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マル住職に、某テレビ局による二泊三日の泊まり込みでの取材あり。前回、200メートルほど歩いて、ソーセージを貰ったところで満足してしまった托鉢を最後まで成し遂げることが出来るかといった筋書き?ちょっと物々しいご一行に、托鉢というよりは、パレードではないかといった意見もあり。卓球で銀メダルを取った石川選手のパレードほどの人気はありませんが、今回は、無事に最後まで歩ききることが出来ました。大きなカメラを前にしても、堂々とした女優っぷり。演技力には、こちらも驚かされました。目標である河瀬直美監督映画への僧侶役での出演で、カンヌ映画祭主演女優賞獲得も、夢ではないかもしれません(笑)因みに横浜のとある小学校では、授業の題材ともなったそうです。昨日は、6月以来の臨済宗連盟での托鉢。マル住職の参加はありませんでしたが、宇部市の中心部での托鉢は、山口市と違って滅多にないこと。不思議そうに眺める方が、沢山いらっしゃいました。今回の集合場所を引き受けた後輩も、終わってホッとしたようです。先月23日には、子どもらとの地蔵祭りで、一緒に坐禅。人吉君の精進蒲焼きを持参しての食事会参加。アロハ・フェスティヴァルでの夕涼み。東京で行われた、修行道場のOB会への参加。夜行バスに乗っての実家への帰省など、様々。そのような中、久々に訪れた施設の卒業生は、マル住職展で展示されているマルと一緒に写った写真を懐かしそうに眺めていました。あれよあれよと今月も半ばに至っています。
2012.09.13
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京都からやって来たフミ君と、おばあちゃん。二人を車に乗せて、大学近くの田舎道を走っていると、向こうからゆっくりとパトカーが一台。こんな所でパトカーって、ちょっとした事件でもあったのだろうか?何だか嫌だなあと小道へライト・ターン。ところが、少し走るとバック・ミラーに映るパトカー。もっと嫌だなあと、一時停止しなくて良いところまで、一時停止。ところが、大きな道に出ようとしたところで、「そこの車、左に寄って下さい!」おっ、やっぱり事件かなと先を急いでいるのかと道を譲り、ホカ弁屋の駐車場へ待避したところ、パトカーはピッタリ真横に停まり、ますます嫌だなあと思いきや、警察官二人が下車して、運転席に近付きました。昨日、運転免許証を書き換えたばかり。早速減点?と、頭の中は、何が交通違反だったのだろうかとグルグル回り始めるも、「どこかお探しですか?」の問いに、「いえ・・・」「急にハンドルを切りましたが、何かありましたか?」な~んだ、不審車扱いの職務質問かと拍子抜け。「ええ、前からパトカーが走ってきたので、何だか嫌なので避けようと冗談言いながら、ハンドルを切りました。何か事件でもありましたか?」と、ニッコリ笑ったところ、警察官二人もニッコリ笑って立ち去りました。
2012.08.22
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盆行事も終わり、住職も京都へ戻り、ようやく一段落。色濃さを増していた日陰にも、いつの間にやら、初秋の風を感じるようになりました。先日、いつもお世話になる伊藤さんが主催する、すぎのこ村に於ける国際ワーク・キャンプの交流会へ。案内団体との連携がかみ合っていなかったようで、外国からの参加者は、口元が歪むほど、不満を抱えた様子。どこかで見た表情だなあと思ったら、3年前、外国からの団体を寺に泊めた際、引率者との連携がかみ合わず、不満が見え隠れした時と同じ。しかし、敢えて浮き彫りにしたズレを埋めていくことが肝要なところだとは、伊藤さん。3年前は、楽しく一緒に飲んだり歌ったりしながら心を共有することで、ズレが埋まったなあなんて、思い出しておりました。昨日は、県立美術館での「ロベール・ドアノー展」へ。第二次世界大戦前後のパリの様子に、一人一人の息遣いまでが聞こえてきそうな。モノの無い時代、今のようにテレビ等、画一的な情報に振り回されることなく、それぞれの活き活きとした表情が、写真の一枚一枚に発露しています。また戦時中、レジスタンスの地下組織にも協力していたとは、存じませんでした。同時に開催されていた「防長の絵図―美しき古地図の世界展」は、これまた真剣に見入る客層が、写真展と全く違います。また先日、80歳の肉体で生まれ、どんどん若返っていく「ベンジャミン・バトン」という映画を鑑賞。生の流れを一人逆行することで、他者の老いが一層くっきりと。私も子どもの頃から、オッさんと呼ばれ、修行道場を経て、未だにどんどん気持ちは若返っていくような感覚ではありますが、最後、赤ん坊になってしまうようなところまでは、想像つかず(笑)道心も童心も、そのまま相変わらずなのかもしれません。ステンドグラスのご報告8月8日メールP4の細部調整ガラスの良いのがなくいろいろのガラスを切っていれましたが納得出来ず、昨日一日掛けてロスのガラス屋出かけガラスを仕入れて来ました。これでガラス切りは終了しました。(長かったです)P4のテープ巻きにアシスタントがかかります。私はハンダ付けの用意をして、ハンダにかかります。8月15日メールハンダ付けの作業は大切なことです。ステンドグラスが作られた時と同じ状態を長年保つ為にはハンダ付けをだだしくすることが、必要です。一に温度、二に温度、三に温度、といいます。ハンダ付けに使用うする道具は 半田ごて、ハンダ、Flux(半田液)、です。写真添付します。 半田ごては一度に2〜3のこてを温めて何時も適度の温度を得られるように使い分けます。 ハンダは錫と鉛の合金で出来ています、50/50、60/40、63/37、この数字は錫と鉛の混合比です。 (ここ数年ハンダの値段はめちゃくちゃ高騰しております、値段は常に変わりますが下がる事はありません。) 半田液はハンダをする表面をクリーンして、ハンダがスムースに溶ける手伝いをします。(ハンダを使用するところにぬります)ハンダ付けは表から始めますが、ハンダをこてで溶かしてガラスとガラスの間に裏まで溶けたハンダが流れるようにハンダ付けをします。この始めの作業がステンドグラスの寿命を決めます。間にしっかりと流し込む事によりガラスとガラスが密着して強度がでます。もちろんたくさんのハンダを使用する事に成ります。安いステンドグラスは間に流し込まないで表面だけをハンダ付けではなく、ハンダ塗りのような仕上げですので長持ちしません。一枚目はテープ巻が終わったP1のパネルにテープの上から半田液十分塗り裏まで液を流し込みます。二枚目はいよいよハンダ付け開始です。ハンダ付け写真です。1ーーーは表のハンダの粗付けが終わった写真です。2ーーーは裏のハンダ付けをする為にひっくり返す必要がありますがパネルはまだしっかりとはしていませんので、細心の注意を払う必要があります。 表のパネルの上に同じサイズの板をのせて挟む状態でふたりで返します。3ーーーは返して板を取ると裏がでます。4ーーーは下絵を取り除きます。(下絵がぬれているのはハンダ液がうらまで流れ出ているからです)5ーーーは下絵をとり、裏のハンダにかかります。
2012.08.22
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今年も棚経真っ最中です。先日、行った施餓鬼法要では、毎年私が胡麻豆腐を作るのですが、今年は、うちのシェフが、あっという間に完成させてしまいました。さてさて、味の方は、いかほどに?手伝いに入ったおば様方の味付けも、なかなかの腕前です。マル住職も大活躍。大玄関にて来客のお出迎えと、お見送り。最後は、少しくたびれたようです。梅干しも、出来上がり!
2012.08.13
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住職が京都より戻り、いっぺんにお盆モードにスイッチ・オン!夏空も、いっぺんに碧みを深めています。昨日、住職との散歩の折、不意に家から飛び出した柴犬と喧嘩になりました。寺に戻り、お茶の時間になっても、玄関に入ろうとせず、拗ねたように遠くへ離れていこうとするマル。様子が変だと思い、近づいたところ、目の上に喧嘩で出来た傷。「おお、大変だったなあ」と声を掛けてやるや、気を取り直したのか、お茶する玄関にやって来ました。直ぐさま、元看護師のおば様が消毒。そして、薬を塗布。ちょっと情け無さそうに、昨日はずっと、人目を避けておりました。いつもお世話になる方から、隣接施設と弊寺宛てに届いた愛宕山の火除けの御札。住職も愛宕山へ千日詣りに出掛けたらしく、そういえば、○○に出会ってなあといった話しをしていた最中。「あ、ありましたよ!」 に、住職も嬉しそうにしていました。今日も、お寺は蝉時雨に包まれています。
2012.08.09
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不法投棄疑惑で一時中断となった池の埋め立て工事。あわや全面撤去か禁固刑?その後、保健所から回答がありました。以下、※保健所 「」たろう※ 良いとは言いませんが、自分のところから出た瓦を自分たちが手作業で運んで再利用しているといった点で、こちらからは駄目とも申し上げません。実際、田舎では現在も多く見掛けることもあります。「私も調べてみましたが、本来瓦は瓦礫として分類され、扱いの認可を受けた業者が、特定の場所に持ち出す以外は許されず、自分のところから出た瓦を自分のところに埋めても不法投棄となり、一億円以下の罰金、あるいは禁固刑と聞きました。」※ おっしゃる通りです。ただ今回は、誰が見ても不法投棄と誤解せぬよう、もう少し綺麗にして頂きたい。「では、販売の規定サイズである3センチに近付くよう、ハンマーでもって、なるべく細かく砕いて、最後は綺麗に見えるよう人力で仕上げてみましょう。」※ 暑い中、大変申し訳ありませんが、よろしくお願いします。「このような事例が、公に認められれば、厄介になるということですね」※ はい、おっしゃる通りで、他にもう一件控えております。「それと、経緯を含めた現状説明の立て看板を設置させて頂きますよ。」※ えっ?「今回は、最悪の場合、多くの方の為にも、敢えて禁固刑を受けてみるのも良し。瓦礫を搬出となった場合は、里道にあたらない墓地内の県庁への通り抜けルートとなった部分を封鎖し、瓦礫を使用して礼拝対象となるモニュメントを設置しようかなどと腹をくくっていました。しかし、今後このような矛盾が起こらぬよう、法律の見直しをはかるぐらいの気持ちがないといけませんね。期待していますから、頑張って下さい!」と、気持ちよく声を掛けたら、あまりにも意外だったのか驚いていました。保健所が立ち去って、直ぐ様立て看板を設置。そして、炎天下の中で、ハンマー持って、規格サイズの3センチに近付くよう、しっかりと瓦礫砕き。何人もの県庁マンが、看板に目を留め、立ち止まっていました。立て看板は、ただただ文句を言うのでなく、皆で矛盾について考えて頂きたい、地域全体の質を高めたいといった思いから。しかし、有難いことに、ちょっと、やりすぎではといった意見もあって、二日後には撤去。最後は、隣で工事する業者さんのご厚意を受け、池の一部埋め立てが、完了いたしました。3年前に凍結し、改めて話しを切り出してから一年近く。目的に添って焦らずに、じっくりと話しを詰め、敢えて敵対を避ける工夫。今後も、壁にぶちあたる度に問われるかと思います。 ようやく色々と一段落し、梅干し初日このような色からスタートです。 先日、7月に遷化した浄土真宗僧侶に手を合わせたく福井に。病床で書かれた自伝とも、遺言とも取れる内容の冊子を頂戴し、ユーモアを交えながらも一生懸命に説かれていた息遣いが聞こえてくるかのようでした。同参で、昨年遷化された円覚寺の松嶺院さんから、遷化前に届いた達磨の画についてのエピソードを最初に紹介。その弟子として浄土真宗僧侶の資格を持った同級生とも、久々に再会しました。 ステンドグラスの経過報告です7月27日メールP4の制作過程の写真です。7月29日メールP1テープ巻きの過程写真です。P4の制作過程写真。7月30日メール今の所予定どうりに制作進んでいます。P4のガラス切りを7月一杯で終わり、2−3日で細部調整終え、8月の2週目からハンダずけにかかる予定です。ハンダは8月一杯で終え、9月初めに額を作る所に持って行き2週間ぐらいで出来る予定です。その後最終の写真撮影をしてから、9月の3週目ぐらいにクロネコヤマトから発送する予定です。8月1日メールP4のガラス切り終わりました。2−3日掛けて細部調整をします。8月5日メールP1のテープまきおわりました。P4の色の細部調整今やっています。(この作業は神経が疲れます)
2012.08.06
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昼間、突如として保健所が来訪。池の埋め立て工事が、瓦礫の不法投棄にあたると通報があったので、事実確認に来たとのこと。瓦や煉瓦が、そのまま、又は細かく粉砕された規格サイズ以下のもので敷き詰められているのであれば良いが、あまりにも不細工な大きさであり、その上に工事用の砕石を被せようとする事は、その不法投棄を隠そうとすることにあたるとか。いくら悪意は無いと言い放ったところで、悪いことをする人が多いので、第三者が見れば、不法投棄にしか見えない。法に則った一般的、世間的解釈は、そう取ってしまうとまで言い切る始末。更に、不法投棄と判断された場合、砕石を被せた業者に対しての産業廃棄物運搬の免許取りあげ。そして、全ての瓦礫を撤去ということになる・・・課に持ち帰って、どのように対処するか、上司の意向を仰ぎますので、現場はそのままにしておいて下さい。ちょっと待て!世間的解釈は、今までの流れをきちんと追えば、法律を楯に揚げ足を取る担当課を除き、誰も使わない大量の瓦の再利用、有効利用を不法投棄なんて言うはずがない。それに、法的なんて言うけれど、その判断には、恣意的な意思も働いている。人としての心は無いのか?おまけに、県の土木課が、人力で瓦を搬入する様子を見て、すみませんとは謝るものの、止めろとは言っていないのに、他課からクレームがつく縦割り行政の矛盾。子どもの精神衛生を第一として、工事ヤードの移設を県土木に訴えるも、公的な工事に組み入れる事は不可ということで、自分たちのアイデアでもって、景観との調和も考えつつ、人力で煉瓦を並べ、一つ一つ木槌やハンマーで炎天下の中、瓦を砕いてきた。こちらは、出費0円で、エコの最先端。規格サイズの購入物品利用しか許されないなんて、無駄遣いに環境破壊も甚だしい。現場の苦労も知らず、汗もかいていない者から、まるで悪人のレッテルを貼ったような判断を受けるなんて、この県の民度、政治意識は、如何なるものか?かつて保健所には、合同墓形式の納骨堂を建てる際、前例が無いとして、一年間行ったり来たりの押し問答。結局は、落としどころとして、墓地使用許可の申請がなされていないと判断され、600年前から使用している墓地使用の申請を改めて取得することになり、法律に則って、半径100メートル内に隣接する県庁から同意を取ることで、建設に漕ぎ着けたという経緯あり。更に暑い熱い夏となりそうです。
2012.07.30
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公共工事で遊べぬ運動場の隣で駐車場作りを始めたところ、遊びに出てきた子どもらも、楽しそうにお手伝い。見かねた現場監督が、「土を持っていってもいいよ。瓦礫も、重機で押さえてあげましょう。最後に砂利も敷いてあげます。」と、お申し出下さいました。夢中になってお手伝いする子どもたち。泉さん、お弟子さんっていいなあ。僕も弟子にしてよ~ぼくも、ぼくも・・・そう、簡単に弟子、弟子って言うもんじゃない(笑)後ろで聞いていた小さな女の子が、「泉さん、私との結婚の約束は覚えているよね?」皆、なかなかの、役者揃いです。マルは、暑さにヘトヘト?更にユンボを借りて、溝を造ろうとしたところ、悪戦苦闘。ままごとに見かねて、本職からの指導です。一昨日は、佐賀の和尚さんたち20名近くが、隣の子どもたちとの球技に来訪。もう20年近く続いています。ステンドグラスの報告7月17日のメールご無沙汰しております、忙しい2週間でした。まず、P2のテープ巻きが終わりました。次にP1のテープ巻きにアシスタントはかかります。その為のP1の色の細部調整に時間が取られておりました。今最後のパネルに取り組んでおりますが、パネルは4枚で構成されています。話は少し横道にそれますが、Tiffany Lamp の制作は大半のデザインが同じデザインを2回から4回ぐらい作りそれを組み合わせて360度の円形に組み立てランプをつくります。仮に4回同じデザインを作りランプを完成させるのに、一枚目の制作は色ガラスの一番良い所を使用して作ります。2枚目は一枚目に使用して残ったガラスでつくります、3枚目、4枚目もその手順で作ります。Tiffany Lamp (original )でも回してみると4面同じデザインがみてとれますが、全部それなりに素晴らしいですが、ある一面は他の所よりも美しいところの場所があります、これはSweet Face といいますが、一番始めに作られた面だといわれています。お寺のプロジェクトは4枚ですが、全部デザインが違うので、(でも似た様な色がですが)多くの種類のガラスが必要です。P4のデザインの岩のガラスが切りとつてライトテーブルに載せて色を確認しましたが、(写真では暗く写っていますが)思っていた色ではなく、新しいガラスを見つけて取り直しました。P4の始めの岩ガラスの写真です、写真では暗くなっていますがこれほど実際はくらすないですが? 岩のガラスを切り替えた写真です。 入れ替えたガラスです。
2012.07.24
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子どもたちの安全と、運動場を長期間使えないことでの心的ストレス軽減の為にと、公共工事のヤード移設を願って埋め立てた池の一部分。ところが県の土木事務所より、今回も無理だとの回答にがっかり。地盤が緩いのであれば、鉄板を敷いても駄目か?などと必死で食い下がるも、「急傾斜対策事業は、人命第一! あなたたちが望んだ工事ですから」と、全く聞き入れてもらえず。以前、「そちらで土を入れれば、そりゃまあ」なんて言っていたことも、若い交代したばかりの職員を出して、口約束など知らぬの一点張りでした。夏休みも近付き、子どもたちからは、運動場がいつになったら広々と使って遊べるのかと、直訴される始末。と、ここで引き下がらずに、智慧を絞らねば・・・それならば自力でと、埋め立て地の泥濘に瓦礫を放り込む作業で汗を流すことに。炎天下の下で、工事作業される方々の苦労も、よくわかります。写真の背景、隣のグランドには、公共工事で廃棄されてしまう残土。少しでも、こちらに放り込まれれば、どちらも助かり、税金の無駄遣いも抑えられるのですが、一部の利益になり得るからといった理由で、許されません。重機も使わず、雲水の基本である人力。ここまでのコストも人件費込みで0円。雪を担って井戸を埋めていくように、一見無駄骨を折るようであっても、だんだんと形が見えて来ました。最後には、埋め立て地の入り口から、古い煉瓦を敷き詰めていく予定です。試運転で、動けなくなった乗用車(笑)一昨日、人吉の和尚さんの7回忌へ行って参りました。荒天の中、車を運転しながら、今に至る様々なことが思い出されます。今回は、墓前で読経する時のみ、強い雨。しかし読経後には、ピタリと雨も止みました。これからは、雨乞いもレパートリーに加えようかなんて、思ったり。帰路、思い立って修行道場のある梅林寺に立ち寄りつつ、彼が修行中に亡くなられた叔父さんの家にも手を合わせに参りました。修行を終えて帰ってくることを楽しみに待っていた一人です。一生懸命に読経する弟子の声。「叔父さんのところで、ゆっくりしてきなさい。先に帰って山口駅で待っているから。」そう言って、まだ明るい久留米を発ちました。駅へ迎えに行って、列車から降りてこない様子、私に似なくてもよいところが似たのかなと思いました(笑)雷は、大嫌い。ようやく梅雨明けです。
2012.07.18
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昨日、花園大学を出て、在家から浄土真宗僧侶となった福井県に住む同級生より、師匠が亡くなったとの電話あり。京都での修行中、何度か武生の田園地帯にぽつりと立つお寺を訪れ、一緒にお茶を飲みながら、お話に聴き入ったことが懐かしく。亡くなった彼の師匠は、浄土真宗僧侶でありながら、禅宗である鎌倉・円覚寺の道場に於いて、朝比奈老師の下で修行。入門時は、福井から鎌倉まで、行脚。道中に、財布を盗まれてしまい、困って親元へ連絡したところ、「それでこそ、本当の修行が出来る!」と言われ、鎌倉まで歩いたと、嬉しそうに話ししていたこと。夏場でも炭が入った炉を囲み、松籟の聞こえる使い込まれた南部鉄瓶の口から、ちょろちょろと急須に湯が注がれた仕草。片時も離れぬ念仏の合間に滲み出るお話に、玉露の一滴のような味わいのあったことが思い出されます。今日、葬儀が行われるとのこと。冬霞む 西辺の山に 掌を合わせかつて頂いた短冊を取り出し、そっと壁に掛けました。
2012.07.12
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♪土佐の高知の、はりまや橋で坊さん、かんざし買うを見たよさこ~い、よさこい♪今回も、ちょっとおかたい話しです。(笑)高知まで、中国四国地区・社会福祉施設経営者セミナーに行って参りました。山口同様、何かと政治談義に盛り上る高知人。自由民権運動発祥の地で、人が右へ行く時には、左へ行く気質があるそうです。新聞紙上で高知県独立を着想した高知新聞編集員・須賀仁嗣氏による記念講演は、地域推進会議など、改革派のトップランナーであった前・橋本県政の光と影を検証。そして、平成の大合併でなく、昭和の大合併の爪痕の酷さを検証しつつ、小泉政権の功罪、道州制の危機感へと展開。霞ヶ関・各省庁の現状にも触れ、中央集権を一神教となぞらえ、各村落までに至る地方分権を日本的な他と併存し、違いを認める信仰との喩えが、印象的。自分たちの地域は、自分たちの特性に合わせれば良い。社会福祉に関しては、措置から契約へと移行するなかで、市場原理に放り込まれてしまったことで、社会福祉法人本来の意義や理念が損なわれつつある危機感に警鐘。地方分権も含め、社会福祉の現況、そっくりそのまま寺の現況に置換して考えてみると、本当に面白いです。メディアに関しては、新聞の衰退が明確な中、大衆も白か黒かの二元的価値観に慣らされてしまっているので、映像の効果はてきめん。新聞などによる多元的な捉え方が出来なくなってきている事への危機感を訴えていました。続いて児童養護施設経営についての分科会セクションの代表から中央情勢報告の後、シンポジウム児童養護施設は、介護施設や障がい者施設、保育施設が、措置から契約へ移行し、市場原理へ放り込まれてしまったのとは違い、現在もほとんどが措置費で運営されています。また、より家族的な支援をということで、大人数での生活から、少人数の擬似家族形態のものへ、更に里親支援とも連携を密にする方向へと変化しつつあります。経営者のセミナーということで、今後の経営のあり方、従来の措置費に頼り切ったものではなく、他の社会福祉法人と同様に、幅広く薄く支援を集めながら、社会的養護、社会貢献も視野に入れた地域ケアへと観点を切り替えて行くことが望ましいといった趣旨の報告あり。しかし、一法人一施設が大半で、かつてのように篤志の方が支えてきた時代とは異なり、財政基盤が脆弱な現状。児童養護施設の第一線で活躍される方が、「措置から契約になれば、あっという間に施設経営が窮乏してしまうことは、わかり切っているはずだ。虐待を受けた子どもの受け入れに急を要することも多く、経営難で受け皿が無くなってしまうことだって有り得る。そして、サービスを競争することになれば、社会福祉として、それこそ本末転倒。創設理念を曲げてまで、利潤の追求に走れば、社会福祉法人の存在意義が一層疑われるに違いない。」と一喝されました。制度改革が急速に進む中、施設経営者は、理念を自分の言葉できちんと語れることが必要。また、問題点を観念的なものでなく、きちんとした論拠を持って語れる方が少ない。しかも、暗号のような専門用語でなく、誰にでもわかるような表現で説明することが求められている。このあたり、仏教界、僧侶であっても同じ事です。更に、経営を観点に、社会的要請に応えるべく幅広い地域サービスを広げるよう説く主催者と、理念から逸れぬ範囲で独自性を磨くべく中身の濃いケアを深めるべきだといった現場で身体を張ってきた方の意見が衝突。隣に座った主催側の方に、「いやあ、主催側の合理的でシャープな刻み方と、言語表現が下手ながらも気持ちが伝わり説得力のある現場の声。こういった意見の衝突は、現状の問題点が浮き彫りになって面白いです。一般社会と摺り合わせるべく編集力が問われますね。」と漏らしたところ、「経営の問題は、現代社会にあって逃げることが出来ない。両者の接点を探りつつ、時代に即しながら、伝えるべき人は伝える。行うべき人は行う。一つのテーブルの上で、それぞれに立場を全うすれば、トータルで見れば強固なものになる。ところで血飛沫を浴びる覚悟があれば、君も参画してみないかい?まずは、国相手の交渉であろうが、現場相手であろうが、媚びることなく動じない気持ちが大切なんだ。君には宿題を与えよう・・・」因みに商学部出身の、うちの住職から学んだ経営学。銀座で100年以上、デパートからの出店を勧められても頑なに断り続ける、もなかで有名な「空也」という菓子屋がある。毎日、行列が出来るほどの人気。しかし決して間口を広げることはなく、一日に作る量も決まっており、売り切れになったところでピシャリと店を閉める。間口を広げるにつれ、自転車操業となり、ついには本来の品質を落としてでも利潤を追求していくのが大半。そんな無理をして、大抵は潰れてしまうんだ。銀座の三越よりも、空也のもなかをピックアップする方が、ずっと現代のニーズに応えることが出来るはずだ!ところがところが、先日、「空也」が昨年より間口を広げ、様々な場に進出していたことを知り、驚き。住職に伝えたところ、寂しそうにしておりました。高知城の北側にある、物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦記念館。少年時代を高知で過ごしています。「我が輩は猫である」に登場する寒月先生のモデルにもなったほどの音楽好き。オルガンが残されていました。ステンドグラスの経過報告6月29日メール息子も東京に帰り、また制作を再開したおります。私は最後のパネルP4のガラス切りをしております。アシスタントはP2のテープ巻きをしています。
2012.07.10
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土砂降りの雨が止んだ朝茂みの中で こっそりとオニヤンマが夏着に変身羽が乾いていくにつれキラキラと輝きを増す光沢黒い雲がすっかり払われジリジリと焦がすような夏の強い日差しに背を押され大きな眼を空の彼方へと向けた途端サッと覆った黒い影カラスがくわえて去りました目の前の出来事で、こちらは呆気にとられたままあろうことか 口にトンボをくわえたまま今度はザリガニを一瞬でキャッチトンボが助かるかもしれないと必死で追い掛けるも片方の手がもがれて必死で泡を吹くザリガニだけを残しカラスは逃げて行きました以下、ステンドグラス順序が前後しますが、P2の制作過程4月15日のメールここ二日間こちらは冬に逆戻りし、雨風がひどく山には雪まで降りました。私の仕事には(室内なので)もってこいの天候で、良く仕事できました。雨音を聞き、ガラスの色と向き合い、音楽を聴きながらの仕事最高でした。私の好きな L C Tiffanyの言葉のひとつですが、“ COLOR IS TO THE EYE AS MUSIC IS TO THE EARS " の二日間でした。4月24日のメール山鳩の巣です、もう2週間卵を抱いています、台所の窓の所ですので毎日観察しております。P2のパネルゆっくりですが確実に進んでおります。5月15日メールP2のパネルの最終調整終わりました。次のメールで細部写真送ります。アシスタントはテープ巻きに専念しております。
2012.07.03
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土曜日、日本統合医療学会の山口支部総会に、パネラーとして参加させていただきました。あれっ?マル住職は連れて来ていないのでしょうか?といった声もあり(笑)アニマル・セラピー部門で、発表させていただいた方が良かったかも、なんて思いました。東北大学の名誉教授である理事長さんによる記念講演や、九大病院長、山大病院長といった錚々たる方々の講演が続き、夕方、時間が押す、皆が疲れ切った中で始まったパネルディスカッション。「統合医療によってBody・Mind・Spiritの治療と救済は可能か...」といったテーマ。現代医療部会、漢方部会、鍼灸部会、ヨーガ部会などといった中で、私は祈りの部会として5分間のプレゼン。祈りの身体的な感覚の共有が肝要といった内容。会場の聴衆の中には、カーター/レーガン両大統領の外交通訳官として長年つとめられたコーネリアス・K・飯田氏の姿もありました。もしかしたら、キリスト教的な『平和』について言及するところもあるので、コーネリアス氏から、質問があるかもしれないなと思ったり。しかし、ディスカッションの余裕もなく、すっかり懇親会に食い込むような時間になり、ホッと安心。ところが、終わろうとしたところで、会場より挙手。あ、コーネリアスさんだ!案の定、私を名指しで、「『平和』に触れ、世界では何かと争いの火種になることもあるとは、わかったが、日本人として、古事記による『慈しみ』の言葉が出てこなかったことが残念だ。仏教では、聖徳太子の頃より、『和を以て貴しとなす』といってきたが、その『和』が、村八分や、太平洋戦争時の全体主義。今や原発設置に反対を許さない原子力ムラといった負の面をも作ってきたように思うが、見解はいかがか?」と質問あり。(敢えて、仏教臭い言葉は用いず)いやいや、「平和」、「差別」、「平等」といった言葉の意味合い、元来は現代の用い方と違う。そういったように、「和」の捉え方も、東洋的な利他性から考えていくと・・・(あれあれ、まあいいや)終了後、会場外で、東北大の先生より質問。「今回の会議で、『こころ』、『マインド』、『精神』、『スピリチュアル』、『魂』と、多くの方が、多くのことを語ってきたが、同じ言葉であっても、それぞれに微妙に意味合いが違うように思わなかったかい? このあたり、もっと使い分けに応じて、はっきりと定義づける方向で考えてみたい。そして、私はいつか『心』を映像で表現してみたい。それぞれの分野からのイメージを統合し、切り詰めていくと、必ず皆のコアになる部分、共有される部分が残っていくはずだ。そうだろ? 君とは、もっと話しがしたい。必ずまた会いましょう!」様々な方々と、意見を摺り合わせる事も、面白いなあと思いました。昨日、地域の小学校の合唱部が、山口育児院で行われたコンサートでの本番前、うちの本堂で「ふるさと」を練習。「目の前に広がる山の緑や小鳥さんたちに向かって、優しく呼び掛けるように唱ってみましょう!」と、指揮を執る先生のアドバイス。のびのびとしたユニゾンの澄んだ響きは、境内に溶け込むよう。スッと心の琴線に触れるものがありました。 以下、ステンドグラス6月13日メールよりP1のガラス切り終わりました、後で細部調整をします。P3のテープ巻き終わりました。両方写真添付します。最後のパネルP4のガラス切りにかかります。アシスタントはP2のテープ巻きにかかります。下の息子が東京で5年目ですか(アメリカから日本に出向しています。)休暇で10日程帰って来ますので、私もガラスの仕事は休暇を取ります。
2012.06.25
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一昨日、雨の降る中、マル住職と共にメモリス山口さんへ出掛けました。おば様、「折角の晴れ舞台、綺麗にして行かにゃ」大嫌いなお風呂も、今日はおとなしく。e風呂上がりは、お昼の出発まで外に出すことなく、玄関でくつろいでおりました。先日、愛媛のお寺でもらった「マル住職」の名前が刻み込まれた首輪を初使いです。雨が降るということもあって、会場は、20名から30名ほど。話し上手な和尚さん二人も陣取って、法話研修会の様相?マルの通訳?主人公に成り代わってとはいえ、私もほぼ初めて人前での法話。A4のコピー用紙1枚に、話したい事をびっちりと書き込み、一時間の枠を持ち堪えられるかどうかです。中村伸一さんによる写真一週間前、何かとお世話になる80過ぎの話し上手なおじ様に、話しの組み立て方のコツを問うたところ即答、「古今東西、起承転結だよ。終わりよければ全てよし。」僧侶の先輩も即答、「マル住職は、心で語る!」時間が余ってしまったら、事前にリクエストのあった歌を唱って締めようかと覚悟していたのですが、独演会は、なんとか回避し75分が経過していました。お話を聞いてくださった僧侶2名の感想。その一 浄土真宗僧侶話しが詰まって困ってしまったところで、坐禅のように、じっと呼吸を整えようとするところが、実践的で良かった。その二 臨済宗僧侶一番最後のターミナルケアの話し、故人の一番肝心な言葉が抜け落ちている。外野席色々盛り沢山に突っ込みすぎ。 もっと一つ一つを丁寧に話すべき。震災も、ターミナルケアも、それだけで一時間は話せるはずで勿体ない。本当に、良い勉強をさせていただきました。帰るやぐったり。翌日は、私も頭痛でダウン。マルも、ずっと玄関から離れずに、私が寝転ぶ部屋の横で丸まっておりました。先日、愛媛であった落慶式のDVDが到着本物住職と鑑賞しました。先月行われた愛媛での落慶法要が延々とノーカットで。画面を見ながら、本物住職を背後からパチリ。画面には行事の最中に、本物住職の背後からカメラを構える私の姿がチラリ。画面の手前で本物住職が振り返り、本物の目玉で私をジロリ。「あんたなあ・・・」「はい、私です・・・」ステンドグラスの報告です。6月4日のメールP1のガラス切りとP3のテープ巻きの写真です。5/30にガラス屋に出かけて来ました。木のガラスを買い求めて来ました。6月6日メールP1の写真。6月8日メールP1とP3の進行状態です、テープ巻きは一つ一つが細かく時間が思ったよりかかっています。(手抜きはしたくないので)6月10日メールこれから菖蒲の葉のガラス選びをします。
2012.06.18
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今週土曜日、マル住職にとって、初めて法話の依頼あり。通訳をさせて頂くことになりました。チラシを見たおば様曰く「マルでお寺が儲けているような気がする・・・」応えて曰く「マルで坊主マル儲けなんて、誰にも言わせない」京都から間もなく帰ってくる本物住職が、山門に張り出したチラシを見たら「マルでなっとらん!」と叱られるかもしれません。(笑)そういった様子を傍目にマル住職は、ただただ黙してマルくおさマル。以下、ステンドグラスの制作状況です。5月18日 メールよりMM以下の単位でテープ幅を調整しもって作業を進めています。5月21日メール3枚目のパネルP1のガラス切りです。5月27日メールP1のガラス切り進んでいますが、ガラスが足りないので近日に買いにまた出かけます。テープ巻も進んでいます。手仕事なので進行はゆっくりに見えるでしょうが、一つずつ確実に前進しておりますので。
2012.06.13
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昨日は、山口県臨済宗連盟の托鉢。今回は、修行道場を出てすぐの者、一般家庭から出家したばかりの小僧さん、今まで参加出来なかった方など、初参加6名を含む19名プラス・ワン?マル住職も、初めての托鉢です。ところが、瑠璃光寺門前の茶店で、ソーセージと100円玉一枚を預かったところで已に足れり。寺から、たった200メートル歩いただけ。皆を見送るや、早速、嬉しそうに点心のソーセージを口に頬張って、寺に引き返しました。あとは、寝て皆の帰りを待つのみ?草鞋履きが慣れずに血の滲む小僧さんの足を見ていると、道場に入門したばかりの頃が思い出されます。托鉢の後は、恒例のカレー。辛口ということで、皆汗だくになって頬張っておりました。引き続いて会議。今後の震災被災地との関わり方、建長寺派ボランティア・スジャータ・プロジェクト、曹洞宗ボランティア・シャンティ山口の現況について、そして仙台の若手布教師を通じての被災地見学経験者複数による報告などを元に検討。被災地までの距離が遠い中で、継続的に関わらせて頂くことを念頭に、話しが進められました。一昨日は栃木から山口までやって来た建長寺派ボランティア・スジャータ・プロジェクトの先輩と、話し込むこと数時間。本山の震災後対応の鈍さに反発しての起ち上げ。結局は、本山もそれに乗っかる形となり、昨年末には本山組織全体の若返りに至ったとか。本山全体の姿勢、ボランティア活動に関し、問題点を踏まえての前向きな思いを吐露。組織の枠を越えて、気持ちある者同士が、バランス感覚を保ちながら、すいすいと奔放につながっていければと願っておりました。
2012.06.07
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今、巷で話題の?美坊主図鑑に対抗して美寺狗図鑑を作成。まだまだ参加犬を募集しています(笑)土曜日、猿舞座・村崎修二さんが5月に行った福島県内巡回公演の報告会へ。弊寺でも、昨年4月に猿回しを行っていただきました。いつもお世話になる元シャンティ曹洞宗ボランティア会・伊藤丈二さんからのお誘い。会場は、阿武川の源流、川上すぎのこ村です。雷鳴轟く中、集まった聴衆は伊藤さん夫婦と私のみの家族的な報告会。このたび福島を訪れた村崎さんの頭の中には、森鴎外の「山椒大夫」がありました。「安寿と厨子王が母と暮らした信夫郡は、現在の福島市付近。 安寿と厨子王が見て春を感じた菫咲く福島の光景と、旅芸人として移動する様は、物語とも重なり合う。 猿回しは慰問ではなく、流れ流れての相互扶助。 芸能は、踊り歌ってハートを作る仕事。 観る人と演じる人との、心の垣根がとれたところから芸術が生まれる。 ヘーゲルが言うところの『最高の自由は、最高の共同である』にも通じるんよ。 時と共に移ろいゆく花の記憶を辿りつつ、花に願いをたくした芸能ユニットを結成したい。」民俗学者、宮本常一さんから、「あんたは、祭り師だ」と言われただけの方でした。ステンドグラスの報告です。P3のガラスの75、76、77番に注目してください、この3枚をP3から外してテープを巻きます。 P3からガラスが取りのかれた状態です。 取り出したガラスです。 テープをテープ入れから出した状態です。(上のブラウン色の紙をめくるとのりの付いたテープが現れます。) てーぷの状態です。 テープをガラスに巻き付けている過程です。 ガラスをテープの上を一周してガラス全体にテープを巻き付けます。 巻き終わった状態です。 ヘラでテープをしっかりとガラスに押して巻き付けます。(大切な作業です。) 巻き終わったガラスです。 カッターでもしテープの折り返し幅が不均等の時は切り取って同じ幅にしあげます。この作業を660回して全部ガラスにテープを巻き付けます。巻き終わったガラスはハンダ用の下絵の上に置いて行きます。ただ置くのではなく、ガラスとガラスの間隙が等間隔になるように置いて間隙を調整します。ガラスとガラスの間隙は大変重要な意味があります、この間隙にハンダが溶けて流れ込んでガラスとガラスが接着します。この部分がステンドグラスの黒い線になります。黒い線はデザインの一部になります、線の太さが同じである事が望ましいので,そのようになるように調整します。
2012.06.04
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別欄でも、先日落慶があった八角堂のことを紹介したところ、妙心僧堂で修行された静岡の和尚さんが記事に。以下、転載させていただきます。愛媛県善應寺八角堂完成までのブログ。棟梁は鵤工舎で修業された川本氏。善應寺和尚様が建築全工程を解説付きで載せてくださっているが、部材の見事さ、削りの見事さ、組み上げの見事さ、写真を拝見するだけでも震えがくる。川本棟梁は鵤工舎(いかるがこうしゃ)出身の大工さん。鵤工舎は「最後の宮大工」と呼ばれた法隆寺宮大工の西岡常一氏のお弟子さんである小川三夫氏が設立した宮大工集団の工舎である。5年ほど前、西岡常一氏・小川三夫氏・鵤工舎に所属する若者にインタビューした本『木のいのち 木のこころ』を読み、どうして禅僧は修行道場に行かなければならないのか、毎日師匠に叱られなければならないのか、寺とは何か・僧侶とは何か、その他諸々すっかりわかってしまったと思えるほど感動した。ただ、私はバカなのですぐ言葉を忘れてしまう。...だから忘れる度に読み返す。今回八角堂を見てまた読み返した。今後、忘れない為にも折に触れて西岡氏・小川氏のお言葉を少しずつ引用させていただく事にする。(しかしこの少しずつというのが難しい。何故なら本物の仕事をする人は無駄がないからだ。言葉にも無駄がないのでどこも削れないし、区切るのも困難なのだ)【送料無料】木のいのち木のこころ西岡常一氏の言葉「ものを扱うのも技術も、心構えなしには育たんもんですわ。まずは自然の命というものに対して、もっと感謝して暮らさななりませんな。(中略)今の人は自分で生きていると思うていますが、自分が生きているんやなしに天地の間に命をもらっている木や草やほかの動物と同じように生かされているということ、それを深く理解せなあきません。(中略)本を読んだり、知識を詰め込みすぎるから肝心の自然や自分の命がわからなくなるんですな。知識はあまり植えつけんほうがいいと思いますな。仏の教えのなかには、あらゆる世の中の現象は人間の心のなかに納められている、人間の心もまた自然のなかにある、というてますな。そして私が今まで説教してきたけれど、それをまねたらあかん。自分自身が生きていくんやから自分自身で悟らないかんということでしょうな。そういうふうに自然を悟れということでしょうな」建物を通して禅宗についても語られている。「もし自由に好きなデザインで建物を建てよといわれましたら、どうしますかな。飛鳥とか白鳳とか天平もいいですけど、自分自身でやるんなら鎌倉の様式でやりたいですな。(中略)鎌倉時代の建築には力強さがあり、木割にしても室町より太いですし、なにより無駄な装飾がないということですな、簡潔ですわ。禅宗の影響もありますかな。禅宗というのなかなかおもしろいですな。唯識やらいうそれまでの仏教は論理的に人間の心情を体験していこうとするのに対し、座禅を組んで自分は本来どういうもんかということを見極めようとするんですな。赤心、頭を垂れて考え抜くという事になりますかいな。ですから、簡潔さが表に出てきます。本音に迫ろうという気が建物に出てくるんですな。武士たちの生き方にもそれがあらわれてくるんやないですかな。時代の特性がちゃんとあって、美しさというのがきちんとしていますな」「(中略)この後、室町になりますと細かい仕事ができる道具が出てきたんです。そうすると建物にも本来の力強さが失われ、見せてやろうという彫刻が増えますし板材にしても正目やら節のないものなどという不自然なものを使いたくなりますな。そういう不自然なものが出てきますと、「わしもできる」という人が出てきますし、それを見てよろこぶ人が出てきて、そうした腕を競い、誇るようになってしまうんですな。口伝にいう、「木は生育のままに使え」とか、「木の癖」というようなことを無視するようになるのも技術が先に立つからですな。 江戸になりましたら、もっとひどいでっせ。日光東照宮といいましたら、みなさん、修学旅行やらで見に行き、すばらしい、すばらしいといいますが、建物として考えましたら、あまりいいもんやないですな。華美で、派手で、これでもか、これでもかというほど飾り立てている。厚化粧した舞子さんがぽっくりを履いているようなもんですな。建物の本来もつ力強さを全く無視してしもうたんですな。あれやったら建物というより彫刻でっせ。 そうしたことがないのが鎌倉時代の建物です。線が素直で独特の美観があって美しいですわ。それは自然を生かしつつ自分らの意思を表現しているからですな。当時の人たちの生き方が出ていますな。生きること、死ぬことを考える潔さ、それまでの古い仏教に衝撃を与えた禅という考え、簡潔で力強く、斬新で控えめというんですかな。精神性がありますな」ご興味持たれた方は是非ご購入ご一読を。特に僧侶は必読ではないかと思う。
2012.05.28
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法隆寺の修理や薬師寺西塔を建てた西岡棟梁の薫陶を受けた川本棟梁が、愛媛の後輩の寺に、夢殿と同じ八角の御堂を建築。落慶式へ住職に同行させていただきました。4年ほど前、うちに御堂を建てて頂いた時は、棟梁の身心の調子が優れず、頓挫しそうになりましたが、今回は棟梁の夢でもあった八角堂。存分に力を発揮出来た様子で、こちらと目が合うや、どうだ見たか!と自信たっぷりの表情で、とても嬉しそうでした。後輩のブログは、八角堂建築に至るまでの様子をずっと追っています。弊寺と同じ錣葺の本堂河野家の菩提寺最後はお決まりの万歳三唱帰りの船に乗る頃には、見事な夕陽でした。寺に帰り、引き出物の中に、熨斗の掛からぬ箱が一つ。何だろうか?と箱を開けてみたところ、中にはマル住職の名前が刻まれた首輪!マル住職のボーイフレンドであった『でんちゃん』の写真も同封。驚くの何の、本当に嬉しいプレゼントでした。行きがけに、しまなみ海道を走り、耕三寺へ。西日光って、どのような歴史があったのかと気になっての立ち寄り。受付で、「お参りさせて下さい」と頼んだところ、「一人、千二百円です」との返事。「あの~、僧職ですが・・・。博物館は結構ですからお寺だけでも」と申し出るも、「こちらは全てが博物館として、ご覧下さい」に???でも、入ってみて納得。昭和の戦中・戦後に実業家が、母の為にと建てたお寺。法隆寺の五重塔を模したもの。平等院鳳凰堂を模したもの。日光の陽明門を模したもの。夢殿を模したものまであり。極めつけは、母のためにと建てられた書院。ドイツ製のステンドグラス住職は、ぽつりと「お母さん、本当に落ち着いただろうか」と、つぶやいておりました。
2012.05.27
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まず最初に。震災被災地の現状の写真等をアップしますので、申し訳ございませんが、トラウマを抱えていたり、見たくない方は、以下、ご遠慮下さい。一昨日、仙台の和尚さん二人に、震災による被害が甚大であった気仙沼から南三陸、石巻、東松島をご案内いただきました。先月末、犬の住職資格云々の件で南○寺本山へ頭を下げに行った際、震災後の対応が話題に上り、某部長より、「君は仙台の某師を知っているか?彼は君とよく似た意見を持っているので、一度話しをしてみてはどうか」と意見あり。ならば直ぐにと何だかんだ布教師をする仙台の僧侶とメールでやりとりを始めたところ、まだ一度も現地を訪れたことがないと話すや、「支援物資もいらない、ボランティアもいらない、ただただ何も持たずに来て下さい」と声を掛けて頂きまして、ほぼ即答で、早速に現地へ飛んでみることに致しました。震災発生時より、滅多に見ないテレビに釘付け。淡々と流れる津波の映像。一夜明けての惨状。その後、原発の問題が、すでに手遅れだったことを知るや、テレビから遠離り、ブログも書けず、気持ちが妙に落ち着かないところへ投げ出された感じのままに。様々な討議に参加はすれど、ボランティア活動に誘われても、寺を空けることは出来ず身動き出来ぬまま、多くの方からせっつかれたり、押しとどめられたりで、身近な場所で出来ることへと思いを傾けていました。南三陸町防災対策庁舎現地に脚を下ろしての感慨、一年以上経って、随分と瓦礫が片付けられていたとはいえ、正直なところ言葉が見当たらず。気仙沼・鹿折地区に残る漁船全てが洗い流された光景は他人事ではなく、実家の串本あたりの入りくんだ集落に、間違いなくやって来る近未来が重なります。避難に失敗したことが問題となった大川小学校での親子が手を合わせる姿には、背後の山の立ち枯れた植林の様子と重なり身震い。石巻から松島にかけての車窓、隣接施設の改築にあたって托鉢しながら行脚をした際の8年前に乗った仙石線の記憶とは、全く異にしておりました。野蒜駅明治時代になって、山から海辺の平地へと下りた野蒜駅近くの曹洞宗寺院は、跡形もなく。庫裏が流され、過去帳を紛失してしまった寺院では、流された墓から墓碑銘を集め、過去帳の再生。寺の再生は、今後の地域コミュニティの再生に重なります。禅塾に居たK君が、昨年ボランティア活動の為、被災地を訪れた後、電話で私に「被災地を訪れた先輩方が仰るような慈悲心なんて、心にも無い自分は駄目なのでしょうか? 海に向かって何も無い景色が、本当に綺麗だったんです。」と話したことを何度も思い起こしておりました。帰って直ぐ、おば様に写真を見せたところ、「まるで戦後の焼け野原と一緒やね。それでも、みんなここから復興して来たんよ。ところで、坊さんがそこまで出掛けていって、これからいったい何が出来るっていうのかい?」答えるほどに、厳しい問い。カンボジアへ行く前に宗興老師に教えて頂いた、「積極的に善を行うボランティアではなくって、仏教のスタンスは、善いことは消極的なぐらいで、悪いことを積極的にしないというぐらいがちょうど良い。何よりも先ず、相手になるべく迷惑をかけないようにする『不害』の一念じゃ」との言葉が、改めて心の中に甦りました。
2012.05.19
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しばらく、失礼しておりました。京都でのマル住職里帰り展も終了。お越し頂きました方々には、心よりお礼申し上げます。ノートには、最初にマルを預かった和歌山のお寺の子どもたちの名前や、南禅寺界隈のマルがお世話になった方々の名前。そして、あれっ?実家で飼っていたプレーリードッグと、猫の名前でコメントが書かれているなあと思ったら、串本の両親でした。京都からの帰り掛け、夕方ではありましたが、恩師の眠る大珠院へ拜塔。一年に一度は、手を合わせないと落ち着きません。先日は、山口へ来る以前より親交のあった萩焼の陶芸家さんより声が掛かりまして、陶芸のアトリエが併設された錦の好日山荘で、久々に歓談。とはいっても、陶芸家さんは、かつて相国寺で修行経験あり。山荘の主は、臨済宗寺院の総代さん。遅くまで、陶芸ではなく、お寺関係の話ばかりで盛り上がりました。土曜日には、鎌倉の建長寺より、歴史調査の5名が来寺。法泉寺に残ったシンパクの大樹に、鎌倉禅の名残ありと感慨深げでした。ステンドグラスの経過報告左は三上(アシスタント)、真ん中は山本順子(デザイナーで妻です)、右は山本恵一(ステンドグラス制作)。今週は一番目に制作したパネルの最終仕上げ(細部の色調整)をしています。(これは時間と神経を使います。)アシスタントが休暇から戻るとこのパネルのハンダをする用意に取りかかります。(5月3日メール)P3のガラスの最終選択が終わりました、全体写真と細部写真添付しました。来週アシスタントが帰って来ましたらP3のガラスを全部一枚ずつ銅テープで巻く作業に入ります。(5月5日メール)この写真は何だと思われますか?????????????????????????????。映画の制作の過程で撮影はされたが使用されない場面がありますね、それに似た様なものです。これらの切り取られがガラスは色、濃淡、テクシチャー、等が合わないので他のガラスに切り替えられて使用されなかった分です、70%はP3のぶんです、30%は今製作のP2のぶんです。5/5/12にP3の最終写真を送りましたが、それからまた3日間かけて細部のガラスの切り替えを行いました。良い作品に仕上げる為の作業です。今しか調整出来ないのでいくら時間をかけても掛けすぎといゆ事はありません。時間があれば前の写真とくらべて違いを探されるのも面白いかもしれません。P3もいよいよ次の作業に明日から取りかかります。(5月10日メール)P3のガラス切りが終わりました。(少し大変でした、正直な所、数が多くて、しかしP3が一番数が少ないのですがーーーーーーーーー?)アシスタントの三上真美さんが2週間の休暇から戻りました。P3のガラス切りが終わり、次の作業に入りますが、少し説明が要りますので書きます。写真は次のメールに説明付けて載せます。P3は660ピースの切り取られたガラスで構成されております。660ガラスをつなぎ合わせる必要があります。ステンドグラスではSolder(ハンダ)を使用します。ハンダはガラスにはつきません、それでハンダがつく材質の物をガラスに付ける必要があります。そこでガラスのふちに銅テープを巻き付けます。ハンダは銅のテープにはつきますので、660のガラスに一枚一枚に銅のテープを巻き付けていきます。巻き付けるテープの折り返し幅が大切になります。折り返し幅がハンダの線の太さに成りますので全部が同じ太さに巻く必要があります、これは非常に大切の事です。ステンドグラスには全部黒い線があります。これがデザインの一部に成りますので、大変大切な事なのです。(5月11日メール)テープ巻きしたガラスを置く下絵です、これに4角を直角を出す必要があります、20.5インチ X 32.5インチの真四角が要ります。直角を出したら木枠で枠を作り枠にそってガラスを並べて行きます。ガラス切り作業場からP3パネルをテープ巻き作業場に移しました。これが移しましたと簡単に書いていますが、大変な作業です。ガラスはねじったり、P3のパネルの両サイドを持ち上げるとガラスの重みで大きなガラスは割れるかヒビが入ります,(簡単にヒビ、割れはガラスに入ります、これはステンドグラスをやって行くには宿命みたいなもので、付いて回ります。長年の失敗から学びました、細心の注意払っても割れるときがあります。)P3がライトボックスの上に乗っていますので、これを左の方にずらして行きライトボックスの端に枠組みを組(同じ高さの)、板を置いてそれにP3をスライドして負担がかからないようにして移します。二人掛かりで赤子をあやすように運びます。テープ巻の七つ道具です。 Copper tape (銅のテープ)いろいろの太さがあります、ガラスの厚みに合わせて選びます。(上の檀の右側二つ、左側はガラスを置いて作業する台です。) 左下白いプラスチックの(二つ同じのが)道具はガラスに銅テープを巻き付けてから上から押さえて密着させる道具です。 ハサミとカッターです、折り返し幅をカッターで切り取って調整します。 黄色のハンドルの道具はもう買う事が出来ない貴重なホックの道具です。(P3のガラスはTaxi- waxで下絵とガラスは動かないように取り付けられています。これを外すのにガラスの端を持って持ち上げると大きいガラスはヒビが入ります、それでこのホックで下絵とガラスの間に入れてガラスを外します。 白い固まりがTaxi-waxでこのワックスはハンダの時に溶けますがハンダずけにはなんの影響も与えない優れたワックスです。
2012.05.15
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京都でのマル住職里帰り展、結構訪問者がいらっしゃいますよとの報告に、少し安心。こちらにも、マルを尋ね来る方が多く、急遽、残った写真を集めて僅かながらではありますが、「居残り展」を6日まで行うことにしました。そのマルは、またまた目の中に、東洋眼虫が発生しまして治療中。多くの訪問者に、ちょっと恥ずかしげでもあります。アメリカの山本様より、ステンドグラスのハーフ・サイズの水彩画をプリントしたものが、送られて参りました。ちょうど、先月の行事の最中で、訪れた和尚さんたちも、楽しみだと覗き込んでおりました。経過としては、こちらの都合で、ほぼ一ヶ月遅れになりますが、制作過程の報告。これから P1, P2, P3, P4と書きます、これはパネルの事で、P1はパネルの一番目の事です。お寺のデザインは4枚のパネルで構成されています。右側から左へ、P1,P2,P3,P4と成ります。少し問題がおきています、これは始める前からの懸案でもあったのですが、制作するパネルの大きさです。ランプ専門なので、全てが小さくこのようなサイズのパネルには設備が十分ではありません。出来る所からスタートしましたが、本来ならP3は空、山、水の所を(ガラスの面積が広いのとこの部分が他に与える影響が大きいので)先にガラスを切るべきなのですが、ライトボックスが小さい為全体を一度にライトボックスにのせる事が出来ません。空,山,水などは、P1、P2、P3、P4にあり全体の色を合わす必要があります、そんなわけで、空、山のガラス切りが進んでいません。デザイナー(山本順子私の妻です)、アシスタント(三上真奈美)、私で(山本恵一)で意見を出し合いまして(これが大変だったのですが、いつか気が向けば書きます)仕事場をこの大作を作れるように少し改造をして、4枚のパネルを一度に見る事の出来るライトボックス作る事に決定しました。ライトボックスのサイズは400cm X 65cmです。10数年ぶりに仕事場をかたずけ,ライトボックスも仕事が出来るようにセットアップ出来、またガラス切りが始められます。モダンジャズを聞きながら、ガラスの仕事をするのは最高です。日本は今が一番良い季節ですね、桜は日本を離れて以来頭から離れた事はありません。日本の花ですから。こちらは朝夕はまだ冷え込みますが、日中は小春日和です。裏庭には鳥が巣ずくりに励んでいます、山鳩の卵はかえり2匹のひなが元気に育っています。もう2組ぐらい巣が出来直ぐにひながかえるでしょう。
2012.05.05
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マル住職里帰り展4月28日~5月6日南禅寺山内の高徳庵(最勝院)・・・水路閣をくぐって車道を上がった所です昨日、京マルの写真を抱えて新幹線に乗り京都へ。南○寺までの道中、ずいぶんと宣伝させていただきました。(笑)先ずは、マルが何度も逃げ出しては、お世話になった永観堂前の喫茶店にてご挨拶。山口への移動の際には涙を浮かべていらっしゃいましたが、現在の幸せそうな様子に嬉しそう。会場となる高徳庵(最勝院)さんは、水路閣の奥にあり、随分と閑かな環境です。後輩に話しが着いているつもりではありましたが、本当に和尚さんが許可をしているのかと、少し不安を抱えたまま門を潜りました。少しは、うちの寺も、賑やかになるようなことがあってもよいとのお言葉に、ホッと安心。本堂脇の部屋で、能面を打ちながら、様子を見て下さるとのことでした。こういった能面の写真の下に、マルの絵や写真が飾られます。中央公論への掲載を教えて下さった和尚さんにもご挨拶伺わせていただいたりと、マルに限らず様々にご縁あったお寺だけでも10ヶ寺を回らせて頂き、最後に花園大学某課新入職員の歓迎会に混ぜていただいて、新幹線で寝過ごさずに山口へと帰りました。そういった中、マルが京都へ出てくる前の写真が出てきたよと、和歌山の和尚さんが、写真を送付して下さいまして、里帰り展に出させていただこうかと思っています。ステンドグラスの制作は、どんどん進行しておりますが、私のアップがかなり遅れてすみません。以下、山本さまよりのメール3/21/2012ガラス仕入れにでかけました。私の家はSan Diego,CAにあり、メキシコの国境までは車で(高速道路で)40分です。ガラス問屋はメキシコと反対方向のロサンジェルスの近くにあります、家から160キロあり、車で一時間40分かかります。道中の写真添付します。 家を出て10分ぐらいした所の高速道路です、(無料です、Free wayと云います)数年の拡張工事が終わったばかりです。両側に6車線ずつ12車線あり、中央に4車線ありこれは車に2人以上乗っている人の優先道路です。全部で16車線あります。これから北に向かってドライブして行きます。
2012.04.25
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しばらくの間、千部会の行事と、弟子のことに集中していました。先ずは、マル住職里帰り展のご案内。4月28日より5月6日まで、南禅寺山内の水路閣の奥にある高徳庵にて行います。尚、写真と絵画等のみで、マル住職は京都へ戻りませんのであしからず。2年ぶりにこちらに帰っていた弟子が、マルも見送る中、再出発しました。千部会も無事終了16日夕刊、17日朝刊の、マル住職の朝日新聞記事(マル住職で検索すれば、すぐ出ます)、予想外の大きな反響に記者の方も驚いていましたが、クレームもあって、尚更驚き。80前の檀家さんが描いて持ち込んだ色紙朝一番に、おば様が、私の顔を見るなりじっと睨み付け、「あんた新聞のこと黙ってたやろ! 突然、不幸事があったかと勘違いしそうなほど、親戚たちから電話があったまでは、まだ許せる。 こら~私の年齢まで晒したな! もうこれから、しっかり化粧をしないと外を歩けないっちゃ」これは、まだまだ想定内。もっともカンカンになっていたのは、京都・南○寺の本山。『なぜ犬なんかに住職の資格なんて与えるんだ!』と、一般の方から寄せられたクレームや、南○寺で行われる里帰り展の内容について教えて欲しいといったことの対応に追われたそうな。想定外なんて言い訳も通じず、直ぐさま教学部長さんの携帯に謝罪の電話をしました。更に困ったのは、法要の最中に、導師として本堂真ん中に坐る本物住職の背後から、新聞記事を読んでやって来たのであろう酔っぱらいのおじさんが、「お~い、マル住職はどこや~」と大声での呼び掛けに、あ~あ・・・これぞまさに、犬も歩けば棒に当たるといったところでしょうか。
2012.04.17
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一週間にわたった客殿公開も終了。しかし、マル住職展は好評で、手作りのポスターが持ち込まれるほどとなり、花祭りまで一週間の延長。マル住職もテレビ、新聞で取りあげられ、一躍大人気記事には、ステンドグラスを作って下さっている山本様のお名前も出ています。昨朝は、地元ラジオ番組にも登場しました。マル詣での方も多く、ラジオを聞いて、列車で一時間かけて会いにやって来たというお婆ちゃんまでいらっしゃいました。上写真は、近所の父娘が、マル住職に大学合格の報告そのような期間が済んだところで、マル住職の体を久しぶりに洗ったところ、見違えるように真っ白。ちょっと遅かったかな?以下、ステンドグラスの報告です。二枚目の型紙切り下半分が切り終わったところ光無しの写真
2012.04.03
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山口お宝展にて、昨日より4月1日まで客殿を公開中です。昨日、お客のトップはNHK?若い記者さんは、座禅会にもいらっしゃった方。とても頼もしく、お宝展そっちのけで、海外ボランティアや、地域コミュニティのあり方などを話。ローカルニュースでは、早速お昼から、走るマル住職が流れまして、お宝展もさることながら、「マルちゃん見たよ」といった声が聞こえてきました。午後にやって来た某新聞記者とも、お宝展そっちのけで、今後のお寺のあり方などの話しに。犬一匹で、取り巻く世界が変わる?近々、マル住職が、新聞記事になるやもしれません。ステンドグラス、毎日休まずの作業には、頭が下がります。きっと、お寺の宝というよりも、山口のお宝となることでしょう。残り2枚の型紙おこし終わりました。後は印刷屋にてマイラー紙に印刷してもらいます。2枚目の型紙切りにはいりました。ガラス切りは進行しております。休み無しに毎日ガラス切っております。蓮のセクションを終わらしてから、水のセクションにかかり、そのあと岩とアヤメの花、木の枝と葉、山と空の予定です。花と葉の拡大写真水のガラス切りは、並べ替えたり細部を調整しながら。ステンドグラスの鑑賞で一番大切なのは光(光線)です。光線がガラスにあたり始めてガラスの持つ神秘的な美しさを見てとって楽しみが倍増します。(光無しでもそれなり鑑賞は可能ですが?)昼は(窓にはめられたステンドグラスは)家の内からの鑑賞となり、夜はもし電気をつけられれば家の外からの鑑賞となります。(夜の鑑賞もなかなかおつなものです。)その為に制作にあたり、ライトボックスが重要になります。私のステンドグラス専門はTiffany Lampの制作です、このときはライトボックス中の光は電球を使用します。(完成したランプは電球で鑑賞するためです)ここで恥ずかしいことですが、何時もの習慣でお寺の制作を開始しましたがライトボックスの電球をランプ制作のと同じので今までやっていました。お寺の作品は太陽の光で鑑賞します。気がつき店にてDayLite Bulb(外の光の電球)買い求め入れ替えました。ガラスについて少し説明させていただきます。 ガラスはガラス製造会社が製造したのを買い求めて制作に使用します。(ガラスの中に色が混ざって入っています、品番により違った色のガラスが買えますがガラスの中にある色を変える事はできません。)ガラスには大別して2種類あります。 Machine-rolled Glass(一般の人が見られているステンドグラスは大半がこのガラスを使用した物だと思います)ステンドグラスの店に置かれているガラスは大半がこのガラスです。機械で大量に生産されますので値段がHand-rolled Glassにくらべて安価です。仕事がやりやすいです。) Hand -rolled Glass(このガラスはMachine-rolled Glassとはくらべようの無い神秘的な色合いを楽しむ事が出来ます。手作りのガラスです。高価で仕事も上のガラスとくらべて手間がかかります。)お寺の制作のガラスは110%Hand-rolled Glass です。(10%は今では生産されていない昔の手作りガラスの事です、昔は良いガラスがありました。) 絵は絵の具を使用して(絵の具を混ぜ合わせて好みの色を作り出せます)描きます。ステンドグラスはガラスが絵の具ですので、絵の具のように好みの色をガラスを(ガラスを混ぜて)混ぜて作る事は私の段階では出来ません。ですから今手元にあるガラスの色を最大限に引き出して制作していきます、買い付けのときは時間をかけて良い物を同じ品番でも選んで、選んで、買い付けます。(時間もかかりますが、心身共に疲れます。)英語でPainting with Glassと云います。
2012.03.27
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透明のマイラーをプラスチックの板に貼付けてライトボックス上に置き、これから切り取るガラスをこの上に載せて色を確認します。この紙の上に色取りする切り取った型紙をおきます。下の写真は切り取った型紙を場所ごとに種分けしてあります。型紙をガラスの上に置き(取りたい色の所に)マーカーで型紙の外側を書きます.書かれたラインは型紙より少し大きいです。ガラスを切るときは線の真ん中をガラス切りで切ります、そしてグラインダーにかけて削ると元の型紙の大きさになります。ガラスの切り取りはガラス切りで(写真の黄緑色のcutterと書いてあるのです。)ガラスは切るといゆより、がらすの表面をカッターできずをつけます、それから割取ります。ガラスのまっすぐに割れようとする性格を使います。下の2枚の写真は切ったガラスを研磨するダイヤモンドのグラインダーです、切り取ったガラスの面はカミソリみたいに切れますので(手を切らないため)研磨して切れないようにして、もひとつの大きな研磨の理由は型紙と同じ形に仕上げるためです。ガラス切りの行程です。ガラスを切り、割とリ,研磨して、出来たのを,ライトボックスの上に置き一応おわります。(後で全体をみてガラスの切り直しもあります、多くあります。)切り取ったガラスをライトボックスの上に置いた写真です。全部切り終わると見やすいですが今は電球が見えるので見ず来ですが。毎日平均10時間仕事しています。一つ一つ手作業で時間がかかります。
2012.03.19
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型紙おこしを少し中断して出来た型紙を切り取りガラス切りに入る為に、ガラスを切る間にまたアシスタントが型紙に戻ります。今までの経過はデザインをして、下絵に水彩を塗り、その下絵に、型紙おこし黒い線入れ,そのあとに番号を入れ(一枚目は約680,2枚目は900でした)この数字の意味は680はガラスを680個切るといゆ事です。型紙の黒い線の意味を説明します.ステンドグラスは個々のガラスをハンダ付けして仕上げます。ステンドグラスは全部黒い線があります、これはハンダの線で、この部分には光は通りませんので黒く見えこれがデザインの一部となります。その為にガラスとガラスの間に間隙が必要と成ります。(この間隙にハンダが溶けて流れ込みます。)型紙を切る時にこの黒い線は切り取ります事によりガラスとガラスの間隙が出来ます。3枚目の写真の髪の毛見たいなのが切り取られた黒い線です。切り取った型紙は細かく場所ごとに、選別して袋に保管します。でないと全部切り取ってから仮に680枚から5番目の型紙を探すのは気の遠くなる作業になります。型紙切りと平行して切ったガラスのカラーチェクが大変重要な作業と成ります、その為に透明の印刷した型紙を透明の厚手のプラスチックの上に貼付けて、ライトボックスの上に置き型紙の上に切ったガラスを置き色を点検します。切った型紙をガラスの上に置き色取りをします、欲しい場所見つかると型紙の外側をマーカーで形取りガラスカッターで切り取ります。この作業場は暗室です。
2012.03.11
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相国僧堂を会場としての一泊攝心(修行)へ。3年半前、道場を越えての修行仲間として、盛んに意見を交わしてきた相国僧堂の老師が就任したことを機に、かつて叢林同盟(各僧堂の意見交換会)や報恩攝心(記念行事で行われる、道場を越えて大人数が集まっての修行)で顔を合わせた方々を中心に声を掛け、旧交を温める会を毎年開いてきたのですが、今年は相国僧堂に於いて、ささやかながら雲水さんと一緒に震災の一周忌法要と義捐金托鉢を行いつつ、住職や居士との攝心を開かせて頂きたいとお願いしたところ、一週間前の常栄寺と同様に喜んで引き受けて下さり、今回の実現に至りました。僧侶と居士(在家修行者)が半分半分で、合計15名ほどの参加。特に今回参加した僧侶は、ほとんどが在家からの出家者です。相国僧堂のルールに則って。夜坐も、月が綺麗に見えて心地良い時間となりました。京の街中を托鉢するのは久しぶり。うちの住職には内緒で行っているだけに、南禅寺の雲水さんの托鉢とバッタリ出会ったら驚くだろうなあ、なんて思ったりしましたが、馴染みの老舗の格子窓から、湯葉を掬う大将の姿を覗き見て窓越しに声を掛けるも、網代笠の下が私だと気付くことなく、こちらも名乗りをせぬまま一雲水として話をしている不思議さ。大将と問候の挨拶をつづけていた下関の先輩が、一週間前に亡くなった事を伝えようかと思いましたが、今回は控える事にいたしました。山口への帰り道、僧堂に二泊したフミ君が、あの~と一言。「明日からもまた、一緒に坐禅をお願いします」「もちろん!」昨日は、骨折した施設長に代わって中学校の卒業式へ。なんだかんだと迷惑をかけたりもした3人が卒業。校長先生が、こちらを見るや、様々な感慨を述べられました。
2012.03.11
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ではでは二人で京都へ行って参ります! 師匠を尋ねたら、雲水でもない二人に、チンドン屋が来たかと言われそうですが。
2012.03.06
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先日、おば様に、沢庵禅師ゆかりのお寺から、地域の子どもらと一緒に大根の種蒔きから始めて漬け込んだ沢庵漬けが届いたよと言って、喜んで見せたところ、「ところで、タクアンばかり食べていたから、沢庵さんって呼ばれるのかい?」との質問。いやいや沢庵さんの方が先で、沢庵さんが教えたから沢庵漬けの名が広まったと教えるも、またまた、あんたの言うことは本当かいなといった表情でした・・・(汗)明日より行われる相国寺に於ける一泊修行で使って下さいとの、有難い差し入れです。常栄寺での6日間を終えて帰ってきたフミ君。明日に備えて、一休み一休み・・・
2012.03.05
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常栄僧堂での一泊攝心には、17名が参加しました。坐禅経験のある一般参加者や、学生も道場の許可を得て一緒に。写真は、亀鑑(きかん)といって、禅堂生活の心構えを説いたもの。次週、常栄僧堂の老師が、修行者皆が揃ったところで読み上げます。眠気に振り回されぬよう、自身の太股に錐を突き立てて、修行に邁進した慈明禅師の逸話が引き合いに出される事をフミ君に教えたところ、すかさず「そこまでやって、何が楽しいのでしょうか?」と質問が・・・こちらは、常住規則に引き続いて読まれる罰則の警策例普段は皆、一般の方と大して変わらないのですが、初心に立ち返って、坐禅、托鉢を行うことで、覚えている細胞が働き出すのか、短期間ながら皆活き活きと。やはり、何もかもを放りだし大勢で坐る緊張感に、頭の中がどんどん澄んでいくような。「やり切りました!」「本当に楽しくてしょうがない」「また来年も参加したい」と言う参加者の表情に、こちらも嬉しくなりました。朝のお粥さんの添え物として作ったコンニャク炒め。通称・ピリコン掃除托鉢給仕係がついて、うどん供養。椀子そば形式で、次から次へとうどんが運ばれます。普段は食事で音をたてることはないのですが、うどんに限り、ご馳走ということで、ずるずると豪快に大きな音をたててすすります。何だかんだ言っても、僧堂の老師が、一番喜んでいたように思います。今後も継続的に行うこととなりました。
2012.03.04
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型紙に線を入れる作業が終わると、次に型紙に番号を入れますが、約680個あります。次は型紙作りの作業です。型紙をおこし番号を入れた下絵の上に透明のマイラー紙(プラスチック紙)を載せて、マジックペンでかいていきます。(線と番号を)かき上がった写真です。透明のマイラー紙にかいた分を印刷屋で今度は不透明のマイラー紙に印刷してもらいます。この分を後ほど切り取って(680枚分)ガラスの上に置いて色取りに使用します。ここまでの作業を後3枚のパネルにもやります。2枚目も一枚目と同じ行程をやります。2枚目のパネルの型紙おこしの線書き終わり。アシスタントが番号入れにはいります。3枚目のパネルの型紙おこし開始。3枚目の線書き終わり。次は2枚目の番号入れと透明のマイラーに線書きが終わると、3枚目の番号入れ始めます。P-2の型紙おこし終わり。約860ピースあります。後で印刷屋で型紙用のを印刷してもらいます。P-4の型紙おこし開始
2012.03.04
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長年道場で共にした先輩の、酸化せぬようきちんと密封したままの、最期に生豆から淹れたというコーヒーが差し出され、ゆっくりと喉を潤しました。お母さん曰く、昼夜の介護に疲れ、突然にポッキリと折れるようにして逝ってしまった。出棺の折、いつも可愛がってもらっていたという三歳の甥っ子が、「おじさん、あんなに沢山のお花を抱えて何処へ行くの?」と質問。冷たい雨の降る中、長い120段の階段を靄のかかった関門海峡へと流れるように下って行きました。
2012.03.01
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先日、工事中の裏山が崩落。あわやお墓まで落ちてくるところでした。住職も夜中に飛び起きて、びっくり。しかし、残ってしまいそうだった危険箇所の工事も進むことになり、不幸中の幸いと、胸をなで下ろしていました。本日より、禅塾を卒塾したフミ君が来訪。途端に訪問者も増え、焚き火を囲んで、ずっと話に花が咲きました。ステンドグラスの仕事場山本様以下、200%コピーに際しての苦労話です。下絵の原画を実寸にする(200%)コピーの作業がこんなに大変とは知りませんでした。昼にコピー屋に持つて行きましたが、一軒目は何とも便りなさそうな返事なので専門のところにいきました。ここは出来る感じだったのでおいてきました。次の日の9時(朝)に出来るとの事、早く出来ると電話してくれるとのこと、店は夜の11時までやっているとのことでした。夜の8時に店に電話いれましたが返事は、まだ出来てないとのこと、それに仕上げ時間は明日の9時でしょうとの返事。翌朝8時45分に店に行くと原画がマシンの上においてあるのが見えましたが200%のコピーは見当たりません。聞くと9時が約束の時間でしょうときりかえす。OKといって9時まで待つ。(約10分程である)9時5分に係が後40分かかるとのこと、9時の約束はと聞くが無視状態。ここで深野さんに説明しますが,アメリカでは日本的なサービスは望めません。昨日に店は十分な時間があったはずですが、誰もやらなかったのは、この仕事が大変なのでやらなかつたのです。明日の朝の人がやれば(やらなければいけない9時に客が来るから)いいとほってあったのです。一時間後にやっと一枚出来てきました、色も良いし係は次のにかかりだしました、出来たのを原画と比べると絵が下1/4が有りませんしサイズが違っています、がっかりですが説明するとNo Problem(ノープラブラム。)アメリカの典型的な言い訳。45分後に次のが出来るが今回は横が1/4ありません。そうこうしていると店のマネージャーが店にきましたので、つかまえて事情を説明(怒らずにとにかくこちらは200%を作らないとステンドグラスの制作にかかれないので)、マネージャーがやると云ってくれる。一枚仕上げるのに、原画をスキャンしてそれをコンピーターに入れてサイズを立て、横、を調整します。これが時間がめちゃくちゃかかります、こちらもいま帰るとやってくれないので、出来るまで待つと宣言。延々6時間かけてやっと4枚できました。始めに見積もりはもらっていましたがこれが途方も無く高額で(コピーにしては)びっくりしたのですが、2軒とも同じ値段だったので納得しましたが。アシスタントの三上さん型紙おこしに入ります
2012.02.20
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帰省等で、暫く滞っておりました。少し遅くなりましたが、お寺での節分の写真。本堂内を掃除するのは面倒だから、鬼も福もみんな放り出してしまえとは、おば様の言葉。マルが鬼役で、ワンワン言いながら、撒かれた豆を追い掛けておりました。続けて、隣の施設でも。(順正様、今年も有難うございます!)先輩のお見合い写真が、また一枚増えました。帰省の前、相●僧堂へ、来月行事の打ち合わせに。最近、新しく庭を造ったんですよと、嬉しそうな老師。パッと見て、アッこれは、東京の廣徳寺関連寺院の庭がモデルじゃないでしょうか?と問うたところ、老師はエッと驚き。人吉くんの関係で、泊めて頂いたことを伝えると、納得していました。大きな大きな禅堂での坐禅は、とても楽しみ。様々な雲水さんの爪痕が、しっかりと刻み込まれています。串本は、あちらこちらに津波を警戒しての標識が、立っておりました。馬坂から見た町の様子ステンドグラスの下絵が完成です。色ガラス
2012.02.13
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先日、弊寺が代務する広島・島根県境寺院の僧侶が遷化。葬儀を取り仕切ることになりました。まだまだ9割方が宅葬で、地域の相互扶助が息づいている地域です。連日、路面の凍り付いた山道を一時間半のドライブ。気を抜けば、こちらも即身成仏。敢えて心波立たせ、イライラさせれば仏様にはならないと、長い道中は菩薩道?日帰りでとんぼ返りとなった住職を導師に、無事お見送りを終えることが出来ました。葬儀の翌日は、岩国で托鉢。15名が集まりまして、地域の関心も高く、廃寺同然であった永興寺復興への景気付けともなったようです。特に修行を終えて帰ってきたばかりの地元僧侶が、裏方となり、今回の行事が難無く終えたことに、自信を得たような表情でした。托鉢後の会議の折、理事会を開かずに、シャンティ山口(曹洞宗ボランティア)への協力や、常栄寺での一泊二日修行など、勝手に決まって案内が届くのでけしからんといった声も聞くとの意見あり。そこで、何だかんだと、意見が続出。しかし「2年前には、連盟の廃止を検討して集まったほどであったが、震災が縁とはいえ、まさかこんなにも活溌になるとは思わなかった。流れを元に戻すことなく、今のまま前を向くべきだ」と、長老方が後押し下さいました。早速、托鉢後、誤解を無くすべく、反対意見を持った理事和尚さん方のところまで訪問。事務局の不手際を詫びつつ、今後の方針と、行事に並行して理事会を開く旨を説明。そういえば半年前、今回反対意見の出た明治維新発祥の地に於ける托鉢の際に、地元の長老が托鉢とは別途で地元の寺院に一律の義捐金を徴収。思わず「行動することに意義があって、金額には全くこだわりませんので、無理はしないで下さい!」と言ったところ、「あんたみたいな綺麗な心は、儂らには通用せんのじゃ!儂ら●地区寺院にも見栄があって、そうはいかん。よく心しておけ!」と、まるで時代劇の悪代官のような一言を思い出しました。隣接施設の問題も同様ですが、あらためて、お金を動かすことではなく、心を動かすことに重きを置くべきだと確信しています。昨日、今日は雪。今夜も、閑かに降り積もっています。ステンドグラスの下絵ガラス選び
2012.02.02
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新しいパソコン先日、たまたま目にした日経新聞に紹介されていたウルトラブック、アスースのZENBOOK(ZENは、禅をイメージ)に、これだ!と思ったのですが、まだまだ自分にとっては高額ということで、エイサーのウルトラブックを。セキュリティー・システムの改変に失敗したり、windows7に慣れず、扱い方も自分にとってはウルトラで四苦八苦。写真の画面中央に光るのは、心霊写真ではなく私の頭です(汗) 昨日は、時折雪が降りしきる中、先日ご紹介しました原爆死没兵士の供養を行いました。 以下、中国新聞記事 読売新聞記事 本来の住民の不安である霊障の云々は、山口新聞に少し記載があったのですが、やはりそういったことは、記述に問題ありなのでしょうね。 雪布団 雪が降ってもバス停で、おば様を待っています ステンドグラス下絵の進行状況です 色ガラス選び
2012.01.26
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パソコンのEのキーがはずれたまま、3年間爪先で押しながら使っていましたが、一昨日より、Eのキーのみならず、I(アイ)も、Uも、Oも、母音はAを除いて反応せず、四大不調? 書類作成は、ステンドグラスを制作するかのように、こつこつと文字を切り取っては貼り付けていく作業。 思い切って買い替えることにしました。おば様にパソコンが壊れたことを伝えるや、「おもちゃが壊れて、ざまあみい!」と、手を叩いて大喜び。そして私の尻を叩いて、「さあさあ今度は私と一緒に遊んでもらうよ」と、風呂の薪を引くノコギリが手渡されました。
2012.01.18
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山口市宮野にある原爆慰霊碑で読経して欲しいと依頼あり。今まで毎年、宗教儀礼を一切含まない方針で、平和を誓う式典を行ってきたが、かつては大勢の遺体に腐敗臭が酷かったり、リンが燃えたり(宗教を否定するので俗に言う人魂とは呼ばない)した場所。どうも近辺での交通事故が異常に多いので、近隣住民から、鎮魂儀礼が行われていないからではないかとの声がたかまっている。そこで、市仏教団の代表である浄土真宗僧侶に相談したが、霊障などうちの宗派では信じないので、引き受けが出来ませんと言われ、困ったところで、あなたに相談したとのこと。成仏出来ていない霊が居ようが居まいが、生きている皆が安心するのであればと言って、引き受けることに致しました。ステンドグラス、仕事場の写真が送られてきました。ステンドグラスの下絵をつなげてみたところ山本様が仰るに、「ガラスは今いろいろの所に出向いて探しています、ガラスが命です(出来上がりの80%をガラスの良し悪が決めます)。」そして、下絵が進んでいます。
2012.01.16
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ステンドグラス制作の経過を随時挟ませていただきます。前回アップした下絵写真は、パソコン画面を写したものから差し替えさせていただきました。そして、さらに色付けが進んでいます。使用される予定の色ガラスです。
2012.01.13
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山口県内の臨済宗寺院は、南禅寺派、東福寺派、建仁寺派、天龍寺派が、各15ヶ寺ほど。今月末に行う托鉢の件で、初めて引き受けとなる天龍寺派が相談に参りました。11月に行った光市と同様、托鉢がほとんど行われない地域。警察に届けなくても大丈夫か?地域への説明は要らないのか?などなど。年に一度、半年に一度でも繰り返せば、きっと根付きますから、押し付けるでなく、当たり前のことを当たり前のようにして、焦らずぼちぼちやりましょうよといったところで返答。現在はどこにも所属しない単立寺院ながら元天龍寺派の岩国・永興寺が会所に。錦帯橋のすぐ近くで、吉川氏の墓所がある曹洞宗寺院のすぐ隣。大内氏の頃は、岩国の中心寺院で、岩国地域の天龍寺派寺院は、皆、もともと永興寺の末寺。山口市内にも大内家の菩提寺となる同名の寺院があり、日明貿易の際は、他派と同様に、天龍寺船派遣の要所として外交僧が常駐していたはずです。しかし大内氏の滅亡後は、どちらも廃寺や解体、転派と凋落の一途。現在本堂を再建中で、完成のあかつきには、天龍寺派管長が住職になるという条件で、天龍寺派に帰属することが決まっており、僧俗問わず、岩国地域に於ける心の拠り所としての復興に、皆の期待がかかっています。庫裏玄関のステンドグラス、アメリカの山本様より、水彩による下絵塗りと、ガラスの色選びに入ったとの報告がありました。以下、下絵です。
2012.01.11
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歯の詰め物がとれてしまったので、おば様に勧められ、新しく近所に出来た歯医者さんへ。今までは、たとえ不都合があろうとも淡々と削らない方向で治療をする歯医者さんを選んでいたのですが、今回は、久々麻酔をかけて、しっかり削られる治療に緊張。しかし、隣に座った患者が誰だかわからない仕切り板、麻酔のかけ方も含めた痛まない工夫、手鏡を渡されての説明、詰め物をした際の噛み合わせのテクニックなど、みどころ沢山?歯医者さんは、若くて最新の技術を持った方を選ぶべきだとは、聞いたことありましたが、なるほどなるほど。ただ、今までの所も、人柄に惹かれて行くようなところがあります。日々淡々と薫習するが如く修行者に向き合う老練な師家と、即今只今スッパスッパと切り裂くように修行者を追い立てる若い師家との違いみたいなものかななんてくだらないことを思いつつ、大きく口を開いて相見しておりました。
2012.01.10
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4日以降、住職が京都より戻って参りまして、ふわっついた正月気分も終わりに。京都からはフミ君が、星座早見表を抱えてやって来まして、月夜の下で、一緒に目を凝らして冬の星座を眺めたりしておりました。その間、ただ慌ただしくしているだけでなく、近所の修行道場で、お寺を持った住職さんたちも、一番寒い2月に、原点回帰で一緒に一泊二日だけでも雲水修行をしようといった計画を始動。交渉にあたりはじめたところ、案外多くの若手僧侶が思うところでもあったようで、3月初旬に、山口地域限定ではなく、禅堂が大きな京都の某道場を場にして行うことも決定。毎年続くものになればと、ワクワクしています。一昨日、昨日と、下関のお寺まで大般若のお手伝い。初めて訪れた日頼寺は、長府の高台にあり、元就の戒名である日頼洞春から取っているということで、親近感がありました。そして、帰り道に?北九州市立いのちのたび博物館(スペースワールドの隣)で行われている「大内文化と北九州」展へ。先輩も一緒だったのですが、ちょうど兼務寺院の檀家さん夫婦にばったり出会いまして、一緒に学芸員さんから丁寧な説明を受けました。大内氏にとって、貿易港を抱えた九州北部を押さえることは必須。その為、何度も何度も九州北部地域で戦を繰り広げています。室町時代、門司は、本州から九州への玄関口であっただけでなく、日明貿易における大陸の玄関口の一つであったとは、存じませんでした。また、そのような位置であることから、歴史を検証すべく多くの資料は、兵士の通り道ということで、時代の節目ごとに戦火に遭い、他地域に残された資料から北九州地域の歴史を推測する作業が多いようです。室町時代、関門海峡の渡し船の運賃は、「いぬ一ひき十文」。山口の物産展も併設、案外賑わっているなあと思ったら、子どもらが恐竜グッズに湧いていました。
2012.01.09
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あけましておめでとございます。旧年中は、大変皆様のお世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。今年の元旦は、夜遅くまで賑わった大晦日とうって変わり、来訪者もほとんどなく、一人でのんびりと。夕方の閉門前になって、来客あり。10月の行事などでお世話になった料理屋のシェフが、おせちを持参して下さいました。山口市内では予約でいっぱいの人気おせち。差し挟まれた書状には、私の後輩たちと一緒に被災地へ行った経験からの思いも綴られていました。夕食は、隣の子どもらと一緒に。おせちの包みを解いたところ、大喜び。焼肉とはアンバランス?と思いましたが、皆、目の色を変えて、どちらにも箸をつつきます。大晦日と違って、帰省から帰った幼児が2人増え、自宅などで楽しく食事をした話を嬉しそうに。壺中日月無しとは言いますが、お正月に子どもらと接していると、やっぱり家族は良いなあ!と、今更ながら、しみじみと思うようになりました。一緒に食事をして、昨年と違って驚かされたことは、小さな子どもまで自発的に後片付けを行っていること。「わたしも、この習慣が根付いたことが嬉しいんですよ」とは、指導員。何だか清々しく、幸先良い一年のスタートです。
2012.01.02
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マル住職、今日もおば様を迎えようと、バス停を目指して。しかし3日まで、おば様は休み。ずっと中門前で、待ち続けています。大晦日は、いつもなら午後には来客が絶え、焚き火にあたりながらのんびりしているのですが、今年は気候が良いからか、歳末の挨拶や、観光客の来訪が多く。お蔭で、マル住職展も大盛況。そんな中、福岡から某大学のスペイン人講師が、半年ぶりに来訪しました。強いカソリック信仰のある方で、またもやいきなり自身の見性体験を評価していただきたいといった内容。率直に突っ込んでくるだけに、こちらも率直な反応で。更に輪廻の問題を投げ掛け、犬の魂は人間に劣るといった彼の物言いに、「いやいや生きとし生けるものそれぞれの命は等しく、犬も人間も、それぞれの命を輝かしているかぎり、全く命の価値に違いはない。極端な例えではあるが、身体的なハンディキャップを持った方と持っていない方では、それぞれの命を生ききっている以上、比較を挟む余地はない。同様に犬も犬の命を生ききっている以上、人と全く大差ない。」と返答。それでも犬は人間と同じような言葉を使えないじゃないかと切り返し。「いやいや、マル住職展をご覧のように、犬と気持ちは通じますし、犬の言葉もわかりますよ。」そんなわけがない!コミュニケーションと言葉は違う。犬は神の言葉を話せない。スペイン語に通訳する日本人の奥さまが、見かねて横から、「あなた、今まで一度も犬を飼ったことないから、犬のことなんて全くわからないでしょう!」とズドン。これには無敵艦隊も撃沈となりました。今夜は、ちょっと早いですが、帰省出来なかった隣の小学生たちが、先に除夜の鐘。景気よく、撞き放題の乱れ打ち! 子どもらの煩悩は如何に?「友だちと仲良く出来ますように」「お母さんの病気が良くなりますように」といった願いを込めておりました。そして、一緒に年越し蕎麦をつつき、今年一年を締めくくります。
2011.12.31
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あっという間に、年の瀬。今年の餅搗きは、子どもらの帰省前ということで、ずいぶん賑やかに行われました。こちらは、クリスマス会の忘れ物以下、本の紹介です。【送料無料】佐野眞一著、宮本常一が見た日本最初は立ち読みでパラパラと。言うまでもなく、宮本常一は、周防大島出身の民俗学者。政党に代表されるイデオロギーを嫌い、ひたすら歩くことによってイデオロギーの虚妄性を摩滅させていったという面に共感。父親から教え込まれたという10箇条はどれも当を得たもので、10番目、「人の見残したものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。」... などの金言。そして、今春、弊寺の境内で行われた周防猿回しの会代表である村崎修二氏とのやりとりに触れた部分があり、読み込むほどに面白く。「部落史と芸能史と女性史は、日本民族学であえて目をつぶって避けた三大テーマじゃ。これはそれをやってこなかったわし自身の自戒をこめていうんだが、この三つをやらなければ日本民族学は学問として本当は完成しない。部落問題でも離島や山村などの社会問題でも一番大切なことは、地域に人間をつくることだ。運動というものは、その主張に価値があるのだから、目標を具体的でしっかりしたものに限定してねばりづよく持続して追求することだ。地域のリーダーが育たないところでは、自分の利権だけあさる者も出てくるだろう。しかし、良きリーダーを地域が育てあげているところでは、そんな困難が生じても、自分たちの頭と体で立派に問題をつかんで解決していくだろう。ところが、離島でも山村でも人間を育てなかったところでは、もう僕がいってもとりかえしのつかないところまで事態が進行している。それに比べて、君らがいま取り組もうとしている猿回しの復活は、きちんとした文化運動にさえなれば前途は明るい。単に調査するにとどまらず、君らの手で実際に周防猿回しの芸を復活してみたらどうか。いますぐ評価されなくてもいいではないか。五十年、百年たったのちの世の人びとが、あの人がやってくれたおかげで、ということがあってもよいではないか。僕もできるかぎり協力する」政党の枠をこえて活動が支持された宮本常一の視点、モチベーションを向上させる人育ても含め、大切なヒントがちりばめられています。
2011.12.28
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先日、下関で今年最後の托鉢を行いました。県内の臨済宗連盟での托鉢も、すっかり定着。今度は寒い時期に、和尚さんたちも、原点に立ち返るべく近所の修行道場で一泊二日の修行をしようといった話に。また、毎週山口から東北の被災地へと傾聴ボランティアに出掛ける曹洞宗ボランティアの活動に、宗派をこえて淡々と、バックアップも含めた応援をさせて頂きましょうといったことで、賛同を得ることが出来ました。その5日前に参加した市仏教団での托鉢に於いても、そのような話を出したところ反応良く、窓口を増やさずに、協同と認識の共有を広げることが出来そうです。また、そのような話を持って、曹洞宗寺院を会場にした薬膳の会に参加。年代を超えての一般の方々との会話も、様々に問題意識を持った方が多くて面白く。おば様からは、うろうろせずに、しっかりと脚下を見つめなさいと叱られっぱなしですが。来月二日より、北九州市立いのちのたび博物館に於いて「大内文化と北九州展」を開催。うちのお寺の観音堂内にある座像4点が、出張することになりました。剥落の危険も多く慎重な作業。寒い中、皆大変です。今日は、子どもらのクリスマス会。先日撮影された映画も上映。それぞれの演目も、一生懸命に。ケーキや、お菓子など、様々な差し入れもあって、子どもらは大喜びの一日となりました。
2011.12.25
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山口も雪でした。寒がるマルに、気合いを入れよう!と、おば様は、マルと雪合戦を。おば様が追い込んで、一方的な展開に。私は雪だるまならぬ、マルだるまを。出来た~! と思いきや、いきなり近付いたマルが、雪合戦のうっぷんを晴らすが如く、ガリガリと。夕方には、ずいぶん凹んだマルだるま。更に追い打ちを掛けるように、近付いてきたマルが、鼻っ柱をパンチ!マルだるまも、完全ノックアウトです。先日、国東半島へと引っ越していたしんちゃんが来訪。マル住職展のポスターを書いてくれました。そして、作品も一枚残しています。
2011.12.25
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今度はアメリカから、マル住職をあしらったステンドグラスが届きました!たまたま居合わせた本物住職もビックリ。次号、観音だよりの最終校正マル住職展、まだまだ止められません。雪やこんこ、あられやこんこ♪犬は喜び庭かけ回り♪かと思いきや、最近は、毛布を被ってマルくなっています。
2011.12.18
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