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今日の朝。チェンマイの北、メーリムの山の途中にある、ギャラリーに行った。
SARAN GALLERY
あたしの尊敬するタイの画家(兼フォンジュン舞踊家&音楽家)、サランさん(通称ニック先生)のギャラリー。ニック先生と奥さんも一緒だ。
そのギャラリーから見える景色はまるで天国みたいだった。
やさしい朝の日の光。芝生の向こうに見える大池。池に浮かぶ蓮の花々。日の光で霞んだ山。そして青い青い空・・・。
風一つない。
横で一緒に景色を見ていた女の子(日本人)が、ふと、あたしに言った。
「ねえ、あゆみさん、私。なんかここに来たことある気がするの。どうしよう。なんだか涙出そう・・。」
「そうだね・・・。いい所だね。」
そう言ってもう一度彼女を見たら、もう女の子の目からぽろぽろ涙がこぼれてた。
「なんだか分からない。でも、何だかこの風景知ってる。来たことある気がする。感激してるんじゃない。悲しいの。どうしよう。涙が止まらないよ。」
・・・・・・・・。
ここに来るまでの車の中。女の子はずっと、ニック先生のギャラリーからはきっと池が見えるはず、って確信してたんだって。行ったことない所なのに、池があるんだと分かっていたと静かにぽろぽろ涙を流しながら彼女は言った。
涙が止まった頃、ニック先生の奥さんが話してくれた。
ここはその昔、戦場だったそう。更地にたくさんの白骨や馬の骨が見つかったのだと。
鳥肌がたった。同時にあたしの胸の中でおぼろげに一つのストーリーが浮かんだ。
女の子は、前世でここにすごく来たかったのに来れないまま死んだ。それにはきっと、何か悲しい理由があってどうしても来れなかった。でも、生まれ変わっていろんなめぐり合わせがあって、ようやく今日の朝。ここに来ることができた。
・・・・のかな?
古代の祖先からのつながり。人と人との出会い。死んだ人、生きている人、これから生まれる人たちの一人一人のストーリー。それらが全て、「時」を隔てて、少しずつ絡み合い、くっ付き、分かれ、感情と共に流れている。
あたしがここにいるのは、意味がある。今、ここで息してるのは、何か意味がある。
そして、漠然と思った。
今の、この息してる一生を大切に生きたい。この時を共有している人、動物、自然、全てにとって意味のある自分でいたい・・・。
大げさだけど、そんなこと思った。