☆煩悩注意報☆

☆煩悩注意報☆

2004年02月27日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 基礎デッサンの授業の回が進むに連れて、教室の雰囲気ががらっと変わっていった。
 僕のデッサンが、まずまず見られる状態になってきた事。
 今まで教室の後を陣取っていた女子達が、最前列に我先へと座わる様になった事。
 そしてなによりモデルの朔哉さんの表情が凄く穏やかになった事。
 朔哉さんは、まるで何かが吹っ切れた様に優しい目になった。
 男の僕が惚れ込む位だから、そんな彼を女子達が放っておく訳が無かった。 
 時々他のクラスの女子達も見学に来る程の人気っぷりだった。
 彼は元々皆に優しい人柄だったらしく、授業の後は女子軍団に囲まれて彼女達のデッサンの講評を丁寧にやっていた。
 僕は、その様子をただ黙って教室の後の席で見つめていた。

 僕が帰り支度を始めようとすると、彼はそれに気付いたらしく僕を呼ぶのだった。
「おい、克己。次お前の見せて見ろ」
 女子軍団の群の中から手を上に挙げて、僕に手招きした。
「はい、今持って行きます」
 僕は自分のデッサンを彼以外の誰かに見られるのが滅茶苦茶恥ずかしかった。
 嫌で嫌で仕方が無かったけど、彼に言われたのでは見せるしかないと思い諦めて皆の前に自分のスケッチブックを差し出した。
「うん。良くなってきてるぞ。ちゃんと鉛筆に力を入れて描ける様になってきたな」
「本当だ、佐伯君のちゃんとデッサンらしくなってきてるね」
「最初はさっぱり描けてなかったのに、良かったね」
 僕は皆に笑われるとばかり思っていたので、皆の言葉がとても意外だった。
「それって、やっぱりモデルが良いからだよ・・・」

「本当!朔哉さんみたいな人がモデルやってくれるんだもん、頑張って描いちゃうよね!」
「そうそう!」
 女子達が騒いでいる中で、彼は僕の方を見て微笑んでいた。
 その微笑みはまるで
「もっと自信を持っていいんだぞ」

 僕は、彼の僕に対する気持ちを強く受け止めて、彼に向かって大きく頷いた。

 やがて女子軍団は帰って行き、教室には僕と朔哉さんの二人だけになった。
 静かになった教室の中で、僕は今日こそ朔哉さんにちゃんとお礼を言わなければと手を握りしめた。
「あの、朔哉さん」
「何だ?神妙な顔して。また、腹でも痛いのか?」
 相変わらず彼は、僕を子供扱いしていた。
「いえ、そうじゃないんです。
 その、僕がこうやってちゃんと絵が描ける様になったのは朔哉さんのお陰だと思って。 本当に朔哉さんがいなかったら、今頃僕は大学辞めてたかもしれないし。
 だから、ちゃんとお礼がしたいんです」
 何とか言いたい事は言えた様な気がして僕はほっとして汗が出てきた。
「そんなのいらないよ。モデルとしてアドバイスしただけじゃないか。そんなにマジにならなくていいんだぜ」
「でも、それじゃ僕の気が収まらないんです!」
 僕が余りにも真面目な顔で彼に迫ったので、流石の彼も呆れ果てるのだった。
「ふーっ。そうだなあ・・・。
 じゃあ、バイト代として十万位貰っとこうか?」
「えっ!そんなに高いんですか?」
 僕は焦った。
 でも、授業の後何時間もモデルをやって貰っていたので仕方がないと思い始めた。
「あの、今そんなにお金持ってないんで分割でも良いですか?」
 僕がまた泣きそうな顔で言ったので、彼は思いっきり吹き出した。
「あはは、お前って本当に純だよな!冗談に決まってるだろうが!」
 そしていつもの様に僕の頭をぽんぽんと叩くのだった。
「僕、真剣なんですよ・・・」
「解ってるって。じゃあさ、お前俺のモデルになってくんない?」
 僕の頭に手を載せたまま、今度は最初の授業の時に見た真剣な眼差しで僕を見つめていた。
「ぼ、僕がですか?」
「そう。それでチャラで良いよ」

 暫くの間、教室に沈黙が走った。
 その間中、僕の顔からは汗とも涙とも言えない何かがだらだらと流れ出ている様な気がして仕方がなかった。
「卒業制作、お前がモチーフなら出来る様な気がするんだ。
 だから、お前にモデルをやって欲しい」
僕は、彼のまるで愛の告白の様な言葉にグラグラきていた。
「ぼ、僕で良ければ何でもやります!」
「ありがとう。これで、俺も少しは前に進めそうだな」
 そう言って静かに微笑む彼の顔が、僕の胸に永遠にあせる事無く刻まれていくのだった。

 こうして僕は長い夏休みの間、朔哉さんのモデルをやる事になった。

 実家の両親は夏休みは帰省しろと言っていたが、僕は何もする事の無い故郷より一分一秒でも長く彼の側にいたいと考えていた。
 それは、ただ彼が好きだからという事だけではなく、彼といる事によって自分がどんどん変わっていくのが嬉しかったからだ。

 夏休みの大学構内はとても静かで、まるで郊外の公園の様な雰囲気だった。
 構内を行き交う人は疎らで、その殆どが夏期スクーリングで来ている外部の人達だった。

 僕は朔哉さんの学部の校舎の教室に来ていた。
 彼の学部の洋画科は僕の学部とは違って独特の雰囲気があった。
 広い教室の中には机という物はあまり無く、その代わりに巨大なキャンバスが幾つも置かれていた。今僕がいる教室は朔哉さんが一人で使っているそうで、今までに彼が描いてきた沢山のキャンバスが無造作に置かれていた。
 僕から見ればその作品はどれももの凄い出来映えだったが、彼にしてみればおざなりの出来だったのかあまり大事にされずに適当に並べられていたのだった。
 そしてその沢山のキャンバスの中に、一つだけ何も描かれていない物が埋もれていた。僕にはそれが昨年彼が描けずに終わった卒業制作のそれなのだという事がすぐに解った。
 それに加えてキャンバスの無造作に置かれた様が、制作を諦めた時の彼のやるせない気持ちを表している様にも思えて仕方がなかった。

 僕は「少しでも彼の力になれたら」と考えていた。

 僕が教室をぼーっと眺めている一方で、朔哉さんは少し大きめの作業台を窓際の日の当たる場所へ配置していた。
「じゃあ、こっち来て服脱いで立って」
「えつ!」
 僕は一瞬硬直した。
 ぼーっとしていたので、何か聞き間違えてたんじゃないかと思った。
「え、じゃない!日が陰っちゃうから早くして」
 そう言いながら彼は、無表情で自分のデッサンの用意をしているのだった。

 僕はゆっくりと作業台に近づいて行った。そして、彼に背を向けて服を脱ぎだした。早く脱がなきゃいけないと思いつつも、僕は自分の貧弱な体を見られるのが恥ずかしくて手が思う様に動かないのだった。
「あの・・・、もしかして全部脱ぐんですか?」
「当たり前だろ、早くしろよ!」
 彼の目は怖いほど清らかで真剣だった。
 そしてその目を見つめていた僕の心は何故だか落ち着いて、さっきまであれ程火照っていた体さえも冷静さを取り戻していくのだった。

 教室は静かで少し暑かった。
 僕は着ていた服を全部脱ぎ捨てて、作業台の上に立ち上がった。
 僕は真っ直ぐ朔哉さんの方を向いて黙って立っていた。
 彼も黙って僕の体を眺めていた。
 僕の体の隅から隅まで、ほんのちょっとの見逃しさえも許さない程彼の目は真剣だった。
 だけど僕の体はこんな状況の中でさえも不真面目だった。
 「朔哉さんに見られている」
 そう考えれば考える程、僕は彼の目に犯されている様な気持ちになって、その気持ちに僕の体は次第に正直になっていくのだった。
「立ってるのが辛かったら、顔だけこっち向けてうつ伏せに寝てて良いから」
 真顔で彼にそう言われて、僕は益々恥ずかしくなった。
 そしてばっと作業台の上にひれ伏して腕で顔を隠した。
 腕で顔を隠すと涙が出そうになった。
 じっとそれをこらえて震えていた。

 そんなぼくの元へ彼は歩み寄ってきた。
 作業台の上に投げ出された僕の両足にポーズを付け、泣くのを必死にこらえている僕の顔を掌でそっと触れて混乱した僕の心を静めてくれたのだった。

 窓から差し込む光。
 教室に染みついた古い絵の具の匂い。
 そして木炭の紙に擦れる音。

 それらが余りにも心地よくて僕はいつの間にか眠ってしまった様だった。

 そして朔哉さんは、黙々と僕を描き続けた。

 やがて日が陰り、肌寒さを感じて僕は目を覚ました。
「日が陰ってきたから今日はこの辺にしておくか」
 彼の声にはっとした僕が目にした物は、彼の脇に置かれた何十枚もの僕が描かれている紙の山だった。
 僕が眠っていた一・二時間の間にこんなにも描けるものなのかと、僕はそれを唯呆然と眺めていた。

 そして僕は、服を着る事さえ忘れて自分が描かれている紙を一枚ずつ手に取り食い入るように見入った。
 それらはどれもが丁寧に描かれていて、こんな僕にでさえ彼のもの凄さが嫌と言う程感じられるのだった。
「体が冷えるだろう?」
 そう言って彼は、背後から僕の肩にシャツを羽織らせた。
 そして両手で僕の肩を抱きしめて僕の手に持っているデッサンの紙をじっと見ていた。
「気に入らない?」
「いえ・・・。僕ってこんなに綺麗じゃ無いと思って・・・」
 彼の僕の肩を抱きしめる両の手に少しだけ力が入った気がした。
「俺にはお前がそう見える。だからその通りに描いた。それだけだ」
 彼はそれから暫くの間、僕の肩を抱き続けた。
 僕は自分が裸のままであるという事も忘れて抱かれていた。
 そして僕は、
「朔哉さんは、僕の中の何を見て何を感じているのだろうか?」
 などとちょっとだけ自惚れた想像をしていたのだった。

 そして夏休みも終わって大学のカリキュラムも後期に入り、朔哉さんと僕は殆ど会う機会も無くなりつつあった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年02月27日 22時02分48秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: