抜けた感じが、新たなアスコット競馬場という雰囲気を否応なしに感じさせます。 パドック。この写真を撮ったときには気がつかなかったのですが、写真中央の小さな屋根がある場所とその周りが、日本で言うところのウィナーズサークル。勝ち馬の関係者はそこで勝ち名乗りを受けることになります。 一つ前の写真の右手奥には、芝生のエリアが広がっています。テーブルと椅子が置かれていて、ここも食事やおしゃべりを楽しむ場所。とにかくあらゆる場所が全て、紳士淑女の「社交場」になります。 実は黒い通路になっているところは、パドックに向かう馬が行き交う馬道。人と馬が本当に近いのは、やはりこちららしいところなのかも知れません。 その芝生エリアにあった馬像。3年前、4連勝で無敗のダービー馬となったモティヴェイターです。芝生エリア自体が”MOTIVATOER'S LAWN”と名付けられています。 でもこの馬、アスコットではレースしてないんですけど…。 驚いたのが、これ。馬場の内側にある移動式のヴィジョンなんですが…デカい上に、滅茶苦茶薄くありません?どういう構造なんでしょうかねぇ。 アスコット競馬場の全体図がありましたので、写真に撮ってきました。 中央がスタンド。その手前がパドック。向こう側が馬場。写真に撮った芝生エリアは、この図で言うとパドックの左手前にあたります。 ブックメーカーも、そろそろ開業準備。 イギリスのブックメーカーは単勝が主で、一部では日本で言うところの「がんばれ!」馬券に当たる”EACHWAY”が買えます。 複勝にはオッズがなくて、頭数に応じて2着または3着までに入れば、1着のオッズの何分の1、っていう決め方みたいです。 イギリスの街中にあるブックメーカーチェーンは、ウィリアムヒルにコーラル、そしてこのラドブロークスです。アスコット競馬場の場内はラドブロークスのシマらしい。レースが始まる遙か前の午前中から営業していて、すでに始まっているドッグレースとか、CGで行われるヴァーチャルレースの券なんかを売っています。 専用の用紙に書いた内容が、感熱紙でそのままプリントアウトされたものが券になって出てきたのには、最初面食らいました。券の下の方には店側の情報がちゃんと入っているので、恐らく「あんたが書いたとおりで間違いないかんね!」っていう証拠みたいな位置づけなんじゃないかと思います。 用紙に書くのはまず場名。そしてレース番号じゃなくてレースの発走時刻。これも初めはわからなかった。あとは馬なり犬なりの番号と名前、金額ですね。 開門時刻に来てしまったので、レースまでにはまだ大分時間があったのですが、食べ物屋さんは元気に営業。ご覧のようにお店は本当にいっぱいあります。 特に多いのが、お酒を提供するバー。競馬場の建物の中に常設のバーには、このように名馬の名前がそれぞれ着けられています。 この日は他にも、テントやプレハブみたいな建物で、臨時の飲食施設がもうひしめき合うぐらい営業。でもどこも繁盛しているんです。レースが始まるまで、食べ物をつついてお酒のグラスを傾けながら、皆でワイワイと談笑。 考えてみれば、人が集まるところというのは、やっぱり食べたり飲んだりできるところですよね。そして、人が集まるから賑やかになる。賑やかだから、その場にいること自体を楽しむことが出来る。 大の大人が、こんな郊外の離れたところにある競馬場に、わざわざドレスアップなんて面倒なことをしてまで大挙して集まって、ワイワイはしゃいで飲んで食べているのが、ここアスコット競馬場。 ここにいると、日本の公営競技場が人を惹きつけるのに何が足りないか。その答えの1つが見えるような気がします。 そうこうしているうちに、レースの時刻も近づいてきました。 こうして、スタンド前のベンチに座って、レースを待っている人たちの数も増えてきています! …で、そのレースの最中の様子は、また項を改めて来週にご紹介します。
2008年07月01日
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日曜日担当の高橋華代子です。 大井の坂井英光騎手の息子さん、坂井瑠星(さかいりゅうせい)騎手が中央競馬の騎手試験に合格しましたね。 お父さんは現在40歳。去年のアフター5スター賞をジョーメテオとのコンビで優勝するなど、地方通算勝ち星は1865勝。怪我からも復活し、また元気バリバリ頑張っていますよ。 息子さんが騎手試験に合格したお父さんの心境を伺ってみました。 Q息子さんが中央競馬の騎手になりますね。A素直にうれしいよね。自分から騎手になりたいって言い始めて、小学校2、3年生の時から木馬に毎日乗って、5年生くらいから乗馬も習い始めた。馬事公苑のジュニアチームにも合格させてもらって、子供の頃からずっと見てきたから、自分のことよりもうれしい。Q一緒のレースに乗りたい気持ちは?Aう~ん、そういうことはあまり気にしたことがないんだよね。所属が矢作厩舎だから南関東への遠征はあると思うけど、一緒に乗ったらうれしくないことはないだろうけど、今はその程度かな。 それよりも、心配というか、この世界でうまくやっていけるのかなって。実際にレースに行ってみて、どのくらいのレベルなのかな?とか。もちろんこれからの本人の努力もあるだろうけど。そういう意味でも頑張って欲しいなっていう心配の方が大きくて。 でも、小さい頃からずっと見てきた分、どういう騎手になっていくのかなっていう楽しみもある。Q今も息子さんとはよくお話しをしているそうですね!Aそうだね。子供の頃からアドバイスはしてきたし、今でもよく話すからは仲はいいんじゃないかな。この間も一緒に食事をして、厩舎の話しとか、娘もいたから世間話しとか、話す内容は普通の感じだけど。 Q息子さんへのアドバイスは?Aこれはずっと言っているんだけど、最初は結果が大事と言うけれど、結果にこだわらずにまずは力をつけていって欲しい。しっかりした競馬を続けていけば、それが生き残ることにつながると思うから。福永(福永祐一騎手)も卒業式でいいこと言っていたなぁ。『結果を求める時代だけど、確かな技術を身につけて欲しい』って。 長い騎手人生を送って欲しいと思う。 Qお父さんの目標は?Aう~ん。俺は目標というよりは、うまくなりたい。具体的な数字は特にないけど、勝ちたいし、もっとうまくなりたい。
2016年02月28日
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日曜日担当の高橋華代子です。 浦和競馬場の内馬場は、浦和記念公園という名称で、非開催日は誰でも楽しむことができる憩いの場所としても知られています。 以前から行ってみたいなぁと思いながら、非開催日になかなか行くことがなく、行ったとしても早朝の追い切り取材で、そのまま帰らなくてはいけなかったりと。 先日、念願叶ってやっと行けました!フォトで綴っていきますね。 ちょうど中央競馬の馬券を購入できる日だったので、浦和競馬場の中にはたくさんのお客さん↓ 馬場の方に向かうと、なんとスタンド前が駐車場になっている!!! これは開催日には見られない光景ですねぇ~。↓ ついに潜入。↓ 入ったぁ!!!↓ ご注意を!!!↓ いつもはスタンドから遠くに見ていた風景を、こんな近くで見られちゃうんですよ。 ビクトリービジョンもウラワケイバの植え込みも、こんなに巨大だったのか\(◎o◎)/!↓ とにかく見えるもの全てが新鮮で、すごく貴重な時間となりました。 浦和ファンの皆さんも、たまらんと思いますよ。わたしも終始大興奮でしたからね(^^ゞ 日曜日ということもあって、たくさんの人たちがこの中で思い思いに過ごしていました。 ランニングとかウォーキングとか、サイクリングとか、野球、サッカー、ボール遊び、バトミントン、凧揚げ、お弁当食べたり、おしゃべりしたり、ペットとお散歩、などなどなど、すごく楽しそう。。。 子供の頃にこの場所で遊んだ思い出、一生忘れないでしょうね。。。 市民の人たちにとって、ここは競馬場であり、公園であり。 これが地域密着・浦和競馬の所以なんだなぁと肌で感じたひとときでした。 で。佐野ラーメンが好きなのですが、ツイッターで、浦和競馬場の近くに美味しいお店があると教えて頂いていたので、こちらにもおじゃましてみました。 「たかの」さん。↓ ワンタン麺にしたんですけど、わたし好みのお味で大満足でした。↓ 充実したお休みとなりましたぁ(*^。^*)
2016年05月29日
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日曜日担当の高橋華代子です。 浦和競馬場の新しい2号スタンドがオープンしました。 このスタンドを内馬場から見てみたいなぁと思っても、開催中はなかなか難しい……。 浦和競馬場の内馬場は、浦和記念公園という名称で、非開催日は誰もが公園として楽しむことができる憩いの場としても知られています。 ちょうど、とある日に非開催日に行ったので、公園を覗いてみました。 中から見ると、スタンドは芝生の緑にもよく映えますね。 非開催日はこの中で自由に過ごすことができるって、競馬ファンにとっても普段は味わえない裏側を覗けたようで楽しいです。 で、このままスタンド側から向正面に行ってみると、お馴染みの公園が↓ ちょうど新馬戦発走の時などに、公園からチビッコたちが眺めている姿をよく見かけたので、この公園がどんな感じなのか気になっていたのです。 開催日はグルリと遠回りをしていかなくてはいけない場所ですが、非開催日は真ん中を突っ切って行けたので楽でした。 かわいい公園でしたよ。 滑り台に描かれているお馬さんのイラストもかわいかった。 公園から競馬場を見るとこんな感じです。 たしかに、ここなら発走地点は丸見えです(^^; ということで、競馬ファンの皆さんには非開催日の浦和記念公園もお勧めですよ!
2019年09月15日
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こんにちは。隔週月曜日、今日の担当は耳目社の百瀬です。元日に発生した能登半島地震から2週間が経過しました。被災した方には心よりお見舞い申し上げます。先週は浦和競馬、1月11日の第10R・新春賞は、人気のエンテレケイアが勝利し、管理する小久保智調教師は通算1900勝に到達しました。(1900勝の口取り写真・佐々木光カメラマン提供)2005年7月に初出走、翌月には初勝利を挙げますが、初年度は51戦2勝の成績でした。しかし翌年から順調に勝ち星を伸ばし、2012年に自身初となる年間100勝超えと南関リーディング獲得!以後、昨年まで100勝オーバーを継続し、リーディングトレーナーの座も譲ることなく、勝ち星を量産し続けています。(南関東のみの数字)2019年にはこれまで南関東最多調教師を記録していた故・川島正行調教師の1276勝を超え、南関東最多勝利の記録を更新し続けています。「地方競馬情報サイトKEIBA.GO.JP」内データ検索で調べられる範囲での、南関東調教師の通算勝利数のランキングトップ10は以下の通りです。小久保智(浦和):1902勝内田勝義(川崎):1483勝川島正行(船橋・引退):1276勝高月賢一(川崎):1267勝岡林光浩(船橋):1236勝矢野義幸(船橋):1144勝新井清重(船橋):1032勝三坂盛雄(大井・引退):994勝長谷川蓮太郎(川崎・引退):980勝佐藤賢二(船橋・引退):978勝(2024/1/14終了現在、敬称略)1900勝達成直後には「年内に2000勝」と取材陣に話した小久保師ですが、もちろん南関東所属としては史上初となります。しかし全国には通算2000勝越え調教師、兵庫県の招待競走を真似れば"ゴールデントレーナー"が数多くいらっしゃいます。2024年1月14日終了時点で、2000勝以上の勝ち星を挙げた現役調教師を紹介したいと思います。角田輝也(愛知):4141勝雑賀正光(高知):3969勝松木啓助(高知):3225勝田中 守(高知):2856勝服部義幸(ばんえい):2825勝金田一昌(金沢):2787勝藤ケ崎一男(愛知):2577勝川嶋弘吉(笠松):2476勝別府真司(高知):2404勝真島元徳(佐賀):2375勝錦見勇夫(愛知):2312勝久田 守(ばんえい):2269勝九日俊光(佐賀):2175勝伊藤強一(笠松):2167勝田中範雄(兵庫):2137勝川西 毅(愛知):2045勝佐藤 茂(金沢):2006勝(現役のみ・敬称略)今回は小久保調教師の区切りの勝利の話題から、南関東や全国の地方競馬で多く勝ち星を挙げている調教師の方は紹介しました。例年通りのペースで勝ち星を挙げれば、小久保調教師2000勝達成の瞬間は秋ごろには見られそうですね。参考:「地方競馬情報サイトKEIBA.GO.JP」内、データ検索(2024/1/15アクセス)
2024年01月15日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 もう今日の話なので、まず最初に告知。 船橋競馬の場外発売所、千葉県にあるサテライト成田(エフケイバ成田)の今日のイベント情報です。 ポスターの左下が今日のイベントです! 競馬・競輪・オートレースのガールズレーサーが一堂に会する、ガールズレーサートークショー。 競馬ははるばる高知から別府真衣ジョッキーが成田まで来てくれます!! (競輪は田中まい選手、オートレースは片野利沙選手) トークイベントは14時過ぎ頃から行われます。 今日、思い立った方は是非、サテライト成田(エフケイバ成田)へお越し下さい!! 私は、夕方から大井競馬の場立ち予想をやるんですけれども… うーん、がんばる。 さて、今日の話題は先週末の札幌競馬場。 一週間前にこのブログを書いたときから週末の晴天を祈っていたのですが…土曜日は残念ながら雨模様。それでも、せっかく競馬場で過ごせる一日ですから、場内を改めて歩き回って楽しみました。 札幌も、レースシーンがとっても気持ちいい競馬場。 気候のせいもあるのかも知れませんが、レースを楽しむのに手頃なスケール感とか、開放的な周囲の様子なんかもこの場所でレースを見ているときの心持ちに、いい影響を及ぼしているように思います。 この夏に新装オープンとなったいわゆる「内馬場」エリア。 その名も「ターフパーク」 もう色んな所で紹介されていますが、残り3週で札幌競馬場を訪れる方々のために、「番外編」も含めたターフパークの見どころを紹介します。 まずはターフパークに行く前のこちら。 内馬場に向かう地下道。地下道の入口に、看板が掲げられています。 その名も「北海道ステークス」 距離3000kmだって! 中に入ると意味がわかります。 このように、地下通路の両側の壁に北海道の風景が描かれていて、ここを通るだけで北海道の中を周遊しているかのような気分になれる、という趣向です。 羊ヶ丘のクラークさんと、札幌ドーム 写真の上にはどこの絵かという「答え」も書いてあります。 門別競馬場もあるぜ! そして、地下道を出るときに必ず注目していただきたいのがこちら。 ターフビジョンの真下 間近で見るとデカい! ターフパークの中で、私の一番のオススメスポットは、大変地味なこちら いや、なにもないでしょって… ありますよ。このお客さま方の見ている先に。 ダート1700mのスタート地点。 外側からスタート地点が見られる競馬場は多いのですが、内側から見るとひとびとがレースの前の準備をしているところも含めてつぶさに見ながら、レースを待つことが出来ます。 レースの合間には、このように発走ゲートが目の前に! 係員の皆さん方が一つひとつの枠を掃除したり点検したりと、レースの合間にも準備作業に余念がありません。 スターターが乗る通称「スタンドカー」も目の前に! レースの間ずっと見ていると、ちょっとした「大人の社会科見学」になりますよ。 次は、なぜか巷では意外と紹介されないこちら。 セイテンスタンド。雨降りの日でも名前はこの名前(笑)。 スタンドと言っても、建物自体は食べ物屋さんのブースとお手洗いがあるだけ。 私たちの居場所は平屋建てのスタンドの屋上部分。このように内馬場で少し高いところから、周囲を一望できる素晴らしい場所です。 ちなみに、本当に「晴天」の時の眺めはこんな感じ セイテンスタンドからバックストレッチ方向を望む 非開催日に撮影したものです セイテンスタンドから見たダート1700のスタートシーン 競り合いが近くて、内側から見るレースシーンはすごく新鮮です 昼休みのステージ前 子供たちが待っているのは、仮面ライダーショー もう「とーっ!」とか言わないんだね、仮面ライダー(古)。 クリークがあって、暑い日には子供たちが水遊びしています。 この日は天気が悪くて、しかも仮面ライダーショーの間だったので、無人(汗) あ、いた! 最後にレースシーンも。 コスモス賞 ナイママ STV賞 ハッピーグリン 1日のうちに地方競馬所属馬がJRAで2勝、というのは、恐らく初めてのことですよね。 ルールは勿論、経費面含め地方競馬の所属馬がJRAのレースに出ようと思えば、様々に不自由なことはあるはず。そこを克服しようという尽力は、「交流あけぼの」の時代も、地方競馬所属馬が頻繁にJRAのレースに出るようになったいまでも変わることなく、当たり前尽力ではないのでしょう。しかしそれでも、外から見ている私たちがそういうことを特別に意識しないようになったとき、もっと色んなことが変わっていくような気がしています。 レースのあと、「今回は、正直負けられないと思っていた」というハッピーグリンの田中淳司調教師の言葉に、その兆しをハッキリと感じました。 ハッピーグリンも、ナイママも、いい意味で「普通に」次のレースを楽しみにしましょう。
2018年08月15日
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金曜日は、古谷が担当します。 3月24日、高知の塚本雄大騎手が落馬事故のため、逝去されました。その翌日に高知入りし、全場制覇を達成した吉原寛人騎手の取材があってのものでしたが、佐賀から戻ってきた吉原騎手もショックを受けており、辛い中でも対応して頂いたことに感謝です。 「黒船賞」当日から献花台が設置されましたが、その献花台へ向かうため花を抱えていた西川調教師とお会いした時「彼を嫌う人なんか一人もいない。それだけ皆に愛されていただけに、本当に辛いですよ」と話されていました。「一発逆転ファイナルレース」に強い騎手というフレーズは、高知競馬のファンは誰もが口にしていました。高知を背負って立つ存在へと突き進み、これから…という時だっただけに、本当に残念ですし、言葉になりません。この現実を受け入れるには、まだ時間が掛かると思います。 塚本雄大騎手の御冥福をお祈り申し上げます。 「黒船賞」の前日、夜にかなり強い雨が降りました。しかし、日が明けると日中は暑いぐらいの陽気となり、24日と同じ不良馬場でも、26日は少しパワーを要す馬場まで乾いていた印象を受けます。実際、1R終了後、吉原寛人騎手と話した時「24日の不良馬場とは違い、あまり前に進んでいくような感じがしないほど力が要る状況です。時計が掛かるなら、ヘルシャフトに向くかもしれません」とのことでした。「黒船賞」当日の恒例レースである「はりまや盃」は、高知所属のロードシュトロームが元JRAオープンの実力を見せつけましたが、JRA勢が2着から4着に健闘。勝ち時計は、ロードシュトロームの前走時、雨の中の不良馬場とほぼ同じタイムだったので、クラスが上がってくるとやはり時計は速いな…という感じもあったり、馬場の判断は難しい状況でした。 「黒船賞」は、内からスタートを決めたシャマルが、少々出負けしたサンライズホークらとの先行争いを制して先手を主張しました。前半のラップは、12秒9-11秒2-12秒7=36秒8と、仕掛けてハナを取り切った際のスピードに乗った2F目がかなり速く、この時に外枠だったヘリオスが外に膨れる形のロスがありました。ラップと合わせてレースを観ると、その辺りの勝因・敗因が掴めると思います。不良馬場で先行優勢、そして「かきつばた記念」で外枠が仇となって終始外を回らされるロスがあった反省を踏まえて、最も効率の良い走りをするには先手を奪うという判断を、スタートを決めた段階で瞬時に行った川須騎手の好プレーだったと思います。最後の1Fは14秒0と要しましたが、ヘルシャフトの追撃を凌いで1年ぶりの重賞制覇、まさに「黒船賞」以来の勝利となりました。(「黒船賞」を逃げ切ったシャマル。写真提供:高知県競馬組合) レース回顧は、「ふるやっちチャンネル」の動画で話しています。こちらも参考にして頂ければと思います。 早いもので、地方競馬は週明けにも新年度を迎えます。いよいよ、3歳ダート三冠も始まりますし、時期が変わって初のナイター開催となる「川崎記念」が行われます。「川崎記念」は、「グリーンチャンネル地方競馬中継」で解説を担当しますが、佐々木竹見さんをゲストにお招きし、楽しくお伝えできればと思っています。2024年度の地方競馬も、よろしくお願い致します。
2024年03月29日
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今日は皆さんもよく耳にされるかと思います競走馬の病気についてお話させてもらいますね中でも特によく使われる言葉の疑問にお答えしようと思います。ソエソエとは通称で本来は管骨骨膜炎と言います。競走馬の病気やけがの中で最も多く聞く言葉ではないでしょうか?ソエとは競走馬の両前脚に多く見られるものです。それも両前脚の前面に多く、状態によっては激しく痛みを伴います皆さんの中には、両前脚の前面がボッコリ腫れて膨らんだようになっているお馬さんを見たという方もおられるかもしれません。しかしこのソエ、見た目では腫脹がなくても痛むことがあります。というより、ソエ発症直後は見た目に何ら変わりはないことが多いのです。しかし、患部は強烈に熱を持ち痛みを伴い、中には激しく歩様を乱すお馬さんもいます。ではそのソエの正体とは・・・?両前脚の骨の前面に微細な亀裂骨折が起こっているのではないかとも言われていますが、強度の運動負荷によって骨を覆う骨膜という組織に炎症を起こしている状態のようですこの状態が治癒したのちに両前脚の前面にボッコリと骨が出っ張って跡が残ってしまうケースもあるようです。パドックなどで気になられた方は、きっとこの治癒した後の脚を見たのではないでしょうか?またソエは若馬に多くみられます。まだ体が成長しきっていないところに来て、競走馬として強度のトレーニングを課されることで起こってしまうようですね。程度が軽ければ、クッションの利いた馬場(特にウッドチップコース)や前脚に掛かる負担を軽減できる坂路コースなどで調教し競馬まで向かうことも可能ですもちろん調教後や、午後などに念入りに冷却するなどのケアは重要ですけどね次に多く耳にされるのが屈腱炎ではないでしょうか?カネヒキリがこの病気から復帰し大活躍しているのは周知のとおりですよねこれは屈腱炎罹患馬の患部の写真です。この屈腱炎も多くが前脚に発症します。もちろん後ろ脚にも屈腱はあるので発症することはあります。屈腱炎の通称はエビ。写真でもわかるように患部がエビの背中の部分のように腫れあがることからそう呼ばれているようです。屈腱炎は数年前まで不治の病と言われていましたよね。しかしここ最近の研究や獣医さんたちの努力によってその治療法も確立されつつあります。とはいっても軽度のものでも数カ月以上の休養や手術などを経て、仮に復帰にこぎつけても再発の危険性は非常に高いのも事実競走馬としての維持費用などの経済的な事を考えると、諦めたほうがいい場合が多いようですカネヒキリの例はまだまだ稀なんですね。ではこの屈腱炎とはどのような病気なのでしょうか。両脚の裏側にある屈腱と呼ばれる腱が部分的に断裂したものなんです。小さな断裂が原因で腫れや痛みをおこし、歩様に乱れをもたらします。屈腱炎の診断には人間のお母さんのお腹の中の赤ちゃんの様子を見る時に使われる超音波診断装置(エコー)をもちいます。これが屈腱炎罹患馬のエコー像。わかるかな?黒くなっている部分が断裂を起こしている部分です。断裂を起こしているのですから、その後競走をするというのは難しいというのは分かってもらえますよね今日は2つの重大な競走馬の病気についてお話ししましたが、また機会を見て紹介しますね。
2009年10月12日
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木曜担当のよこてんです。 もうちょっと続く“平成、競馬とネットの時代”。今回は『PAT』をお題にしたいと思います。このブログは基本地方競馬ネタですけども、今回は成り行き上JRAのPATのお話が中心になりますのをご容赦くださいませ。 さて、今や競馬とネット投票は切っても切れない関係になっておりまして、競馬場にいながら馬券の投票はスマホからネットで・・・というファンも少なくないように見受けられます。 ネット投票、もともとは電話を使っていた事から“電話投票”という用語が活きていますが、電話からいったんはパソコンを使った投票に主流が移って、そこからまた電話というかスマホに戻ってきているというあたりが妙に興味深いような気がしますね。 それはさておき、今ではインターネット銀行の口座があればすぐに即PATからネット投票を利用できるようになっていますよね。JRAのWEBサイトでも『即日加入、即日利用』がアピールされております。 しかしかつては、PAT(=電話投票)の加入権は簡単には手に入らない“プラチナチケット”だったのです。 それは、自分が加入した頃の流れで言うと以下のような感じでした。(1)競馬雑誌やスポーツ紙などで「PAT加入者募集」の情報を探して見逃さないようにする(2)募集が始まったら受付時間内に電話で申し込み ※落選した場合→(1)(2)を繰り返す・・・。(3)当選した場合は加入手続きへ。書類一式を用意&PAT専用の銀行口座を作製する(4)手続きをしつつ、PAT投票用のソフトあるいは機器を選択・発注する(5)手続き終了、ソフトも届いていよいよ投票可能に●競馬雑誌やスポーツ紙などで「PAT加入者募集」の情報を探す&募集が始まったら受付時間内に電話で申し込み 当時のPATは年間に何度か、エリアを分けて行われる加入者募集の告知に従って応募して、それで当選しなければ手に入らないものでした。自然、大都市圏では募集枠よりも遙かに多い応募者がいるのでなかなか当選せず、“何度応募しても当たらない”というファンの投書を競馬雑誌でよく見たものです。 なのでこの頃には「PAT応募代行サービス」なるものも存在していました。PAT募集への応募方法はたいてい平日昼間の一週間くらいの期間に電話で・・・というものだった事もあって、“当選するまで代わりに応募しますよ”的な。もちろん有料(1万円とか1万5千円とか、そんな額だったような)。こういうのも広告をよく目にしましたね。そういうものに頼りたくなるほどPATの応募は当たらないものだったのです。★こういう感じの広告、多かったですよねえ(「競馬・最強の法則」1997年10月号より) ただ、PATの募集には実は地域格差があったようです。地方での募集は大都市よりは当たりやすいだろう・・・というのは応募者数を想像すればその通りなのでしょうが、とりわけ“地方競馬場があってJRAのウインズは近傍に無いエリアの募集は当たりやすい”と言われていました。 それが本当なのか噂なのかは今となっては知る術がありませんけども、“競馬ファンが多く存在しているけども近場にJRAの馬券を購入できる場所が無い・少ないエリア”に重点を置いて募集するというのは馬券を売る立場に立ってみて不自然な話ではないですから、そういう塩梅・さじ加減もあったのだろうと思っています。 実際に自分は盛岡からの初めての応募で1発当選。岩手県はまさに“競馬ファンが多く存在しているけども近場にJRAの馬券を購入できる場所が少ないエリア”でしたものね。●当選した場合は加入手続きへ。書類一式を用意&PAT専用の銀行口座を作製する 晴れて当選すれば手続きに進みます。これが結構面倒だった。まず申込の書類に住民票が必要。市役所に行ってもらってこなければなりません。 そして銀行口座。PAT用の投票用口座を作らねばならず、自分はどうしたかなあ?今は無き拓銀を選んで、後に北洋銀行引き受けになったと思うけども。 南関東のSPAT4や地方競馬のD-NETも当初は専用口座を求められましたね。★D-NET用に作った口座。地方競馬がある県の銀行が選べたのでなんとなく岐阜にしてみた記憶。笠松支店でした。入金用と払い戻し用で別というややこしい仕組み●PAT投票用のソフトあるいは機器を選択・発注する 今のようにブラウザから直接投票できなかった時代のお話でして、これにも専用のソフトあるいは機器を用意しなければなりませんでした。 自分は、パソコン通信の環境がありましたからPC用のソフトを購入(購入ですよ!別途購入!3万円!くらいしたはず)しましたが、ファミコンやスーパーファミコンのようなゲーム機で使う端末や、たしかキャプテンシステム(電電公社が昭和末期にスタートしたデータ通信サービス。公共施設などで端末を見かけた)を使った投票システムもあったような・・・。ホームマスターシステムだったか? 調べてみるとファミコンを使った投票システムはわりと最近まで稼働していたそうで、ネットにもたくさんの画像が残っております。★右が最初の、FD版ソフト。こっちが3万2千円だったかな。左がWin98が出た後のバージョン。安くなったけどそれでも1万円くらいしたと思う★せっかくなのでインストールしてみましたが、最初の起動時にセンターにアクセスして登録を求める仕組みになっていて残念ながら投票画面まで進めず(モデム無いしセンターも存在しないしねえ)。ターフィー君(旧)の元気な姿を見る事ができたのでよしとしよう●手続き終了、ソフトも届いていよいよ投票可能に ここまでの一連の作業、2ヶ月くらいかかったような記憶があります。9月頃に申し込んで実際に投票できるようになったのは11月上旬くらいからだったような。 口座も開き、ソフトも届き、時間はかかったけどもさあいよいよ・・・なんですが、ここからが意外に手間取ったりしました。 というのは、PATのソフトにあるモデムの設定ファイルが少なくてですね、自分が持っているモデムに合わせた設定を作ってやらないと安定しなかったんです。 自分がPATに加入したのは1995年頃でしたが、これまでのブログで書いてきたようにパソコン通信だけでなくインターネットも普及しはじめて、通信用の機器も様々に登場していた頃。モデムの速度も日進月歩でどんどん変わっていくし、PATに限らず通信をするソフトでは、最初からある設定をそのまま使ってもうまくいかない・・・というのがわりと日常茶飯事なのでした。 まあ、たいていは同じメーカーの同じ速度域のモデムの設定を使えば大丈夫なんですが、それでうまく行かない時は、NIFTYのFMODEM?だったかな?モデム専用の会議室で設定を教えてもらったりしましたね。けっこうありましたよ、「PATが繋がらないのでコマンド教えて下さい」という質問。 PATの場合は、PATのホストセンター側の接続推奨速度が遅くて、世の中に増えてきた高速モデムでそのまま繋ぎに行くと安定しない事があったような記憶です。 そう。アナログモデムで繋いでいたんですよPATは。まず開催情報を取りに行って、レースの馬体重情報を取りに行って、投票したいレースのオッズの情報を取りに行って。最後に投票して、確定した頃合いに結果を取りに行って。毎回モデムが接続・切断。自分は接続先に大阪のセンターを指定されていたので電話代がね・・・。 今は、インターネット銀行の口座が開設済みならばという前提があるにせよ、こんなややこしく時間がかかる手順を踏まなくともネット投票ができるようになりました。なにより応募とか抽選とか無いし。★余談その1-PAT投票用の機器 2001(平成13)年のPAT用の機器について、当時の書類には以下のものが記載されていました。・ファミコン(任天堂及びマイクロコア) 自分は使っていなかったのでよく知らなかったのですが、ファミコンの通信方式は「任天堂式」と「マイクロコア式」の2種類があったそうです。JRA-PATはどちらにも対応していたという事ですね。 ネットで検索するとPATだけでなく競輪や競艇も同様のシステムで電話投票を運用していた事がうかがえます。証券会社の株トレードが多かったのかな。いずれにせよギャンブル(同様のもの)が多かったんですな。・スーパーファミコン 最近まで稼働していた事もあり、ネットオークションで専用カートリッジを見かける事多し。・FP3 これなんだろう?もしかして衛星通信用?・モバイルメイト 1997年にNTTデータが開発投入した専用端末です。・ホームマスター 文字放送を使ったシステムの端末。昔のビデオデッキくらいの大きさだったような。・ドリームキャスト 通信にも力を入れていたドリキャスだけにPATにも対応。ソフトのディスクがオークションに出てきていますが結構高い。・モバイルゲット(携帯・PHS) 携帯電話(とPHS)の普及に伴い登場した携帯電話一体型専用端末。2000年登場。WAPというプロトコルを使ってWEBの情報も表示できるように・・・などと説明されますが、PAT部分は専用アプリを組み込んでいた模様。また、当時としては広い画面サイズとされるのですが、スペックを見ると160ドット×192ドットで全角文字10行×12行表示だそうで。・テレアシスト800 1990年代前半頃にNTTが投入していた液晶画面付き電話。「ディスプレイホン」とも呼ばれていました。電話機自体は汎用ですがメモリカードが専用。 ちなみにかつて岩手競馬にあった独自の電話投票システムではテレアシスト1000が使用されていました。お値段高かったですねえ。★余談その2-モバイルでPATしたい! ノートPCを持ち出してお外で馬券購入したい。当時のガジェットマニアかつ競馬ファンはそういう事を考えてみた事でしょう。 普通は電話ボックスのグレーの電話(ISDN電話機)の、備え付けのモジュラージャックを使えば良いのですが、自分はPHSを使う事を試してみました。 1998、9年頃だったか。まだPHS通信モジュールとかなかったですから、採れる手法はモデムのダイヤルトーンをPHSのイヤホンジャックに入れて“音”で接続させる「見なし通信」という形式です。音響カプラー(知ってる人少なくなっただろうなあ。大学の研究室に一個あったな)みたいな理屈ですよつまり。 当時の携帯電話は音質が悪くノイズも多く・・・で「無理」とされていましたが、PHSは家庭用のコードレスホンより綺麗に聞こえるくらいの音質でしたから、接続自体は意外に簡単でした。専用のケーブルを入手するのがちょっと面倒だったくらい。あとPHSの呼び出し音だったかにモデムが誤反応してしまうため、ちょっとコマンドをいじってタイムアウトを長めに・・・とか。 もちろんPATソフトを使った投票もできましたよ。移動に弱いと言われたPHSでも電波が届く圏内を移動する分には電車の中からでも投票できたりしましたし。 とはいえ、昔のノートPCって大きいし重いし、バッテリーもせいぜい2時間くらいしか保たなかったから、そうやって外に持ち出してもうっかりすると投票はできても結果が出る頃にはバッテリー切れ・・・。“やってみたかったからやってみた”だけで現実的な実用性はなかったですハイ。 ただ、PCを使ったパソコン用予想ソフトの類は早い時期からたくさん登場してきていましたので、ノートPCが一般的になってくるとPCで予想しながら馬券を買っている人も珍しくなくなっていましたよね。リブレット使いとか憧れたなあ。 次回は久しぶりに(笑)実際の競馬のお話になりそうです。
2019年01月24日
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こんにちは、高橋華代子です。新年度が始まった~!ということで慌ただしい毎日を送った方も多かったでしょう。この日曜日はのんびりモードかな? 私は遊びの方で忙しかったです(笑)というのは大袈裟ですが、結構癒された瞬間も多かったかな。写真で綴っていきます。 <とある日> ↑大井のちびッ子わんぱく日記に登場しているミニチュアホースたちが千葉にお住いなので会いに行ってきました。 ↑向かう途中のスーパーでお土産のニンジンを買ったんですが、なんと、ミニミニサイズのニンジンが売っていたんですよ。こんなに小さいニンジンは初めて見ました。競走馬たちには物足りなさそうな大きさですが、ミニチュアちゃんたちにはちょうど良さそう。長さ5センチくらい?こんなにいっぱい入って100円なり。っていうか、千葉限定のニンジンでしょうか?東京では見たことがなかったんですが、詳しいことをご存じの方は是非とも教えて下さい ↑おおっ。このような表情が、かなり癒されちゃうんですよねぇ。ニンジンもぼりぼり食べてくれました。 ↑お尻がかゆい時はこんな感じで体をクルリン曲げています。器用ですね。 ↑前髪フェチの私としては、ミニチュアちゃん特有のもりもり感がたまりません。 今回は、大井の厩務員さんや誘導馬担当の方々と一緒に行ったんですが、みんな「癒される~」と口々に言っていました。いつも大きいお馬さんたちを接しているだけに、10分の1くらいに小さいミニチュアちゃんたちと接するのは、いろんな意味でリラックスできたようです。っていうか、皆さん毎日お馬さんを触っているのに、お休みはミニチュアちゃんのところ。ほんと、好きなんだなぁ~と思いました また、このミニチュアちゃんたちと会えたり触れたりするチャンスが近々やって来そうです! 詳しいことはTCKのホームページや先ほどのブログで報告されると思いますよ。<とある日> ↑今年はいろんな桜を堪能できましたが、ここの桜の花も素敵でした。山崎尋美厩舎の桜。写真は、川崎の調教師会長になった山崎調教師ではありませんか!お若い会長さんですねぇ。 ↑ライトアップされるとまた幻想的な光景です。 ↑あっ。赤レンジャーもライトアップされています(笑)。山崎誠士騎手ですね。今年は今現在、戸崎圭太騎手に次いで、川崎リーディング2位と好調です。この調子で頑張って欲しいですね!! 山崎厩舎にはこのようなカッコいいホームページがありますよ!山崎裕也厩務員(誠士騎手のお兄ちゃん)の手作りっていうんだから、これまたすごいです。スタッフブログの中には、今日夕方行われる野球大会について書かれています。興味のある方はどうぞチェックしてみて下さいね! <嬉しいこと> ↑先日引退が発表され、生まれ故郷の村田牧場(新冠)さんで繁殖生活に入ったチャームアスリープ。昨日の朝、無事にキングヘイローとの種付けが終わったそうです。チャームも着々とお母さんの道を進めているんですねぇ。あとは無事に、生まれてきますように… さぁ。今週も元気に頑張りましょ!
2008年04月06日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 先日、函館競馬場に取材でなく一人の客で行ってきました。 本題に入る前に。 しっかし…ほんと、当たらんね。 JRAの入場券(汗)。 「指定席」じゃなくて、一般席の「スマートシート」を頼んだ方が良いのかもだけど…ちょっと良い位置の「指定席」で見たいじゃないですか。でも当たらん。 私は、落選したあと当日までの、たまたまログインしたタイミングでキャンセル席が取れました。めちゃくちゃついてました。本当に「たまたま」。 何時間もパソコンの前で「更新」の繰り返しとか…むりなので。 でも、チケットゲットできて良かったです。 JRAの競馬場自体久しぶり 去年来られなかったから、函館競馬場2年ぶり 中に入れた時点で、やっとこられた~っていう感慨… スマートシートっていう 要するに一般席を石版で割り振った指定席 1個あけで使われていて、それでも更に人数で間引いてる感じですね。 その場にいる人数がとてもすくないので、ゆるーい時間が流れます。 レースが始まると、皆さんコースの際に下りてきて観戦。 4コーナー方向のスペース かつては、やきとり弁当のハセガワストアとか、ラッキーピエロのハンバーガー売るテントとか、地元の飲食店の出店のプレハブとかが、所狭しと並んでいた場所。 それらが何もない、っていう寂しさはあるけれど… 一方で、ここってこういう場所だったんだ、っていう新鮮さもあった。 恥ずかしながら…その奥にある馬頭観音 初めてお参りしました。 色んなものがそぎ落とされた感じで、本当にレースやって馬券売ってる、それだけ。 すごく「スリム」で「シンプル」になった競馬場。 でも…それで気づくこともあるのかなと、実感。 この先、コロナ禍が一区切りついたあと 競馬場っていう場所がどうなっていくのかなと。 すごく考えさせられた一日でした。 例えば… みんなが花の姿を楽しみに来る、っていうのも、競馬場のひとつのありようかもしれないわけですし。 来週こそ、門別の話…かな。 今日の札幌は、とても暑いです。
2021年07月14日
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木曜担当のよこてんです。今回はJRA福島競馬場に遠征したザブルースのお話。 実は自分も久しぶりの、少なくとも震災以降は初めての福島競馬場でした。そもそも前に行った時にはまだ岩手競馬発売コーナーがあったような・・・。改装されてから初めてな気がする・・・。★春の福島競馬開催を伝えるバス広告。福島は競馬シティ★スタンド周辺や4コーナーの桜も満開から場所によっては散り気味。岩手よりも少し早い感じでした★春と言うよりは初夏の陽気 さて雪うさぎ賞、ザブルース。前走は昨年12月、やはりJRA・中山の2歳特別「黒松賞」でした。結果は11頭立て11着だったのですが序盤でハナに出ると直線に向くまで先頭を守り続けるというなかなかの快速ぶりを見せていました。坂のない平坦コースならもっと粘れるかも・・・と思わせるくらいのスピードを見せたのは、結果はともかく見せ場は十分だったと感じさせてくれました。 今回は、中山よりは坂の勾配が小さい福島。ただしその黒松賞以来の休み明け、この間には育成牧場でも乗り込んできていて体勢としては整っているが・・・という臨戦過程。 レースの結果としては、休み明けもあってパドックからイレ込み気味、ちょっと出遅れて前走のような形にならず・・・の16着。こういうタイプの馬でもあり、自分の形にならなければ余計に苦戦するのは仕方ないですね。★パドックを周回するザブルース 翌日に飯田弘道調教師に振り返っていただきましたが、イレ込みが気になった面はあるがJRAの馬たちも成長しているという点(ザブルースは雪うさぎ賞が4戦目、対して例えば勝ったモズトキキは7戦目・・・とかの実戦経験の差)、そして馬体重が思った以上に輸送で減ってしまったのも影響したかな・・・というお話でした。★出遅れからマクって追い上げたザブルースでしたが結果は16着 特に馬体重。+10kgくらいでは出せると考えていたのだそうで、福島の後は新潟に転戦したいというプランも言われていましたが、馬体重面を考慮して次戦は地元戦へ・・・ということになるようです。 遠征では結果が出せなかった形に終わりましたが地元では2戦2勝、それも7馬身差・4馬身差で勝っているザブルースです。遠征の経験を活かして、そして芝シーズンが始まる頃には・・・。今後の巻き返しに期待しましょう。★雪うさぎ賞を制したのはモズトキキ★雪うさぎ賞に出走したもう一頭の地方馬・浦和のビコーズウィキャン。鞍上は及川烈騎手 さて福島競馬場。自分は福島で学生時代を過ごしまして、福島の街は非常に懐かしいところになっています。 競馬場は学生時代には行った事がない(これはホント!)。競馬との接点はなきにしもあらずで、例えば夏の福島開催ころには競馬場の飲食店でのバイトの話が良くあったんですが、「もの凄く忙しい」という経験者の話を聞いて近づかないようにしていました。 それから地元の新聞。一般の新聞が福島開催時には競馬新聞かと見まがうくらいに競馬面が増える!通常の倍くらいに厚くなるのが結構ね、当時は始末が大変だと思っていましたね。今ならご褒美ですけども。 もうひとつは、吾妻通りの東北電力の前にあった「満月苑」という焼き肉屋さんでバイトをしていた時期があったんですが、そこのマスターが馬主さんだったのかな?今思うと口取り写真を店内に飾ってありました。これも今になってみれ馬のお話をいろいろ聞いておけば良かったと思うところ。 競馬場にはその後何度か足を運んだのですが、大改装前のそれも秋とかで。昔をご存じの方なら分かると思いますが、“秋の福島”は1レースから9レースくらいまでが未勝利戦でメイン前後だけが条件戦。それを寒い寒いスタンドから見続けているのは、何か修行でもしているのかという気分になったものです。★94年頃かなあ。福島競馬場。こういう景色はあまり変わってないかも しかし街の景色はずいぶん変わりました。13号線から東側、競馬場の方はそれほど変わってない感じですが、駅の方はガラッと変わった。 先ほど触れた吾妻通りは大きく拡幅されたし並んでいたお店もすっかり様変わりしました。「満月苑」があった建物は今でもあるのですがお店自体は震災前に閉業していたようです。吾妻通りと13号線の交差点あたりには小さな八百屋と本屋があって時々お使いを頼まれたのですが、ここも大分前に駐車場になっていました。 そもそもが駅前通りですよ。ごっそり無い!無くなってる!かつては中合、山田と並んでいた百貨店エリアから駅前の商店街があったあたりまでが更地!★無い!無くなってる!(旧長崎屋前あたりから駅方向)★再開発計画ですが、昨今の費用高騰の影響から期間延長・規模縮小等を検討というニュースも 中合はちょっと高級、山田はだいぶリーズナブル。そして13号線の交差点あたりには長崎屋とコルニエツタヤ、エンドーがあって、この辺を往復するだけでも割と用が足りたものでしたねえ。 駅西口のイトーヨーカドーも5月6日で閉店とのこと。福島に住む事になって、新しい街ではまずスーパーマーケットを探すのですが、駅のすぐ近くに大きなスーパーがあって良かったし便利だし・・・と安心した思い出。★福島駅西口のイトーヨーカドー。福島に住み始めて初めて買い物に行ったスーパーなのでした 福島競馬場もまた改修に入るという噂もありますね。自分が住んでいる頃とはあちこち変わってしまって、変わらないのは街から見える吾妻連峰と安達太良山の景色・・・になるのかも。 ちなみにザブルースが出走した「雪うさぎ賞」、レース名は春の雪解けの頃に吾妻小富士に浮かび上がる“雪うさぎ”の姿にちなんだものです。岩手で言うと「岩手山の山頂部に見える鷲型(岩鷲)」のようなもの。この雪うさぎが見える頃になると春の訪れ、田んぼに水を入れたり畑に種をまいたり・・・の時期になるとされています。レースの日にも見えていましたよ。★雪うさぎ。二本の長い耳と丸い尻尾がウサギっぽいでしょう?
2024年04月18日
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土曜日担当は、園田競馬実況の竹之上次男です。 世間では忘年会シーズン。 この時期に行われる飲み会は、すべて忘年会になるために、ぼくも毎週のように忘年会に出かけています(^^;) きのう(18日)は、専門紙・競馬キンキ忘年会に今年も参加させてもらい、楽しんでまりました♪ 大阪・箕面にある箕面観光ホテルでの一泊旅行。 ロケーションは絶好で、自ずとテンションマックスに♪ 宴会はバイキング形式♪ またもや、3周目でカレーに手を出してしまい、腹パンパン(;>__
2015年12月19日
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土曜日担当は、園田競馬実況の竹之上次男です。 遂に心斎橋で、園田競馬の場外発売がスタートしました! オープン初日、園田での仕事前にチョロっと様子を見に行ってきました。 大阪ミナミのど真ん中、心斎橋。 地下鉄・心斎橋駅6号出口で地上に出ます。 心斎橋商店街を南に歩き、最初に向かえる信号が周防町通り(ヨーロッパ通り)です。 そこを左に曲がって、300mほど行けば、右手に見えてきます。 歩いておよそ5、6分程度。 駅から、ちょうど戎橋(通称ひっかけ橋)に行くぐらいの距離です。 ちょうどオープニングイベントに出演するSKNのメンバーと遭遇。 ゆみっぺ(優実)登場! 夢氏(佐藤夢)も到着! 8階建てのビルの2階から4階がDASH心斎橋となります。 2階フロアはこんな感じ↓↓ 非常に綺麗で驚きです!! 次は3階フロア↓↓ ここはさらに落ち着いた色調に変わります。 そして4階フロア↓↓ さらにシックで、床は絨毯貼り。 窓から周防町通り(ヨーロッパ通り)が一望。 奥へ行ってみると… ここからが噂の有料席。 入ってみると… うわぁ、これはゆっくりできそう! これで1000円とは有り難い!! ナイター開催時は、朝10時の開館から、夜の9時ごろまでの滞在が可能。 半日で1000円は安すぎ!! 何より、周りは飲食店だらけで、飽きることのない街。 また違った雰囲気で園田競馬をお楽しみください。 このあとの発売日程はご覧の通り。 とりあえず3月まで。4月以降は新年度ということで未発表ですが、近日中に発表されるようです。 またお知らせすることにします。 園田競馬のナイター競馬は5月22日からスタートですが、DASH心斎橋でのナイター発売は、大井競馬のナイターを場外発売する3月16日から。 つまり、大阪でオンタイムでナイターが発売される歴史的な日。 それは大井競馬のナイターから始まるということです。 またチョロっと覗きに行こうかなと…。 園田競馬が終わってから、ファンの皆さんが心斎橋へ大移動ってこともありそうですね(^^)〓Weeklyトピックス〓★来週は六甲盃 3月5日(木)は、園田競馬場で唯一2400mで行われるレース『六甲盃』。 これひとつをとっても、園田競馬の路線整備の拙さが浮き彫りになります。 こんなの意味あんのかなぁ?とある騎手に訊くと、即座に「ない!」と言うてました(^^;)・『六甲盃』出走予定メンバー遠征馬名古屋 グロリアスカフェ名古屋 ビービーガザリアス地元馬ハルイチバン (昨年の勝ち馬)ニシノイーグル (昨年の3着馬)エリモアラルマ (一昨年の勝ち馬)マッハタイザンエーシンスパイシー (今年の新春賞勝ち馬)アランロドピエナオリオンストライビング (一昨年の3着馬)イチザゴールドブルースイショウなど 注目は、ハルイチバンの連覇なるか!? 実は『六甲盃』の連覇は過去にはありません。 以前はこのタイトルでアラブの三冠最終戦として行われていました。古馬のレースとして施行されるようになって、今年で13年目。 2度制覇のあったアルドラゴンは、連覇ではなく隔年での勝利でした。 だから、ハルイチバンは初の連覇達成なるかが注目されます。 騎乗する田中騎手に話を訊くと「折り合いがついているように見えますけど、じつはかかってるところがあるんです。オンとオフのスイッチしかなくて、一旦スイッチが入ってしまうとどうなるか分からないので、超スローになる2400mは気を遣いますね」と慎重です。 それでも3000勝ジョッキーの信頼度、技術の正確性は高く、キッチリ乗りこなすことでしょう。 さて、唯一の2400mの意義ですが、せめて笠松競馬場で行われる『オグリキャップ記念』のトライアルにして、関連性を持たせられることができればと、だいぶん前から思っています。 そうじゃないなら、やっぱり意味がない2400m戦だと思います。★関本大介との決着は… 関本大介選手が、久しぶりに園田競馬場に来園。 またあの超絶肉体美を披露しました! 協賛レース『第12回大日本プロレスカップ』では、木村騎手がマイネルバリスターに騎乗して優勝。 第6回に続く、2回目の優勝となりました。 で、いつも行うトークショーでは、やっぱりこうなるのです…。 関本コノヤロー!! この仕返しをどこかで!と思っていたら、なんと今年の夏ごろには、ひょっとして2度目の競馬場プロレスが行われるかも!?とのことです!! そのときを覚えてやがれ!! いや、それより、いまシングルのベルトはひとつも巻いてないだろ!! タイトルもない奴は倒す価値なし!!ベルトを持って帰って来いコノヤロー!! そしてそのベルト奪ってやるゼ!!! って、こんなネタフリしていいの??★南井調教師サイン攻め 2月25日の園田競馬メインレースはJRA交流『逆瀬川特別』。 勝ったのはJRAのメイショウトキムネでした。 管理するのは南井克巳調教師。 現役時代は1527勝を挙げた名手。 その数字以上にタマモクロスやオグリキャップ、ナリタブライアンなどの名馬とのコンビで、強く印象に残るジョッキー。 いまでもファンの心にしっかりと残っているものですから、表彰式が終わると「南井さんサインくださ~い!」と声がかかります。 最初は「ぼくなんかいいですよ」と恐縮されていましたが、ファンの熱意におされて、少し照れながら応じてくれたのでした。 10人以上が集まる盛況ぶり。 27年と平成の年号を書くあたりが渋い南井調教師でした♪ ところで、この3人。 いずれもJRA馬に騎乗したので、いつもと違う勝負服。 誰が誰だか分かりますか? 園田ファンならすぐに分かりますよね(^^)v※私服に着替えたのではありません★兵庫県競馬、最高齢勝利記録 先々週の話。 これまでの兵庫県競馬(園田競馬・姫路競馬)の最高齢勝利は、12歳でした。 それを越える13歳で勝利したのはテクノシュウホウ(牡13・住吉厩舎)。 この馬自身は1年半ぶりの勝利で、12歳では勝ち鞍がありませんでしたが、13歳での逆転新記録です! レース成績 元々は準オープンでも勝ち鞍のある実力馬。なのでこの最下級のC3クラスなら勝って当然なのですが、寄る年波には勝てず、最近では善戦どまりが続いていました。 同馬は兵庫デビューの生粋の兵庫っ子。 新馬勝ちを収めたほどの素質馬。今回で143戦目、ひたむきに走り続ける姿はこれからも注目を集めることでしょう。★SKNフラッシュ8最後の集合!? DASH心斎橋のオープニングを飾ってくれたSKNフラッシュ8のメンバー。 残念ながら、ももたん(桃谷絵美)は参加できませんでしたが、残る7名が参加。 大いに、グランドオープンの3日間を盛り上げてくれたのでした。 さて、SKNフラッシュ8がこのメンバーで集合するのは最後となりました。 今年度の園田競馬を盛り上げてくれたメンバーの皆さま、本当にありがとうございます。 果たして来年度は、メンバーはどうなるのか!? 或いは、SKNフラッシュ8自体が続投なのか!? いまのところ詳しい情報は何ら入って来ておりません。 どうなるのかは、兵庫県競馬組合の発表をお待ちください。 あっ、来週の木曜日『六甲盃』当日には、リーダーの蒼井さやちゃんが登場しますからね♪◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ 後藤浩輝騎手が亡くなったというショッキングなニュースに、競馬界は揺れました。 まさか、まさかの出来事に、誰もがにわかに信じがたかったことでしょう。 後藤騎手とは、これまで深い関わりがあった訳じゃないですが、何か心にポッカリ穴が開いたような喪失感にとらわれています。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2015年02月28日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 昨日から、門別競馬場に来ています。 昨日の夕暮れ時の門別競馬場 天気の良くなかった先週とは一転、昨日も今日もとってもいいお天気。 空気の冷たさは感じますが、日中のお日さまの暖かさがそれを補い、とても過ごしやすい北海道・日高です。 最近、門別競馬場グルメの紹介をしていなかったので、久しぶりに「国内公営競技場で最強」のグルメスポットのアピールを(笑)。 場内のお店は4年前から変わっていません。 ポラリススタンド内の「小径カフェ」と「いずみそば」、そしてもとからあるスタンドの「勝馬屋」の3店舗。 小径カフェ。カレーやパスタ、ハンバーガーなど、洋食系の食べ物で開店以来評判のお店。 食事だけでなく菓子パンやソフトクリーム、ソフトクリームを使ったパフェ、そしてコーヒーを中心とした飲み物と、豊富な品揃えも魅力です。 来場されたお客様方だけでなく、取材に訪れる常連の報道関係者の「まかない」を担ってくれているのがこのお店と言っても過言ではありません。 今年から、パンはお店を運営している女性の方がご自分で焼いて持って来ているとのこと。 パンの品揃えは毎日変化を持たせ、連日通う方でも日々パンとともにコーヒータイムを楽しむことが出来るようになっています。 どんな食べ物がオススメですか?と伺ってみたところ……「何か特定の『食べ物』をお出ししているという感覚ではないんです。あくまでも『カフェ』だと思ってやっています。カフェって、色んなものがあって楽しいところだと思うんです。だから色んなものを用意してお客様に楽しんで頂きたいなって、そんなふうに思っています。」 カフェは、楽しいところ。素敵な言葉です。 そんな楽しさを競馬場の中で私たちに提供してくれているんですね。 店頭に出しているメニューにも、そんな楽しさが溢れている感じがしませんか? 小径カフェと言ったらこれ! ドライカレーにコロッケをのせました。 ピリ辛でボリュームも大満足!! 同じくポラリススタンドにある、いずみそば こちらも開店以来のおなじみ 門別にある人気そば店「いずみ」の競馬場への出店です。 いま注目の新メニューがこちら、だったのですが… 残念ながら私が訪れた時には売り切れ。 とり天だけでなく、エビ天、ゴボ天、山菜にキツネなど、豊富なトッピングを自由に組み合わせて、その人だけの「いずみそば」が楽しめるのが特長です。「そばなので、飽きが来ないようにバリエーションに幅を持たせることを意識しています。トッピングもそうですし、これからの季節は『冷やし』メニューにも工夫を凝らしていきますよ!」…とは、お店の方のお話。 そばというシンプルな食材を料理として彩る工夫を怠らないからこそ、長く続く味として定着しているのだと思います。 私は、エビ天と山菜とキツネ(油揚げ)をトッピング。 この店の特徴である太めで縮れている独特のそばの麺が具材に隠れて見えない… コロッケやメンチカツなどのサイドメニューも見逃せないのが、いずみそばのいいところ。 こちらもうまく組み合わせて大満足の食事になること、間違いありません。 最後は、昔からあるスタンドの中のこの店。 勝馬屋 そばや丼、串や揚げ物など、「クラシック」な公営競技場の食べ物が揃っている、隠れた名店です。 こうやってケースに揚げ物や串ものが並んでいると、テンション上がりますよね! ラーメンが食べたくてこの店を選んだのですが、結局串かつも頼んじゃった(笑)。 ラーメンスープの味噌味が辛じょっぱくて麺にとても合います。 スタンド自体が小さいので、お店の規模もそれぞれこの程度ではありますが、どこも出しているものに一切「間違い」がないお店。どこのお店でどれを食べても美味しいのが、門別競馬場の良さ。 3年前、ここの映像を担当していた時に、Youtubeでこれらのお店を取り上げて映像で紹介したことがあります。その時から変わらぬクオリティがいまでも保たれていて、なおかつ時の流れとともにメニューやお店の雰囲気も進化しています。 いまでも自信を持ってご紹介します。 日本の公営競技界最強グルメスポット それが門別競馬場です。 最後に全く別の話。 今日、たまたま思い立って早朝の調教を見学しに行きました。 坂路の丘から厩舎エリアやコースの方を望む 坂路でずっと馬たちの様子を見ていたんですよね。 そしたら…坂路の掲示タイム表示モニターに思わぬ馬の名前が!! え? タービランス?? あわてて撮ったのでぶれていますが… タービランス様ご近影 佐々木国明ジョッキーから少しだけ話を聞きました。 先週末に帰ってきて、乗り始めたばかりとのこと。 「詳しい話は調教師に」とのことでしたが、佐々木国明ジョッキー個人の話としてこんな風に話してくれました。「これだけの馬だから、また門別の競馬をこの馬で盛り上げたいです。」 詳しい様子はまたわかったらお伝えしますね。
2017年06月14日
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木曜担当のよこてんです。 いよいよ今週末からOROパーク盛岡競馬場での開催がスタートします。という事で今回は、それにちなんで旧盛岡競馬場の跡地をご案内してみようというお話。 1995年11月をもって閉場となった旧盛岡競馬場。その後の跡地利用でしばらくの紆余曲折がありましたが、ちょうど10年前ですね、2008年に「保健・福祉ゾーン」として保健センターおよび老人福祉施設が開所したのを皮切りに、2014年には「環境ゾーン」が、2015年には「公園ゾーン」がオープン。そして今年4月1日、旧競馬場で言えば“左半分”にあたる「自由広場ゾーン」が一部オープンして、これによってかつて競馬場だったエリアのほぼ全体が利用可能になりました。 そんな機会でもありますから、改めて旧盛岡競馬場跡地を訪ねてみようと思い立った次第。ただ、はじめにお断りしておきますが、旧競馬場のスタンドだとか施設だとかが残っているという事はありません。今はほぼ全面的に公園になった旧競馬場エリアに昔の面影を探ってみよう・・・みたいな方向性であります。★施設案内図。お手数ですがこれを見つつ、ここに戻りつつ下の話を読んでいただけると位置関係が分かりやすい さて、まずは昔と同じルートで向かってみましょう。国道4号から松園方面への県道に入り、盛岡三高前を右折。かつては右折すると真っ直ぐ正面に競馬場が見えましたが今は当然ありません。ただ、通りの左右の建物は以前のままらしきものも多くて、ちょっと懐かしい感じがします。この500mほどの道が混んで混んで。特に競馬が終わった後の帰りはこの部分を通過するのにもの凄く時間がかかったものでした。★競馬場への道だったところ ちなみにこの道ぞいにはかつて、競馬専門紙の事務所が並んでおりました。今でも「エイカン」社の看板が見えますね。 競馬場跡に行き当たったあたりでさっそく昔との違いが。かつては県道からの道が競馬場のスタンドに突き当たるところで右にカーブしながらスタンドの下をくぐり、内馬場の駐車場へ抜けるようになっていました。今はその辺が公園入り口の広場になっており、高低差の感じがだいぶ変わっております。★撮っている私が立っているあたりがスタンドだったはず。県道からの道はスタンドをくぐって内馬場へ抜けていた★「高松公園」の碑。文字を囲う楕円の意匠が、ここが競馬場であった事を連想させる 公園内を見ていく事にしましょう。最初は『高松公園』エリアから。旧競馬場では1~2コーナーサイド、右半分と言いますか。ここは芝生広場や遊具を備えた公園になっています。まだ木が育ってなくてやたら広々。でも少々走ろうが転ぼうがぶつかるものがないので小さなお子さんにも安心の遊び場になっているようです。 2コーナーから向こう正面に進んだあたりは『環境ゾーン』、「エコアス広場」として自然環境にふれあい学ぶエリアになります。ここには花畑、水路、湿地などが設けられ、将来はもっと木々も増えて、ちょっとした里山のようになる模様。★この辺は調教馬場だった部分なので、この湿地はもちろん後で作られたものです★花畑では陸前高田に植えられていた花を預かっているとの事★人工池。まだ水が張られてなかった。この池もいずれ木々に囲まれる予定 けっこう高低差があるんですが、それでも競馬場時代よりはだいぶかさ上げされているような感じ。 こちらはこの春オープンした『自由広場ゾーン』。今は3コーナー側にあたる「クレー(土)広場」と駐車場・休憩所がオープンした状態で、4コーナー側の施設(人工芝広場)は整備中。 『保健・福祉ゾーン』。「高松地区保健センター」と「ケアガーデン高松公園」(ケアハウス・デイサービス施設)が置かれています。最初に触れた通り旧競馬場エリアで一番最初にオープンした部分です。 さて。では“旧競馬場の面影”を探してみましょうか。最初に「施設等が残っているわけではない」と書いたんですが、“競馬場だったことを感じさせる”部分はそれなりに残っているのです。 まずこちらの写真。1995年11月、旧競馬場最後の日に来た時のものから、恐らくパドックあたりから2コーナー方向を眺めた構図になると思います。 「ん?なんかこんな感じの森がさっき出てきたな・・・」と思い当たった方がいたら鋭い。 こちらが現在の、ほぼ同じ位置を撮った写真。 そうなんです。背景の森は若干シルエットが変化しているもののほぼそのまま。そして左手にある家。95年の写真にもあるこの家が今もそのまま残っているのが分かるでしょうか。 この森のたもとには現在、『保健・福祉ゾーン』から高松の池方面に抜ける道路ができています。この家との位置関係、森にある擁壁の形状。これを比較すると分かる通り、現在の道路はかつてのコースにほぼ沿っていると判断できるわけです(と同時に公園部分がかつてよりかなりかさ上げされている事もうかがえます)。★上の、森のたもと付近の道路。道路~遊歩道部分くらいの幅の部分がかつてのコースだったと思われます コーナーの感じ、そして1コーナーからやや登りながらカーブしていったコース形状も良く残っていますね。 すると、さきほどの人工池のあたりに「12」のハロン棒が立っていた感じになるのかな。 ちなみに1コーナー部分のコースも、この遊歩道がほぼそれにあたると思われます(スタンド前からコーナーに入るまでの部分はかさ上げされていますが)。 旧盛岡時代に設定されていた1420mの距離。スタートしてすぐカーブ、そのうえ昇り勾配という極端に外枠不利だった鬼コースの面影が、結構残っているものですねえ。 次の写真。同じくスタンド前から向こう正面を見通したもの。向こう正面が坂になっているのは撮り方が悪いのではなくて本当に急坂になっていたから。“走る馬の背中が見える”希有なコース形態でした。!。 お!ここも以前と同じ建物が残っているじゃないか! ということでだいたい同じ角度から撮った現在の写真がこちら。かつてのコースの部分がそのまま道路になっているのがわかるでしょうか。 もっと広く撮った写真を比べてみましょう。上が95年、下が現在。 背景の山の形が同じ、かつてのコースと今の道路の勾配の感じも同じ。ただ、旧競馬場でいえば内馬場部分までかさ上げされて公園化されているため、昔と同じ見通しの場所は見つからなかったのが惜しい。 現在の“向こう正面部分の道路”、その場に立ってみるとはっきり分かる登り坂です。上で見てきた写真で分かるようにこの道路の勾配はほぼ旧コースそのまま。「旧盛岡の向こう正面の登りはハードだった」と言われたのが良く分かります。 3コーナー側、『自由広場ゾーン』のクレー広場横から駐車場部分へと通り抜ける歩道(ジョギング用?)もかつてのコースの形状そのままです。★3コーナー方向を★3コーナーから向こう正面方向を “旧競馬場由来の施設類は無い”と書きましたが、この歩道沿いにある色あせた塀、これはどうやら旧競馬場時代から残るもののようです。 コースとその外を仕切っていた塀は、かつては2コーナーあたりから3コーナーあたりまで向こう正面全体にあったことが写真から見てとれますが、現在残っているのは『自由広場ゾーン』のエリアだけです。 そしてこの「向こう正面方向」写真の左手、ブロック塀が残る部分。ここに注目してください。 下が95年の写真から同じ付近を拡大したもの。 ここの部分は、かつてパトロールタワーが立っていた所にあたる事が分かりました。★ここにパトロールタワーがあった! 塀の裏側にパトロールタワーの土台の跡のようなものでもあれば・・・と思いましたが残念ながら痕跡は無し。んー、道路の歩道部分が拡幅されたのかな。 ちなみに『自由広場ゾーン』からの出口部分。松内商店方向に向かって作られていますが、かつてこの辺に存在した「内馬場駐車場からの出口」はもっと左手のほうにありました。 旧盛岡競馬場では全レースが終わると3~4コーナ-中間あたりにあった門(鉄扉?)が開けられて、内馬場駐車場からコースを横切って外に出る事ができました。スタンド側からの出口よりはずっと空いていて早く出る事ができるので、よくそこを使ったものです。★4コーナーからスタンド前直線に入ったあたり。擁壁に見覚えあり 4コーナー側にあたるエリアは現在工事中なので近寄る事ができませんでしたが、人工芝広場と住宅地の間の空間、ここがかつてのコースに相当する部分ではないかと思います(ただしかさ上げされている気配)。★4コーナーの所にはコース用の砂の山があったので、工事中なのがむしろ昔と似通った景色になっている★かつてテレトラック棟があったところは空き地に 旧盛岡競馬場はスタンドとテレトラックと、大きく二つの建物がありました。スタンドの方はあまり広くなかったので自分はテレトラック棟の方にいる事が多かった記憶。 かつてのその場所は現在は空き地となっています。 計画ではここにミニバスターミナルが作られる事になっていましたが、それが取り止めになり現時点では活用方法を検討中。なのでまだしばらくは空き地のままなのでしょう。★95年11月、旧盛岡競馬場での最後のレースが終わった後、内馬場駐車場から見た岩手山 旧盛岡競馬場での最後のレースが終わった後、帰る間際に内馬場駐車場から見た岩手山の写真。これと同じアングルも探してみました。すると、現在「エコアス広場」駐車場になっている部分から見るとほぼ同じになる事が分かりました。上の写真を撮った時は「内馬場駐車場の奥の方、コース脇の土手を少し登った所から撮った」記憶があったので、確かにそんなあたりの場所でした。★現在 全く同じだろう場所からだと真正面に電柱が入ってしまうためだいぶ近い位置から撮っていますが方向はほぼ同様。4コーナーあたりにもかつてと同じ木や建物が残っている事も分かりました。 旧盛岡競馬場エリアである高松公園とその周辺には明確に「ここに競馬場があった」的な目印はありません。しかしこうして見てきたように、特にコースの名残の部分にかつての面影を色濃く残していたりします。★「黄金馬場公園」の名が付けられた小公園。かつてスタンド脇にあった空き地?そのままの形状と思われる。このすぐ近くに内馬場からスタンドに上がってくる階段があった★旧1コーナー付近、高松の池に続く小径。この辺のコース脇に通用口?のようなものがあった記憶が 旧コース部分はほぼ3/4周ちかくに渡り痕跡を辿って歩く事もできます。車でないと行きづらい場所なので遠来の方などには簡単では無いかもしれませんが、OROパーク盛岡競馬場開幕で盛岡においでになった際に、あわせて旧盛岡競馬場跡も訪ねてみてはいかがでしょうか。コース跡を辿ってみるにはちょうど良い季節ですから。
2018年04月26日
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土曜日担当は園田・姫路競馬実況アナウンサーの鈴木セイヤです。馬道で誘導馬のアイスバーグと遭遇しました。水曜日7Rの誘導を終えて厩舎に戻るところでした。今年30歳のアイスバーグ。高齢のため現在は1日1レースのみ、中一日空けて誘導を行っています。兵庫といえば30歳まで誘導馬として活躍したマコーリーを思い出す方が多いかと思います。園田競馬のマスコットキャラクター『そのたん』のモデルになるなど、かわいい顔つきで多くのファンに愛されていました。偉大な先輩からバトンを引き継いだアイスバーグはメイショウシャーク、ストラディヴァリオと共に、戦いの舞台へ向かう戦士達を馬場へと導きます。★地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップ5月23日、盛岡競馬場で「2023、地方競馬ジョッキーチャンピオンシップ」が行われ、兵庫からは吉村智洋(よしむら ともひろ)騎手が出場しました。第1戦は12着、第2戦は最後方から追い込んで3着を確保。2戦合計で16ポイントを獲得し総合6位につけました。トップは浦和の福原杏騎手(34ポイント)とは18ポイント差です。ファイナルステージは7月6日(木)に園田競馬場で行われます。『2023 ワールドオールスタージョッキーズ』の出場権は誰が獲得するのか?名手の戦いにご期待ください。★兵庫 新馬一番星は?今週水曜日に今年最初の2歳新馬戦が組まれ5頭がデビューを迎えました。先週のような暑さにはならず過ごしやすい気候。①フミタツビッグワン 下原理騎手・岡田利一厩舎 サトノアレス産駒(新種牡馬)②ダイジョバナイ 大山真吾騎手・飯田良弘厩舎ファインニードル産駒③ヤックル 山田雄大騎手・木村健厩舎ワールドエース産駒④セブリンブリーズ 杉浦健太騎手・山口益巳厩舎コパノリッキー産駒⑤エヌケージャパン 鴨宮祥行騎手・岡田利一厩舎エイシンフラッシュ産駒 レースは発馬を決めてダッシュがついたダイジョバナイが先手を奪うとフミタツビッグワンが2番手。以降はセブリンブリーズ、エヌケージャパン、ヤックルと追走。主導権を握ったダイジョバナイが危なげない走りで兵庫今年の一番星に輝きました。2着はフミタツビッグワン、3着はセブリンブリーズが入り人気サイドの決着。入厩当初から評価が高かった「ダイジョバナイ」。初めてのパドックは落ち着かない面を見せますが、本番レースは能力を発揮しデビュー戦を制しました。園田、西脇では2歳馬がデビューに向けて準備を進めています。2歳馬の発走検査・能力検査の模様は園田・姫路競馬の公式YouTubeでも配信されていますので、予想の参考にお役立てください。ダート競走体系の見直しで、今年は2歳重賞の新設や実施日変更があります。【兵庫2歳重賞予定】★8月10日 第1回兵庫ジュベナイルカップ※昨年は準重賞で実施8月31日第16回兵庫若駒賞(10月から移動)9月21日第25回園田プリンセスカップ※牝馬重賞★10月12日 第1回ネクストスター園田11月22日 第25回兵庫ジュニアグランプリ(Jpn2)第52回 園田ジュニアカップ★︰新設重賞ダート路線改革元年。全国各地で2歳戦がスタート。未来のスター候補生達が砂上で乱舞します。★笠松で笑顔の花が咲く〜スマイルジョナス初重賞V〜5月25日、笠松競馬場で行われた第6回ぎふ清流カップは、兵庫のスマイルジョナスが逃げ切りで勝利。スタートを決めて主導権を握ると気分良く逃げます。最後まで楽な手応えで後続に3馬身差をつける快勝でした。その他の兵庫勢はエイシンレゲンダが4着。カタラが6着。オキザリスレディーは7着でした。 兵庫生え抜きのスマイルジョナスは3連勝で重賞初制覇を飾りました。 鞍上の笹田知宏騎手は重賞12勝目。2月の兵庫ウインターカップに続き今年重賞3勝目。渡瀬寛彰厩舎は重賞5勝目。2021年の西日本ダービー以来の重賞勝ちです。兵庫勢はぎふ清流カップは兵庫勢3連覇。上2枚の画像は笠松競馬場で実況されていた西田茂弘アナウンサーから頂きました。ありがとうございました!★ルーキー山本屋騎手 初メイン勝利5月25日の丹波篠山茶特別はメイプルシスターが勝利。発馬は出負け気味も二の脚が早く先手を奪取。軽斤量49キロのアドバンテージを活かし逃げ切りました。最重量58キロのメイプルグレイトが後方から追い込み2着。大山寿文厩舎のワンツーフィニッシュでした。メイプルシスターに騎乗していたのはルーキー山本屋太三騎手。デビューから約1ヶ月でメインレース初勝利!「(人気馬騎乗で)プレッシャーは感じました。馬に緊張が伝わらないようにリラックスして乗りました。」スタートは若干劣勢だったが、二の脚が速くハナに立った。「今回は馬の力に助けられました。次は自分の力で勝利出来るように頑張りたいです。」減量を活かした積極的なレース運びが光る山本屋騎手。名手揃いの兵庫で5勝を挙げています。※5月26日終了時点※木村寿伸アナウンサー撮影★遠征馬情報5月31日、浦和競馬場でダートグレード競走、第27回さきたま杯が行われます。兵庫からはイグナイターが出走予定です。今回も大井の笹川翼騎手とのコンビで3度目のダートグレード制覇を目指します。なお、出走予定馬は変更になる場合があります。ご了承ください。次週の園田競馬も水〜金曜日の3日間。6月1日(木)は2400mの長距離重賞、第24回六甲盃が行われます。遠征予定馬(5月26日時点)https://www.sonoda-himeji.jp/sp/news/detail/MjcwOA兵庫勢は兵庫大賞典Vのラッキードリーム、2着馬のメイプルブラザー、3着馬のタガノキングロードがエントリー。新春賞勝ち馬のアキュートガールも登録しています。週間予報だと来週は傘マークが並んでいます……空模様もチェック必須の3日間になりそうです。1月の落馬負傷で長期離脱していた佐々木世麗騎手が今週から調教に復帰。次週は復帰に向けて準備を進める佐々木騎手にお話を伺ってきます。次週も熱戦にご期待ください。
2023年05月27日
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こんにちは。隔週月曜日、今日の担当は耳目社の百瀬です。皆さん、『協賛レース』ってご存じですか?地方競馬のレースで時々目にする「〇〇ちゃん3歳お誕生おめでとう記念」「〇〇&〇〇結婚記念」など、これがいわゆる協賛レースです。これはいくつかの地方競馬主催者で実施されており、個人と企業単位で募集を行っています。特に個人協賛であれば、1万円程度から行うことができます。何と言っても一番の魅力は、レースタイトルを付けられることでしょうか。思い思いに付けられたレース名は、出走表や専門紙などの各媒体に掲載されるのはもちろんのこと、レースの時、本馬場入場の時にアナウンスされ、その様子は競馬場内に限らず、全世界にインターネットを通して配信されます。また勝馬投票券(馬券)にもレース名が印字されるので、出走全馬の単勝馬券を買って、思い出の品にする方も多いのではないでしょうか。馬券の一例。友人提供。本日、金沢競馬場で友人の親戚の結婚記念の協賛レースがありました。私も以前、友人の結婚記念に協賛レースを行った事がありますが、普段競馬を見ない友人も、記念にと馬券を買って楽しんでくれました。(実況も私がしました(^_^;))またレースタイトル命名以外にも、主催者ごとに特典があり、今回は個人協賛レースを行っている競馬場主催者ごとの募集要項ページのリンクと、特典をまとめてみました。この協賛レース、思った以上に簡単で手軽に申し込む事ができます。もし検討されている方には、本稿が参考になれば幸いです。また協賛レースの事を知らなかった方には、競馬観戦の楽しみに一つになればと思います。現在、個人協賛を受け付けている主催者は5つ。その一覧は下記の通りです!ばんえい帯広協賛金:1万円特典:勝利騎手のサイン色紙プレゼント表彰式プレゼンターとしての参加は、現在休止中。金沢競馬協賛金:1万円分の商品券特典:勝利騎手のサイン色紙、 レース映像(DVD/BR)プレゼント場内案内所でも募集要項を配布しています。笠松競馬レース映像及び記念ゼッケン(有料)名古屋競馬協賛金:2万5千円特典:優勝騎手サイン色紙、当日の専門紙、優勝馬、優勝騎手との記念撮影冠レース名入りゼッケンプレゼント(2枚目以降有料)高知競馬協賛金:1万円特典:当該レースのゴール写真に 優勝騎手のサインをプレゼント岩手競馬、船橋競馬、佐賀競馬では企業協賛を、佐賀競馬では企業協賛に加え、ファンクラブに入会することで、レースタイトルは付けられないものの優勝馬関係者への表彰ができるようです。協賛レースの申し込み方法など、詳細はリンクの各主催者の協賛レースページをご確認下さい!最後に今年金沢競馬場で行われた個人協賛の『冠レース』、どんな記念の協賛レースがあったのか。レースタイトルから分類・集計してみました!1位:誕生日 28レース(〇〇さん誕生日記念、〇〇生誕記念など)2位:結婚関連 19レース(〇〇&〇〇結婚記念、〇〇夫妻金婚式記念など)3位:ファンの方から"推し"への記念競走 18レース(〇〇さん配信2周年記念、結成20周年記念など)4位:卒業、就職など"門出・節目" 13レース(〇〇部長昇進記念、〇〇ちゃん高校卒業記念など)5位:周年記念 7レース(居酒屋〇〇20周年記念)6位:知人への感謝 6レース(〇〇さんいつもありがとう記念など)7位:来場記念 5レース(祝・金沢競馬初来場記念など)(その他は7レース)(レースタイトルのCGは場内大型ビジョン、ネット中継でも放映されます)皆さんはどんな時、記念の協賛レースをしたいと思いますか。是非お気軽にご参加頂ければと思います。
2023年08月14日
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今日は耳目社山中が担当します。昨日のかよこさんも書かれていたように、栃木県・那須塩原にある地方競馬教養センターで、4月にデビューを迎える第105期騎手候補生の騎手養成課程修了記者会見が行われました。当日は会場に伺うことができませんでしたが、デビューを控えた新人ジョッキーの姿を画面で拝見させてもらいました。先日、教養センターにお邪魔して、ジョッキーの卵たちにちょっとお話を伺いました。今回はその時に伺った話も交えながら、新人ジョッキーの勝負服をご紹介します。(写真は、地方競馬全国協会よりご提供いただきました)藤田凌駕騎手(ふじた りょうが。北海道・小野望厩舎)黄色・胴青たすき・袖青一本輪色は好きな色。柄は騎手を目指したときから憧れていたものに。厩舎研修中にお世話になった福原杏騎手のデザインも参考に。坂井瑛音騎手(さかい えいと。岩手・菅原勲厩舎)胴青・胴白玉あられ・袖白・青一本輪色は菅原勲調教師の騎手時代と同じ色に。玉あられと両袖の輪を足して、自分の名前「エイト(8)」になるように。千野稜真騎手(ちの りょうま。浦和・小久保智厩舎)胴茶・胴青一本輪・袖青胴の色はお世話になっている厩務員さんと相談しながらかっこいいと思った茶色に。青は厩舎カラーです。この茶色は海老茶だそうです。山本大翔騎手(やまもと つばさ。船橋・佐藤裕太厩舎)桃色・胴白うろこ・袖白一本輪佐藤裕太調教師の騎手時代の色を使わせて欲しいとお願いした。柄は自分で決めなさいと言われ、南関東では他の騎手が使用していないものを選びました。高橋優騎手(たかはし ゆう。大井・鈴木啓之厩舎)胴黄色・赤縦縞・袖白・赤一本輪黄色と赤は、実家(高橋ファーム)のJRAの勝負服で使われているのと、鈴木啓之調教師の騎手時代の勝負服にも使われている。袖の白は爽やかでファンの方にも明るい印象を与えられると考えて。憧れの笹川翼騎手の勝負服にも近いですね。鈴木啓之調教師の現役時代の勝負服は皆さん覚えてますか??加藤雄真騎手(かとう ゆうま。川崎・山崎尋美厩舎)青色・胴水色たすき・袖水色縦縞ジョッキーベイビーズの時に着ていた勝負服をモチーフに→当時は十字たすき・袖三本輪佐野遥久騎手(さの はるく。川崎・鈴木義久厩舎)胴白・赤縦縞・袖青・赤一本輪ジョッキーベイビーズの時に着ていた勝負服と同じデザイン→ドリームパスポートの勝負服を参考に明星晴大騎手(みょうじょう せいだい。笠松・後藤佑耶厩舎)胴黒・黄星散らし・袖黄・黒一本輪名字が明るい星と書くので、黄色の星散らしに。胴の黄色い星が目立つように、自分の好きな色でもある黒に。父は競輪の明星晴道選手。望月洵輝騎手(もちづき じゅんき。愛知・井上哲厩舎)水色・胴黄菱山形一本輪・袖黄色二本輪自分の好みの色。水色は冷静に集中力を高められるように。黄色は明るくポジティブな自分の性格を表している。柄は名前の「月が輝く」から黄色のダイヤモンドにしました。名古屋のジョッキーでは水色は珍しいかな?塩津璃菜騎手(しおつ りな。兵庫・長南和宏厩舎)胴白・胴桃十字たすき・袖桃・白一本輪桃が有名な地元岡山の桃色。兄弟子の石堂騎手のたすき柄を自分は十字たすきに。袖に一本輪を加えました。新庄海誠騎手(しんじょう かいせい。兵庫・柏原誠路厩舎)白・水色鋸歯形名前の由来でもある新選組をイメージし、調教師からもシンプルで覚えやすいものがいいとアドバイスされて。高橋愛叶騎手(たかはし まなと。兵庫・栗林徹治厩舎)白・胴緑二本輪・袖緑一本輪自分の好きな色と好きな柄。好きなキセキの勝負服をモチーフに、それに緑一本輪を足しました。土方颯太騎手(ひじかた そうた。兵庫・高馬元紘厩舎)胴青・水色ダイヤモンド・袖白・青一本輪誰も使用しておらず、厩舎のメンコと同じ柄。色は騎手を目指していた時にかっこいいと思っていたものです。城野慈尚騎手(しろの ちかなお。高知・工藤真司厩舎)緑・胴白たすき・袖白二本輪デザインは憧れの兄弟子のもの。色は厩舎カラーで自分の好きな色でもある緑。勝負服姿が初々しい新人ジョッキーたち。デビューが待ち遠しいですね。4月になったら、ぜひぜひ競馬場で暖かいご声援をよろしくお願いいたします!
2024年03月18日
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金曜日は、古谷が担当します。 開幕してから、カテゴリー別に毎週重賞が行われているホッカイドウ競馬。今週は9日に、古馬中距離重賞「コスモバルク記念」が行われました。10日に「千葉サラブレッドセール」が開催される関係で、9日のうちに羽田へ移動しなければならず、「コスモバルク記念」をライブで観ることはできませんでしたが、新千歳空港でスマホを観ながら、ラップタイムを計測するという、周りから見たら怪しい人間をやっていました😅 ベルピットが少しアオってゲートを出て、前回のような逃げは打てないと思った瞬間、シルトプレがジワーっと先頭に立ち、ペースが遅かったこともあり、ベルピットがスンナリ2番手に取りつきました。淡々とした流れの中に、シルトプレとベルピットが最初からマッチレースを展開していた時には、気持ちがソワソワしました。オールドファンなら、テンポイントとトウショウボーイの「有馬記念」を思い出すところでしょう。個人的に採ったレースラップは、13秒6-12秒0-12秒6-12秒7-12秒7-12秒5-12秒1-12秒4-13秒0前半3F38秒2-5F63秒6、上がり3F37秒5 シルトプレは決して無理なラップで運んだわけではありませんが、常にベルピットに突っつかれた上に、3コーナーからベルピットがシルトプレを交わしにかかり、残り600mの時には半馬身外まで並び掛けていました。ベルピットの上がり3Fは、公式で37秒5となっているので、レースラップと全く同じですが、その直前からスピードに乗せていき、そこから12秒1と自らペースアップして後続を突き放していく形となったので、交わされた立場のシルトプレは苦しい展開になりました。 ベルピットは直線独壇場。シルトプレがパッタリ止まった時に、転入初戦のスワーヴアラミスが2着に追い上げました。人気サイドの決着でも、着差は想像を超えるほどベルピットの成長力、充実度が他を上回りました。(ベルピット。写真提供:山中博喜氏) 開幕しての初戦が、自ら逃げて上がり3Fすべて12秒3でまとめあげました。そのレースラップを見せながら、角川調教師と桑村騎手に話を伺うと「完全に一皮むけましたね」と、その先を見据えていたような自信を感じました。その辺りの話は、「ふるやっちチャンネル」の予想動画の中で話しているので、レースは終わりましたが、ぜひご覧頂ければと思います。 ベルピットの関係者の皆様、おめでとうございました!
2024年05月10日
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日曜日担当の高橋華代子です。 3月3日の川崎競馬場は、中央競馬の藤田菜七子騎手がデビューした日。川崎競馬場は熱気に包まれ、賑やかで華やかな1日になりました。お客様は7214人、売り上げは10億円超えと、前回の木曜開催よりもグーンとアップしたそう。 開門前からお客様のパワーも伝わってきて、 港町駅側の入場門↓ パドック側の入場門へ歩いていくと↓ 今回はマスコミ規制もかなりありました。↓ マスコミの数も川崎競馬史上一番多い数だったそうで、63社137名、カメラの数は30台(3月3日午後聞いたお話しでは)。 1レースのパドック前からお客さんたちがあふれていましたよ。↓ 藤田騎手の記念すべき最初のパートナーは、浦和の工藤伸輔厩舎所属のコンバットダイヤ。お父さんはホワイトマズル、お母さんがハルエサンという血統の3歳の牝馬です。 工藤調教師と言えば、南関東が誇るコスプレメンコ厩舎としてもお馴染み。工藤調教師のアイディアやお裁縫などでユーモアたっぷりのメンコを作製し、ファンの人たちを楽しませて競馬を盛り上げようと、地道に頑張っていらっしゃいます。 そんな工藤調教師がこの記念すべき瞬間に黙っている訳ありません(笑)。 短時間で、こんなに素敵な装いを用意していたんです。さすがはコスプレメンコ厩舎の意地とプライド……。装いについては、南関魂で特集をするのでご覧頂ければ幸いです。 1レースからこれだけの人、うれしいですね(*^_^*) 1レースはゲートで競走除外になった馬がいて、なんと2度のゲート入りというまさかのアクシデント。 レースは中団から進めての8着。 藤田騎手「昨日はたっぷり寝ることができました。パドックで整列した時に一番緊張しましたが、馬に乗ると自然と緊張しなくなりました。他のジョッキーからも、『緊張しないで』と優しい言葉をかけてくださって、緊張することもなくなりましたし、感謝しています。 ゲートに入っていよいよなんだなぁと思った時に後ろから出されてしまいました。最初ゲートへ入った時に少し緊張したんですが、2回目はしませんでした。 自分の思っていたよりも位置を取ることができなくて、少し後方になってしまいました」 4レースのシンフォニーヒルズでは4着。 藤田騎手「勝つことはできなかったんですが、差してくることができたので、その後のレースに少し自信になりました」 5レースのミスターナイスワンは勝ち馬からアタマ差まで追い込んでの2着。 藤田騎手「ゴール前はわからなかったんですが、勝っていればいいなという思いでした。(的場文男騎手が「7000勝勝てるよ」と言ったことに関して)とてもありがたいお言葉です」 8レースのポッドジョイは5着。 10レースの自厩舎レガリアシチーは13着 12レースのポッドライジングは3着。 藤田騎手「前目の位置につけようと決めていたので、道中は作戦通りだったと思います。(周りが上がってきましたが)来るのが速いなぁとちょっと焦りましたが、いい手応えだったので勝てるかなと思ったんですが……」 6鞍騎乗し、減量なしで4回掲示板に入る奮闘。 何よりこの日はデビュー戦ですからねぇ。南関東の関係者からの評価も高いものでした。 常に人、人、人。↓ なんで酢豚?!(笑) お腹が空いたので、場内にあるお気に入りのラーメン坊さんで酢豚を食べていたら、めちゃめちゃ混んでいたのに、とある時間になったら急に人が少なくなっていたのですよ。 どうしたんだろう……。そう、藤田騎手がパドックに登場する時間帯だったのです。わかりやすっ(笑)。 たくさんの人↓ 隣にできたマーケットスクエア川崎イーストの展望台からも↓ 最終レース後帰り際には、お客さんにファンサービス↓ それを撮影するマスコミ↓ その後、ロジータホールでの記者会見↓ 藤田騎手「勉強になりましたし、6鞍乗せて頂いた馬主さん、調教師さん、厩務員さんたちに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 こんなにたくさんの方々が川崎競馬場へ来てくださって本当にうれしいですし、こうして取材をして頂けるのも本当にうれしくて、私なんかでいいのかなという思いもたくさんあるんですけど、うれしいです。 小学校6年生から騎手を目指して以来ずっとこの日が待ち遠しかったですし、競馬に乗ることができて感激しています。 ただ、自分が思うようにいかなかったレースもたくさんありましたし、レースの間に何をしていいかわからなくてアタフタしていたので、そういうのも含めて今日は30点です。 これからも積極的な競馬をして、ひとつでも上の着順に持ってこれるような乗り方をしたいと思います。100点を目指してずっと頑張っていきたいです」 この記者会見の様子を外から見ている方々も……。 中央競馬・藤田菜七子騎手の川崎競馬場でのひな祭りデビュー。1レースから12レースまでずっと菜七子フィーバーでした。盛り上がった!盛り上がった!すごく楽しい1日でした!また南関東競馬に来て頂きた~い(*^_^*) そして、女性ジョッキーは地方競馬にもいるので、夢のレースが実現できたら素敵ですね。南関東競馬からも女性ジョッキーがデビューしないかな~☆
2016年03月06日
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木曜担当のよこてんです。 さて今回は、昔の競馬場のお話の続きを。「小西重征調教師が旧水沢競馬場(現在地に移転前の駒形神社近くにあった頃)を知っている」というあたりから。★改めて厨川駅(現在はIGRいわて銀河鉄道) 現在は競馬開催時には盛岡市の盛岡競馬場と奥州市の水沢競馬場の間を馬運車でもって競走馬を輸送しているのですが、かつては、それこそ旧水沢競馬場があったような頃はどうやって馬を運んでいたのでしょうか? 答えは「鉄道」です。■鉄道で馬を運んでいた時代 小西調教師のお話を伺ってみましょう。「その頃(小西調教師がまだ若手騎手だった昭和30年代前半)は鉄道を使って水沢まで馬を運んでいた。(旧)盛岡競馬場から厨川駅まで馬を連れて行って、貨車に乗せて。水沢駅まで1日がかりだった。そういう仕事は新米騎手の役目。先輩騎手は普通の列車に乗って先に行ってしまうのさ」 旧盛岡競馬場から厨川駅まで、GoogleMAPで調べると約3km。ゆっくり歩いて小一時間くらいでしょうか。「馬に乗って行った(小西調教師)」というので人が歩くよりは速かったか。駅の方に行くのは下り、競馬場の方に行くのは登りかな。★旧盛岡競馬場から厨川駅への道のり(出典GoogleMap)「貨車1両に4頭分の仕切りがあって真ん中に飼い葉や水の桶を置いていた。馬は勝手に食べたり飲んだりしてればいいのさ。頭数が少ないんじゃないかって?昔はけいが速歩や騎乗速歩もあって駈歩のレースに出る馬が少なかったからこれくらいで良かった」 水沢競馬場移転直前の1963(昭和38)年の開催日数は盛岡競馬24日、水沢競馬が36日の計60日。今の約半分ですね。 昭和20年代には40日前後だった開催日数は徐々に増やされ、年間54日から60日になったのが1962(昭和37)年。時はいわゆる「高度経済成長」時代。その後も毎年のように開催日数が増やされていき、1976(昭和51)年には年間100日の大台を超えます。 とはいえそれはまだ少し後の事。話を昭和30年代に戻せば開催日数は今の半分、出走頭数も一開催6日間でだいたいのべ400~450頭前後だったようなので2/3くらいでしょうか(連続で出走する馬もいたはずなので実際の頭数はもっと少ないと思われます)。 貨車というのはワム3500とかでしょうかねえ?イメージとしては、2軸で、片開きの扉が車両の真ん中にあって・・・という感じ?仕切りを作ったりとったりするのはすぐでしょうから専用の貨車が常時厨川駅にあったという事では無いと思います。 1970年代に入る頃には馬運車による道路輸送に替わっていたと思われ、大ベテランである小西調教師(当時は福田重征騎手)くらいの世代までが鉄道輸送の経験者なのではないでしょうか。■三々五々と競馬場に集まる馬たち さて、貨車に乗って水沢駅までやってきた競走馬や福田重征騎手のような若手はそれからどうしたのでしょうか? ここで以前にもこのブログで掲載した旧水沢競馬場の航空写真を見てみましょう。★旧水沢競馬場の航空写真(出典/国土地理院航空写真) 何かが足りないと思いませんか?今の地方競馬場ならまず大体あるもの。 そう。厩舎が無い。 競馬場に隣接した所に厩舎が無いのです。 では馬はどこに行っていたかというと、市街地の各所に点在していた厩舎・・・というか厩に入っていたのだそうです。 水沢在住の調教師さんたちは自分の馬を入れる厩を自宅に併設していたりしていました。それは現在地に移転してからもしばらくそうで、競馬場近くに厩舎地区が整備されるのは移転して数年経った1971(昭和46)年になってからです。★1968(昭和43)年、移転間もない頃の現水沢競馬場。今の厩舎地区は田んぼ(出典/国土地理院航空写真) 小西調教師のお話を続けましょう。「水沢駅に付いたら馬を街の中にある厩へ連れて行った。昔、馬検場があったあたりや立町のあたりにたくさんあったな。競馬の時はそこから競馬場(※旧の水沢競馬場)に歩いていくのさ」 水沢市(現奥州市)にあった馬検場は今は水沢武道館と秋葉公園になっていて馬検場の頃の面影は残っていません。しかし、隣接する秋葉神社には馬櫪神がありました。この地区周辺が馬との繋がりが深かった事を伝える一つの証拠と言えるでしょう。★水沢武道館。かつてはここに水沢の馬検場がありました★秋葉神社★馬櫪神は厩の神様であり馬の守護神。これがあるという事は近隣と馬のつながりが深かったという事 立町にはかつて宿場もあったそうですから、昔から、各地から馬が集散する中心だったはずです。細長い敷地が連なる街並みはいかにもかつての街道筋のそれを思わせるものですね。★1976(昭和51)年の馬検場~立町周辺の航空写真。短冊状の敷地の建物はまさしく旧街道沿いの街並み(出典/国土地理院航空写真) ここから競馬場に向かう時に通ったのは大手通かあるいは大町の通りか。水沢で競馬がある日は、街の中に点在する厩を出た馬たちが三々五々と駒形神社を目指し、そしてレースが終わればまた街の中を歩いて厩に帰って行く姿を見る事ができたのではないでしょうか。各地から集ってきた馬や人が行き来し、関係者の鞍祝いの歓声があちこちから聞こえてくる・・・。競馬の日の水沢の町はさぞ賑やかだったことでしょう。■馬と貨車、もうひとつのエピソード “貨車で馬を運んだ話”。もうひとつのエピソードがあります。 佐藤浩一調教師は水農馬術部時代の1972年、鹿児島国体の馬術競技に出場しました。その時に競技の馬を岩手から鹿児島まで、貨車で運んだのだそうです。 その時の貨車も普通のそれに仕切りを付けたりしただけのもので、貨車の半分に3頭分の仕切りを、残り半分には道具や荷物類と、出場する選手(!)が一緒に乗り込んで行ったとのこと。「昔の貨物列車はあちこちで停まり停まりしながら進むからえらく時間がかかったな。行きは7日、帰りは少し早くて5日だったか。その頃の貨物列車には車掌が乗っている車両が必ず付いていたから、長く止まりそうな気配の時はどれくらい停まっているか聞きに行って、長ければ弁当を買いに出たりしていた」 今のコンテナだけになった貨物列車と違ってかつてのそれは、主だった駅や操車場に停まりながら貨車を付けたり外したり、離合集散しながら進んでいくものでした。長く停まるからと聞いて買い物に出たところが、乗っていた貨車が入れ替えで全く違う線路に移動してしまい、場所が分からなくなった先輩が乗り遅れてしまった事もあったそうです(その先輩は旅客列車で先回りして事なきを得たとか)。「入れ替えの時が大変で。坂を転がって連結したり、機関車で貨車を押しながら加速を付けてバッと切り離して別な線路に入れたりな。全くモノ扱いだった」 ここは非常にマニアックな体験です!貨車を外したり付け替えたりする際、大きな操車場だと「ハンプヤード」という坂を利用した入れ替え線があって、機関車で貨車を坂の頂上まで押し上げそこで切り離す。すると貨車は下り坂で加速を付けながら次の行き先に向かう貨物列車が待つ線路へと転がって(転がされて)いくわけです(余談ですがかつて北上にあった北上操車場はリニアモーター式のヤードで貨車の入れ替えを行う最新式の操車場でした)。 そしてハンプヤードが無い操車場の場合は、機関車で貨車を押して加速を付けて、スピードを付けてから切り離して押し出す・・・という方法が採られていました。専門用語では「突放(とっぽう)」とかいうんですけども、若き日の佐藤浩一選手はそれを何度も体験しながら旅していたんですね。まあ、まさしく荷物扱いではありますが、レア体験、ちょっと羨ましい気も・・・。 そういえば「山の手前で列車の後ろにも機関車が付くのな(※補機の事ですね)。登り切ったら走りながら切り離されて行くんだ(佐藤浩一調教師)」なんて話も。いや、羨まし過ぎるですよ。 少し時間が戻って1970(昭和45)年。その年に行われた岩手国体の際、水沢競馬場(移転後の現在の競馬場)が馬術競技の会場になりました。その年はまだ下級生だった佐藤浩一少年は、全国から水沢駅に貨車で(!)到着する各地の選手・馬を駅から競馬場まで案内する役をやらされたそうです。「1日に5回かな、往復したが、なかなか大変だったな(佐藤浩一調教師)」 ゆるゆる歩けば片道40分くらいかかりますからね。それを5往復もするとなると1日中ずっと歩いているようなものです。 それはさておき、競走馬や競技馬であっても貨車で運ぶのが珍しく無かった時代。今となっては遠い歴史の1ページとなってしまいました。 ところで佐藤浩一調教師は旧の方の水沢競馬場で騎乗した経験はもちろん無いのですが行ったことはあるそうです。 「小学生の遠足で行ったよ。秋だったから内馬場の田んぼに刈り取った稲を干してある光景を覚えている(佐藤浩一調教師)」 往時の写真を見てもその通り、旧の方の水沢競馬場の内馬場は一面の田んぼ。秋頃は掛け干しされている稲の間を馬が駆け抜けるような光景が見られたのでしょうね。これもまた歴史の1ページ。
2020年07月02日
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売得が低迷すると出てくる「ネタ」なのか、またぞろハルウララの亡霊が地方競馬の世界を彷徨い始めている。まず本家ハルウララが千葉の施設でホースセラピーの乗馬として余生を過ごすことが決まったとの知らせ。それはそれで良いのだが、芋づる式に「ハルウララ超え」ブームに。 1月4日、園田競馬でシャッフル(牝7歳)が敗れ、デビュー以来無傷?の114連敗を達成。ハルウララの記録を超えた。1月30日、同じく園田競馬でエリザベスクィーンが敗れ、デビュー以来無傷?の114連敗を達成。ハルウララを超えた。2月5日、名古屋競馬で、ブラックハーロック(牡7歳)が敗れ、デビュー以来無傷?の通算114連敗を達成、ハルウララを超えた。 シャッフルはその後も快調に記録を伸ばし、現在116連敗。エリザベスクィーンは114連敗で、共に12日にも連敗を目指し出走する予定とのこと。ありがたくも「連敗クイーン」というコンビ名が地元新聞社により命名された。ブラックハーロックに至っては、大差に敗れ、タイムオーバーのおまけ付き。2月24日まで出走停止となった。 詳細な記録は今ひとつはっきりしないのだが、とりあえずトップはハクホークイン(浦和・引退)の161連敗。以下、トサノカオリ(北海道・引退?)の120連敗と続く(と思う)。ハクホークインはなぜか日刊競馬にレースのビデオがあった。先日のエントリーに書いたアレだが、これって何かのお告げなのだろうか? 競馬の馬主、調教師は勝利を目指し出走させなければならないし、騎手は勝利を目指して騎乗しなければならない(はずだ)。幸いなことに、シャッフルの西門調教師も、エリザベスクィーンの松浦調教師も「とにかく1勝を」と願っているというし、ブラックハーロックの馬主さんも「連敗記録で注目を集めるのは複雑」と語っている。 しかし、そうは思っていない人も当然いる。およそ8億円とも言われたハルウララの経済効果を再び。「ハルウララ」で検索すると、出るわ出るわ。映画は広く知られているが、定番のTシャツなどの衣類、携帯ストラップ、ぬいぐるみ、絵本、写真集から、焼酎、米、女性用下着等々。 実際、「ハルウララを超えるアイドルホースになってくれれば、競馬場にお客さんが」の皮算用も主催者にはあるのだろう。成績を見る限り、エリザベスクィーンはうっかりすると勝ってしまいかねない(苦笑)が、シャッフルや特にブラックハーロックは安泰だろう。 ハルウララブーム真っ盛りだった頃、ある人が「あれじゃ競馬場じゃなくて動物園だ」と言った。「どんな手を使ってでも競馬を続ける」高知式のある意味気合と言うか気概と言うか、生き残るためにあらゆる手を使ったり、あるもの全てをネタにするような必死な姿勢は、言下には否定できない。 スカパー!795chと平行して、たしかBS-iかなんかで高知競馬の中継を見た。番組冒頭、司会の方が「さぁ、ひとつ前のレースが終わりました、いよいよハルウララの登場です」とのたまった。危うくひっくり返りそうになった。だって、「ひとつ前のレース」って黒船賞ではないか。言下には否定できないが、もっと自分達の商品は大事にした方が良いのではないかと思ったものだ。 南関東のある専門紙でも、わざわざ高知に取材に赴き、レースを1面に据えた社もあった。自分は日刊競馬地方版において紙面構成に関して決定権を持ち、責任を負う立場にあるが、さすがにそれには賛同できなかったし、自らの媒体でやろうとも思わなかった。やるんなら、真っ当な方法で。どれだけ貢献できたかは分からないが、昨暮れの高知県知事賞のようにレースを売ってゆくのが自分たちのできる方法だと信じている。 「判官贔屓」の気持ちもわからないではないが、あの日「負けることを期待して」競馬場に足を運んだ人達は、その後どれくらい高知競馬に定着したのだろうか? もちろん、勝つことを期待できる要素もあるにはあった(微々たるものだが)から、全てが「負けることを期待して」とは言わないが。 皮肉も込めて、園田と名古屋の主催者さんにアドバイスしておこう。所有者の移転は慎重に。そして商標管理はしっかりと。以上だ。
2007年02月11日
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こんにちは!先日高知に行ったことは日曜コラムでもお伝えしました。あっ、私は黒船賞の前ですけど(汗)。 高知競馬の宝馬だったウォーターダグにも会ってきましたよ!詳しいことはウェブハロン内の気になるあの馬・・・のコーナーで書かせて頂いているのでご覧下さいね。 ウォーターダグが現在お住まいの高知県南国市にある南国ホースパーク。伊尾木舜祐さんご一家で手掛けているアットホームな乗馬クラブです。ウォーターダグと伊尾木さん↓ 伊尾木さんは農家に生まれました。物心がついた頃から農耕馬と一緒の生活。小学校4年生の時にお父様が病気で倒れて、伊尾木少年だけでは農耕馬を扱えなかったことから農耕馬は手放すことに・・・。大きくなったら、馬を飼いたいという夢を持ち続けて育ったそうです。 伊尾木さんの子供さんも大きくなって落ち着いたことから、約12年前に南国ホースパークを作って兼業農家に(息子さんは造園業も営んでいます)。「家族の協力があるからできるんです」と伊尾木さんは言います。 清潔感のあふれる厩舎内です。今は7頭の元競走馬とポニー3頭の計10頭が暮らしています。その中のビッグネームと言えば、やはりウォーターダグとハルウララの弟としても注目を集めたオノゾミドオリの2頭になるでしょうねぇ。 向かって右がオノゾミドオリで左がウォーターダグです。一緒に並んでいるというのも、かなりゴージャス↓ こんな感じでじゃれ合うことも↓ 最初オノゾミドオリは蹄の不安でかなりしんどそうにしていたそうですが、ファンの方が会いに来ることでどんどん元気になってきたそうです。 気性はかな~りきついそうで・・・「ダグの方が子分ですね(笑)」(伊尾木さん) ウォーターダグ↓ オノゾミドオリ↓ この2頭は、一口3000円(何口でもOK)でサポーターを募集しています。競走馬の余生が厳しいことは、競馬ファンの方なら少なからずもご存じのことでしょう。でも、ウォーターダグもオノゾミドオリも、ちゃんと居場所を見つけて今を生きている!!!そんな生命力も、この2頭の持って生まれた強さだと思います。そんな2頭を支えてくれる方を随時募集中。詳しいことは、南国ホースパークホームページ内のここをご覧になってみて下さい。よろしくお願いします! さ~て、趣味の部屋(*^。^*) 南国ホースパークさんにいたかわいいポニーちゃんたちです。前髪がぁ~!!!もり造君たちなんですよぉ(*^^)v ツバメ君↓ チップをつけまくっているので、お昼寝した後なんでしょうねぇ。どうやらかなりのおじいちゃんらしく、25歳から30歳くらいと言われています。おとなしい性格。食欲はあるそうなので元気でいられるんでしょうねぇ。ツバメ君、長生きしてねぇ(^○^) プチ君↓ この子はまだ6歳ということもあって、かなりヤンチャ坊主のようですよ。 2頭も素敵なもりもりした前髪。いつまでも眺めていた~い(^-^)
2009年03月29日
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木曜担当のよこてんです。 引き続き無観客競馬開催中。JRAは折しも今日、4月19日までの向こう3週間の無観客競馬実施を発表しました。 これまでは1週毎の発表でしたが今回は一気に3週間。地方競馬の方では川崎競馬が4月17日までの無観客開催を既に発表していますので、“フロントライン”は4月19日の線である意味揃った形になっています。 次の焦点は5月3日の天皇賞(春)。ただ、GW中に行われる予定だった各地のイベントが次々と中止になっていたりする現状ではGW中の“有観客競馬”再開はかなり難しいでしょう。そしてその次の“防衛線”はダービーと言われていますが、果たして・・・。 そんな競馬界ですが、今の状況下では無観客でも開催できているだけ恵まれているというべきです。そして、しばしばニュースで触れられるように、無観客開催でも好調な売上を保っている。今日行われた船橋・マリーンカップなども約6億5千万円、過去最高額を1億円以上上回るレコード。「競馬は好調」という報道が流れるたび「無観客開催でも意外に大丈夫なのでは」という空気が生まれてきているようにも感じられるようになってきました。 本当にそうなのか?はこの先まだまだ不透明な部分があると思いますが、景気がどの様に影響してくるのか?とかは簡単に論じることができないし自分の手に負える範囲でもありません。 今回のこのブログでは無観客競馬の影響を大きく受けている分野のお話をしてみたいと思います。 競馬専門紙。予想紙とも言いますよね。競馬新聞と言ったほうがより馴染み深いでしょうか。 無観客開催が行われていることで競馬場や場外発売所等での現金での馬券購入ができなくなっており、インターネットでのみ購入できるのは皆さん既にご存知の通り。 その影響を非常に大きく受けているのが競馬専門紙です。もちろん、馬券を購入するのが主にネットであっても専門紙を買っているよ、という方はおられるでしょうが、専門紙の主要な顧客はやはり競馬場に来場するお客様。それが閉ざされているのですから、専門紙を発行している会社は日一日と追い込まれているといって過言ではない状況です。 つい先日も、佐賀競馬の予想紙を発行している『通信社』『競馬日本一』が揃って4月からの休刊を発表しました。その後事態が好転し休刊は取り止めとなったのですが、佐賀競馬の専門紙が、それも二紙しかないものが二紙同時に、休刊の意思を示した事は衝撃的でした。 専門紙の現状はどうなっているのか?を新聞社さんに状況をうかがってみました。■「先が全く見えない」-高知・競馬研究 井上光さん 自分は岩手の話を主に書いておりますが、岩手の新聞社さんだけでなく他地区の状況も知りたいと思い、であればこの楽天ブログで“ベース”にしている方がいない地区で、という事で高知競馬の『競馬研究』さんを紹介していただきました。以下、井上光さんのお話です。「『競馬研究』は他の二紙(※中島競馬號・福ちゃん)と違ってネット新聞をやっていない。紙の新聞だけでやっていたので、今は新聞の売り上げは“ゼロ”です。 お客さんが入っている頃は競馬場などで1日、100部前後でしょうか、売れていました。見ての通り高知競馬はお客さんを入れていると言っても数は少ないでしょう。それほどたくさん売れているというわけではなかったが、それすら無くなったからね。 自分の所は競輪の予想紙もやっているが(※『競輪研究』)、競輪も無観客になっているからそっちもゼロ。競馬組合に収める用に僅かに新聞を作っているが、新聞の収入は無いと言っていい。 現状はスポーツ紙に掲載する予想の提供分だけが収入。しかしそれだけでは、いくら少人数とはいえ会社をやっていくにはとても足りない。無観客が長引くなら将来の事を考えなくてはならないが、どうなるかの目処も立たない。先が見えない状況をなんとかしてほしいと思っています」★岩手の特別開催時の「紙の新聞」。馬主さん用などとしてごく少数部が印刷されている。これは全国どこも同じくやっていると思います■「前年同期の1割以下です」-岩手・ケイシュウニュース 宮崎智正さん 地元である岩手からはケイシュウニュースさんにお話を聞きました。『ケイシュウ』『エイカン』二紙がある岩手ですが、置かれている状況はほぼ同じと思っていただいて良いのではと思います。 「通常であれば本場・場外(※岩手の場合は盛岡・水沢競馬場とテレトラック系場外の意味)で売れる分とコンビニで売れる分と、新聞の売れ行きは概ね半々という感じでした。他地区での広域場外でも、競合の具合とか遠隔地だから配送費のほうがかかるとかいう個別の事情はありましたが結構売れていたと言っていい。それが無くなりました。 ネット新聞やコンビニプリントでは埋めあわせできていない状況です。プリントサービスなどは販売手数料もかかるのでね。売上ということでは去年の今頃の1割以下という感触。 ネット新聞といっても紙の新聞として印刷しないだけで、紙面を作るコストは同じようにかかるわけです。中身も同じですからね。それなのに売上が1割以下では。 特に岩手の場合は1月から3月まで休みなのでその間は無収入で会社を維持している。本当なら、競馬が始まったここから稼いでいかないといけない時期なんです。それでこの状態では本当に厳しい。 無観客でもコンビニ等に新聞を出すという事も検討したのですが、配送手数料がそれなりに大きいので“出すだけ赤字”かもしれない。また、これは他地区での話ですが、やはり無観客になった後でコンビニに新聞を出していた事がトラブルに繋がった例があり、色々検討した結果、出してはいません。 ただ、無観客が長引くのであれば赤字覚悟で売り出す事も検討しなければならないとも思っています。というのは、配送業者との繋がりが切れてしまったら、いざ普通の開催が始まった時に新聞の配送ができなくなる可能性が出てくるのです。競馬場や場外で新聞を売ってくれている売り子さんも同様。離れてしまったら後々困る事が起きる。そこをどうしていくのか悩んでいます。 厳しいのは自分のところだけでなくエイカンさんも同じだというし、全国の専門紙もそうです。どこも苦しい。佐賀は競馬組合が補助金を出すということで継続できましたが、この状況が続けば本格的に立ち行かなくなる専門紙があちこちに出てくるのではないでしょうか。 自分たちとエイカンさんとで相談し協力しあって乗り切る策を考えるつもり。できれば他地区のような支援を頂ければいいのですが」 今回のような話を書くと「ネットでもっと売れるように努力せよ」とか「もっと合理化して耐え凌げ」とか言われるのでしょうが、なかなかそうはいかないのが現状です。とはいえ、自分はネット新聞なんかもう少し売れているのかと思っていました。思いがけないほど売れてないというのがショックでした。 競馬本体の売上の一種“安堵感”とは対照的に専門紙の方は岩手に限らず全国的に“危機感”しかないのではないでしょうか。無観客競馬が長引けば“生き延びられない”所もいずれ出てくるでしょう。専門紙に留まらず、競馬場内・あるいは場外発売所周辺にある飲食店であったりの関連するサービスをになう分野でも同様だと思います。 そして更に言えば、それは地方競馬のみならずJRAでも大きな違いはないでしょう。 無観客でも売上が維持できれば良い。それはその通りであって、本体が厳しければどうにもならなくなるわけですし、そもそも無観客でも開催できているだけ恵まれているし幸せ。それは確かです。 ただ、枝葉の部分が弱ってしまえばいずれは本体の方の裾野も小さくなっていく、弱っていく懸念があるのも確かだと思います。競馬界全体が危機にさらされているという共通意識は心に留めておかなくてはならないのではないでしょうか。
2020年04月02日
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日曜日担当の高橋華代子です。 皆さんは、大井競馬場の4号スタンドにあるダイアモンドターンに行かれましたか?コロナ禍によりお休みしていましたが、9月18日から再開しました。 開門から最終レースまでレースを見ながら、食べ続けて、人によっては飲み続けることもできるという場所です。 何て幸せな空間なのでしょう! なかなか仕事の関係でタイミングが合わず行けなかったのですが、先日、やっと行けました!プライベートでずっとずっと行きたいなって思っていたんですよ。 ダイアモンドターンは夢の国でした(^-^) 眺めもいいし、お料理も美味しいし、こんなに贅沢でいいのかなって思っちゃいました。 わたし自身は体質的に、密になる空間での食事やお酒はまだ控えているのですが、ここは感染対策もしっかりされているし、隣席との間隔もあって、安心して楽しめるなぁと思いました。重賞日ではなかったので、より余裕もあったし。 ここは2人席ですが、1人席もあって、女性1人で楽しまれている方も増えてきているそうです。1人席も感染対策により間隔がかなりあるので、隣の人に気兼ねなく過ごすことができます。今はソロ活女子という言葉もありますし、自分のご褒美に最高な場所かもしれません。1席6000円より。 食べ放題メニューも豊富ですが、時間帯によってはシェフがローストビーフを盛り付けしてくださって、とても柔らかくて美味しかったです。 ダイアモンドターン内でも馬券を購入できる場所もあるので近くて助かりますね。 わたしも1レースから最終レースまでいましたが、ひたすら食べ続け、お酒は飲まないのでソフトドリンクを飲み続け、あっという間の6時間半ほど。 とにかく食べ物の種類が豊富過ぎて、6時間半ほど食べ続けても、制覇するのは大変でした。 時間があまりにも足りない(^^; それだけ充実しまくりの場所。 ダイアモンドターンの詳細はこちら。 ちなみに、わたしの場合は直前まで予定がわからなかったので、当日券で入りました!
2022年11月20日
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金曜日は、古谷が担当します。 JBC2023が無事、終了しました。本来の日程と違い、水木金開催だった今週。「JBC2歳優駿」だけでなく、1日には「エーデルワイス賞」もありましたから、色々とバタバタした1週間でした。ホッカイドウ競馬の主軸は2歳戦。今年から「エーデルワイス賞」が約1カ月遅れの開催となり、牡馬、牝馬の頂上決戦が同じ週に施行されるようになりました。 ダート競馬の変革元年ですが、JRA勢の出走はどちらも1勝馬ばかり。なかなか思惑通りには出走馬の質は上がりませんが、「JBC2歳優駿」は、新馬を勝ったばかりのフォーエバーヤングが見事な差し切り勝ちを収めました。将来が楽しみな走りに、レイティングが上がる可能性は高いと思われます。レースレイティングとなると、2着以下がかなり離されているので、そこまで高くなるかどうかはわかりませんが、フォーエバーヤングはもちろん、早め先頭から2着に食い下がったサンライズジパング、出遅れながら3着に追い込んだブラックバトラー、さらにサンライズカップを制したパッションクライが、今後の活躍次第でレイティングも上がるでしょうし、レースの質を高めてくれる可能性もあります。(フォーエバーヤング。写真提供:村野早祐氏) 個人的に採ったレースラップは、12秒8-11秒5-12秒8-12秒8-12秒4-12秒7-12秒9-13秒4-13秒0=1分54秒3前半3F37秒1-5F62秒3、上がり3F39秒3 向正面のラップから、ペースの緩みがなく、タフなレースが繰り広げられたかが窺い知れます。中団で折り合いをつけていたフォーエバーヤングが、サンライズジパングを交わし去った後もグングン加速している様子は、最後の1Fが物語っています。積極的なレースをしたパッションクライも、大きな出遅れがありながら猛追したブラックバトラーも、個々に能力を発揮した上での結果だと思います。 そして、「エーデルワイス賞」は、地元勢が1着~4着まで占めました。勝ったのはモズミギカタアガリ、大外強襲を決めました。個人的に採ったレースラップは、12秒0-10秒9-11秒6-12秒1-12秒9-13秒6=1分13秒1前半3F34秒5、上がり3F38秒6と、2歳馬によるオールダートのレースとすれば考えられないハイペース。この厳しい競馬が、ホッカイドウ競馬では当たり前のように行われていることが、全国レベルの強さの最大の要因です。さすがに先行勢は厳しくなり、モズミギカタアガリの末脚が炸裂した訳ですが、先行した時に持ち味が活かされなかったことから、再び末脚に懸けるスタイルを「ブロッサムカップ」で取り戻し、一気の距離短縮にも対応しました。今後は、年末の「東京2歳優駿牝馬」に向かうことを米川昇調教師は話していました。僚馬・コモリリーガルとともに、グランダム・ジャパン2歳シーズンの頂点を目指します。 「エーデルワイス賞」、「JBC2歳優駿」のレース振り返りは、「ふるやっちチャンネル」でレース展望内にアップしています。それぞれレース翌日の展望にありますので、ご確認頂ければ幸いです。JBCが終われば、いよいよホッカイドウ競馬は今シーズンのラストウィーク。日に日に寒さが増してきましたが、最終週はさらなる熱戦を期待し、御声援頂ければと思います。
2023年11月03日
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金曜日は、古谷が担当します。 「第66回道営記念」から1週間が経ちました。落馬した騎手のうち、吉原寛人騎手だけは道内の病院に入院していますが、その他の5人は今週、レース復帰をしました。吉原騎手も、LINEでやりとりをしていますが、右腕の内側や太ももに相当な内出血があり、痛々しい姿なからも、その写真で笑顔を作るなど、怪我をした箇所以外は元気です。腰椎にヒビが入っているので、トイレに行くのも大変なようですが、まずは元気にしていることをお伝えします。 それにしても、衝撃的な落馬事故でしたが、今週の騎手たちを見ていると、改めてジョッキーの精神力と回復力の凄さに驚かされます。無理をしている部分があるような気もしつつ、サラッと「全然大丈夫です!」と言ってレースに挑む姿には、心を打たれます。 今週、競馬ブックホッカイドウ競馬担当の板垣祐介さんと、YouTube「ふるやっちチャンネル」でコラボしました。その動画の中で当然、「道営記念」の話にもなりましたが、その週明けに発売された週刊競馬ブックで板垣さんが書いたレース回顧録の話題になりました。その話はすごく共感するものでしたし、ぜひご覧頂きたい部分でもあります。チャプターなど見やすいように編集していますので、ぜひ板垣さんとのコラボをご覧頂ければと思います。 開催中のトラックマンは、忙しい日々が続きます。開催が終わると、板垣さんは栗東に戻って中央競馬の新聞の編集を手伝ったりします。開催後の1週間は、束の間の休暇という感じのようですが、その合間にYouTubeコラボをして頂き、感謝です。(動画はこちらです)
2023年11月17日
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ひさびさのミツオーです。レンチンしたカレードーナツで口の中やけど。さて、競馬場で入手できる、「競走番組表」というモノを見てみます。地方競馬では、JRAの競馬場のように主催者発行の「レーシングプログラム」というモノがないことが普通なので、基本的には、無料で入手できて出走メンバーのわかるものというと、この「競走番組表」しかないことになります(非常に大きなレースのときなどに、特別にレーシングプログラムを発行することもありますが、それは例外)。第○競走、レースの条件、距離、発走時刻、賞金額などが書いてあって、枠番、馬番、馬名、斤量、騎手名、性齢、毛色、血統(父母)、馬主、調教師名などが表にしてあります。その一部分を写したものがコレ↓。馬の名前に下に(中同名)と書いてあるものがあるんですが、わかりますか?これは、「過去に、中央競馬(JRA)に登録されていたことがある馬なんだけど、そのときもこの名前でしたよ」という意味です。「中央時代と同じ名前で走ってます」ということ。ということは…、と気づいたひとは偉いです。っていうか(っていうかって言わないの。一応、アナウンサなんだから)普通は気づく話ですが、つまり。「競走馬は現役中に名前を変えることがある」ということです。一旦つけられた名前が金輪際変わらないんだったら、いちいち「(中同名)」と表記する必要はないわけですよ。で、実際に改名されたパターンがコレ↓。アイファーマリアンの下に(中ブルーミネルバ)と書いてある。「JRAに登録されていたときの名前はブルーミネルバでした」ということ。こうして、改名した馬については、ちゃんと昔の名前も表記されます。馬の顔カタチなんてシロウトにはそう区別できるものではないし、たとえできたとしても、「お、あいつこんなところに移籍していたのか」と思って番組表を見たのに違う名前だったなんてことになれば、「気のせいか。よく似た馬もいるもんだな」ということになりかねない(←冗談ですよ。正気で言っているわけではない。念のため)。だから(だからじゃないってば)、改名した馬についてはちゃんとその旨がわかるようになっておるのですよ。なお、競走馬が改名できるのは、1回だけ。………、だと教わった覚えがありますのでたぶんそうだと思うんですが。どこかにルールとして書いてあることでしょう。今週のTCK大井競馬、初日から3日目までの番組表を見ると、改名した馬がそれなりにたくさんいることがわかります。以下列挙するとダブルダイヤモンド(旧ポピュラスマイル)マヤノムテキオー(中グレートギャッツビー)キタノボス(中ソウルビヴァーチェ)ペンズクン(旧テンズクン)オイラセウインク(旧オイラセウイック)カスミダンサー(旧ハタノクレバー)ブラックタイフーン(旧ブラックゾロ)スズランコマンダー(旧エタニティ)リッチロード(旧ピッコロ)フレンドウィン(旧ナイトサンデー)アイファーマリアン(中ブルーミネルバ)グレースモアー(旧ワタシワマケナイ)トニーアルメイダ(旧ビーチボーイ)13頭いました。「中」と「旧」とありますが、「旧」ってのはたぶん地方に所属していたんだけど違う名前で走っていた、ということですね。んなことわかるって?ま、そうでしょうな。馬に名前をつけるのは、馬主さんの権利です。競走馬育成シミュレーションゲームなどをやったことのある方はよくおわかりでしょうが、自分の馬に名前をつけるのは実に楽しいもので、カッコいい名前、強そうな名前、かわいい名前、たまには面白い名前、など、きっと知識を総動員して命名されているものと推測されます。命名作業は楽しみだ。だから、競走馬の持ち主が変わったとき(カンタンに言うと買い取られたとき)に、「こいつは自分の馬になったんだから、自分が名前をつけなおしちゃる」と考えるオーナーさんがいるのは全然不思議じゃない。上の例の中にも、明らかにそういうパターンだとわかるものがたくさんあります。でもよく見ると。たぶんそうじゃないよなあ、という例もあったりして。それから、この名前がこの名前に変わったのか…、というものもあったりして。改名の事情を勝手に想像するのも、番組表を見る上でちょっとだけ楽しみなことであったりする、とわたしは思っておるのですが、まあこういう楽しみ方はかなりヘンタイ的であることは認めざるをえないですわなあ。でも想像しちゃうんだもんね。
2008年03月13日
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木曜担当のよこてんです。 一昨日の8日、盛岡市内のホテルにおいて『2015 IWATE KEIBA AWARDS』が開催されました。競走馬の各部門表彰、また騎手・調教師・厩務員ら関係者の表彰が行われたほか、祝賀会ではファンの皆さんも交えての和やかな会になりました。 以前はこの一連の式典を1月下旬とか2月上旬とかに開いていまして、冬休みに入った直後でもありますから、その頃は“シーズンの締めくくり”のイメージが強かったのですが、近年は特別開催・新シーズンの開幕を目前にした時期に行われるようになり“開幕を前に昨季を振り返る”、新シーズンもがんばりましょう~みたいな式になっております。 という事で今年もこの式典の中で2016シーズンのキャッチフレーズが発表されました。 来季のキャッチは『ときめき、∞無限大』。■新キャッチを宣言したのは達増管理者 岩手競馬を見るファンの皆様に無限大にときめいていただけますように。新シーズンもよろしくお願いいたします。■年度代表馬関係者の皆様。おめでとうございました! 年度代表馬に選ばれたのはナムラタイタンでした。同馬の近況や今後について関係者からは「昨季同様に春3戦・秋冬3戦のローテーションで行く予定。どこで始動するかはまだ決めていないが、前半はシアンモア記念→みちのく大賞典のラインを中心に据えたい」というお話をいただいております。 余裕を持ったレース選択であればたとえ一息後でも力を出してくれる・・・という事が昨年の一連の戦いではっきりしましたし、2016シーズンも同じような方向性で進んでいくのでしょう。まずは緒戦がどこになるか?を待ちましょう。 さて、今日は3月10日。明日3月11日は、5年前、東日本を大震災と津波、そして放射能が襲った日となります。 今年は奇しくも2011年と同じカレンダーになっていまして、3月11日も5年前と同じく金曜日です。なので3月9日に大きな地震がなければいいな、と思ったり、はたまた今日は、5年前の3月10日はあんなことしてたなあと思い返したりしておりました。 なぜか前日の事をいろいろ細かく覚えているんですよ。どんなニュースを見ていた、お昼に何を食べた、どこのお店に行った・・・みたいな事を割と細かく。 スイッチを入れれば電気が付く、ガソリンスタンドに行けばいつでも満タンにできる、お店に行けばなんでも売っている。そんな日常が翌日から一転・一変したせいで、3月10日という日の記憶もまた強く残っているのだと思います。 あれから5年。岩手競馬にもいまだ震災の影響を残した場所があります。 水沢競馬場のスタンド4階に指定席が、テレトラック水沢の4階にはクラブハウスの個室が、それぞれあった事を覚えていますか?■スタンド4階にあった指定席(特観席) 水沢競馬場の建物は3月11日だけでなくその後も続いた余震による影響・被害も大きくて、とりわけスタンド4階・テレトラック4階がそうであった事から、2011年12月の水沢競馬再開時にはお客様用に使用しない形で補修するに留まり、その後も本格復旧されないままになっています。■復旧工事中の水沢競馬場スタンド(2011年10月)■この辺、いつも同じ席に座っている常連さんの姿をみたものです■テレトラック4階にあったロイヤルボックス(クラブハウス)■ここをスタジオ替わりにしてユーストリームの中継をした事もありました(2010年)■かつてのスタンド4階・指定席の入口■今の同じ場所付近 スタンド4階部分には実況席だとか審判裁決といった業務エリア等がありますから、自分なんかもパドック解説の際などに通るんですけども、まあやっぱり通る度にちょっとこう、寂しい感じがするのは否めません。 発売所の中は時間をかけて徐々に片付けられて、最近はすっかり物が無くなってしまいました。 しかし、壁に貼られたままの2011年1月のカレンダー、2011シーズンの「GRANDAME-JAPAN」のポスター(留守杯日高賞が5月の水沢とされている)を見ると、時間が止まったままのようにも感じます。 テレトラック4階は、以前は良くここに来て、外の非常階段の所から写真を撮ったものでした。スタンドで一番高いところでなおかつ屋根がない部分ですから、広く景色を撮るのに良かったんですよ。1600mのスタート地点がほぼ正面に見通せたりとかも。 最近また、時々そこに行って写真を撮るようになりました。最初の頃は置かれたままだった廃材や壊れたパーツ類が徐々に取り払われ、今ではかつてロイヤルボックスが4部屋だったかあった部分がコンクリートむきだしな空間になっています。 自分もかつての4階には時々しか来た事がなかったからそもそもの記憶が薄いですが、それにしても“前はどうだったか?”というイメージがほとんど浮かんでこないくらいただの“空間”です。■かつての馬券発売カウンターの跡 これらのエリアが5年もそのままになっているのはやはり費用面の問題が大きいゆえだと思われます。もともとの震災被害からの復旧にしても各方面からの支援が無ければ乗り越える事ができなかったものであり、現状でも決して楽とは言えない岩手競馬の経営状況ではこの部分に割く費用がない・・・のはその通りだと思います。 一方で、このエリアの代替として使われているテレトラック3階、スタンド3階の施設が狭い・すぐ埋まってしまうというファンの皆さんからの不満も良く耳にするのは確かです。 水沢競馬場に来場されるお客様の数が減少傾向にあるのもまた確か。ですが、古いままに置かれた設備・施設類が減少傾向をより後押ししている可能性もあるのではないでしょうか。 であれば、5年経ってそのままのスタンド4階・テレトラック4階部分を再生・再開するという方向性も、水沢競馬場で競馬を続けていくのならば必要なのではないかと、そこを見る度に思うのです。 ファン視点で考えても、場内で一番見晴らしが良い、競馬を観戦しやすい4階というエリアを使わないままに置いておくのは惜しいしもったいないですよね。いつかまたそれぞれのエリアがお客様の姿で賑わう時がくれば・・・。 正直なところスタンド4階はいろいろしんどいかもしれない。テレトラック4階部分は、それに比べれば再生しやすいんじゃないかなと思ったりするんですけどね。 明日・3月11日は船橋競馬場で「東日本大震災5周年復興支援」として『船橋・岩手ジョッキーズ交流戦』が行われます。騎手交流2戦の売上の5%を日本赤十字社を通じて東日本大震災被災者の方々へ寄付するというレースでもあるそうです。こちらにもぜひご参加いただければ幸いです。
2016年03月10日
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日曜日担当の高橋華代子です。 2018年の南関競馬は、船橋、川崎が終了。。。 この後は、浦和、大井で終了。。。 そして、2019年は川崎からスタート。 2018年の南関競馬はもう見られないと思うと、 個人的にこの季節は毎年寂しくもあるのですが、 2019年の南関競馬も希望を持って過ごしたい。 浦和競馬場で悲願のJBCが行われるし!!! 今から待ち遠しいです!!! さて、12月29日に大井競馬場で行われる東京大賞典まで1週間を切りました。 南関の大将格は、 中央から仲間入りをしたサウンドトゥルー(船橋・佐藤裕太厩舎)ということになるでしょう。 佐藤調教師も舟山厩務員も言っているんですけど、ほんと大人しいんですよ。 というか、こういう表現もあれかもしれないけれど、とてもとてもかわいらしいんです(^^; 無駄なことは一切しないのに、競馬にいけばあんなに強くて、 まさしく優等生。 8歳という年齢とこれまでの実績が物語っているかのように、 すべてを知り尽くしているかのような、そんな貫禄と雰囲気も醸し出しているように思います。 現在は船橋競馬場のダート1本で仕上げられているサウンドトゥルー。 これまでの調教過程とは全く違います。 そういう中で、今回の大一番をどう走り切るのか、とても興味深いです。 一方、116戦未勝利のメイプルキュート(船橋・渋谷厩舎)。 390キロ台の小柄な体で懸命に走り続けています。 ハルウララさんの113戦未勝利超えをしたということで話題にもなりましたね。 先日の川崎競馬場のレースは、大井のルーキー・仲原大生騎手を背に無事に走り抜きました。 ここで、お互い初勝利を挙げたらドラマチックでしたが……。 メイプルキュートは2018年のレースを終えました。 来年は8歳になりますが、引き続き初勝利を目指して頑張るそうですよ! 懸命に走る姿と愛らしいルックスで、南関の人気者にどんどんなって欲しいと思います。 もちろん、1着を目指して……。 *あ、最後に独り言。 わたしはいまだにガラケーなのですが、どうしましょう(;^_^A
2018年12月23日
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金曜日は、古谷が担当します。 年が明けたと思ったら、あっという間に1カ月が過ぎ去りました。12月までは雪が少なかった北国で、年が明けると一気に雪が降り、大変な場所もあります。その中で、北から南まで火災のニュースも相次ぎ、能登半島地震とともに悲しい思いを抱きます。 年初のブログにも書きましたが、最近の地方競馬はYouTubeのライブ配信が増えてきました。その効果で売上が伸びていることは間違いなく、どの主催者もチャンネル登録者数や視聴回数も伸びています。ライブ配信に限らず、展望配信も多くの主催者で行われるようになっており、「中央競馬より情報が少ない」と言われていた地方競馬も、その差を縮めてきた感じがあります。その一方で、YouTubeのチャットやコメントに目をやると、誹謗中傷も少なくありません。そのようなコメントを目の当たりにすれば、どんなに気持ちが強い人間でも多少なりとも堪えます。特に、正月開催のライブ配信は、自分たちだって気になっていても、演者の勝手な判断で配信を止めることはできるわけもなく、与えられた仕事をしているだけなのに、その場の気持ちでワーワー書いてしまう人たちの心なコメントに、この時ばかりは正直、心がやられました。 そんな時、気持ちを替えられるモノがあることが、何よりも自分を変えてくれることを感じました。自分には、ディズニーの世界が心を癒してくれます。1月6日、行く予定はなくてもフーっとシーに行って、ニューイヤーグリーティングを観て、ジャンボリミッキーを踊ったり、通常ショーを観たり、アトラクションに乗ったり…。その中で、ただ楽しいという気持ちになるのではなく、今までにないような気持ちの高まりがあった気がします。 今でも、予想を出している身は、「当たらない」という類のSNSでの書き込みが非常に多く、気にするなと言っても気になるものです。正直、そこまで当たっていないことないし、自分のYouTube配信はアーカイブを見てもらえばわかるだろうし、グリーンチャンネルの「KEIBAコンシェルジュ」でも、ご丁寧に買い目を出したものを集計しているサイトもあって、そこでの成績は決して悪くないと思います。「当たれば自分の考え、外れれば他人のせい」という言葉が、外れているイメージを一旦持つと、その人に対する評価はそのように決まってしまいます。これは別に気にしても仕方ないと思いつつも、なんだかなぁ…と思ってしまいます。 気持ちの整理って、簡単にはつかないと思います。自分が言われたり書き込まれたらどう思うか…。それを考えて欲しいと、この1カ月は本気で考えさせられました。SNSにおいて、今までは極力、ブロックすることはしませんでした。ただ、年明け、真面目に精神的に厳しい感情を抱いたこともあり、もう嫌な書き込みに関しては、相手も匿名なことが多いし、目にしない意味でもブロックしていくことを考えた方が良いかなと思ってきました。 2024年はまだ始まったばかり。だからこそ、新しい気持ちで…と迎えたはずなのに、悲しい出来事ばかりでなんだか落ち着きません。そんな時は、好きなモノが勇気を与えてくれる。競馬が、その1つであることに変わりありません。それに加えて、仕事になっていない趣味を持っていることのありがたさを感じています。
2024年02月02日
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サンアディユがオーシャンステークスから栗東に帰厩後、急性心不全で亡くなったそうですね。 レース中や調教中などの激しい運動をしている時にはたまに聞くことなんですけど、安静時にも起こりうる事なんですね。 今回の場合はなにか特別なパターンだったのでしょう。 これまでの競走成績や、これからの繁殖牝馬としての価値を考えると、とても惜しい馬を亡くしたということになりますよね。 しかしみなさん、よく考えてみて下さいね。 サラブレッドはそのほとんどが、人の力によって最後は命を落としているのです。 例えば、超一流の血統の元に生まれ、超一流の競走成績を残し、極少数しかなることのできない種牡馬になって、超一流の繁殖成績を残した馬がいたとします。 その馬がどんな最期を迎えているのか。 もちろん全てではありません。天寿を全うできる馬もいることでしょう。 しかし多くのサラブレッドは病気などで苦しみ出すと、予後不良の措置がとられるのです。 残酷なようですが、例えば様々な病気などと併発しやすい腸捻転による疝痛や蹄葉炎などは 、想像を絶する激しい痛みを馬たちにもらたし、終いには彼らの命を奪ってしまうのです。 ですから、獣医師たちも断腸の思いでその決断を下しているのです。 複雑骨折や開放骨折などの場合も同じです。 サンアディユの場合どのような最期だったのかはわかりませんが、もし仮に自らの力で死ねたのなら、それはそれで幸せだったとも言えるのではないでしょうか。 サラブレッドと関わる仕事をしていると、必ずその最期を見届けなくてはならない場面に遭遇します。 しかし、みなさんもそうでしょうが、命あるもの全ていつかは死ぬって解っていながら、そこからなるべく目を背けたくなりますよね。 是非これからそんなサラブレッドたちの現実にも目を向けてみて下さい。 ひょっとしたら競馬なんて止めたくなるかも知れません。 しかし競馬という大きな船は動いています。 止めてしまえばサラブレッド達はどうなってしまうでしょう。 ですから、競馬とどのように関わっていくか… 例えば我々厩舎スタッフならば、サラブレッドたちがその生涯を閉じるとき「幸せな一生だったな」と思える日々を送らせてあげようじゃないですか。 ただでさえ苦しい毎日の調教、肺から血が出る事もあるほど苦しいレース。 そして狭い部屋にほぼ一日中閉じ込められた日常生活。 幸せだったなんて思ってくれる馬なんていないかもしれないですが、少しだけでも力になれればと思います。
2008年03月17日
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日曜日担当の高橋華代子です。 地方競馬所属馬として初めて中央のG1レース・フェブラリーSを制した、岩手の雄メイセイオペラ。 種牡馬として過ごしていた韓国の牧場で心不全で亡くなったことが、岩手競馬のホームページで発表されました。 22歳での旅立ち……。 今となってはあまり信じてもらえないのですが、私もメイセイオペラは大好きな大好きな馬です。 20年ほど前に遡ります。 競馬の仕事がしたくて上京はしたものの、慣れない東京生活はかなり大変……。東北出身ということだけで、「いなかもん」とか「なまってる」ってよくバカにされ、当時はしゃべりの仕事をしていたのに、だんだんに言葉を発することが怖くなっていき、孤独に陥ってしまいました。 その頃、岩手のメイセイオペラという馬が遠征に来ていることを知り、負けても果敢に挑戦し続け、同じ東北ってことでも勝手に親しみを感じて、勇気づけられていました。 バイトばかりでなかなか応援に行けなかったのですが、初めて念願のナマオペラに会えたのは、1998年の東京大賞典。大井競馬場に初めて行った日です。それまで中央競馬にしか行ったことがなかったので、地方競馬にもこんな巨大な場所があるんだって、たまげたことを覚えています。 ナマオペラに会えて、本当に本当にうれしかったです。あの時のドキドキワクワクした気持ちは、18年経った今でも忘れられません。 今思えば、その中には、アブクマポーロがいて、コンサートボーイもいて、サプライズパワーもいて、キャニオンロマンもいて、アマゾンオペラもいて、セントリックもいて、テツノセンゴクオーもいて、サントスもいて……。南関ファンにとってはたまらなかったはずなんですが、当時はまだこの世界には入っていなかったし、南関競馬というのも全く知らなかったし、オペラファンだったので。 オペラが勝つかな?と思ったときに、一瞬にしてアブクマポーロが交わして突き放していきました。 当時は悔しくて悔しくて……。それと同時に、周りが止まって見えるかのようなあのアブクマポーロの最後の脚は何なんだと(驚)。 あっ、今となっては当時オペラ派であったことは、アブクマポーロ陣営にも伝えてありますので、念のため(苦笑)。 ただ、もっと早くこの世界に入って、南関東を代表としたアブクマポーロのことを、近くで取材させて頂きたかったなということは、今となっては非常に心残りです。 さて、なかなか競馬の仕事にも出会えないし、諦めかけていた頃、オペラがフェブラリーSで優勝して全国の頂点に立ちました。 もう少し頑張ってみようかなと思った時、たまたま大井競馬場のテレビ中継の仕事と縁があり……今に至ります。 その仕事が決まった瞬間に思ったことは、「またオペラが大井競馬場に来るかもしれない!ナマで見られるかもしれない!」と。 そこからの始まりだったので、まさかこんなに南関競馬にハマるとは夢にも思いませんでした……。その時の私が今を見たら、びっくりしますよ……。 初期の頃からネットでやっていた「かよこの栗色日記」や「かよこの栗色競馬」のネーミングは、メイセイオペラの栗色からです。 メイセイオペラにたくさんの人たちが夢や感動をもらったと聞きますが、私もその一人です。そして、故郷を嫌いになりそうな時もあったけど、今は胸を張って東北人であることを誇りに思えるのも、オペラがいたからです。 ここでは思いを全て書ききれない……。 メイセイオペラ、ありがとうございました。永遠にヒーローです。
2016年07月10日
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火曜日担当の太田裕士です。 今年は休催期間が長く、およそ1か月のお休み。例年から見ても1週遅い開幕となるばんえい競馬です。土日が休みになることは滅多になく、またとないチャンス。せっかくですから17日(日)に中山競馬場の『皐月賞』を目的に関東へ行ってきました。 ほとんど雪がなくなった北海道の大地。日高山脈の頂きはこんな感じです。 関東はすでに北海道で言うと6月ぐらいの初夏の陽気。歩いていると汗ばむ暖かさ。気持ちも「ウキウキ」になりますね。 初日は観光で横浜から江の島方面へ。 中華街でおかゆを食べたのですが、こんなに美味しいおかゆを食べたのは初めてでしたね。 茅ヶ崎の海岸を歩き、海風がとても心地よくえぼし岩もよく見えました。 すべてサザン好きの大滝アナにサザンゆかりの地を案内してもらったのですが、普段の運動不足がたたり、足が痛くなって歩くのも苦労しました。この程度も歩けないのだと痛感。これから運動しようと心に決めた次第です。 それから江ノ電にのって江の島へ 江の島の展望台を上るとちょうど日の入り。富士山と共に・・・。心洗われる瞬間でした。 生しらすとハマグリに江の島ビール。間違いの無い組み合わせ。 さて、今回目的の中山競馬場に行くのは2度目。‘04「コスモバルク」の応援で行った有馬記念以来です。大滝アナは初めて。調べて電車に乗ったのですが、なぜか逆方向に・・・。1レースに間に合うように出たつもりでしたが大幅に到着が遅くなる始末。何とか到着し、レースを観戦。テレビ東京のブースにお邪魔し、矢野吉彦アナウンサーを始め、テレビ東京のアナウンサー、スタッフの皆さんにお世話になりました。 皐月賞は皆さんご存知の結果。検量室前にもご案内頂き、第78代皐月賞馬「ディーマジェスティ」をカメラに収めること出来ました。 やはりG1は雰囲気が違いますね。馬券は残念でしたが、それ以上に生のレース観戦に興奮を抑えきれませんでした。 夜は上野で楽しいひと時。 もう外でお酒を飲みながら食事ができるのですから、うらやましい限りです。そして、値段が安い!!北海道にはないこの都会の雰囲気に酔いしれてしまいました。 翌日はボートレース場の平和島へ。 同じ公営競技でもそれぞれに見せ方あります。よいところはどんどん見習っていきたいですね。 さて、長い休みもようやく終わりです。北海道もいよいよ競馬シーズン到来。待ちに待った開幕が迫っています。 まずは、明日20日(水)ホッカイドウ競馬が開幕します。初日は今年も3歳3冠レース『第40回 北斗盃』があります。今年は違う立場ですが、昨年同様2歳馬をはじめ、それぞれの活躍に期待しています。一ファンとして注目していきたいと思っております。また、大井競馬場では『第61回 羽田盃』ですね。ホッカイドウ競馬出身馬が大暴れしてくれることでしょう。ぜひ、ご参加ください。 そして、22日(金)からはばんえい競馬が開幕いたします。開幕週は金曜日から4日間連続開催。例年通りナイターでの開催となります。第1レース発走は14時40分の予定です。開幕からイベントもあります。また、17日悪天候で延期となっていた市内パレードが、開幕前日21日に行われます。午後12時30分から市街を練り歩きます。お時間のある方はぜひご声援ください。 平成28年度開幕まであと3日!!
2016年04月19日
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木曜担当のよこてんです。 6日に行われたダービーグランプリのお話から。優勝したのはホッカイドウのリンノレジェンド。2着は金沢・タンクティーエー、3着は兵庫のバンローズキングス。岩手勢はヤマショウブラックの4着が最高でした。★ダービーグランプリ/優勝リンノレジェンド 自らハナに行くパターンもあるかなと思い先週のGC番組でもそんな事を話しましたが、実際にそうなってしまったら強い強い。 鞍上の岡部騎手が「2,3番手で良いと思っていたが馬の行く気があったので」とレース後に話していたように、また林調教師もハナに立って「ちょっと驚いた」と言っていたように事前に決めた策ではなかったようですが、結果的にも最後上がり最速で千切ってしまったのですから“結果オーライ”を超えて完璧な騎乗だったと言うべきでしょう。★引き上げてきて握手を交わす林和弘調教師と岡部誠騎手 この勝利で同馬は「3歳秋のチャンピオンシップ」のシリーズボーナス1000万円も獲得。シリーズ設定3年目でついに最高額ボーナス対象馬の誕生ともなりました。★タンクティーエー 前回も書きましたが出走馬中唯一の小岩井牝馬の血統 2着タンクティーエーは抜群のスタートを切ったもののリンノレジェンドがそれを上回るスタートを切ったために控える形に。しかしいったんは3番手に下げつつも流れに乗って進み、最後は2着までにはなってしまいましたが危なげなく2着を確保するところまで持って行ったのは鞍上も見事だったと思います。★バンローズキングス 3着のバンローズキングスも自分の形の競馬をやり通しましたが、この馬はやはり現状は小回りに特化した感じの先行脚質に思えます。大回りコースだと他の馬にも同じように動かれてしまう。水沢だったらもっと接戦だったのではないでしょうか。★一週目のスタンド前を通過する岩手勢 岩手のヤマショウブラックは4着、ニューホープは5着。この2頭に関してはリンノレジェンドがハナに立った時点で運命が決まっていたようにも思います。希望の展開としてはやはりバンローズキングスあるいはタンクティーエーがハナに立っていてリンノレジェンドが3番手くらいから攻めていく。その動きに乗じて食い込んでいくという形だったでしょうから、リンノレジェンドが「行きたがる」と言いながらも先頭に立って遅すぎず速すぎずのペースを作った時点で選択肢が限定されてしまいました。 そもそも2分7秒0の決着では岩手勢には厳しかったでしょう。昔のG1時代のダービーGPでも2分7秒というと相当速い方のタイムです。リンノレジェンドが「強すぎた」んでしょうね。 ただヤマショウブラックもニューホープも移籍馬で、実質的な「岩手最先着」は6着のエムワンピーコでした。というか岩手デビュー馬はこの馬一頭だけなんですよね。 去年いろいろありすぎた影響で今年の3歳世代とか、2歳世代なんかもですが、非常に層が薄くなっています。個別の能力というか素質では決して他地区にも遜色が無い馬はいると思うのですがそれが伸びる機会が限定される。 ホッカイドウの2歳馬が強いのはデビュー時から10頭12頭という多頭数の競馬を繰り返して選別されていくからです。JRAもしかり。調教設備だけの事ではない。 そう思って改めて上位馬をみると、勝ったリンノレジェンドは門別の2歳新馬勝ちで上級認定でも上位に入っていた世代でも上の方の成績。タンクティーエーはJRAで2歳未勝利勝ち、バンローズキングスも門別デビュー馬で門別時代には未勝利。ヤマショウブラックは門別で平場未勝利勝ち、ニューホープは門別で未勝利認定勝ち。凄く強引に言えば門別での2歳時の戦績の順に並んだという感じではありますねえ。 岩手の3歳世代は来年も対他地区でかなり厳しい対戦を強いられるのではないでしょうか。とにかく何事も無く競馬を続けていく事で、2歳馬の世代からしっかり地盤を固めていくしかないと思います。 さて10月5日には関本玲花騎手がデビューしました。最初のレースは5日の2R。ここは6着でしたが、7日の第2Rで初勝利。通算9戦目にして初白星を挙げる事になりました。★デビュー戦に挑む関本玲花騎手。めちゃ緊張してた★デビュー初日は硬い表情だった関本玲花騎手でしたが2日目あたりからだいぶほぐれてきた感じ★そして初勝利! いわゆる“勝てる馬”に乗せてもらったわけで、絶対勝たねばならぬプレッシャーに本人も「馬を下りたら立てなくなるくらい膝がガクガクしました」と言っておりました。 岩手競馬史上では二組目の「父娘騎手」ですし、最近は競馬界ではない一般の家庭から来た騎手がほとんどの中で非常に久しぶりの“厩舎生まれ”の二世騎手でもあります(岩手では坂口騎手以来?)。女性騎手という事もあってデビュー前から密着取材とかされて大変だとは思いますが、ここから自分のペースで力を付けていってくれればと思います。 ところで今回の関本玲花騎手、免許交付後すぐに騎乗し始めたのにお気づきでしょうか。 岩手はこれまで「騎手免許交付後に申し込みが始まる開催から騎乗申し込み受付」というルールになっていて、例えば今年4月デビューの塚本涼人騎手騎手の場合は4月1日免許交付でしたが騎乗開始は4月20日になっていました。 他地区だと免許交付前に「交付見込み」で騎乗申し込みができて1日交付・即日デビューという例も珍しくなかったですから、よく「岩手はデビューが遅い」と言われてきましたよね。 海外からの期間限定騎乗の騎手に関しては太田騎手の例を受けて「免許期間3ヶ月なのに2週間近く乗れない期間があるのはもったいない」という事になり、次の西谷騎手の時から「直近の開催日から騎乗可」に改められていました。今回から新人騎手に関してもそれが可能になり、“即デビュー”となったわけです。なので「免許交付後7日で初勝利」というのは近年の岩手競馬の新人騎手では最短なのではないでしょうか。 少し先ですが2023年には4月1日が土曜日になります。その年にデビューする新人騎手がいてその日に開催があれば「4月1日デビュー」という事も有り得るわけですね。 新人騎手は騎乗機会が多いほど早く慣れていくし上手くなっていきますから、この改正は良かったと思います。 今週末は南部杯です。巨大台風接近が気になりますが、今のところ台風自体は日曜日の内に通過してしまい、天候だけであれば南部杯の行われる14日は晴予報。場合によっては13日から日中は晴れそうです。なので、そこまでの影響が、例えば交通機関の乱れとか周辺の被害とかがどれだけあるか?でしょう。 遠くからお越しの皆様は予定が大幅に変わって大変かもしれませんが、まずは安全第一でお気を付けください。
2019年10月10日
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木曜担当のよこてんです。 岩手競馬で働くウズベキスタンの厩務員さんたち。概要などをお伝えした前回に引き続いて今回は後編として、実際に彼らを雇っている調教師さんにお話を伺ってみました。 お相手は盛岡の飯田弘道調教師と水沢の伊藤和忍調教師。飯田調教師はイスロイル厩務員・アミル厩務員を、伊藤和忍調教師はキリチ厩務員・グロム厩務員を初期から継続して雇っております。★グロム厩務員。前編のは顔が小さかったからはっきり分かるものを まず全体的な評価として。お二人とも「ウズベキスタンの厩務員は真面目」と口を揃えます。「ある程度馬を扱えたし、厩舎作業を教えれば覚えて出来るようになっていってくれた。指示したことは真面目にやってくれるから働いてもらう方としてはやりやすいですね(飯田調教師)」 前編でも触れたようにウズベキスタンから来た厩務員さんには現地で馬を扱っていたあるいは自身が馬に乗っていたという方が少なくなく、それは日本の競馬とは違うにせよ基本的な“馬の触り方”を知っていたのは小さくないアドバンテージだったようです。「日本人でも馬のことを全く知らなくてやってきてこちらで一から教える場合も多いですからね。だったら厩舎作業の細かい所を働きながら覚えてもらうのは同じ。教えてあっという間に辞められるリスクがある日本人よりは、まとまった期間続けてくれるウズベキスタンの人たちの方が戦力として計算できる。雇う方としてはそういう見方もできます(飯田調教師)」 ところで厩舎でウズベキスタン人厩務員を雇うにあたって厩舎側・調教師側ではどんな準備や対応をしているのでしょうか?「こちら側では住居の提供ですね。家電付きの宿舎を用意します。それからこちらに来る際の渡航費。あとはもちろんお給料。賞金手当等も支払われるのは日本人の厩務員と同じです(伊藤和忍調教師)」 少し手間がかかるのが在留資格の更新手続き。外国人労働者として1年毎に在留資格を更新しなければなりません(この辺詳しく聞かなかったのですが、恐らく特定技能1号の扱いだからと思われます)。岩手県での手続きは盛岡市内にある入管出張所で行う必要があるため「盛岡の調教師だと近いからいいけど、水沢の調教師さんたちは盛岡まで出てくる時間と手間がかかるよね」と飯田調教師。 そのため厩舎(調教師)との雇用契約も単年契約の1年毎に更新の形になっているとのこと。 この話が出たら触れておく必要があるのがエージェントの存在。岩手で働くウズベキスタン人厩務員さんたちは個別に現れたのではなくてエージェント、人材仲介業者を介して募集され手続きを経て日本にやってきています。それはウズベキスタンに限らずインド人厩務員等でも同様ですし、岩手に限らず他の競馬場や牧場でも同じ。規模の大小はあるにせよエージェントが関わっています。 岩手でのエージェント関係については後日記事を書けると思うので詳細はその時に触れることにして、今回は「間にエージェントが入ることでこの形が成り立っている」というのがお話の前提になっている・・・という所までにとどめておきます。 収入に関してもエージェントが仲立ちしたうえで条件を提示して、双方合意の上で契約という形になります。競馬の場合は賞金とか手当とか変動する部分も出てきますが、収入面でトラブルになることはないのでしょうか?「“都会の方ではもっと高い基本給をもらっているそうだ”という情報に浮き足立つ人も中にはいますが、都会との生活費や物価の差だったり、競馬での賞金・手当でプラスアルファになる分を考えればこちらが不利ということは無い。手元に残る分でならむしろ有利とも言える。その辺は皆理解しているようです(伊藤和忍調教師)」 雇う側からの問題とか課題とかは?と訊ねたところ、まず挙がったのはやはり言葉の問題。「日本語で会話が出来るくらいとは言わないが、日本の数字はしっかり覚えてきてくれれば助かる」とはお二人とも口を揃える所。「○番の馬房の馬を出してきて、○番の馬房を掃除しておいて・・・と仕事を割り振るのに、その数字を教える所からではね」。 もうひとつは最近岩手競馬にも増えてきたインド人厩務員の存在。今現在6人のインド人厩務員が水沢・盛岡の両競馬場で働いていますが、彼らはドバイやサウジアラビアの競馬場だったり牧場でトラックライダーとして働いていた経験を持ち、つまり「競馬場の中でのスキル」は高いものを持っている・・・と周りからは見られています。 自分なんかが見ていても、ちょっとした動きにしても「競馬場に慣れているな」と感じますものね。調教も最初からそつなくこなすインド人厩務員はいわゆる“即戦力”としての注目度が高いようです。「ウズベキスタンの厩務員達の真面目さや熱心さはもちろん高く評価しています。どっちが優れているという事ではなくて、お互いの仕事上で良い刺激になってくれればいいですね(伊藤和忍調教師)」「自分はウズベキスタン厩務員は全然ウェルカム。最初に受け入れたから余計にそう思うのだろうけど、やっぱり真面目に働いてくれますから(飯田調教師)」★鈴木祐騎手と立ち話のガイライト厩務員。冗談を言い合えるくらいにガイライト厩務員の日本語は上手 当初は人手不足を補ってくれれば、とにかく人手が欲しいからという形で見られていたウズベキスタンの厩務員さん達でしたが、3年近く経って“戦力”として計算される存在にもなってきました。 ウズベキスタンから一番最初に来たグループ、キリチ厩務員やガイライト厩務員たちのグループは来た当初は日本語が全く出来なかった。それが今や日本人厩務員を相手に冗談を言えるくらいに日本語が出来るようになった。そんな先に来た面々が後から来た人たちに仕事や日本語を教えたりするようにもなっている。そういう努力は周りも認めたうえで、全体のレベルがもっと上がってくれればもっと働きやすくなるよね・・・というのが調教師さんの最近の想いだそうです。★相手が大ベテラン(牧野さん!)でも物怖じしないのがキリチ厩務員のらしいところ 余談になりますが、インド人を主に外国人厩務員を早くから受け入れていたホッカイドウ競馬では、新しく来た人たち向けの日本語の勉強会や競馬の仕組みの講座だったり、厩務員同士の交流会を開いていたそうです(齊藤正弘調教師談。なお近年はコロナ禍の影響で大人数で集まる催しは行えていないとのこと)。そういう部分はエージェント側の役目という見方もあるでしょうが、やってきた外国人厩務員を育てる・支える施策、あるいは初期のメンバーが得たノウハウを後進に伝えていくような施策は、受け入れる側でも行う意味があるのではないかと思います。
2022年07月07日
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木曜担当のよこてんです。 “現役最後のサンデーサイレンス産駒”となっていたビュレットライナーが、先の1月6日付で登録を抹消しました。★ビュレットライナー ここ1、2年、特にこの2017シーズンはいつ競走生活にピリオドを打つことになるのかとハラハラしつつ、しかし昨シーズンまで勝ち星を挙げていたこともあり、条件さえ合えばもう一度勝つシーンを見ることもできるのではないか?とも思いながら彼の走りを見ておりました。 「ただただ長く走らせていくつもりはない。もう勝つだけの力が無いという事になれば、その時はね・・・」とはビュレットライナーを管理していた佐藤雅彦調教師が最近何度も言っていた言葉。自分もそれを何度も聞いていただけに、登録抹消という話を耳にして驚きはなく、ただ“その時が来たのか”と感じたのみでした。 改めて佐藤雅彦調教師にお話をうかがってみました。-ビュレットライナーの引退を決意された経緯を教えて下さい「一番はやはり息が保たなくなった事ですね。スタートして一ハロンくらいは保つけれどそれ以上は・・・という近走。調教でも微妙な息保ちになっている。レースでもね、ちょっとでも良いところがあれば・・・と思ったけど。これで春まで休養させても大きく変わりそうな感じではなかった。 やっぱり競走馬であれば勝つことを目的にしたい。勝たせてあげたいですから。ただ“○歳まで走らせていこう”では馬にも可哀想です。ここが潮時かなと」-乗馬として引き取られたのは、何かのご縁があったのでしょうか?「10歳を超えたくらいの頃から時々ね、乗馬にしたいという引き合いはあったんです。ただ、年を取ってしまうとどうしても行き場所がなくなるだろうし、自分もちょっと悩んでいた。 そこに今回、東関東馬事専門学院さんから引き受けていただけるという話があって、馬主さんも千葉なら見に行けるからということで、それでは、と。 これまで大きな怪我とかしていないし動きも身体も、気持ちも若いから、若い生徒を相手にしても十分やっていけるんじゃないかな」 ビュレットライナーのこれまでを振り返ってみましょうか。 ビュレットライナーは2004年の9月にJRA・中山競馬場でデビューしました。新馬戦こそ勝てなかったものの3戦目の未勝利戦で初勝利。その間3戦連続1番人気だったのですから期待度は高かったのでしょう。 ちなみに2002年生まれのサンデーサイレンス産駒の“同期”はあのディープインパクトを筆頭にGI馬・重賞勝ち馬がゴロゴロとおります。 そしてディープインパクトは種馬になって長く、ディープインパクトの産駒ですら既に種牡馬になっていますし、同期の牝馬だって産駒はおろかその仔、“孫”が競走馬になっていたりします。ビュレットライナーが現役として頑張ってきた期間がいかに長いという事か・・・。 同馬はその後2008年にホッカイドウ競馬に移籍。2シーズンを過ごし2009年の12月に岩手にやってきます。転入初戦のB1級マイル戦では2番人気で快勝しました。★2009年12月12日水沢10レース 転入初戦を快勝★早速重賞挑戦(2010年1月11日・トウケイニセイ記念) 岩手で初めて挑んだ重賞は10頭立て8着ではありましたが、格上挑戦の形で勝馬から1秒差なら悪くはない内容。★特別・姫神賞優勝(2010年7月24日) 翌2010年のシーズンはB1級からC1級に降級したものの序盤に立て続けに3勝を挙げてB2級復帰。7月には芝1000mの特別・姫神賞を勝ちました。岩手では初の芝戦勝利・特別戦勝利。鞍上の山本聡哉騎手も自身久しぶりの特別勝ちに喜んでいたのを覚えています。 2011年シーズンは7月にやはり芝1000mの特別・FM岩手杯を制し、秋には重賞・OROターフスプリントにも出走しました。★特別・FM岩手杯優勝(2011年7月9日)★芝重賞出走となったOROターフスプリント(2011年10月23日) この頃のビュレットライナーにはいろいろな騎手がまたがっています。転入初戦を勝った時の鞍上が山本聡哉騎手だったように初期は山本聡哉騎手が半ば主戦のように騎乗しており、次に村上忍騎手、菅原俊吏騎手。菅原勲騎手が騎乗したこともありますよ。 高松亮騎手が主戦になるのは2012年シーズンに高松亮騎手が佐藤雅彦厩舎所属になってからです。 2012年、10歳になったビュレットライナーですが引き続き意気軒昂、2012シーズンは2勝、2013年シーズンは3勝。2014年シーズン、12歳から13歳の年はなんと5勝を挙げています。 それはクラスが下がったためでもあって、その替わりとして以前のように重賞に出走する機会もなくなったのですが、しかしこんな年齢になってもなお逃げ切り勝ちを、それもしばしば圧勝すらしてみせる彼には何度も感心させられたものです。★2014年6月9日、盛岡6レースでの勝利はシーズン4勝目★2014年11月9日の五葉山賞では6着。これが最後の芝戦出走となりました そして2014年頃からビュレットライナーを見る周りの目が変わっても来ました。“残り僅かなサンデーサイレンス直仔”という視点です。 一番多い時で546頭の登録があったサンデーサイレンス産駒も2008年頃から急速に減少し、2012年には8頭、2013年には2頭になっていました。 一頭はもちろんビュレットライナー。もう一頭は園田に在籍していたダークドーンという馬。“英国産のサンデーサイレンス産駒”という珍しい出自のダークドーンはビュレットライナーより1歳若く、2013年には勝ち星も挙げていますし2014年頃は休み無くリズム良く出走を続けてもいました。 こうなると当然気になってくるのが“どちらが最後に勝つか”“どちらが最後まで現役を続けるか”。佐藤雅彦調教師も「どうせならビュレットライナーを“サンデー産駒最後の勝馬”“最後の現役馬”にしてあげたい」と、相手の動向を気にされておりました。 そのブラックドーンは2015年8月以降休養に入り、最終的に2017年になって登録抹消、引退となりました。これをもってビュレットライナーが“最後のサンデーサイレンス産駒”であり、2016年になっても勝利を挙げていましたから“サンデーサイレンス産駒の最後の勝利を挙げた馬”ともなったわけです。★2016年5月16日 藤田菜七子騎手が騎乗。メンコもスペシャルバージョン★2016年6月26日水沢2レースで勝利 2015年シーズンは1勝に留まったビュレットライナーでしたが、2016年シーズンには2勝を挙げました。そしてこの6月26日の勝利が彼にとって最後の勝利であり、そして日本におけるサンデーサイレンス産駒の最後の勝利ともなりました。 2017年、今シーズンのビュレットライナーは4月から登場したものの勝馬に大きな差を付けられて敗れる戦いが続きました。 逃げ馬ですから大きな差を付けられて敗れること自体は決して珍しい事ではない。ですが、かつての粘り、しぶとさを感じさせることなく失速していく姿には、どうしても“年齢”というものを思わざるを得ませんでした。★2017シーズンのビュレットライナー 15歳ですものね。仕方ないのかもしれません。でも、これまでも何度もさすがにもう限界かと思わせたところから復活してきたビュレットライナーです。今回も復活してくれるのではないか?彼らしい走りをまた見せてくれるのではないか?ともどうしても思って、いや、願ってしまうのです。 結局その願いは叶わなかったわけですが、しかし最後まで見せていたスタートダッシュの速さは、例え一瞬であっても、10歳以上若い馬よりも速い出脚は、最後までビュレットライナーらしいものでした。惜しむらくは馬場が、昨シーズンのそれくらいに脚抜きが良いものだったら、結果ももう少し異なっていたかもしれません。 佐藤雅彦調教師のお話に戻ります。-ビュレットライナーはどんな馬でしたか?「扱いやすい馬でした。来た当初はレースでかかり気味に行ってみたりもしていたけど気が悪いわけではなくて。長く休んだこともないですし、普段はおとなしくて本当に扱いやすい馬でしたね」-今改めてビュレットライナーという馬を振り返っていただくとすると「何とかもうひとつ勝たせてあげたかったけどできなかったのは残念。だけど本当にご苦労様。よく頑張ってくれたと思います。自分たちもこの馬と一緒にやってきていろいろなことが分かった。ありがとうという気持ちです。 馬主さんの気持ちもあったからここまでやってこれました。“いくら休養してもいい。無理に走ることだけはしないで”と馬主さんの方から言ってもらえましたから。馬主さんに恵まれたのも幸せだったのではないでしょうか」 通算178戦、岩手では136戦。岩手在籍だけでもあしかけ10年。ビュレットライナーの競走馬としての戦いは終わりましたが、これから始まる第二の“馬生”もまた末永く幸せでありますように。
2018年01月18日
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日曜日担当の高橋華代子です。 昨日はラッキープリンスの東京ダービー優勝祝賀会が埼玉県浦和市のホテルで行われました。 東京ダービー馬ラッキープリンスの国田正忠オーナーのご挨拶から始まりました。 最初は一口馬主から楽しまれていたそうですが、お一人で所有されるようになり、小久保智調教師と知り合ってから、最初にオータムセールで勧められたのがキスミープリンスだったそうです。 それから、ファイヤープリンス、東京ダービー馬ラッキープリンスへと続いていきました。すべてが重賞ウイナー。 ちなみに、東京ダービー2着のパーティメーカーはシェアリンクレーシング募集馬(代表馬主 山口裕介オーナー)ですが、こちらも国田オーナーはお持ちだそう。 「馬は難しいですから、自分は口を出さずにプロの皆さんにお任せしています。小久保調教師、厩舎の皆さん、育成牧場の皆さん、今野忠成騎手、橋本幸逸厩務員、多くの皆様に感謝を申し上げます。これからもよろしくお願いします」(国田オーナー)。 主賓の挨拶は、山口裕介オーナー。東京ダービー2着のパーティメーカーと6着オウマタイムのシェアリンクレーシング・代表オーナーです。 さらには、山口オーナーの山口ステーブルで、ラッキープリンスもパーティメーカーもオウマタイムもジャジャウマナラシも育成時代に過ごしていて、育成として東京ダービー4頭出し、さらにはワンツーフィニッシュを決めました。すごすぎます。。。 乾杯のご発声は、ジャジャウマナラシの上田江吏子オーナー。 ジャジャは能力の高さで長距離をこなしてきましたが、これからは持ち前のスピードを生かせる距離でどんな走りを見せていくのか楽しみです。この後は優駿スプリントを予定しているそうですよ。また、兵庫ジュニアグランプリ(優勝)の時のように、『ジャがジャがジャが!!!』って叫びたい(*^。^*) ラッキープリンスの今野騎手と橋本厩務員、パーティメーカーの的場文男騎手と池田優子厩務員が登壇しての一言コメントの時間もありました。 今野騎手↓ いつもの勝負服姿もいいですが、プライベートな装いもカッコいいですねぇ~! 的場騎手↓ 皆さん一言コメントだったのですが、的場騎手のトークは10分くらい続いたでしょうか(笑)。 「ダービーに34回乗せて頂きましたが、自分にとっても思い出のレースになりました。今回のダービーは自信があったので、先生のお母さんにも見に来てくださいと伝えていたのに、まさか10日前にお亡くなりになるとは……。 厩舎の皆さんの底知れない努力で最高の仕上げで送り出してくれたし、お母さんの応援もあったと思います。できれば、僕の背中をもっと押して欲しかったですけどね(苦笑)。 騎手として全てやり尽しましたが、ダービー制覇の宿題だけ残っています。でも、お母さんがわざと2着にしたんじゃないかなって。まだやめるな!まだやり続けろと!」(的場騎手) 10分くらいのスピーチをまとめると、このような感じですm(__)m 橋本厩務員↓ 「厩舎全体で勝たせてもらったと思っています。今年は3頭でしたが、来年は5頭、再来年は7頭くらいの流れでいけるようにみんなで頑張っていきたいです」(橋本厩務員) 池田厩務員↓ 「最初は2着でもうれしかったのですが、家に帰ってレース映像を見ていたらだんだん悔しくなってきました。的場さんにダービーを勝たせられなくて申し訳なかったです」(池田厩務員) 南関東競馬史において初めての東京ダービー浦和勢ワンツーフィニッシュ。南関東のマスコミの一人としてもファンの一人としても、すごい貴重なシーンに立ち会わせて頂きました。 ラッキープリンスの調教パートナーでもある橋本直哉騎手とご家族の皆さん。奥様はほしのあきさん似と評判です。↓ 余談になりますが、橋本騎手は強力な天然パーマとしても有名ですが、これは地毛なんだそうです。お~っ! パーティメーカーの調教をつけるのは、元騎手の橋尚也厩務員ですよぉ。↓ ラッキーもパーティも、この二人の力は本当に大きいのです。 ご歓談中には、 ラッキープリンスのこれまでの写真や東京ダービーのレース映像が流れたり、 トニージャンさんのパフォーマンスや、 神無月さんのものまねなど、 大いに盛り上がりました。個人的には、野球ネタのところで、「代走 ラッキープリンス」ってお話しをされていたのでがめちゃウケました。どんだけ速い代走なんだって(笑)。でも、楽天戦で見られたら最高(*´▽`*) ご歓談中も絶好調の的場騎手。小久保家のテーブルにはお母様の遺影も飾られていました。的場騎手のトークを一緒に楽しまれているといいなぁと思いました。 小久保調教師からのご挨拶。 厩舎スタッフや騎手、マスコミに、まずは日頃のお詫び?をされ(苦笑)、 「馬主さんたちには何もない所からここまでにしてくださって感謝の気持ちでいっぱいです。負けない気持ちと情熱を持ってここまでやってきましたが、負けてもその気持ちを持ち続け、粘って、粘って、絶対負けないで頑張っていきたいです」(小久保調教師)。 最後は橋本厩務員が音頭を取っての万歳三唱。いいシーンでした。 橋本厩務員と奥様ともお話しをさせて頂く時間もあったのですが、こうやって仕事に集中できるのも奥様のお蔭と。奥様がいなかったら今の自分もいないって。 小久保調教師の奥様ももちろん、厩舎の皆さんが馬を作ってレースへ送り出すにあたって、ご家族の皆さんの支えなくしては語れないと思います。ほとんどまとまった休みもない生活……馬は生き物ですから。取材をさせて頂いていても、いつも痛感することです。 橋本厩務員の言葉が身に染みました。普段はそういうことは口にしない旦那様ということなので、奥様も旦那様から直接言われたことは、すごくうれしかったでしょうね。。。 さて、最後まで大活躍の的場騎手。 帰りの際はゲストをお見送りをする場所に厩舎スタッフと並んでいました(笑)。 わたしは一次会で失礼したのですが、二次会では的場騎手がみちのく一人旅を熱唱されたという情報もキャッチ(笑)。 みんなの笑顔がいっぱいの、とっても楽しい時間でした。国田オーナー、ラッキープリンスにかかわる全ての皆様、本当におめでとうございました! ラッキー、おめでとう\(^o^)/
2015年06月14日
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金曜日は古谷が担当します。 先週も触れましたが、コリアカップとコリアスプリントを観戦に、9日から12日までの3泊4日でソウルに行ってきました。着いて早々、社台ファームの斎藤孝調教主任と岩手ケイシュウNEWSの牛山基康さんらに合流し、焼肉屋へ行って決起集会。そこで、牛山さんにハングルを教わりながら、マークカードの塗り方などをレクチャーして頂きました。(牛山さんにマークカードの説明を受ける筆者) そして翌朝、関係者バスに乗ってソウル競馬場へ移動しました。非常にキレイで、コースも広大。そして、内馬場にあるビジョンがこの週にお披露目だったようで、その大きさの迫力にビックリしました。(スタンドは国際色豊か)(大型ビジョンは迫力がありました) コリアカップとコリアスプリントの出走馬に騎乗する出場騎手は、国際騎手チャンピオンシップにも参加する騎手もいて、吉原寛人騎手はその1人でした。(現地のスタッフと同行する吉原寛人騎手)(国際騎手チャンピオンシップ第2戦で、リワードハイに騎乗する吉原寛人騎手)(騎乗を終え、現地メディアにインタビューされる吉原寛人騎手。左のグリーンリブスの方が日本語通訳) 本馬場入場では、こんなシーンも映像で使われました。第2戦は追い込み届かずクビ差2着でしたが、コース経験に加え、伸びそうな場所がわかったことは、前日に騎乗できて大きかったと、吉原騎手は話していました。 この日の夜は、ウェルカムディナーと称し、コリアカップ開催のパーティーが競馬場4コーナー付近の場所で行われた後、大型ビジョンのお披露目やソウル競馬場テーマソングを歌うSISTARのライブなど、コリアカップに華を添えてました。 大型ビジョンの迫力ある映像はこちらとこちら。SISTARのライブの一部はこちらをご覧下さい。 そしてコリアカップ当日。土曜以上に当日の場内は、国際色豊かな雰囲気で、各国の屋台が出て食を楽しむことができたり、チアの演技などで盛り上げていました。 まずはコリアスプリント。日本馬は13年フェブラリーSの覇者・グレープブランデーと、前走のサマーチャンピオンで4着だったミリオンヴォルツが出走しました。 グレープブランデーのパドックの様子はこちら。 ミリオンヴォルツのパドックの様子はこちら。 また、前走のKNN杯で豪快に差し切ったシュプリームマジックには、引き続き金沢の米倉知騎手が騎乗。金沢の2人が、韓国の大一番で名を連ねたのも印象に残る1日でした。(シュプリームマジック)(左の赤い帽子が米倉知騎手、右が吉原騎手) 本馬場入場の様子は、大型ビジョンに映し出されたものを撮影しましたので、こちらをご覧下さい。レースは、香港のスーパージョッキーが2番手から難なく抜け出し、直線は独壇場の圧倒的なスピードを誇り、コリアスプリントを制しました。グレープブランデーは3着、ミリオンヴォルツは5着でした。 レース後の関係者のコメントは以下の通りです。スーパージョッキーのコメントは、香港のメディアの方々にお伺いしました。スーパージョッキー(香港馬、1着)ティータン騎手「スタートを決めて、2番手で砂を被らずにレースを進めることができました。最後はスピードが違い、調教師やスタッフがしっかり調整してくれたことが結果として出たと思います」アンソニー・ミラード調教師「調教で砂が合わないと感じていたので、勝つことができたことは素直に嬉しい」グレープブランデー(3着)吉原寛人騎手「隣のゲートボーイに物見をしたことに加え、想像以上に前半が速かったことでかなり追走に苦労しました。それでも、4コーナーからの勢いはあり、良い脚を使ってくれましたが、前が止まらず相手が一枚上でした。2着まで追い上げることができればと悔いは残りますが、年齢を考えると本当に良く走ってくれたと思います」安田景一朗助手「練習の時からゲートボーイは気にしていましたが、実戦でもその不安が出てしまいました。栗東の検疫時に食いが細かったことで、ソウルに着いてから食べてくれていたものの、520キロの馬体重で完全に体が戻り切れなかった印象はあります。それでも、グレープブランデーは一生懸命走り、頭が下がる思いです」ミリオンヴォルツ(5着)藤井勘一郎騎手「日本でのレースでは楽に前へ付けられる競馬が続いていたと思いますが、今日は前半が速く、つていくのに苦労しました。一旦、手応えが怪しくなりましたが、最後は再び盛り返してきたことは収穫ある内容だったと言えるのではないでしょうか」高野友和調教師「スタートがほんの少し出遅れ、砂を被ったり揉まれたりという競馬で、自分の競馬がさせてもらえなかった点は後悔が残ります。ただ、今まではその形だと戦意喪失していましたが、今回は最後まで頑張ってくれたことは、今までにない成長を感じました。飛行機輸送や初めての環境などを経験し、精神的にタフになってくれれば、今回の遠征が生きてくると思います」シュプリームマジック(韓国馬、6着)米倉知騎手「この馬なりにスタートは出ていますが、今までのメンバーと違い、前半がかなり速かったので、余裕のない追走になる厳しい展開になりました。速い流れにもついていけるぐらいにならないとダメだと思いますが、他力本願なタイプだからこそ終いは確実に脚を使ってくれるんでしょうね」 そして、いよいよ迎えたコリアカップ。13年ジャパンダートダービーを制したクリソライトが1番人気、昨年のアンタレスSなどG3を3勝しているクリノスターオーが3番人気と、日本馬への支持が高まっていました。 クリソライトのパドックの様子はこちら。 クリノスターオーのパドックの様子はこちら。 コリアカップの本馬場入場の様子は、こちらをご覧下さい。スタンド前の内馬場からスタートし、直線で外コースに出る設定でした。向正面までは地元のポルマエクムが先頭で、クリノスターオーが2番手、クリソライトは3番手という展開でしたが、3コーナー手前から日本馬2頭の一騎打ちムード。直線は、クリソライトがクリノスターオーを突き放し、最後は6馬身差をつけました。クリノスターオーと3着のトリプリナインにも10馬身差の大差がつき、日本馬のレベルの高さを見せつけました。 レース後の関係者のコメントは以下の通りです。クリソライト(1着)藤井勘一郎騎手「1コーナーでクリノスターオーに厳しいマークをされましたが、すぐ外に立て直すことができ、その後は逆にクリノをマークする形で競馬ができました。日本での競馬を見ていると、クリノも1頭で行かすと渋太いという面を感じていましたので、積極的に動いて早めに交わしさっていく考えはありました。直線での強さには僕も驚きです。韓国で再び大きなレースを勝てたこと、それを日本馬で勝てたことが本当に嬉しく、気持ちも高ぶりました。本当にありがとうございました」音無調教師「内枠が心配でしたが、勘一郎が自分で引いた枠順だし、何とかしてくれると思っていました(笑)。2コーナーで外に出すことができた後は、安心して見ていられましたが、こちらが想像していた以上の強さに、びっくりしました。この後、間に合えばJBCクラシックを考えています」クリノスターオー(2着)幸英明騎手「相手はクリソライトだと思い、レースを進めました。並ばれてからもうひと伸びする馬ですが、相手にあっという間に交わされ、自身が厳しい形になってしました。ソウルの馬場は日本より硬い面はありましたが、滑るようなことはなく、スムーズに走ることはできましたが、適性の高さで勝ち馬に向いた印象がありました。僕が勝って、日本馬のレベルの高さを示すことが一番良かったんですが、クリソライトの勝利を称え、ワンツーを決めることができたことは良かったと思います」高橋義忠調教師「ソウルに着いてから順調でしたが、爪が決して良い馬ではなく、こちらの硬い馬場で思い通りに調整することは難しかった面はありました。ただ、あっという間にクリソライトに交わされてしまいましたし、相手が一枚上でした。日本に帰っての状態を見てですが、間に合えばみやこSか浦和記念を目標にしていきたいと思います」日本馬の馬体重と前半3F-後半3Fは以下の通りです。グレープブランデー…520キロ(-6キロ)、35秒5-36秒7ミリオンヴォルツ …485キロ(-1キロ)、35秒3-37秒4クリソライト …503キロ(-1キロ)、37秒5-39秒5クリノスターオー …532キロ(+2キロ)、37秒4-40秒6 コリアカップの馬券も、馬連(6.1倍)と馬単(9.2倍)が的中しました!意外とついたので、おいしい馬券でした。(上段が馬連、中段が馬単、下段は押さえの馬連流し) 今回のコリアカップの観戦レポートは、スポーツ報知ネット版でも掲載されており、<1>、<2>、<3>、<4>もご覧頂ければと思います。初めての海外競馬を見て、当たり前のことですが「百聞は一見に如かず」を実感しました。違う競馬を見ることで、僕も刺激を受けました。吉原騎手に「こんなチャンスないんですから、一緒に行きましょうよ!」と言われなければ、自分も動かなかったでしょうし、韓国競馬に精通する牛山さんのサポートがなければ、これも行く気にはならなかったと思います。様々な人のサポートがあって、まともな取材ができました。この場をお借りし、本当に皆さんに感謝します。
2016年09月16日
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木曜担当のよこてんです。 先の5月22日に行われた盛岡第11R『OROターフ特別』で、レースをリードしていたダイワマッジョーレ号はゴールを目前にして故障発生、競走中止しました。 今回は自分も「勝てる」と思って見ていました。まさに勝利を目前にしてのこの事態は本当に残念だと、本当に無念だとしか言いようがありません。 本来であれば岩手県競馬組合からの公式な発表を待ってから書くのが良いのでしょうが、たくさんのファンの皆さんが心配されているようです。今回は敢えてダイワマッジョーレが岩手に来てから最後のレースまでのことを振り返ってみたいと思います。 ダイワマッジョーレが岩手にやって来たのは昨年の4月のこと。このブログでも岩手に来た彼のことを書きました。 JRAの芝重賞を勝ったほどの馬が岩手に移籍。その頃のネットの雰囲気は必ずしも「賛」だけではなかったように感じましたけれど、関係者は彼を新天地で活躍させるべく受け入れたことを知ってもらいたくて、水沢の厩舎にやって来た翌日の段階で取材させていただきました。無事に到着したという事をたくさんの方に読んでいただけた様だったのは何よりでした。 ただ、その後のダイワマッジョーレはなかなか順調に戦えませんでしたね。 岩手移籍初戦になると思われた昨年6月の「かきつばた賞」は故障のため出走取消。本当の“初戦”になったのは8月1日の「立秋特別」でした。ただしここはダート戦。キャリアでも初めてのダート戦、それも初コース、さらには一頓挫あった後・・・となると、1番人気に推されつつ5着に終わったのも致し方なしという印象でした。★2016年8月1日の『立秋特別』は盛岡ダート1800m戦。ダイワマッジョーレは5着でした 岩手での2戦目は待ちかねた芝、8月14日の芝マイル重賞「桂樹杯」。ここでもダイワマッジョーレは5着に。★2016年8月14日、桂樹杯 中団から4角手前で先行集団に取りついたまでは良かったものの、そこから僅かに伸び脚を欠いて結果は2番手争いの中で一団になりながらゴールになだれ込むという形。 この時はダイワマッジョーレとよく似たキャリアを持って移籍してきていたブレイズアトレイルが1番人気だったのですが、ブレイズアトレイルが4着、ダイワマッジョーレが5着でタイムは同じ。 ダイワマッジョーレの5着は何とも言えない結果だったけれど、その時点で既に盛岡の芝で結果を出していたブレイズアトレイルと同じ程度に走れるのならまずまず良いのかな?と、そんな微妙な感想を抱いたことを覚えています。 3戦目も芝重賞の「OROカップ」。ここでは4番人気6着。★2016年9月25日の岩手県知事杯OROカップ。一番左がダイワマッジョーレ その時もまたブレイズアトレイル(5着)と同タイムでしたし、桂樹杯で僅差だったタイセイメテオやロケットボールともまたほぼ同タイム。桂樹杯を制したブレークビーツ(2着)とは約2馬身差。着差や順位は若干変わりましたが上位の顔ぶれは桂樹杯とほとんど同じです。 これはつまり、“それなりに順調に使えているのに馬の走りに大きな変化が出てこなかった”という事でもあるんですよね。 実際、OROカップに挑むダイワマッジョーレは水沢での調教一番時計を叩き出していました。それでも・・・という事なわけで、陣営がOROカップの次戦として芝1000m戦を選んだのは、距離短縮で変化の“きっかけ”のようなものを探る意味合いもあるのだろう・・・と想像したものです。 その「ハーベストカップ」では4着。次いで再度の1000m戦に挑んだ「OROターフスプリント」でも4着。★2016年10月9日、ハーベストカップ★2016年10月22日のOROターフスプリント。内を突く形に ただここでは、これまでのレースでは常に離されていたブレークビーツに僅差、あるいは逆転していたりと、変化がうかがえたのも確かでした。短距離重賞を勝っているとはいえ1000mの経験は無かったですし、血統背景的にも1000mの馬ではないものが、結果としていわゆる“短距離のスペシャリスト”にこそ先着されたものの4着確保ならひとまず上々。そう言える1000mの2戦だったと思いましたね。★2016年11月5日、ダート1200mのスプリント特別に出走、2着でした この頃のダイワマッジョーレはずいぶんと調子が上がってきていたようです。せっかく調子が上がったのにその時にはもう盛岡の芝シーズンが終わってしまっていたのは残念。とはいえダートの1200m戦で2着に食い込んだのは調子の良さゆえだったでしょうし、これで状態さえ良ければ、条件さえ合えばダートも問題なさそう・・・というメドがたったのも収穫でした。 2017年シーズンのダイワマッジョーレの初戦は4月9日のダートマイル「陽春特別」になりました。この時は休み明け初戦ながら悪くない仕上がりだと伝え聞いていて注目していましたが、運悪くこの時の水沢の馬場傾向は「内枠不利」。1枠1番ではどうしようもなく動けず6着に終わってしまいました。★2017年4月9日「陽春特別」。馬群の中で動けず終わる(左から2頭目にちらっと顔が) 6着という結果は芳しいものではないのですが、恐らく馬の状態がどんどん良くなっている時期だったのでしょう、陣営に悲壮感は無かったように見えました。 なので次戦の「観桜特別」、ついに岩手での初勝利を挙げたのですが、自分はそんなに意外な感じは受けなかったですね。叩き2戦目でという以上に馬の雰囲気が良くなっているのが分かりましたから。★観桜特別で待望の岩手初勝利! 最後のレースになってしまったOROターフ特別は、馬の状態がさらに良くなっていると思って見ていました。自ら逃げることも想定通り。大きなリードを保って直線に向いた時はこれはもうそのまま逃げ切ったと、最後は少し止まるかもしれないがそれでも後続に交わされることはない・・・と思いました。ですが。 転入当初の不振については、JRA在籍終盤の疲れがなかなか抜けなかったのだと聞いていました。それから立ち直るのにはどうしても時間がかかったようです。 当初は、だから調教でもレースでも「走る気が今ひとつ感じられなくて・・・」と、関係者から何度かそんな言葉を聞いてもいました。自分が見ていても、何というかこう、目が優しかった。戦う目になっていなかった。昨年はずっとそんな感じだったと思います。 それがこの春は、昨年とは段違いに目元に迫力があった。身のこなしからも闘志が感じられるようになっていました。 陣営はこの春、“昨年よりはずっと調子がいい”と、専門紙などのコメントでそう言ってきていましたが、自分がそれを素直に信じたのは、馬の雰囲気が変わってきていたのを感じたからです。 今年はきっと昨年とは違う戦いぶりを見せてくれるに違いないという確かな手応えがあっただけに、それだけに非常に残念で仕方がありません。 彼の最後の走りは間違いなく勝利に値する物だったと信じています。彼は最後まで戦い続けた。その事はファンの皆さんにも忘れずにいてほしいと願っております。
2017年05月25日
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木曜担当のよこてんです。 さきの8月25日、村上昌幸調教師が亡くなられました。★今年3月19日、調教師としての地方通算1500勝を達成された際の村上昌幸調教師 調教師として通算1523勝(地方1522勝・JRA1勝)を挙げた名伯楽というだけでなく、騎手としては通算1783勝、デビュー3年目の1972年から1981年まで10年間に渡って岩手のリーディングに君臨し続けた名騎手でもありました。 1987年に33歳の若さで引退された村上昌幸騎手ですので自分は残念ながら騎手時代の姿を知りません。恐らくは最近競馬に触れるようになった若いファンの皆さんにとっても村上昌幸騎手の姿は想像が付かないものなのかなと思います。 そこで今回は、村上昌幸騎手の現役時代を知る関係者に思い出を語っていただく・・・という企画。自分も含めて、それを通して“天才ムラマサ”を知る手がかりになればと思います。★ ★ ★ まずはこの方から。村上昌幸騎手の前、1968年から1971年まで平地競走のリーディングジョッキーの座にあった小西重征調教師です。 小西重征騎手が1970年に達成したシーズン162勝の記録を187勝をもって破ったのがデビュー3年目の村上昌幸騎手でもありました。『騎手になるべくしてなった人』・・・小西重征調教師 乗り方が凄く柔らかかったね。馬へのあたりも良かったんだと思う。“ライバル”とかそんな見方はしていなかった。彼が乗り始めた頃から知っているからね。 彼のお父さんの厩舎(※村上初男調教師・通算4度のリーディングトレーナーを獲得)の馬には自分や竹田実騎手も乗っていたんだけど、デビューした頃の彼が思うように乗れなかったのか、ムラハツさんが“替わって乗ってくれ”と言ってくることもあった。でも自分は“ちょっと待っていれば大丈夫だから”と言っていた。ちゃんと乗れるようになる子だからと。やっぱりその通りになったね。 彼はいろいろな要素を、他の競馬場の騎手の乗り方なんかも研究していたんじゃないかと思う。中でも佐々木竹見君の乗り方かな。手綱の持ち方とか、参考にしていたように見えたね。それができる身体を持っていたんだと思う。柔らかい。だからそういうことが自然にできるしあたりも柔らかい。乗っている姿も格好良かった。 当時岩大の乗馬部の子達が競馬場でアルバイトをしていたんだけど、村上昌幸騎手は人気があったよ。 その頃は、盛岡で競馬がある時は水沢の人や厩舎も皆盛岡にやってきて調教とかをしていた。彼くらい若い騎手は少なかったからね。彼の上というと自分や桜田の新ちゃん(桜田新一郎騎手。騎手と調教師を兼業)、竹田実さん、菊地寿さんくらいで彼とは年が離れていた。若い騎手自体が珍しいという事もあった。 レースでは、強引さはなかったね。スルスルッと勝った、という感じだった。 騎手になるべくしてなった人じゃないかな。身体とかいろいろ、天性のものをもっていたんだと、私は見ていましたね。★ ★ ★ 続いては石川栄調教師。騎手としては1974年デビュー。年齢としては3つ、デビュー年は4年の違いになりますが、自身のデビュー時にはムラマサは既にずば抜けた存在だったと振り返ります。「雲の上の人」・・・石川栄調教師 年は3つ違いでしたが、私がデビューした頃はもう岩手では抜けたジョッキー、スタージョッキーだなと思っていました。 騎乗しての馬へのあたりが柔らかい。今でいえば武豊騎手に例えられるかな。柔らかい乗り方。何年か一緒に乗ったから見ていたけどフォームが綺麗だった。 道中は後ろの方にいても3~4コーナーでは常にいい位置に付けている。レース運びもうまかったと思いますね。 ゴールデンステッキ賞で一緒に乗った時があったんです。昌幸さんとハナ争いした時に無意識に昌幸さんの手をムチで叩いた事があって。それでハナ勝ちした事がありました。 自分も懸命に追っていたからもちろんわざとじゃない。勝ちたいという一心でね。当時は賞金も高かったですしね。引き上げてきた時に謝りましたね。IBCラジオの加藤さんに今でもよく言われるエピソードです(※1986年のゴールデンステッキ賞。石川栄騎手はヨシカツイリヤ、村上昌幸騎手はマルブツリュウに騎乗して石川栄騎手がハナ差勝ち)。 最近だと菅原勲騎手がカリスマと言えるんでしょうけども、その頃は、自分は昭和49年から乗っていたけど、あの頃のカリスマというか岩手のスタージョッキーは昌幸さんだったね。当時は騎手が40人くらいいたし、でもレースはフルゲートが8頭だったりレース数自体も少なかった。そんな条件の中でリーディングになるんだからね。 短く表現すると・・・、そうだね、雲の上の人、だね。乗り役としては抜けていましたね。自分なんかは下手だったからあれだけど、さっきも言ったようにフォームも綺麗だったしレース運びもうまかった。文句の付けようがない騎手だったね。★ ★ ★ 佐藤浩一調教師は石川栄騎手と同じく1974年の騎手デビュー(※佐藤浩一騎手は春デビュー、石川栄騎手は秋デビュー)。“ポスト・ムラマサ時代”を作った小竹清一騎手とリーディングを争い、通算4度の騎手リーディングに輝いています。「憧れの存在」・・・佐藤浩一調教師 憧れの大先輩。自分が昭和49年にデビューした時にはもう岩手のリーディングジョッキーだった。わたしらの同期の小竹がリーディングになるまでは10年ずっとリーディングでね。今の岩手競馬の基礎というか、騎手の待遇とかね、作ってくれた人でもあって。ライバルと言う以上に憧れの存在だったよ、うん。 自分とは4年くらいしか違わないけど、当時の昌幸さんは凄かったから。その頃はムラマサ、平澤さん(平澤芳三騎手、のち調教師)、小西さんあたりが岩手のトップクラスで、俺らなんかは及ばない位置だったよね。そんな人から「おい、メシ食いに行くか?」とか誘われたりいろいろ連れて回って貰って、距離が凄く縮まったなと感じていたね。 昔、外国の女性ジョッキーを招待したレースがあって、昌幸さんはアメリカの金髪の騎手とコンビを組んでね。いいなあ、ってうらやましく見ていたりもしたね(笑)。 昌幸さんとのレースでは忘れる事ができない思い出があってね。みちのく大賞典で一緒に乗っていて、4コーナーで自分が何番手だったかはちょっと思い出せないけど、昌幸さんは後ろから上がってきて、自分の隣に来た時に「ちょっと早すぎたかな~」と声をかけられたわけ。えー、こんな大レースのなかでこんな余裕があるのか?って。 こっちは真剣になって、勝てないまでも上の方に入りたいと思って乗っているところだからね。“何この人?こんな余裕があるの?”と思うわけよ。 もうひとつは水沢のアラブ大賞典の時。昌幸さんの馬が本命馬で、3コーナーから先頭に立っていて、自分は後ろから上がって行って昌幸さんの馬に並んだ。そうしたら「おめえちょっと早くないか?」って言われて。3コーナーだよ、レース中の。 こっちは余裕ないし、いやいやそんな事ないよ、とかなんとか答えたら「じゃあ勝ったら飯食いに連れてけよ~」って。そう走りながら叫ばれた時には、これもレース中にそんな余裕があるのか?だよね。 その時の結果は、自分が勝って昌幸さんは2着だったかな。ご飯をおごったかどうかは覚えてないけども。 こっちは必死で余裕もないのに、あっちは普通に声をかけてくる。それだけ余裕があってレースに乗ってるという事なんだろうね。今それだけ余裕を持って乗ってる人がいるのかな?と思うね。その二つは本当に記憶に残っている(※前者は1987年のみちのく大賞典、村上昌幸騎手はマグマカザンで優勝・佐藤浩一騎手はマウタトビクラで7着。後者は同じく1987年のアラブ大賞典で、佐藤浩一騎手はローレルスポットで優勝・村上昌幸騎手はキタノエデンで2着)。 昌幸さんの乗り方を真似ようとかは思った事がないけれど、昌幸さんには「相手の事を不利にしないと自分は勝てないんだぞ」というような事は、きれい事だけでは勝てないんだという事を教わったように思います。それは、“そういう競馬”もできる人だったという事。綺麗に乗るだけではなく際どい戦いもできる、することもあったね。 騎手時代はずっとトップを走っていた人であり、岩手の騎手の礎を作った人。トウケイニセイとかメイセイオペラとかが出る前の頃の岩手競馬の“看板”だったね。★1978年の第6回みちのく大賞典をジムパーナで制したのが村上昌幸騎手にとっての初めての”みちのく”のタイトル。みちのく大賞典はこの時を含めて4勝(『レーシングメモリー岩手競馬25年の記録』P3より引用)★ ★ ★ 伊藤和騎手は1972年にデビュー。村上昌幸騎手より2年ほど後にデビューしましたが、引退は1985年で逆に2年早く調教師に転身しました。騎手同士というだけでなく調教師と騎手という関係の時期もありました。「天才。それに尽きる」・・・伊藤和調教師 やっぱり天才だったね。我々の見えないところで努力していたのかもしれないが、そういう所は見せなかった。馬へのあたりも柔かったしね。我々には分からない勉強をしていたからあれだけの成績を残せたんだろう。 いつの間にか良いところについているんだよね。どんなレースでも、どんな馬に乗っていてもね。自分は前で競馬をする馬が多かったから後ろでどういうコース取りで来ているかが分からなくてね。あの頃はビデオとかなかなか見れなくてパトロールの映像くらいしか無かった。だから、何が起きたか分からないうちに彼に交わされている、勝たれているという事が多かったね。その辺が天才のカンなんだろうね。だからといって強引でもなかった。その馬にあった乗り方をしていたと思う。 普段はお酒を飲んでも大騒ぎするような人ではなかったね。その頃の騎手は、自分なんかもそうだったが体重が重い人が多かったから調整ルームに入ってもそうそう飲み食いできないのさ。だからお酒が入った人もおとなしくね。楽しそうにしている昌幸を周りで見ているような感じだったかな。 “打倒ムラマサ”とか思いも及ばなかった。でもね、お父さん(村上初男調教師)にはみちのくを獲らせて貰ったし(※1979年・スリーパレード)、自分の調教師の1年目には昌幸に乗って貰ってシアンモアを獲って貰ったからね(※1986年・メジロゼウス)。彼との思い出はいろいろあるんだよ。 やっぱり天才だよね。それに尽きる。もちろん我々に見えないところで努力をしていたんだと思う。それなりの努力をしなければ10年間リーディングを守る事はできないだろうからね。★ ★ ★★1984年、騎手として岩手競馬史上初の1500勝を達成(『岩手競馬35周年記念誌』P251より引用) 佐藤浩一騎手のあとを襲ってリーディングの座に着いた菅原勲騎手。その後通算12度の騎手リーディングは村上昌幸騎手の10度を超えるものでした。そんな菅原勲騎手からは村上昌幸騎手はどんな騎手に見えていたのでしょうか?「勝ち方を知っている人」・・・菅原勲騎手 自分がデビューした頃はもうずっとリーディングを獲っていた人だから“凄い人”だと思っていました。 騎手としては何年もは一緒に乗ってないからね。自分もデビューして間もない、ただ一生懸命やっていた頃で、年も離れていたから“ライバル“という感覚では見ていなかった。やっぱり凄い人。例えて言うならば武豊騎手という感じのタイプだったんじゃないかな。強引に追うとかではなくてすっと乗ってくる感じだったね。 自分のスタイルって自分では分からないからね。誰かのように乗ろうと思ってもそう簡単にはいかないもの。誰々を参考にして・・・と言うよりは自然とそうなったんだと思う。 一緒に走っていて、強引さはなくてさらっと、すっと乗ってきて勝つ感じだった。それは勝ち方を知ってる人ってこと。 自分の頃とは条件も違いますからね。開催日数もレース数も少なかった頃。自分の成績と簡単に比べる事はできないし、そんな中であれだけの成績を残してきたのはやっぱり凄いと思いますね。★ ★ ★ 最後に騎手ではなく“調教師としてのムラマサ”を一番近くで見続けていた人のお話を聞いてみました。坂口裕一騎手は2003年のデビューから先日の解散までずっと厩舎の主戦として戦ってきました。坂口裕一騎手から見た村上昌幸調教師はどんな人だったのでしょうか。「何に関しても余裕がある人でした」・・・坂口裕一騎手 デビューした頃は毎レースをビデオに撮ってもらって、それを見ながら調教師がレース解説・・・を2,3年やっていましたね。その頃は自分も若かったですし“なんで毎日こんなに色々言われなきゃならないんだ”と思うばかりでした。 自分は岩手出身じゃないから、南関東の古い人は見ていて分かっていたんですけども(※坂口裕一騎手のお父さんは川崎競馬の厩務員で自身も川崎の厩舎育ち)「ムラマサ」という存在の凄さが分からなくて。みんなは知っているわけですけどもね。厳しいのは親心だったんでしょうけども自分はしごかれてるとしか思えなかったですね。 ですが、今思えば自分を思ってやってくれてたんだなって。他の厩舎の馬のレースでも欠かさず撮って、毎レース自分の事を見ていてくれたんだなと。 褒められる事はあまりなかったですけど、“よくやった”とか言葉をかけて貰えるようになっていった。先生だったら、自分だったらこう乗ったとか、調教師としてはいろいろ思うところがあったんでしょうし、そういうのもあってあまり褒めて貰えなかったのかなと思ったりします。 騎手時代には10年間リーディングを守ってきて、なって当然と言われていた時期もあって、だからか分からないですけども、切り替えが早かったですね。大きいレースを勝ったり年度代表馬を獲ったりしてもいつまでも喜んでいない。天狗にならない。現役の頃に修羅場をくぐってきたからこその切り替え、気持ちの余裕だったのかもしれないですね。 当時を知っている人、年配の馬主さんとかには「何年もリーディングを獲るんだからプライドが高い人なんだろう」というようなイメージがあって話しかけづらい・・・というような意識があったと聞いたんですけど、実際は全然そういう感じはなくて。周りが作っているイメージとは違うんだけどな、と自分は思っていましたね。 実習の頃から言えば出会って22年。振り返れば22年ですけども、あっという間でしたね。ましてや病気が発覚してからの1年なんか本当にあっという間で。最近は調教師が厩舎に来られている時はできるだけ会って話をするようにしていました。今にして思えば、自分ももっと先々の事を考えて、もっといろいろな話をしていれば良かった。 何年目ぐらいですかねえ。7,8年目くらいですか、胸椎を骨折して長期離脱した時に「いて貰わないと困るから怪我には気を付けて」という言葉をかけて貰って。そのころからですね、レースや調教で厩舎の馬を任せて貰えるようになって。 若い頃は厳しい人だとしか思ってなかったですけども、今になってみればとても尊敬できる素晴らしい方でした。★ ★ ★★1500勝達成時、“ムラマサ勝負服”を作ってきた坂口裕一騎手を見て「俺のはもっと線が太かったぞ」と言いながらも嬉しそうな村上昌幸調教師なのでした 最初に書いたように私もムラマサ騎手の現役時代を知らなくて、ましてその凄さとなると噂しか知らないですから、自分の認識としては坂口裕一騎手と同じような感じなんですよね。自分なんかにもちょっと冗談交じりに声をかけてくれる、そんな人というイメージで。 なので、かつての同時代を戦った人たちが、それもそれぞれの時代のトップジョッキーだった人たちをして“ムラマサは凄かった、天才だった”と口を揃えて言うのには、話を聞いていた自分にとって驚きでした。そんなに凄い人だったのか、と。★管理するナムラタイタンが2014年度の年度代表馬に選ばれた際の表彰式にて。インタビューに答える村上昌幸調教師 平成に入る前に騎手を引退した村上昌幸騎手でしたので映像としてすぐ見る事ができるレースは多くないようですが、ネットを探すと当時の大レースの映像がいくつか見つかります。伝説の“旧盛岡・直線大外一気”のレースもあるようですので、皆さんもぜひ探してみてください。 春に1500勝を達成された頃は割とお元気そうにも見えたのですが、その後はあまり良くない時期が続いたようで、臨場される事もなくなりました。坂口騎手によれば最後まで厩舎の行く末に気を配って、その道筋を定めてから旅立たれたのだそうです。 “天才ムラマサ”のご冥福をお祈りいたします。
2023年08月31日
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