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2010年01月02日
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テーマ: 朝から日記(2369)
カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日の朝9時ごろ、祖父が急逝しました。

まさに雑煮を食べているときの突然の訃報でした。


祖父は、昨年の12月30日から腰痛にて旭川の某M病院に入院していました。もともと1日に帰省するつもりで、そのときに会いに行こうと思っていた矢先だけに、本当にびっくりです。

食事が喉に詰まってしまったそうです。
妻も整形の病棟に勤めているので、どのような状況で食事が提供されていたかはおおよそ理解しました。私も普段高齢者と接する専門家として、その姿勢がどんなに危険なものかは十分に理解できます。もっとも、今そのようなことをここに記述しても、祖父はもう帰ってきません。
今は、ただ冥福を祈るのみです。



祖父は、もともと今私が住んでいる名寄市に住んでいました。
私が小さいときに、お正月と名寄祭りに遊びに行くのが本当に楽しみでした。
4歳か5歳の頃のお正月に、祖父と二人で名寄の映画館にドラえもんの映画を観に行き、その帰りに近所のラーメン屋(Zべい)でラーメンを食べたことを今でもたまに思い出します。映画がとても面白かったり、ラーメンが特別おいしかったわけでもないのだけれど、二人だけで出かけた記憶として私の中に今でも深く残っています。



その後、今の場所(旭川)に家を建て、その次の年に祖母と二人で名寄から旭川にやってきました。3世代7人の生活が始まりました。
最初は、一緒に住めることがただただ嬉しかった。
でも、長年過ごしてきた地を離れることが本当はつらかったはずだと、そのときはまったく感じることができませんでした。祖父たちもそういう気持ちを私たちの前で出すことはありませんでした。きっと私たちに心配をかけないようにしていたんでしょうね。


そんな旭川で生活していた祖父から、外せないエピソードがあります。
祖父は、旭川にやってきてから当時大流行していたゲートボールに熱中しました。もともと器用で勘も鋭かった祖父は、たちまち地域のTOP選手となりました。数々の大会で優勝したり、自身も審判員の資格を持つなど活躍していました。当時、そんな祖父が本当に自慢でした。
ゲートボールブームの後は、パークゴルフにも熱中しました。腰を悪くしてから「もうやらないと」いうことで、今では私のところにそのセットがあります。片身の品物になってしまいました。


晩年は、近所のデイケアに週1回通っていました。
要支援状態だったけれど、元気だった祖父は、そこでも周りをたくさん楽しませていたと聞きました。人を楽しませたり、びっくりさせることが本当に好きな人でした。


私と同じ辰年で、今年94歳(数え95歳)。丈夫で「うちのじいちゃんは100歳を超えるな」と思っていただけに、こんな形でお別れとなってしまい本当に残念です。
死ぬときも、家族に見送られることもなく、よく知らない病室だったということも本当に悲しくて仕方ありません。


明後日の葬儀で、私は弔辞を読むことになりました。

祖父の初孫として、たくさんお勤めさせていただきます。






そうそう、じいちゃんが私が生まれたときに買って植えてくれた梨の木は、今もまだ元気です。





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最終更新日  2010年01月02日 08時51分18秒
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