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妙な犬と人間との関係 一年ぶりに見えられた。特徴があって一度で覚えられる。スクーターに愛犬であるシーズー犬を足元に乗せてはるばる阪神の深江より明石の海まで走らせて来られた。あの犬好きなお父さんだ。道測にして片道1時間は要する距離。彼女を海で泳がせるため、遠出を兼ね、彼女にツーリングしょうかと声かけをすると愛犬は待ってましたとばかり、単車に飛び乗りしっぽを振り振り格別に喜んでいるんだとか。振り落とされずしっかりとバランスを取りながら、良い心地で狭い足元だけのスペースなのに寝る。風を切って気持ちよさそうにあたかも運転しているかのようにカーブする時も彼女は大きな胴体を屈めて居て車に添わす。縛っているわけでないのに狭い足元の辛うじて寝そべれる部分があるだけ。何と可愛いのだろう。安心しきって何キロも休憩はない。そして器用に眠る、怖かったら眠るどころではないだろうに。親ともどもピッタンコ犬の気持ちを一番理解して愛していることが見ていて分かる。会話も成立している。親の言うことは何でも分かっているらしい。もう老犬はわしの嫁さんだ。何でも理解しているよ。旦那は巨漢タイプで、食べるのが好きそうで、親子愛犬にも同じようにやり続けているのか、肥満犬なり。食べすぎで腫瘍が出来心肥大もきたしているとか、もぐさでお灸をしてあげているとかも言った。かなりミーハータイプ、神社仏閣が大好きで、ご利益のものであるお守りを愛犬のリードに沢山取り付けている。鈴の鳴るものから安全祈願なるもの。大層可愛がっている様子が痛いほど伝わる。心が込められ話しを聞くだけでほのぼのと心が温まる。父さんは働きに行っていて散歩にしばらく行けなかったとき、散歩をせがまれたが、無視をしていたら、寝ている顔にしっこを掛けられ、同じことを2度もされたと笑い話。してほしいのに思いが通じないから、駄々をこねて困らせる。とても子供じみていて態度で表す、賢いのです。あしたは早起きや4時には起きらな間に合わないと犬に話すと4時になめて起こしてくれたとか。もう完全に相思相愛の関係しかない。又のおこしを楽しみにしています。
2010.05.27
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劣等感(その2) 自己否定 内気 鬱的傾向 過去に拘る 非社交的 劣等感 が強い 過去の失敗に拘る。「まだ」と考えず「もう」と考える。 他人は 幸福 だと考える。 自分の考えが否定されると全人格を否定されたと考える。 気分転換が出来無い。意固地になりますます自分の殻を創ってしまう。脱皮することは大変な勇気がいる。大半の人は、その劣等感に気付かずに、その穴を埋めようとするようです。当然、上手くいかない方へと向かってしまいます。自分の劣等感に気付き、それを受け入れる。そして、感謝の念で今の自分を一生懸命に生きる。そうすることで、劣等感は解消するのです。周りに一人でも心を分かっていてくれる人がいることだけでもいいのです。すべてに完璧に分かってもらうことなど難しい。心は軟化して頑なに出来ない劣っているなどと思うこと事態、大した事ではない。要するに物差しが大きいか小さいかの違いだけ。勝手に思って自分を傷つけているだけ。何もできやしないのに"のうのう"と生きている人を見てごらんなさい。人を利用することに知恵を絞っているだけなんだよ。辛く思うことなど自分を傷つけるだけ。さあ!人は人と割り切って自分に与えられた使命を果たし終える、それだけで生きている価値が十分です。卑下するなどは愚かなこと、劣等感は自分が作り出したもの、その心の見方を変えるだけ。先入観が強すぎる、劣等感は青春期には直面して誰もが悩み苦悩する時期に作られた産物かも。人と身近にいれば問題は少なくて済む、考え方が同化するから。距離を置いて一人悩み解決をいないまま成長した結果、未だに苦悶し劣等生なって問題解決が出来ていないと思う。苦悩するだけで充分恵みを与えられているんです 。もう苦しみから解放してあげて、自分は天から与えられたもの、 自分しかできないものがある。できること その一つ一つ感謝していくことが劣等感から解放される壺なのです。感謝の心で自分を包み込んで、幸せな気分に満たしてくれます 小さな感謝をたくさん集めて『感謝の花束』にして見てはどうでしょう。自信のある人は劣等感と言っても殆どの方が理解出来ないと思います。でも生まれながら心が負けてしまう、負けん気はあるが人を羨む物を持ち合わせているのかもしれない。自分を正しく間違っていない生き方をすれば自ずと勝利の時が来て劣等感を克服するのです。
2010.05.26
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劣等感その1 劣等感というのは、やっかいな感情です。より自分を向上させようとしているところから発生している感情ですから、上手に使えばエネルギーとしては貴重なものです。劣等感を持つというのは、「向上しようとしている自分」が居る。その自分を「褒めて」あげることは正しい。ライバルや仲間を追い抜いて先に行くのは現実的になかなか難しいです。その過程の中でさらに、劣等感になったり、はずかしめられたり、人に受け入れてもらえなかったという経験は、心の深い傷となり、自分はダメだと思ってしまいます。親や周囲の人からしょっちゆうダメだといわれていると、いつしか自分はダメだと思い込んでしまいます。いつも「急いで、早く」と言われていると、"自分はのろい"という強迫観念が植えつけられ、急ぐ必要のないときにも、あせる気持ちが出てじっくり取り組めなくなってしまいます。様々な劣等感から解放されるには、まず自分をダメだとおもっていることが、客観的にみて本当にダメなことなのかどうかを、もう一度ゆっくり考えてみることが必要です。私たちは、多くの場合できることは当たり前として感謝しないで、できないことばかりに目を留めて、勝手に自分は劣っていると思い込んでいるのではないでしょうか。自分にできることを一つ一つ感謝していくこと、これが劣等感から解放される秘訣です。両足と片手を切断し指3本しか残されず、何もできないと考えていた田原米子さんは、神様の愛にふれた時から指が3本もあると考えるようになり、チャレンジの生活が始まりました。指が3本しかないと考えて、劣等感に陥るか、指が3本もあると考え、できたことを感謝するかで大きな違いがあるのです。与えられていること、できることを感謝することこそ劣等感を克服する道です。本当に自分のしたいことかどうか、本当に正しいことかどうかでなく、人の目、人の評価ばかり気にする生き方は、不自由な人生です。人は皆生きてきた環境・状況も何もかも違うのですから、人と比較して劣等感を持つ必要もありません。できるようになったことがあれば感謝し、もしまだできないことがあるなら、これからの歩みへの励み、チャレンジとするのです。自分に出来ることに感謝する。そんな生き方が出来れば劣等感から解放されるのです。自分を褒めてあげることです。
2010.05.25
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良かったね目に元気が出て ちょうど一年になるかしら、彼に相談を受けあれからぼつぼつと仕事を再開していると話をしに見えた時から。今日は朝一番にお店をあけて頂き嬉しい思いをした。見ればわかる。目に元気が戻っている。今日の出だしはいつもと違う。モーニングの常連さが、次々お見え頂く。彼には見えない糸でお客さんを導いてくれていたのだ。ありがとう。パニック障害で上司と諍い(いさかい)をして、治療を受け薬漬けになっていたころは目が死んでいた、朦朧状態で事の善悪が抑えられ、夢遊病者の如く別人になってしまっていたよね。きつい薬に体が死に体になって相手への攻めは叶わなくなっていた。薬で意図的にされたのだと思うが薬を減らすことのほうがもっと大変な思いがする。依存してしまえば薬がないと不安をもたらすのだ。徐々に軽い傾向の薬にと切り替えてもらえればいいのだが。お医者さんはどれだけ真剣に彼のことを聞いてくれて励まし元気付けするか。社会復帰に後押しさせていくかが良い医者としての要素が垣間見る。もう彼とは大学生の時からお店にいらしていたので良く話し、就職活動も含め報告してもらっていた。この近くに配属になり、お食事に来て頂き他愛ない会話をしていた経緯がある。もう30歳は過ぎている。律義で一生懸命、完全主義、その上几帳面と来ている。真っすぐな性格、自己中であってすべて生命線の起点にきて、これは良い悪いが半々な面があるのだ。人の気持ちが理解できない場合は良かれと圧しが強すぎるので、許さずそのまま諍いになって心血を消耗してしまう。許して幾らと思われないのだ。そんな馬鹿なはずがない。心にひっ刈り苦しみ爆発もする。幾らモガイテも得にならない。自分の心を変えることしかない。見方を変える訓練をすることだよ。人の気持ちは分からない、でも相手の身になったとき、自分だったら、受け入れることが出来るだろうかと大きな呼吸をして、怒りたい気持ちを鎮めるだけでも価値があると思うよ。手相をみて、彼自身神経的に不安定な状態であることも知った。働けている、周囲の助けも借りているのだ。皆彼のいい仕事ぶりを評価しているから、遠からず、近からず、神経に触らず見守っているのかも。仕事が出来ている、したいことに気が行くようになった。それだけで随分回復したと思うよ。少しずつでいいのです。目が輝きだした、脳に血液が沢山巡る様になった証拠だね。神戸の三宮にいてると言ったね、又思い出したらきてね。
2010.05.24
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病名が解って良かったね。 いつも利用していただいているお連れさんがお友達をお連れ下さった。私を紹介する意味でお見えになられたのです。転居前の学校のお付き合いらしい。引っ越しをされて間なし、ご機嫌伺いとお互いの距離を確かめ合いながら尽きぬ話に、私も仲間入りをさせてもらいました。観てやってと手相診断もしたのです。彼女は難病で、今の10歳の子どもを産んでから、体調が思わしくなく、すぐれない日々を送られた様です。産後の肥立が良くなかったのか、ありとあらゆる病院を潜るも診断が付かなかったそうです。吐き気や眩暈に家事も大変で苦しまれて神経はすり減っている。彼女の顔から精気が失せて若いのに痛みを我慢しての"しかめつら"に顔から肉が削げている。要するにやせ細って痛みに耐えるだけの体力が消費するエネルギーのほうが上回っていることが分かる。最近解ったことに脳脊髄液の減少であることが判明したそうです。見た目にはどこも悪くなさそうなので気のせいとかなまけ病とか言われることが多いのですが一旦この病気にかかると深刻です。まわりの人に理解してもらえない苦しみは病気の苦しみを倍増させます。これらの症状にはある特徴がみられます。一つは天候に左右されることです。ことに気圧の変化に応じて症状が変化します。雨の降る前や台風の接近により頭痛、めまい、吐き気、だるさなどが悪化する傾向があります。体をおこしていると症状が悪化し横になると軽快する傾向もみられます。二つ目は脱水で症状が悪化することです。十分な水分が摂れないときや下痢、発熱時のような脱水状態で症状が悪化することが多く見られます。多くは髄液の漏出です。麻酔下で硬膜外穿刺を行って自家血を注入します。自分の血液を注入するのですが血管からでた血液は異物として処理され(血液の細胞とくに貪食細胞によって処理されます)このときに炎症を誘発する物質が放出されます。つまり炎症により血液が吸収され程よい癒着が起こって漏れがとまります。そのような治療をされたと聞きました。その後遺症として痛みが襲う線維筋痛症(せんいきんつうしょう)まで、なんと神様はむごい仕打ちをされるのでしょう。全身に激しい痛みが生じる病気である。線維筋痛症の辛さは、その痛みを経験した人でないと分からないと言われます。腰やお尻、足の後ろ側を激痛が走り、ひどくなると、立っていることも出来なくなってしまいます。その痛みのもととなった原因は脊髄穿刺にあったようです。痛みが誤作動して何をしてもますます激痛が走る。無機質な潜在意識に私という自分に感謝して、頑張り切ったことを喜び、自分をハグしてやり、愛してごめんねと労ってやってね。少しでも貴女の肩にかかった苦しみが和らぐからね。もう、これ以上の苦しみはやってこない、あの苦しみから逃れ、生きていることが嬉しく感謝する日々が来るのです。これからが本物の人生なのです。応援しています。
2010.05.22
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あなたが好きだよ。。。。。! この4月から店の近くのハイツに引越しをしてきた彼。ひーちゃん10歳今まで見たこともない愛くるしさや、物分かりのよい、物怖じしない子供だ。大人の前でも不思議がること何でも質問出来、愛想よくて心に曇りがない。何のわだかまりがないのは何によるのだろうか?もって生まれたものに違いない。すべて潜在的な面で生命線の起点に頭脳線、感情線が集合している。生きていく上で生命活動のもとである、すべてのエネルギーが集合している。思うことは何でも達成してしまう。何をしなければならないかとか、如何するとか、何がしたいかとか、そうせねばならないとか、誰にも聞かなくても自らの心で行動してしまう。すべてプラス思考のもと行動する特異な性格である。心配を掛けないように先手を打つ、誰に教わるわけでもないだろうに知っている。大人ぶってお母さんにやりたいこと許可を取りつけ、もう完全に信頼できる親子関係が出来上がっている。単独な行動はしない。どこどこに行ってきます。お友達がおうちに来る。隠し事をしてない今時の子供たちと違う。親にオープンで隠し事がない証拠だと思う。愛情をしっかりと彼は受け止め、ハグをいかにされたか、安心という愛情の心を最大限受けているのが見て分かる。素晴らしい子育て、子どもの将来を見据えて善悪のけじめを教えている。スキンシップは子育てにいかに大切であるか身を持って感じているのです。今のひーちゃんは親から少し距離を置きかけている。さびしい面もあるかもしれないが、お母さんの出番は済んだのです。もうこれから友達の出番です。お友達と居る彼は兄貴分、教えられていることに忠実に友にキャチボールしている。自信と言う磨きにより一層に感じられる。ひーちゃんが好きだからいつでも来ていいよ。お客さんにお孫さんですか?尋ねられ嬉しくそうですと答えている。キッチリと母との連絡が出来メリハリがあってご挨拶も完ぺき。持って生まれた両親の良いとこどりだけではない、躾という一番大切な幼少期に甘やかさず、厳しく、常識というものが備わっている。それは大脳にとって一番無くてはならないものなのだ。彼には心に引っかかるものがあるとしたら、お父さんの存在だ。分かっているのだ、寂しいが駄々をこねない。すう数カ月前に事故に遭われ、現在入院中である。かっては何倍もの愛情をいっぱいに父親から頂いている、愛は欠乏しているわけではない。怪我で入院され退院のめどがついていない。まだひーちゃんに怪我の父の姿を見せてないと言われる。驚くより、父を見て彼の心に悲しみがトラウマとなって、今のひーちゃんの心に影が見られるかもと心配をされているのです。知らずに見らずに居て帰りを待っているほうがひーちゃんにとっては希望となり、いい思い出だけで生きれて、父さんを喜ばせてやろうと頑張って生きていこうと誓っている分が持てるのです。ひーちゃんがいることでこの世の最大のプレゼントであること間違いない。母さんも祈る気持ちで過ごされている、寂しさはひーちゃんが肌で感じ母さんを思う気持ち、優しさが伝わっています。この世の辛さを明るさに変え慰めてくれるひーちゃんは太陽です。ゆきこちゃん、ゆめこちゃん、そらこちゃんが待っているからね。遊びに来てね。
2010.05.21
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妙に慣れ慣れしく(その2) 人間て宗教で洗脳されると、怖いほど別人格が形成されてしまう。彼女が如実に物語っている。最低必要な生活費を月々遅れることなく15万円頂いていたらしいが。悪いことだと旦那は思っていただけでも人並な面が少しあることに安どした。でも彼女は感情をどこかに捨て去り、怒りや憎しみが失せて何を思うこともない胸中であることを告げられ唖然とする。何とも思わない。思っても仕方がない。いい人だと彼の肩を持つ。楽天的に生きていると言えば嘘になる。見栄を張っている本音で生きれない人であったのか。やはり左手には嘘の発言とは裏腹に25歳から56歳まで31年間に運命線の年齢に紛れもなく大小の島を形成して言われなき、戦いを凌ぎ苦渋の日々を過ごしたことが明記されていた。何も感じないなどは、表向き、表面づらだけは体裁を保っていたんだ。憎しみは人の何倍も抱いていたことに気づく。宗教に入り支えられ神のみど知る、救われし者はすべて水に流し何もないように過ごす。ありがたいと文句など言わない。今があるのは家族の支えがあったから。贅沢を言わない。悟り切っているかのようであった。綺麗に伸びた指はすべて天、宇宙に伸びている。どの指も曲がっていなくそれどれの長さに平均が取れている。これだけでもって生まれた潜在意識がノーマルで性格は暗示に掛り易く洗脳されるには打ってつけ。でも身の拠り所を求めてさ迷っていたでのしょう、考えもプラス思考だったから、救われたのだ。辛さがこちらに伝わらない。どこかに消し去り忘れないと生きれない。本当はそうありたいが自分にも正直にあってもいいのです。ありがとう。ごめんなさい。許してね。愛しています。すべて消去した彼女にこの4つの言葉がぴったり似会うことを知りました。心の拠り所として絵を書いていたらしい。心のはけ口があった事はいい性格のままにいれたことが分かる。いまは水彩がを5人教えているとか言った。薬指はどの指よりも長く、幸せや名声をしっかりと捕まえる運命で、丘のエネルギーが少ない為虚栄心もあるかも、いい顔をしすぎるんだね。気パリとした太陽線もない。迷いや決定したり、瞬美性が劣るかも。絵を描いても仕上げで自信がもう一つ満足しないかな。不安な一面を漏らした。今度来るときには絵を見てほしいといった私の素人分かるはずがない、でも心で観るから良かったら見せてね。素晴らしい、辛いことの逃げ道を創っていたので安心した。又お会いするのが楽しみだ。
2010.05.20
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妙に馴れ馴れしく(その1) お店に入るなり、至近距離にてお久しぶり、にっこりとされ、さも竹馬の友のように覚えている?と声かけ頂く。はてな!背姿からバランスも取れお歳の割に手入れが行き届いている姿に戸惑いを感じた。私やんか!何度も私やんか!声を掛けられた。間違っていたら大変と思い、遠慮して「ともちゃんのお母さんか?」と叫んだ。だって知っている彼女は旦那とは別々に住んで離婚していたと思っていたから。覚えている名字を言ってもしかたがない、別姓になっている可能性があると一瞬に頭に過ぎったもの。松井やで!という。ええ!ハッキリと旦那さんと一緒に過ごしているのか?一番に聞き直した。とても驚き懐かしさがこみあげタイムスリップした。彼女はこの前の国道を挟んで得意先の三菱自動車の営業所のお二階に住まわれて、内の息子と同い年。何くれと話が弾み共に同い年同士で意気投合していた当時を思い出す。旦那の事件から引っ越しをされたのを機に会っていない。思い出したのです。全然変わっていないよね。お互い話に花が咲き時間の過ぎるのを忘れたのです。もうあれから33年の歳月が経っている話しはそれからの苦難を聞く。旦那のことはきれいさっぱり忘れたかのように振る舞う。どこかに仕舞っているとしても、辛さや意気道理や憎しみは全くもって完全に消去しているのには。それはどのようにして修業し消化して心を穏やかに許す境地になったのだろうか、知りたいと思った。ある宗教に入信しているとも語った。神がかりになって、丸ですべて身に起こっていることは傍観者のように突き放していた。辛いだろうに。悔しいだろうに。本音を言っていいんだよ。毒を吐きだしなさいよ。懺悔する旦那と刺しで語らないと貴女の心は永遠に旦那と距離を置いて交わらないよ。単に何も語らずに受け入れてしまって貴女らしくない。彼女の天真爛漫な性格に思わず物いいを言いたかった。何年もの年月旦那に浮気をされ、子どもまで出来ているとか。もう離婚しかないと思ったであろうに、噂では離婚していると聞いていた。それを彼女が旦那を許したんだろうか?気持ちの上では許しがたいのは山々。それなのに攻めても仕方がない。私が悪かったんだから心が離れたのだという。でもお金だけは生活が出来るように送り続けて20年もの間欠かさなかったので旦那は申し訳ないと呟いていたのかも。許す気持ちが旦那から受けていたお金でつながっていたらしい。帰ってきた時は子どもが一番許し、その旨を私に広い心持つように子どもに諭されたといった。世の中いろいろな考えで生きているものだ。心が許すか否かは自分次第。後に書きます。
2010.05.19
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コミニケーションが苦手 この間から仕事のことや人間関係で悩んでいるとお見え頂いている。もうこれで4回目のご来店。お茶を兼ね占いということで時間を見測られて来られた。私が忙しい時間帯は無理であると伝えていたからかも。雰囲気で幾分気を取り戻されたのが分かる。始めは人から逃げてばかりで、苦手意識がますます高くなり、顔から火が出るぐらいだと言われた。会を重ねて見るからに、顔に笑みが見られ、多少とも人を意識している気が変な様子の緊張感が無くなっている。自慰識が減った様に感じた。人は怖くないのよあなたが一人思い込んでいるだけ潜在意識に問題があり。貴女が異常に人にどう思われているか気にしているだけなんだもの。良いように思われる意識を捨てなさい。人を受け入れる器を創ること。出来ていないのだ。訓練で幾らでも変えることが出来るよ。人にいいように見られたい意識が悪さをするのです。別にいいように見られることなど思わなくていいのだよ。上がり症の気もあり、人前が苦手になって心拍数が上がってしまい、頭が真っ白になったことがすべての始まり。ますます、人との関わりを捨てている。子供たちにもやり込められて、鼻にかけられているという。いつも見栄や虚栄心で生きているから本当の自分が分からなく、創った自分に指図され人と向き合って、本音で生きられない。小指は細く手のひらの付け根にあたる、小指の水かきが一段下がって付いている。それだけでも相手に思いを直に伝えられない、生まれつき表現力に欠くDNAを潜在意識に持ってしまっているのです。頭脳線に起点辺りに大きな島があります。これは顕在意識から送られる情報にどうこたえていいのか、不安と焦りが潜在意識にトラウマとなって辛い思いを重ねている。不信を無くし、仕事も会話が苦手な面、楽な仕事として今は新聞配達をしているという。話さずに済むと言うがこれではいつまでたっても話せない。訓練をして、人は怖くない知らない振りで一生生きて生けるものではない。怖いというものを捨て去る、自分をほめてあげること。出来るだけ自分にとって話しやすい人から会話のキャッチボールの数をこなす。必ず出来るようになるから少しづつ話しでいいから、今までの自分を変化させることが出来るのです。人との交わりなしで生きていけない。大丈夫、貴女のトラウマを消すことが一番だよ。何も怖いものはない。貴女は普通の人。優しすぎるのだよ。元気になる気を注入、出来るだけ人と壁を作らず、聞くことが一番大切であると説いていく。分からなくても何でなのか馬鹿にされると思いを捨てること。意味が分からなければ恥ずかしがらずに説明を受けること。雰囲気や空気が読めない時は、相手にその旨を伝え分からないままにいないこと。やってごらん。また次の時には変わっているからね。
2010.05.18
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何故に運命線がないのに成功した 彼女とはお店をする前からお付き合いをしている。小柄で細く人懐こい、社交面では万全である。家庭のことは義理の母にすべて任せ、家計のことから家事一切免れ、仕事に全力を投入したし、また家庭のことには気にならない。朗らかで話好きおしゃれで何も屈託がない。そんな生き方は気持ちをすべて人に差し出し、人中心に生きれて幸せを求めて名声を確保する。だから手相的に薬指で生きている人なのだ。幸せ富名声の更なぬものを求め、思慮深く遠慮等はしない分、だれにも好かれ距離がない。人生において最高の名声をほしいままにした。何故なのだろう。中指はサタンの指といって発達し過ぎていると、孤独になり考え深く思慮深くなって人づき合いは苦手でほどほどになる。何かを成すときにいろんなことが頭に遮る、これでいいのかどうか、先に成すべきものがあるのではないか、人との付き合いもやれる分の範囲でしかお付き合いが出来ないはず。分析をしてやるべきことを優先順位が完全なのです。指すべて宇宙に向かって伸びていることは生きるすべて大切な意味を持つことになるです。すべてバランスがとれて人生の最後まで生き方を誤らず平穏に何が一番であるか、知ることが自ずと分かる。友の場合は不思議で運命線もない、中指は曲がっていて天からのエネルギーである、サタンの指は曲がって薬指にもたれている。これは何も深く考えずに幸せを最優先に成す人。その上頭脳線が下りて月の下に(イメージの丘)届く手の平を完全に横切っている。完全無欠に人のことで気を使い良い様にみられることに心血を注ぐ、そんな遺伝因子を持ちうけている。66歳の今使い過ぎの反動が来ている。脳が疲弊している。それどれの各指の第一に関節が痛く石灰化して疼く。指輪も嵌めれない。骨が変形して突起となってしまている。第一関節だけなのでリュウマチではないと言われたらしい。リュウマチは第二関節がやられる。コントロールが出来ない脳を創ってしまってることを話し、今後は疲れは自覚できるようにして無理に人のことにエネルギーを使いきらないことを諭す。人は好きでも何をおいて潔く背負い込むタイプ。出来ないことは中指の辛抱をして成すことにおいてすべて家人任せであった点、苦手なことに違いなかった。そのとばっちりが今来ている。家庭での家事一切如何したすればいいのか、悪戦苦闘中なり。逃げていた分取りも出さねばならない。人間出来ることは限るがあることを知る。良くできて人を照らし人のことに屈託なく、素晴らしいと称賛していたが家庭に入れば唯の人に過ぎない。帰って何も訓練が出来ていないので未だ調理は幼稚なり、如何するん。それでいいのです。一からでも遅くない頑張れ、お姑さんの偉さが身にしみて感謝するの気持ちを持て大変さを知ることだ。奢ることがない生き方をしてほしい。
2010.05.17
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特発性血小板減少症に病む 定年からこの地を離れ、久しぶりにお茶を飲みにいらした。内の旦那の体調の話、元気しているか?ありがとう、ほとんど寒い日ばかりなので、体調は悪く寝ていることが大半。少しの動きで息切れ、喉が詰りで、起きていることは痰との戦い。痰の分泌物が切れまなく喉に引っかかる。特に外気の温度差が諸に感じるらしい。もともと肺が弱く無理をすれば弱いところに病はくるものなのです。肺からの毒が出ているのです。脳の機能も弱ってコントロールできず尿の失禁もあり、今までの元気が見られない。食べることだけが楽しみである人が、高血糖状態で我慢しなければならないのは自分にとって大変である。一生分を食べてしまっている、今となって食べるものを制限しなければならない結果は仕方のないことである。要するに人間すべてに於いて一生分の取り分は決まっているのです。薬であまり下がらないのでインスリン注射をせねばならないと言われているの、インシュリン注射のいやさが食べ物を我慢をしている。肺と糖尿病を両方患っているので、体にいいことは病気によって良い悪いを兼ねそろえている。もう老い先も決まっているので、とやかく言わない。ある程度好きにして悔いのないように過ごさせてあげようと思っている。無理な状態で若い時の生き方が必ず後になって襲ってくるものね。こちらの家の中の大変な状況を話す。そうか!年を取るろ言うことは体が摩耗して老化する、使い過ぎだけでもないがメンタル面での差が出ているのですね。どこの家も大変なんだな。ママんとこは善く気をつけて生活をされているから何も言うことはないと思っていた。差にあらず。お客さんも奥さんの難病の話をされた。昔から、血栓性血小板減少性紫斑病だと聞いていたのでその後の体を聞くことにした。自転車に乗って子どもの飛び出しにあって、ぶつかる瞬間によろけ、バランスを崩して転倒する。子供のつび出しが原因。幸い子供に当たらず、自ら気を利かせて転倒して難を逃れたらしい。自分自身の怪我、肩の骨折で6か月も安静にしてやっと付いたのだと話される。血液が止まらないので手術もできず、薬漬け。副腎ホルモンや調整する薬を手の平いっぱい飲んでいて、何もしないのに体中アザができ、消えては別なところに出来る。それは血栓によって壊されて出血する病気。毛細血管の内腔は本来なら赤血球がギリギリ通れる大きさであるのが普通である。しかしこの病は血管内皮に血小板が張り付いて血栓を作り毛細血管内腔へ向かってトゲ状になるので、体中の毛細血管で赤血球が壊れて発症すると考えられているらしい。もう何の病気になっても可笑しくなく年齢、夫婦慎ましく、お互いのことを理解して、日日を過ごすようにすしかない。お互いヒビ割れた器だと思わなければいけない、無理は禁物であることを確かめ合ったのです。皆生きる上で何もないなどは珍しい。若い時は何も思わず、好きなように、好きなことに没頭して、時間や体や心やお金や物や無意識にやっているが、やがてすべてに制限という枠が宛がわれ、ニッチもサッチ出来なくなる。無限大なんて、気の確かさや想像力の中のことだ。体が一番大切なことに気付いたころは年になっている。若いころに知りつくしていたら、がむしゃらな生活はしていないはず、遅かりしと嘆いているのはお互いさまか。
2010.05.16
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かすみ草の季節にいつも訪れてくれる 定年して、舅女を見送った彼女はすべての肩にせたらった荷物を下ろし、自分生活をしている。はるばる片道にして40キロ以上の道則を来てくれた。おもてなしどころか、畑で採れたイチゴやえんどうやかすみ草の花や金蓮花を携えてお土産付き。懐かしい。待ち合わせをしていた友もすぐに歩いて見えられた。いつもなら多少時間を取れるのに今日は次々来客でお話もできない。昼をとっくに過ぎているのに嬉しい悲鳴。動いても動いてもはかどらない。3番テーブルの彼女のところに早く話に行きたい。そんな喜び一杯の中彼女の友達を紹介してもらう。音楽セラピーとして老人ホームや介護支援のセラピーとしてのお付き合いらしい。友達は介護支援センター所長をして巡るましい日々を重ねていたのです。親の認知症の介護で定年したが。いつの時も人生のハードル高いものに設定してチャレンジをして結果を出しきってきた。すべてやり切り容量の多きタイプだったので晩年運もずば抜けて何も言うことはない。やってきた別の友は言う。この人は旦那の悪口ばかり、亡くなって2年め、借金をたくさん残し、家まで抵当に入れられてニッチもサッチもいかないなく、72歳でも働かなくてはどうにもならないという。音大をでて、スペインに留学までして、華やかな時代を築いてきた身でありながら、亡くなった旦那を怨んで恨んでも怨みきれないらしい。悔しい涙がでてどうかなりそうだという。もう亡くなられて、自分で生きていかねばならないのに、考えが過去にさかのぼって悔しさが胸の内を去来して夜もな眠れない思い。2年の月日が過ぎた今もて妄想が拡大するばかりで腹が立って煮え繰り返る心境を語る。憎しみを抱くことは決して体にいいことはない。如何ようなお金の使い様であったとしても、(ギャンブル、株で大損害)怨むでないと言った。家まで取られる一歩手前だと誰にも言えない胸の内を知る。神様は貴女のお金に対する無知を旦那にすべて委ねていること事態普通ではない。旦那にお金のすべてを任せ、働いても頓着しなかった分今それに気づきを与えられたんです。少々の月謝でやり繰りして、世渡りが下手でうまく妥協できない。協調性がない。心配のエネルギーが過ぎてプラス思考ではない。音楽に精通しているが心が暗い面、頑固で頑なで妥協しない面そんな生き方である。可愛く生きれない。頑張っているんだがお金に誇りがあって設定できない。だって今どきに1時間500円で教えているとも言った。ボランテアではないのに、音大だって一流で留学だってしているんだよ。自分に値段が付けられないDNAであって、世間知らず金銭感覚が育っていない。世渡りが苦手、生きるのに苦労をする遺伝因子を持ち合わせてるのかも。そんなお友達に言った言葉は亡くなった旦那を許さないと貴女の体が滅びる。怒りは禁物である、お墓も別々だとか言った言葉に絶句する。もうどうすることも聞く耳も持たない。歩くのがやっと足も不自由になっている、恨み辛みの気持ちが皆自分の体に反応しているのです。身も心も軽くしないと大変なことが起こるよ。いつかお会いできる日までには心が変化していることを楽しみにしています。無理をしないでね。
2010.05.15
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低体温人間 自律神経のバランスが崩れると低体温になり、低体温人間が増えている。血液が体を構成する60兆の細胞に栄養と酸素を送り続け、代わりに老廃物を持ち帰る働きを担っている。白血球が血液を介して体をめぐることでパトロールをしていることになり、異物の侵入を食い止め健康な体を守っているのです。低体温になると、免疫力が低下してしまうのです。自分の体温を知ることは健康な体を維持する上で大切である。体温を測ることです。交感神経が過剰に緊張してしまった場合でも、副交感神経が過剰に緊張してしまった場合も、どちらも血量障害が起こり、低体温になるからです。偏った緊張はメカニズムが違うのです。交感神経緊張過剰型緊張症の低体温は言うと。たとえば残業続きで不眠の人、ハードな仕事が続いている人、仕事のプレシャーや人間関係でストレスを抱えて悩んでいる人達は、過剰型になってしまう。白血球も臓器と同じですべて自律神経の支配下にあり、交感神経が過剰に緊張すると白血球の中の顆粒球が増加するのです。ひと口に白血球といっても、三種類ある。そのうちの体の免疫機能を主に担ううのが、顆粒球とリンパ球です。顆粒球は白血球の全体の60%を占め体外からの細菌を退治する。リンパ球は、全体の30%を占め主にウイルスやカビなどに対して働く。交感神経が過剰に緊張すると顆粒球が増加する。顆粒球が増え過ぎるのは体にとっては良くないのです。必要以上に顆粒球が、増え過ぎると顆粒球が死滅する時発生する活性酸素によって体の様々な組織が破壊してしまう。こうして発生した大量の活性酸素は血液を酸化させ、ドロドロの血液に変えてしまう。血のめぐりが悪くなると低体温になる。働き過ぎるとは反対に、ダラケタ生活や運動不足が続くと、体は過剰に副交感神経が働き、白血球の中のリンパ球が増加する。これは副交感神経が優位になると、血管が拡張するのではじめのうちは血行が良くなるが、長期間にわたり、緊張状態になるとかえって血液の流れが停滞する。副交感神経の緊張でもやはり血流障害起き低体温になる。低体温が増えているのは、自律神経のバランスを崩している人がいかに多いかをものがっているのです。それが病気のサインであるのです。低体温は免疫力を低下させ大変であることを知ることです。
2010.05.14
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今日は違ったお客さん あのう!訝しげに尋ねられる。もしや手相占いをしていただけるのは此処でしょうか。自信のない言葉を頂く。はい、そうですが。実は内のおばあさんに教えられてきたのです。おばあさんの言葉を鵜呑みにしてきたらしい。暮れにかって団体の手相を見てあげた記憶がある。年の考は75歳を超えていただろうか。農協の青物を出荷するお手伝いをするお友達7人で来た中の一番お気楽なタイプだと言われたあのお婆さん。私に進めてくれたんだという。ミックスジュースをご注文。そこにはお友達と二人でお見えになった。彼女は40歳で医学生の5回生だと言った。35歳になって医学を志した闘志は並ではない。人並以上の努力は大したもの。潜在意識には情熱となる確固たるもの、決め手が少し欠くが。木星丘が異常に高く、薬指が普通より高い。明るく燃え人のために照らす意味のDNAを持ち合わせている。希望やヤル気になれば何が何でもやり通す方向性がバッチリある。相としては運命線が弱く、撃たれ弱い面がある。島になり神経症のきらいもある。小児科が向いているようだね。そう思っているのですという。でも感情線に人差し指に掛っているほうが情熱的で献身的に博愛の精神を持って仕事に燃えるんだけど。残念ながら土星の丘止まりの感情線に医者として小児科としての人に尽くしきるか否か、少し足らないかも。自分の考えを重要視する向きがあることにいささか、内心クールで人のことよりも自分の見方でものを決めるタイプに見えた。波乱含みの人生だとも言った。線の一つ一つの切れ切れに本人も納得をした。右手の顕在意識は申し分ない。バランス良く頑張れるが、潜在的にイメージ力に欠けるのが気になった。学んだことの知識が上手く発揮できるか超現実的な感が見える。左手の月の丘が発達していないから。何もかも現実的で推理推論や思いやり力が少ない。此処は最大に何を思うか大切な意味を持つ丘である。見た感じは頬が非常に高く、闘志がみなぎる、男顔の様相なり。使命感や責任感があるがやり手過ぎて思いやりが少ないお顔に見える。でもここまでこられたのは本人の頑張りはもちろんのこと、家族の援助はあったからなのです。好きだからとだれもが医学など進めることなどは夢の夢、お金の面でも出来るものではない。旦那もいるが普通の人だという。学生なのに外車に乗り、身うちの援助を受けている運命線を見逃さずに見たのです。幸せな人かどうかは医者になって貢献的か恩返しが出来るかどうか。キッチリとした太陽線を見たので安心をする。大変でしょうが頑張りすぎて体を壊さないようにね。何度も来ていいですか。私で良かったら何時でもいらしてください。ありがとう。お気をつけてね。
2010.05.13
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アルコールを飲めば飲むほど脳が縮小する 酒飲むと脳細胞が死ぬ!?ダメージ進行でアルコール性認知症にも 。 酒飲みには聞き捨てならない話である。「お酒を飲むと脳細胞が死ぬ」というのだ。アルコールを飲めば飲むほど脳が縮小するという研究結果が明らかになっている。神経学の専門誌「Archives of Neurology」で発表した。これまで、多くの研究によって適度の飲酒は心臓に良いとされてきたのに衝撃的な意味あいだ。一般的には、年と共に誰でも脳萎縮が見られるが、1日2合以上の飲酒で普通の人より10年早く脳萎縮が進行し、有意差が出ると言われている。1日1合ぐらいまでであれば、脳萎縮の程度に有意差はないようです。日本酒に換算すると3合は飲んでいる人はアルツハイマーになるというよりは、脳の萎縮が早くから見られる可能性が高いということです。毎日のペースで飲んでいったとして、早い人で40代。普通は50代から脳の萎縮が分かるようになってきます。アルコールを飲むと、アルコールそのものの作用やビタミン不足などが原因となり、いろいろな意味で代謝がうまくいかなくなる。前頭葉という部分の萎縮が進むと、思考力や判断力が低下したり、キレやすくなるといった人格変化が起こったりします。これは単に脳細胞が死ぬという構造的な変化だけでなく、アルコールが脳内で情報のやりとりをしているさまざまな物質に損傷を与えているためです。脳へのダメージが進行すれば、アルコール性認知症と呼ばれる知的活動が低下した状態になっていく。脳が萎縮するっていうのは、文字通り脳の大きさが縮んでしまうということ。頭蓋骨と脳の間の空間が大きくなっていくということです。お酒を飲んでいれば縮む確率が圧倒的に高い。脳の萎縮=認知症というわけではありません。認知症になるリスクは高いとも言われています。物忘れ外来の先生は「手と口と足を使え」って言いますね。人とコミュニケーションを取って話をする。仕事を持ち続け、手作業をする。そして散歩したりして体を動かすことが、予防につながると。お酒を飲んでテレビを観ながら寝転がっていたりすると、本当にすぐボケてしまいますからね!一体破壊された細胞はもう手遅れなのだろうか。 いいえ、手遅れというわけではありません。きっぱり酒を断てば、脳の神経細胞が修復され、あるいは新たに生まれかわり、数カ月、数年単位で脳の萎縮が改善する症例があることも近年、わかっています。脳の委縮を避けたいならば早いうちに断酒に踏み切ることである。 お酒の愛好家にとって聞き捨てならない情報です。生きて死ぬまでが人生と好きにさせてという声も理解できます。自分で判断するしかない。後は運と天任せと楽天的な声に何も言わない。お好きなようにね。
2010.05.12
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お店を持つ いろいろ相談に乗ってあげていた彼女が近日中にお店をオープンすると報告があった。エステサロンである。国民宿舎で昨年の初頭からぺアで開業していたが同僚の仕事に対する姿勢に、腰が入らず、トラブル続きで嫌気がさした様子。綺麗さっぱり国民宿舎のエステは終わりをつけ、新しいスポンサーも見つかった故、開業を新天地で取り付けたらしい。そんな状態の時、相方のことで悪気がない人だが叱責をしたのがこの間の様な気がする。連れの彼女に対して真剣勝負をしなさいとお説教をする。お客さんは貴女の肌から懸命さが伝わって分かるものであると強く伝えたのです。やる気はエステをする手から諸に情が伝わり、瞬間に気持ちいいと伝わるもの。すでに仲裁に入ったがもうやる気は失せていたのでやめてしまったのです。仕事は出来不出来は粗方もって生まれたものであり、忠告を聞く耳が無いのだった。好きに生きている、いい歳をして人の心をつかむことが出来ない人なのだ。何をしても続かない、気持ちの上では違うことに心血を注いでいるらしい。彼氏がいるのでその関心に心がが奪われて地に足がつかないらしいのだ。良くこの店の前を通れば必ず思いだした様に来てくれたのですが。如何したのか近頃疎遠になっている。悪びれて申し訳なさそうに小さく身をかがめ、ママに合わせる顔がないとつぶやく。それもそのはず、大金を不動産業者のいいなりになって、高い金額で建てたマンションの払いが15年以上の年月になるのに元金は僅か、金利分だけの支払いで弱り目の祟り目で払わなくても銀行は貸して待ってくれると思っている。甘いのだよ。そんなことがあって今は真剣に小金でも積んでいることだろう。少しでも元金の返却がすれば助かるのだもの。一心に働いてくれていることを信じている。此処に来る暇があったら一円でも返すように頑張ることしかないときつく言った。死ぬ気で気持ちを切り替え頑張るよりないのだ。新規にエステをする彼女は睡眠薬の依存症。脳が興奮して神経のスイッチが切りかえることが苦手である。果敢過ぎて頑張りすぎて神経が休めない。もっと考えに柔軟性を持つことしかない。出来る人であるが集中して仕事をすればできないことはないが、体が疲弊して、何もする気が無くなり鬱になるからね。もうしっかりと思いのたけを伝えたので大丈夫だと思う。出来るだけ欲張らず自分の体に忠実に生きるようにしてね。体からの信号を読み取って気を楽にすることが大切である。彼女は木星の丘が過ぎている分少し暴君になり、人を使いこなせないタイプ。柔らかく人当たりよく話をするのが苦手なのだ。でも頭脳線は右肩下がりのきれいな曲線で月に入っている。それらのことから人の側について考え、相手に与える印象は信頼そのもの。いい仕事は間違いない。すべて仕事中心な生き方をする人だ。でもお金は考えない分出費を抑えるようにするのが難しいかも。仕事が出来るのでお金は後で付いてくるが体は疲弊している。無理をしないことね。またメールをしてね。貴女ならできるからね。ではお目にかかれる日を楽しみにしています。
2010.05.11
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キレる子供 子どもの心を乱す食の乱れ いじめの社会問題化している。子どもたちがいじめに導き、キレやすい子どもを育てている土壌がある。一つに食生活にあるのです。糖分の多い清涼飲料水を毎日何本も飲み、甘いものを良く食べる。甘いもの漬けの生活をしていれば体は機能しなくなるのです。それは人と余り話をしなくなり、無気力に。午前中起きれない、そのうち次第に外に出るのも怖くなり不登校に苦しむ様になるのです。血液中の血糖値を調べると「低血糖症」であることが判明する。甘いものを食べた直後に血糖値が上がるが、それは膵臓と言う臓器から分泌される、インスリンというホルモンが異常に分泌されるから血糖値が普通の人より急激に低下する病気なのです。血糖値が下がると、今度は体がそれを(上げるために)調節するため、副腎という臓器からアドレナリンやノルアドレナリンが急激に出るようになる。アドレナリンというホルモンは人の興奮や攻撃性を高める性質があり、又ノルアドレナリンというホルモンは不安感を高めてしまうのです。自律神経の不均衡が引き起こされるため、様々な症状が起こります。多くの不登校の原因に挙げられている。 この二つが高濃度になると、脳の前頭葉が麻痺して感情の抑制が出来なくなるのです。甘いものは食べるたびに感情が不安定になり行かれない、不登校の原因になっていると言われています。問題行動を起こすほとんどは低血糖症を示していたという報告がある。今の子供たちは膵臓が疲れている。空腹状態で甘いパンやジュースや清涼飲料水を買ってお腹に詰め込む。夜中にもお腹がすくと満足するまでチョコレートやアイスクリームを食べる。これでは体はつぶれる。こんな繰り返しはどうみても体にいいはずがない。お菓子の食べすぎる生活を正すべきであるとキツイ口調で警告している。低血糖症患者はアメリカでは2000万人~4000万人以上の患者さんがいると言われています。 月1回以上のパニック発作が出現するパニック障害患者のうち、問診で低血糖症が疑われ、5時間の糖負荷試験で機能性低血糖症であると診断されたと言う報告もある。 低血糖症の症状はパニック障害だけでなく多岐に渡ることを考えると、日本でも相当数の患者さんがいる報告もある。 最も大きな原因は、「長期にわたる精製された糖質の過剰摂取」。 精製された糖質とは、砂糖やぶどう糖果糖液糖、それらが入ったお菓子やスナック・清涼飲料水(ソフトドリンク)、一部の精製された穀物(白米・白パンなど)などです。 原因になる食品には甘いものが多いですが、甘くなくてもいろいろな食品に砂糖やぶどう糖果糖液糖は含まれています。 コンビニに行って、売っている食品の原材料表示を見てみてください。お茶や水や牛乳などの未加工(に近い)食品や、あえて「無糖」と表示してある以外のほとんどの食品に、味をよくするため砂糖やぶどう糖果糖液糖が添加されています。そして同時にほぼ間違いなく様々な添加物も入っています。 甘いもの漬けの生活は改めなければ遅かれ生活習慣病になるのに間違いない、辞めなければならないのです。賢い生き方をしたいものです。
2010.05.10
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何故なの、昨日は忙しい 久しぶりと言われご来店、本当にありがたく思う。観て欲しかった、やっとこれたとか、やってきたのに時間が遅くお店が閉店していたなど、聞くにつけはるばるお越しいただと聞きとても身に余る。私でいいのかいつも申し訳なく対応する。それが妙に今日は占いの方が次々に見えられた。もう閉店時間の6時を過ぎ9時を回っている。思うだけ話し聞くことに徹し相手の思いのたけを出し切らせ、聞き手に転じる。それが相手にとっては何よりの特効役となる。一番よその店より此処は占いつきだと言われたのには閉口する。無料で観てあげている。お金を貰ったらその分余分にそれ以上に心が入って仕舞うから自滅になって体がぼろぼろになるだろう。もう40年もの懸命さは身も心も油切れ状態。でも人の役に立っていると思うようになってから、不思議と元気をもらっている。誰も生きることは思うようにはならない。でも心の持ち方を少しでも変えるならば楽に生きれるものなのだ。今現在すべて私の一人の肩に荷を受けていることが不思議である。仕入れから、今日のメニューすべての準備も並行してお客さん注文品すべて自ら作り上げる。最大にイメージをしてそして最小のエネルギーで仕事をする。出来不出来など問題がい、出来て当たり前、出来上げなければならない。朝は早くから6時過ぎには掛っている。洗濯、掃除、病人の食事の世話などは切っても切り離せない仕事も山ほどある。外に出ていても駐車場の出入りの車の音を頼りに聞きわけ留守にすることなどもっての外。仕事をするからには自分と言う時間は取れない。すべて無になって人さまに気持ちを入れて送っている日々。空っぽであるから何でも貪欲でいられるのだ。午後遅く若者二人が見えられた。今時分の若者のタイプであるが、やはり草食系のタイプで、仕事よりもお金よりも趣味を優先する。お金は使う分だけでいいのか、野心も野望もない。自分を理想の気持ちで生きて皆に好かれ癒すタイプ、少し見栄が勝ってる。几帳面で彼女がいるという、彼は常識を持っているので居心地がとてもいいだろう。彼の人柄がとてもいいのに結婚線に亀裂があることは彼女のメッキがはがれて恋も亀裂が入るかも、だって結婚線が二股に分かれ気持ちが沿わない、お互いの思いは通じなく残念に終わるかも。相手を選ぶ時点で中身が見えない、思ったよりも違っていたことを意味するんだよ。でも沿うことはお互いに相手の気持ちを理解して歩みよること以外にない。それが一生の課題で、外ずらが良すぎることにあるのです。又彼女を連れてきてね。相性も観てあげるね。その場にはかって3年前に来てくれた彼も同席、手相は今日も前と同じことは言われたと言った。非常に頭がいいのだが引き出しに一杯詰まって何を出していいのか、迷いセンスという瞬間判断が欠けるね。それと負けん気、やる気、積極的に欠ける点がすべてアクセルに値する部分が足らないからもういいと思い、社会に引いてしまって右往左往するかもね。いい友達をモデルにやるしかない。選択は先にするものではない。そこから見えてくるものが沢山ある。引いたらあかんで。身を反らすのではいつまでたっても自立が出来ないからね。ではまたのご来店をお待ちいたします。
2010.05.09
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何で休んでいたん! 連休も関係なく開店したよ。如何して閉めたことがないはずなのに?金曜日ママに会いに来たんや。閉まっていたと言われる。そういうと眩暈でお休みさせて頂いた事を思い出した。あの時はごめんなさいね。申し訳ありませんでした。腰をくねらせ人懐こく女の魅力が垣間見える。服のセンスもいい。装飾品を一杯身にまとい金回りがいいのか、自分ばかり使い果たすのか?そんなことはどうでもいい。2カ月ぐらい前に例の彼氏が入り浸りで困って如何したらいいのか否かの人からの紹介だったを思い出す。店を探すのに大変だっと言った人だ。この店は根暗(ねくら)な穴場だ。まっすぐに車を走れらせていれば通過してしまうぐらい、また真夏になれば植え木が繁茂して鬱蒼として建物が隠れてしまう、この店を見つけるのは大変だと言われる。国道より奥に駐車場があるので分かり辛いらしい。40年お店をやらせて頂いて、休みは日曜日だけ、不思議に休みたいと思ったことがない。もういい潮時かもしれないが誰にも閉めたらあかんでと言われている。私を頼って来て頂いている人もいる。誰かに愛されているのなら少しのお客さんが待っていて下さる限り頑張る。人が好きだもの。彼女は旦那が好きに午前様の生活を長年続けられ、守ってきた家庭を一つも返り見ないことに腹を立てていることを訴えた。もうその子供は37歳。だから私も浮気を20年、いまも続いているそうだが悪びれることもない。相手が好きにしていて寂しい思いをさせたからには当たり前のことだという。何も言われることはないと言い張る。おかしな夫婦。18歳で結婚してやり繰り、家も買ったし子どもの教育も万全にして来て勲章もんだと豪快にいう。すべて私が私がの一点張り。旦那の稼ぎ良かったからお金に関することは好きにさせてもらい、使おうが貯めようが何もつべこべ言われなかったらしい。そんな甲斐生のある旦那を臭し、一度も働いたことがないと自慢をする。何ということか、お金は勝手に流れてれてくるものではない。汗水流し、世間に通じる仕事が出来なければそれ相応の稼ぎもないのだ。旦那に能力がありすぎたのよ。貴女の悪口が過ぎた分、天からの罰を受け、旦那の会社は倒産してしまったのです。今は辛うじてぎりぎりの生活を余儀なくされているそうです。生命保険も見直し、安いものに切り替え、旦那の酒も缶ビールに、食事も広告の目玉の食材を使っているそう。始めがよけれが後が悪いのです。感謝をすることが一番大切で、自分が変わらなければ何も変わらない。自分を少し減らして旦那を大切にするようにすればすべてうまく収まるよ。仲よくする努力を忘れないことね。又のお越しを願っています。
2010.05.07
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男のロマン 男らしさ一途な思い、思いついたら辛抱が出来ない。やりたいと思うスイッチが瞬間に入ってしまう。いかなる困難、いや先の心配は出来ないから何でもできる。金銭は何とかなる、成らせることにフャイトの火が付く。少々のリスクや借金を抱えても目的のためならロマン、夢を優先する。すべて前しかない、夢が大きく男気が多すぎるのだ。ロマンのため未知の世界に踏み込み、偉業を成し遂げ歴史にその名を残した人もあれば、世間を騒がせただけで華々しい成果を挙げるどころか多大な迷惑をかけながら消えていった人も少なくない。無謀とも思える挑戦が運良く成功し、名を残す人もあれば、できる限りの準備と用意周到な計画の下に挑んでも気まぐれな自然の猛威に阻まれ、悲惨な結果に終わった人たちもいる。一生というスパンでみると勝負を挑んだ闘志はだれにも出来るものでないが、大金を掴んだか否かというよりは根性という魂が作られたことにある。一度でも夢に馳せることは男の意地でもあり、向かう心だしの意気を買いたい。そこから多くのことに学び、実行することに計画や緻密さが生まれ今までに培ったことがない自分がいるのだ。何でもやればできる男の限界は生死をかけ、魅力とロマンを手にして生きている醍醐味に味わうこと。他の迷惑も省みずに賭け事のように一攫千金を狙った人もいたかもしれない。男のロマンという言葉の甘美な響きとギリギリの限界に挑む冒険家たちの心情はどこかでつながっている。少なくとも、特別強靭な肉体や精神力を持ち合わせている、男のロマンに対する憧れは冒険という異常な世界へ足を踏み込むこと。冒険という世界はもっと過酷なギリギリの限界を探る危うい世界なのだ。成功するかしないか分らない命がけの挑戦だからこそ、冒険には一度経験すると惹きつけられて逃れられない麻薬のような魔力が潜んでいる。ひょっとすると死と隣り合わせの危険な世界であるがゆえに人の心を掴んで離さないのか、人間という生きものだけが持っている本能的な未知なるものへの探究心が死の恐怖をも忘れさせるのだろうか。そうだとしても、およそ凡人には信じがたい行動で、ロマンチックな代物とは到底思えない。夢はおおくのことがチャレンジでき、この世に生きるる者にとって憧れと希望の星と思われる。果敢に勇気を振り絞り、そのために先見の情報と人の援軍に恵まれていることは事実でもある。結果は夢をなしたことで満足感と誇りがすべてであったりすることが多い。お金に縛られていない分、散財してしまったものに縛られることなく、自由克立つに生きることはロマン、そいうものである。夢は見るものでない実行するものである。
2010.05.06
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未だこの店があったとは! 不思議な会話を頂いた。一度行ってみたかったと思いだして来て頂いたお客さんでした。ネエッ!この店は古いよね!もう2代目ですか?昔を知っておられる方にお目得頂きタイムカプセルに戻ったようで嬉しかった。お店を覚えていただいて今日という日に遇伝にお越しいただくことは何かの縁を感じる。沢山従業員が居てたのに、奥さん(私のこと)一人で今お店を切り盛りをしているんやね。懐かしがられ辺りをきょろきょろされる。昔のイメージを思い出すかのようにされたのかも。古いままにもアートフラワーを飾って自分なりに演出をして自己満足している。これ本物か?周りの花に構わず手が差し述べられる。良いな。。。。羨ましい!。年齢が近い姉妹でお見えになられた。同じ波長で何を思うも心が通じ、旦那よりも一番近いかもしれない。姉妹も持つべき友以上に気の遣いも要らないし二人三脚で上手く寄り添い人生の最後には姉妹っていいなと思った瞬間でした。生の花は外だけ、所狭しと暖かくなってまた活動開始して増やし始めている。手間を掛ければ掛けるほど花は答える。いろいろお話をするうちに、同い年として考えも苦労も共にして歳を重ね今思うことは元気が一番、人の手を煩わせないように生きることね。ご主人を亡くされ年金も少々で働かないと生活が出来ないと話される。どちらを向いても生きるのに真剣で余力が少ないことを知る。今日は近い人とお話が出来、目線でお話が見えた気がする。ありがとう。生きるには思いがけないこと多々あるが乗り越えねばならない節目を体験して、本物の人生になる。怖いものではない。誰もが味わうものなのだ。もう後が少ないように思う旦那を愛しく思うようになった。何一つ外に思いを持つ人でなかっただけにどこかに心を預けたこともない。今は一日中寝ている。体が本能で睡眠をする休むことは動物にとって自然な治療法であるのかもしれないのだ。元気にはほど遠いが一日でも長生きしてほしい。連休が明けた後病院に行くことになっている。旦那は体調がおもわしくないのが分かるのか、入院を余儀なくされるであろうと思っている。果たして見たてはいかがなものか。要らぬ心配を軽く言ったことが尾を引いているかもしれない。血液検査が悪く連休明けに診てもらう。決めつけて入院の用意をして診てもらうと言った。体の日日の変化から少し悪い方向に行っているのは事実だ。何とかなる。恐れるな。独り言なり!
2010.05.05
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株仲間のしんちゃんに褒められる 辛口で未だかってしんちゃんにほめの言葉を頂いたことがない。しんちゃんは69歳。お子さんはなく奥さんと二人暮らしでも家に居りづらく、奥さんの機嫌が悪くなり一日中海辺や株屋やお店を回っているさびしい人なのだ。寂しいのは人を受け入れない性格にもあるのかも。いつの時も自分からしか見方ができない人なのだ。それがどういうわけか、しんちゃんの心をつかむため書いたブログを見せた。目を通して上出来だという、簡潔な言葉の中に濃縮した意味や愛の表現が盛りたくさん、文才があるとかないとか過分なるお褒めの言葉に気を良くした。キッャチボールをしようにも変化球を投げられ相手に会わすことなどありえない。話をしても目線の位置が違い噛み合わない。だからしんちゃんには敬遠をして話しこむことなど滅多にない。忙しいふりをして距離を置いている。どんな時でも相手に対して自分を過大し人の意見に従う人ではない。それもそのはず、手のひらは分厚く二分するほどのます掛けで頭脳線や感情線とが一つになている。自分のの思うこと以外は心血を注ぐことはしない。自己中の手だ。未だ小指の付け根の下から感情線と一つになっている線の起点がまた変わっている。付け根より一段降りて線が始まっている。これだけで月の丘のイメージの思うようになってしまうことから思い込みが強く、相手に柔軟性の無いことが分かる。ネガティヴな生き方に私の気持ちは害するだけ。だから良くも悪くも本音のトークはしないことにしていた。付き合いはお店のお客さんとして聞き役に徹するしかなく、相手も価値とか思いを理解しない。これでは奥さんとは折り合いが悪いはずよ。いろいろな方に接して学ぶ姿勢がどんなであるか、受け入れることは自分を成長させていることである。株の銘柄をしんちゃんに指図の電話連絡でいつも買っていた。ママは聞く耳を持たないといつも言われているので仕方なく指図に従うのは株を指定した銘柄。黙って買えばいいものをいい情報を仕入れたと言い張る。これが化けるからと買いなさいとナンバーを教えてもらうが、買ったがいつも失敗ばかりで損を多額に出してしまった経緯がある。もう話に乗らないと決心したことがたびたび。でも相手は大事なお客さんです。すべてNO! と言えない。コーヒーを飲んでママのために一文でも落としたろうと可愛いく言ってもらい甘えているところなり、有り難うございます。誰にも好かれないと商売も成り立たない、自分を持ちすぎることはいけないのです。肝に銘じて商売をやることにしてます。いやなお客さんであっても、連休中も休まずお店をあけていますお待ちしています。ありがとう。
2010.05.04
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可哀そうに 結婚を約束をして、その日を指折り数えていたのに、ガンで急逝してしまった無念さが伝わる。くしゃくしゃになって幾日も泣きあかし、気力だけでなんとか成しているように見えた。あふれる涙はとめることもできない。幸せの絶調が奈落の底に突き落とされたんだから、いつ自殺をしても可笑しくないことで娘たちは変わるがわる母を一人にせず、見張っていたらしい。3月3日のブログにも書いたがその時の彼女が此処に立っている。あの時は突然にがんを告知されもうここにこれないとお別れの挨拶をされたのです。何故に元気な様子だったのに、病を隠していたとしてもあんなに明るくお話が出来ようか。4度の進行度と冗談半分と思われたのですが。まさか一か月もならないのに急に召されてしまわれたのには信じられない。目は泣きはらし、涙が乾くことも知らない。彼女は死ぬことばかり考え、生きる力も失っているようだ。付き合って5年後に結婚しようとこの4月3日には待ちわびた誓い合ってた日なのだという。年齢も相応に重ねているがお互いに再婚同士であって、息もぴったり合い話にもともに馬が合いすぎていたのです。待っていただけに胸の痛みは計り知れない。喜びの分だけ悲しみがある。思いでいっぱいをあなたの胸にいついつまでも消えることはないでしょう。出会いがあって別れがある。早いか遅いかの違い。彼も一生分の花を咲かせ、先立つ不幸を感じっとったでしょうが病であることも知らずにおれたのは、貴方という愛する人に一日でも一時間でも、という思いが苦しさを忘れられたのでしょう。麻薬のように苦しさを紛らされたのですもの貴女ののおかげなのです。辛いでしょうが涙は乾くまで流してあげましょう。それが供養になるのです。優しさだけだったかもしれないが辛苦を共にしたかったのに夢破れ、設計図が壊された酷な現実に言葉を失う。でも5年の歳月は結婚と同じなのです。心に彼の思いは焼きつきあなたを後押ししてくれ、数々の思い出の言葉はだれも取られることもない。思いはすべて財産となるのです。思いはすぐに切り離すことはできないでしょうが、時間というものが、辛さや苦しさを解決してくれるものです。今は存分にいい思い出に浸って故人を忍んでやってください。別れというものはこの世のことだけ、新たにあの世にも誰も行くのです。恐れず、ゆっくりと別々に行くだけで貴女の事をいつの日か会えると待っているのです。不幸には違いがないが、誰も越えねばならない関所なのです。生きているときにお互いにどれだけ手を取り合っていたか。別れが辛いか否か。それは愛の深さが物差しに代わる。湯棺されたときに一番よくわかると納棺師が言っていたのを思いだした。又いつでも思い出を語りにいらしてください。お待ちしています。お元気で!貴女なら乗り越えられるよ!
2010.05.03
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30年ぶりに訪ねてくれた彼女 もとこの店に勤めていた彼女が訪ねてくれた。やぁー。。。。。久しぶり、姿たたずまい面影は昔のまま、波乱の30年の月日の流れに影響されず、何らそのままの変わらない姿だった。思い出せばインパクトがありすぎる彼女だったのですぐに蘇る。鮮烈で昨日のように彼女のことは良く覚えている。やってきたときから、常識というものを持たず、恥ずかしがらず何でも打ち明け、恐れ知らず、自分にないもの持ち好印象を持ったのだ。熱烈な恋愛をして、何も分からないままに分別も知らず、生活のことなど考えず愛だけで生きていけると確信していたかも。しかも身重みの体で、彼女が働かないと生活は出来ない、働かない人を選んでしまっていた。満たされるはずもなく波乱に満ち、外国の人を愛してしまったが、引き返すことが出来ず、偏見、差別、傷をつけるのが怖くて、相手の気持ちに沿うように気を使ったという。何事も前向きに考え、自分だけを頼り、先々のことを深く考えない、行動だけの人であった。当時つなぎの服を着ていたし、おかしいなと、思うがお金に事欠いていたのかと思ったりしたが妊娠であった。生まれた子供は彼女の許可なく彼の親に引き取られてしまった。そのあとは苦難の人生であったと言うが、持ち前の明るさが行動力先行してありとあらゆる仕事に就く。疑わず、働くことはいがいにない。そんな彼女は男性にとっては美味しいに決まっている。そのあと知りあった縁で結婚をするが、二人の子供を授かって、幸せもつかの間、彼がガンで他界する。でも働き者の彼女はこんなことで懲りず、朝から夜中まで働き、睡眠する以外は働きずめ。一番稼いだのが生命保険の外交でトップを連続果たし、今もその仕事を続けている。思うことは何でもかなうし、お金儲けは大好きという。それもそのはず、頭脳線の先端がすべて左右の手はすい星の丘に跳ね上がっている。前向きお金大好き、話好き、情報はすべて網羅する、話術は落ち着いて、飽きささず、分かり易く、相手を立てている。これには恐れ入っのです。年収1000万は優にあるという。女の細い腕一つで家の2軒分も買ってそれらのローンもすべて返済している。でも使いプリや、人を信用しすぎて損や失敗がたくさんあるようです。年齢は53歳と言ってくれたが、余暇は現在社交ダンスに夢中で、ダンススタジオと衣装の販売と喫茶室を創る青写真が出来ている。ダンススタジオを共同経営で元金を入れたが経営者が破産して後、自分が引きついてやっているという。思いあがったらいけないよ、借金を創っても苦痛にないかもしれないが、いい歳であるから、楽に生きる道を作る必要がある旨伝える。まだ勢いがあるが、体力やお金の消費はすべていい結果には行かないよ、先々は負われない生き方をしないとだめだと教えることにした。もうそんなに頑張らなくていいのよ。だって彼女の手相は感覚的でお金がすべてで喜びもお金次第とある。借金だって怖くない、やりたいことのは思案をしないから。騙されたり、損をしたり、そんなことには平気だから、もういい加減に実質的に生きるほうがいいと思ったから忠告をする。無理のないようにまた会えることを祈ります。
2010.05.02
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子どもたちの肥満を憂う 飽食の時代の今、食で心身の健康を損なう子供たちが居る。広がる肥満と忍びよる影の実態。肥満で受信に来る子供たちに、血中の脂質異常が多く見受けられるそうです。いわゆる「高脂血症」来院する子どもたちの2割が該当するらしい。痛風予備軍の子供、糖尿病や脂肪肝も15%にも上ると開業医の「間宮内科クリニック」のリサーチ。丸で中高年のカルテを見ているような錯覚さえ覚えるとのこと。メタボリックシンドロームも決して無縁ではなくなっている。悪玉コレステロールの数値が高く心筋梗塞や動脈硬化を引き起こすという指摘が小児内分泌疾患学会も懸念している。糖分の多いペットボトルのがぶ飲みを続けた挙句に血糖値の急上昇して意識障害をきたし救急車で運ばれた中学生もあるのです。将来の子どもたちが健康に暮らせるのか心配すべき状況であると警告している。その恐ろしい原因は3文字のキーワードにあるそうです。糖や油やマヨネーズ。たっぷりの食事が原因している。口当たりのいい調味料を掛けて食べる。焼き肉に濃厚なたれを掛けて食べたり、ハンバーグもトマトケチャップをべっとりかけ、焼きそばにはマヨネーズを掛けて食べる。デパートやスーパーの持ち帰り総菜を頻繁に利用している親も少なくない、濃い味つけに慣れるほど、好の調味料の乱用を招き悪循環に陥っている。子どもの好む味で好きなものを好きなだけ食べさせているのでしょう。飽食の時代ゆえんの幸せであるかもしれないが、子どもにとって実は不幸であることに気が付いていないのです。"焼き肉とハンバーグ""唐揚げと焼き鳥と焼き魚"食卓に並ぶすべての組み合しがおかしいのです。母親たちは栄養のバランスを整えるよりも手抜きで、手造りのものやヘルシーなものを取りいれることなくへだたりを招いている。5歳でもうすでに肥満度115%、脂肪肝だった男児の食生活、肉を中心としておかず、水代わりに毎日1~2リットルの大量の牛乳を飲む。過ぎれば肥満に繋がる体に良くない影響をもたらす。不健康な子どもたちが増え続けている。幼児の段階で肉食を好む傾向が浮かび上がっているのです。健康も不健康も親の知識や勉強不足が蝕む子どもを創るのです。将来を担う子供たちに政府は投資をする意味で子供手当の実施に踏み切る。税金を納めている側からはもっとほかのことに使うべきとの声もある。喜ぶ親たちがいるがやその使い方に問題があると思う。上手く使いこなせば倍にも働くがその使い方は親たる資質に頼るしかない。未来の財産である子どもたちを政府挙げての健康に取り組みたいと思う。健康を害することや損なう知識をもっと普及する必要があると願う。寿命だって、健康を害す食品を多く食べていれば自ずと短くなる。今しか出来ない事がたくさんあるが、すべて健康があってのこと今、一つ考える機会として敢えて書きました。
2010.05.01
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ゴールデンウイークになって この連休中の営業日の問い合わせの電話がかかる。たぶん占いの方かもしれない、お待ちしています。やはり予感どうり遥々遠くより来て頂いた。顔立ちからは疲労困憊の状態、顔も黒い、お人好し感じがし悪気が見えない。男に騙されて騙されても懲りない、なんとも思わない軽さがあるといわれる。目元も落ち込んで黒く血流の悪さがわかる。苦労のオンパレードの50代女性である。聞けば幼少よりの不幸続き。母親は4歳で死別、小5より新聞配達を兄弟で続ける。父は散髪屋をしていたが、ギャンブル、女、お酒に狂い、家賃の払いすら事欠く。働いてなんとか家を守りきる。15歳の時居酒屋で働き、駆け落ち。子供を身ごもる。それからの人生は生きるため必死に働くも、32歳で17歳の長男を交通事故で亡くす。流浪の旅旦那の違う子供を合わせて4人育て上げる。生きていくすべを懸命にやってきて、精神はボロボロになり精神安定剤御常用すること何十年。しっかりされているが生活のすべてが自分の身にかかれば、高々10歳より働きづめは顧みない身も限界なのだ。その上大きくした娘に未だ母親を当てにされて、5人目の孫の世話までみた。精いっぱいなのにまたその娘に働きながら何人も別れて、また違う旦那の子供がお腹にいるという。世話をもう当てにしているらしいと嘆く。嬉しいい悲鳴ではない、身体の変調が分からないと嘆く。薬やお酒で手のひらは赤く斑点が出ている。お腹も腹水が溜まったように前に突き出ている。見るからに肝臓が相当ダメージを受けてる一度見てもらったほうがいいという。娘もお母さんと同じでも深刻に物事を考えず、なるようになると軽く思う人、恐れるというタイプではない。心配をする前に行動に起こすタイプで、なんとかなるという、引き寄せの法則で頼まれればすべていいという調子で、身体を考えずに行動をする人なのだ。苦労が実を結べば良いが、彼女の場合はそうはいかない。酒、薬、タバコ、男身体に悪いもの命いっぱいに不摂生生きてきている。幸せはない、これから体をいたわって無理をしないことに尽きる。同じ生をうけ、親が違うだけでこんなに苦労をするなんて、人生は皮肉なもの、選択が出来ないことが恨めしい。
2010.04.30
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友情について 人によって意見が分かれる。"男女の友情"。男女の友情が崩れる原因の多くは「どちらかが恋愛感情を抱く」ため。気が合う関係だからこそ、友情が恋に発展してしまうのはよくある話。お互いの気持ちのバランスが崩れると、友情関係は保てなくなってしまう。恋人とは違う気軽さで、性の壁を越えた付き合いができる男友達。その半面、人間的な魅力や興味を感じ合っているために、友情以上の感情が芽生える可能性はいつでもあり。男女の友情はその危うさも魅力といえそう。友情は人としての健全な精神と体が要求されるのです。嫉みや物事を受け付けられない人、否定的な考えの人には友情は育たない。場の空気を察知することが苦手な人は一方的になって友達関係はその時限るとなる。持ち出しばかりで与えてもらうものが無いので自然消滅をきたすから。誰かのために自分の殺すという気持ちを持てば、やさしくなれます。波長が近いことが真の友情を持つことになる。世話になった恩を胸に刻み、相手によって救われた間柄とか、自分の求めるものを持っている。必要不可欠なものを共有し、飢えや安らぎや食卓や暖炉でもあるのです。安らぎを求めて魂の友情を深める。愛は自身の秘密だけの意味だけならば、サッサとおさらばをしなければいけない。友情のつもりがいつの日か憎いだけの醜い関係になってしまう、相手の罠にはまりこむようなことが多々ある。本当の愛ではないことに気づかなければならない。愛のない、利用されている罠にかからないように相手の本意を知る必要がある。友人同士の好意のなかに安らいを見いださない人生が、どうして生きるに値する人生だと言えようか。まるで自分に語るように、安んじてすべてを語りうる人をもつことほどうれしいもの。友情は数限りない大きな美点をもっているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにするということ。昔も今も、良き友だちこそ人生最大の財産です。自分の引き潮を知ってもらうためには、満ち潮も知らせなければならない。生きるために友情を育み、喜びを分かち合おう。心は飢えを満たすための友。渇きを潤し、生きる活力と成すものが真の友情なのと言えよう。愛は与え与えられるものでなければならない。そんな友は不滅である。
2010.04.29
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おくりびとを見て(テレビより) 納棺師である仕事、始めて見るのである。身内の葬式の納棺にいまだ立ち会ったことがない。もちろん両親は此処に嫁いで死に目にも会っていないし、納棺は済ませた後に会っているだけで未だ知らない。。。。普通は葬儀屋が行うが、葬儀屋から委託されて遺体を洗い、着替えをさせて化粧をし、納棺するという仕事。この仕事に主人公も躊躇する。でも社長は奥さんを第一号として納棺を済ませてその大切な意味合いから一生の仕事に決められたのだ。始め妻には話せなくうそをつく、揺れる心があったが次第に仕事への情熱が湧き誇りに持てるようになる。一番最初の仕事が独居老人の納棺だった。長いことそのままにしておかれた老婆の痛みはひどく、匂いとその様態に吐きながら納棺する。帰ってから、妻にむしゃぶりつく主人公の姿を通して、直接見せないけれど、生と死の対比を表していた。そこには死者の尊厳を大切にしていこうという気持ちが現れている。死者の身体を見せずに拭いて着替えをし、遺影を見ながら死者の顔に一番近づけるようにお化粧を入念にする。眠る死者の変形した顔を和らげ、髭を剃ったり、手厚く扱う心が周りの人たちを釘ずけに芸術の領域を感じる。ある時5分の遅刻をとがめた夫に、納棺が終わった後に、「あいつ、今までで一番きれいでした。」と言わせた。納棺師を攻めた喪主がそこに死者にたいする厳かに、礼儀を尽くした仕事に家人は唯、畏敬の念を抱き、改めて故人を忍び悲しみが訪れたのでした。きっと働きづめのお母さんだったのだろう。幼い娘を残して。死者を清め化粧し装いを調えてこの世からあの世への橋渡しをする仕事。それと同時に、遺族の人が親しい人の死をうまく受け入れる手助けもする。様々な死と死者を通して、生きている人たちの心と関係が語られる。それは、死が日常的であり、その中で死者と生者との関係も育っていっているということを暗示している。納棺師の仕事をけがらわしいと嫌い実家に帰っていった妻のことや、子どもの頃に女性と家を出て行った父親の死を通して納棺の仕事の誇りを示し、また死の意味もそれとなく示している。最後に、たった一人でお客さんが喜ぶ限り続けると言っていた風呂屋のおばあさんが、薪を運んでいるときに亡くなった。常連客であった火葬場の管理人が棺おけの蓋を閉めながら「いつかまた会おうの。」と語りかける。そして死者の息子に、私は門番だと語る場面がある。。。「死とはもうすべてが終わりというわけではなく、門をくぐること。」死は終わりではない。死は新たな門をくぐり抜けるだけであって、向こうにまた新たな生がある。だから私はその門番なのだと。庄内平野の美しい冬と春の景色の中で織りなされるロケションは悲しみや悲壮感やわだかまりを排除して優しく送る儀式の荘厳さを再認識した。人は、時にはおくりびとで、いつかはおくられびとになります。死は悲しいことだけど、不幸であるという思いは亡くなったように思います。一つの旅立ちであると思いながら生きていきたいと思います。死者に対する優しい、思いやりのおくりびとだった余韻が残る。
2010.04.28
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喜びと悲しみ 喜びは悲しみの仮面を取ったもの。笑い声が湧き出てくるのと同じ井戸から、涙の溢れることも多い。喜びも悲しみも二つに分けることはできない。喜びと悲しみは一緒やってくる。人は喜びと悲しみの間に吊るされた天秤のようなものだ。じっとバランスが取れているのは、何も乗っていないときだけだ。そこに金銀が乗り、財宝掛が重さを量ろうと天秤を持ちあげるからこそ、喜びや悲しみが上下に動くのだ。悲しみの彫りつける傷が深ければ深いほど、得られる喜びも大きくなる。今喜びを与えてくれているものが、かっては悲しみをもたらしたものと、同じである。泣いたり笑ったり、変化のある日々であるが、喜んだ分だけ悲しいことがあり、悲しんだ分だけ嬉しいことがある。悲しみの少ない人が幸せなのではない。深い悲しみの中で、人はより深い愛を知る。暗い夜の中で、人はより明るい光に気付く。寒い冬の中で、人はより強く温もりを感じる。それらの喜びを感じられる人間こそが幸せなのだ。苦痛は乗り越えていくものではなく味わうものであり、リアルに経験することによってはじめてそこに愛が生まれるものである。喜びと平安はつらい経験の結果ではない。 つらい経験そのものである。 喜びは経験の結果ではなくプロセスにある。
2010.04.27
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何もなかったように!Hさんのことを気にしていたが、いつものようにお店への出勤時間10時きっかり来られた。はじめにこの前を通過されたが、タバコを買い求めて自販機に行かれるのか、このままお見えにならないのかもと、不安な一面もしたが、折り返して戻られ自転車を置く場所も普段と変わらず。何もなかったようにふるまわれた。男性って強いものを持っているんだな。今しがた、Tさんが来られ、合い方を迎えに駅までいかれたよ。その後まもなく合流することになった。一足先に来られた時に、何もなかったことにして、今までと同じようなお付き合いをしたい胸を私に話され、友情の厚さを思い知らされたのです。Tさんを軽い人だと思うこともあったが、話好きで、誰にも気さくに面白く話しかけ、会話には事欠かない人。82歳の彼女が追っかけて無理がないと思ったのです。力量がある。想像力が豊かで物知り、声も大きく、よく食べるし、ただ、神様がその体にロックをかけられたのです。働きすぎ、寝る暇も惜しんで、お金を調達するのに寝食をわすれて、働いた付けが脊柱の筋肉がみんな骨に変わる、難病を患ってしまわれたのです。(娘の医大の入学資金を作るため。)病は、F・O・Pという耳慣れない筋肉が化骨するのです。だから脊柱はまっすぐで、首から御尻の骨まで一つになってしまっているので、傍から見ると姿勢が善すぎると思うぐらい、真っ直ぐに角度がつけられない。でも自分が患ってる病のことは苦痛も泣き言も一言もない。誰だって今そのような身体になれば元気などあり様がない、なのに諦めなのか、健常者となんら、いや、それ以上のパワーを持って、人のために動き回っておられる。TさんはHさんに気持を楽に持つように、また奥さんの攻め込まれる時もあるだろうから、逃げ場所として、気持ちを切り替えることも必要だから、お茶ぐらい一緒に飲もううよ。何時までも友達でいてほしいと、電話で話されたらしい。今日のHさんは週刊誌に目を落とし、時折頭を上げて、話を見るようにするだけ、一昨日と少し違い落ち着かない素振りをしている。口数もない。話しかけることの話題もない。でもここにいるだけで、新鮮な空気が心にしみているだろう。改心しているんだろう。今までのHさんになることを祈って、心に魔が指したのはよくよくのこと、辛い思いが反省となり以後のHさんを見守りたい。よく来てくださった、有難う。
2010.04.26
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何でやのん! Tさんに有ってはならないことを聞いてしまった。常連さんの話であるが、本人もどうしていいのか迷って、胸に仕舞い込めなくて、心の荷物を軽くするために昼過ぎにランチを食べに来られ、閊えたものをはきだされた。顔は興奮しているようで、神妙になっていた。相方のことか?車をぶつけたのか?なかなか切りださない。どう言っていいのか自分で言葉を選んでいるのだ。私がHさんを心底信頼して、仕事熱心だし、何十年の付き合いのお客さんだもの。息子さんも弁護士であるし、鉄工所を経営している。嘘であってほしいがと前置きして、確実に避けられない事実を本人から聞いたという。事の成り行きはHさんとTさんがこの店を後にしてから、事が起こったのは釣り具やに行った時のこと。もう一人のHさんがタコ釣りのおモリを2個ぽっけとに仕舞い、1個だけレジに払ったそうだとか。それを見ていた店員にとがめられ、警察に連行された。一つの車で行っていたので、彼の帰りがあまりに遅いので、店内をぐるぐる回って待っていたが、らしき人に出会わず、待ちぼうけを受けた矢先、警察官があわただしく入ったいたのを目のあたりにしたのだ。もしや、いいや、そんなことは有るはずがない。何故魔が差したのだろうか?どんな心理状態だったのか?何故?友達と一緒に行ったときに?奥さんの耳に入ったらどうなるんだろう?管轄所の警察に連れて行かれたこと奥さんに事を言った方がいいかな?とんでもない、奥さんはプライドの強い方。悪いことはあなたの口からお話をしてはいけない。ショックの大きさを計れば言ってはダメ。又例のごとくお酒を飲まれては大変だよ。アル中になって、長いこと入院生活をされていたんだもの。ぶり返されたら、どうしょうもない。どうしょう!乗り切ってほしいが自尊心が強い方だけ、罪の裁きだけで済まない。信用というレッテルが剥がされ、事なきを願はずにいられない。いい仕事をされ、微妙な調整された仕事ぶり、高い評価を得ておられ、仕事人間の部類にはいる。夫婦二人きっり何も言うことはないと言っていたのに、たった1000円ばかりのことで、お金を惜しまれる人ではない。取っても分からないと思うならばとんでもないが。人はみかけによらないのか?人間不信になりかけている。貧乏でもいい。人のものに手をつけては決していけない。断じていう。もうこの店には来て下さらないだろうね。寂しい限り。いつも余分に100円をいただいていたのに、気風のいい方なのと思っていた。場所を違えばちがったことしていいはずがない。残念としか言いようがない。
2010.04.25
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低身低頭 大きな人が頭を垂れ、小さく、不甲斐ないと謝られる。「済みませんでした」と勢い付いたことに大人げないと恥ずかしそうに言われた。何を仰る。時と場合のこと、ビジネスのために電話を掛けていたときに、とやかく口を挟まれることは承知出来ない故に爆発したのです。男社会の頑張っている最中の出来事で、頭にきたと、理不尽な言葉に業を煮やしたらしい。人まして他人に関係ないとはいえ、マナーを守って欲しいと啖呵を切る。我が身には不愉快としても、半ば不特定多数の居る所電話はいけないという、少し自分勝手すぎる。場所によっては会議中とか、電車の中とか、病院の中とか他の人の迷惑ならば決して掛けてはいけない。食事をする、リラックスの空間なのに、耳障りと言われたのだ。相手はきっと規制の中で生きて、容量がない立場の人なのでしょう。マニアルだけの中で生きているのかもしれないね。生きていくのに、汗を流し、日々人さまの気を掴み稼ぐことはどれだけ大変なことかきっと知らないのだよね。多分箱の中に入って雁字搦めな規制の中だけで仕事をしているのかもね。相手の思惑は考えるより、恙なくこなす、事務的な仕事だろうよ。仕事は自分を創るとよく言ったものだ。喝も意味があったと思う。怒った彼は普段は「気が小さいだ」といった。小心ものだという。そうだろう、190センチは遥かなんだもの。気が小さいが仕事仲間の前だった勢いもあったのかもしれない。私に賢いね!あなたの機転に頭が下がるお褒めの言葉を頂く。有り難うございます。急ぎの時間に私への気づかい。持論が始まった。生きるのはそれどれであるが、生まれて死ぬまでの時間はだれも平等に与えられている。その間、人間は何をするか、何を考えるか、お金もちも貧乏もみな同じ、分があってその生き方は人に信頼される生き方しかない。と高説を賜る。お金か?そやないで!欲は欲を呼ぶだけや!貧乏な状態でも餓鬼の時はもっと幸せやったはずや!何もないから。欲しい欲がすべてのことを成す。満ち足りれば、もう見向きもしない。休止状態。背がれにいつも言っている。何でもあると思うな!電気もガスも水もあって当たり前とは違う。何もない状態でこそ生きれる肝を養う。親もいつまでも生きてはない。何故か母の死は一番こたえて、不安定になると仰る。何もかも母に任せて安心という懐を貰って生きていたのが良く分かる。大きな方が年にして50歳を超えておられるのに少々物悲しい、話に咽ぶのです。みんなそれなりに生きる哲学を持っているのだ。
2010.04.23
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良い生き方をしている人もう死に目に何回あったか知れないと、言われる。まだ生きてんねんや!正に生かされているのが分かる。年にして75歳といわれるが、小柄で骨太、首が太く働きものの印象が受け取れる。平均寿命に達していない。如何に大胆に思いのたけを生きてこられたがわかる。 良く見ると、潜在的な要素を持つ方の左手の人差し指が第一関節までの高さしかない。中学生の時精米機に挟まれて切断したらしい。結婚する時に相手に指がないことの問題でなく、良く働くかどうかの調べで決まったという。相手に見る目があったわけ。マー何とか今日があるという。両手の親指が蝮形になって、手のひらは分厚く、指全体が短く、頭脳線も右下がり、お金の計算より仕事の計算ばかりで、小柄なことからすべてに敏捷で指がないことで、人に任せず、自ら汗を流して懸命に生きた証拠が示す。建設関係の仕事をしておられたというが、沢山あったユンボも売り払い不景気の煽りで店はたたんだとのこと。働きが体に直撃。もう耐えられない身体に病が象徴している。胸部大動脈瘤破裂、薄皮だけがつながって、何とか命だけは繋がったとのこと。又脳梗塞や神経性胃潰瘍で胃を全摘出しても、よく命があったのだとさりげなく言われる。息子が成人病センターの外科部長され、父の命を繋ぎとめて、有る限りの治療を施し生きるための情熱を注ぎ込んでくれたことも語る。親父の背なかを見て、体を使うことより、同じ働きでも世の中のため、勉強に明け暮れと畑違いの息子を自慢する。本当に誇りだね。死ぬ間際まで行っても、命の火が消えることなく、切り株から新芽がでる。もうこの世に怖いものはない。生き返ったこと何回もできたのだと。人に喜ばれる物作りに心血を注いでいるという。愛情が価値あるものに仕上げて、生きてこんな幸せはないと言われる。病気になっても大切に扱われ、顔から生きるか死ぬかの瀬戸際まで行った人の姿には見てとれない。病の問屋を肌で感じる。マムシ指や左脳の人差し指は命令や権力や支配や直感が足りないことになり、病を引き寄せたことになる。幸せは今がすべてなのだと思い知らされたのです。ありがとう。又のご来店をお待ちしています。
2010.04.22
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お昼のこと 近頃めっきり、いや4月を境に客足が落ちているのが目に見えて分かるのです。お昼の用意もお客さんがあると思い最大に見繕って用意をするが、徒労となることが多い。モーニングーももちろんのこと際立って減っている。最大のサービスを提供して、原価奉仕をに近い状態でも、今の時代には節約志向がノーと言っている。この店の15メートル先国道を西へ移動する軍団、(JR、)が中華店にぞろぞろ蟻のように行くさまも、4月を境に見ない。もちろん我が店もお得意さんとしての固定客も見なくなった。方向転換の時期なのかもしれない。一見さんもあるが、常連さんで持っている店にとって、痛いのです。そんな折のこと、コーヒーのいつものお客さんが商用でおいでになり、お昼時でお食事の注文も頂きました。焼きそば定食二人前を受ける。前後してチキンカツ定食のお客さんもお見えになる。厨房に入り、手際良く三人前のメニューを瞬時に右脳の高速回転力でこなす。無心な状態で事をなす。焦るなどもっての外、いつの時も冷静であることが必要なのです。耳はホールの会話に気を配り、フライもんの出来加減は温度と出きあがりのタイミングがすべて。焼き物には高温で処理、そば焼きは熱したフライパンに少々のサラダ油、絶対に返し油をする、出しが決めて高温と中温と低温にと変化とそばと野菜と豚肉のバランス。後はソースが決める。ツウーにしてしまおうと意気込んで、出来るだけ何処にもないオリジナルに仕上げることに神経を費やしている。私の意気込みは中途半端じゃないのです40年のキャリアが光っている。出来上がって、先さまから持ち運ぶ。その時のこと、大変のことが起こっていた。斜め後ろの9番テ-ブル二人のそばを注文された方一人に向かって「携帯電話の話がうるさい」と、6番テーブルのチキンカツのお客さんが文句を言ったらしい。「マナーを守って欲しい」とまた6番が重ねて言葉を足す。そこからのこと。9番が黙らず、「何に文句があるのか」啖呵を切り立ち上がり、革ジャンを脱ぎ捨て、1メートル90はある人が顔面蒼白怒り切っている。座っている6番に手を掛けようと正に空気は険悪、大変。喧嘩などされたら大変だ。一瞬、二人の間に分け入る。まッ!いろいろ双方に事情があることは分かります。私は6番のお客さんに向かっていった。「商用でお見えになって取引の電話や相談やお店の中での使用は仕方がないと思います。コーヒーをお飲みになって営業の仕事をされているのです。その事情を知ってください。何なら静かを希望されるなら有線放送の電源を切りましょうか?」分け入り事の怒りを鎮めること。お互い引くこと知らない、鎮めないことには示しがつかない。運よく9番のお客さんに電話が入り外に出ていかれた。その場は一件落着。6番のお客さんも大柄で(実は電車の運転手であったのです)手をつけずお金を置いて後にされた、多分出勤まえの食事だったのかも。9番のもう一人が言った。「あのお客良く来るか?」「いいえ初めてです」瞬間に嘘をついてしまった。どこののどなたか言う必要があるか、知っていてもしゃべれない。良いことが起きるわけがない。これで切りに治めないといつまでも、根に持たれてはいけないと思った。そのあと、またあと、お客さんは手に負える範囲でお見え頂き嬉しい悲鳴をあげました。後の方で2時過ぎにお巡りさんが非番でお食事に見えられた、このことを話すことなり。日々には大なり小なり揉め事は日常茶判事、事件事故に紛争していると話があった。収められておおごとに成し得ずよかった。又大きくさせてもらい、感謝です。
2010.04.21
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何かが変わった あの衝撃から、体調が変わった。脳が鮮明になり、有らぬことに気を使うこともなくなった。あれは本当に突然にあったが、必要必然だとすれば、どう解釈をすればいいのだろうか。体が揺すられ、ぐるぐる目が回り、脳の中が撹拌されたのだ。脳脊髄液もみんな混ざりきり均一化された様に脳みそから余分なものが捨てられた感じがする。本当にあの午前中だけの苦しみだったから。以後何ら不愉快な症状に直面していないのだ一体何を意味、メッセージーだったのか?。病院では、何の身体証拠もない。検査は辛うじて眼振に変化を見だされ先生の説明も頭部を振りながら返答に困惑した表情が読めた。ハードな検査にもふらつきもない。いったい何を意味をしたのだろうか。考えて考えた結果、身軽になったのかもしれないと思うことが出来た。あの後は気を抜いて休むことに徹して10時間は有に眠る。最近にない睡眠だった。全く今までに薬に頼った生き方をしていないし、風邪や頭痛やお腹の調子の不調などない。体にとってハングリーな生活であって病には縁がなかった。薬に頼るなど思ったこともない。病は自分が作りだしたものであって、その生き方に問題がある。そのものを生活の中から原因を削除すればいいだけのこと。果たしいて薬を飲む時はどんな時だろうか?多分細菌感染をした時とか、それ相当の原因がある時しか飲まないだろう。嘔吐が続いてから、食べるものに興味が無くなり、食べれると思って沢山盛りあげるも箸が進まない。脳の機能がそうさせている。余分なものを排除させているのかも、食べることにあまりこだわって生きていないが、仕事をするからだには労わりの気持ちで何が体にいいのか、とても注意をしてきた。少しで十分になって食べることに拘りを無くしたようだ。でも食欲に反して食べようとしても、お腹が小さく、胃袋が縮んだようになってしまった。それだったら食べるものを選び、良質な栄養があるものに気を付けたらいいだけのこと。少し考えすぎかな。でも頭が鮮明になったのは確かだ。脳がシステムを変えてくれたのかも知れない。
2010.04.20
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自治会の総会に出る 昨日のこと。班ごとの幹事を一年でやっと修了。今年は役員全員の改選もあり、当会の存続の危機が危ぶまれ、誰も役をするのが嫌だということの声が多く、続けるにあたって、話し合いが長期間班ごとに持たれた。いやが負うでも役は順番に回ることに決定してしまったのです。理由など聞いてもらえない。出来る範囲の役からでいいということ。そうなったら今までのように盛り沢山な行事、動力もいるし時間だっている、どうなるんだろう、お店を休まなくてはいけないこともありうるかも。運営する者の判断によっては出来る範囲だと強調だれた。働いているものや、事情があるものには考慮がない。早い者勝ちの役員の立候補など、少しおかしいと思うが。とにかく波乱含みの門出の総会である。受付を任されたので、9時までに会館にいく。Tさんと一緒した。Tさんは私がお店を休んだことをいち早く知っていた。それやったらメニエール氏症候群だと心配をしてくれる。自分も60歳の時に同じように目まいで何日も寝ていたので気をつけないとだめだとお節介を焼いてくれる。彼女は今でも薬の世話になっているとのこと。なんで!もらった薬を飲まないの?とにかくこっぴどくお説教を受ける。動く時の姿勢や、動作や、急に何でもしたらダメ。会が終わってもそれから延々と彼女のお話は続く、過去にさかのぼって、在りし日の一生懸命に頑張った日々を勲章のように語り、頷き、聞きいること、物事が前向きでない。逐一自分の物差しに充て、相手を測る。会計さんの出来物に感動して、褒めていると、大したことない!私も42歳やったらそれぐらいのことは出来ていた、当たり前。やれるわ!と一撃。アッー やっぱり社交界は苦手だ。人を評価出来ない、こんな人に付きまとわれたらごめんだよと思いたいが、心寂しい人もいると思ったのです。場の空気を読むことが苦手、彼女いわく何時も役に関係なく、廃品回収の車を内の会社が差し出している。何も自治会からお礼がないと、なんでやのん?何も会長から挨拶もない。ぼやく。そうやね!ちょっと変やね!待って!そらそうや!会計さんがおられたので事の正当を打ち明け、洗剤の余分を彼女に渡した。そんなこともあってか、病のよしみか、超、私に近づいたのです。苦手な彼女であったがコツは分かるので気をそらせず、好感を持たれることに徹した。きっとだれも疲れるだろうなー。私が私がの一点張り。私の時はの話で一切自分の中に他人さんがない。心が読めない。今日も多くのことを学んだのです。人は疲れる。
2010.04.19
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良い眠り 身体全体が健康であれば快適な睡眠が得られる。睡眠を阻害している不安や心配事や病気や家族がもたらされた考え事など、数えたらきりが無い。でも自らの意思で睡眠を削っていたとしたら、トンデモナイ。以後心がけるべし。 誰も予想だにしていない出来ごとに神経過敏になって生きることになる。すべて血液の流れにある。ストレスは自律神経を乱し、血行を悪くしている。心身ともにリラックスして大量の血液が全身巡るようにすることである。身体は精密機械であって、自分の手をはるかに超え、計り知れない緻密に成り立っているのです。毛細血管が隅々の細胞にまで到達して、疲れた細胞を癒す。血液には細胞に必要な栄養と酸素を運び、老廃物すなわち疲労物質を持ち帰ります。血液が大量に流れるのは睡眠時なのでとても良質の睡眠を得ることが大切になる。良い眠りは心の持ち方次第。私に突然に身に起こった出来事は、やはり睡眠不足がたたり、脳の血流障害。脳下垂体ホルモンは睡眠時に分泌される、成長ホルモンである。最も深い4度の眠りはこのホルモンから出る、抗利尿ホルモンであって、眠りが浅く、持続したものがない時は脳の浮腫が起こり、リンパの流れも停滞し、脳圧が上がり体の浮遊感や、左右の揺れに、気分は悪く、吐き気やおう吐の繰り返しになったのです。良い睡眠はとても大切。怒りも血管と肝臓を悪くし、悩みは胃腸を、悲しみは肺を、恐怖は腎臓を、突然の大きな喜び、興奮は心臓を悪くする。要するに宇宙の気のシステムに沿った生き方、自然体で暮らす、気を陰気にさせない。バランス良く太陽の如く、人を怨まず、明るく楽しく大笑いして生きる。それだけで病は遠のいて、進行も送らすことが出来る。又食べすぎは栄養過多になり、ガンの餌になり易く、血の巡りも悪くなり身体が冷え切って病の温床になる。肉類や脂ものに含まれるコレステロールと中性脂肪が悪さをする。正常細胞が脂肪分の打撃を受け、餌食になってしまうのです。生活習慣病に砂糖は禁物である。砂糖も脂肪分と同じように皮下脂肪に代わる。太る。血液もどろどろになり、血管の内空に付着し血流を悪くする。砂糖を取ることはカルシウムを減らすことになる、精神を乱し身体も心も狂わすのです。良い心と良い睡眠は健康を保つ上で最良の薬である。
2010.04.18
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病は気づきである 今までの生き方の総決算が病となっていること。これは教えとし生活のスタイルを見直せとの示しである。それを善き方に理解して、改めることを言っている。誰もその時々に、思いもかけない辛さや痛み食べれないようになったり、眠れないようなことに遭遇することは多々あるでしょう。辛抱することはいけないこと、身体は休養を言っているのです。お腹は休め、絶食を要求している。不眠状態は脳にとって最低最悪であるのです。仕事も大切であるがそれ以上に、健康体は自らの意思により作られ、無理な状態は滅びるもの。今日一日は何とかなっても、その先は倒れる。やり遂げたい気持ちと裏腹に身体の受け付ける要領は決まっている。もう病気など無縁と頭から病など端から徐外して生きてきた。やっぱり、という思いに神妙になり神様ではないことに気づき、とても賢い学びをいただいた。前兆らしきものが昨晩に少しあったが、休めば治ると何時もの軽い思いが知らせていたなど無視をした。何せ、宙に浮いた状態、宇宙ステーションの中はこんなんだろうか?でもものにつかまらないとだめだし、こんな状態ではないだろうな。気分が悪いんだもの。あれやこれや一人思い考える。脳圧が高くなってリンパの流れが悪くなり、吐き気、嘔吐、眩暈等の不具合だったのだ。今日は少しふらつきはあるようだが昨日のような強烈な症状はなくなった。早速どうしたんや、お店を閉めるなんて、旦那が悪くなったんやね!と思われた。とんでもない、旦那は身体を休めて、食べれていれば、病もそう大して悪くならない。私なんだよ!エッー、そうか、無理をしているもんなー。うん、ようわかった!話に花が咲き病院での一こまを喋る。それだけ話が出来たら、大丈夫と太鼓判を押される。なにしろ元気をもどし、良かったです。病は気付きであることを知るべきである。
2010.04.17
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何することもできない もうダメと思った一瞬。起き上がってからのこと、体がふらつき地に足がつかない。周りが揺れる。浮いてしまって左右前後に揺れる、自分も周りも回るようになり、急に吐き気と嘔吐で、今まで味わったことのない苦しさ、焦燥感を持つ。洗面器片手、吐いては回る天井に、自分の体が何もできない無様に、悲鳴状態。今日はお店どころではない。休まなくてはならない思いと、やりたい気持ちがあるが、現実は体が動かない。何とかなるかもしれない思いも交差するも、結局休むことにした。3時の昼からに耳鼻咽喉科に向かう。沢山な検査や診察は安心して身を預けること、信頼のできる医者であることにすぐわかる。開業医でありながら、多くの医療フタッフを抱えている、その一人一人に先生の手足となり、診察、診断、治療の処方をこなすだけでスムーズに流れが出来上がっている。全く持って合理的で卒のない医院であったと喜びで不安などかけらもない。心配していたメニエル症候群とは違う。睡眠不足による脳下垂体ホルモンが脳の機能、血液循環を阻害しているとのこと。深い睡眠が一番大切で、そのホルモンがすくなかったら脳は浮腫状態になり、症状となったと説明を受ける。電気眼振検査で少し悪値だったでわかったのです。血流を良くする薬の投与を頂いた。病になって初めて今まで過ごしてきた生活環境が悪いことを再認識させられ、反省している。お店だけでも大きい、そのうえで占いも大きな時間の負担である。少しゆっくりと時間を気にせずに生きなくてはと思う。絶対に大丈夫といつも自分を過信していた、ことに気が付き病は教えということ。感謝している。もう無理はしないよ。夜は11時には眠ることにする。ブログもちょくちょく抜いてもいいんだね。ありがとう。
2010.04.16
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シャコサボテンの植え付け シャコサボテンは秋口に咲き乱れて、シャコの形をして、美しい。艶やかで透明感があり長く咲き乱れ冬の花としては重宝である。今まで買っては翌年まで育て上げることをしたことがない。昨年は奮発して高価で良いものをご褒美として買い求めたものだから、頑張って増やしてみようと決意をする。予めネットで知識を入手、土や肥料の調達もした。今日は3枝間を残して、余りを切り取り10日陰干していたので、作業に踏み切る。良い天気だし思い切って外での"ままごと"は気持ちいい。空気もさわやか、愛犬達も久々の日向温もりをして長く伸び切って無抵抗なままで、とても満足している様子。暖かかったのか、日陰を求めて目を細めて居眠りをやっている。最高こんな時間が持ったことがない、花を触るのは日曜日と限定していたから。一番贅沢をしているようで満ち足り、今までに味わったことがない様な気がする。こんな楽園は命の洗濯以上に長生きを約束して生きる鋭気を培うようだ。追われない生き方ができ、仕事のある間に自分のことに没頭していることが信じられない。いつも公私混同をしたことがないんだもの。弾んで切り取った枝間を挿し目にする。まずミズゴケで3つをセットくるみ輪ゴムで縛る、9号様のポット、挿し芽用の土に挿す。そして風通しを考えて日影であることなので、処理の時に頂いたレンガを下にして10鉢あまり作った。幾ら育つか楽しみである。沢山すぎるが咲き乱れるなら幸せに越したことはない。観察もさることながら、育てるのは自分流では咲かない。大方の花は水や肥料に日照りとセットで難しくはない。いつなんどき、水や肥料や日照時間や葉の適芯やこま目に愛情を注ぎ過ぎても少なくても花目が付かない。繊細で気配りが居る花である。ちょっと難しいようである。咲せたいと思う、結果はお楽しみ。写真を見て、驚く位吸いこまれそう、原色の色がいい。花は育ててよし、性格が強制されて、依り美しいものに敬を表する気持ちにしてくれ、花に囲まれ、愛おしい心がより育まれる。
2010.04.15
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働く姿に心を奪われる 最近の不況の状態で、何も感じず、仕事をしない、やる気がしない、どうせマトモナ働き口がないにきまっていると、諦めていませんか。何でもいいのです働くことで世の中と繋がっていることに気がつき、そこに自分が必要とされているのが分かり、生きる喜びをあたえられるのです。消極的に生きる人や鈍感に生きる人いつまで待っても、手のひらに思いは乗らない。一歩進むこと、予期せぬことは持ち前の、明るさで、乗り切り、失敗はあって当たり前。その失敗がいつまでも繰り返すのはよくない。経験を積む中で成長があるのです。何もしないのは幼児のままで、自信を持つようにするには人の仕事をしっかり見ること、自分なりにイメージをしっかりして、そのノウハウを脳に叩きつけること。そのバーチャル、右脳を鍛えることは、実際に経験と同じぐらいに力を発揮するのです。仕事は心が紡ぎ出した糸で着物を織るのと同じ。愛する人に着せる着物を織りなすように、思いを込めて、自分の創りだすすべて、命を吹き込む意気を持つことである。人が先生であり、それを学ぶ姿勢が一番大切なのだ。お金は後で幾らでも付いてくる。なぜならば陰日向なく一生面命さが必ず評価されることを忘れないでね。出来ないと言って仕事をごまかしたり、いい加減な出来ばえは自分への刀で身を切りつけることになり、滅びることになるのです。良し悪しの判断は自分が下すのではなく、人が下すのです。頑張って、頑張りきり、仕事は与えられても、持続的に次の仕事があるとは限らない。今はそれなりに懸命にやるしかない。きっと生き残れるのは君のような真摯な心を持った者だけしか、今の世は必要としないのです。今の仕事が評価の的になる、それを忘れない気持ちを持つことが一番大切である。今日で事故の後の処理が完了した。私は監督を遠くよりさせてもらい、良い仕事をすることで頭が下がる思いをしました。雨で2日あまり日延べになって仕舞ったが、出来栄えは最高。請け合った仕事だけではない。黙々と座ったり立ったり、10時間余り、休憩はお昼のご飯少々だけ。作業の手順や仕事ぶりを余ったセメントは舗装の修理としての心がこもった仕事に感銘する。きれいに掃き清め、狭い範囲ではなく一面広く落ち葉までかたずけ、見ているだけで、良い仕事をいつも心掛けていることは読みとれる。こんないい職人を持っている建設会社の顔がみれる。教育はもちろん、人柄がしのばれ、又の時はぜひお願いしたいと思ったのです。観察して思ったのは相棒が自信の無さが如実に見て取れる。そして無気力さが見れるが、手を抜くことはせず、可愛さがあって、補佐役が一人ぐらい出来物の中にあってもいいのではないか。一杯仕事を覚え、いちいち言われなくても自らのセンスでやり遂げる日が来るだろう。それには逃げないこと、責任という積極的な仕事の絵を描くことにある。何かあったら仕事を頼むからね。楽しんで仕事をしてくださいね。ありがとう。
2010.04.14
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働くということについて 人は働いてこそ、大地と、大地の魂といっしょに歩むことが出来る。怠ければ、季節と他人になって、生命の歩みから外れてしまう。そうなったら、威厳と誇りを持って身を任せ、どこまでも歩んでいくことが、出来なくなってしまう。働く時は、人は笛になる。その心を通して、時のささやきが音楽に変わる。何の音も出せない葦になりたい人がいるだろうか。何もかもが声をそろえて歌っているときに。昔から働くことは呪いだ、汗水たらさなければならないのは不幸だと言われてきた。けれど働く時、人は、大地の遥かな夢の、その一部を実現している。その大きな夢が生まれた時から、割り当てられていたものを。人は働くことを通して生命を愛し、そのことで、生命の奥底に隠された神秘に隠された神秘に近づいていく。けれど辛さのあまり、生まれてきたことは苦しみだ。肉体を維持することは額に書きつけられた呪いだと言う人には、こう答えよう。その額の汗以外に、書きつけられた呪いを洗い流せるものはないのだと。人生は闇だともいわれてきた。疲れたときは、疲れた人の言葉をくり返してしまう。確かに人生は闇だろう、強い望みがなければ。強く望むだけでは何も見えないだろう、知識がなければ。知っているだけでは無力だろう、労働が無ければ。働くだけでは空しいだろう、愛がなければ。愛を抱いて働くことで、人は、初めて自分自身と、自分以外の人と、そして神とつながることが出来る。(カリール・ジブラン預言者より) 意味。働くことは自然の大地の教えに沿うていきることになっている。怠けることは生命のリズムから逆行すること。人は葦のようになりたくはない。河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。そのような無様な姿を望むのでしょうか。いや、労働は生命を愛し、強い望はすべて人とのつながり、大地をつながる魂が生命を育む。愛を抱いて働かなければ、働くことは辛く、呪いである。その働く意味は生命の根底にある。愛するものとともに歩むことは働きの中にある。
2010.04.13
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子供について あなた達の子はあなた達の子ではない。大いなる生命が自分自身に憧れる、その憧れの息子であり、娘たちだ。あなた達を通して生まれてくるが、あなた達から生まれるのではない。あなた達とともにいるが、あなた達のものではない。子どもに愛をあたえることはできても、考えまであたえることはできない。子どもには子どもの考えがある。子どもの体を家におくことはできても、魂までおいておくことが出来ない。子どもの魂はあしたの家に住んでいて、あなた達は夢に中でさえ、その家へは行けない。子どものようになりたいと願うのはいい。けれど、子どもを自分のようにしょうとしてはいけない。生命はあともどりも、きのうにとどまることも、しない。あなた達は弓だ。子どもはその弓から、生きた矢として放たれる。射ては、無限に続く道の先に狙いを定め、矢を速く遠くへと飛ばそうと、大いなる力であなた達をたわめる。大いなる射手の手のなかでたわめられている、そのことを喜びとしょう。飛んでいく矢が愛されているのと同じように、手もとに残る弓もまた、愛されているんだから。(カリール・ジブラン預言者より)意味を考える。この詩には深い意味がある。 大きなお腹に子どもを抱えて過ごし、小さな命を懸命に育てていると、ついつい子どもは自分の所有物のように思えてきてしまうのかもしれません。けれど、子どもは一人の人格。考えがあり、未来を生きる命。子供に対して全ての親が理解しておかなければならない基本の姿勢である。それはあくまで自立に対するトレーナーであるべきで、相互依存のためではない。ペット的に扱ったり、自分の私物とするのは言語道断。自分たちを通して子供は生まれてきただけで、自分ではない。愛情を与えることは出来ても、考えは与えることは出来ない。出来るのは考える、そして自立できるように導いてやるだけ。弓にたとえ、親は無限に生きていく力を授け、困難な状況にあってもたわわに、撓りながら、生き抜く智慧を与える。それは親の責任であり喜びである。親の援助をいつまでも受けない。親子を弓と矢の関係に例えるのは面白い、親と子供のあるべき関係を述べている。これでは弓の的を決めるのは、的は「自立」がということ 己から遠くに飛ばす、自立させる考え方としては良いのでしょう。
2010.04.12
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怒らないこと 人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り割くのである。「怒り」は、心と体を蝕み、自分と世界を確実に不幸にする害毒なのです。ノコギリで身を刻まれるときも、殺人者に怒りの感情を抱いてはいけない。怒りを正当化する余地はまったくない! 昨今では、怒って当たり前、ややもすると怒らないと不甲斐ないとでも言わんばかり。怒るのは簡単です。怒りっぱなしの人生はとても暗く苦しいもの。楽しく、気楽に幸せに、生きていきたいという夢を持ち続けたい。それがかなわない人は怒り漬けになっている。ブッダは、これに真っ向から反対します。怒ってよい理由などない。怒りは理不尽だ。怒る人は弱者だ怒らない人にこそ智慧がある。怒らない人は幸せを得る。怒りが幸福を壊す、拒絶のエネルギーが強烈になる。怒らない人、いちばん強烈な罰、それは無視。 怒りの治め方、自分の心にある「怒り」に気づくこと。無知によって感情に流され人生を失敗する人は、まず思考を直せばよいのです。怒るという感情をなくせば人は幸福になれるという。怒っている人には鏡を見せなさい、とも書かれている。我が子に「怒っているお母さんはおもしろい。」正にこれが鏡だと思います。欠点を気づかせる為に私の元に生まれてきたとも言えるかも知れません。今やるべきことに集中して 心を穏やかにたもち、嫌なことが起きても されてもそれを乗り越えるために生きている。怒らないことは感謝して生きていくしかない。
2010.04.11
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愛は自分自身をあたえるだけ 他には何も与えず、何も奪わない。なにも自分のものにせず、誰のものにもならない。愛は、愛だけでこと足りている。自分で愛の行方を決められると思ってはいけない。その価値のある人なら、愛のほうがゆくえを定めてくれる。愛は、愛が成就すること以外、何も望まない。けれどももし誰かを、何かを愛して、どうしても何かを望みたいときは、こんなことを望むことにしょう。この身が溶けて、せせらぎのようになって、夜の間も歌い続けることを。優しすぎることの痛みを知ることを。愛を自己勝手に理解して傷つき。それでも、みずから喜んで血を流すことを。夜明けには、翼を持った心で目を覚まし、又愛する一日が始まることに感謝すること。昼下がりには、安らぎながら、愛の恍惚を思い浮かべることを。夕暮れには、感謝の心で家に帰ることを。そして寝るときには、愛する者への祈りが心に、そして賛美の歌が唇にあることを。(預言者 カリール・ジブランより)感動しますね。与えるだけでいいのです。何も望まない愛。自らの心が愛する愛で心が満たされればすべていいのです。求めるから愛は破滅する。愛がすべてを押しのけて有るがままに事をなす。辛い愛も、傷つく愛も愛がすべてであって減るものでない。愛は自分自身が与えるだけ、何も求めない愛なのです。満たされ感謝する愛は人への温もりがある。愛は無形の幸せをもたらせてくれるとの教えなのです。
2010.04.10
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愛について (預言者) 愛に差し招かれたら、したがえばいい。けれど、その道は厳しく険しい。愛の翼に包まれたら、身をゆだねればいい。 けれど、羽に隠れた短剣で傷つくこともある。愛が語りかけたら、信じればいい。けれどその声が、庭を荒らす北風のように、夢をこなごなにすることもある。愛は、人を王にもするが、十字架にもかける。育てもするが、刈り込みもする。高い枝に登り、こずえの先の、陽を浴びてふるえる細い枝をなでたかと思うと、駆け下りて、大地に張った根をゆさぶる。愛は、麦をあつかうように、人を刈り取って束にする。さおで打って殻をはがす。ふるいにかけて、もみ殻を取る。臼で挽いて白い粉にする。水で練って柔らかくする。そうして聖なる火にくべて、聖なるパンを焼き、神の聖なる食卓に乗せる。愛はこのすべてをする。 (カリール・ジブラン)愛することと愛されることは素直な心にはぐくまれる。愛は安易なものではない。大変な過程を得て本物の愛が育てられる。打たれて熟成された愛となって行く。本物になるためにどんな状況でも耐え忍び良い状態になるための試練だとの教え。愛そのもののが語られている。憎しみもある。でも安らぎは愛が果たした結果だ。
2010.04.09
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今朝の夢 エプロンのまま、ちょっとだけのつもりが目をさましたのは朝の4時。寝床で眠る日が少ない。まあーいいか!今まででは考えられないこと。明日のことを考えて眠るんだけど、一番客が遅くなって、客の出足が遅くなったこともある。気が緩むことはかってない、ゆっくりできることは随分ご褒美を頂いているように感じる。どうしょう、遅れてはならない、迷惑などとんでもないと思っていた時期の気の張りは大変だったのです。意気込みが消え、自分の時間が確保出来て嬉しく思う。何かに追いまくられ、追われながらの仕事はストレスになっていたかも。今は楽しんで接待をして、仕事をしている感じは少ない。仕事がない、遊んでいるの言葉に胸を打つ。少しでもやるべきことがあるとは幸せなり。昨晩は事故の後のむき出しになった、レンガやフッエンスの破れから、花壇がむき出しで大きくなった草の茂みが気になり、夕方の6時過ぎから、大袋7杯分の草むしりをきれいにかたずけた。気になっていたが寒くって体が動かない。もう見て見ぬふりは出来ない、草の根っこが大きくなって、スコップで掘り返すこと、力に任せ、汗がしずくとなるぐらい良い運動をしたかな。もう限界、気がすむまでやってしまったのだ。満足の結果で疲れたのか、少しだけのつもりが朝になっていたわけ。そのあと30分だけちゃんとした状態で眠ることにする。寸暇ウトウトの最中に、見た夢はまぎれもなく、集中砲火の注丈。慌てるも、冷蔵庫に食材が入ってなく、することなすこと、失敗ばかり、少しもこなせず、焦りといら立ちで困窮して悲鳴を上げているどうしょう!あっー!怖い夢で目が覚めた。目覚めが悪く、もう朝から何もしていないのに疲れ切っていた。夢で良かったと安どする。浅い睡眠であったが脳の血量がすくなっかったんだ。しんどくて、夢の中で仕事がこんなに豪いと思ったことがない。夢で良かったと改めて思う。今日一日何もなく無事であることを願いたい。あまり脳の血流が良くないのかもしれない。体の使いすぎか?時々お店のことで沢山のオムライスの注文があった夢も思い出した。追われて仕事をしているが故に見る夢に違いない。もっといい夢を見たいのに。現実に即応した夢に笑いが込みあがる。
2010.04.08
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元気と飲食 養生訓、貝原益軒より 貝原益軒は1630年生まれ、貧窮の中で育ち母は5歳の時なくなり、継母も13歳の時死ぬ。家を大事にし仕事に勉強に励み生活は質素で禁欲であり、益軒のよき伴侶、助手である夫人は親子ほど離れていた。本は彼自身の生き方がそのまま養生訓になり、今でも通じる数々の薬学書の著作がある。「人の身は元気を天地に受けて生ずれ共、飲食の養なければ、元気飢えて命をたもちがたし。元気は命のもとなり。飲食は命の養いなり。この故に、飲食の養いは人生日用専一の補いにて、半日もかきがたし。然れども、飲食は人の大欲にして、口腹の好む処なり。其このめるにまかせ、欲しいいのままにすれば、節に過ぎて必ず脾胃をやぶり、諸病を生じ、命を失ふ。」要約すると人の体は元気を天地から受けて生まれてきたものであるが、飲食の養分が無ければ、元気は飢えて生命をたもつことはできない。飲食は生命の養分である。だから飲食の養分は毎日で一番大切な補いで、半日も欠くことはできない。というのは、飲食は人間の大欲であって、口や腹の好みに任せて貪ると、度を越して必ず胃腸をそこない、病気をおこし、命を失うことになる。もともと養生の道には、食欲、色欲などの内欲を抑えることが根本である。この根本をしっかりやれば元気は強く、風、寒、暑、湿の外じゃに冒されることがない。内欲を慎まないで、元気が弱いと外じゃに冒されやすく、大病になり、天命を保つことが出来ない。色欲を慎んで、精力を惜しみ、寝るときでもないのに横にならない。長く眠ることを避け、長く楽に座ったりせず、ときどき体を動かし、気をめぐらすことである。ことに食後は数百歩あるくのが良い。もし長く楽に座っていたり、食後じっとしていたり、昼寝したり、食物の気がまだ消化しないのに早く床に就いたりすると、体に停滞が起こり、病気となり、それが積もり積もると、元気が無くなり、体は消耗してしまう。このように現在の生活をいさめ、あるべき姿を提示している。とても学ぶことが多いものである。
2010.04.07
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心と血流 心が血の流れを左右している。いつどこもどんな時でも平常心をつくることは、一生の課題であるといえる。心の持ち方次第で、結果はすべてついてくる。強度の不安や失望は急速に病の温床なりマイナス思考が自分にまとわり付いてくる。さまざまな病気の温床、ストレス社会が未病となっている。国民の大半が多かれ少なかれうつ状態にある。100年に一度の不況今うつの傾向はおおくあるのです。心と血流の関係は深いつながりがあり、科学的な根拠がある。「心は血流と深い関係にある」 心には血液の循環を大きく左右する力があるのです。高血圧の人が怒ったりイライラしたりすると、さらに血圧は上がり危険になることがある。怒るなどのストレスが血管を収縮して狭くなるので血流が急流になり、血圧が上がる。上がるだけでなく急流に耐えられなくなると破れる。脳卒中などになる。そのメカニズムは交感神経の時は血管を細くし、血流が悪くなり、ストレス状態は血の流れが悪くなっている。副交感神経はリラックスをしているときの状態、血流が良くなり、食欲や、笑った時や楽しいに副交感神経が働き、血の流れがよくなっている。自律神経の働きは自分の意思にたよるしかない。又血液の質や流れも人の生命力を左右している。赤血球は直径8ミクロンです、毛細血管の最も狭い、細いところは直径3ミクロンだそうです。それでも赤血球は変形しながら毛細血管に侵入していくという。ストレスで血管を細くしたり、閉じたりすると、赤血球はその先に進めなく細胞に栄養や酸素が運べなくなり、致命的な打撃を受ける。傷んだ細胞は修復できないまま、ガンの増殖も許してしまうのです。いかに血流は心が握っているのか、読み取ることが出来ます。心の平安に尽きるのです。病気をしない人はそれなりにコントロールできる心を持っている。精神の修行ができ、如何に生きるか身を持って知っている。
2010.04.06
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お疲れさま 長い闘病生活を支えた、87歳の旦那さん。以前にブログでお話をした、昨年6月に登場したおじいさんである。奥さんの介護から手が離れたということでいらした。ずいぶん日があいているがお元気そうでなにより、若い男性に乗せてもらって見えられた。息子さんかと思ったが近所の方だとか、無職でいるから、アッシーとして用を足すとき利用しているという。相変わらず、手回しがいいのに笑ってしまう。それが前向きに生きる元なのだ。弱気もなくお尻を触りに来る。長生きに秘訣が隠されているのを垣間見た。お金を上手に生かし切って、魔法のように使い方がいいのだ。だれもお金を撒く人のところに寄ってくる。良い気分をお金が演出して、その家族までがお爺さんを応援している。一人息子は東京にいて面倒は見ることができないことを悟っている。可愛く生きるための学んだ智慧がたくさん読みとれる。小柄で金離れが良く、気風もいい。人に好かれるのは金を惜しまないから、好きな時好きなように生き、そのための人と車を確保して、まだまだ頭は回転している。しばらくは奥さんの待っているあの世とは無縁であるよね。痴ほを患っても動けない状態なので食べること、排せつの世話、身の回りにことは24時間ヘルパーさんを向かい入れている。最後は肺炎を患い入院をしたが、運よく奥さんの死に目に会え、無意識な状態なのに強く手を握り締めて、言葉にならない口元が"ありがとう"の口調だったと満足げな表情で最後の別れを遂げられた。人は生きている間満足な生き方をして、足らない分がある限り死ねないのだと思ったのです。旦那は奥さんにそうそうたる我慢をしいて、病気で看病しなくてはならない状況に追いやられた。11年の歳月が奥さんに返さなければ年月、やっと解放され思い残すことはない。後は自然に分の限り生きて自由に思いのたけをやること。誰かが言った、元気な時から5分後に亡くなるのが理想だって。そうなりたいもの一生働き休む間もなく、アッという間に亡くなるのが良い姿である。惜しまれ、もっと生きてほしいと願われてこの世を去る。辛い病や生き様が困難ではきっとこのような去り方は難しいでしょう。生き方の問題が最後に繋がるのです。
2010.04.05
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