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エイヒロ(eihiro)

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2024.07.31
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【2日目】鳴門高島を訪れます。



高松から鳴門へ、大した時間では無いと思い普通列車へ飛び乗ったが、思った以上に時間がかかると分かる。加えてICが使えないと知り志度で途中下車。ワンマンで車内清算となり5分位遅延させてしまいました。ヒンシュク!




志度港




特急電車で池谷駅乗り換え。






やっと到着、鳴門駅。


蛭子神社(小桑島)




鳴門塩業


工場敷地内にある塩釜神社




黒崎渡船乗り場


対岸の高島へ渡ります。何と無料!







船に乗るのは何十年ぶりでしょうか。ワクワクします。




他のお客さん。


5分足らずで到着しました。


高島側桟橋より。以下、昭和33年頃書かれた富野敬邦氏の「高島塩田地帯の社会調査」より
「高島は島であり、対岸との交通は小型の渡船のみ。島には高島、三ツ石の2塩田がある純塩業地帯。対岸の黒崎、桑島、斎田、立岩とともに鳴門塩田と呼ばれる。住民の7割が製塩関係に従事しており、農業漁業は無い。物価は一般に食品の価格が高く米麦野菜に事欠く。肉は月1回程度の購入。全体的に鳴門市より1割は高い。」


渡船場近く


塩田公園。たまたま地図で見つけて来たのだが、観光地というより地元のレクリエーション施設のよう。




文化財の保護が目的の施設のようです。


鹹水溜。看板は施設の説明ではなくて、倒壊の危険性への注意でした。


塩納屋跡


どうも修繕中とのことで、この先立入禁止です。お疲れ様です。





水尾から主屋。「明治期は、浜部屋生活と呼ぶ住込制度があり、浜子(奉公人)は浜家(親方)から衣食の面倒を見てもらい、絶対的な服従意識があった。近年製塩工場ができても、封建的な上下意識は変わらずだった。」


塩田はご覧の通りです。GWに間に合わせるつもりでしょうか。




明神方向


小鳴門大橋


高島。「一般に塩業従事者の公休は少なく「落ち着いて休めるのは盆と正月位のものでさ」食事は1日に4,5回、水分摂取が多いせいか消化器系統の患者が多い。男子の低収入のためか女子も男子に混じって塩田作業、主婦の権勢が強い。女の「夜這い島」とも呼ばれていた。次男三男は分家するか養子に、塩田の分割分与は無いため、多くは阪神方面へ出稼ぎに出る。流下式への切替もあり労働者が過剰であるのと、単調で干乾びた労働への嫌気が理由か。」





「高島塩田は慶長2年に篠原孫左衛門が開拓した。蜂須賀家政が保護奨励し、阿波藍とともに主要産業となった。」




朽ち果て感が・・・・・


昌住寺




島内至る所に水路。というか、随分とチャレンジングな停め方をしている車です。


再び渡船場です。「塩業の採鹹部門は昭和28年に入浜式から流下式へ改良、煎ごう部門は昭和14年に平釜式より真空式に切替。こうした合理化、機械化は労働者の整理退職を伴い、労働運動も熾烈さを増した。昭和28年から5年間で半数近い労働者が整理された。」


待合室?にて


高島を後にして本土?へ戻ります。自転車乗りの外国人が数人、観光客か地元住民かよう分からん。


西福寺(撫養町斎田)




岩崎神社(撫養町斎田)




見事なうず潮!




中央商店街


事代主神社(撫養町南浜)




これまた見事な奉納画!




八坂神社


市杵島姫神社(撫養町南浜)




野神社(撫養町斎田)。本日はここまで。坂出へ戻ります。


【まとめ】
日中かなり暑かったのに、夕方になると寒くなってきました。ジャンパーを持ってくれば良かった。
高島は普通の住宅地、集合住宅が多い気がしました。こちらの神社は「老朽化のため、参拝注意」をよく見かけました。





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最終更新日  2024.07.31 00:00:11
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