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2026.07.01
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笑いの臨界点 #36 電子レンジの一秒だけが残る
夜。
レンジの前に立って、
表示を見ていた。
2分00秒。
最初は見ている。
1分48秒。
1分32秒。
1分05秒。
ここまでは、ちゃんと見ている。
なのに、
なぜか最後のほうで離れる。
コップを洗う。
箸を出す。
テーブルの上を少し片づける。
ピッ。
鳴った。
戻る。
表示を見る。
残り1秒。
止まっている。
……なぜだ。
私はたしかに鳴った音を聞いた。
終わった音だと思った。
でも電子レンジは、
まだ一秒だけ仕事を残していた。
たった一秒。
されど一秒。
ここで扉を開けていいのか。
私は迷った。
たぶん、いい。
いや、絶対にいい。
弁当の温まり具合に、
最後の一秒がどれほど影響するのか。
ほとんどない。
ないはずだ。
でも、
表示の「1」がこちらを見ている。
まだ終わってませんけど。
そう言っている気がする。
私は扉に手をかけた。
やめた。
ボタンを押して、
残り一秒を完走させるか。
でも一秒のために、
もう一度スタートを押すのも大げさだ。
レンジの前で、
私は小さな裁判を始めていた。
被告、残り一秒。
罪名、食事前の足止め。
昔なら、
何も考えずに開けていたと思う。
一秒くらい何だ。
そんな感じで。
今は違う。
数字が残っていると、
なんとなく気になる。
ゼロになっていない。
完了していない。
終わりきっていない。
そういうものに、
少し弱くなった。
スマホの未読。
洗濯機の残り時間。
ポットの保温ランプ。
薬の飲み忘れチェック。
小さな表示が、
こちらの生活を見張っている。
別に誰にも怒られない。
でも、
自分の中の妙に細かい係長が、
「そこ、確認しましたか」
と言ってくる。
うるさい。
定時で帰れ。
私はレンジの前で、
小さく笑った。
弁当を食べる前に、
なぜ内面の係長と戦っているのか。
腹が減っている。
それなのに、
一秒を無視できない。
結局、
私はスタートを押した。
ブーン。
一秒。
ピッ。
今度こそ終わった。
表示は0。
世界が整った。
私は扉を開けた。
湯気が出る。
弁当は、
普通に温まっていた。
一秒分だけ特別にうまい、
ということはなかった。
当たり前だ。
箸を取る。
座る。
一口食べる。
少し熱い。
私は口の中で、
小さく息を逃がした。
結局、
一秒を待ったところで、
ちょうどよくなるわけでもない。
待っても熱い。
待たなくても熱い。
人生は、
だいたいそういうところがある。
きっちりやっても、
それなりにずれる。
雑にやっても、
なんとかなることもある。
なのに、
残った数字だけは妙に気になる。
たぶん私は、
電子レンジの一秒ではなく、
自分の中に残った何かを見ていたのだと思う。
終わったつもりのこと。
片づけたつもりのこと。
忘れたふりをしていること。
そういうものが、
表示の端で「1」として残っている。
大げさだ。
弁当に言う話ではない。
私はまた少し笑った。
食べ終わって、
空の容器を片づけた。
レンジの表示は、
もう時計に戻っている。
さっきまでの一秒は、
どこにもない。
あんなに気になったのに、
終わってしまえば跡も残らない。
私は手を洗って、
台所の明かりを少し落とした。
五十代の夜は、
大きな答えよりも、
小さな完了でできている。
ゼロになった表示。
閉めた扉。
洗った箸。
少し熱かった弁当。
その程度のことで、
今日を終わらせる。
完璧ではない。
でもまあ、
残り一秒くらいなら、
明日に持ち越さずに済んだ。
たぶん。





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最終更新日  2026.07.01 05:42:01 コメントを書く


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