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2026.06.07
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工具かばんの重さを書いたあと、まだ肩に残っていたもの|50代
小説を公開してから、少し時間が経った。
公開する前は、あの頃の空気をどこまで持ってこられるかばかり考えていた。ポケベルの音。公衆電話を探す時間。夜間受付の白い蛍光灯。工具かばんの肩紐が、じわじわ食い込んでくる感じ。
古い記憶のはずなのに、書き始めると妙に近かった。
忘れていたというより、普段は開けない引き出しの奥に、そのまま入っていたのだと思う。少し黄ばんだ紙のように。捨てたつもりはない。けれど、毎日見るには少し重い。そういう場所に置いてあった。
床に置いたはずのかばん
書き終えたら、少し軽くなると思っていた。
長いこと肩にかけていた工具かばんを、ようやく床に置ける。
そんな気がしていた。
ところが、そう簡単ではなかった。
かばんは床に置いたはずなのに、肩にはまだ跡が残っている。
あの頃の肩紐の食い込みだけが、妙に律儀に残っている。
重さが消えたのではない。
持ち方が変わっただけなのだろう。
懐かしさより先に来たもの
あの小説を書いて、最初に残ったのは懐かしさではなかった。
恥ずかしさだった。
若かった自分の判断の甘さ。分からないのに、分かったような顔をしていた時間。焦って、急いで、立ち止まるべきところを通り過ぎたこと。今の自分なら、あの時の自分に言いたいことはいくらでもある。
そこは一回戻れ。
会社に連絡しろ。
無理なら無理と言え。
客先の空気に飲まれるな。
仕事の順番を間違えるな。
だが、たぶん当時の私は聞かなかったと思う。
聞かなかったというより、聞こえなかった。頭の中には次の現場があり、止まっているFAXがあり、待っている人がいた。送れない。受け取れない。紙が詰まる。仕事が止まる。誰かの段取りが崩れている。
そこに、自分の心細さを差し込む余白がなかった。
それを責任感と呼ぶには、少し危うい。
でも、その危うさの中でしか覚えられなかったものもある。
FAXの前には、いつも人がいた
現場で怒っている人は、ただ怒りたいわけではない。困っている。焦っている。仕事が止まり、約束がずれ、誰かに責められるかもしれない。その温度が、電話の声や客先の空気に乗って、こちらへ来る。
若い私は、機械だけを見ようとしていた。
エラー番号。紙詰まり。ローラー。センサー。回線。ケーブル。
もちろん、それを見るのが仕事だった。
けれど、FAXの前には、いつも人がいた。
怒鳴る人。黙り込む人。横からずっと見ている人。
直った瞬間に、少しだけ表情が緩む人。
機械を直す仕事のようでいて、実際には人の焦りの前に立つ仕事でもあった。
小説にしてみて、そこがようやく見えた気がする。
今も残っている、あの頃の癖
今、私が介護のことを書く。50代の身体のことを書く。ロスジェネ氷河期第一世代として、置いていかれた時間のことを書く。直せないものの前で、言葉を探している。
その根っこには、やはりあの頃の現場がある。
親の介護も、自分の身体も、人生も、FAXのようには直らない。部品を替えれば済むわけではない。テスト送信が通ったから完了、というわけにもいかない。五十肩は今日も素直に上がらない日があるし、疲れも昔のようには抜けない。親の予定は、こちらの体調を待ってはくれない。
それでも、昔の癖だけは残っている。
どこで詰まっているのか。
何が摩耗しているのか。
まだ動いているところはどこか。
今すぐ手を入れるべきところと、しばらく抱えていくしかないところはどこか。
そういう見方は、工具かばんを持って東京の町を歩いていた頃から、たぶん続いている。
作業報告書には残らなかったもの
作業報告書には、残らないものがある。
交換部品。作業時間。確認結果。お客様サイン。
紙の上では、仕事はずいぶん薄くなる。
そこには、指先の震えは残らない。
夜の蛍光灯も、胃の冷え方も、公衆電話の小銭も、客先の沈黙も、直ったあとに少しだけ聞こえた「助かった」も残らない。
たぶん私は、そこを書きたかったのだと思う。
あの頃の仕事を立派に飾るためではない。若かった自分を、今さら美談にするためでもない。むしろ、格好悪かったところや、逃げたかった気持ちや、変な汗をかいた背中まで、できるだけそのまま置いておきたかった。
若い私を、今の私が持ち直す
公開してから、若い頃の自分が少し静かになった感じがある。
許した、というほど大げさではない。
情けない場面は、今読んでも情けない。苦いところは、やはり苦い。
ただ、あの頃の自分が何も考えずに働いていたわけではなかったことくらいは、今なら分かる。言葉にできなかっただけで、怖さもあり、意地もあり、少しの誇りもあった。
工具かばんは重かった。
中に入っていたのは、ドライバーやテスターや部品だけではなかった。失敗、焦り、見栄、後悔、名前の残らない仕事をしていた時間。そういうものまで入っていたから、あのかばんは重かった。
今はもう、FAXを直していない。
ポケベルも鳴らない。公衆電話を探して走ることもない。東京の現場へ向かう若い自分も、もうどこにもいない。
けれど、直せないものの前に立つ感覚だけは残っている。
介護と仕事のあいだで、身体の異音を聞きながら、今日もどこかで切り分けをしている。親のこと。自分のこと。生活のこと。直せるものばかりではない。むしろ、直せないものの方が増えてきた。
それでも、見ないふりをすれば、もっとこじれる。
小説を書いたことで、あの頃の工具かばんを完全に下ろせたわけではない。
ただ、少し持ち方は変わった。
若い自分だけに背負わせていたものを、今の自分が言葉で持ち直した。そんな感覚がある。
かばんの中身は変わった
ポケベルが鳴っていた頃、私はFAXを直していた。
そして今は、直せない日々を言葉で保守している。
かばんの中身は変わった。
重さも少し変わった。
それでも今日も、私はそれを持っていく。
まだだ。
まだ、終わらんよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも心に残るところがありましたら、スキやフォローで応援していただけると励みになります。
介護、仕事、50代の日々を、これからも少しずつ言葉で保守していきます。





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最終更新日  2026.06.07 06:08:38 コメントを書く


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