Nov 2, 2005
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カテゴリ: 映画・ドラマ
11/01放送の「火垂るの墓」実写版ドラマを観ました。。

アニメは見ていないので、これが私にとって初めての「火垂るの墓」です。
今回の実写版では主人公2人の兄妹に加え、
その叔母にも焦点があてられていることがアニメと違うようです。
親を亡くした二人に、
何故叔母が辛くあたらなければならなかったのかも描かれています。

松島菜々子演じる叔母久子は、身寄りのない疎開先の土地で、
4人の子供と脚の不自由な義弟を抱え、
更に従姉妹から残された2人の兄妹の面倒を必死にみようとしますが、

これからは自分独りで、全てを背負っていかなければならないという
自覚と決心から、現実的に対処するようになっていきます。

母親を失って悲しむ節子の世話にかかりきりになり、
隣組にも出ようとしない清太への久子の突然のきつい言動に、
海軍大佐の父の教えが拠り所だった清太は戸惑い、
理解できずに妹を連れて自ら家を出て二人暮らしを始めます。

余裕のある時であれば、兄妹の心が少しは癒え、
現実を直視し対処できるようになるまで待つこともできたでしょう。
それもできず、さらに呼び戻すこともできない。
心を鬼にしていかなければ、自分も子供も飢えてしまうという
ギリギリの状況の中での苦渋の選択。


みんな自分が生きていくことだけで必死なのです。
戦争は人の命を奪うばかりでなく、
人間らしい心までも奪っていくものなのだと、
知識として持ってはいても、具体的に突き付けられたようで呆然としました。

妹の節子が栄養失調で死んでいく場面を見ても、


節子の死を知った長女のなつが「私、もう生きていたくない」と言うと、
「死んだら負けなのよ」と久子が叱咤する場面があります。
番組HPのBBSではこの久子のセリフへの批判もあるようでした。
「負け」という言葉が引っ掛かるのかもしれないのですが、
「終わり」という意味に私はとりました。
そうやってなり振り構わずに生きていかなければ生きられない、
そういう過酷な時だったのだと思います。

冒頭は60年後の今、おばあちゃんになったなつが、
久子の遺品から昔のドロップの缶を見つけるところから始まります。
清太が火葬した節子の骨を入れた缶です。
ここで口には出さなくとも、久子がこの十字架をずっと背負っていた
ということが分かります。

最後のシーンも現代、なつが孫と語る場面があります。
「まだ戦争は続いている。だっておばあちゃんが生きていなければ
お母さんも私もいなかった」
という内容の孫の台詞にハッとさせられました。

今自分があるのは、そうやって戦時中には祖父や祖母が、
更に遡れば祖先たちが、どんな辛くて厳しい時代をも
逞しく生き抜いてきてくれたからに他ならないのだと。
そして、そんな犠牲と努力の上にようやくここまで来た日本…。
それを心して私たちは守って、より確かなものにしていかなければ
いけないのだと改めて思いました。

エンディングにはイラクの子供達の映像と清太と節子の映像が交互に
流れました。
まだ世界には清太と節子のような子供達がいる…というものでした。

最初は、泣きどおしになるんだろうと思っていたのですが、
話が進むに従って涙がでるどころではなくなりました。
重い衝撃を受けたドラマでした。

こういうドラマを見るのは辛いですが、戦争を知らない私たちや、
これからの子供の世代こそ見なければいけないものでしょう。
ただ単にこの兄妹が可哀想だというだけではなく、
これがどういうことを意味するのかというのを、
よく考えながら見なければいけない、そう思いました。

終戦六十年スペシャルドラマ「火垂るの墓」HP





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Last updated  Nov 5, 2005 09:09:08 PM
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