EX-FAX-CEのブログ

EX-FAX-CEのブログ

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ex-fax-ce

ex-fax-ce

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

フリーページ

2026.07.18
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

50代、集中力も体力も右肩下がり。それでも老化に抗う理由
明らかに、落ちてきている。
注意力。
記憶力。
この三つが、若い頃のようには動かない。
以前なら、少し気合を入れれば何とかなった。
頭の中に複数のことを並べて、段取りを組み、
あれをやって、これを片づけて、ついでに次の予定まで考える。
そういうことが、まあまあ普通にできていた。
今は違う。
一つやっているうちに、もう一つが抜ける。
メモを取らないと忘れる。
スマホを開いた瞬間に、何を調べようとしていたのか忘れる。
ある。
ありすぎる。
冷蔵庫を開けて、数秒固まる。
階段を上がって、何を取りに来たのか忘れる。
検索窓に文字を打とうとして、肝心の言葉が出てこない。
これはなかなか来る。
何が来るかというと、老いの実感である。
「いや、まだまだ若いですよ」
ありがたい。
ありがたいが、こちらの膝はそう言っていない。
膝、腰、肩がそれぞれ主張してくる
肉体的にも、疲労の回復速度が明らかに落ちている。
少し前なら、一晩寝ればどうにかなった。
多少無理をしても、翌日にはごまかせた。
だが50代になると、身体がごまかしを許してくれない。
膝、腰、肩。
この三者が、まるで労働組合のように交渉してくる。
「その動きは聞いていない」
「その角度は契約外だ」
「昨日の疲労がまだ処理されていない」
そんな感じである。
朝起きた時点で、すでにどこかが痛い。
何もしていないのに痛い。
いや、正確には何もしていないつもりでも、身体の中では何かが摩耗しているのだろう。
階段を降りると膝、長く座ると腰が、荷物を持つと肩が言う。
昔は身体というものは、黙って働いてくれる部下のようなものだった。
今は違う。
かなり発言権の強い共同経営者になってきた。
無視すると、すぐ不具合を出してくる。
元FAX修理CEとして言うなら、かなり経年劣化が進んだ機械である。
部品供給も怪しい。
メーカー保証もとっくに切れている。
それでも現役稼働中。
よくやっている。
本当によくやっている。
50代の老化は、静かにではなく、生活の中で急に見える
老化というものは、もっと静かに進むのかと思っていた。
白髪が増える。
老眼が進む。
少し疲れやすくなる。
そんな緩やかなものだと思っていた。
だが実際には、もっと生活感を伴ってくる。
介護の段取りを考えたり、仕事の処理をしている時。
娘のことや、妻の疲れを見ている時。
家の中の空気を読みながら動いている時。
その中で、ふいに自分の処理能力の低下に気づく。
「あれ、前ならもう少し早くできたよな」
そう思う瞬間が増える。
頭の中の動作が重い。
起動に時間がかかる。
複数タブを開くと固まりそうになる。
人間の脳にもメモリ不足というものがあるのだろうか。
たぶん・・ある。
かなり・・・ある。
しかも、厄介なのは、こちらには再起動ボタンがないことだ。
寝れば少し戻る。
休めば多少は回復する。
だが完全には戻らない。
若い頃の自分を基準にすると、どうしても右肩下がりに見える。
この先、もっと悪くなるのではないかという不安
正直に言えば、不安はある。
この先、さらに集中力が落ちるのではないか。
注意力が散漫になるのではないか。
記憶力がもっと怪しくなるのではないか。
膝も腰も肩も、今よりさらに痛くなるのではないか。
今でこれなら、60代はどうなるのか。
70代はどうなるのか。
考え始めると、なかなか暗い。
しかも私は、両親の介護をしている。
父の状態。
母の認知症。
その現実を間近で見ている。
人間は、いつか必ず衰える。
これは理屈ではわかっていた。
だが、介護をしていると、その理屈が毎日の風景になる。
身体が動かなくなること。
記憶が薄れていくこと。
感情の抑制が難しくなること。
生活が誰かの手を借りなければ回らなくなること。
それを見ていると、未来の自分を重ねてしまう瞬間がある。
これは、なかなか重い。
母という鏡に、自分の未来が映ることがある。
父の身体に、自分の老後の輪郭を見ることがある。
もちろん、同じ道をたどるとは限らない。
だが、人間である以上、老いから完全に逃げることはできない。
それはわかっている。
わかっているが、簡単には受け入れられない。
先人たちも、これを越えてきた
ただ、ふと思う。
先人たちも、みなこれを越えてきたのだ。
私たちの親世代も、祖父母世代も、近所のおじさんも、昔の職場の先輩も、みなそれぞれの形で老いを抱えてきた。
きっと、どこかの時点で感じたはずだ。
「あれ、身体が前と違う」
「あれ、頭が少し鈍い」
「あれ、無理が効かない」
それでも生活を続けてきた。
仕事をし、家族を支え、病院へ行き、湿布を貼り、薬を飲み、ため息をつきながらも朝を迎えてきた。
そう考えると、自分だけが特別に衰えているわけではない。
50代とは、そういう地点なのだろう。
若さの残像と、老いの現実が、同じ部屋にいる。
しかも仲良くはない。
こちらはまだ若いつもりで動こうとする。
身体は「いやいや、そういう契約ではありません」と止めてくる。
その押し問答が、50代の日常なのかもしれない。
アンチエイジングに抗う自分と、冷静な自分
もちろん、手をこまねいているわけではない。
できることはやっている。
食事に気をつける。
筋トレをする。
歩く。
睡眠を整えようとする。
体重を管理する。
ストレッチもする。
健康情報にも、それなりに目が行く。
いわゆるアンチエイジングである。
ただ、この言葉もなかなか難しい。
アンチ。
つまり抗う。
老化に抗う。
響きは勇ましい。
だが、現実はもう少し地味だ。
腹筋を割るとか、20代の身体に戻るとか、そういう話ではない。
こちらがやっているのは、もっと生活防衛に近い。
階段で膝を壊さないため。
介護で腰をやらないため。
仕事中に集中力を保つため。
家族に迷惑をかける時期を少しでも遅らせるため。
つまり、若返りというより、延命的保守である。
元FAX修理CE的に言えば、最新機種に交換するのではない。
古い機械を、清掃し、給脂し、摩耗部品を見ながら、だましだまし稼働させる。
これがリアルだ。
ただ、どれだけ努力しても、身体を本当に若返らせることは難しい。
多少の変化はある。
老化を遅らせることも、ある程度はできるのかもしれない。
だが、20代や30代に戻ることはない。
そこは冷静にわかっている。
わかっているからこそ、少しうんざりする。
右肩下がりを受け入れるという難しさ
この先の人生は、右肩下がりになっていく。
体力という意味では、おそらくそうだ。
回復力も落ちる。
集中力も波が出る。
記憶力も怪しくなる。
これはもう、明白だと思う。
問題は、それをどう受け止めるかである。
若い頃の基準で自分を責め続ければ、しんどい。
「前はできたのに」
「なんでこんなに疲れるんだ」
「まだまだやれるはずだ」
そう思い続けると、心まで削られる。
かといって、何でもかんでも諦めるのも違う。
「もう歳だから」
この言葉は便利だ。
だが、使いすぎると自分で自分の可能性に蓋をしてしまう。
ここが難しい。
衰えは認める。
だが、投げない。
現実は見る。
だが、腐らない。
無理はしない。
だが、動くことはやめない。
このあたりの塩梅が、50代には必要なのだと思う。
老化を許容しながら、それでも抗う
たぶん最適解は、わかっている。
衰えていく自分を許容すること。
そのうえで、上手く付き合いながら年齢を重ねること。
これだ。
頭ではわかっている。
身体が以前とは違うなら、違う前提で動く。
疲れが抜けにくいなら、回復の時間を計算に入れる。
記憶力が落ちたなら、メモや仕組みに頼る。
膝や腰や肩が痛いなら、鍛え方や動き方を変える。
若い頃の根性論で押し切らない。
これは大事だ。
だが、それでもなお抗ってしまう。
なぜか。
まだ終わりたくないからだ。
50代は、老いの入口に立っている。
だが、終点ではない。
ここから先にも、まだ人生はある。
妻との時間。娘の未来。父と母を見送るまでの時間。
仕事。文章。
noteもある。
私たちロスジェネ氷河期第一世代は、若い頃から何かと厳しい道を歩いてきた。
就職氷河期。不安定な働き方。
会社の解散。再就職の困難。
親の介護。自分の老い。
正直、ずっと楽ではなかった。
それでも生きてきた。
ならば、老化くらいで簡単に白旗を上げるのも、どこか悔しい。
もちろん、勝てる相手ではない。
老化には最終的に勝てない。
だが、負け方は選べる。
ただ崩れるのか。
少しでも整えながら進むのか。
笑いながら湿布を貼るのか。
ため息をつきながらも歩くのか。
私は後者でありたい。
50代は、自分の身体の保守点検期である
最近、そんなふうに思う。
50代は、自分の身体と心の保守点検期なのだ。
完全修理ではない。
新品交換でもない。
点検する。
異音に気づく。無理な負荷を減らす。
壊れやすい部分を補強する。たまには休ませる。
それでも動かす。
この感じが、今の自分にはしっくりくる。
集中力が落ちたなら、書く時間を分ける。
記憶力が怪しいなら、メモを取る。
疲れが抜けにくいなら、予定を詰め込みすぎない。
膝が痛いなら、歩き方を見直す。
腰が危ないなら、介護の動作を雑にしない。
それは情けないことではない。
生き延びるための技術だ。
若い頃の自分と同じやり方が通用しないなら、
今の自分用にやり方を変える。
それだけのことだ。
だが、それがなかなか難しい。
人間は、自分の衰えを認めるのが苦手だ。
特に男はそうかもしれない。
まだいける。
まだ大丈夫。
このくらい平気。
そうやって無理をして、あとで腰をやる。
ある。
実にある。
それでも、まだ途中である
老化の実感は、確かにうんざりする。
集中力、注意力、記憶力の低下。
疲労回復の遅さ。
膝、腰、肩の痛み。
どれも歓迎できるものではない。
だが、これらを感じているということは、
まだ自分の変化に気づけているということでもある。
気づけているなら、まだ対応できる。
見ないふりをするよりは、ずっといい。
老いは、敵でもあり、案内人でもあるのかもしれない。
ここからは無理をするな。
鍛え直せ。
休め。
人に頼れ、ここは笑って流せ。
そう教えてくる。
まあ、教え方は少し乱暴だが。
膝痛 ⇒ 付箋。
腰痛 ⇒ 警告灯。
肩こり ⇒ アラーム。
物忘れ ⇒ 赤ランプ。
なかなか騒がしい身体になってきた。
それでも、今日も動いている。
ならば、まだやれる。
右肩下がりのグラフの中にも、抗う余地はある。
衰えの中にも、整える余地はある。
老いの中にも、まだ物語は残っている。
私はたぶん、これからも文句を言いながら抗う。
湿布を貼り、ストレッチをして。
メモを取りつつ、忘れ物もありつつ、
たまに自分に呆れながら。
それでも書く。
書くことは、再起動ではなく、継続の証である。
そして身体を動かすこともまた、
まだこの人生を降りていないという証なのだと思う。
50代。
衰えは見えてきた。
だが、まだ終わってはいない。
ゆるぎなく、まっすぐに。
ただし、膝と腰と肩には、少し相談しながら。
👇️おすすめ
ゆげのむこうのほうかご|みんなで灯す、あの町の夕方
✨✨あなたも町に灯しませんか?✨✨
ゆげのむこうの ほうかご|みんなで灯す、あの町の夕方
消えた町に、あなたの灯りをひとつ置いていってください。
6a570ffdd792d68b1f8e242d--starlit-florentine-7b0b14.netlify.app





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2026.07.18 06:13:21 コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: