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幕張の桜は、潮の匂いを含んだ海風に急かされているのか、それとも遮るもののない広い空に遠慮を知らないのか——並木は白とも淡紅ともつかぬ曖昧な色をまとい、まだ冷たさの残る四月の朝に、ほどけるように花を開いていた。
背後には高層マンションが青空を切り取り、足元にはよく手入れされた芝生が続く。整えられた新しい街並みに対して、桜だけがどこか野放図な気配を帯びている。花とは不思議なものだ。人がどれほど境界を引き、コンクリートで土地を固めようとも、春になればおかまいなしに咲き、そして散っていく。
そこから北へ向かうと、花見川に出る。
名に違わぬ川だと、いつも思う。堤に沿って並ぶ古い桜たちは、幕張の若木とは別の時間を生きている。黒く太い幹は瘤を抱え、長い歳月をそのまま体内に溜め込んだようにうねっている。その梢からこぼれる花は、風のたびに川面へと降り、やがて流れに寄り添って花筏をつくり、どこか遠い海へと運ばれていく。
花びらは旅をする。生まれた場所を離れ、水に委ねられ、知らぬ場所で沈んでいく。その行方を哀れと見るか、潔さと見るかは、眺める者の心に委ねられている。
川沿いの道を、犬を連れた男が歩いていた。犬は地面に鼻を寄せ、男は空を見上げている。互いに何も語らず、それでもどこか均衡の取れた静けさがあった。
二〇二六年の春は、取り立てて特別なものではなかった。遠い場所で争いがあり、どこかで新しい命が生まれ、また誰かがこの世を去る。株価はわずかに上下し、ニュースはせわしなく光を放っていた。それでも桜は咲く。去年と同じように、一昨年と同じように、この土地に人が根を下ろすはるか以前から続いてきた仕方で、ただ静かに咲いていた。
花見川の桜の下に立つと、ほんのひととき、自分がどの時代にいるのか分からなくなる。
水は光り、花は散る。それだけで、もう十分だった。

幕張ベイパークと花見川のサクラ(写真1+google)
幕張ベイパークと花見川のサクラ(写真1)
幕張ベイパークと花見川のサクラ(写真2+fotor1)
幕張ベイパークと花見川のサクラ(写真2+fotor2)
幕張ベイパークと花見川のサクラ(写真2)
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