全338件 (338件中 1-50件目)

ウィーンには合わせて四半世紀余り住んだ。その間バンコクでの4年半をはさんで。そして此処も去るときが来たのだ。3年前の夏、ウィーンに戻って来たときに始めたこのブログも、ここで一旦終了しようと思う。また現れることもあるやなしや。この地に再び住み、その間、世界のあちらこちらを訪ねたのだ。少し思いつくままに載せておくことにした。アフガニスタンには二度ほど訪れた。そのうち一度はパキスタンを経由したのだった。遠くはコロンビアやらペルーにも行った。その奥地にも足をのばして。アジアでは、ウズベキスタンとカザフスタンに、そして最近では中国にも出かけた。そう云えば、トルコにも行ったことがある。何年かぶりに。そして、この地を発つ前にウィーン郊外にも出かけて、ワイナリーなどのぞいてみたのだし、久々にベルベデーレ宮殿の庭など散歩もしたのだ。ウィーンのはずれ、最後にすんだ我が街シュタマースドルフは、確かに心に残るところであった。さらばウィーンよ。さらば過ぎ去りし日々よ。橋の下を沢山の水が流れたのだ。
2011.05.06
コメント(8)

今一度、野に棲むものらにおもいを馳せて。 今晩、バンコクに飛ぶ。それから一時帰国するのだ。 もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011.04.08
コメント(1)

しかし日本はなんと云うことになってしまったのだろう。涙なくしては聞けない、また見ることの出来ない、そんなニュースが日々伝えられる。だけれども、この国はまだ捨てたものではないと、皆が云う。被災した方々が助け合い、自分の身内をなくした人々が他のひとの命を救い、命をかけて救出にあたるひと達がいる。世界中の人々が祈りを捧げ、手をさしのべて。北に住む幾人かの友人らは、無事ではあったけれども、必死で支援・復興作業に従事している。また、高校以来の友人夫婦の息子が仙台に居たことを知った。そして彼はお世話になった方々や友人達をおいて脱出したりはしないのだ。原子力の専門家である別の友人は現地に詰めっきりだと聞く。その弟は政権の中枢にいる要人の秘書官として、日々腐心しているらしいことが届いた便りから読みとれた。そんな中、その北の美しかったに違いない自然を思い、また緯度はそれほどには違わない此処ウィーンのはずれで、野に棲むもの達を見た。 日本の北で、今、鳥は同じように鳴いているか。 もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011.04.05
コメント(0)

もう少しばかりシミランの海の中の続きを。目があったもの達のこと。静寂のなかに。 もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011.02.22
コメント(2)

そういえば、昨年末シミラン・クルーズに出かけた際の写真をまだ載せていない、ということを思い出した。諸般の事情でさほど撮らなかったし、さしてめぼしいものも無いのだけれど、少しくらいは載せておこうかと。家を守りて。 出ようかなどうしようかな。何か用かえ。眠りを覚まされて。 幕を張り、就寝真っ最中。美しいものには毒があるとか。 未来を見つめるものあり。そして本稿のカメラマン。 もうずいぶんと前のことのようだ。 *** もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011.02.22
コメント(0)

そう、あの日曜日は確かに寒い一日であったのだ。ウィーンのはずれ、我が街シュタマースドルフを通り抜ける川の傍を歩いてみた日は。辺りはただ凍てついているようであったし、 空を飛ぶもの達も、薄ら寒そうであったのだ。 葡萄畑も凍てついているのであって、それは森とても同じことだったのだ。 こいつは森の傍を通りかかったら突然目の前に飛び出して来た。通り過ぎるのを待っていれば良いものを。 かと思えば、遠くで物思いにふけっておるやつも居た。 辺り一面凍てついていたのだ。止まっていた静寂がふと流れでるのを待つように。 もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011.02.14
コメント(2)

ウィーンでは暖かくなったり、また寒さが厳しくなったりと、このところ移り変わりが頻繁である。そのはずれの我が街の辺りも相応に姿を変えるのであった。しばらく前、月が満ちていたころ、 とある寒い日曜日の朝、我が街のはずれを流れる川のほとりを歩いてみたのだ。さまざまな鳥がけなげに生き抜いているようであった。このずんぐりむっくりは何だろうと思っていたら、こいつがあまりの寒さに首を縮めていたのだった。連中は確かに寒さに耐えていたようであり、 確かに寒い一日なのだった。 この頃、冬はまだ居座り続ける風情を見せていた。 もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011.02.13
コメント(4)

大晦日に帰国した。ほんの短い間ではあったけれども、親父となじみの温泉宿にも出向き、眼下に波の打ち寄せるのを見つつ、潮騒を聞きながら、酒を酌み交わし、また熱い湯の湧き出る露天風呂から遠くに漁り火を眺めて、正月を過ごしたのだ。それから海辺に行った。雨の続いたこの正月、辺りはどこも雲が低くたれ込めていて、この浜からは遠くに船が出て行くのが望まれた。この小さな湾には、かつて旧帝国海軍の機動部隊が停泊したこともあるのだが、今はただひたすらもの静かな日本海の風景が見える。現在の幹線道路ではなく、江戸期から明治の頃まではそれが主要な道であった旧道を辿れば、そのすぐ先で海に注ぐ川の傍を通ることになる。 そこには何時も様々な鳥が居着いているのだった。親父の仕事の関係で育ったのは県都であったが、私の生まれたこの父祖の地は未だ自然の中にある。森の片隅にある我が家に向かう坂道、それを親父が辿る。木々は冬枯れを抱いて、しかし雨に濡れそぼったので、最早しわがれ声で騒いではいなかったのだ。今は亡きお袋が、正月用に手間ひまかけて作った黒豆は、絶品であったことを思い出した。この次に年が明ければ、 父親は米寿を迎える。 もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011.01.13
コメント(8)

今は雪に閉ざされ、氷の世界になっているウィーンのはずれの我が家の辺りも、ほんの少し前は晩秋とはいえ、目の前の森も寒さに疼いている風ではなかったのだ。 空には雲が様々な姿を見せており、 時に朝早くには霧がかかることはあっても、辺りはおしなべておだやかであった。その色を変えてしまった葡萄畑は、むしろ豊かな風情を見せていたのだし、森の端にある木々も未だ色合いがあった。鳥どもの姿は確かに寒そうではあったけれども、忙しげに飛び回るものたちも居たのだ。今はしかし、此処は氷の世界。今朝出かけるときは零下13度だった気温が、帰宅時、我が棲み家の辺りでは零下19度であった。寒いではないか。
2010.12.16
コメント(10)

最近、朝早く走りに出ると、当然まだ暗いままである。ウィーンの外れにある我が家の周りでは。この間は、三日月と明けの明星が東の空に見えたのだ。葡萄畑の間の石畳の路を登りきる頃には少し明るくなったけれど。まだそれぞれが東の空に浮かんで。時には、雲が垂れ込めてはいても、東の空は明るくなることもある。ごくごく早く出て、雪なんかが降ってるひには、幻想的でさえある。週末などに、少し遅く出かければ、こんな景色が見える。時には、寒風吹きすさぶ中を走る事になるのだけれど。冬だ。
2010.12.13
コメント(6)

この日曜日の朝、ウィーンのはずれ、我が棲み家の辺りはマイナス12度であった。帰り道、忙しそうに立ち働いているキツツキを見かけたが、他はおしなべて静かであり、凍てついた氷の世界であった。 ***もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010.12.06
コメント(8)

さて、久し振りに此処に何から載せようかといささか思い巡らしはしたが、矢張り先月ふらりと出かけた紅海の話にすることにした。今回は仲間のダイバーは誰もつきあってはくれなかったし、ひとり器材を担いで出かけたのだけれども、旧知のガイドさん達と潜って、気のおもむくままに眼についたものを撮ったのだ。静謐。 ざわめき。 波間に~孤高なる。 波間に~シルエットとして。悠然。 可憐。競合。孤独。海は静かで、またざわめいていた。 ある秋の日、シナイ半島の海の中で。 ***もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010.11.20
コメント(7)

此の日曜日、一眼レフを片手に我が棲み家の周り、葡萄畑と森が接する辺りを歩いてみた。 ウィーンは確かに秋なのであった。 此の鹿はかなり遠くからこちらを見つけたらしく、早々と森の方へ隠れ去った。そしてこいつは最初、草色のフィールド・ジャケットを着ていた私に気付かなかったらしく、十数メートルのところまで近づいて来て、それから慌てて何処かに消えて行ったのだ。今日は母の命日である。母が逝って7年の歳月が過ぎた。 *** もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010.10.18
コメント(11)

昨日届いたとある季刊のダイビング誌に、しばらく前に投稿した写真が入選作品として掲載されていた。その前の、同じ系列の月刊誌に載っていた作品よりごく小さいものだったが、またも撮影意図を汲み取ってもらった好意的な評であったから、納得したのだ。それで、また水中写真を載せようかと思ったけれども、めぼしいのは大体出し尽くしたようでもあり、仕方ないので次の機会を得るまで(それは来週末なのですが)、陸上の写真に戻る訳です。我ながら牽強付会の気味があるな。さてと。もう少しウィーンの外れ、我が棲み家の周りの野の辺りの風景を。 此の地は確実に冬に向かっているようでもある。もうワインの新酒が出るのも間近いはずだ。 *** もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010.10.15
コメント(4)

夏の終わりから秋に移ろいゆく頃、我が棲家の周りに広がる野を歩いてみたことがある。ごく早い朝のうち、葡萄畑の上の空は様々な姿を見せて。そして朝日はとてもゆっくりと登っていったのだ。あの日は何とも風が強かったから、気をつけねばあやうく飛ばされそうなのだった。我が街の教会が見えるところまでもどれば、その辺りの葡萄の葉も既に秋の色を見せていたし、 東の空は何故か夕焼けのようでもあった。野にある木々も確かに紅葉しているのであって、また空も秋のそれに違いなかった。さて。 此処数日の秋晴れの日は、何時まで続くことか。 *** もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010.10.13
コメント(8)

別段のことはないけれども、ローシンの海の中のイメージをもう少し。さて次は陸の上のことにでもしましょうかね。さて、どの国のにするか。***もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010.10.12
コメント(6)

あの時、タイの南、マレーシア国境近くのローシンで潜って、其の後一時帰国してまたウィーンに戻り、さらにブリュッセルへ出向いてから、先週末もう秋に違いないウィーンに帰って来た。そしてまた、少しばかりあのローシンの海を思い起こしたくなったのだ。あの時一緒だったプロカメラマンから 2−3日前にメッセージが届いた。そのひとの仕事はとても刺激になったのだし、また自分なりに工夫してみようかと思わせたのだ。さて。 ***もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010.10.11
コメント(2)

この間、ほんの一寸だけ一時帰国したのは、卒業以来45年ぶりの中学の同級会に出るためであったが、そうするのにタイを経由して、潜っても来たのだ。ウィーンからバンコクに着いたその夕方にはまた国内線に乗り、さらに船で11時間かけ、マレーシアとの国境近くの秘境ローシン、島と云うか岩礁の傍で潜ったのだった。昨年行った時のように、ジンベイザメと遭遇することを期待していったのだが、そしてその時の写真はしばらく前に初めて投稿したさるダイビング雑誌に掲載されたのだけれど、今年のこのツアーでは現れることはなかった。水温もずいぶん高かったし、最近知られるようになったのか他に2隻の船がいて相当数のダイバーが潜ったのだから。それでも、その岩礁の周りに広がる珊瑚礁の魚影は濃かったのだ。 ギンガメアジの群れ、それは何度も現れた。 近づいてみれば、こんな風だったのだ。ひとり違う方向に向かうやつもいる。 孤高に。また、夫婦で。そして、見慣れたものたちもいろいろといたのだ。 珊瑚の白化現象をみると、そしてそれは至る所にあったのだが、心が痛んだ。水温が少し下がれば、珊瑚虫が戻って来てまた元に戻るはずだというのだけれど。 この続きはまたの機会に。明日ブリュッセルに飛ぶ。 にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.10.03
コメント(6)

卒業して45年振りの中学の同級会に出るのに、一寸だけ一時帰国したのだけれど、まずは生まれ故郷に戻った。 白鷺の飛ぶ里へと。こいつはそうやって木のてっぺんに止まった後、身じろぎもせずに、ずっとそこに留まっていたのだ。白鷺は至る所にいた。 母も眠る、我が家の墓所がある。 その傍を鷺が飛ぶ。 森をかすめ、 大空へ飛翔すれば、 また、森の傍で羽を休めたりもする。 父親に、今年は鷺が多いのではないかと問えば、確かにそうなのだと云った。どうやら、故郷も秋に向かっているようであった。
2010.10.01
コメント(6)

初夏のある日、秋に同級会をやるのだ、今年は筋目の年だから帰って来いよと、一時帰国していた私に友人らが云った。中学のクラスのことである。卒業以来45年の歳月が流れていた。我が母校では3年間同じクラスである。 そのためにだけまた帰国することなど出来るであろうかと、いささか危ぶみはしたが、兎に角なんとか都合をつけて帰って来たのだ。 かっての面影を濃く残すのもいたけれど、当然ながら直ちには判別しがたいのもいたわけである。しかしそれぞれが素敵な年輪を経ているのであったし、また問わず語りに夫々の来し方を聞けば、かって紅顔の少年少女であった頃の面影がたちまちに浮かんでくるのだった。この度は、日本各地から帰郷した友がいたのであり、 私はと云えば、此処に載せた、ウィーンから日本海側にある自分の生まれたこの父祖の地へ戻り、さらに瀬戸内海側の、そこで育った県都へと足をむけたのだ。永く日本を離れているのだから、40年45年ぶりに会う友人が何人もいた。 だから矢張り帰って来て良かったなと、 そう思ったことであった。「45年の歳月を飛び越えて、あんなに楽しい時間が持てるなんて、人生もすてたもんやないね」 と、そこに移り住んでから永くたつらしい古都の言葉の柔らかな響きで、こう云いやって来た友がいた。そう、 確かにそんな時を持ったのだ。人生の半分以上を祖国を離れて暮らし、今また古巣ウィーンに戻ってからあの集いを思い浮かべれば、何故かもう遠く過ぎたことのようでもある。
2010.09.28
コメント(4)

さてと。もう少しばかり、ウィーンのなかでも北東の端、我が街シュタマースドルフの森と葡萄畑と野原の辺りの話を続けるわけです。先だって日曜日の朝早くのこと。野には小鳥も軽やかに飛び回り、野の花はあちらこちらに清楚であり、次の小さな森にさしかかると、また鹿がいた。葡萄畑は、このように一列だけになっている処もあれば、むろん、畝が連なっている斜面も多く見受けられるのであった。森は未だその緑は深く、その森に向かって、一心に隠れ行く鹿がいた。 たいていこちらは風下にいたのだけれども、どうやら連中は眼も良いらしい。その先、別の葡萄畑の傍の小路を辿っていると、こちらを窺っている鹿がいた。そいつは、気付かれたのを知るとすぐに逃げにかかったのだ。はるかウィーンの街並みが見える。穏やかないち日であった。どうやらその辺りが夏のおわりであったらしい。もう既にウィーンは秋の様相なのだから。しかし、この時期例年こんなに気温が低かったか。明日仕事の後、バンコクに飛ぶ。そしてまたすぐにハジャイと云う街に飛んで、11時間かけて船で秘境ローシンに向かうのです。それはまたの話に。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.09.08
コメント(8)

この間の日曜日の朝早く、久々に一眼レフを手に森の方へ出かけてみたわけです。葡萄畑の間を縫う石畳の道、我が棲家の前を教会の方に下ってその角を左に曲がれば此処にでる。何時もこれを通って森と葡萄畑の接するあたりに辿りつくのです。葡萄畑の畝は、それぞれ葉を生い茂らせていたのでありました。_葡萄畑から大急ぎで森に隠れ行く鹿。その先の森と麦畑の境にもまた居たのです。雉らしきものも慌ててちょこまかと隠れにかかり、野は豊かでありました。まだ他にも見かけたものあり、この稿さらに続く。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.09.08
コメント(4)

アドリア海の島でで潜り終えて、古都スプリットに着いた。そこからウィーンに飛ぶために。この町の中心にはローマ時代の旧市街がひろがり、今もひとが住み、使われているのだ。このアーチを通りぬければ、大聖堂に出るわけです。その古い石造りの階段を登りゆくと、そしてそれはひとがすれ違うのがごく難しいのですけれども、鐘楼の天辺まで辿りつくことが出来る。高所恐怖症でなければ。鐘の横を抜けていく辺りから鉄製の階段に変わり、下がずっと見渡せるのだから。ローマ時代から続く街は確かに美しく、その人々の住む辺りも、賑わいと古都の様相が交じり合って誠に赴きがあるのだけれど、これくらいの散見でこのシリーズを終わらせることにするのです。何しろ私は少し先を急がなければならないのだから。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.09.07
コメント(2)

そして我々はダイビングを終えて、コーチュラ島、ヴェラ・ルカの街を離れたのだ。なぜかノスタルジックな思いをもいだかせるような、しかし異国の街と海。夕日の沈みゆく下に宿から望まれる桟橋。そこに船が着くのだ。翌朝、ごく早いフェリーに乗り、無数の島々の間を抜けて、街を去った。そうして、古都スプリットの街に入った。それはまた、このシリーズの最終稿で話すことにしよう。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.09.07
コメント(2)

この間の週末、潜りに行ったアドリア海の、今日は主に陸の上の話。クロアチア、コーチュラ島、ヴェラ・ルカと云う街のことを。少しばかり駆け足で。教会の向かいにはちいさな湾の入り口に桟橋が伸びていて、そこにフェリーが着くのだった。その教会の前から、湾は深く内陸に曲がって切れ込んでいるのであって、 丘を背にして町並みが続く。ごくごく深い青を映す空と海に包まれるように。そしてこちらから船はこの街に着く。海の上と下との対比、光と影。このような冷たい海の上には真夏の陽が射していたのだ。街はといえばこんな風であった。 八月の光のなか。夏のおわりに。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.09.06
コメント(4)

先週末アドリア海で潜った時の話を続けるのだけれども、さてわたしは少し急がねばならない。 次に出かけるのが迫ってきているし、他のテーマで載せてないのが溜まっているのだから。 やや駆け足で、海中散歩のあれこれを。こんなところで潜降した。まだ陽の差し込むその先を、水深30mばかりのところまで降りれば洞窟あり、少しばかり上がってみれば海藻の絨毯がひろがり、また、岩場があり、そしてその間を泳ぎわたる、さまざまな小さなものたちがいたのだ。確かに水の中は冷たかったのだが、上がってみると陸の上は陽が燦燦と輝いているのであって、心地よい夏の日がそこにあった。フェリーを下りて荷物を引っ張りながら桟橋を抜けるとこの教会につきあたる。そこを湾に沿って左に曲がったところに宿があった。さてと。次はアドリア海の陸の上の話にしようか。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.09.04
コメント(4)

さてと、もう少しアドリア海の話をすることにしよう。ウィーンはもうずいぶんと涼しくなって、今朝など15度ばかり昼ごろから雨も降りだして、もう秋に違いないと思わせるのだが、アドリア海の海岸では陽射し未だ強く、海風はさやかに吹き来るのであって、いつか見た遠い夏の日をまた思い出させた。其の群青の海の中。光と影を映して。其の冷たい水の中にも小さきものが健気に生き抜いていたのだ。そしてそんな生物を探している本稿のカメラマン。撮影:HSこの稿続く。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.09.04
コメント(4)

先週末、クロアチアへ飛んだ。アドリア海で潜るために。此処ウィーンからは1時間かそこらで着くのだが、そうしたのは初めてのことであった。そうだ、この海にはかつて飛行艇乗りたちの物語があったではないか。「紅の豚」を見てアドリア海にいち度は来てみたかったのだとパリからやって来たダイバー仲間が云ったけれど、確かに無数の島が浮かぶこの海の群青色、ほとんど雲のかかることのない空、その背景に映える家々のオレンジ色の屋根、それらはことごとく旅人の目を楽しませた。気温は申し分なく、海から吹く風はただただ爽やかなのであった。しかし潜るのには、水はすこぶる冷たかったのだ。 何しろ、潜り慣れた東南アジアの海より10度以上も低かったのであり、水深30mまで降りた時は15度程しかなかったのだから。まず古都スプリットに飛び、そこからフェリーで島々の間を巡ってコーチュラ島に渡ったのだけれど、このヴェラ・ルカと云う街は、小さなしかし湾曲して長く内陸に切り込む湾を囲んでいるのであって、その後ろには丘陵が迫る。煌めく光の中を潜った。そしてもちろん飛行艇の残骸が沈んでいたりなどはしなかったのだが、船の墓場といわれる場所はあったのだ。生物も確かにいたのだけれど、あまりの寒さに腰を落ち着けて撮ろうなどと云う気はさらさら起こらなかった。これが本稿のカメラマン。重装備で。撮影 H.S.この稿続く。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.09.04
コメント(2)

タシケントでとある日曜日、陶芸工房を訪れたのでありました。この工房には数年前に一度来たのでしたが、その若主人は覚えていてくれましたね。少なくともお祖父さんの代からやっているという工房は、前の場所の向かい、大きめな建物に移っていたのです。確かお父さんは日本へも、陶芸の技術の視察に行ったことがあるはず。伝統的なウズベクの意匠など生かしつつ、試行錯誤を重ねて独自のものを創って行こうとする意気込みが、しかと感じられる家族なのでしたね。このタシケントの街には、行きつけの店などもあるわけです。このような雰囲気をずっと壊さない、そのような店があることは、こころ楽しいものであります。今日はこれくらいでとりあえずページを閉じることにしましょうか。明日、仕事の後クロアチアに飛ぶことになってるのです。週末、アドリア海で潜るために。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.25
コメント(4)

また、ある日曜日の朝歩いた辺りのことを少しばかり載せておきましょうかね。その光と影を。重厚なものあれば、 そしてまたこのような日常も。至る所に見られるささやかなる小売商。陽の光を浴びて、果物も花も輝いていたようなのです。次は、店などを訪ねた時のことにでもしましょうか。例えばこんな。この項、続く。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.24
コメント(4)

タシケントは今年、気温も低めで雨も多く、葡萄の出来が良くないのだと聞いたのでした。訪れた頃、陽射しはたしかに強いものの、木陰では涼しくもある日が続いてたようだ。今日載せるのは、さして脈絡もなく、ある日曜日のに眼にとまったというだけの、そこ此処の姿。あの日あの時、わが心持を映して。ナボイ劇場の辺りを歩きつつ、60年余り前、それを造った戦争捕虜であった日本の兵士の方々に思いを馳せて。 中央アジアの夏に。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.23
コメント(4)

先月、帰国休暇の後ウィーンに戻ってすぐ、中一日置いてウズベキスタンへの出張に出たのです。首都タシケントだけの短いものではあったけれども。昨年春に来た時と同じホテルに投宿したわけですが、その向かい側、噴水のある広場の向こうにオペラ座がある。ナボイ劇場という。昨年の記事にも書いたけれども、これは第二次世界大戦後、当時ソ連の一部であったウズベキスタンに連れてこられた、戦争捕虜の日本兵たちが造り上げたものでありました。それは航空技術兵の部隊の兵士たちだったのだと。そして、捕虜であるのにどうしてその様にに勤勉なのかと、ウズベクのひとたちが話すほどの働きだったと伝えられ、裏にその旨を書いた碑が立つ。1960年代に2度の大地震が襲いタシケント中が被害にあったのだが、このナボイ劇場だけはびくともしなかったと伝えられておるわけです。今なおウズベキスタンのひとたちの尊敬を集め、これを造った日本の兵士の方々の手がけたものが、ここに建っていた。かって、そのような日本人がいたということ、しかと記憶しておくべきかと。ナボイ劇場の周りにはちいさな公園などあって、その繁る木々はともすれば埃っぽいこの街に潤いを与えているようなのでした。ある8月の日に。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.23
コメント(8)

日本からウィーンに戻るにあたって、所用もありバンコクを経由したのですけれども、最近帰国しても東京を経由することがなかったので、なかなか人に会うことも難しかったわけです。で。そんな中のおひとりが、これまたミャンマーの奥地から帰国するのに私のスケジュールに合わせてバンコクに寄られ、誠に久々にゆっくりと話が出来たことでももありました。その際、とある日曜日に車を飛ばしてパタヤに日帰りで潜りに行ったのです。今は高速道路がずっとつながっているから、1時間半もあれば余裕で着くわけです。バンコクから古巣ウィーンに戻って以来でしたから、最後に行ってからもう2年が経ってたわけです。そして思いがけず、旧知のダイバーおふたりと再会し、向こうも私がこの日現れるなどとは思ってもおられなかったわけで、これもご縁ですねと話したことでしたね。船が向かったのはパイ島でありました。まずその近くの沈船に。深度25m余りのところに沈んでるやつです。少し流れもあり透明度が良くなかったので大して撮らなかったけれど、これはそこについている潜航ロープでありますね。ただなんとなく。こんなのがふわふわと。船腹の横、船底に近いところに。で、これは甲板のあたり。見通しが悪かったからこれくらいででお茶を濁し。。。そして次に行ったパイ島ビーチでは、ハゼ、ハゼ、ハゼ。まずはダテハゼが多く。このギンガハゼの傍からは共生している(というかハゼの方が居候なのですが)エビも顔をのぞけました。共生ハゼはエビに巣穴を掘ってもらい、目の悪いエビの代わりに外敵を見張るわけでありますね。もちろん他のもいたわけであり、タツノオトシゴは何時も深い悲しみに沈んでいるようでもあります。そしてこのヨウジウオというのは、(自分の腕を棚に上げて云えば)どう撮っても見栄えがしないやつでありますね。ある優秀なるカメラ派ダイバーは、最初から撮る気がないのだとおおせられてましたが。で。このアンボイナ、ハブ貝とも云われ猛毒がありますね、とダテハゼが一緒にいたのですけれど、仲良くしてるわけはないから、もしかして、魚食性といわれるアンボイナがハゼを狙ってたのではあるまいな。貝をあれこれくっつけて歩いてたウニ。別に意味はありません。ついでに。このエビはささっと全身を出して引っ込むところ。どちらにしても、この連中とお近づきになるのは、小生の腕では至難の業でありますね。匍匐前進、知らんぷりして寄っていくのですけれど。こうしてのんびりと海中散歩を終え、また車を駆ってバンコクに戻り、一両日種々の用も済ませてからウィーンへと飛んだのでありました。次はウィーンに戻ってすぐに出かけたウズベキスタンの話にでもしましょうかね。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.22
コメント(4)

沖縄での最後の日のことをいま少し。ひとり海岸線に沿い車を走らせ、岬を巡り、幾つかの場所を訪ねたときのことを載せておきたかったから。毎日この港から潜りに出たのだった。この崖を左に見て、この岩の傍を通り。あのとき陽は高かった。旧い沖縄が見える。そして海はとても静かだったのだ。こうして沖縄への旅は終わった。あの夏の日。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.20
コメント(6)

潜るのが全て終わった後、ひとりで車を駆って海岸線を辿ってみたのだ。幾つかの岬を巡り、それぞれの海の色を眺めて。そうだ、この岬ではその反対側はダイバーなどでにぎわっていたのだけれど、こちら側では人影もなく、陽射しの強いなかにも風の通り道あり、しばらくただ海を見つつたたずんでいた。そこではちいさな者たちもいたし。そして毎日この崖を横に見ながら、海へ出て行ったのだった。ひとり誰もいない岬などにたたずみ海を眺めていると、ずいぶん遠くまで来たような思いがあった。自分の国ではあるけれど、確かに遠くウィーンからやって来たのだから。さて、何時また此処に戻って来ることが出来るか。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.19
コメント(4)

様々な表情を見たようである。ぼおーっ。 眠い。同じく。 ぼおーっ。ん。なに。はあーっ。む。このおかたたちは表情がないな。これもどうやら。さわやかに。そしてこれが本稿のカメラマン。優秀なるガイドさんと。 (撮影:RO師)ではまた改めて。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.18
コメント(2)

目が合ってしまった者達をちょっと。メガネゴンベさんでありました。こんなのも居た。で、あなたは誰だっけ。こいつは小生をずっと威嚇していたようでもある。こいつも取り立てて友好的ではなかった。ふらりと。交通渋滞。 やい、邪魔だよ、せまいよ!そしてこれが本稿のカメラマン。 (撮影:RO師)これでほぼ沖縄への旅も終わりなのですけれど、後もう少し撮りためた写真を整理してみましょうかね。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.17
コメント(6)

孤高なるものたち。そう意図して撮ったわけではないけれども、この日そんなのが多かったので。飛翔。 何故かこのミノカサゴはひたすら上を目指して登って行ったのだ。其の若き日。凛。ふらり。淡麗。茫洋。厳かに。このオオモンカエルウオはあまりに大きかったもので、すぐには気が付かなかった。もっと小さいのを予期していたから。 隠棲。これはコブシメなのでしょうね。清楚。これがユキンコボウシガ二であるな。そしてこれが本稿のカメラマン。 (撮影:RO師)にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.14
コメント(4)

この海では、いくらでもシルエットの美しいところがあった。ご存知ミノカサゴ。このシーホースはなにかしら寂しげにしていたようでもある。ユキンコボウシガニ。実は初めて見た。これはダイアナウミウシと云ったか。このへコアユはちょっと遠かったけれども、通りがかりに撮っておいた。警戒心が強く、海底近くに、例えば枝状サンゴの傍などにいることが多いと聞いていたけれども、大分海底から離れたところにいたのものだから。この貝はなんと云ったのだったか、美味だそうである。まだこのカメラでは、特にマクロを撮る時に慣れないままのようであるが、ま、もう少し写真の整理をしてみましょうか。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.13
コメント(4)

さてと。そろそろ、個別の話をしましょうかね。初めて訪れた沖縄、恩納村から出かけたダイブ・スポットで見たものたちの。これは何度か見かけたけれども、スク玉というのだと。アイゴの子供の群れだとか。そしてこれは美味いのだと。時期を過ぎるとだめなのだそうですがね。近寄ってみれば、こんな感じ。ウミテングをちょくちょく見かけたのでした。タイはパタヤで頻繁に見かけるヤリテングのように、仲むつまじく(恐らく)。これはカノコイセエビかなんかが頭だけを出してるのでしたかね。あちこちで見慣れたクマノミだけれども、これはきりりと家族を守ってまして。右下にちびが。凛々しく。そういえば、通りがかりに見かけたこのアオウミガメには割りとでかいコバンザメが二匹くっついてましたね。そしてこの海、あちこちでシルエットが美しく。そしてまだ話は続くわけです。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。
2010.08.12
コメント(4)

もう少し、この地での我が心象風景とでも云ったものを。まずは。さてと。初めて訪れた沖縄で、相当に撮りはしたけれどもこれから整理して、そのなかにはめぼしいものもあるやなしや。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。
2010.08.11
コメント(4)

この夏、初めて沖縄を訪れた。本島、恩納村である。まずは、そのイメージとして。一日目の写真から。そうだ、そういえば沖縄に向かった前日、中国・九州地方は大雨でがけ崩れなどと被害が大きかったのだ。それで、車で我が家から福岡空港に向かうのが一大事でありました。まずは九州高速道に乗ったらこれが途中から通行止め。仕方がないので一般道路に下りてのろのろ運転をしていたところ、都市高速への入り口がありそれに乗ってやれやれと思ったのであるが、これも途中から通行止め。福岡に向かう一般道路をやっと探し出してのろのろと走っていると、またも通行止め。最後になんとかバイパスを、これもあっちで訪ねこっちで聞いて入り口を見つけて、何とか空港にたどり着いたのでしたね。博多のある行きつけのダイブショップで用もあったから、3時間ばかりの余裕を持って出たにもかかわらず、危うく飛行機に乗り遅れるところであった。心優しいそのショップの店長が空港までモノを持って駆けつけてくれたから、カウンターが閉まる10分前にチェックインできたのだけれども。かなりある他の写真の整理はこれからなのであります。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。
2010.08.10
コメント(4)

昨日の続きの写真を載せておくのです。今回は新しいカメラとその水中ハウジングに慣れるために、ただただ海中であれやこれやと試していただけなので、別段めぼしいものもないのですが、まあついでに。わかり易いところから現れたミノカサゴもいたし、で、あなた方は誰だっけ。此処の砂地には、ホタテウミヘビなんかもいるのでありますね。ホウボウも見つけたけれども、こいつはちょこまかと動きまくって、あれこれカメラの設定をいじくっているうちに、何処かへ行ってしまった。別のところでまたハナイカを発見いたしましたね。どうもライトが上手くあたってないようであるな。で、これはただのタコなのですけれども、ある日、浮上前に見つけたら、岩から出てきて私の動画撮影を試すのに付き合ってくれたので、ちょっと載せとくのです。 この新しく入手したカメラはハイ・ビジョンで高画質の動画も撮れる訳であり、海の中で試すことが沢山あって忙しいのであります。と、まあ今回日本海側で潜ったのはこんな所でありました。あの頃、この地方では大雨注意報などが出ていて、しかし潜った青海島あたりでは海も穏やかで、浮上してみるとちょっと小雨がちらついていた、というくらいだったのですけれども、水温は22-23度くらいしかありませんでしたね。水温がいつも30度近いという様なところでダイバーとなった私としては、5mmのウェットスーツに3mmのフード付きのインナーなど着込んで潜って、まあ大丈夫であったわけです。それでも、割りと浅いポイントばかりなのでエアの消費も少なく、80分ダイブなどやってると、腕が寒く。。。 で。この後、沖縄に行って潜ったのでした。そのあれこれはまた別の機会に。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。
2010.08.09
コメント(6)

この帰国休暇の間、あちらこちらで潜ったわけであります。 まずは生まれ故郷の近く、本州西の端に近い、日本海側の青海島で潜ったのですけれども、そこに関西から友人ダイバーがその高校時代の友達と潜りにやって来てくれたわけです。凄いのはこのひと達は高速夜行バスでやって来たことでありますね。ところで、この若い友人は小生の師匠も嘱望するビデオグラファーなのですが、そしてその旦那もごく優秀なプロダイバーなのですけれど(この間マレーシアで一緒に潜った)、小笠原にしばらく前に単身赴任して(そこの海洋センターの所長をやっていて)今回わざわざやってくるのは無理だったのでした。次はこっちから小笠原に行くのだ。そのすぐ後には、中部から別の仲間が一緒に潜りに来てくれ、さらに極めつけは、それを聞きつけた北陸のダイバーが、急なので潜るのは無理だったけれど、その後の飲み会には駆けつけてくれたのでありました。ちなみに今回一緒に潜ってくれたのは皆女性ダイバーだったのでしたが、そしてダイビングの後は、今年86歳になるうちの親父殿も一緒に、それぞれ温泉での宴会になったわけなのですけれども、小生のことは差し置いて、親父とすこぶる話が弾んでおりましたですな。閑話休題(それはさておき)。今回潜るのに、新しいカメラを持って入ったのでした。何時も使っている一眼レフではなくて。そいつの水中ハウジングを耐圧試験に出していたもので。何しろ初めて使うのだし、そしてこの新しいカメラは高画質の動画も撮れていろいろと遊ぶことが出来るのものだから、あれこれといじくりまわして海中で試していたわけです。それやこれやで(といつもの得意の弁解が出てくるのですが)、ピントが甘かったりするのが続出したけれども、なに構うものか、他に投稿するわけじゃなし自分のブログだから、そう云うのも載せてしまうのだ。さて、潜ったのはこんなところ。洞窟あり、砂場あり、岩場の間の海藻の間を抜けて。珍しいものの中ではハナイカを見つけましたね。 実は初めて見た。これはベニキタヅツミと云ったか。で、なんで貝がこんなところにくっついているのだ。珍しいといえば、このオオカズナギ。繁殖期には、そして今はその終わり頃なのだそうですが、お互いに相手を威嚇しあうのです。オス同士の話でありましょうね。おかしいのはこのように鏡に映った自分に対してもそうするのですね。鏡の中の方にピントが合ってしまったけれど。これで、連中は眼が良いのがわかった。コブダイの幼魚も見かけたのです。 ここらで成魚は見たことがないけれども、ま、親は別に見栄えのするやつではないから良いか。その白身は美味いそうでありますが。 ある洞窟の入り口近くには、やたらとウミウシが居たのです。この向こうのやつはずり落ちそうであるな。大丈夫か。ただ、この特に深くもない洞窟の中は、海面ではそうでもないのにうねりが激しくて体を固定できず、いつものようにウミウシ目線で撮ろうと思ったもののそんなことはかないもせず、こんなのでお茶を濁しておくのです。そして普通に見られるやつも当然居たわけです。このミノカサゴは紛らわしい岩の間から現れたものだから、最初は気が付かなかった。もっとわかり易く出てきたのもいたわけですが、そう云うのはまた次の機会に。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.08
コメント(9)

今日も昨日の続きとして、私の故里の街、それも西の京都と云われ室町時代から続く辺りの印象を載せることにしよう。 いや、別にさしたる意味があるわけでもない。ついでにと云うだけのことだ。かなりいい加減な性格ではあるな。ただ、深い緑に包まれた、古都と云う風情のこの辺りは、昔からことに気にいった場所であった。 あの遠い夏の日、ここに来たのは誰と一緒だったのだろう。私の育ったこの街については、この度帰国して訪れて、まだまだ沢山語りたいことはある。この街に生まれ早世した高名な詩人は、「これが私の古里だ/さやかに風も吹いている/ああおまえは何をしてきたのだと/吹き来る風が私に云う」とその「帰郷」と云う詩のなかに書いた。長く故郷を離れて、そう、もう日本に居ない年月の方が長くなってしまったのだが、帰り来る度にそんな思いがあった。少年時、この詩人の生家はある医院になっていた。今はもうその木造の建物は無いけれども、かって良く通った覚えがある。亡き母がまだ若い頃一時入院したのはそこではなかったか。その近くの居酒屋に、ほんの2日ばかり前に連絡したのにもかかわらず、今度も帰国した私に会いに同級生が何人か集まってくれた。勝れて刮目してみるべき男たちである。その連中が、今年は筋目の年であるからして、この9月に同級会をやるから帰って来いという。そんなことが出来るかどうか。しかし嬉しい誘いではある。それやこれやで、我が故里について語ることは多いのだけれども、取りあえず次は海の中の話にしよう。我が家の近く、青海島で潜った時のことを。
2010.08.07
コメント(5)

この夏一時帰国して戻ったわが故里、その近くに鍾乳洞がある。 東洋一の大きさなのだと伝えられる。少年時、それを訪ねるのは心楽しいものがあった。そこへ、この旅の間うちの近く日本海で一緒に潜るのに関西からやって来てくれた、若い友人のダイバー達と足を延ばした。あの日、洞内に入るまでは何故か人影は少なかったようだ。そしてそこには矢張り静謐な空気が流れていたのだ。その洞窟から流れ出る清流は、むせかえるような緑の中をさらさらと流れているのであった。そこからもう少し山を越えて行くと、私の育った街に辿りつく。かって西の京都と呼ばれたその地には五重の塔がある。室町時代に建立されたものだと伝えられて。その先をもう少し進んで行くと、石庭のある寺に辿りつくのだ。雪舟の造った庭だと伝えられている。此処を訪ねるのは何故か夏の日が多いようだ。しかし、その周りを辿って行けば涼しげな植生に囲まれて、心洗われる思いがするのであった。そろそろ海の中の話もしようかと思ったけれども、もう少しばかり我が故里のことを続けることにしよう。
2010.08.06
コメント(6)

父祖の地。その点景。白鷺の飛来する地を、遠く故里を離れて。此処タシケントでの仕事も追え、明日の朝早くウィーンに向けて発つのです。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.08.03
コメント(6)

この夏、故里に帰った。生まれた地にある家に戻り、育った街を訪れて。母親が逝ってからもうすぐ7年が過ぎる。昨日ウィーンに戻って来たのだ。とても沢山の話があるのだけれども、明日の朝早くまた旅立つものだから、今日は森の片隅にあるわが家の周りのことだけにしよう。その角に建つお地蔵様は江戸時代からのものだと伝えられ、その昔この辺りは全て森だったと聞く。明日ウズベキスタンに飛ぶ。
2010.07.29
コメント(14)

もう少しコロンビアの話を続けようかと思ってはいたのでありますが、写真を整理する時間がなくなってしまった。で。最近のわが街シュタマースドルフ辺りのを。これから空港へ向かうのです。帰国休暇で。まずバンコクに向けて発ち、用を済ませて後、日本へ戻る事になっているのですね。では今度は故郷から。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.07.03
コメント(3)

30年前の今日、私は初めてウィーンに来た。それから、途中2年前の夏まで5年近くタイに赴任していた以外、四半世紀この街にいたのだ。そう、ずいぶんと時が過ぎたようでもある。しかし、あの日のことはとても良く覚えている。でも、それはまたの話とすることにしよう。いろんな国を訪ねもした。この間思いおこしてみたら、62カ国を数えたのだ。20数回訪れた国もあれば、一度しか行かなかったのもあるけれども。最後に行ったのはコロンビアだった。2週間前のことである。あの日、双発のプロペラ機で山岳地帯を超え、ジャングルに向かった。 ここは確かに美しい国だ。あの手前の灌木はコカの木である。その葉からコカインが抽出されるやつ。この場所に居る時、突然に激しい雨が降り出したのだ。その雨にけぶるコカの灌木。 これで飛んで来た。その山岳地帯を鳥が飛ぶ。そう云えばこの30年の間、様々なことがあった。此処の前にアメリカに居た時から思い起こせば、既に人生の半分以上は故国を離れて。いつかそんな話をすることもあろうか。この地に来て30年がたち、思うこと多く。にほんブログ村 ← もしお気に入りの写真があったときは、クリックしてくださいませ。にほんブログ村にほんブログ村
2010.06.30
コメント(4)
全338件 (338件中 1-50件目)