『間』 the ma , pregnant pause この「間」はネイティブには訳せない。 そういう文化的背景がないからだ。 日本社会で日本語ペラペラなガイジンでも浮き上がるのは、この「間」である。 とくにアメリカ人は・・・ボイエ・ディメンテを除いて・・・この「間」のとり方が下手だ、日米口語辞典を手伝ってくれた米国人のように。 日本人になり切ったつもりで、ディベートを嫌ってしまう。 日本人がディベートを避ける習性を知り尽くして、自らその頭を高く(get a big head)してしまう。 日本語がペラペラだと、日本の文化が判ったような顔になる。 知っている日本語を使う・・・遠慮して使わない方がいい場合だってある。
「間」が判らない。 critical pause(西山千)やpregnant pause(ボイエ・ディメンテ)が近い。 しかし、間の本質をtimeかspaceのいづれかに限定した方がネイティブに判りやすい。 Let’s give each other time. は、未熟者同士がお互いに、もう少し時間をおいてつきあって、長い眼で見てみようという感じ。 Let’s give each other space. は、共稼ぎの夫婦のように、離婚しないで別々に暮らそうという発想になる。 二人があまりcloseになるとベタベタする。 大都会でベタベタする人は嫌われる。 サラッとして「間」のとり方の巧い人が好かれる。 私の人間評価は、その人の雄弁さではない(詐欺師には雄弁家が多い)、その人の「間」のとり方を見る。 すぐに近寄ったり、紹介したがる人は、孤独な人が多く、電池人間が多い。 こちらから話しかけたくなる人は、磁石人間。
だからpregnant pause(胎児が蠢動している空間)がピタリ。 そして、この間を間違えば、致命的自殺につながるような重要な「間」はcritical pause(さすが、我が師 西山千の訳)である。 本を読むと、a pause と出ている。 「この気まずい空気、どうしてくれるねん」What an awkward pause? という吉本新喜劇のお笑い芸人の「間」は、pause だ。 a が加わるのが、欧米的発想。
日米口語では「魔」の項はなく「魔がさす」しかない。 編集者はネイティブ英語を信用して、be possessed by an uncontrollable urge と文語訳を使った。 そして私の口語訳は、“The devil did it.”。 「魔がさした」はThe devil forced me to do it. となる。 ところが、辞書では日米文語辞典に変っている。 魔がさしたのであろう。 ディベートが消えてしまっている。 別に悪魔の存在を信じない人にも通じる、そして使える口語表現だ。