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・・・先日記事にも書きましたが、一眼レフカメラをスッポリくるくるっと包んでしまうラバーのプロテクション “Camera Armor http://plaza.rakuten.co.jp/DrTony/diary/200812160000/ ” が気になって仕方がないワケです。 どことなく近未来的と言うか、ゴムでピッタピタ~みたいな感覚になんともソソラレてしまうんですね。 ところがまぁ~不幸にしてと言うか幸いにしてと言うか、我が愛機 SONY α200用は売り出されて居らんのです。 先代α100用ならばラインナップされ、尚且つ、もういい加減ディスコンティニューにするつもりなのか?只今セールになっているようです。 とは言え、100と200では筐体の形状も違い、買って無理くりにでも着せる!なんてぇ事も出来ますまい。「ここは黙って諦めなさい!」 との神のご意思かも知れない・・・と考えつつも、未練がましく同社のウェブサイトを眺め回して居りました。 するってぇと、画面の隅っこの方に “Contact Us” なんてぇボタンが在るじゃ~ないですか!ナマジこんなオプションを見つけ出しちゃうと、一度は 「諦めろ」 と諭され自ら鎮めた物欲が、再びにわかにムクムクと頭をもたげ、逆に 「諦めてはいかんぞよ!」 と励まされているようにすら思えて来ちゃうから不思議です。 時は大晦日。しかも時刻は既に午後5時を回り、いくら年末年始を大したイベントと重要視しないアメリカ人と言えども、さすがにもう働いちゃ居ないでしょう。 「電話して出なかったら、男らしくスッパリと諦めるか・・・」 などと、ひとりブツブツ言いながらピポパッとコール致しました。 結論から言っちゃうと。この年末だと言うのに、まだ仕事をしているキリギリスのような男がこの国にも居りまして。彼曰く、「2009年の秋頃には発売するかもよ?」 だそうで、まるでヘビの生殺しのような中途半端な情報をくれるワケです。 う~むぅぅぅそんなこと言うから、焼けぼっくいにまた火がついちゃったじゃないか!
2009.01.02
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・・・いやぁ~年が明けましたねぇ。新しい一年が始まりました! 実際ココはまだ大晦日の午後なんですが、テレビ中継を見ていると、地球の自転に合わせて次々と色々な国の日付が変わっていく様が観て取れます。 放送していたのはCNNなのですが、しかしちょっと引っかかる事に・・・ニュージーランドの新年の様子が写し出され、それにオーストラリアが続き、「さて、お次はいよいよ日本かぁ~」 と思っていたら、なんと韓国はソウル!「ありゃりゃ」 と言っている内に、北京、ホンコン、台北、タイ・・・と、どんどんと遠退いて行ってしまいました。 う~むぅぅぅ 日本ももっと頑張らなくてはいけません。 おそらく日本が割愛された (シカトされた) 原因は、番組の著作権に絡むアレヤコレヤだと思うのですが、北京にいたっては特派員まで送って現地と中継を結んでいたので、少々憤ってしまいましたよ・・・ あぁ、いかんいかん!新年早々またガミガミ親父Modeになってしまった。(汗) 慌ててお話を変えて。新春一発目の写真は、先日久~しぶりに持ち出した “Reflex Nikkor 500mm” でのワンショット。 この日は車に乗って、ひたすら北へ北へと走ったので、ペンシルベニアでは少し前に降った雪がまだ残って居りました。こりゃ、一見牧草を食む牛に見えるかも知れませんが、実は “野良鹿” です。 一般的に野生の鹿は、そんじょそこいら辺り近所で歩く姿を幾らでも目に出来たり、可哀想に車に轢かれていたりするのですが、大抵は雄の単独行動、または子供を連れたお母さんといった構成が多く、これだけの大集団が一挙にウロウロしているのを観る事は稀です。 一族のリユニオンでもあったのでしょうか? それとも、付近住民 (鹿) のパーティー? ちょっくら甘めのピントはご勘弁のほどを!ちゃんと三脚を据えたのですが、緩んだ地盤にケーブルリリース無しで、ほんの少しだけブレてしまったようです。 こうして見ると、500mmでもまだまだ寄り切れてませんねぇ~こりゃ、1000mmの購入を考えた方が良いかなぁ・・・ ムフフッ
2008.12.31
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・・・え~と、今日はまだ30日なワケです。現在、日本との時差は14時間ですから、もし明日の今頃ワタシが記事をアップしようとしたら、日本は既に年を越しちゃってるんですねぇ。 ですから、一日早いんですけれども、今年一年を振り返りつつ来年の抱負を申し述べたいと思います。 正直なお話。去年の暮れ頃には、ワタシの中でDSLRに対する興味などほとんど無きに等しいモノでした。それだけ、フィルム写真の世界も今ほどには切羽詰まってなかったって事ですね。 モチロン 「先行き安泰!」 とまでは考えて居ませんでしたが、まだまだ需要は無くならんだろう・・・程度の心積もりで居りました。 それがど~でしょう。たった一年の間に、身の回りで売られていたフィルム式カメラはスッカリ姿を消すわ! 更にフィルムまで手に入り難くなるわ!その中でも個人的に際立つ象徴的な事件が、家の近所に在る老舗大型写真機材店の閉店騒ぎだったのです。 この店とは、20年ほど前にTENBAのバッグを買って以来のお付き合いでしたので、ひとつの時代の終焉を感じずには居られませんでしたねぇ・・・南無 こうしたセンチメンタルな事件の少し後にワタシは初のDSLRを購入したワケですから、やはり心の中のどこかで時流に抗いつつも押し流される、丁度そんな時期に当たっていたのかも知れません。 しか~し。今後もフィルム写真は撮り続けますよ!資機材の入手の道が絶たれるまで、可能な限り継続したいと考えて居ります。 さて、肝心の新年に向けての抱負ですが。来年こそは、特定のカメラメーカーや特定の人物に対する “文句” を控えようかなぁ~と思いますねぇ。 いやいや、今までだって決して他人様の悪口が趣味だったワケじゃありませんよ!只、ワタシとしては自分の気持ちを押し殺したくなかっただけの事なんです。 生来の正直者なんでしょうかねぇ~ あははっ でもまぁ。人間、思いのままに生きれば兎角軋轢を生んでしまうのも事実で。要らぬ摩擦を無くすためにも、来るべき2009年はもう少し大人になりたいなと思う次第ですよ。
2008.12.30
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・・・SINBIさんが “MC ARAX 2.8/35mm Tilt & Shift lens” というアオリ操作可能の実に興味深いレンズを遠路ウクライナより購入されたので、ワタシも少なからずインスパイアーされて居ります。 実のところを吐露致しますと。前々から “Lensbaby” なる 「面白レンズ」 が気になって居りまして、今回のSINBIさんのニュースを聞きつけ、ワタクシ心理的にはかなり危険な状態に陥って居ります。 ははっ このLensbabyは、独特の描写にこそ真骨頂が有るのですが、構造もまたユニークで、チューブ状の蛇腹を伸縮させる事でピント合わせを行い、当然レンズをグニャリッと曲げてしまう事も可能なのです。 要するに “アオリ操作” が出来るワケですが、こうする事により画面中に合焦点とボケている点を自由に創出できちゃうんですねぇ~ とは言え、アオリの移動量を微妙には調整出来ませんから、効果をコントロールするのは至難の業ではないか?と思います。 まぁ、こういったレンズは、思わぬ結果を楽しむのが王道的使い方なのでしょう! 残る問題は、そのお値段なのですが・・・「面白レンズ」 「トイ・レンズ」 と一概に呼べない微妙な価格なんですよねぇ。 その一点が有ったればこそ、衝動買いという場外へ徳俵イッパイで踏みとどまって居る次第です。
2008.12.23
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・・・年末の大掃除を終了致しました。と言っても、家人にとってはまだまだ不十分なのかも知れませんが。 はははっ 2008年の一年という時間をかけて堆積したガラクタまがいの写真機材の小山を、片っ端からプラスティック製の衣装ケースに詰め込み、ワタシ的には 「これで良し!」 と大満足して居ります。 いやぁ~片付いた片付いた。 スッキリした! 序ですから、日頃使用頻度の特に高い機材達はアルミニウムのケースに移し変え、ボディーとそれ専用の交換レンズが離れ離れにならぬよう入れ替えましょう。 さてさて。そんなこんなをしながらも、間もなく過ぎ去ろうとしているこの一年を振り返ってみて、最も活躍したカメラはどれであったろうか?と考えるに・・・ そりゃやっぱり今年も “Nikon F3” に決まりです!この堂々の一位は、例え何年経とうとも微塵も揺るがぬようです。 では、レンズは? こちらは迷いますねぇ・・・F3に装着して頻繁に使うと言えば、24mm。でも、35mmも同じくらい出動するなぁ・・・ う~むぅぅぅ しかし、なんのかんの言っても結局は50mmでしょう!やはり行き着くところ落ち着く先は、標準レンズなんですねぇ。 引けば広角気味に大きな範囲を写し撮れ、寄れば望遠のように主題をクローズアップも出来る。距離の圧縮も歪曲もない素直な描写は、強いアクが無いだけに難しくもあり、実に取り組み甲斐のある一本です。
2008.12.22
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・・・「ニューフェース診断室」 と言えば、写真雑誌 “アサヒカメラ” の人気コーナーで、そこで活躍されたドクターオグラ氏は、ワタシもその著書を愛読させて頂いた写真界の重鎮であったワケですが、本日は足元にすら及ばずともタイトルだけ真似させて頂いて、我が家のニューフェースを診断したいと思います。 尚、科学的テスト一切無し!の極めて感覚的な診断ですので、「おいおい、そこは違うんじゃねぇ~の?」 という事項がありましても、どうぞご勘弁のほどを。 ちなみに本記事は、先だって伺いましたブログ 「私が間違っておりました。」 のエンゾーさんより頂いたリクエストを基にしたモノです。 さて、ワタシが今回購入致しましたSANYOのデジタル・ムービーカメラ “VPC-E2” は、日本において “DMX-CA8” の名で販売されているモノと同仕様のウォータープルーフ・カメラであります。 SANYO製の他のラインナップを見ますと。ハイディフィニションの “HD800” (友人が所有して居り、E2と同サイズながら画像は結構綺麗!) と “HD1010” (こちらはフル・ハイディフィニションだが、カメラサイズはひと回り大きい) 辺りが対抗馬となりましょうか。 このどちらも、なかなかの魅力機という事になりますねぇ~ ですから、選択の方法としては。ちょっと大きくても構わないから一番の高画質を!と望むならば、HD1010。コンパクトでもそこそこの画質は欲しい!となれば、HD800。アウトドア・アクティビティーでバシバシ使いたい!のであれば、E2 (CA8) ってな具合です。 もっとも、ワタシにとっての決定打は、アッと驚くセール価格の安さでしたが。 ははっ 実際に使用した結果は、なかなかに上々なモノでした。スティル (800万画素) もムービーも、どちらもワタシ好みのコッテリした色合いでしたし、本体の小ささから来るお手軽さは、他社製カメラの追随を許しません。 ズボンのお尻のポケットにも入りますし、ベルトポーチに入れて日常持ち歩くのもOKです! 手振れ補正も顔検出機能もそれなりに効いているようですし、マイクの感度も悪くなく、かなりの低輝度でも明るく撮影可能です。 何よりも、単体のスポットメーターほどの大きさですから、周りの人々に及ぼす警戒心も最少で済むような気がします。 尚、ひとつ不満を挙げるならば、それは立ち上がり時間のディレイで、電源投入時は言うまでもなく、サスペンドからの立ち上がりすら少しモタモタしている印象です。 これは仕方がないのかなぁ~ もっとも、ワタシの場合は、平均的デジタル・コンパクト機のスタートですら遅く感じてしまうので、この程度ならば許容の範囲なのかも知れません。 最後に、ひとつ気がついた事は。一般的ハンディーカムの撮影スタイルである “左手はモニターに添える” 持ち方よりも、このXactiに限っては、拳銃を撃つ時の様な “左手で右手を下から包み込むように支える” ホールド方法の方が、ブレずに好結果が得られるようです。inset photo: Xactiにて撮影
2008.12.20
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・・・え~先日は、Contax AXが欲しい!というお話を書いたワケですが、その欲しい理由である “バックフォーカシィング方式” の焦点調整機構を持つカメラは、なにもAXが始めてじゃ~ありゃしません。 この “Mamiya 6” (レンズ交換式の新しいモノではない) もまた、そんな意表をつく構造のカメラでした。 本機が、常識的なレンズの前後操作ではなく、異端のフィルム面移動を採用したのには、AXとはまったく異なる理由が有ったからです。 蛇腹による折り畳みをおこなうフォールディング・カメラでは、レンズと本体間の機械的リンクが保持し難く、これがレンジファインダーとレンズの繰り出し量を連動させる事を困難にして居ました。 つまり、LeicaがバルナックタイプのD型で実現できたモノも、ひと度レンズが出たり入ったりするとなると、途端にそう簡単にはいかない難事となってしまうんですねぇ。 今であれば電気的な連動でどうとでもなるのでしょうが、この解決に間宮氏もさぞ悩まれた事と思います。 そして、導き出された解決策が前述のバックフォーカシィング方式であり、裏蓋を開けてマスク部を見ますと、焦点調整に合わせてフィルムガイドが前後する様子を確認出来ます。 こりゃ、当時さぞや画期的なアイディアであった事でしょうねぇ~ しかし、そんな快挙とは別に。ワタシに今ひとつ理解出来ないのは、ウェストレベル・ファインダーを装着したような一眼や二眼レフ機ならば兎も角、横位置も縦位置も自由自在思いのままのカメラデザインで、何故に6×6というフォーマットに固執したのでしょうか? そんな事を疑問に思ってしまうほど、ワタシはこのサイズのプリントに存在価値を感じないのです。(使いこなせないだけ・・・とも言える! あははっ) ワタシにとって落ち着きのある構図とは、あくまでも黄金率の矩形が基本であって、スクウェアの画面は後にトリミングする事を前提とし、よもや余白や余黒出しでフレームのまま焼くなどとは思いも寄りません。 ですから、最近のコンパクト・デジタル機に搭載されたような “真四角画面モード” も想像の外なのです。 まぁ、現代だからこそ目新しく映る新鮮さ故なのでしょうかねぇ~
2008.12.19
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・・・連日送りつけられて来るカメラ屋からの広告メールを、嫌な気ひとつせずに眺め回しているワケですが、本日もまた面白い一品を発見致しました! ジャジャ~ン、その名を 「Camera Armor」 と申します。 本品は、DSLRに装着する・・・ってぇか 「着せる!」 ラバー製のプロテクターで、こりゃもう本当にクルクルっとカメラ丸ごと包み込むようにカバーしちゃうのです。 実装された写真を見ると、それはほとんどSFの世界、さもなくばボンデイジ・ファッション。 今の一眼レフは、昔のモノと違いボディー全体がプラスティック製ですから、長時間ラバーと接触させるとなると、化学的な変質が起こるんじゃないか?と心配にもなりますが、このCamera Armorは “elastomeric silicone” で作られているとの事で、その辺りの配慮は充分尽くされているのでしょう。 ちなみに、PolycarbonateのLCDシールドも付いて居るらしいので、文字通りの完全武装ですね。 尚、ウェブサイトを見れば一目瞭然なように、同社は、ほぼこのCamera Armor一本で勝負しているメーカーなんですが、プロダクトの隅から隅まで見回しても、我愛機 “SONY α200” 用のソレを見つける事は出来ませんでした~ (涙) α100用は在ったんですがねぇ・・・ しかし、ちょっと待てよ。もしα200用が売り出されたとして、それを買ったとしたら・・・必死になってボディー中のロゴやマークを消したワタシの苦労はどうなっちゃうの? (苦笑)
2008.12.16
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・・・ワタクシ、傍目にはチョコマカッとガラクタのような写真機を頻繁に買い漁っているように見えますが・・・まさにその通りです。 今や余り一般的に価値を認められず、安いが魅力的な往年のカメラを見掛けると、ついつい触手を刺激されてしまうのです。 こりゃ、衝動的な欲望ですね。 とは言え正直なところ、これ以上欲しいと願い続けているフィルム式カメラというのも、もうほとんど無いのも事実です。 ここで 「ほとんど・・・」 と言葉を濁したのは、決してゼロではないからなのですが。 では、今も心の片隅で欲しいという想いを暖めている写真機とは?それは、嘗て京セラから発売され世間がアッと驚いた “Contax AX” なので~す! Contax AXは、発表当初から波乱含みのカメラでしたねぇ。なんと言っても、天下のCarl Zeissが製造した往年のマニュアル “名” レンズ群をオートフォーカスで使える!という一事に世のカメラ好きはドヨメイタものです。 しかし、そのフランジバックを操作するという “コロンブスの卵” 的アイディアが、実は単なる暴挙、もしくは愚挙とも揶揄され、カメラ自体の手に余る大きさとお値段の高さから、鳴り物入りの割りにはパッとしませんでした。 (この辺り、当時開発に加わられた安原氏の著書 「安原製作所回顧録」 に詳しい) そんな思わぬ不評をかったAXですが、使いようによっては大変魅力的なカメラじゃないでしょうか。 例えば、我が家に転がっている数個の大判用レンズ。これなどは、過去に重用され、しかし現在ではそれらを活用する大判カメラ本体すら無く、不本意ながら窓際に追いやられているワケですが、こう言った社内定年したお父さんのようなレンズにも、今一度活躍の場を与えてやれるのではないか?と思うのです。 AXがいくら大柄だと言っても、街中を4x5のフィールドカメラを肩に歩き廻るよりナンボかマシですからねぇ~ いつかは手に入れてみたい一台なんです。
2008.12.14
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・・・と言うわけで、旧ソビエト製ジャバラ中判カメラの “Moscow-5” で撮影した写真です。レンズには、定評ある “Industar-24 f3.5/105mm” が付いています。 但し、シャッター速度の最高が1/250秒なので、好天時のハイスピード・フィルム (ISO400以上って意味・・・あははっ) 使用には向きません。そんな時は、感度の低いフィルムを装填するか? 三脚に据えて絞り込む事をお奨め致します。 まぁ、このレンズの王道的使い方を考えると、やはり面倒がらずに三脚を持参するのが賢者の選択と言えましょうか。 実用に供する上で、ひとつ注意する事は。本機には二重露光防止機能が付いて居り、フィルムを巻き上げないとシャッターが下りない構造になっては居るのですが、残念ながらセルフコッキング方式ではないので、1コマ撮影する度にシャッターをチャージする必要があります。 そこいら辺りが、最新のDSLRに慣れた方には面倒で厄介に感じられるかも知れませんねぇ。 ワタシは、撮影時のデーターを一切記録しない性分なので、この写真におけるカメラの設定値も当然まったく記憶して居りません。 只、使ったフィルムが “Ilford Delta Pro ISO100 120” であった事だけを書き添えておきたいと思います。 たまには、こ~んなクラシカルなカメラを三脚上に据えて、じっくりと二重像を合わせながら撮るのも、マンネリ・カメラライフの良きリハビリにはなりますです。 ちなみに、この写真を撮った“Moscow-5”の雄姿をご覧になりたい方は Yahooの記事 をお読みくださ~い!
2008.12.13
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・・・エストニアから待ちかねたカメラが漸く届きました。モノは、ebayにて落札した旧ソビエト製の “Zenit-C” です。「C」 と書きますが、これは英語表記の 「S」 にあたります。1950年代後半に製造された一眼レフ初期のカメラですね。 ZenitのSLRは、年代アレコレ取り混ぜて4~5台くらい持っているのですが、このスタイルの物は無く、以前から密かに欲しいと思って居たのです。 それがこの度、予想外に盛り上がらない低調気味なビッドで、安価にて手に入れる事ができました。 うっひょひょ 外観的には、同社製一眼レフ機初代の “Zenit” とほぼ変わりません。唯一の違いは、フラッシュ用のシンクロ接点が付いたくらい。 ワタシが最も思い入れを抱くのは、このデザインなんです。これを見ると、何故か帝政ロシアの息吹を感じてしまうのですよ。 基本的には、レンジファインダー機に無理やりペンタプリズムを乗っけたようなカメラですが、段差のある軍艦部及び頭頂部の革張りと、そこに押されたエンボスの 「プリズム&屈折する光線」 のシンボルマークには、どこかエカテリーナ宮殿のロココ建築を思わせるモノがありゃしませんか? 無いですか? ははっ 実は、このカメラが届くまでタップリ一ヶ月も掛かってしまいました。売主の所在地は、取引相手としては初となるエストニア。「こりゃ、途中で紛失したかな・・・」 と思い始めた頃、ヤットコサと言う感じで届いたのです。 まぁ、クリスマスを控えた贈り物のハイシーズンだから仕方ないですね。 でも、ちゃんと辿り着いて嬉しいよ~
2008.12.12
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・・・手に入れたXacti E2を携え早速試写を行なうつもりでありましたが、日中の最高気温0℃という寒さに思わず後ずさりし、「ひがな一日撮り歩き~」 はアッサリと断念してしまいました。 でも、折角数年ぶりに入手した新しい動画撮影機だから、なんとしても撮りたい!でも、あまりにも寒すぎる・・・ で、仕方がないので近所周辺を車で流し、窓から適当にシャ~と撮る事にしたのです。まぁ、「世界の車窓から」 みたいなモンですね。 ところが、これが甘かった。 いやぁ、寒いの何のって!路面に撒かれた塩でバッチリ汚れたフロントウィンドウ越しじゃあ撮る気も起きなかったので、助手席の窓を全開にし半身を乗り出して撮影したのですが。 なんせあんた、車は時速80~100kmほどのスピードで走っているワケです。Xactiを握り締める手も、風をまともに受ける顔の左半分も、あれよあれよと言う間に凍りつき感覚を失い・・・ でもまぁ、思った以上の画質だったので大満足ですよ。 掲載した写真は、大手電気チェーン店の 「Best Buy」 前にてパチリ。早速こ奴のスペア・バッテリーを買いに寄りました。 スティル写真の画質も結構クリアーで悪くありませんねぇ~
2008.12.09
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・・・今日、12月8日 (米国時間の7日) は、太平洋戦争の開戦記念日ですね。終戦に 「記念日」 の文字が付けられているので、始まった日にも同様に付けてみました。 ははっ アメリカでは朝のニュースからその事に触れ、ブッシュも何やらコメントしていたようですが、話ていた内容はもうすっかり忘れました。 「お前が言うな!」 と2~3度ツッコミを入れた覚えがあるだけです。 (苦笑) 67年前、アメリカが日本に対してとったやり方は、21世紀となった現在でもまったく変わって居りません。アフガニスタンしかり、イラクもしかりです。 まったく成長しないと言うか、どこまでも王道主義と言うか・・・まぁ、日本相手に想像以上に上手く行ったので、きっとその味が忘れられないのでしょうね。 現在、バブル経済の崩壊で毎月大量の倒産と失業者を出し続けているこの国は、オバマ政権に替わる事によって、その出口を求めています。 なんせ、近々にも新規参入の失業者数が300万人を越えると予想されているのですから真剣です。 「新規参入」 と書いたのは、ファイナンシャル・クライシスの前々から既に職を持たない者と障害者の人達を除いて・・・と言う意味だからですね。 新政権は、まずこの数を減らす事から着手しなくてはなりません。 その方策は何でしょう?昔、日本ではタクシー業界に失業者対策の受け皿役を求めていたようですが、この国では “ミリタリー” がソレに該当します。 大量の人間を一挙に受け入れ活用できる業界。それが軍隊というワケです。 問題は、その雇い入れた人達を働かせなければならない事で、これはつまりどこかに敵を求め、無理やりにでも戦争を始めなくてはならないと言う事を意味しています。 タクシーが増えても道路が混雑する程度の影響しか無いでしょうが、こちらは世界中に火の粉を飛ばす迷惑な失業者対策ですよね。 更に言うと。アフガニスタンやイラクで大した経済効果が見られなかった事実から、もし新たな戦争が始まるのであれば、それらよりももっと大きな対戦相手を探して来るしかないのでは・・・ どちらにしても、物騒な話です。
2008.12.08
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・・・「やって来たぁ~」 ったって、あちらから自発的にお越しになったワケじゃありゃ~しやせん! あっ、いかんいかん。これじゃ、Yahooブログと同じ書き出しになってしまった・・・ この度、思わぬ安価なセール価格にクラクラッと来て、当初志していたSANYO Xactiの “HD800” もしくは “HD1010” を投げ捨ててまで、この防水タイプである “E2” を買ったワケです。 もう少し本腰を入れて動画を撮るならば、ここ最近出揃って来た感のあるHD (high-definition) 機を、それももう少しハイグレードのモノを購入するのが妥当と言うもんでしょうが、そうなると1000ドルからの出費という事になり、そこまでは踏ん切りがつきませんでした。 そこで、デジタルスティルカメラの動画機能に 「毛が生えた・・・」 程度の “Xacti” と相成ったのですが、これは今のワタシにとってはBest buyと言えるでしょう。 今まで長年細々と8mmフィルム撮影機から16mm、カセットテープ式のビデオカメラなどをチョコチョコと弄り回して来て感得した事は、「動画の世界は静止画と違い、プロとアマチュアの間には厳然とした差がある!」 という一事でした。 これはまず何よりも、少し頑張ればプロと同じカメラを手に入れ使う事が出来るスティル写真の世界に対し、プロユースと一般コンシューマー向け製品はまったくの別物である動画撮影機との違いという意味ですね。 あこがれのプロと同じカメラを使えるという事は、我々素人衆にとってかなり大きな心の拠り所なワケです。 したがって、それが叶わないムービーの世界は、それだけで敷居が高いと言わざるをえません。 もうひとつ、撮影技術の問題も有ります。一瞬を捉えるスティル写真には、現在の進んだオートフォーカス/自動露出機能に助けられ、ともすればプロの撮った写真を越える一枚が得られる可能性も無いわけではないですが、残念ながら動画にこのビギナーズ・ラックは (99%) 有りません。 画質もさることながら、ティルトやパン、ズーミングといったテクニックのぎこちなさ、併せて画面のブレや録音の音質までが違うんだから勝負にならないのも当然と言えます。 まぁ、こんなネガティブな要因だらけのムービーの世界ではありますが、素人には素人にしか撮れない画があるはず! そう信じて余り背伸びせず、身の丈でお手軽に楽しむのが良策のようです。
2008.12.06
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・・・この愛用の時計は、アーミーナイフで有名な “Wenger” 社製の物で、使い始めてからカレコレ8年くらいは経つはずだ。 当時、クロノグラフの時計がどうしても欲しくて、インターネットを使って直接Wenger社へ注文した。確か、150ドルほどであったと記憶している。 これは、ワタシの数有るネットショッピングの中でも極めてその黎明期にあたる買物のひとつで、まだまだドキドキしながらクレジットカード情報などをインプットしていた頃の記念すべき収穫品である。 なにせ相手はスイスの会社だから、「2~3週間ほどで来るかなぁ・・・」 などと考えて居たのだが、なんとDHLで注文と同じ週の内に届けられて来た。 これには少々驚いたが、考えてみたらアメリカとヨーロッパは近いのだ。 さてさてこの時計に、この度は幅広の黒い皮製ベルトを付けたワケだが、大柄な文字盤や厚みのある筐体と相まって、なかなかにバルキーな感じがして気に入っている。 このベルトは、ヴァージニアのアウトレット・モールにて見付けた “Fossil” のモノで、お値段は12ドルほどであった。
2008.12.05
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・・・この一枚は、久しぶりに担ぎ出したPentax67で撮影したワケですが、いやはや重い重い! ここのところオールプラスティックのDSLRや、フィルム機でも小柄なモノを使い続けて居たせいか、肩に食い込む重量感にタジロギました。 しかしそれにも増して、あらためて感動したのは、ずば抜けたファインダー視野の広さ・鮮明度で、これは特筆物ですよねぇ~ あれを見ちゃうと、α200の視野率95%・倍率0.83倍にも不満が出て来てしまいます。 それと、もうひとつペンタ67を使って居て良かったのが、周りから写真撮影と認識されない事で、これは今回珍しく専用木製グリップを装着して行ったから尚更だったのでしょうか? 最近の一般的なカメラのイメージとは遥かに異なるサイズですから、何かの測量と勘違いされたのかも知れません。 (苦笑) 人混みでの撮影は、出来る限り目立たないよう控え目にする事も一手ですが、逆に物々しさでウッチャルのも手なんですねぇ。 今回持参したレンズは、45mm/f4を付けっ放しで1本のみ。撮影した写真の仕上がりを見ると、やはり広角写真は大きなフォーマットに任せるに限る!と思えてしまいます。 ちなみに、掲載した写真についてですが。こりゃ、ポラライズィングのフィルターを使った方が良かったですね。・・・と言っても、持って無いんですけどね! ははっPENTAX67smc PENTAX67 45mm/f4Kodak Portra 400NC使用
2008.12.03
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・・・フッと、この楽天ブログを見たら、いつの間にやらページの右肩にチョコンと言った感じで広告が載っている事に気が付いた。 まぁ、こちらとしては全面的に無料でサービスを享受しているワケだから、例え利用者に断りも無く広告が掲載されたところで、頭から湯気を立てて文句をつけるつもりもありゃ~しませんが。 その広告の位置がチョット・・・いけませんねぇ・・・この場所って如何なもんなんでしょう? なんせ、その位置と言うのがメニュー欄の最上部だから、つまり利用者のプロファイルよりも上なワケで、タイトルのバナーに次いで目立つ場所だから 「ココに据えるとは、あんまりだなぁ~」 と思っちゃったのだ。 それでなくても楽天ブログには、記事本文を検閲され、先日は 「トーサツ」 という漢字2文字を使用した単語がけしからん!と言う事で、書き直しを命じられた次第。 だからこちらもヘソを曲げちゃって、その後書く気も起こらなくなっちゃったじゃないか。 その 「イラッ!」 とした余韻も覚めやらぬ内に、今回の “デザイン的センスを度外視した広告” の登場である。 ったく~モチベイション下がりっぱなしです。(怒)
2008.11.28
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ここ最近、テレビを見ていてパッと目を惹くコマーシャルと言うと、往年のロックミュージシャン “Ozzy Osbourne” を起用したSamsungのモノがありますねぇ~ 概要を説明すると。Ozzyがコーヒーショップの店頭やタクシーの車内で注文や行き先を告げたりするのですが、呂律の回らない舌ゆえ相手に通じず、取り出した携帯電話のテキストメッセージを使って意思の疎通を図るといった内容のコマーシャルであります。 このコマーシャルにおける着眼点の面白さは。彼は “ブラックサバス” のボーカルとして活躍した人であり、若い頃より当たり前のように色々なモノを飲んだり吸ったりして来たので、今や喋らせても 「何を言っているのか意味不明?」 な状態となってしまったワケです。 つまり、滑舌レロレロなんですねぇ~ そんな彼だけに、乗り込んだタクシーの運転手に行き先を告げても 「英語で話せ!」 と言い返されてしまう面白さがあり、なかなかに秀逸な出来のコマーシャルであると思えるのです。 (感心はしても、Samsungのセルフォーンは買いませんが・・・) もうひとつ、事の序でに同じような方面のお話をすると。VH1という局から放映されているTVプログラム 「Celebrity Rehab with Dr. Drew」 は、薬剤使用でボロボロになっちゃった俳優 (日本で言うセレブ) が出て来てリハビリを受ける番組で、これなどは、ワタシとしても彼らの若い堕落する前の姿を覚えているだけに、見ていて痛ましいものがありますねぇ。 「なんで、あそこまでのめり込むかね・・・」 などと。
2008.11.18
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“Graphlex” というカメラメーカーの名前を聞いて真っ先に思い出すのは、手持ち撮影も (頑張れば) 可能な大判カメラの“Speed Graphic” 通称 「スピグラ」 だろうか。 その名が余りに轟き過ぎているので、その他の製品が霞んでしまうほどだ。 確かにスピグラは、シートフィルムを使うプレスカメラの傑作だけれども、35mmカメラだって出して居たのである。 そのひとつが、日本でも未だ一部好事家の間で人気の有る “カロワイド” のOEM品であった。これは 「Century」 という名称で米国内において売られたモノで、レンズは固定ながら名玉の誉れ高い “Prominar” の45mmと48mm (どちらもf/2.8) の2種があった。 しかしどちらにしても、日本でその名を馳せた35mmレンズ装着でなかった点が不思議である。 Graphlex社でいまひとつ売れた35mm機と言えば、これはもう “Graphic 35” という事になる。こちらのレンズはProntor-SVSシャッター付きの “Graflar 50mm” で、スピードはB及び1~1/300秒、フィルムはノブ巻上げと何の変哲も無いスペックではあるが、ピント合わせの機構だけは特筆に価する。 その方法は、一般的な鏡胴に付けられたリングを回す形式ではなく、レンズ上部の左右に其々1つずつ設けられた四角いボタンを押し込む事により、レンズの繰り出し量を調整するのである。 これは、慣れないとかなり使い難い。動き回る被写体に連続的にピントを合わせ続ける目的で発案されたのかも知れないが、使ってみれば直ぐ分かるアイディア倒れ・独り善がりの機構であった。 合焦を微妙に調整するコツは、左右のボタン両方に指を宛がい、そのどちらにもプレッシャーを与えながら行なう事であるが、やはりどう考えてもピントリングの方に操作性の軍配が上がるのは致し方ない。 それがせいであろう、こんな風変わりな方式は、その後も決して一般化する事はなかった。
2008.11.16
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「Golden Ratio」 と言う言葉がありますねぇ。日本語に訳すと 「黄金比」 となり、まるっきり身も蓋も無いほどの直訳ではありますが。 これは、最も美しいとされる四角形の事で、その短辺と長辺の比率が 1:1.618(0339887・・・) の長方形であるワケで、古の昔より優れた絵画や建築物の中には、数多くこの黄金比が見られると言われて居ります。 そして、この1:1.618という比率をブローニー判のフォーマットに合わせて考えてみますと、“6×9” よりも更に少し横長となり、35mmサイズを見慣れた目にはかなり細長い画面である・・・という事になります。 しかし、6×9自体が中判写真における原初的規格であった事を考えると、「やはり昔の人は偉かったなぁ~」 とか、「見る目があったなぁ~」 と思えるのですね。 ワタシは写真を撮る際、例えそれがどんなフォーマットであれ、この “Golden Ratio” というモノを意識し、その中での構図的落ち着きを考えずには居られません。 それは、自分もまたこの (もしくは近似値である) 比率の画面が好きだからであり、6×6判の写真をめったに撮らない理由のひとつになるのかも知れません。 35mmには35mmの、6×4.5には6×4.5の、そして6×7には6×7の、それぞれ微妙に異なる縦横比に合わせた 「落ち着きの良さ」 というモノが存在すると思うのですね。 まぁ~ワタシの写真の腕前やセンスの良し悪しは別として、普段そんな事を考えていると言うお話でした。 inset photoは、FujiのGS645で撮影したモノです。
2008.11.14
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ニューヨークの地下鉄では、来年度より大幅に広告スペースの拡張を図る事にしたらしい。これは、既に予想されている2009年度予算の不足分9億ドルを埋めるための措置で、今まで以上にかなり大々的な場所提供 (モチロン有料!) となるようだ。 広告掲示の具体的な方法は、駅構内に巨大スクリーンを設置したり、壁への画像投影、“Wrap” と呼ばれる手法を用いて車両内部や駅舎の階段までをも広告スペースにするとの事である。 アメリカでは予てより、市バスの外装 (窓まで含めて) 全体を使った広告の掲示がなされているが、地下鉄もまた同じように走る広告塔と化すのである。 まぁ~これなどは、昔であらば車両の至る所にスプレーペイントで非生産的な落書きがなされて居たワケだから、経営健全化に向けた進化と言えよう。 更に、42丁目-タイムズスクウェアとグランドセントラル間のトンネル内の壁にも広告が施されるらしく、これ等は走る車両から眺める 「パラパラ漫画」 のようなモノなのだろうか? 地下鉄全体が色とりどりのグラフィックを身に纏った、さながら “刺青男” のごとき様となるのであろう。 一般に、アメリカの地下鉄車内には日本のような車内吊り広告がない。乗ってみれば分かるが、これは意外と寂しいものだ。 目のやり場にも困るが、移動の最中に只ボォ~と突っ立って居るよりも、その時間を利用して例え何がしかであれ情報を得られる方が宜しい。 この点などは、日本を見習って貰っても良いのだが・・・ 数年前、小さなモニターがドアの上に付けられた山手線に初めて乗った時は、かなり驚かされた!
2008.11.13
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一方、こちらの買物は “衝動的アクション” ではない。所謂 “計画的犯行” である。 ぼんさいさんから教えて頂いたデジタル画像の保存方法を真似、「では早速・・・」 とばかりに自分も一台導入した次第だ。 週末の新聞に挟まれて来た広告紙面から見つけた品で、Veteran's day Sale特価にて500GBのモデルが$89.98であった。 ちなみに、同メーカー製で1TB容量の方は$169.98だったのだが、ワタシのデジタル機に対する使用頻度の低さと、「もしクラッシュしたら・・・」 の時のショックのデカさを鑑みて、控えめな容量で纏めたワケである。 控えめとは言え500GBなどと大それたサイズは、ワタシの感覚からすれば宇宙の広大さにも匹敵するようなモノなのだが。 ハードディスクの大きさと言えば。今回のエクスターナルHDD設置に伴い、自分の使用しているPCの内蔵ディスク容量を初めて知る事となった。 今まで 「60GBくらいだろう・・・」 と思い込んでいたモノが、実は250GBほども有ったのである!60と言う数値は、以前に使っていたCompaqのデスクトップの容量だったのかも知れない。 どちらにしても、過去に気にした事すら無いとは言え、かなりスペックに無関心なユーザーである事は間違いない。 さて、これにてデジタル写真の環境は整った。後は、もっと頑張って撮り歩くだけであるから、次は撮影者本人のスペックアップが必要かも?
2008.11.12
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まったく予定もして居なかったのに、目にするやいなや物欲を刺激され、気がついた時には既に購入していた・・・なんぞと言う顛末を 「衝動買い」 と呼ぶのだろうけれども、この “Tamrac Aero 80” などは、まさしくその見本でありましょう。 どうやら発売されてから然程間も経っていないらしく、今まで見た事もないタイプのカメラバッグなのだが、これがここ最近ワタシが理想としていたスタイルに極めて近く、「以心伝心」 と言うよりもむしろ 「Tamracが脳内イメージを盗んだのでは?」 と表現出来るほど見事に具現化しているワケです。 だからまぁ~クリスマスも近い事だし、衝動買いも止むなし!と納得 (自己弁護) してしまいましょう。 ここ最近カメラを持ち歩く際、年齢と共にショルダーバッグでは肩が凝って疲れちまう・・・と言う事態に頭を悩まして来た。 嘗てのように格好をつけての “片掛けスタイル” などはせず、モチロン襷掛けで通しているのだが、それでも一日歩き回る内に、首の付け根辺りが相当に痛くなってしまうのだ。 従って、背中全体でシッカリ背負えるバックパック式に代えるか?とも考えたのだが、近頃では複数台のカメラや何本もの交換レンズを持ち出す事も稀で、あれ程のキャパシティーは無用でもある。 それならばいっその事、写真機材用のスペースは全体の半分、後の半分は本を入れたり細々としたパーソナルな物を収納出来る方が断然実用的だ。 で、つまりこの要求を見事に作り上げてくれたのが、Tamracだったのである。 最近はすっかり世知辛く、ほとんどの航空会社で国内線のチェックイン・バゲッジは、1個目から既に有料となってしまった。 大きなラゲッジを預けるくらいなら、UPSやFedexで送ってしまった方が時間のロスも無く数段も賢いのだ。 だから貧乏性のワタシには、規定一杯まで機内へ持ち込めるこの様なバッグが有り難いのである。 背面にはラップトップPCも入れられ、今後の出張時などに、ワタシの主力バッグとなる予感がヒシヒシとする。
2008.11.11
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ワタシは “Leica” のカメラを唯の一台すら所有して居ない。それは、あの高額な対価を払ってまで欲しくはない!とも言える (強がれる?) が、ライカの周りに蠢くある種の権威主義が鼻持ちならないと言う理由にもよる。 しかし一方で、「クローン・ライカ」 とも呼べるようなカメラはチョコチョコッと数台持って居るのだから、大見得を切ったところで高が知れようと言うものだ。 これは、日本製の “Aires iiic” である。ニセ・ライカとしては比較的に珍しい “M3” のクローンだ。 と言うのも、バルナック型であれば、戦時中における国策製品として各国製が存在するワケだが、そもそもM型は戦後のプロダクトであり、それをここまで堂々と臆面も無くコピーしちゃったところが凄い! 今の日本の製品でこれをやったら、それこそ大変なバッシングを受けるであろうし、間違いなく巨額の賠償請求をされるであろう事は想像に難くない。 それだけこのAires iiicが売り出された1958年頃は、まだまだ日本の工業力など欧米先進諸国から見れば “ひとつの萌芽” に過ぎなかったのだし、Leitz社が横綱の懐の深さを見せた・・・とも言えるワケだ。 そんな 「物真似お猿さん」 のようなカメラではあるが、レンズは開放f値が1.9だし、パララックスの自動補正まで装備して居たりと、なかなかに侮れない仕様なのだ。 今では中古市場でそこそこに人気の機種ではあるが、このiiic型発売の2年後にアイレス写真機製作所自体が倒産してしまった事実は惜しまれる。 それは、未だに存続して居たら、その後どんなに世間がアッと驚くようなクローンを売り出したか?が実に気に掛かるからだ!
2008.11.10
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予てより、自分専用のコンパクトデジカメが欲しいと考えて居たのだ。デジタル写真を撮るのならば現在所有するα200で何らの問題も無いのだが、仕事中も含めて平日にも身に付けて持ち歩く為に、小型のモノを一台買うのも良かろうと思ったのだ。 そこで、お買い得品は無かろうか?とインターネットで探して居ると、“Camera Addict” というネットショップにて “Ricoh R8” がセールで売られているのに出くわした。 RicohのRシリーズは、現在は “R10” という後継機種が売られて居り、このR8は所謂 「型落ちの品」 である。 しかし、ワタシにこの2台は、然程大きな差の生じたモデルチェンジとも思われず、安ければ型落ちでも一向に構わないのであった。 価格を見ると、黒外装のモノは267ドルだが、シルバー塗装の方ならば217ドルで買える。ワタシには、勿論シルバーでも何ら不平不満は無い。そして、この売価は、この国における最安値と言えるだろう。 そもそも、Ricohを扱う代理店自体が少ないのである。 そこで、善は急げとばかりフォームをフィルアップし、「Place Order」 のボタンをクリックした。 翌日、メールチェックをしていると、件のCamera Addictから連絡が来ていた。「発送通知かな?」 と思いつつ読んでみると、オーダー内容に関して確かめたい事が有るので電話をくれたし!と書かれている。 「はて、間違えた情報でも書き込んだか?」 と半信半疑になりながら電話をしてみると、果たして饒舌且つフレンドリーな口調のセールスが出た。 そして、彼の話を聞く内に、ワタシの頭の中は次第に???へと変わって行ったのである。 曰く。「この価格はカメラ本体だけのモノだが、バッテリーは要るか? 充電器は? コンピューターへ接続するケーブルは要る?」「実は、このカメラはポルトガル輸出向けの品で、マニュアルもポルトガル語で書かれている。 英語版が欲しければ別売になるけど要る?」 ・・・と来たもんだ。 ここいら辺でピピ~ンと分かりましたねぇ、「詐欺だ!」 と。で、「話を聞いている内に欲しく無くなった。 オーダーをキャンセルしてくれ。」 と言い出すと、OKとだけ言い残して電話をガチャ切りされたのである。 後から知った事だが、このサイトは相当の札付きらしい。詳しくお知りになりたい方は、ResellerRatings.com (http://www.resellerratings.com/store/Camera_Addict#reviews) をご覧頂きたい。 被害に遭った者・遭いそうになった者たちが山のように居るのである。なんせ、この店の評価自体が、過去6ヶ月間で10段階の0.52なのだから、呆れて開いた口も塞がらないと言うものだ。 レビューを読んで行くと、ワタシとまったく同じ体験の訴えが何件も書かれているので苦笑する。念の為にクレジットカード会社へ連絡をして、「もしCamera Addictから請求が来ても支払いをしないで貰いたい。」 旨お願いをした。 ネットで買物をする前には、そのショップを利用するのが初めてならば尚の事、こう言ったRating Site等で相手方を確かめる必要もあるのだなぁ~
2008.11.09
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一眼レフカメラにおいて最も好きなデザインは、旧ソビエト製 “Kristall” のソレである。このカメラは一見して分かる通り、ペンタプリズムのデザインに比類無き特徴があり、ワタシはこれを繁々と見る度に 「鉄仮面」 とか 「岩窟王」 などという言葉を連想してしまうのだ。 これぞ、ロシアが帝政時代から受け継ぐ美意識の結晶なのかも知れない。 とは言え、ワタシ好みのKristallなのではあるが、一般的にあまりウケはヨロシクナイようで、色々な方のインプレッションを読む限り、どうも旗色が悪い。 原因は、ワタシが 「好きだ!」 と評価しているペンタプリズム部に、最も顕著な嫌悪感を感じるらしい。 ここいら辺は100パーセント趣味の問題だから、人様々なのである。 このユーラシアの弾丸特急をも思わせる面構えの一眼レフカメラは、旧ソビエトのKMZによって作られた。 内部機構は、一年後発で打って変わって大人しいデザインとなった “3M型” と同一のモノらしく、或いはソ連国内でもこのデザインが不評であった為に、短命で終わったのかも知れない。 ゴツイ外観にハンマートーン (打ち出し鍋のような模様) の塗装を施すという凝り様ではあるが、現在実用とする為には、レンズマウントが最大のハードルとなる。 なにせこの 「M39マウント」 と呼ばれる特殊な形状は、径はライカL39と同じで、フランジバックがM42とほぼ同じと言うヤヤコシさなのだ。 従って、37・50・58・85・135mm辺りの焦点距離は頻繁に見掛けるが、それよりも広角や望遠のレンズは、ebayにもなかなか登場して来ない。 だから、写真を撮る楽しみも勿論ではあるが、夜な夜な引っ張り出しては酒を飲みながら眺め回し、白布などでキュッキュと磨き上げるのが宜しい。 最もあまり根を詰め過ぎると、旧ソ連製カメラの黒エナメル塗装は簡単に剥げてしまうので、くれぐれもご注意のほどを!
2008.11.08
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荒木経惟氏の著書は、過去に2・・・3冊ほどしか読んだ事がない。それは、氏の本の多くが、聞き手によるインタビューを基に文字を起こす手法によるモノであり、ワタシなどは、そう言った “口述筆記” を出版の邪道であると考えるからだ。 従って、今まで何冊もこの手に取って来たワケだが、実際に読んだのは2,3冊なのである。 そう言う価値観から判断すると、本書も極めて微妙な一冊である。“文字” それ自体の書かれた内容から得るモノは、然程無いに等しい。 しかし、氏の写真と照らし合わせて、「作品の詳しい解説である!」 として読んだ場合は、お話がかなり違って来る。 あのアラーキー独特のショットが何故撮られたのか?が、少しだけ分かったような気がするからだ。 思うに氏の才能は、単に “写真撮影者” としての才能とは少々方向性を異にするように思える。 (無論、写真は上手であるワケだけれども・・・) 技巧的な勉強の素材として観るよりも、むしろその作品における発想の奇抜さ、特異さ、他の誰にも似ていない個性にこそ学ぶべきであろう。 そうでなければ、只のグロテスクで汚らしいフォトグラフになってしまうではないか! 兎に角、アラーキー写真を読み解くには一助となる書籍であった。
2008.11.07
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“ウェストバッグ” と言うモノが、あまり好きではない。この話は以前にも書いたけれども、ワタシがあれをすると、まるで無防備なJALパック旅行者のように見えてしまうからだ。 しかし、その機能性は充分に理解している。デジタル機ならば兎も角、何本ものフィルムを持ち歩き迅速に交換するためには、いちいちバッグの中を引っ掻き回しているワケにはいかない。やはり身に着けておくのが一番だ。 かと言って、“カメラマン・ベスト” では、更に輪を掛けて嫌い!なのである。 そこで、これも前にご紹介したけれども、ハードウェアストアーにて革製の電気工事用ベルトポーチ、通称 「腰袋」(と呼ばれているらしい!) を購入した次第である。 結果は、歩く度にパッタンパッタンと揺れ動き、余り芳しいモノではなかった。 従って、今は再びそれ以前に戻し、Military Issueのベルト及びポーチ、つまりWebベルトとM16用のマガジンポーチを使っている。 これの良いところは、一にも二にも頑丈な事である。軍隊のサープラス品は、デザイン的な洗練度合に目を瞑れば、価格の安い事と実用的で丈夫な点が取り柄だ。 日本でも、上野のガード下辺りへ行けば、今も米軍の放出品が安価で手に入るのではないだろうか。 ワタシはベルトにこのポーチを2個付け、ひとつにはフィルム、もうひとつには単体の露出計などを入れて携帯している。 購入当時のお値段は、上記の品に水筒が2個付属して20ドルほどであった。
2008.11.06
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オバマが “遂に” 勝利し、第44代米国大統領に就任した。Electral VoteもPopular Voteも、その両方に勝利したワケだから、「圧勝」 と言って間違いあるまい。 世界の中で未だ19世紀の “帝国主義” を振り回しているアメリカにも、まだまだ多くの 「良心」 が残っていた事を喜びたい。 この国では、自ら再生する力が機能しているのであろう。 投票結果を見ると、毎度お馴染み “東と西” にDemocratic支持が集中しているが、今回はPennsylvaniaのように保守的な州でもオバマを選んだ事が特記に値する。 ペイリンの地元アラスカや、KKKの巣窟アイダホなどではマケインが上回っていたが、首都ワシントンDCは “93対7” と、全米でも屈指の比率でオバマに投票した事が愉快だ。 愉快であり、やはりその先進性が誇らしくもある。 各国の論調としては、オバマの就任を歓迎するものが目立つが、日本の・・・特に総理のコメントがパッとしないのは頂けない。 日和見主義なのか? それとも、ブッシュに遠慮しての事なのか? 各州の開票が進み、次第にオバマの有利が明らかになって来ると、マケイン支持派はテキストメッセージにて、「オバマへの投票は混雑のため明日に延期になった」と送り捲くっていたそうな。 まったく阿呆な話である。 オバマは、我々と同じ “色付き” として初の大統領となった。この先、どこまで脱線し切った軌道を修正出来るかは分からないが、彼には是非とも頑張って貰いたいし、まかり間違えても暗殺されるような事があってはならぬ。
2008.11.05
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先日、ご常連のya3さんから頂いたお題である 「格好良いレンズ交換の方法」 について一考してみたい。 とは言え本件に関しては、ついぞ今まで意識してみた事もなく、前回お話したフィルム・チェンジとはまったく違い、なかなかに “上級者と目される為の交換の手順” などというのも思い浮かばないのだ。 唯一、話題として持ち出せるような事柄と言ったら、カメラバッグ内における交換レンズの収納方法くらいのモノであろうか。 これは、既に実行されている方も居られようが、ワタシはこの “やり方” を、以前にもご紹介したニコンの販促用出版物 「Nikon Nice Shot」 で知った。 同書に登場し、ワタシを少なからずインスパイアーした日系カメラマン・マイケル君の物真似なのである。 で、詳しい内容をお話すると・・・手元にレンズのリアーキャップを2個用意し、それらを背中合わせにして接着剤でくっ付けちゃうだけなのだ。 これで、2本のレンズをあたかも1本のようにして持ち歩けるというワケなのですね。 「?」 とお思いの方に、この工夫の利点をご説明しましょう。同じメーカーのレンズならばキャップも大抵同一のデザインであり、カメラバッグなどへ収納してしまうと、上から覗いただけでは 「どれが何mmのレンズなのか?」 判別に苦しむ事になるワケだが。 そんな時でも、「現在装着しているレンズの裏側は**mm!」 と覚えておけば、パッパッと手際よく換えられる仕掛けだ。 だからカップリングの方法は、“広角と望遠” とか “標準とマクロ” のように、それぞれ対極の物同士を組み合わせるのが良いだろう。 それは、例えば広角レンズを使っていて、次に取り替えたいと思うのは得てして望遠系である場合が多いからだ。
2008.11.04
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明日は、いよいよアメリカ大統領選挙の日だ。今回の選挙は、4年前とは打って変わって世間の関心も高く、それは過去最高を記録した選挙人登録の実数からも伺える。 オバマ,マケイン共にこの週末は死力を尽くしたワケだから、明日の結果が国民の総意その物と言えるだろう。 “Saturday Night Live” という人気番組には、前々からサラ・ペイリンそっくりのコメディアンが出て、アレコレと副大統領候補を茶化していたワケだが、一昨日の同番組には、マケインご本人がまたまた登場して居た。 前回出演した折にも、これがせいで多くの不評をかって居たのだから、何度も繰り返すとは愚の骨頂とも思えるのだが、まぁ~それだけ世の趨勢を覆す決定打に欠けているという証であろう。 アメリカのそれなりの都市選挙には、どんなに小さな単位 ―州であれ市や群であれ― でも、候補者によるテレビコマーシャルが付き物である。 そしてその内容も、日本とはお国柄がまったく違うから、自分の吹聴したい経歴披露はモチロン、相手候補を罵倒するような悪口雑言の言い合いも盛んだ。これは、堂々と他社製品を名指しで叩く広告手法の亜流である。 従って、「判官贔屓」 といった少々ヤヤコシイ観念を持つ日本人には、余り見ていて気持ちの良いモノではないのだ。 現在、各主要メディアの予想は、「オバマ有利」 で共通しているが、ガソリンを始めとする物価の高騰と選挙戦のクライマックスに合わせたかのように噴出したファイナンシャル・クライシスでは、それも当然の帰結と言えよう。 マケインが落選するとすれば、それはすべて現職大統領であるブッシュの無能が招いた結果なのである。 ワタシのアメリカ人である友人の娘さん (満12歳) は、「もしもマケインが大統領になったならば、自分はこの国を出て行く!」 とまで言い切ったものだ。 あははっ
2008.11.03
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“フィルム” が好きである。この場合、フィルムで撮った写真とか、その描写の風合いと言った意味もあるが、そうではなく、フィルムそれ自体が好きなのである。 では、どこが好きか?と聞かれれば。決められた撮影枚数を撮り終えたならば、即座に交換しなければならない・・・という一点が好きだ。 勿論、デジタルにだって許容量は有るワケだが、それと比べたらフィルムは、桁外れに枚数が少ないと言うところが良い。 24ショットだか36ショットだかを撃ち終えて、カメラの裏蓋を開けてフィルムを交換すると言う行為が、銃器のマガジンチェンジに似て男心をそそるのだ。 その所作に、ダンディズムを感じてしまうのである。 従って、その行ない方には昔よりかなりのコダワリがあり、35mmならば、まずフィルムの先端からスプールの爪に掛け、更に親指で巻き取りつつパトローネを所定の位置へ収めるのが格好良い! 間違っても、この逆の手順を踏んではならぬ。パトローネを収めてからフィルムをズルズルと引き摺り出し、モソモソとスプールに差し込んで居たのでは、傍目にも 「出来る男」 には到底見えぬ。 このフィルム。写真の世界では日を追うごとに過去のモノとなりつつあるワケだが、考える角度を少し変えるだけで、デジタルよりも先進的に思えてくるから不思議だ。 デジタル機におけるフィルムの役割は、センサーとメモリーによるワケだが、これらを反復使用するという点が、どうにも昔流のやり方に思えてならぬ。 必ずしも “使い捨て” が良いワケではないが、幾度となく同じ物を使い回して汚れやゴミ (電気的なモノも含めて) を蓄積するよりも、交換する事により、いつも新しい真っサラな状態を保つフィルム面の方がより未来的な存在である・・・とも言えるのではないだろうか?
2008.11.02
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今日は、Halloweenである。夜ともなれば、子供達がそれぞれに思い思いの仮装を凝らして、一軒一軒お菓子を貰いに徘徊して練り歩くのである。昔の “古き良きアメリカ” の名残り的風習とも言える。 最近は、いろいろと物騒だから (勿論この国ばかりではないが・・・)、まさか子供達だけで行かすワケにもいかず、親がくっ付いて廻っている。 Halloweenにおける子供達の決まり文句は 「trick-or-treat」 で、これは 「お菓子寄越すか? 酷ぇ~目に遭いたいか?」 と、被来訪者の選択を求めているのである。 つまり、言い換えれば大人を脅しているワケで、東洋に例えれば “ナマハゲ” に近似しているとも言える。 で、この季節は、そういった子供等にあげる為の大袋にガサッと入ったチョコレートやキャンディーが売られているワケだけれども、以前その買い置きが余りの盛況ゆえ底を突いてしまって、仕方がないから自分が食べようと思い購入した日本のチョコレートを配った事がある。 暫くして、ピンポ~ンとチャイムが鳴って玄関先に大人が立っているから 「なんだろう?」 と思ったら、「先ほど自分の子供が貰ったチョコレートがとても美味しかった。 どこで手に入るのか?」 と尋ねられた次第。 アメリカ人の多くは、美味いも不味いも判断つかない “味音痴” だけれど、中には判る奴も居るものだ。
2008.10.31
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この辺りの気候は日本に似ていて、緯度としては丁度 「仙台」 と同程度と言われているが、では同じように四季を楽しめるのか?と言うとそんな事もなくて、夏から直ぐ冬、冬から直ぐ夏と・・・程好い季節である “春と秋” が、ほとんどスッポリと抜け落ちているような按配だ。 一週間前まで結構暑かったのが、本日は木枯らしが吹いている有様である。 こうなって来ると、写真を撮りに行くモティベーションも上がりはしない。週末となっても家に居て、本でも読んで一日過ごしたくなる。 今週末はハロウィンなので、さまざまな飾り付けや手の込んだパンプキン・カービングを施した家も在り、被写体には恰好なのだが、いまひとつ自分の中の気勢が上がらない。 それは、この景気の悪化を遠因としたモノなのであろうか? Mayflower Hotelは、観光名所のひとつである。建物も古く立派で中心地に位置し、世界中からお金のある人達が泊まりに訪れる。ファイナンシャル・クライシスと言っても、然程影響が無いかのようだ。 ところで、この 「ファイナンシャル」 と言う単語。なぜ、日本では 「フィナンシャル」 と発音されるのであろうか? そ~言えば、「プロファイル」 も 「プロフィール」 と言われる??? Mayflowerは、表面的な “顔” だけはとりすまし、いかにもお高くとまっているかのように見える。ジョージ・W・ブッシュの奥さんが旦那との同居を嫌い住み着いて居るとの噂もあるが、ちょっと前にはここを舞台に大掛かりな買春騒動もあった。 “五つ星ホテル” も “温泉マーク” (古!) も、内情に大した差は無いのである。
2008.10.28
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DSLRを使い始めて、早や半年が過ぎた。随分と遅まきなデビューであったが、その前からデジタル・コンパクト機は仕事で使っていたのだ。 しかしながら、趣味の写真を撮るのはずっと (ほとんど) フィルムだったから、α200の購入を=デビューと言い切ってしまっても、決して過言ではなかろう。 さて、6ヶ月間使ってみてあらためて思う事は、デジタルカメラのずば抜けた手軽さだ。シャッターを切ったとてフィルムカメラのようにフィルム代も撮影後の現像料も掛かるワケではないから、思う存分バチバチと撮り捲くれる!その昔、テレビのコマーシャルで見た立木義浩氏の雄姿ように連射出来ちゃうのだ。 以前ならば、フィルムを詰めない空の写真機で、モータードライブを唸らせながら気分だけを味わって我慢していたモノが、デジタル技術のおかげで現実となった。 これは、かなりの快感である。 しかしその反面、撮った写真のファイル管理が意外と面倒・・・と言うのも事実である。本来は、場所も取らず手軽に扱える電子ファイルであるハズなのだが、それを保管するとなると案外に頭を悩ますものだ。 皆さんは、どのようにしているのであろうか? これはDSLRを購入する以前の話である。当時使っていたCompaqのデスクトップが壊れた為、急遽HPのPCに買い換えた。 この壊れたコンピューターには、コンパクトカメラで撮影した写真が幾らか入っていたのだが、故障の内容がハードディスクのクラッシュという事もあり、一気にパッパッパァ~と消えてしまったワケだ。 まさかデータを復旧させるほど手間隙お金を掛けるつもりもなかったので、結局は綺麗サッパリ 「はい、それまでよ!」 であった。 これなどは、バックアップという措置を怠っていた自分が悪いワケだが、それに引き換えフィルムの方は、多少の物理的収納スペースを必要とするとは言え、いつまでも消え失せる事なく箪笥の奥に存在して居てくれる。 ワタシは、現像したフィルムはルーズリーフ式のホルダーに入れ保管しているのだが、こちらは自宅が家事にでもならぬ限り消失する事もないであろう。 デジタルデータと感光フィルム。どちらがeasily-handledなのかは、一概には決めかねるものだ。
2008.10.28
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永らく、頭の出来はともかく目の方だけには自信があった。子供の頃の視力1.5を始まりとして、徐々に落ちて来たとは言え数年前までは0.8~1.0はあり、今までメガネとは無縁の人生を歩んできたワケだ。 それが、公私共にPCを使う時間が格段に増えた事と寄る年波とで、だいぶヨレてしまった。 特にカメラ修理の時などは、相手が相当に小さいパーツであるという事も手伝って、以前のようにハッキリ見えないったらありゃしない! 仕方がないのでゴーグル型の拡大鏡を買ったが、あれはあれで慣れないとなかなかに鬱陶しいものですねぇ~ やはり、視界の狭さが最も大きな理由であろう。 であるから、散々に迷った挙句、拡大鏡付きのZライトを購入した。サークラインの中央に拡大レンズが配された形状で、メディカル写真などに使われる “リングライト” と同様の構造である。 この補助器具は、至って具合が良かった。買って本当に大満足!だと思った。明るく無影で見られる事は勿論、パッと顔の前から退かせる手軽さは、絶えず額にくっ付いているゴーグル型には無い大きな利点である。
2008.10.26
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昨日、仕事帰りにカラーフィルムを現像すべく、道程半ばに在るカメラ屋へ寄った。ここは自家ラボを持っているから、待っている間 (30分程度) で処理してくれるところが嬉しい。 それでもまぁ~暫しの時間が有るから、ショッピングセンター内に軒を並べている他の店でも覗きに行こうかと思ったが、ひとまず同店の中を隅から隅まで眺めて居たら、ショーケースの外れにClearanceのコーナーを発見してしまった。 こう言ったチェーン店の特売コーナーは、得てして型遅れのデジカメや売れる当てもないような35mmのコンパクト機であったりするから、普段は余り注意して居ないのだ。 ところが、昨日は違っていた。何気なく覗き込んだ棚の中に、新品売れ残りのKyocera Contaxが鎮座ましましているじゃ~ありませんか! これには正直なお話、かなり興奮致しました。 ワタシは、Zeissによる製造ではないContaxは1台も持っていないのである。縁が無かったとも言えるが、高いから買えなかったと表現した方が適切だ。 RTSiiiが出た時は、ちょっと真剣に購入を考えたのだが、あのシュ~シュ~というバキュームの音が気になって躊躇してしまって居た。 この店の棚に置かれたのは “S2" であるが、レンズ込みで1000ドルを大幅に切っているのである。 「買い込んだとして、果たしてどれほど使うだろうか?」 との試算も当然必要であるが、こう言った 「今買わなきゃ無くなっちまう!」 ってな衝動を抑えるのは、なかなかに難しいモノなのであるよなぁ~
2008.10.25
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ガラクタのようなカメラを買うのが好きである。錆び付いたり酷く壊れたりしていて、目も当てられないような代物ではちょっと御免だが、どこかの家の箪笥や物置の奥に仕舞われたまま忘れ去られ、「もうフィルムの時代でもねぇ~やぁ~」 などと売りに出された類の写真機を見付けると、矢も盾もたまらず買ってしまうのである。 そして、こうした掘り出し物を探すのならば、やはりフリーマーケット辺りをマメに見て歩くのが良いようだ。 昔とは違い、インターネット・・・更に言葉を絞るならば “ebay” の隆盛以来、中古品に対する情報は世界中を駆け巡り、価値の判断を見誤ったような真の掘り出し物 「めっけもん」 に出会う可能性は極めて低くなってしまったが、それでも実物を手に取り仔細に確かめながら値段交渉が出来るのだから、中古品を購入するには一番理想的なスタイルと言える。 アメリカ人は、物に対する思い入れが日本人よりもかなり希薄だから、祖父母や親が亡くなると、残された持ち物をパッパッパァ~と思い切りよく売り飛ばしたりするのだ。 その辺りが狙い目となる。 ワタシが特に弱いのは、日本製の古いカメラで。嘗て、外貨を稼ぐ目的で遠路遥々アメリカまで売られて来た写真機達を見ると、思わず触手が動いてしまうのだ。 それらの多くは、まるで二束三文の値段で、時として簡単な修理が必要な事もあるが、フィルムを詰めれば未だ立派に活躍してくれるところがまた健気で嬉しいのである。Camera: Argus A3Film: Arista ii ISO400 B/W
2008.10.24
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その日携行するカメラがフィルムを使うモノか?はたまたデジタル機か?で、一緒に持ち歩く付帯品の内容もガラリと変わるワケであるが、ワタシにとっては、如何なる時も普遍で欠く事の出来ない一品が有る。 それは、入射光式の単体露出計なのだ。 クラシックと呼ばれるほど古くはないフィルムカメラや、言うまでもなくデジカメを愛用されている人ならば、敢えて単体の露出計を持ち歩く方も少ないのではないかと思う。 それ程に、現代のカメラに搭載されている内蔵露出計は精緻であるワケだし、それを基に演算し値を決定する機構は間違いのない答えを導き出してくれるからだ。 では何故、敢えてそんなお荷物をいつもポケットに忍ばせるのか?と言えば、ひとつには自分の山勘を確かめる為である。 快晴順光の屋外ならば、それほど大きな誤差が発生する事もないのだが、場合によって・・・例えば薄暗い屋内から急に明るい戸外へ出たような場合など、まったくワタシの勘などと言うモノは当てにならないし、いい加減なものなのだ。 だから、日向から日陰へ、または日陰から日向へと状況が変わる度に、念を押す意味でも億劫がらずマメに測るようにしている。 このMinolta製露出計・AutoMeterとの付き合いは永い。最初の中判カメラを購入して間もなくに求めたモノだから、かれこれ20年以上になる。 設定可能なシャッター速度の上限も1/2000秒だから、その辺りの仕様に時代を感じさせるモノが有るが、今でも何らの不自由なく使い続けている次第だ。
2008.10.22
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【latitude】 ラチテュード。 大辞泉によると、「フィルムや印画紙の適正露光より少々の過不足があっても、補正して画像を得ることのできる露光許容範囲。」 と言う事になる。 カラーのスライドフィルムを常用するような人々は、このラチテュード問題にかなりシビアであったが、ワタシのような白黒プリントフィルム派は、彼等ほどピリピリと神経を尖らせたりはしないものだ。(もしかすると、ワタシだけの横着かも知れないが・・・) 画面内に、この露光許容範囲を超えて明るい部分が有れば、そこは仕上がりで白く飛んでしまうワケだし、反対に暗ければ、黒く潰れてしまうワケだ。 であるから、ファインダー越しに被写体を観察する際、被写体の明暗差のどこからどこまでを再現したいのか?を考えつつ、各部の明るさを勘定する事となる。 そしてその際、特に白黒写真で効果的な技法が、“シャドー及びハイライト基準” での露出決定法であろう。 これは勿論カラーでも有用だが、色情報を省いた “モノクロームの世界” なら、更に画面内を単純化する結果となり、主題をより強調する効果が得られる事となる。 つまり、引き算の表現であるが、人間の視覚能力に劣るフィルムの狭いラチテュードを逆手に取った、まことに上手い方法である。 そこで思い至るのが、デジタル画像の事だ。フィルムよりも相当に広いラチテュードを持つだけに、ともすれば雑然とした画面に為りかねず、「うるさい写真」 の印象も起き易いのではないだろうか? 事後の処理でどうとでも操作出来る事なのかも知れないが、やはり撮影時にイメージを固めておく事が肝心であろう。 それが証拠に、ウェブで見る限り、明暗の平均値で撮影したような写真がほとんどで、フィルムの時代に見られたような “白飛び黒潰れを活かした写真” には、なかなかお目に掛かれないのも事実だからだ。 そしてそれはまた、デジタル一辺倒で写真を撮って来られたような方に、より顕著である・・・ような気がする。 明部・暗部をRAW現像ソフトで救済すると言った “足し算的考え方” も時に必要であろうが、たまにはその逆を試されるのも、表現手法の “持ち手” を増やすのに良いのではないだろうか。
2008.10.20
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昨日のコラムの続き。後半の今日は、自分の撮る写真について ―嫌々ながら― 言及する。 はははっ 報道写真の世界に燦然と輝く巨匠・Robert Capaは、「If your pictures aren't good enough, you aren't close enough.」 と言った。 写真を撮る時、この一行ばかりの短い言葉を、いつも忘れず座の右に置くよう心掛けている。 Capaは戦場で名を上げたカメラマンだから、上記のような考え方は、他の数多い同業者より少しでも抜きん出て注目を集めるために、体験的に心得た写真術だったのであろう。 この中には、報道という写真ジャンルの核心が、余すところ無く詰め込まれているように思う。 一方、ワタシも含めて市井の大多数の写真好き・カメラ好きは、極限状態の中で世界中から集まった功名の野望を抱く連中と一番槍を競うワケではないから、この座右の銘は少々大袈裟に思われる向きもいらっしゃろうが、“写真を撮る” という事自体、ともすればどこか後ろめたい気持ちにもなりかねない行為なので、Capaの言葉を戒めとして持ち歩いているのである。 これは、言うは易いが行なうに難い事である。家に帰り現像を終えたフィルムを見てガッカリする瞬間、いつもそれを切実に感じる。 撮っている時は充分に寄っているつもりでも、仕上がりではどこか腰の引けた感じを拭えないからだ。 望遠に逃げず、標準から広角で充分な迫力を出すために最も必要で重要な条件は、やはり “胆力” なのであろうなぁ~ 嗚呼、我に胆力を!
2008.10.19
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或る方の個展に招かれて、その撮られた作品を拝見して来た。さすがプロの腕前は違うと目を開かれた思いだが、まことに失礼な発言ではあるが、残念ながらワタシの好きな類の写真ではなかった。 人其々カメラを手にする目的が異なるように、観覧する写真に対する趣味、興味の対象となる被写体も違うワケである。 風景写真が好きな者も居れば、クローズアップで野の花を撮り続ける者も居る。何気ない街の情景を好む者も居れば、女性の裸体にしか興味を示さない者 (この場合は、他の欲望に支配されている可能性もあるが・・・) も居る。 どうやらワタシの場合は、写真から匂い立つようなストーリー性に最も重点を置いているようだ。 それが、Bressonの写真を一番に好む理由でもある。Bressonの撮る写真には、たった一枚の印画紙の中に封じ込められた一瞬の光景から、溢れ出すように見る者へ語り掛けてくる “ストーリー” が感じられるのだ。 それはあたかも紙芝居のような性格を持った映像であるが、下手な動画より何倍も雄弁であるから、更に上の次元の写真と呼ぶ事が出来るだろう。 単体の静止画が持ち得る表現力の限界に挑み、それを余人には容易に真似の叶わぬところまで昇華させた結果が、あの作品群であると思っている。 だから、ワタシの興味の本質は、シャッターを切った者の “人となり” を想像する事。写された状況の中から撮影者は何を感じ、何に心を突き動かされてカメラを構えたのか?を推理し連想する事にこそ在るようだ。 逆に断言してしまえば。風光明媚な名勝の地や綺麗なオネエサンを、タダ美しく写しただけの写真には、余り興味が涌いて来ない。 絶景や美女を実物以上に良く見せるようなテクニックが駆使されたモノよりも、その被写体のどこに撮影者は “魅力” を感じたのかを伝えてくれるような写真にこそ、強く強く心惹かれてしまうのである。
2008.10.18
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“ファイナンシャル・クライシス” は、多くのアメリカ一般市民にとってまさに 「寝耳に水」 の出来事であった。 90年代にバブルの崩壊を経験している日本人から見れば、あのような見せ掛けだけの張りボテ景気がいつまでも続くハズが無い!と思うのだが、その場の状況が “ぬるま湯” であれば、そこにドップリと首まで浸かって足元を見詰め直す事を忘れるのがアメリカ人だ。 放漫金融とマネーゲームが招いた、当然の帰結が訪れただけの話である。 勿論、この経済的直下型地震はアメリカ国内に留まらず、連動して世界中を駆け巡るワケだから、この人間の住む地球は、「ユダヤの手の中で動いている」 と言っても過言ではない。 彼らの掌で揺れ動く孫悟空のようなモノである。 ここ1~2週間でガソリンの価格が下がり始め、こりゃ良い傾向だ!と思っていたら、OPECやらロシアが藪から棒に 「供給を減らす」 などと言い出すものだから、またまた更に先行き不透明な不安感が広がり出してしまったではないか。 新聞を読むと、ここのところ確実に犯罪が増え始めている。この傾向は、今後も暫く収まる事が無いであろう ・・・と言うか、もっともっと増加するであろう。 ワタシも有事に備えて、半自動のショットガンと一戦始められるくらいの弾薬を家のクローゼットに用意しておこうかと思う。 平和を守るには、それを脅かす者に勝るだけのファイアーパワーが必要なのだ。これは、近頃の日本がすっかり忘れ去っている “真実” のひとつですね。 従って、事ほど左様にこの国の銃砲規制は、一向に先へ進まない事となる。 先へ進まないと言えば、環境問題への取り組みもまた進まない事柄のひとつだ。国が大きいからか?はたまた能天気な国民性からか? 資源の無駄遣いは、そう簡単に正せるものでは無いらしい。 一時、ガソリンの高騰から否応なしに省エネへの感心が高まったが、それも景気の後退を受けて今や影を潜めがちだ。 資源や環境を保護すると言う事業は、乱消費するよりも返ってお金が掛かるのである。
2008.10.16
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ドキュメンタリー作品 「War Photographer」 については、先日のコラムに書いた。内容は、コソボやインドネシア、ルワンダなどを撮影する戦場カメラマン達 (それは、スティルであれビデオであれ) の姿を描いたモノであったワケだが、その中でもメインとして取り上げられているのがNY在住のフォト・ジャーナリスト James Nachtwey氏である。 氏は嘗て、グラフ・ジャーナリズムの雄 Time誌の契約フォトグラファーとして活躍され、Magnam Photosにも属したのであるが、基本的にはフリーランスで多くの戦場や紛争地域を駆け回って来たツワモノなのだ。 その物静かな外見と語り口調からは容易に想像出来ないほどに、戦地においてシャッターを切り続ける姿は冷酷なほど豪胆で、またその作品は力強さに溢れ、見る者の視線を決して逸らさないのである。 氏のプライベート・サイト (http://www.jamesnachtwey.com/) を、ぜひご覧頂きたい。そこに並べられた白黒写真の数々からは、唯戦争の悲惨さを訴えるだけではない、人間の心の闇の部分を炙り出すような撮影者の視線が感じ取れるはずだ。 硝煙の中で銃を撃ち続ける兵士の姿や累々と横たわる死体を写し撮っても、それはそこで起きている事実を伝えているに過ぎず、なんらかの問題を提起する要素には欠ける。 その場に居合わせない、時間と空間を異にした傍観者の心を動かすのは、写真を伝達の手段とした表現者の思いの強さなのだ。 それが、身に染みるように伝わってくる。 写真の持つ力が、過去の輝きを失ってしまったかのような昨今である。TimeもLifeも今は既に無い。それらは、めまぐるしく変わる時代のスピードに押し流され、テレビやインターネットに取って替わられて久しい。 だが、白から黒までのグラデイションだけで表された一枚の印画で、人を感動させる事が可能である事実を、James Nachtweyは今でも証明し続けている。
2008.10.14
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実りの秋・収穫の秋である。日本もそうであろうが、アメリカも同様である。アメリカ国内で流通する米の多くは、カリフォルニアで作られている。 そして、それが今、刈り取りの真っ最中だ。 昔は 「不味い!」 ものと思われていた外国産の (日本以外の国を産地とする) 米だが、今や品種改良も進み、かなり悪くない、日本人の舌にも合格する程度にまで進化している。 そして、カリフォルニアでも米は水田で作られているのだ。 但し、日本とは少々規模が違う。畦で囲まれた田んぼ一枚の面積が、1.5km×1kmほどもある!だから、当然そこで刈り取り作業を担う機械だって、まるで戦車のような大きさなのだ。 ドカンと作って、ドカドカと収穫する。これがアメリカのスケールであり、日本よりも価格の安い秘密である。 ちなみに、田植えは “苗” ではなく、ヘリコプターから “籾” の状態で撒かれる。水の張られた田んぼに撒かれた籾は、沈下し着床する。 ここいら辺りも、日本の農業とはだいぶ事情が異なる。
2008.10.13
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中古のカメラを1台買ってしまった。と言っても、市場にて高額で取引されているような人気の機種などではなく、どちらかと言うと余り一般的にチヤホヤされない ・・・特に日本では評価の低いカメラである。 その名を “Argus C4” と言う。 Argusと言えば、まず頭に思い浮かぶのが “C3”。その真四角な形状から 「Brick=レンガ」 と呼ばれた機種であるが、1940年代のアメリカで爆発的に普及した、ファインダーに連動距離計を内蔵したカメラである。 そもそもArgusと言う会社は、35mmフィルムを用いた普及機を中心に製造したメーカーであり、その様々な製品がそれぞれにかなりヒットしたので、今現在中古市場には実に潤沢に “玉” が揃っているのである。 そして、廉価な写真機であるし買い手市場でもあるので、その価格は一般に驚くほど安く、そこが第一の魅力となっているワケだ。 性能に特筆すべき点は無いが、デザイン面では古き良きアールデコ調のモノが揃っているので、フィルムを使った日常的なスナップ用カメラには手軽で好適、趣も有るのではないだろうか。 この手の写真機は、しっかりした造りの皮製ケースに入れられているのが普通だから、やはりこのままの状態で首から提げ、いざと言う時は上蓋を留めているスナップ金具をパチリと外し、間髪を入れずパチリと撮るのが正調であろう。
2008.10.11
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新聞を見ていたら、板橋区立の郷土資料館で 「板橋と光学」 とタイトルされた展示が催されているようである。これには、非常な興味をそそられる。行けるものならば、今すぐにでも行きたいくらいだ。 板橋は、ワタシが少年期から青春期の長きを過ごした北区とはお隣さん同士で、特に大は旭光学から小は社長以下従業員総勢数名と言ったような町工場並の会社まで、それら光学関連製造業者が寄り集まった地域はワタシの通った高校とも近く、大変に親しみの深い街なのである。 その板橋区内には戦前、カメラや双眼鏡を製造する軍需工場が置かれ、1932年にはそこで初の純国産フィルムが作られたらしい。 また戦後もその経緯から、それら関連の企業が数多く勃興し、つまりはカメラなどの輸出で戦後日本の高度成長を支えてきた “ひとつの地域” というワケである。 同館には、カメラ,双眼鏡,映写機など約400点が展示され、Topcon製の希少なカメラも拝めるらしい。 尚、展示期間は11月3日までで、入場無料と言うところも嬉しいではないか。
2008.10.10
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ワタシのように、何十年写真を嗜み続けていても遅々として上達しない人間と言うのは居るもので、それはおそらく技巧云々の問題ではなく、センスとか、感性と言った方面のお話なのであろう。 写真のイロハが分かり掛けてきた頃、覗くと白黒で見えるファインダーが欲しいと本気で思った。言うまでもなく、カメラのファインダー映像は、それが一眼レフの場合ならレンズを透過し反射と屈折を経て直接網膜まで届く光であるから、総天然色で見えるのは当たり前の事である。 そうなると、どうしてもこの世の中に展開される鮮やか且つとりどりの色彩に目が行き、そればかりに気を取られてしまうワケで、ならばいっその事、視神経への情報を単純化した白黒映像の方が使い易かろうと思ったのだ。 これは、今であれば電子の技術を借りて、簡単に実現出来る事であろう。しかし、実際にはどのメーカーからも発売の噂さえ聞かれないのはどうしたワケであろうか? 口幅ったい物言いではあるが。写真の基本は、それが例え白黒だろうとカラーであろうと、フィルムだろうとデジタルであろうと、どれもなんら変わる事のない “光の濃淡” で描かれるモノであるから、色や構図に気を配る事も必要だろうが、まずは被写体それぞれの反射の具合、最も明るい所から暗い部分までの諧調を見極める事が重要であろう。 その際、白黒フィルムを使用しているのであれば、「この光景を撮影したら、どの様に露光されるのだろうか?」と想像する事は有益な方法だが、特にワタシなどにはこれがなかなか出来ない。 幾つになっても、舞い上がりながら写真を撮っているのである。 こんな冷静さを欠く人間の中には、前述の白黒ファインダーの登場を待ち焦がれる意見も決して少なくないと思うのだ。それに第一、プロ用ビデオカメラのようで渋いではないか。 せめて、カラーとの切替式でも良いから、誰か商品化してくれないものだろうか?
2008.10.09
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知り合いに、Ricohのコンパクト・デジタルカメラ GX200を所有する写真愛好家が居る。まだ買って数ヶ月ほどだが、それ以前には先代であるGX100を愛用していた。 ワタシの目から見れば、この二台は然したる大差も無いように見える。なぜ、世代交代に合わせたリプレイスを大枚叩いてまで行なったのか?理解に苦しむところだが、まぁそれだけGXに惚れ込んでいると言う事か。 話を聞くに、彼がそのカメラを多用する最も大きな理由は、それ独自の液晶ビューファインダーにあるようだ。これは一種の “アングル・ファインダー” で、デジカメの利点を活かして液晶スクリーンによる表示を採用しているが、その角度を変えても被写体を確認出来ると言う機能は、光学式のモノとまったく同様である。 つまり、彼はこのビューファインダーを通常跳ね上げた状態で上から覗き込み、ウェストレベルとして便利に使っているらしい。 確かに、ウェストレベル・ファンダーは有用である。被写体を直視しないから、相手が感じる警戒の意識も最小限度で済む。 街頭でのスナップ撮影などの場合、見ず知らずの他人にズカズカと一眼レフのレンズを向けるのは、それ自体なかなかに度胸の要る事で、「なに撮ってんだ、こらぁ!」などと言われたらどうしよう ・・・と怯んでしまうのも事実だ。 少々腰の引けた予防法とも思えるが、それも仕方のない事なのかも知れない。 かのブレッソンなども数多く同様な経験をしているようで、彼を題材としたプログラム 「The Impassioned Eye」 の中でも、不意に撮って怒鳴られたエピソードが語られている。 自分はと言えば、そのような用途の為にウェストレベル・ファインダーを使う事は、今は無い。それは、ペンタプリズム式に比べて格段に機動性が落ちるからで、例えカメラが一眼レフであっても、撮りたい状況では構わず撮る事にしている。 唯一気を配るのは、出来るだけゆっくりと構えるようにしている事で、その動作の最中にもし相手が嫌悪感を示すようならば撮る事自体を止めてしまうワケだ。 しかし、特に拒絶もされないようならば、後は可能な限り迅速に撮影を終える事も心掛けている。この辺りでモタついていると、要らぬトラブルに巻き込まれる可能性が大きくなるように思うからだ。 木村伊兵衛氏は、街中で抜き打ちに相手を撮影し、終えると間髪を入れず踵を返して立ち去ったそうだが、それもまた利口なやり方かも知れない。
2008.10.08
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田中長徳氏の、「チョートクのボクのカメラたち」と題された1000ページ余りもある重量級の本を古本屋で購入した。 内容は、長徳氏が所有するカメラのコレクションを片っ端から並べて撮影し説明を書き添えたモノで、このような書籍は、実はかなり危険なのである。 ワタシのように、他人様の使うカメラが気になって仕方が無いと言う “悟りが開けていない者” には、数々の写真機を目の前に 「これでもかっ!」と言うほど開陳されたのでは、まったくもって堪ったものではない。 アレも欲しいコレも欲しいになってしまうではないか。 であるから、本書はベッドに入って寝る前に手に取るだけとし、間違えても思い立ってコンピューターに向かえないような、特にebayなどにアクセス出来ないような環境を整えてから、翌朝目が覚めたらもう忘れてしまって居るようにして読んだ。 修行の足りない者は、それを努力で補う他はないワケである。 ところで、この本に登場するカメラ達は別として、文やレイアウトに関しては、いささか申し述べたい事が有るのでここに書かせて頂きたい。 まず、誤字脱字が大変に多いという事だ。これは、おそらく長徳氏がワープロを使って作成した文章を、ロクなチェックも無しに出版にまで漕ぎ着けてしまった結果であろう。 それは、ちょっと考えられないほど馬鹿げた変換ミスの多さからも明らかである。 自分の書いた内容を見直さない (見直したのかも知れないけれど) 作者も作者だが、それに手を入れて修正を行なわないグリーンアロー出版社の担当も担当だ。 町内会の回覧板ですらここまで間違えないであろう ・・・と思うほどにそれは酷く、読み続ける気力を甚だ阻害する程であった。 大体において、コンピューターに明るいはずもない老齢の方が操作をしているのだ、担当編集者はもっと細心の注意を払ってこそ当然であろう。 もうひとつはページレイアウト上のミス。写真に被せられた短いカメラの説明書きが、随所で写真の明暗によって潰され読めないと言う部分が相当数有った。 これなども、ところどころ読めたりするだけに、逆に気になっちゃって仕方がない! どちらにしても、エイヤッの勢いだけで作り上げた本のようで、もしこれを定価の3800円で買ったのだとしたら、ワタシは怒りのあまり苦情メールの1本も送り付けていたであろう。
2008.10.06
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