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2026.02.01
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あなたは自分の最後を、どこで迎えたいですか?【50代】
こんなことを、52歳の夜に考えていた。
私は「ある」と答えると思う。
それは、少し贅沢で、かなり非現実的で、
おそらく実現する可能性は限りなく低い。
私は、自分の最後を
太陽の降り注ぐ屋外の芝生の上で、大地と光を感じながら迎えたい
そんなことを、ぼんやりと、しかし確かに思っている。
もちろん、現実的に考えれば、そうはならないだろう。
人はたいてい、病院のベッドの上か、あるいは自宅で、その時を迎える。
それが悪いわけではない。
むしろ、それが「普通」だ。
たまたま晴れた日の公園で、芝生の上に倒れる。
そんな映画のような場面が起きる確率は、ほぼゼロに近い。
それでも、なぜか私は、その光景を思い浮かべてしまう。
理由を問われても、うまく説明はできない。
具体的な思い出があるわけでも、特別な象徴があるわけでもない。
ただ、自分の魂が、そこを望んでいる気がしてならない
それだけだ。
空と大地を、同時に感じられる場所。
閉じられた天井ではなく、開けた空。
人工の光ではなく、太陽の熱。
夜の星空も悪くない。
けれど、私が望むのは「光」だ。
理屈ではない。
考えた末の結論でもない。
感じるままに、太陽を浴びていたい。
自分が何歳まで生きるのか。
そんなことは、当然わからない。
「何歳まで生きたい」という数字の願望も、実はない。
望むとすれば、
自分自身が納得した時点まで。
極論を言えば、
「もう役目は終えた」
「やるべきことはやった」
そう腹の底から思えた瞬間が来るなら、
それが明日でも、十年後でも、構わない。
人によって、考え方はまったく違うだろう。
家族のこと、仕事のこと、信仰、価値観。
それぞれに、それぞれの「死に方」がある。
それについての考察は、また別の夜にしよう。
話を戻す。
大半の人にとって、
死は「選ぶもの」ではなく「訪れるもの」だ。
だからこそ、多くは病院か、自宅になる。
私は、たぶん少し変わっている。
できることなら、屋外がいい。
誰もいない、太陽の照りつける場所。
病気で、苦しんで、管につながれて、
そういう状態では、到底叶わない願いだ。
だからこれは、
現実的な希望ではなく、
生き方の延長線としての願望なのだと思う。
どう生きたいか。
どう感じていたいか。
最後の瞬間まで、何を大切にしたいか。
その答えが、たまたま
「芝生」と「太陽」だっただけだ。
そんなことを考えていた、52歳の夜。
今日も家キャンで、ランタンに火を灯し、
静かに夜空を眺めながら、思いにふける。
生きることも、死ぬことも、
結局は同じ線の上にある。
その線を、どんな温度で歩きたいか。
それを考える夜があっても、悪くないと思っている。
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EX-FAX-CE | NOTE執筆家
「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」
「ゆるぎなく、まっすぐに」
「言葉は、再起動ではなく継続の証」
▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点
X:@zdocomo / note:/exfaxce
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この記事を読んで何かを感じていただけましたら、スキやコメントをいただけると嬉しいです。見ていただいている、読んでいただいている。もうそれだけで生きていると感じられるから。





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最終更新日  2026.02.01 06:10:31 コメントを書く


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