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2026.07.23
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あの日、支援級の扉を選んだ娘は、いまマイクの前に立っている【発達障害|ASD】
夕方の食卓に、企業実習の書類が置かれていた。
訪問先、集合時間、持ち物。学校を卒業したあとの就職に向けて、企業へ見学に行ったり、実際の仕事を体験したりするための紙である。
娘は高校二年生になった。
支援学校に通い、生徒会の副会長をしている。人前で話す機会もあり、ときには保護者の前で挨拶することまであるらしい。
家では相変わらず、ぼんやりしている。
朝の支度はなかなか進まず、こちらが声をかけなければ時間だけが先に玄関へ向かってしまう。休みの日など、ソファの上で娘を見ていると、生徒会副会長という肩書が何かの手違いではないかと思うこともある。
けれど、学校では人をまとめている。
その話を聞くたび、私は幼稚園の小さな椅子に座っていた、あの頃の娘を思い出す。
娘が「自閉症スペクトラム」と診断されたのは、幼稚園の頃だった。
園から、一度診てもらったほうがいいと言われた。
たしかに、昔からぼんやりしている子ではあった。先生の話を聞いているのかいないのか、窓の外を見たまま動かないこともあった。それでも私たちにとっては、いたって普通の娘だった。
診断名を聞いた日も、娘は何も変わらなかった。
帰宅すれば、玄関にはいつもの小さな靴があり、食卓ではいつものコップを使い、眠くなればいつものように目をこすった。昨日と同じ娘なのに、こちらの目だけが急に変わってしまった。
ぼんやりしているのは特性なのか。
返事が遅いのもそうなのか。
一人で遊んでいるのは大丈夫なのか。
それまで見過ごしていた仕草の一つ一つに、親のほうが勝手に付箋を貼り始めた。
小学校へ入る頃、娘はグレーゾーンと言われていた。
グレーという曖昧な色の中にいるのに、進む教室については、普通学級か支援級かという二つの扉から選ばなければならなかった。
ずいぶん迷った。
「普通学級」という言葉に含まれる「普通」の二文字が、あの頃はやけに大きく見えた。支援級を選べば、娘の将来をこちらから狭めてしまうのではないか。かといって普通学級に入れ、毎日ついていけない思いをさせることが、娘のためになるのか。
何度考えても、学校へ通うのは私ではなかった。
最後は、娘が落ち着いて過ごせる場所を選ぼうと思い、支援級へ行かせることにした。
今は、あの選択でよかったと思っている。
支援級での娘は、いつの間にかクラスをまとめる側になっていた。小学校でも、中学校でもそうだった。先生から学校での様子を聞くたび、家で見ている娘との落差に戸惑った。
家ではだらだらしているのに、学校ではしっかり者。
父親の話は半分くらい聞き流すのに、クラスメイトの意見はまとめる。朝は眠そうな顔で食卓に座っているのに、人前へ出れば自分の言葉で話す。
人には、場所によって動き出す部分があるらしい。
私自身、人前で話すのは今でも得意ではない。周囲へ溶け込むこともうまくなかったし、世間で流行しているものを見ると、なぜか逆の方向へ歩きたくなるところがあった。
娘のことを調べたり先生の話を聞いたりするうちに、私にも同じようなところがあったのではないかと思うようになった。
診断を受けたわけではないので、同じだとは言えない。ただ、娘の取扱説明書を読んでいるつもりが、ところどころに昔の自分が書かれているように感じることがあった。
私たちが子どもの頃は、うまく輪に入れない子や、周囲と違うことをする子に、いまほど細かな説明はなかった。
変わった子。
協調性がない。
空気が読めない。
だいたい、そのあたりの言葉で処理された。合わない場所にいても、合わせられない本人の側に問題があるとされていた。
娘には支援級という場所があった。
そこで役割を与えられ、頼られ、人をまとめる経験を積んだ。その積み重ねの先に、いまの生徒会副会長があるのだろう。
成長というと、昨日できなかったことが今日できるようになる姿を思い浮かべる。娘の場合は、それだけではなかった。
できる場所が見つかった。
任せてもらえる仕事ができた。
自分の話を聞いてくれる人が増えた。
娘は娘のままで、立つ場所を少しずつ広げてきたのだ。
その娘も、やがて学校を卒業する。
いまは企業へ出向き、仕事を体験している。作業内容や職場の雰囲気を知り、どんな仕事なら続けられるのかを確かめる時期に入った。
学校の外は、クラスのようにはいかない。
娘は真面目で、曲がったことが嫌いである。それは娘のよいところだが、世間へ出れば、その真っすぐさが足かせになる日もあるだろう。
正しいことを言った人が、いつも正しく扱われるとは限らない。
きちんと仕事をする人に仕事が集まり、断れない人ほど疲れていく職場もある。曖昧な指示を出した側ではなく、うまく受け取れなかった側が叱られることもある。
親として、そんな場所はないとは言えない。
私がFAXを直していた頃、紙詰まりが起きたからといって、紙だけを責めて終わることはなかった。ローラーが滑っているのか、センサーが汚れているのか、湿気で紙がくっついているのか。止まった場所を見て、原因を一つずつ分けていった。
娘が仕事でつまずいたときも、何もかも自分のせいにしないでほしいと思う。
いまはまだ慣れていないだけなのか。
教え方が合っていないのか。
疲れているのか。
職場そのものが娘に合っていないのか。
壊れているのが自分とは限らない。
仕事が速くできるかどうかだけで、自分の値打ちを決めないでほしい。自分のした仕事が誰かの役に立ち、自分もこの場所の一部になっていると思えるものを、時間をかけて見つけてほしい。
親は勝手なものである。
傷ついてほしくないと思いながら、最後には「頑張れ」と言う。守ってやりたいと思いながら、いつまでも親が先回りしていては駄目だとも思う。
娘の前には、これから何度も壁が現れるだろう。
越えてほしい。
ただ、正面から頭をぶつけ続けることだけが、壁を越える方法ではない。脇へ回ることも、誰かに手を借りることも、いったん家へ帰って眠ることもある。
強い心というのは、傷つかない心ではない。
嫌なことがあった日に制服を脱ぎ、布団へ入り、翌朝になったらもう一度靴を履ける。そのくらいの力が、娘の中に残っていてくれればと思う。
食卓に置かれた企業実習の書類には、娘の名前がある。
幼稚園の年少だった娘が、どの教室へ進むのかを私たちが悩んでいた頃、この紙のことなど想像できなかった。
支援級の教室に入り、クラスをまとめ、生徒会の副会長になり、今度は学校の外へ出ようとしている。
家では、いまもぼんやりしている。
何度言っても支度は遅いし、こちらの話を聞いているのか怪しいときもある。たぶん、そこは急には変わらない。
私は書類の折れた角を指で伸ばした。
娘の未来まで、親の手できれいに伸ばせるわけではない。明日の集合時間と持ち物なら、まだ一緒に確認できる。
その先のことは、娘がもう、自分の足で点検し始めている。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
✨✨同じように進学先や支援の選択で迷っている方、子どもの就職を前に落ち着かない日々を過ごしている方に、どこか残るところがありましたら、スキやフォローで応援していただけると励みになります。✨✨





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最終更新日  2026.07.23 05:36:26 コメントを書く


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