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2006年03月06日
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※某SNSサイトのある日の日記の一部として書いたものを加筆、修正したものです。

なんか女々しいって言葉は所謂”女々し”くない女の人に失礼よね。女々しいと言われようとも私は雄々しく(もしくは男々し?)なるつもりなんてサラサラないけど。

 生物学上のsex、性別以上の”男”っていうジェンダー、社会風俗的に本来流動的で無常たるはずの精神概念、社会通念を(男性が)自らの強さの拠り所、もしくはその一部にしてしまうのは、それ自体むしろ弱さだと私は思う。でもそういう男の弱さにも丁度、利害一致的に所謂”女々しく”(と、こういう場合にこそ恐らく世間で言われるような意味で使われて然りと思うんだけど)拠る女性も実際結構居て、楽な相互依存関係というか社会通念的に裏付けてもらえる確信的共犯関係が意識無意識を問わず楽に手に入る、”そうあって当たり前”な空気が雰囲気として流れてそれを許す以上そもそも意識する人自体少なくても仕方無いのかもしらん。

 ただ、よくフェミニスト(のような人)ってのは専業主婦を批判するけれど、そういうこともきちんと認識した上での主婦なのであれば私はそういうマッチョイズムの共犯者とは特に思わないし。ただ、主婦が許されるなら、主夫も認知されて然るべきであろうし、男女の雇用機会が真に(厳密にいうと最小限の性別性差の範囲での区別保護、それは男性に対してもおなじ事だけれど、は踏まえた上で)平等であることが出来れば、役割の在り方は多様で在れるだろうと思う程度で。その選択肢の一つとしての専業主婦っていうのは何も批判されるべき対象ではなかろうと思う。まぁ、ギリギリの経済の中でさらに国民にギリギリを強いて、年収300万円時代の云々なんて本が売れる日本で、完全な専業主婦ってのも今はなかなか難しいのかもしれないけど。逆に言うと、そういう中で(経営側として楽な事じゃないのは解るんだけど、ぶっちゃけ男共の給料削ってでも、そういうのを上手くやるのが本来のリストラ=リ・ストラクションなんちゃうかと。・・・すみません自分でも方策とか思いつかないのに出来ない事偉そうに言いました:汗)女性出産育児後の再就職(パート、バイトではなく)っていうのが選択したければ出来るのが理想なのだろうけれど、まぁ普通に就職は難しい今日日、とかぼやいてもま、それはまた別の話。

 本来、それに対してもっと理性的に疑問を投げかけて、啓蒙なりをする目的だったはずのフェミニズムは今やとても奇妙でおかしな方向に走ってるし。まぁフェミニズムっていう名前からして(femmeが女で、ismが主義なら、女性主義って事になるわけで、男女、彼らには女男か?wどっちでも私は良いのだけれどその両性の平等を目指すなら最初からしてこの名前ってのは)オカシいといえばおかしかったわけだから仕方ないけど。女性優遇がやりたいのか、男女同権を目指したいのか、一般にはもうオカシなフェミニストと本来的フェミニストって区別が付かないのかもしれないし、むしろ、女性優遇をヒステリックに叫ぶのがフェミニストと思われちゃってるかもしれない。

 少し、セックスとジェンダーに唐突に戻って言えば、例えば、民法に母性の保護っていうのは謳われてる。現在の内容はともかく、基本的概念っていうのは性別(セックス)の保護であって社会的性役割(ジェンダー)の押しつけではない。そのへんすら区別できてないんじゃないかっていう人(法学な人も含めて)ってもしかして多いんじゃないかって危惧が私にはある。或る程度法が時代に敏感に左右されすぎずに保守的である事の必要性ってのも理解するけれど、それを考慮したとしても、商法改正とかしてるくらいなんだし、そろそろ時代に見合った見直しを本格的されるべきだと思う。だからといって母性保護のような概念、っていうのはアレルギー反応起こして否定するようなものでは無くて。民法自体が今、結局まだジェンダーに或る程度捕らわれてるのも確かだけれど、それと生物的性差の保護を一緒くたに考えて論じてしまうのは浅はかやと思う。けど、たぶんそう言っても、解ってくれないリベラル系のお方っても結構居るのかもしらん。解っててわざと論じない事で女性優遇をそこまでしたいのか、それとも、そのへんさえまともに区別して論じられない人が多いのか。

 興味とか問題意識のそもそもあまりない人に対して、(問題提起と情報を与え、判断を促すのがそもそも啓蒙、啓発なんだろうけど)ボーっとしてても、メディアに露出して、お茶の間に届いてくるのはテレビタックルになんかによく出てた(まだ出てるのかしらん)法政大学かどこかの某・田島陽子みたいな感じのばかり。たぶんテレビ的には道化として茶化し易くオイシイんだろうけど、フェミニストっていうより結局、あれは女性を意識しすぎた故に男根コンレックスにトラウマの如く捕らわれてヒステリー起こすオカシなおばちゃんってだけだと思うんだけど。舛添要一に笑われてもあれは仕方ない。田島陽子自体がメディアの道化に使われてる事さえも(田島陽子はまぁ商売やから自覚してるかもしれないけど)解らずにあの浅はかな論に共感してしまう人(なんか偏見だったら申し訳ないけれど、主婦の人が多いように思う)にわかフェミニスト擬きってのがまた出てきて、突如変に目覚めちゃって身近の男達に妙な事を叫び始めるっていう、草根・プチ・ジェンダーテロ的な事なんかがあろうものなら、さらに一般的な”フェミニスト”ってものの認識は混迷を極めてしまう。むしろ悪印象さえ持たれかねない。本来ああいうのはフェミニズムなんかじゃないだろう。けど、そんなしか茶の間、世間に届かないからそんなものだと思われてしまう。”自称”フェミニストやフェミニスト”擬き”が結局、同権を目指すフェミニストやひいてはフェミニズム全体の、足を引っ張ってるって気がする。もうおかしな方向っていうよりフェミニズムの亜流、我流、邪道、偽物によって浸食されてフェミニズム自体が自壊しかけなのかもしれない。

 私は、理性的に同権主義を目指しているフェミニズムにしても、まだ成熟しきっているとは思っていなくて。フェミニズムっていう名前自体はどこかの時点で変わるかもしれないし、そうなる方がよいのかもしれないけれど、同権思想そのものがもっと体系的に整理されて成熟し、”一つの”思想、主義として、もっと在るべきポピュラリティーを持ちたいのなら、今の状態は由々しいものだと思うし、下にも少し書くけれど、ラディカルな女性優遇への反動が女性を傷つけかねないと思う。

つまり、2種類のフェミニストもどき(ジェンダーとセックスの違いを無視する、特に女性優遇主義者)と、本来的なフェミニスト(ジェンダーとセックスの違いを踏まえたまともな男女同権主義者)の区別が一般的に付きにくいのを良い事に、”雄々しい”思想(苦笑)にすがる男性の方々の一部が、(上記のようにメディアがそもそも悪いんだけど)フェミニストっていうのをまともであろうと変であろうと、どちらも一緒くたに田嶋陽子のようなイメージにまとめあげ「フェミニスト=ヒステリックで浅はかな思想の女性優遇主義者」っていうレッテル、イメージを掲げて、揚げ足取りをして、鬼の首を取ったような満足そうな笑みでもって、で男根主義、男尊女卑的懐かしの(苦笑)風土復活を夢を見て”論らしきもの”を展開してるようなのも一部居るわけで。まともな同権主義者も居るっていうことを知っていながら、その存在をスルーし、自分の論の中では隠して、ああいうことを言ってるなら、とても、恣意的でアンフェアなやり方だと思うのだが、その辺はあの人達は”男らしく”ないとか思わないのか少し疑問に思う。(笑)知らずにやってるならただただ、浅はかな懐古主義というか、化石的脳みそまで筋肉マッチョメンなわけでw それはそれで救い様がないように思うけどね。



 どのみち田島陽子如きのようなレベルの論者の揚げ足取った所で今更明治時代みたいには戻れないのにね。大体が、ああいう今に繋がる男尊女卑的価値観自体、平家以降の、武家的思想(性差として男の方が主に武士=戦力になりやすい故に尊ばれる、大河ドラマなんかで”お喜び下さい、殿、元気な男の子(おのこ)に御座ります”とかあるっしょ?w 姫君が生まれた時に武家で”お喜び下さい”とかはあんま聴いたことないわけで。娘は武家社会の繋がりを保つ為、嫁として”家”から出てしまい、跡目を継げない。ちょっと古い”結婚”=主に嫁入りの概念とか、それこそ端午の節句に男児の為に鎧を飾り、”力強く”という願いでもって鯉のぼりを上げる。そういうのもまた名残といえば名残だし。)に拠るものであって、そんなに歴史がある訳でもないのに。

 今、男性にしろ女性にしろ、田嶋陽子のような論者に反感(てのはなんかレベルが低いけど)、疑問、問題意識を持ったとしても、結局の所、民俗学的な見地なり思想的な見地なり歴史的な見地なりを俯瞰した上で、”では新しくこういう考え方で男女互いの在り方を創り上げたらどうか”っていうクリエイティブな形で、論を返すならその内容がどうあれ、多少の好感、共感は持てる。けれど、ああいった極論者に対して、こともあろうに、「お前は違う、じゃぁどうする?そりゃぁ昔みたいに男が~」とか自分で思考し論を組み立てる事を放棄して、懐古主義と、今や干からび掛けた昔の価値観の借用でもって、”論”のつもりになって、あまつさえ、父権復活の夢に思いを馳せたりしてどうするんだ、それじゃ結局あんたも極論だし同レベルや、とか思うわけです。

 こんな事をつらつらと思い綴ったからとて、でジェンダー系の研究者になろうとか言うわけでもない私がここに、こうやって事書いても力は非常に小さいのかもしれない。けれど、考えとして賛同なり、問題意識や疑問、反論(反感は持ってもしゃぁないけど言葉にするとそれは全く論じゃないので勘弁)のような思考を誰かが少しでも持つきっかけになるならちょっと、男ってジェンダーに収まるのにものすごく抵抗のある俺としては嬉しいのかもしれない。





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Last updated  2006年03月06日 13時28分58秒
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