川
越
・
喜
多
院
「寒緋桜」

今日はおかしなスタイルのままで掲載します。
明日修正します。これも「お勉強」なのです。
川越の観光名所の中でも、ことのほか
人気の高い喜多院に行ってきました。
あまり人が多く混雑しているのは嫌なので
午後の五時ころに行きましたが、すでに
節分祭りは終了していて閑散としたもので、
露天商の方が後片付けをしていました。
川越の喜多院の見所は数多くありますが、
独断と偏見で、私は「五百羅漢」と
「寒緋桜」が好きです。

五百羅漢が作られた時期
「五百羅漢」は日本三大羅漢の一つに
数えられます。この五百余りの羅漢さまは、
川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、
天明二年(一七八二)から文政八年(一八二五)
の約五〇年間にわたり建立されたもので、
十大弟子、十六羅漢を含め、五百三十五尊者のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、
脇侍の文殊、普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、
全部で五百三十八体が
鎮座しているらしいです。
(数えたことはありませんが・・)。

羅漢(らかん)ってなにさ?
インドの古代サンスクリット語で仏教の
究極の悟りを得た人々を表すアルハットが
中国で阿羅漢と訳され、更に羅漢と省略
されたものです。
漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに
相応しい聖者という意味です。
鎌倉時代に禅宗とともに中国から入って来た
羅漢信仰は、当初、釈迦の命を直に受けた
十六羅漢あるいは十八羅漢が対象でしたが、
江戸時代の中頃以降に「死者に会える」と
いう信仰およびその庶民性から、釈迦の
滅後に経典をまとめた五百羅漢の造像と
信仰が流行しました。
また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、
それは亡くなった親の顔に似ているのだという
言い伝えも残っています。
似ていたお爺ちゃんいましたか?
潮音殿

喜多院の本堂である
慈恵堂(大師堂)のことを
「潮音殿(ちょうおんでん)」とも呼びます。
お参りする時に少し上を見上げると、
「潮音殿」の額がかかっています。
(今回の写真では見えません。ひねくれ者なので側面から映したのです)
それは昔、広くて静かなお堂の中に入り
正座し、耳を澄ませていると、なんと
不思議なことにザザザー、ザザザーと、
まるで潮の満ち引きのような音が
聞こえてきた、といいます。これには人々も
驚き、「まるで潮の音のようだ」という
ようになり、「潮音殿」といつしか呼ぶように
なったということです。
罰が当たってはいけません、正面です。(引用)
また、大昔、喜多院の近くは見渡すかぎりの大海原でどこへ行くにも舟を使っていたそうです。それを仙芳仙人というお坊さんがお寺を建てるために海の主である竜神にお願いして陸地にしてもらったというお話も伝わっています。喜多院のすぐ近くの小仙波三丁目には「小仙波貝塚」(市指定史跡)もあり、近くまで海水が来ていたことが分かっています。
さて「寒緋桜」ですが・・

時期はまだ早すぎます(当然です)
そこで以前に撮影したものを掲載します。
沖縄では桜といえばカンヒザクラ(寒緋桜)を指すらしいですね。
九州南部では旧暦の元日に咲くのでガンジツザクラ(元日桜)とも呼ばれるそうです。
花は平開せず釣鐘で下垂し、花序は散形状で3枚。花弁は5枚で、濃紅紫色の卵状楕円形で先端に切れ込みが見れます。開花期は喜多院では三月中旬ですが・・。萼筒に花弁と雄ずいが着いたまま落花してしまうのです。
最後はお参りですよね
画面下のスライダーを一番右に寄せてから読んでください
明日修正します。