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世の中に溶け込み、一日の仕事を終えて、一息つく・・・安全な昼間の世界から、危険で終わりの見えない闇の世界へと意識を移していく。今では、17年の時のベールが、包み込んでいる。麻原のそもそもの思想というか感覚に、何らかのメスをいれたい。■そもそも終わりとは・・・仕組んだのは誰だかはわからないが、「終わりがくる」という予感めいた感覚は「罠」の一種だろう。そして、それをもしマインドコントロールだとするならば、多くの人が「既にかかってしまっている」※その場合、その罠にかかる人が一人いればいい。。。やがてそれは波及してしまうだろう。シャーレの中の菌を培養するのに似ている。今の時代はメディアが大いに「膨らませて」いるのは確かだ。そして、それを的確に表現しておかなくてはいけないのだけれども、明滅を繰り返す宇宙の摂理に土台を置きながら、この「不気味な」ハルマゲドンを捉えると、それほど不思議でも、畏れるものでもない。ただ、2000年にしても、今年の2012年にしても、うまく仕組まれたな・・・と想う。そして、こうした意識の高ぶりと、肩透かしをくらいながら、経験値としてはあがっているはずだけど、同じことを何度も繰り返すのではないかと想う。これはまるで集合意識がある容器に入れられて、何らかの圧力を加えられて、実験させられているかのような・・・感覚さえ生じる。で、この終末から回避できたあかつきには、どうなるのだろう・・・それを無意識のうちに「考えさせられて」いるのが、終末論者のかたがたの位置だと想う。終わりは来るだろうけれども(それはいつかわからないが、正しいだろう・・・かつての地球の覇者である恐竜でさえ絶滅している)ただそれを、自分のいきている時代に、自分のこととして「引き受ける」かどうかを、なんどもなんども、たくさんの時間をかけ、多くの人に感染しながら、引き受ける時代と人を「捜し求めて」いるかのように想う・・・60億人の人口しかいない現在の地球上で、70億人の致死量の武器を「目的を持って」生産し、使おうとした男・・・麻原彰晃超誇大妄想狂といわれていたけれども、実現力が「化体」してしまっている点で、恐ろしい・・・世界で評価の高いダライ・ラマが、終わり=自らの死について、こう述べている。「待ちどおしい・・・」それを自分を包み込む世界にまで拡大させて麻原と村井氏は、こう感じていたに違いないだろう。「待ちどおしい・・・世界が終わるのが」これが、彼らの本音だったと、僕は想う。■そして生きているということは、こうした思想に、感覚に、人物に・・・「適切に」反抗することだと想う。(※決して短絡的な「逆切れ」ではない。)それはまるで、地球が容赦なく重力で自らを引き寄せようとする力に反抗して二足歩行するに至るように・・・その反抗する姿こそ、生命力・・・だと想う。つまり、宇宙の法則に逆らっている・・・けしてかないっこないようなものに、大昔から「立ち向かって」いることが、生命なんだ。麻原:人は死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。僕:人は転び、それでも、立つ、立ち上がる。 自らが死んでも、子孫に受け継ぎ、重力にさからい立ち上がり、 地上を離れて、宇宙へ飛び立とうとさえする。Eili ...
2012年05月30日
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今日の放送は衝撃的だった。前回も僕の知らない時期の教団の姿であったし、それなりに重要なターニングポイントが既に現れていた時点で、教団の暴走は89年頃に既に始まっていたという観かたを強めるものだったけれども、今日のは決定的で、・決して教祖の思惑と違う方向にいってしまったわけでもないこと。彼の目的が「救済という名を被った破壊そのもの」だったこと。・間違って、あらぬ方向へと進んでしまった・・・という淡い期待は余地がなく、まさしく「破壊するために」教団を運営していたのだな・・・ということ・上祐さんが、麻原の目的を、実は知っていたこと。知った上でついていったこと。知った上で後続の信者拡大に寄与していたこと。左遷されたという僕の予想はやはり当たっていた。・井上君が、強制捜査の情報を掴んでいたこと。それ自体は新規性はいが、サリンを撒いても強制捜査が不可避であることを教団が知りつつ、撒いたということ。・70トンサリン計画が、よりリアルであったこと。致死量70億人・・・つまり全人類を破滅させる力を文字通り・・・得ようとしていたこと。・多くの人が未だに犠牲になったままで、その被害者の方々の姿を見たこと。・改めて河野さんが、被害者なのに加害者扱いされていた頃を思い出し、不憫でならなかったこと。17年経っても、この衝撃には胸をつぶされそうになる。僕のブログにおける悪夢とは、紛れもなくオウムのことだったのだけれども、2005年頃からつづり始めていた僕だけど、この番組で整理され表現された真相には、多くの情報をこれまでに取得してきた僕でさえ、度肝を抜くものが多かった。麻原彰晃超攻撃的な教祖の性格が浮き彫りになり、それは世間では大方知られたことなのだけれども、当時のメディアが受け止め切れなかった事実。彼の所業の悪さをあげて「批判」していた点がいかにも小さかったことを思いだした。改めて彼の闇深さには度肝を抜かれる。・嫌う・退ける・・・ではなく、文字通り、相手を見境なく、いや、世界の土俵ごと「ひっくり返し、壊そうと」した人・世界はあと一歩で「人為的に」危機にたっていたこと。大げさではないだろう・・・※1:僕が出家したのは94年5月、このドラマで表現されていた時期は89年当たりからその後にかけて。ある一信者の視点からみた世界 ちなみに僕が脱会宣言をしたのが95年4月23日。※2:いまさらかもしれないけれども、「サリンはない・・・絶対ない」と述べていた上祐さん自身が、それをやっぱり知っていた事に対して、僕自身は「裏切られた」ような思いを感じたこと。※3:ただし、彼も教祖に「脅されて」いた事実や、その後のロシア左遷で実行犯にならずにすんだのだということがわかり、なんともいえない気持ちになる。※4:個人的には松本サリン事件が悔しい・・・僕があの街を出て出家後に、その教団に狙われたわけだから・・・僕自身はキリストのイニシエーションでヘロヘロにされていた時期だけども。 心境的には、たとえあの魔の巣窟から出てこられたとはいえ、お世話になっていた松本市自体にどこかで負い目を感じている。※5:上九一色村でみた富士山が、逆説的に美しすぎ、富士山のヴィジョンにオウム時代の記憶がアンカーリングしてしまっていることが、呪われていると想う。※6:当時上司であった村井さんと最後に決別することができて、良かった。※7:でも実行犯となってしまった豊田君や井上君を見捨てることができない。。。警察のかたがた、止めてくださってありがとうございます。報道の方々、夜も眠れず辛い仕事だったと想います。貴重な報道ありがとうございます。歴史に刻んでくださってありがとうございます。江川さん、身の危険を顧みず、叫び続けてくださってありがとうございます。滝本さん、いつも見捨てずに声をかけてくださって、ありがとうございます。河野さん、あなたこそ被害者なのに、当時の僕達のことを悪くもいわず、むしろかばうような発言ばかりしていただいて申し訳なく想います。皆さん、皆さん自身が多くの苦しみを背負いながらも、この国を先頭にたって守ったのだと想います。70トンのサリンが出来上がる前に、止めたのです。そして被害者の方々、本当に、本当に申し訳ございませんでした。僕のいたところは、宗教の仮面を被った魔窟だったのだと想います。また、僕自身は、出てこられて良かったです。良かったと想っています。オウムから帰還できて、僕は、最も幸運な男だと想います。母さんへ、母さんは何も悪くないです。僕の抱えていた問題は、家族の問題ではありませんでした。父さんへ、父さんも悔やむ必要ありません。麻原と喧嘩して勝てた人が、この世にいなかったのですから・・・僕が馬鹿だっただけです。そしてその後出会った人たちへ、こんな僕のことを、人として扱ってくれてありがとうございます。アメリカ兵がイラク兵を捕らえて拷問している動画を見ました。彼はもうすでに「人として」扱われてはいませんでした。もし国が違い、中国や北朝鮮の国民だったとしたならば、たとえ事件に直接関与していなかった僕ですら、牢獄いきでしょうし、惨殺されていたとしても不思議ではありません。戦争・・・立場が違えば、時代が違えば、その国の法律により合法的に殺人を犯し、犯すことをよしとする世界観その世界観そのものが波及してきた時空間は広いです・・・今までの人類の犯してきた事件のミニチュア版がオウム事件だったようにも見えます。その意味で、歴史的なことも、遠い過去のものとは…他人事ではなくなってしまいました。サリン謀議がされたといわれる村井氏のシールドルームと僕のいた場所の距離・・・6~7メートルでした。あれほど知りたがっていた事件の真相ですが、自分がかろうじて事件の中心から少し離れていたからこそ、僕は今ここにいることができたのだと想います。Eili ...
2012年05月27日
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ちょうど、今やっている。http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0526/Eili ...
2012年05月26日
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先日、サンマーク出版の「精神世界が見えてくる」をBOOKOFFで購入した。100円だった。値段はどうでもいいんだけれども、さほど力まずに、ただ漫然と精神世界なる用語の整理でもしておこうと想っていたところ、それなりに関心のある話は出ていた。しかも、ここでも僕自身のことが題材にされて分析されているし・・・人にも分析されほうだいの(当時の)僕だけれども、自分でも当時の精神を振り返って見よう。僕はやはり80年代のニューサイエンスというカテゴリーの影響を多大に受けていた。ここに挙げられている書籍はほとんど目を通していたと想う。理系だったということもあるのだけれども、そもそもそうした未知の領域に関心を示すことは自然であり、哲学もいわば形而上学的な領域が根源的なテーマに近かった。あまりオカルトという言葉で括られると、乱暴な印象を受けるし、多大な誤解も与えてしまうと想うのだが、手っ取り早くオカルト的領域への関心を「軽く」認めながら、そうした潮流は近年の量子力学的な課題などから、特異なことではなかったことを上げておきたい。こうなるとまるで過去形だが、こうしたテーマは言わば普遍的なものであり、興味はつきないものなんだ。ただオウム事件が大きく衝撃を与え、そうしたものを無残にも何の思慮分別もなく葬り去ってしまったような感覚がある・・・自分なりに丁寧に追いかけていたテーマだったのだが、あの事件でめちゃくちゃになってしまった。それどころか、やはり大方の予想通り、こうしたニューエイジ、精神世界、ニューサイエンス的なものはすべてオカルトとされ断罪するものまで現れた。ベタすぎる展開で、何にも面白くはないのだけれども、そうした批判者とも、僕はかなり突っ込んだ話をしている・・・あんまし論争はしたくないんだけど、疲れるし・・・でもオカルトという短絡なくくりと、その意味を人々がどう受け止めているのかがわからない点といろいろあって、あんまし好ましくは受け止められていない。時空間と存在がテーマなんだ。そしてその存在の確定性・・・偶然と必然に関する考察と「現在の次元の選択」というのが、僕の最大の関心ごとで、そのツールやメソッドとしていくつかのアプローチをしてきたわけなんだけれども、どうやら僕自身にも少なからずサイキックな性質があるため、そうした分野を納得させる言葉が発見できなくとも、感覚で即座に理解する分野がある。で、ここの領域を言葉の世界に変換する作業には、それほどこだわっていない・・・多少の痕跡はあるし、結構僕は言葉の次元に落とし込むのがうまかったと想っている。今も昔もあまりかわらないけれども、この世界に関しては、結局不可思議だけれども「霊」という自分でもよくわからなかったものを認める姿勢が一番しっくりくる。そこで、科学から逸脱した行為として、毛嫌いされたとしても・・・もはや僕は扉を開いてしまっているんだなと想う。・・・主義じゃないよな・・・て想うんだ。そうした表現が好きな人が多いし、それを機軸にして語るほうが整理されて解りやすいと捉える人がいるんだけれども。。。なんだかもどかしいけれども。デビット・ボームの述べる「織り込まれた秩序」というのが最もしっくりくる表現だ。オカルトを高みにたって統合・批判する人たちにとって、彼のような量子論の物理学者たちも危険に映っているのかもしれないんだけれども、あの時代の彼の発見や考察は有意義なものだった。ある意味、生命体として自分の身体に織り込まれている「自己」に全宇宙が宿されている・・・という感覚これは、仏教者や瞑想修行者のたどる道として、ある地点だ。僕は自分自身に絶望的な無力感にさいなまれたとき、その蔑んだ自己意識をよみがえらせてくれたのは、この全宇宙内部空間・・・という感覚なんだ。Eili ...
2012年05月22日
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少年時代というのは、何故あるんだろう。そんなことは、当たり前のことだとすることはできる。でも、人が成人に達してから社会的存在を帯び始めるとき、彼の素養を作り出したのは間違いなく少年時代だ。僕の心の中には、いつ頃からか「賢者」と呼ぶ老いた隠遁者がいて、夢の中でさえも、思わせぶりに寡黙な彼の後をずっと追いかけていた。そして、その少年の頃の、まさに少年自体も、心の中に、ある意味成長を止めたままの姿で存在しているんだ。時に、その賢者を、小説や神話や実在の人物に重ねていったわけだ。僕の来世のサビアンシンボルは、確か「三人の巨匠を探し出すこと」シミュレーションとして、今生僕はすでにその三人を絞り込んでいる・・・この三人は「述べている真理が、互いにそしりあっているほどバランスがいい」ということを僕は学んだ。これは過去世では、体感できなかった今生の成果だ。自分の中の少年・・・という意味では、一頃「アダルトチルドレン」なる言葉が心理学の世界からやってきて一世風靡していた。そこで、なじみのある人はいると想うのだが、僕は、そこにも自分の内面の姿との微妙な有様の違いを感じ取っていた。そう、師・・・というべきものを、なぜか僕は求めていたことになる。想定外であればあるほど「ふさわしかった」。もともと、この世界を「疑って」いるわけだから。世界のあるべき姿を弁護などしなくていい・・・吐き捨てるように「厭世的に」評価を下すことに違和感は生じない。そして、それは「老人でなければならない」という錯覚からスタートし、それは大方間違いではなかったのだが、地球年齢はさほど意味を成さないことも掴んだのだ。その賢者は、少年であってさえいいのだ!そして、もうひとつ「道化」であってさえいい。ある種の領域に長けていること・・・これは熟成時間としては、確かに年齢が優位ではあるのだけれども、人は想った以上に「集中力を維持できない」わけだから、ひとえに経験値だけで世の中を見渡すことも、畏れおおい。賢者と少年知っているものと、知らないでいるものが、僕の内側に常にいる。そして、常に少年を脅かす事実にたいし、少年は無垢であろうとする・・・この姿勢が、僕自身を「驚くほど守ってくれて」いる。「僕は大人には決してならない・・・」ちいさいころに唱えた言葉だ。これは甘酢っぱい郷愁ではなく、言わば自分に課した「戒律」のようなもの。できすぎた大人にはならなかったが、それはプランどおり・・・しかし、社会生はなかなか身につけることが難しかった。それでいい。。。僕は、そういう意味では、その事に長けていたくないから。ところで、その賢者はいま、どこで何をしているのだろう・・・まるでツァラストゥストラだ・・・彼は「滅びる」ことがないのだ。そして、当初より目だって代わり映えなどしていない・・・隠遁したまま、この世界を見つめている。そして溜息まじりに「つぶやく」のだ。Eili ...
2012年05月19日
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占星術では、こんな説明がされていることが多いです。。。■太陽と金星のアスペクト太陽と金星は48度以上離れませんので、アスペクトは合と45度のみです。太陽と金星のコンジャンクション(0度)人生に快楽を求め、美しいもの、美しい音楽に親しみ、センスのある人になりやすいです。人に愛されやすく、親しみやすい態度を取ります。(ただし、サインの性格も関係してきます。おうしやてんびんやうおで出来ていれば芸術的なセンスを発揮することでしょうし、さそり・おとめ・おひつじで出来た場合は、さほど快楽主義にはならないでしょう。)女性の場合は、夫となる人の容姿は好ましいものとなりやすいです。---でも僕は、一般的なこの象意には、納得していない。・・・筋が通っていないから。今年の6月6日のような例では、金星は太陽の前を通過します。内惑星のコンジャンクションには実は2種類あり、太陽の裏側に隠れてしまうようなコンジャンクションもある。僕は、この2つのコンジャンクションの意味は「全く異なるはずだ」と想っている。その点、月は衛星なので、いわゆる新月は、太陽と月のコンジャンクションであり、かつ確実に太陽のほうが奥に座している点で1種類しかない。この場合の意味合いは、月が太陽にいわば「パワーで負ける」のだろう。月が普段は遠慮する・・・貞節な感情を意味している。だから、今回のような金星の通過は、「金星の意味を弱める」もしくは「金星の意味の奥に太陽の意志が介在してしまう」と読める。これを単純に「パワーアップ」だなどと言えないのだと想う。金星が控えめな美しさをもつ。しかし、もうひとつ奥深い分析ができる。日食は、いわば新月のなかで特別であり、この瞬間だけは「月は太陽に勝つ」のだ。距離が違いながら、見かけ上ぴったしと大きさをそろえる。普段は控えめな感情=月が、時折、太陽に「反抗」しているかのような振る舞いを示し、太陽信仰を持つものに「不安」をもたらすのだ。天体のバランスとしては、ちょうどよいと思う。・金星が隠れてしまうコンジャンクションと・金星が焼かれてしまうコンジャンクション・・・どちらが魅力的だろうか。少なくとも、金星はコンジャンクションでも、月のように日食を起すことはできない。Eili ...
2012年05月16日
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もし、仮にあと一時間で命がつきるとしたならば、僕は次のようなことを思い浮かべるだろう。。。荒涼とした大地に、天が割れて、寡黙な隠遁者に光が差し込む・・・そこには、自然と「賢者」が立ち尽くしていて、幼児のような自分の「わずかばかりの」生に一瞥だけするんだ。そのめったにみせることのない、老人の視線を感じたせつな、僕は、爆発したように、その賢者に向かって、表明する・・・んだ。おそらく突然訪れるその瞬間に対し、僕は何の下準備もないままに、思いのたけをほとばしる。「人生においては・・・!!!」表面的な繋がりなんていうものは、なくていい・・・むしろ非言語的な世界に関しての深い共感さえあれば、その世界を表す言葉さえも必要ではなく、魂は、ただ一粒の音の粒子でも、光の粒子ですら構わない。それどころか、その達成不能な、夢物語のような世界にもし触れることができたとしたら、その瞬間で、人生が閉じられて構わない・・・だろうそこまで、いってしまっているから、出家したんだよ。解脱なんていうものが目的ではない。社会のあらゆる関係性を、一旦は切り捨てたのさ・・・そうでないと得られない世界があることを、僕は察知したのさ。悪魔の匂いがにおっていたとしても、彼が入り口で待ち構えているのであれば、僕は、それを避けて通るわけにはいかない・・・そうするしかなかったさ・・・その後どうなるかなんて、わからない・・・そう、文字通り天に任せた人生となったわけだ・・・いま存在する自分こそが奇蹟であり、どんなに金がなくとも、最大の幸福だろう・・・それを「賭けるほどの存在」としてアーナンダや豊田君を見出せたし、あれほど拭い去れない泥をかぶってしまった彼らの魂のなかに、ダイヤモンドのようなきらめくものを見出せていることこそが、今生の僕自身の課題であり、答えなんだ。。。彼は彼で、もっと恐るべき「闇の支配者」の餌食となったけれども、僕はならなかった・・・今では感じるよ、彼を救い出すのが僕なんだ。彼が去り際に、君と僕とは驚くほど縁が深いんだ・・・といった意味が、ようやくわかりかけている・・・あれは、今生のことだけではないんだ。精神的には、圧倒的に世話になりっぱなしであった構図が、ここで見事に裏帰るのさ・・・なにもかもを諦めたときに、最も希求したものがたち現れるし・・・悪夢の中に、天の光もさす・・・虚無感という存在感のなさのなかに、感動を呼び寄せる・・・ああ、僕は殺人鬼となった人の心の中にさえ、絶望は見出さないよ。そうさ、僕は、成功したのかもしれない・・・何もかもを失うと、何もかもを得る・・・こんな手の込んだところに「鍵」をかくしたのは誰なんだい。。。それが、神なのか、誰なのかしらない・・・問題は、時間さ・・・この時に、時間は別の有様を示し始めなければいけない・・・あと、恐るべき真実がここ・・・あわい期待をかけた瞬間に、失うのさ・・・アーナンダは、1審で、安堵感という「逃れがたい罠」にかかってしまったんだ。あの時点でも、「決して何もかも、信じても期待してもいけなかったんだ」その点、あらゆる意味で、期待も弁解も示さなかった豊田君は、あの地獄のような精神的苦痛から、かろうじて1歩退いているんだ。誤解されないように、いっておかなくちゃ・・・僕は、日常の何もかもを、誰よりも祝福し、愛しているよ。なぜって、「本来、僕が得ることのなかった世界」こそが、この「日常生活」だと想っているから。この通勤ラッシュの不快な空間ですら、僕には「天国」だなって深く深く感じるよ。Eili ...
2012年05月10日
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形をもたずに通り過ぎてしまう存在たしかに存在しているにも関わらず、そのものはあまりにも儚く時に無視され、踏み潰されてしまうもの・・・そして、ともすると、容易に諦められてしまうもの・・・目にはとまりにくく、注視してみないと見出せ得ない大切なもの・・・そういうものを大切にすること。そして、息吹を吹き込むこと。できれば、しばらくの間、形をあたえ・・・とどめてあげること。それが、僕のできる精一杯のこと。Eili ...
2012年05月07日
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よく考えて見れば、人生で重要なものは、生き続けることではないと想う。刻み込むこと。もしくは、生をドライブしたことを、正しく伝え、響かせること。善なのか悪なのかといった問題よりも、振り向いてもらえること。それは切実なはずだ・・・何よりも。ただ孤独ではなく、このわけの解らぬままに始まってしまった生命に対し、理由のわかなぬ生と死に対し、もがき苦しみ、ぶつかりあってきた存在の愛おしさを胸にひめることだと想う・・・もし、生きている間に、愛したことがないのだとすれば、命がけで、人を愛して見ること。それでも見つからない場合は、文字通り「命を張って」みることその際に、それが切実のものとなり、時に自虐的になったとしても、それが社会的にいけないことになってしまったとしても。。。僕はきれいごとはいいたくない。まちがいなく、逃げずに、この真実の生の問題に取り組んだ人にたいしては、取り組んだ人に対しては、まちがいなくその葛藤を精神と肉体と時間と空間に刻み込んだひとたちは勇者だと想う。Eili ...
2012年05月07日
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鴨居玲 『出を待つ(道化師)』B→G変換しばらく悲哀に充ちていたこの「道化師」も、今日改めて見つめてみると、また別のイメージを受け取るのだ・・・完全にこちらを「コケ」にしたようなその態度に、無性に腹立たしくなってくるのだ・・・それは、僕達が、何かに取り組み一生懸命事を成し遂げようとし、その刹那にその大願が崩れ去ったときに、この絵を見つめるのだ。その静かな虚脱の包み込むような「無関心」にあざけりを感じてしまう・・・まるで、そんなことをしても「意味はないのだ」と言うかのような・・・特にその半開きの口元には、無益さを増長させて意識させるし、どこに向けられるともしれない瞳には、己の無知を知らしめているかのよう・・・すごい絵だ・・・Eili ...
2012年05月05日
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わたしたちは、全体の一部であり、全体にならわねばならぬものである。 シモーヌ・ヴェイユ僕達が社会の内部で生活し、その一部として社会的責務を帯びながら全体のことを想うとき、社会はあまりにも繊細に揺らめくあわい存在でしかないことに気づかされる。より大きく自分達を包含する存在が、けなげにも存在の論拠がうすいものだと知るとき、その心もとなさは、はかない者への慈しみに変わる。この感覚は、若い頃に無理だったとしても、構成員のすべてがいずれ感じる「環境」意識とよべるものだろう。問題は、この儚い環境を、どう維持し続けるのか・・・になってくる。このとき、「仏教」は何一つ「役立たない」ことを明言しておきたい。とかく悟りという究極的な精神活動を行う思想体系が、すばらしく、奥深いものであると想われているよなのだが、僕は「否」と言っておく。「仏教」は世界の理解の仕方である。その結論は、「去ること」であり、この社会でのおりあいではない・・・ただし、この「突破口」を残しうる世界が、世界が閉じられていない・・・という可能性であるのだ。Eili ...
2012年05月04日
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昨日はまた、変性意識を体験していた。体力不足のところへもってきて、極度に体力を使った後、けだるくなり、意識だけが冴えわたる。こうしたときは短い転寝の間に、トランス状態に入る。。。これはもうひとつのパラレルワールド。麻原と戦う夢だった。僕は、ある町で少年であり、年のころは14~17くらいだったと想う。この国でもなく、ましてや時代も少し違ったような感じで、いつもの事ながら少しこの世界の法則とはずれているが、当の本人は何の違和感もなく生活している・・・そんな世界だった。僕は、町の警護役の父と一緒に、通りの見張りをしているときで、普段はさして大きく変わったこともおきない退屈な仕事ではあったのだけれども、街の人の顔をうかがっていた。なぜって、親父が口すっぱくいうのは、危ないやつはまず挙動がおかしいし、顔、特に目に表れるから、そういうったやつだけ注意深く追いかけていれば良かった。いつものように僕は父のあとをついて、街の中心部にある塔の上に上ると、人々の生活を観察し始め、それでいてあまり真面目とはいいがたい様相で空想にふけっていた。みると、街の門のところに一騎の馬を駆る男(麻原)が町の中に勢いよく駆け込んでくるところだった。親父は、まっさきにその男とその土煙をみつめ、細い目をさせながら、この来訪者を「診断」していた。男はフードをまぶかに被り、特に異様なのは目の辺りを完全にバンダナで覆い隠していた。目がみえているのかどうか判別つかなかった。「坊主、みてみろ・・・」彼はそう零すと、塔のなかから双眼鏡を取り出し、彼をつぶさに観察し始めた。「久しぶりにいきのいいやつが現れたようだ・・・」そういうと、彼の持ち物を診断しにかかった。彼は数人の騎馬兵を従えて、この門をくぐると、まず真っ先に、広場の中心を見定めて、こちらのほうにやってきた。彼の手には、とりわけ長い両極が鋭くとがった槍が握られていた。ガンメタリックに鈍く光るその槍は、先端だけでなく、中心の持ち手以外はすべて刀のように研ぎ澄まされていた。何に使うのか・・・不気味な雰囲気をかもし出していた。付き従う彼の部下達も同様に槍を持ち合わせているのだが、彼らも形だけは似た武器のようだった。門をくぐって数分も経たないうちに、街の広場に躍り出ると、彼は号令と共に、無差別に町の人間たちを切り裂き始めた。老若男女を問わず、当たり構わず、わが道を邪魔するものは、ことごとく切り捨てる・・・しばらくしてあっけにとられた住民達が動乱の中で叫び散らした・・・男は何のためらいもなく、この塔を目指してくる。親父は、自分の戦闘用の槍を掴むと、すぐさま通りに降り立ち、男に呼びかけた。「おい・・・おまえ、ここで何をしている。」つぶやきざま、槍を構えると、彼は他の住民に気を配りながら、比較的空き地になっている通りの真ん中に、その男を誘導し始めた。その男は騎馬したまま、降り立つことはなかった。親父のことを一瞥すると、ほんの数秒だけ瞳をおろし、「敵に当たらず」と判断したようで、街の奥にある寺院に向かおうとしていた。親父はそれを察すると、渾身の力を込めて槍をその男に向かって振り下ろした。男は、それを軽々といなし、弾き飛ばした。そのガンメタの槍には、霊力が込められており、重く鈍い金属の音を響かせながら、親父の槍を壁際まで飛ばした後、粉砕した。親父はその扱いに絶句しながらも、何かを悟ったらしく、次のようにつぶやいた。『人は死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない』か・・・どうやら、その男の持つ剣の霊力に込められた呪文のようだった。その男は高らかに笑い、「いまだかつて、破られたことのない剣よ」とのたまった。その自信に満ち満ちた言説は、一振りの槍の軌跡のなかに、何か禍々しい妖力がこめられていることで実証された。男の高ぶりは、嘘偽りのものではなく、間違いなく力のある武器だった。親父は、とっさに僕をよび、街の長老のところにいって、事の次第を告げるようにいった。そして、代わりに僕に与えていた剣をとりあえず課す様にいい、この場を離れるようにいった。僕の剣には、同じように次の呪文がこめられていた。『人生は、喜びに満ちている・・・』親父とお袋が、丹念にしゅうほうしてくれた剣だった。まだ僕自身はうまく使いこなせず、また使う機会もこれまでにはなかった。親父のほうが扱いにはなれているようだったが、彼の目には焦りがあった。僕は、この不意に訪れた事件に対する対応は、戦いしか解決できないもので、しかもそれは霊的な剣の真価を問うものだということを瞬時に悟った。そうだ、街の長老の下にいかなければ・・・僕はここはいったん親父にまかせ、長老のいる寺院内の中央図書館に向かった。男は、威戚とともに「この剣に勝るものはない・・・」と豪語した。親父は、僕の剣でなんとか対等に闘うつもりのようだった。一方が暗く闇深いオーラを発しているとすれば、一方は光り輝く剣だった・・・僕はこの試合の結末を知りたいという好奇心に襲われたが、ここはぐっと堪えて親父を信じた。長老は、いつものように天球の動きを研究しており、膨大な書物のなかに埋もれて何やら宇宙の摂理を問いかけていた。「われわれの存在は、どの宇宙からもたらされたものか・・・」長老の呟きをききながら、僕は突然襲った街の危機についてかいつまんで説明をして、長老の持っている剣を渡してくれるようにいった。長老の剣は、街で神剣と呼ばれるもので、秘儀『生は死するためだけに存在しているにあらず』という呪文がこめられたものであった。街でもっとも古くから伝えられたもので、代々、街の長老が受諾して受け継がれたものだった。長老は、あるにはあるが、この剣は今までに使われたことはなく、さびついているかもしれないぞ・・・といった。そして、使えたとしても、誰がこの剣を扱えるのか?と質問してきた。僕は事態が深刻であり、親父がいま食い止めている最中であるが、いつ突破されてもおかしくない状況であることを告げ、長老から、じきじきに僕にその剣を授けてくれるように頼み込んだ。長老は、なかば急なことであっけにとられていたけれども、熱意が伝わり、僕に伝授してくれた。僕はそれをうやうやしく受け取ると、親父のいる中央広場に一目散に戻った。戻って見ると、親父はすでに血だらけになっており、かろうじて握っている僕の剣は、かなり霊力が弱まっているようであった。騎馬の男は、あざけりの表情で口ひげを掻き毟ると、一時に振り下ろした。そして、鈍い音とともに、僕の剣はまっぷたつに割れた。・・・そして光が失われる。『人生は喜びに満ちている』 VS 『人は死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない』僕の剣が負けた・・・その光景はショックでならなかったが、僕は感傷にふけっている余裕がなかった。手負いの親父に託すまもなく、僕はその騎馬の男に向かって、長老より授かった剣を振りかざしていた。もうすでに親父は息絶え絶えで、立ち上がることも難しかった。『生は死するためだけに存在しているに非ず!』僕は剣の呪文を叫びながら、男に切りかかっていた。そして、鈍い音に甲高い綺麗な金属の音がかぶさった。この剣であれば、いける・・・僕はそう確信し、戦いに勝てることに希望を託した。騎馬の男は、意外そうに一瞬うろたえたが、更に切りかかった。彼は僕の持っている剣をさけ、僕の肉体に切りかかったが、僕は彼の頭部を切り込んだ。僕は胸をきりつけられたが、騎馬の男の首をはねのけた・・・しばらく男は、首のないまま騎馬した状態でたっていた。。。握られていたガンメタリックの槍が、男の手から離れ、地上に落ちた。Eili ...
2012年05月04日
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暗い物事から逃げたいと想うことがある。そういうとき、なかば焦燥感をともないながら、「安らぐもの」「美しいもの」を探し始めてしまう。世に失望を感じないために美は残されている・・・はず世を深刻に捉えすぎないために愛嬌がある・・・はず遠い視線中島美嘉・・・調べて見ると、この人もT4W5だと言われている。同種族の人たちは、あまり現実をみていないな・・・と想う。下手というか、「求めていない」んだ。できれば、幻想の世界の本当の住人になりたいと、本気で想っていた時期があるのではないだろうか。。Eili ...
2012年05月02日
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一ヶ月ほど前に深夜に放送されていたみたいだ。先日、知人よりDVDが届いた。88年と89年の時期は「僕のみていない」時期。それだけに貴重だった。内容は濃すぎて一言で言えないけれども、知らないこともいろいろあって、それと知っていることもいろいろあって、それが結びついた感じだった。・・・なぜ一部を知っているのだろう・・・?あ、そうだ、僕の本に出てくる友人の「山村君」がこの時期に出家していたから、ところどころは内情を知っていたのだと想う。暗部は何一つ含まれていなかったのだけれども、説法の内容と犯罪は間違いなく「相関関係」にある。また5月に放送があるみたいだな・・・ドラマの内容・・・登場人物主人公の師の方々とは、直接話しかけたことはなかった。もちろん、教団では有名な人たちだったので、見かけていたけれども。新実さんが不憫でならなかった・・・知らなかった。彼が、そのようないきさつでヴァジラヤーナ・テロリストに育てられていったことは・・・胸が締め付けられて、しばらく立てなかった。彼が悩みぬいているところへ、教祖が仕向ける悪魔の手先が、村井秀夫すさまじい・・・新実さんを「壊した」のは、村井さんだった!!!あの団体で教祖を抜いたとしたら、間違いなくA級・・・村井秀夫・・・もっともそばにいた人物が、最も闇深い人物だった・・・・・・・・・・何ものなんだ!!!もう少し、遅れていたらもう少し、永くいたとしたらたぶん、僕も殺されていたと想う。あまり、今まで考えたことなかったのだけれども、かなりリアルで・・・このドラマを見て、僕は殺された田口さんに一番心境が近かった。僕がバルドーの導きイニシエーションを受けていた頃は、あんな感じで反抗していたから!!!番組では、ほとんどが仮名で、誤解を逆に与えかねないと想う。マ○ク師がニューナルコを10回以上も受けて記憶を消されていた事実も知らなかった!!!ああ、たくさんいたよ、第六サティアンに、頭がおかしくなった「成就者」が・・・どうして彼らがそうなっちゃうのか、本当に気味が悪かった・・・事実を知ってからも、恐くてたまらなかったけれども、、、、、あ!もしかして・・・・飯田エリ子が、獄中で脳障害を起し別人に成り果てたっていうのは・・・ ひょっとして、ニューナルコの影響?自分を慕っていた、高弟ですら、尊厳を与えずに・・・・無残に壊すのか・・・・・・おもちゃみたいに!心と体と精神の全てを奪いつくす…改めて考えて見ても壊されたものが、深すぎる・・・ダメージが内臓をえぐりだすようだ麻原・・・あなたは一体「何処に」連れて行きたかったのだ!!何が望みだったのだ・・・Eili ...
2012年05月02日
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裁く人、裁きたくてたまらない人・・・それは正義の鉄拳だろうか世の中が狂っていて、我こそは、それを是正し、しうる器であると自認する人・・・もし、次の時代に進みたいなら、裁く側でなく、裁かれる側であるべきだろう。僕は間違いなく、裁かれる側であり、そうありたいと望む。自分の見えない綻びを見つけ出す。自らをないがしろにし、裁くなどという大それた事をする輩の気が知れない・・・自らをそのように規定しうる精神のどこかには必ずと言っていいほど、救い難い高慢さが存在する。その高慢さも、若ければただの棘だ。彼らが思想や宗教と直結するとき、彼らはいずれ酔いしれるだろう・・・その論ずることに満ち足りた脳みそには錯誤と欺瞞とが産み落とされる高慢さ・・・もっとも真実から遠のいた座標Eili ...
2012年05月02日
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一切は苦である。/釈迦一切は許されている。/イワン・カラマーゾフ神は死んだ。/ニーチェ何一つ守られていない。/リルケこの四者の吐く言葉の経緯は異なっている。そして一見いきつく先は異なると想われている。しかし接点として非常に似通っており、同質のものを感じさせる。宇宙の摂理に触れる境界線・・・そこにたどりついた人たちだ。「真空度」・・・たどり着いた思推の境地は「真空」であり、その度合いは・・・同程度だろう。一人釈迦だけが、なぜか評価されているようだが、全員が哲学者であり、宇宙の裾のに触れている。文学・哲学・詩などにしか現れることのない、これらの言葉は、鐘を鳴らした音のように、響き渡り、余韻を残している。「キリストの磔刑」も同種のものであり、あれは「言葉」ではなく「現象」としてだった。ただ「絶望」のみが、時代を超えて、伝えうる能力を秘めている。そして、この「絶望」という言葉は、決して使わぬように配慮されているのが、芸術だ。キリストの磔刑は、「祈り」を導いた。釈迦の『苦の発見』は、「悟り」を導き、イワンの絶望に関しては「神がいること」をほのめかし、ニーチェの絶望に関しては、深い溜息を導かせる。そしてリルケの気づきに関しては、力強い生命力を、惹起させる。Eili ...
2012年05月01日
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