顕正会脱会のススメ!

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2010.10.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
14 道徳(どうとく)さえ守っていれば宗教の必要はない



 道徳とは現実の社会に、善良(ぜんりょう)な人間として生きて行くために、みずからを律(りつ)し、たがいに守るべき社会的な規範(きはん)をいいます。
 したがって社会生活上の正と不正・善と悪などの分別(ふんべつ)を心得(え)て、みずからの良心にも、社会的な規範にも恥(は)じることのないように生活してゆくことが大切です。
 しかし、道徳はあくまでも、現実に生きている人間のいちおうの規範であって、それによって、先祖を救い、みずからの罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)し、さらには未来の子孫の幸せをもたらすなどという力はありません。
 つまり道徳は、今世(こんぜ)に生きる人々の生活を正し、人間性を高(たか)める意味での指針(ししん)とはなりえても、仏教のように、過去・現在・未来の三世(さんぜ)の因果(いんが)を説かず、三世にわたる一切の人々の救済とはなりえません。
 日蓮大聖人は道徳と仏教の関係について、
「王臣(おうしん)を教へて尊卑(そんぴ)をさだめ、父母を教へて孝(こう)の高きことをしらしめ、師匠を教へて帰依(きえ)をしらしむ」(開目抄・御書524頁)
と仰(おお)せになって、道徳は仏法の先がけとして、その序分(じょぶん)の役割(やくわり)をはたすものだと記されています。
 昔から人の守るべき道徳の一つとして、「孝養(こうよう)」ということがよくいわれます。自分を生み、今日まで育ててくれた両親に対して、よく仕え、その恩に報(むく)いることは大切なことです。しかし、仏法における孝養とは、ただ親の言葉にしたがい、親にものを贈ったり、年老いた両親の面倒をみるということにとどまらず、正法の功徳によって、両親を始めとする一家・一族・一門の人々を、皆ともに救っていくというところにきわまるのです。

 大聖人は、
「法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏(みほとけ)になるのみならず、父母仏(ほとけ)になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外(ぞんがい)に仏となり給ふ(中略)『願はくは此の功徳を以て普(あまね)く一切に及(およ)ぼし、我等と衆生(しゅじょう)と皆共(とも)に仏道を成(じょう)ぜん』」(盂蘭盆御書・御書1377頁)
と、正法を行ずる大善(だいぜん)こそ、自ら仏の境(きょう)地(ち)に至るのみならず無量生の父母と、無量生の子孫を救う道だと教えられています。
 このように正しい信仰をとおして自分を磨(みが)き、さらに世の中の人々を教(きょう)化(け)して、正法の功徳を社会の一切(いっさい)の人々に及(およ)ぼし、ともどもに仏道を成就(じょうじゅ)することが、最高最善の生き方となるのです。
(正しい信仰と宗教より)

本来宗教で取り上げるべき問題は、こうした倫理道徳を知っているのになお弱いものいじめをする、人のモノを盗む、人を陥れる、ネットで誹謗といったこの濁った人間の心をどうしたらよいのかということが、重要です。
私達に必要なのは道徳的な訓話や一時の通力などではなく、
生命を内奥から浄化していける、真の力のある宗教の存在であるといえます。
挨拶をすることは大切である、そのようなことは幼稚園の子供の頃からよく親なり教師から言われることです。またこの種の教えはどの宗教でも説いていることであり、これは「道徳」の問題であって宗教の問題ではありません。


道徳と宗教をごちゃまぜにして考えている人は、多いです。
ここで、日達上人の御指南を紹介します。



自行なくして化他が有り得ないのである。人々を導くとか、人に教えるという事は、それだけ自分がちゃんと行じてゆく、自行である。自分がそれだけの仕事をし、人々を導くだけの勉強もし、信心もして、そして人々を導いてゆくのである。

自分が何にもできない、自分の仕事もできない、家庭も治まらないにもかかわらず、人々を教化し、導くなどという事は有り得ない事である。だから化他という事が大事であるという事は、自行ががっちりと出来上がらなければならない。

その自行の根本は即ち信心である。自分の信心をがっちり築き上げてこそ、初めて人々に話しをする事もできる。もし話をする事ができないならば、自分の信心をがっちりして、御本尊に向ってお題目を唱え、自分の仕事をがっちりとやって、家庭を円滑に立派にしてゆけば、自然とそれが化他の行となる。

世間の人を見て、あの人はああいう信仰をもって、立派に家庭も築き、そして人格も立派であるという事を見れば、その人は自然に教化せられてゆく、それが化他となっているのであります。自行の大事な所でございます。
(衆和会元朝勤行の砌 S50・1・1)






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Last updated  2010.10.26 21:20:04


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