顕正会脱会のススメ!

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国分ひろし@ Re:悪戯で書き込みする馬鹿どもへ お客様個人をどう傷つけたのでしょうか? …
2011.08.14
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【仏法上の誤り】

学会の組織を大きくしたのは、二代会長の戸田城聖氏でした。この方はまことに機略縦横な方で、仏法の生命論を主体としたわかりやすい説明で多くの人の共感を得られたようです。世間的な苦労も多かった方だから、世間のことに通じて人の心をつかむのが上手でした。また、創価学会をきちんとした組織にしなければということを常に考えてそれを実行したのです。あの方が昭和三十三年に亡くなるまでに、みるみる学会員は七十五万世帯あるいは八十万世帯にもなったといいます。

私は戸田さんをよく存じあげていますが、戸田さんはいつも会員にたいし「この戸田が広宣流布するんだ」と言っておりました。したがって「お前たちは、ぜんぶこの戸田の言うことを聞け」と言われてもおり、一見言葉は乱暴ですが、真実味が籠もっていて、まわりの人びとを魅了する力のあった方でした。この徹底した会長中心主義のあり方が、会員の獲得に功を奏したのだと思います。同時に戸田さん自身、本当に自分の命を捨ててでも大聖人の教えを守り、また広めていくという、根本の一念をお持ちだったと思います。

昭和二十年代から三十年代にかけては、終戦まであった「神国日本」の価値観がすべて崩壊した時期で、国民は思想的な拠り所を失って、何を拝んでいいかわからない、何を頼っていいかわからない、という思想的に低迷した時代でした。

そういう時期に、新興宗教が雨後のたけのこのようにあらわれたのですが、その中で、創価学会の活動が非常に国民の共感を得て、わずかな時期に会員数が急増したものでした。ですから、後には八百万の会員になったという創価学会のその後の発展は、戸田さんに負うところが大きいのです。

いったん火がついたなら、後はさらに大きく燃え広がるわけですから。また、よかれあしかれ会長中心主義という学会の体質は、戸田さんのときにできたものでした。

その創価学会を受け継いだのが、現名誉会長の池田大作さんでした。池田大作さんについて一言で言うことはできませんが、会長に就任してまもなく、こんな発言をしたということです。

大聖人の御遺命の大事である本門戒壇について、「戒壇建立ということはほんの形式にすぎない(中略)したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえない……」と。

早いうちから、仏法にたいし浅識、軽視、蔑視の気持ちがあったのではないかと思わざるをえません。民衆の幸福といっても、それは大聖人の本門の戒法から離れたものでは宗門の法義に反するものです。また、創価学会の会長中心主義の流れの中で、「池田先生絶対」という風潮がごく初期から会の中にあったように思います。








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Last updated  2011.08.14 23:40:42


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