晴れ時々ぐるめ探し 

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

!えいちゃん

!えいちゃん

コメント新着

!えいちゃん @ かにや かにや 今も有るようですね。 知っては…
!えいちゃん @ miyuta0831さん 美味しいでしょう。 何コレ? って は…

フリーページ

2009年01月25日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
国分寺跡の発掘公開に行ってきた


寒風吹きすさぶ中、五十人ほど

これが七重の塔の芯柱の土台部分。
かなり破損しているらしい


これは、発掘中の土からものぞかせていた物もあった
奈良時代の瓦  この紋様が奈良時代を表している


国分寺の解説をちょっと
今から1250年あまり前の奈良時代の741年
政治的な争いや穀物の不作や伝染病などが続いていたため、聖武天皇は仏教の力でこれらを取り除こうと、当時の60あまりの国ごとに国分寺と国分尼寺を建てる用に命じました。遠江国分寺の北側には国分尼寺有りました。当時の国府(当時の県庁にあたるところ)は磐田駅の南側「御殿とか二之宮」」にあったとか。大地の東側、南側は入江があり国分寺を建てる際の資材の運搬の多くは船を使ったと考えられています。


今回平成20年の発掘調査はそれ以来となります 国分寺の範囲は磐田市役所 本庁舎北側の南大門を南の中心として 東は現在のジュビロードの延長線のところ、西は市役所西庁舎の西はずれあたり、北は磐田南高校 校舎の北端付近までの範囲。

国分尼寺の位置は国分寺の真北、旧国一の手前の民家の真下です。

残念なことに、現在の国分寺公園の植林によって、土中の遺跡にダメージを与えていること、昭和26年以前、農地だった頃に土中の建物跡が掘り返されていたことで当時の状態が寸断されている部分が有ることです。
まだ、断片的な調査しか行われていないので、今後全体の発掘調査が、もしかしたら有るのかも。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年01月25日 23時24分22秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: