全900件 (900件中 1-50件目)
新年あけましておめでとうございます。 今年1年が、皆様にとって良い思い出が沢山できる年でありますように(^_^) 桜月
2012.01.01
コメント(1)
大晦日です。 今年は本当に沢山の事があって、沢山の人達に助けられました。 本当にありがとうございました。 助けられた命、笑顔で楽しくやっていく事を改めて誓います。 それでは皆様、良いお年を。 皆様にとって幸多き年になりますように。 来年も“With all my heart.”をよろしくお願いします。 桜月
2011.12.31
コメント(0)
何故だか携帯の画面が急に真っ暗になる……。 今日から帰省。 ゆっくりします。
2011.12.29
コメント(1)
今年は何かと「大人」に振り回された。と思う。 今の自分以上の「大人」で在る事を求められて、必死に頑張っても「大人」になり切れない所をボロクソにけなされた。 私自身にも反省すべき点はあるけれど、やはりあの院生総会から、何をしても薬を飲んでも、自分の中の何かが止まってる。 それを黙って水に流すのが大人なの? 距離を置いて、他人行儀に振る舞うのが大人なの? 近すぎた事を「反省して」、周囲の人と距離をとるのが大人なの? 本音と建前を使い分ける事ができない私は子どもなの? 大人って、何なの? ずっと、発作が治まらない。 苦しい。 さしあたっての問題である修士論文は出せた。 出せたけれど、やっぱりあの日の院生総会から時間が止まってる。 Aさん、何で? 何であの時部屋を飛び出したのですか?飛び出した事でSくんやAに何か影響あるかもって考えたりしなかったのですか? たかだか後1~2週間、何で我慢できなかったのですか?そんなに我慢できなくて苦しかったのですか? ずっとすごく怖かったんですよ。 あなたと意見が割れたMさんを抑える人がいなくなって、Mさんの矛先が他の同期や後輩に向かうくらいなら、と私は気づいたら飛び出していただけなんですよ。 周囲はどんどん時が流れていく。 取り残されてる気分になる。 何で、上手く流れていけるの? 何で、私はできないの? 何故私は「大人」になれないの?
2011.12.27
コメント(0)
今夜はRとご飯&ケーキです。 その間に、全く関係ない話を。 小さな頃に見ていたビデオに、「グーフィーの船乗り教室」というショートストーリーがあった。 人は何故、船を開発したのか。 何故、船で遠くまで行ける技術が生み出されたのか。 初めて見たのは幼稚園。 そして、ラストの意味が理解できただけにショックだった。 シルエットが綺麗な山と、抽象的な太陽(朝日新聞の社章のような)を弾丸代わりになったグーフィーが破壊してthe end. 幼心にその山と太陽が「日本」を指しているのは理解できた。 そして祖父母が時折話していた「昔日本はアメリカと戦争していた」話。 じゃあこのショートストーリーは、日本とアメリカが戦っていた頃に作られたアニメだったのか。 それからしばらくして、その予想は当たっていて、他にも様々な戦争に関するアニメが生産されていた事を知った。 その時に言いようのない寒気がしたのだけれど、今改めて思うと、もし戦時中、知らずにこのアニメを見ていたら「日本」を憎いとまではいかなくても、見下す対象と見なすようになるだろうと気づいたから、寒気がしたんだろう。 確かにそのショートストーリーを何度も見た自分は日本人なのに、微かに日本に対して言いようのない感情を抱いた。 じゃ私は(戦争する気は全く無いです。念の為)自分を日本人って、何を以て言おうとしているんだろう。 ディズニー好きを公言しているけれど、単純に好きなんじゃない。 アニメ、テーマパーク、音楽、全てにおいて何を意図している?と深読みする「隙」があるから好きなんだ。 いつか、戦時中に上映されたアニメを全部見てみたい。 『バンビ』の幻のワンカットも見たい。 それらを見た時、当時のアメリカは日本に対してどのような感情を抱かせようとしていたのか、見えてくるんじゃないかと思うから。 アニメという、子供がよく見ていたものによる情報戦略?を見られるんじゃないか。 アメリカ人がディズニーを持ち上げる(確かに持ち上げるだけの影響力はあるけれど)のは、ディズニーを通して自分達はアメリカ人だと主張しているからなんだろうか。 ってなると、私達は? 私達、私は何を以て(持ち上げて)自分を日本人だと主張する? さて、ご飯炊けたからこの辺で。
2011.12.24
コメント(0)
今年のM2の内で、私が修士論文を提出する事は絶望視されてたらしい。 グズグズな発表、端から見ててもやつれていく体、まともに大学に来られない日々。 だけど、中身がグズグズでも締切に1日余裕をもって提出できた。 「あぁ、病気に勝ったんだと思ったよ」 同期がココア片手に言ってくれた。 勿論、病気が治った訳じゃない。 これまで、タイミングが悪かったり友達が言った尤もな正論で、心が勝手に存在全てを拒否されたと受け取って、自分を傷つけるなんて事は沢山あった。 それでも死ななかった。 生きてる。 よかれと思って言われた言葉によって傷つき、自ら死を選ぶ可能性が高い面倒な病気だと、改めて思った。 それでもまだ、生きてる。 みんなが「当たり前」と捉える日々を、後悔しないように生きてる。 今は、それで良い。
2011.12.23
コメント(0)
朝からよく分からない倦怠感に襲われて、動きがスローモー。 午前中は病院に。 混んでたのでひたすら待つ。 常連になった病院帰りにはご褒美でたい焼きを買う事にし始めた。1個だけで満足できる。 リハビリで街を歩く。 『日本文化論キーワード』を買う。文化って、伝統って、何? 文化は本当に分からなくなる。昨日お好み焼きつつきながら、先輩から「文化は政治に引きずられる」って聞いたけれど、そうかなぁ? 何かしらに影響は受けるだろうけれど、政治に引きずられる以外の文化もあるんじゃないかなぁ。自然とか生活環境とか。言い出したらきりがないのかな。 そして伝統。 現実の「伝統」を知りたいのか、理想とされる「伝統」の在り方を知りたいのか。 多分、伝統は本来こうあるものだって理想を知りたいんだ。 てな事を考えながら電車に揺られて帰宅。 帰ってシャワー浴びてひたすら寝る。 寝る。 さっき起きたけれど頭がぼーっとする。 寝ぼけ眼でもくもくとご飯を食べて薬を飲む。不味いのは相変わらずだけど飲み始めて5ヶ月、いい加減慣れてきた。 修士論文の追い込みで2、3日薬が切れてたからよく分かるけれど、やっぱり今の自分の精神状態は薬でかろうじて安定している。 良くなってはいるけれど、油断したら大変な事になったから、気をつけないと。 さて寝よう(え?)
2011.12.21
コメント(0)
無事に論文渡せて一息ついて、と相手の奥様と歌舞伎の話で盛り上がったり、渡したお相手の方からは“新たに調べてほしい事”を依頼されたり、奥様から自分の笑顔になれる事をしぃやと叱咤激励していただいたり。 楽しかったです。 某マンガじゃありませんが、今日も頑張っていきまっしょい!
2011.12.20
コメント(0)
うぅ、緊張する。 ほとんど1年振りにお会いするから、話したい事がいっぱいある。 書いた論文を誰かにお渡しするなんて初めての事だから、緊張する。 先輩に人に論文を差し上げる際は宛名とかどう書くのか聞いて、その通りに書いたけれど…中身、論文の中身が大丈夫かな。 それでも、学部の時に沢山お世話になった方達だから、早めのクリスマスプレゼントって事でお渡ししたい(要らない?). すごく眠たいけれど、今から行ってきます!
2011.12.19
コメント(0)
修士論文、無事に提出できましたo(^-^)o ホッとして、ただいま眠気に襲われています。 でも、まだ。 夕方に渡したい方に届けるまでは、まだまだ時間がある。 のんびり、達成感を味わいます(*^o^*)
2011.12.19
コメント(0)
今、史料編を印刷中。 後ちょっと。
2011.12.18
コメント(0)
パソコンで論文をぽちぽち打っていると、妙な感覚になる。 頭は働いていないように感じるのに、手は動き、文章が次々と作られる。 後で読み返しても、特に問題点が見つからない文章。 多分、頭が働いてないというのは錯覚で、実際は打つべき単語とその順番が完璧に(少なくとも私の能力の中では)整理された状態で、その順番を脳が“次はキーボードでこう打て”と信号を送っている状態なんだと思う。 論文の神様が降臨するって、これか。流石八百万の神がおわします日本。デジタル化が進んでますね。半分茶化してごめんなさい。 無理やり理系っぽいことを言えば、スポーツ科学でいう“ゾーンに入った”んだろうなと思う。 ホームラン打者が「ボールが止まって見えた」と言う時の、あの状態。 後、少し。 終わったら、美容院に行こう。 ほったらかしにしてた自分の見た目を、ちょっとでも素敵にしたい。 薬の関係や何かしらでちょっと太っちゃったけれどね。 むくんでるだけだと信じたい。 さて、後一踏ん張り。
2011.12.17
コメント(0)
1日中、パソコンとにらめっこ。 焦点が合わなくなって、時々休憩を挟む。 ろ、論文が出来たら目を労って蒸気でアイマスクシートのバラの香りの買って、寝る! 後ちょっと、後ちょっと。
2011.12.14
コメント(0)
薬を飲んだのに発作。 何で。 お願い、治まって。 まだダウンはできないよ。 電話が誰にも繋がらない。 繋げない。 「タヒ」を思うのはこんな時だ。 必死に足掻く所へ、同情を買いたいだけだろって言う人もいる。 そんなかわいい理由じゃない。 自分は1人ぼっちで、他人に相手をしてもらえる価値が自分には無いと絶望するからだ。 自分を突き放して、冷静(なふりして)に観察して、記録代わりにブログを書く。 そうでもしなけりゃ、どうしようもない。
2011.12.09
コメント(0)
京都・龍谷大学で「宮沢賢治の死生観」という展示をしているらしい。 死生観はとりあえずとしても、宮沢賢治に興味があるから行ってみたい。 彼は晴耕雨読の人というイメージを持ってる。 だから、他のイメージがあまり思い浮かばない。 『よだかの星』しか読んでないけれど。あ、後は「永訣の朝」と「雨ニモマケズ」か。 修論。修論を終わらせてからでも第一期の展示に間に合う…はず。 やる気出てきた。
2011.12.09
コメント(0)
Rが久々に昨夜からお泊まり。 平日に一緒にいるのはかなり久しぶりなはずなのに、ときめくどころか何だこの違和感のなさ。 …付き合って7年だもんね。“いて当たり前”になってるんだろうな。 けれど、それは当たり前じゃない事を知ってる。 今まで、付き合ったり別れたりする人達を沢山見てきた。 決して、“当たり前”に胡座をかこうとは思わない。 “いて当たり前”な環境を作り出してくれるRに感謝。 他にも色んな要因があって、今があるのは分かってる。 それでも何より、Rが側にいる。これが一番大きいから。 さり気なく、これから先も一緒にいても良いよって教えてくれてありがとう。 「結婚する時は知らせて」「末代まで祝ってやるよ」と、言ってくれる友人達にも感謝。 Rが忙し過ぎて、友人に甘えて迷惑かける事も多々あるけれど、申し訳なく思ってます。いつもありがとう。 久しぶりに、穏やかな気分で1日過ごせました。 電気ケトルを吟味していたRが、先々私も使う事が前提で真剣に選んでいた事が分かって、ほのぼのしました。 人混みが怖くなった時に、手をしっかり繋いでくれました。 苦手になってしまった店員さんとのやり取りを引き受けてくれました。 R、ありがとう。
2011.12.07
コメント(0)
前から気になっていた街中のカトリックの教会へ行った。 何方かがいきなり頭に降臨なされて“○○ノ教会ニ行キナサイ”とのたまわれた訳ではない。 宗教は他人に迷惑かけなきゃ何を信仰しようが良いんじゃないの?と思っている。(因みに実家は仏教徒) 本当に、散歩(という名のプチ家出)がてらぶらっと行った。 街中にある教会なのに、入った瞬間に全身が静けさに覆われる。人が2人程いるのに、物音一つしない。けれど不快じゃない。何かの感覚に似ている。 あぁ、森にいる時の感覚だ。と気づいたのは椅子に座ってからだった。 1人なんだし、大声で喚きたきゃ喚けば良いんだろうけど、その気が溶けて失せる感覚。 勿論、教会は静かな祈りの場。ちゃんとマナーは守りましょう。 前にいた信者の方達の姿勢を真似して、祈りを捧げてみる。 ところが祈りを捧げるどころか、これまでここで祈りを捧げてきたであろう方達に思いを馳せていた。 (※ご理解いただけるのは承知の上ですが、決して神様を蔑ろにはしていません。) いつの時代も、周囲に打ち明けられない悩みを抱える人はいる。 そんな人達がすがるなら、悩みを洗いざらい心の内でぶちまけても黙って聞いてくださる神様の存在はすごく有り難いと思う。 が、そこで思い至った。 教会などの祈りの場は、究極の自問自答の場ではないかと。 そして信仰されている神様(もしくは仏様)は、自分自身の姿を借りて“自問自答”に付き合われていると考えるのが1つの宗教ではないか。 じゃあ本当は神様と思いつつ心内で語りかけているのは、自分なのではないか。 じゃあ、その自分は誰なんだろう。 分からないから、やっぱり神様なのか? どうも信仰される方達にひっぱたかれかねないな…。 宗教を信仰するしないも、考え方も捉え方も、自由だと思っている。ただ、他人に迷惑をかける事がなければ。 神様仏様はその人それぞれ。 八百万の神様がいるという国にいるんです、考え方だって八百万のはずです。
2011.12.06
コメント(0)
平井堅さんの「KISS OF LIFE」. 初めて聞いた時から、忘れられない歌詞がある。 “言葉の刃に 負けないように 心に麻酔をかける 感じない日々を 補うための 映画ならば 泣けるのに…” この正直者が馬鹿を見る世界で、麻酔が効かない時には、どうしたら良いんだろう。 同じく平井堅さんの「fake star」. “携帯メモリー 一周まわったのに 会いたい人は誰? 見つけられない 見下ろすパノラマ 空虚なサクセス 広過ぎる部屋に 居場所が無い” 孤独を感じてしまう時には、どこにいても思わず上を向く。見下ろすことはない。 けれど初めて聞いた時に、その孤独な時の心情を見破られたような焦りと、心情を上手く表現してくれたという安心感の2つの感情を抱いた。 心は厄介だ。 勝手に相手を傷つける言葉を作り出し、傷ついて泣く。 そうかと思えば幸せに笑ってる。 怒ってる。 嘆いてる。 “ただの真面目な良い人”の分厚い壁を十数年かけて作り上げたのは自分なのに、“普通の友達”になりたい他人と距離を縮められない歯がゆさにのたうち回る。縮める時の痛みを知らないくせに、痛みを恐れて動けない。 平井堅さんの歌は好きだけれど、たまに聞いてるとこういった答の見つからない、端から見れば幼い悩みのスパイラルに陥る。 そして今日も答が出せないまま、自分の作った分厚い壁を補修する作業に追われる。
2011.12.05
コメント(0)
史料で論文に付けたい講演記録をちまちまポチポチと打ち続けた。 2時間もの講演記録だから長かった。 「諸君は」「諸君にも」とやたら諸君諸君言ってる。 そんなに諸君が好きなら諸君の家の子になっちゃいなさい。…ってのはとりあえず。 ポチポチ打ってる間に、自分がその講演会場にいるような錯覚を起こす。 会場にいる人達の反応はどうなんだろう。 名指しされた「堀越君」はびっくりしたかな。鷹揚に頷いたかな。 我こそはと奮い立ったかな。 それとも胡散臭く感じてたかな。 後2週間ちょっとなのに何だか楽しくなってきた。 写真は我が家の蝋梅の蕾。 蝋梅も論文も後ちょっと。
2011.12.04
コメント(0)
実家の近所にある大銀杏です。 今日は地域のお祭。 昔から馴染みのあるハレの日を楽しんできます。
2011.12.04
コメント(0)
久しぶりにお会いしたO田さんに、修論の筋を話した。 内容に矛盾も無いし、書き方もそれであなたがし易いなら良いと。 後は時間との勝負。 修論は卒論と同じ100枚以上。 卒論は3日で書き上げた。 大丈夫、史料は春先から頭にたたき込んでるからちゃんと入ってるよ。 史料のベタ打ちにちょっと手間取るけれど、大丈夫、タイピングは理系のRに負けないくらい早いから、すぐにできる。 発作が頻発しているのが不安だけど、これだけはどうしようもない。薬が効く時を待つだけだ。 とりあえず、Rが悲しまないように“痕”を作るようなことをしないようにしよう。 出来るものなら。 掴みどころが悪かったのか、ほんのちょっと、左腕に力が上手く入らない。 気をつけよう。
2011.11.30
コメント(0)
バイト先の玄関に飾られていました。 修論や病気のこと、実の母のように応援してくださってありがとうございます。
2011.11.29
コメント(0)
今日から帰省する予定でしたが、火曜日に用事が入るかもしれないことを思い出し、急遽キャンセル。 水曜日に帰ることにしました。 そして再びこちらに帰るのは来週の月曜日。 遠く故郷で心配している家族に、顔を見せに。 祖父が先週入院していたので、お見舞いと家事手伝いも兼ねて。特に風呂焚きする時はしゃがむし、犬の散歩は今の祖父には辛いだろうし、それくらいは手伝いできる。後、農作業も。 そして年末を控えた部屋の整理も兼ねて。あの部屋要らない物が多すぎる。 その他の時間は論文にあてよう。 普通は家事を後回しかもしれないけれど、上記以外はフリーだからかなりの時間を論文にあてられる。 やっと論文の姿が見えてきた。 頑張らないことを頑張ろう。 今体調を崩したら元も子もない。
2011.11.28
コメント(0)
助けてって言いたい。 やだ。 言いたくない。 迷惑かけたくない。 これ以上、何の迷惑かけるの。甘えすぎやって。 不必要なアドバイスで傷つけられるのが怖い。 拒絶されるのが怖い。 助けて。 甘えすぎって言わるのが怖い。 助けて。 拒絶したつもりが相手になくても、一度拒絶されたと感じたら、同じ人に助けてと言えなくなる。 助けて。 言いたくない。 助けて。 情けなくて涙が出てくる。 自分の体に涙になる水分なんてまだあったんだ。 助けて。
2011.11.25
コメント(0)
人間観察で面白いのは、観察する人は皆私に対する仮面を被っているが、注意深く見ると、仮面の下の全て……特に幼さが分かるところだ。 何かひどく傷つくことを言われたとしても、冷静になると相手の幼稚さが見てとれるため、呆れるような諦めたような、よく分からない笑いが漏れる。 そしてその人との距離の取り方を反省しつつ、学ぶのだ。 相手は自分の幼さがバレてると知った上の言動か、知らないままなのかは知らない。 それに安心するのだ。 この人もそうなのだと。 私と一緒なのだと。 そして相手が来てくれるのを待つという姿勢ではいけないという事も、年々思い知らされるのだ。
2011.11.25
コメント(0)
この病気には波があると聞いた。 今、波がひく時。 手が震える。 自分がさっきぼんやり考えていた事があまりに恐ろしいものなのに、それを恐ろしいと思っていない自分が怖い。 苦しい。 苦しいのに周囲に「助けて」の一言を言えない。 言ってる間に、張り詰めた糸が切れて自分が何するか分からないような感覚。 「助けて」と言う間に壁に頭をがんがんぶつけてしまいそうな恐怖。 それに必死に耐えざるを得ない時期が、今。 ブログは良い。 “声を出す”行為をしなくても生み出せるものだから。 動き回らなくてもできるものだから。 だから。 助けて。
2011.11.24
コメント(0)
タイトルにあるのは民俗学によく見られる用語です。 卒業式なんかで「この、ハレの日に」とか使いますね。 おめでたい意味で使用することが多いですが、ハレとは「非日常」を指す言葉です。確かに自動車学校などを除けば、毎日卒業式なんてなかなかないですね。 じゃあ「ケ」とは? 「ケ」はハレの対義語にあたり「日常」を指します。 このケはダムの貯水率と一緒で、日々増減しています。 時折このケが0になる時があります。 ダムの水と一緒で枯れてしまう、ケが枯れる。だから「ケ枯れ」(けがれ)と言うのだとか。 この「ケ枯れ」はダムの底に溜まるゴミのように、積もり積もって良くない状態です。 だから掃除する。はらうのです。 それが「ハレ」=非日常の場です。 お葬式を例にすれば、毎日を共に過ごした人が亡くなられる→日常(ケ)が無くなってしまう=ケ枯れ→お葬式という非日常的空間(ハレ)を作り出してケ枯れの状態をはらうと、ケは再び溜まっているのです。 ハレとケについての説明で、一番納得したのが上記の内容です。 ケは日々増減する。 なら、「プチハレ」があっても良いんじゃないかと思うのです。 嬉しいことがあった時においしいご飯。 楽しくないことがあった時には好きな入浴剤。 そんな感じで。 毎日をちょっとでも楽しく過ごすにはどうしたら良いかなぁ~と考えてたら、思い浮かびました。 こう考えなきゃ思い浮かばない自分の頭の固さにびっくり。
2011.11.23
コメント(0)
母は茶色。ココアとか、暖かい物を連想させる色。 父はヨモギ色。 娘から見てもやんちゃなところがまだあるけれど、基本的には穏やかな人。 姉は明るい黄色。銀杏の葉が色づいて、夕陽に照らされてるような。 Rはクリーム色。オフホワイトだっけ?クリームは形を自在に変える。クリームの形を調べる内に、すっぽりとクリームの中に埋もれてる。 先輩のIさんは深緑。 同じく先輩のAさんはワインレッド。 友達のMくんは銀鼠色。 Sくんは…空色かなぁ。 Nちゃんは少し薄い赤。紅色かな。 その人“らしい”色、なんとなくのイメージですがこんな感じ。 人にはその人のための色というのが、必ずあると思います。 それを探し求めて生きるのも、面白いと思います。 あなたは、何色なのでしょうね(^_^)
2011.11.22
コメント(0)
相手には祝われても迷惑だろうけど、嬉しいことがあった。 そしてやる気も出た。 きつい言われ方されるかもしれないけれど、修士論文を読んでいただきたい方。 その方に見せない内は、必要(指導教授とか)以外の人には絶対見せたくない。 学部の頃にお話した内容から、かなり離れつしまいましたが…。 ちょっとずつ、牛歩ですが進めています。 おめでとうございます。
2011.11.21
コメント(0)
偶然、今住んでいる場所と、春から秋までバイトしてた職場の両方が見られる地図を見た。 こんな長距離移動してたのかと思うと同時に、病気で満員電車に1人で乗れなくなって、バイト先に謝りにすらいけない今に苦しくなって、発作を起こしそうになって、耐えたけれど駄目だった。 古文書が読めるようになっていたかった。目録取れるようになりたかった。 他大学の同期の人と研究の話、いっぱいしたかった。 こんな形で、迷惑かけまくって辞めるなんてしたくなかった。 既に起きたことをぐずぐずと考えてはいけない。それよりは今後どうするかを考えた方が良い。 すぐにできるなら、こんなに苦しまない。 そして体が重たくなる。休みなさいと。 分かって、お願い。今は駄目なんだ。修士論文書かなきゃ。 休めないよ。 お願いだから、動いて。
2011.11.21
コメント(0)
雨が降ると、頭の中でCHEMISTRYの「SOLID DREAM」が流れます。 流されてしまえば。 子どもじみてると言われますが、雨に打たれるのが好きです。 高村光太郎じゃありませんが、付属品を捨てたらきれいになれるかなと。 綺麗になりたいというより、雨に打たれることで“0”の状態になりたい。 村上春樹『海辺のカフカ』で、主人公が雨に打たれるシーンがあるけれど、あれがすごくうらやましい。 けれど、温めのシャワーでがまん。 水道代を考えてしまい“0”になれずに服を着る。 きれいになるには、まだまだ。
2011.11.19
コメント(0)
もし人間の“器”を視覚化できるなら、どんなものなのでしょうか。 大釜みたいな人、飾り皿の人、お猪口の人、さまざまなんだろうなぁ。 私はどうなんだろう。 餃子のたれを入れる小皿くらいかなぁ。いや、もうちょい深いかな。 しかも電子レンジ使用不可。 理想の器を持つ人も周囲にいないし、そもそも理想の器が分からない。 まぁ、ゆっくり探せば良いや。 焦って理想の器を探している時間こそ、器を変化させられる時間なんだから。
2011.11.18
コメント(0)
動けない。 飲むと吐き気と目眩。 飲まなきゃ発作。 安定しない。 液晶がぎらついて見える。 休めない。 もう休みたい。
2011.11.16
コメント(0)
バイト先にペンケースを忘れていたので、朝一番に取りに行きました。 そこはお寺が近いので、樹木が多くあります。 すっかり秋めいて来たなぁと空を見上げたら、ちょうど風が吹いて銀杏の葉がざぁっと散り始めました。 他の樹木の葉も散っていたのですが、何故だか銀杏の葉に目がいってしまう。 何で?としばらく考えて分かったのが、散る葉の動きが、銀杏だけ少し違うからでした。 例えば、他の葉はスピードスケートをしているのに、銀杏の葉はフィギュアスケートで踊っているような。 落ちるのも他の葉に比べてゆっくり、ゆっくり。 遠くへ、より遠くへ。 樹木の事はよく知らないのですが、もし自分の遺伝子を残すために、次の春のために、葉を散らせていくのなら。 同じく生物の人間は何をいつ、何のために散らせていくのでしょうか。 そもそも人間の世界は、その行為が直ぐに受け入れてもらえる世界でしょうか。 人間は頭でっかちになり過ぎたのかなぁ。 何か、生物として大切な事を忘れていないだろうか。
2011.11.15
コメント(0)
違う。 違う。 違 う 。 私は研究したいのに。 ちょっとした物音にびびったり些細な事で落ち込みたい訳じゃない。発作を起こしたい訳じゃない。 何でこんなに発作が頻発するんだ。 何でこんなに。 大学院の人と話すのは神経がすり減るのが早いからあまり接触しないようにしている。 話したくないのに寂しいのは何故? いいや、甘えだ、こんな感情は。 いつまで私は子どもじみた甘えを引きずるんだ。 とっくの昔に甘えを与えてもらえる年頃は過ぎたんだから。 ここは病でも甘えて良いところじゃない。 今までだって甘えずにこれたじゃないか。 病でそれが表面化して甘えたれになってるのを指摘されただけで動揺するなよ。 いい加減にしろよ。 甘えるな。
2011.11.14
コメント(0)
祖父が入院したと家族から連絡。 生死に関わるものじゃないことに安心する。 それでも動揺はしてしまう。 家族の就職も決まったみたい。良かった。 昨日はRのお母さんが来られていたので1日観光案内役。 見送った後、昨夜はRの部屋でダウン。起き上がれない程の目眩で、ほとんど覚えてない。 外出が相当こたえたらしい。高熱があるみたいな異様なだるさがまだ残っている。 Rのお母さんと話してると、実家に帰ったみたいで安心したのにな。 やっぱり人混みと、その中で“うつ病じゃない人”を演じてしまったからかな。 勿論、病を自慢に思っている訳じゃない。 けれど、隠したい訳じゃない。 今の職場があなたの中学生、高校生の頃を思い返せば、まさに適職だねと笑顔で言ってくださったのは本当に嬉しかった。 だからこそ、これまでの私を知っているからこそ、伝えたかった。 なのに伝えられなかった。 カミングアウトする勇気が出なかった。
2011.11.14
コメント(0)
藤澤ノリマサさんの「SOULMATE」という歌を最近よく聞きます。 1つのドラマのクライマックスみたいです。 一部は前向きな言葉のはずなのに、胸がぎゅうっと締め付けられる切なさを感じます。 この歌では「SOULMATE」は別れる恋人を指しているのでしょう。 ソウルメイトは恋人だけに限らない、1人に限らないと思います…動物のいずれにも、人間に限らず犬やライオン、猿や亀にも必ずソウルメイト=魂の仲間はいるのでしょうか。 私にも、いるのでしょうか。 出会った時に、言葉を交わした時に、同じ空間で同じ時を過ごした時に、わかるのでしょうか。 それとも、離れて会わなくなった時にわかるのでしょうか。 あえて平仮名で「わかる」と書いていますが、本能で感じるのでしょうか。理性で判断するのでしょうか。 一緒に居て居心地の良い人は沢山います。 ソウルメイトとは、わざわざ尋ねなくても、お互い一緒にいて心地よいとわかる相手なのでしょうか。 気質や行動パターンが、周囲に似てると言われる相手なのでしょうか。 何となく、気がついたらすぐ側に寄って行ってしまう相手なのでしょうか。 たかだか歌1曲で考え過ぎかなぁ。 それともこうやって考え過ぎてるから、目の前にいるかもしれないその相手に気づかないのでしょうか。
2011.11.11
コメント(0)
夢を見る。 夢を見るのはとりあえずとしても、内容がリアルすぎる。 待っていたメールの返事が来た夢とか、あり得そうな事ばかり。 目が覚めたら混乱してしまう事が増えた。 現実と夢がごっちゃになるとはよく言うけれど、本当にそんな感じ。 薬の副作用なのか何なのか。 困った。
2011.11.11
コメント(0)
今日、私が住む街は曇り。 天気に気分がえらく左右されている。 体も心も低調。 せめて修論が出せるまで、あの寝たきりになってしまう期間が訪れないでほしい。 6月に寝たきりになって、動けなくなった。 不調だけど多少まともに動けるまで5ヶ月かかった。 何が辛いって、世間に置いていかれて独りぼっちに感じる事。 誰かに連絡することすら思いつかないくらい、思い詰めてしまう。 ただの甘えだ、なまけてるだけだ、さぁ、起きてバイトに、講義に行かなきゃ。図書館行って調べ物しなきゃ。 実際はそうやってもがいてる間に1日が終わる。 その繰り返しは、辛い。
2011.11.10
コメント(0)
本当に出来なくなってる。と言うより、したくなくなる痛さ。 足が痺れるより先に、膝に痛みが走る。 特に左膝がひどくて、伸ばすと本当に激痛が走る。 一度うっかり正座をするとひどい目に遭う。 関節が痛むなんて、体だけ、おばあちゃんになったみたい。 できなくなることばかり目につく時期と、できることが目につく時期の繰り返し。 今はできなくなったことばかり目につく時期なんだ。多分。 悲しいけど。
2011.11.09
コメント(0)
映画のラストで泣いたんじゃなくて、多分始まって5分くらいで泣き出した。 堺さん演じるツレさんの1つ1つの行動、気持ちを感じて泣いた。 現実のツレさんは、寛解と言われる状態だそうだ。 仮にツレさんのこれまでをスケジュール表のようにしたら、私は今、スケジュール表のどこにいるんだろうか。 そして映画中でツレさんが言った言葉が、夏に私がRに向かって言ったものと全く一緒で、いろんな事を思い出して泣いてしまった。 「うつ病になんかなって、ごめん」 と。 Rだけじゃなく、とにかくいろんな相手に謝りまくった。 家族、友達、バイト先、教授……私より遥かに大変な暮らしを強いられている、3.11で被災された方々にまで。 それくらい、申し訳ないと思ってしまう。 “うつ病なんて、ただ怠けて甘えてるだけでしょ”という言葉に、言った相手が狼狽するほど傷つくのは、言われた自分が一番思っているからだ。 脳の伝達に異変が起きておかしくなってるから仕方ないと思っていても、心のどこかにあるのだ。 “私は○○が嫌で、病と偽って甘えて怠けてるだけなのじゃないか”と。 それを認めたくなくて、周囲に必死に訴える。こんな状況だったんだ、この人にこんなこと言われたんだ。 だからうつ病になっても仕方ないよね。 私は怠けてる訳じゃないよね。 多分、うつ病になっている人が一番恐れるのが“人間社会の役立たず”になること。 だから必死に、いろんな手立てで“今はこんな状況でうつ病になってしまって役に立たないけれど、治ったらまた人間社会で頑張れるから”。 だから、私を見捨てないでくださいと。 他人に(勿論自分にも)解りづらいサインを必死に話すけれど、残念ながらあまり気持ち良い話じゃない。 話してる最中は気づかないけれど、話した後で思うのだ。 「そんなにあの人に傷つけられた訳じゃないのに、どうしてあの人を憎むような物言いをしてしまうのだろう」と。 勿論聞いた人は不快に思うだろう(本当にごめんなさい)。 ただ、うつ病の人が自分の発言で傷ついたという態度をとる裏側では、こんな風に思っている場合がある。という事を頭のどこかに納めておいてほしい。 限りなく面倒くさいだろうけれど、「言葉の行間を読む」ことを望んでいるのかもしれない。 うつ病を笑って(いや、笑わなくても良いけれど)昔話にできる日、私にも来るのかなぁ。
2011.11.07
コメント(0)
薬をもう飲みたくない。 いつまで、私はこの異物を飲み続けなきゃいけないんだろう。 夕食後のお薬をさっきのんだけれど、しばらく気分悪くて寝られなくなる。 もういやだ。 薬無しで寝られるのが、クタクタに疲れきった時だけだなんて。 けど、飲まないと自分がどうなるか分かっているから、飲む。 毎日、毎日、生きてる確認作業のように飲む薬。 1日毎食後、つまり3回飲む。 胃薬(薬で逆流性食道炎を起こしているらしい)増えたから、1日に合計で16錠。 嫌だ、嫌だ。 病気になった原因らしいものじゃなくて、周囲じゃなくて、薬漬けの今の自分が嫌だ。 動けそうなものなのに動かない自分が嫌だ。 動けよ。 たかだか論文1本くらい、寝そべってでも読めよ。 春には出来たじゃないか。 もう嫌だ。 どうして。 …ちょっと、何か温かいもの飲んで落ち着いてから寝ます。
2011.11.05
コメント(0)
37.7℃(平熱は36℃)出た。 免疫力落ちている所にこの熱は辛い。 いつまで、私は周囲に迷惑をかけるのだろう。 そして私はいつまで、周囲に辛い、惨めだと訴えるのだろう。 周囲にいつまで、不快感を与えるのだろう。 それが一番惨めだ。 加藤諦三の『心の休ませ方』。 本に傷つけられるのは初めてだった。が、読んだ。 自分が訴えることが誇大という事をこの本で知った。 じゃあそれを止められる方法を教えてほしい。 あの本は現状とそれに至る過程は分かったが、対処法が解らなかった。 自分がやっていることが周囲にどう映るか理解しているのに止められない状況程、惨めに感じることはない。 しかしそれが表面に出ることはなく(加藤氏曰わくの心の葛藤)、周囲は自分を見て感じたままの反応をする。 当然、心の葛藤を知らないからこその傷つける反応もある。 こちらとしては事情説明しても白々しいだろうし、わざとらしいのが自分で分かるからこそ、「分かってくれない」と感情的になるしかない。 何より、事情説明するほどの冷静さを持てる人と、それを聞く時間の余裕を持つ人が、今の世の中でどれだけいるだろうか。 じゃあ、もし傷つけられたと思ったらどうすれば良いのか。 “相手は知らない・分からないんだから仕方ない”と思うことだ。 触ったらいけない物と知らずに触って壊した人を怒るのは気が引けるだろう。それと一緒だ。 理解してもらおうと説明するのはそれからだ。 上から目線で偉そうにと思われるだろうが、これくらい強気な態度で対処しなければ本当に辛いのだ。 相手はビーチバレーボールをぶつけたつもりなのに、こちらは公式のバスケットボールをぶつけられたくらいの威力に感じるのだ。 お互いぶつけた・ぶつけられたボールの事しか分からないから意思疎通が難しくなる。 この文章こそ、不快に感じられたら方はご容赦ください。
2011.11.04
コメント(0)
自分は馬鹿なのかとしばしば思う。 いろんな事を知りたい。話したい。聞きたい。試したい。 けれど、やればやるほど自分の馬鹿さ加減を感じてしまう。 口がきついのにとろく鈍くて無愛想。 要するに不器用。 自分より器用な人を見て羨ましがる。 こんな自分にも良い部分がきっとあるはずだ。いや、あってください。 でも……どこに? それを見つけられないから、やっぱり自分は馬鹿なんだろう。
2011.11.02
コメント(0)
無愛想で冷たい子だと、昔からよく言われた。 あまり良い評価じゃないのは幼心にも分かったから、必死に「愛想の良い優しい子」になろうとした。 高校生の時に相手によって態度が変わるのはその時々に応じてペルソナ(仮面)をかぶっているからだと学んだが、その時私は、自分は常に二重のペルソナをかぶっているのだろうかとぼんやり考えていた。 1枚目(1番表)はもちろん相手に合わせたペルソナ(あまり合わせていないけれど)。 その下にあるペルソナは「愛想の良い優しい子」。 じゃあ全てのペルソナを取り去ったら、残った私は…やはり、無愛想で冷たい人間なんだろう。 いや、もしかしたら無愛想で冷たいのもペルソナかもしれない。じゃあ本当の自分って、何? 君は優しいねと言ってくれる人はいる。「無愛想で冷たい子」と容赦なく言ってくる人もいる。 私は“我”を他人の評価の中に見出そうとしているのだろうか。 正直な所、そんな自分の姿勢に嫌気がさす。 しかし三つ子の魂百までを地でいくように、その姿勢は幼い頃から自分にこびりついている。 自分もそうだが他人は(程度の差はあれ)みんな気分屋だ。 昨日信じていた人を今日けなし、明日またその人と談笑する。 そんな気分屋な自他に“我”を決められるのはいやだ。 かと言って、他に何の“我”を決められる術(すべ)があるのか。 いっそ、もう何も考えないのが一番良いのかもしれない。 言いたい人には言わせておいて、適当な相槌をうって聞き流す。 これが私に出来るなら、こんな早朝にぶつぶつ言うこともなく、暖かい布団の中で微睡んでいるはずなんだけれど。
2011.11.01
コメント(0)
心という字がきらいだ。というか、自分の今の字が大っきらいだ。 何度書いても、好きと思える字にならない。自分の字だと思えない。 「お前には冷たくて心がないから“心”って字も満足に綺麗に書けないんだ」 習字教室で書いた物を祖母に見せた時の彼女の感想。 小学校1年生で、私は「冷たく心無い人」か。じゃあ教室で先生や友達が言ってくれた「○○ちゃんは優しいね」はただのお世辞か。そうかそうか。 その出来事以降、私は祖母に書き上げた習字を自分から見せなくなった。 「心無い」孫の字なんて、見たら体に毒だろうにと、心の内で毒づきながら、見せてと言われる時だけ渋々見せた。 それでいけば、私は「女」も綺麗に書けないから女じゃない。 穏も桜も、私には手に入れ難い字。だから憧れてよく使う。 密かに、“母”という字は祖母よりましに書けると思っている。 早く、自分の字が欲しい。
2011.10.31
コメント(0)
どちらかと言えばバレエやワルツより。 アイリッシュダンスやフラダンス、沖縄の踊りや阿波踊りが好きだ。 その国、地方で昔から笑顔で踊られてきた「伝統」の踊りが好きだ。 生きている。 それを身を持って感じられる踊りが好きだ。 基本的な動きを覚えて踊り始める。 リズムに合わせて体を動かす内に、段々体が音に合わせて勝手に動くようになる。 これが「無我」の境地か? いや違う。 音楽の中に「我」が在る。 その「我」を見つけ出した人の踊りだから、その人の踊りにはその人の味が出る。 「無我」って中々手に入れられるもんじゃない。 というか、そもそも私が思う「無我」の踊りって、何だ? そう思いながら、部屋で1人、ぎこちないウウ゛ェヘ。 こんな事考えて踊るから、踊り全般下手くそなんだろうな。
2011.10.29
コメント(0)
自分を自分たらしめる要素を全て取り去ったら。 「私」はどうなるのだろうか。 あの空に全て。 吸い込まれるのだろうか。 それも良いかもしれない。 これまで抱え込んできた。 「私」の全てが重たい。 一度全部捨てて。 しまおうか。 空に。 吸い込まれたい。 「無我」と言われる。 ものになりたい。 地上に。 へばりつくのは。 疲れた。
2011.10.27
コメント(0)
風邪で喉を傷めたらしい。 まともに声が出せない。 無理に喋れば痛みと共に、自分のしわがれ声が耳について煩わしい。 喋りたくないけれど、大学院に行けば何かと連絡事項があるから喋る必要がある。面倒。 自他共に認めるお喋りな私が喋りたがらないという妙な現象。 今更な疑問だけれど、普段からあまり喋らない人は何をどう思うのだろう。 私の事は勿論うるさい人だと思うだろうけれど…それは私が虚しくなるからさておいて。 おそらく考えていることが全て自己完結しているのではないだろうか。 疑問も推測も全て自分で熟考して結論を出すから、考え方に一本の芯が通っている。 一本の芯が通っているから、他の意見があっても「成る程ね、それでも私はこう思う」と他の意見に左右されることは少ないだろう。 そういう人を頑固者だとか融通がきかない奴だとかはあまり思わない。むしろ喋りたがりで人の意見に左右されやすい私には羨ましい性格だ。 ただ、話す時には自己完結した考えだけではなく、考えている途中のものも話してくれたらな、と思う。それだけその人の考えていることに興味があるのだから。 意外と?周囲の人にはそういうタイプの人たちが多い。 だから、私は喋る。 話の相手が何をどう捉えているか、それを知る糸口を掴むために。知って、もっとその人と話したいから。 熱出てきたから今日はこの辺で。
2011.10.27
コメント(0)
動揺しやすい。 物音にもビクつき、ひどい時はクラクション(自分と関係ない)にも動揺する。 ニュースの内容も変に集中して聞かないといけない。 ぼんやり聞いてて、うっかり血まみれのカダ○ィ大佐の映像とか見てしまった日には夢で見てしまい、もう自分の小心者振りに笑えてきた。 つまり、暗いニュースは見られない。 このご時世、暗くないニュースを除いて見てたら世の中の動きも分からない。 久しぶりに気づいた“苦手になってしまった事”。 ショック。 苦しい。 今でも何度も何度も自問自答している。本当に私はこの病気かと。ただだるいと思っているだけじゃないのかと。 その度「お前は病気だ」という事実を我が身をもって伝達される。 今日、ささいな事で動揺のあまり、しばらく声が出なくなった。喋りたいのに声が出ずに口をパクパクさせるだけだった。 声が出せた時、声を出せていることを周囲にも確認してもらいたくてRに電話したり周囲に連絡してしまった。 何で、どうして。 どうして人に必要以上の迷惑をかけてしまうんだ。 どうして甘えてしまうんだ。 どうして体が動いてくれないんだ。 自分を追い詰める発言は良くないのはわかるのに、やっぱり自分を追い詰める。 原因を詰るのは簡単だけれど、それはやっちゃいけないことだと僅かな理性が働いて叫んでいる。 だから自分を責めるしかできない。 何で?どうして?
2011.10.26
コメント(0)
全900件 (900件中 1-50件目)


