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2013.02.10
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相変わらず。湘南某は、歴史を全く調べもしないで、二箇相承は無かったと主張してるが?

さて、犀角独歩なる習ひそこないの学者もそうだが、きちんと歴史を調べているのであろうか?

妙教 2004年1月(第135号)
 大石寺と北山本門寺の歴史・第十四話


二箇の相承紛失の顛末(てんまつ)

 永禄五(一五六二)年、上行院日春の仲介により、重須本門寺と西山本門寺の和融(わゆう)が成りましたが、この状態は長くは続かず、これよりおよそ二十年後の天正(てんしょう)九(一五八一)年には重須重宝強奪(ごうだつ)という歴史的な事件が起きて、両山の関係は一挙に対立の時代へと進みます。
 しかもこの事件の首謀者(しゅぼうしゃ)が、重須・西山和融の仲介を執(と)った日春であったということでも、この事件の特異性がうかがえます。この時、日春は西山本門寺十三代を嗣(つ)いでいました。そして事件の起きた天正九年は、日蓮大聖人の第三百御遠忌の年に当たっていて、不思議な時の巡り合わせも感じられるのです。
 事件の概要(がいよう)は、「二箇の相承紛失の由来」として、保田日我が手記のようにして残しています(富要九巻二二)。
 本抄冒頭(ぼうとう)には、「二箇の相承紛失の由来を後代存知の為に之を記す」とあり ますが、日我は重須・西山いずれの関係者でもなく、第三者的な立場と一往は言えます。しかし、もともとが重須日殿の師であり、事件の顛末(てんまつ)は重須の関係者より詳しく聞いていたであろうことは当然で、事件のあらましを知るための、同時代の史料でもあるこの由来記は、一定の信憑性(しんぴょうせい)を持つ内容です。以下に意訳して紹介します。

 日春は年来様々な邪義を構えて重須本門寺に干渉していたが、思うようにいかなかった。そこで、甲州に有徳の檀那(信徒)があったので、この者を通じて巧言令色賄賂(こうげんれいしょくわいろ)を先として国主に取り入り奉行に訴え、北山本門寺の重宝、とりわけ二箇の相承を奪取(だっしゅ)する謀(はかりごと)を企(くわだ)てた。国主勝頼側もこれを受け入れたのである。
 そこで百人ばかりの人数を日春に指し添え、一団を北山本門寺に向けた。日春は門前で待ち、他の俗衆数多(あまた)を中に入らせ、『甲州武田殿の使いである。身延山の重宝本尊がこの度失われたというので、分国中の諸寺を調べているが、当寺の御大事箱を直接拝見したい』と呼ばわった。
 時の住持日殿は、『当山には全く左様なものはない』と答えたものの、使者は簡単には引き下がらない。『是非とも詳しく調べる必要がある』とさらに威圧すれば、日殿は臆病でその場の工夫も思いつかぬ人物である。それではとおびえながら座を起(た)ち、御大事箱を開けて、中の重宝一つひとつを見せていった。すると使者は『この箱は急いで蓋(ふた)を閉め封をせよ。こちらの箱も封をせよ』と命じた。驚いてどうしてかと問う日殿に、使者は『西山日春の訴えがあり、御奉行様が詳しく調べた上で是非の判決がされるであろう。今はすぐに甲府へ運ばなくてはならぬ』と答えるや、すぐに押し取り持ち去ってしまった。その間、住職も北山衆徒も力及ばず、なるように任せざるを得なかった。
 こうして甲府へ運ばれた御大事箱は、領主の館にある毘沙門堂(びしゃもんどう)と呼ばれる持仏堂に納められた。翌年三月十一日、織田信長が甲州に討ち入って、勝頼父子をはじめ武田一族宿老眷属(けんぞく)は悉(ことごと)く滅亡し、武田冠者(かじゃ)義清以来五百年続いた国は跡形も無く亡んでしまった。悪人の訴えによって悪行を極めたゆえに蒙(こうむ)った現罰である。ある経に、『仏教を破れば亦孝子無く六親和せず云々』と説かれる如くに、堕地獄は疑い無い」
 日我はこのように記した後、末尾に、
 「 其日(そのひ)の乱入に彼の二箇の御相承並に大聖開山御筆の漫荼羅三四十幅濫妨(らんぼう)に取られたるか、何所(いずこ)に御座候とも誰人の所持なりとも大聖開山の御血脈相承富士門家の明鏡たるべし後世此旨(このむね)を存ずべき者なり、仍(よつ)て之(これ)を記す日長、日正、日堤、日侃(にちかん)、日我」(富要九巻二二)
と結んでいます。
 日我にしてみれば、侘(わ)びをいれてきたとはいえ、自分に背いて重須貫主に就いた兵部卿(ひょうぶきょう)日義こと日殿に降りかかった事件であったゆえに、日殿を責める気持ちも多分にあったでしょう。しかしそれより、西山日春の謀(はかりごと)から二箇の相承書が失われるという結果を招いた事態の、日興門流全体にかかわる不祥事の張本人として、日春を「大悪僧」と非難する気持ちの方が勝れて、この記録を残したことがうかがえます。
 さて、保田には日我の残した「紛失の由来」とは別に、「妙本寺古記」(富要九巻二四)が残されていますが、こちらは同時代ではなく、やや遅れて書かれた史料のようです。「一、重須と西山と御大事等本門寺諍(あらそ)ひの事」との文から始まる部分が『富士宗学要集』に納められ、日我の記からは知られない内容も含まれています。
 この文書では、北山に押し寄せたのは増山権右衛門(ますやまごんうえもん)(甲斐武田氏家臣)と西山衆とあり、御尊形(ごそんぎょう)(御影像の意か)を荒縄にくくりつけ、直接西山に持ち去ろうとしたものの、途中で河東代官鷹野因幡守(たかのいなばのかみ)、興国寺城代曽祢下野守(そねしもつけのかみ)等の妨げがあり、その結果として富士門徒の手から離れて甲州に持ち去られたとしています。
 同記にはその後の日殿の動きも記され、この部分が日我の記に見られない内容です。すなわち重須日殿が(天正九年)三月上旬より十月中旬まで甲府に滞在、武田家の近習小路中河与三兵衛(こうじなかがわよさべえ)宅に宿して、重宝の返還を求めていたが徒労に終わり、翌年二月五日、日殿が他界するに到ったのは是非も無い次第である(後述するように、日殿は責任を負って、断食の上自ら命を絶ったのである)。しかし同月十八日に兵乱が起こり、織田・徳川軍等が甲斐を責めて勝頼の武田氏は三月に滅亡、西山に荷担(かたん)した大竜寺・小山田備中守(おやまだびっちゅうのかみ)も滅亡、「その時御大事紛失せり」とあります。

 以上二通の文書が、天正九年の事件のあらましを記した保田側の記録です(別に「久遠寺の古状」<富要九巻二四>があるが、事実関係は上の二書と変わりない)。これに北山の記録等を合わせることで、さらに事件の詳細は明らかになるはずです。すなわち重須には、日殿等が作った重宝返還を訴える申状の案文が三通伝えられ(富要九巻一六)、これらは日殿の甲府滞在期間中、武田氏奉行への訴えの為に作られた写しと思われます(三通すべてが奉行に上呈されたかは不明)。
 三通の日付を見れば、事件直後の天正九年三月二十八日、次に同六月十三日で、訴える目的は重宝返還の件で変わりはないものの、重須を退出した日代の非を強調したり、奪われた本尊類と日妙との関係を強調するなど、内容を変えながら訴えようとした苦心もみられます。
 三通から知られる内容として、西山日春の虚言を受けた甲州奉行は、増山権右衛門と興国寺奉行衆を重須に遣わしてきたこと、そして彼らは御朱印(国主の印判)を持って来たので、重須としては是非に及ばず重宝を渡さざるを得なかったという事実が先ず挙げられています。
 次いで、そもそもこの度重須から持ち去られた重宝類は、かつて重須より擯出(ひんずい)された日代が、日興上人より譲られていたものであるから、西山に移されるのが当然であるという、西山側の主張にそってなされた事件であったことが判ります。日代頻出は遙(はる)か二五O年前のことですが、それでも今さらながらに蒸し返される両山対立の根深さがうかがえます。
 これに対して重須側では、日興上人が重須寺を日代に譲ったということは、西山八通の遺状にも書かれてないし、二箇の相承書なども、日代に授与されたものではないから、この度の重宝運び出しは不当であると訴えています。

 史実が明かな今日より見れば、日妙については、日興上人より付嘱を受けるほどの立場に当時なかったのは明白で、門流の事情を知らない奉行に対して、重須が出任(でまか)せに盛り込んだ内容であることは判ります。ともあれ重須日殿は、それほど必死に訴えていったのです。
 重須の所伝では、日殿その外七名が、天正九年三月二十七日より甲府に詰め返還を訴えたがうまくいかず、次いで六月十三日より極月(ごくげつ)(十二月)に到るまでさらなる訴訟に及んだものの効果なく、むしろ旅宿を破却されるなどの迫害を受け、やむなく帰山せざるを得なっかたというのです。
この史料を「妙本寺の古記」と比べると、甲府滞在期間などにやや相違がある。

日殿は翌天正十年正月朔日(ついたち)より生御影の宝前に閉じこもり、重宝還住の祈願をしつつ断食し、ついに二月六日に憤死(ふんし)したと伝えられています(『本宗史綱』三九六に「重須文書」を出典に記している)。

続く






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Last updated  2013.02.10 22:16:30


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