南カリフォルニアの青い空

南カリフォルニアの青い空

2024.11.30
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宴(うたげ)

 祖母はパーティーの事を宴と言っていた。明治時代の華族に生まれ『乳母日傘』で育ち、大富豪の長男で海軍士官だった祖父に嫁ぎ四十歳近くまで子供ができなかったから贅沢三昧の人生を送っていたらしい。

 一方、戦後の貧乏国に育った私は中学の終わりころまで自分達の家もなく、借家または間借り生活ばかりでアルバイトもしたし、疎開先から東京に戻った頃は三度の食事も一品のおかずで育ったので、祖母の話は疑わしくもあり、楽しくもあった。

 祖母の口から、カツさん、ダテさん、トクガワさん、フシミさんとかいうのを幼少時代から『音』で聞いて育ったのだが、私の耳には、魚屋のヨシさん、床屋のみっちゃん風呂屋のトラさん、とかいうのと変わりなく聞こえていた。中学、高校時代になって歴史の教科書に聞いたような読み方の漢字が出てきた時も、暫くはそのコネクションに気付かなかったものである。それが勝海舟、伊達政宗、徳川将軍家、伏見の宮家という歴史上の人物の親族の話である事が分かったのはずっと後であった。

 更に、祖母の父親が爵位をとる少し前に永眠した時は天皇陛下の使いが葬儀に参加したことも結婚後アメリカに来て、パソコンをとおして巡り合った親戚が当時の新聞記事や地図などを送って来たことによって実証されたのだった。江戸時代の手描きの地図には土地の持ち主の名前が書いてあったので、祖母の生まれた家が何処だったかもわかった。そういうわけで、還暦を過ぎてから祖母の言ってた話は全部本当だったのだと知ったのである。

「誰それさんのお庭は、今では椿山荘や新宿御苑みたいな公園になってしまった」とか「西郷さんのお庭には自然の滝が流れていたのよ。今では川も谷も全部地下にもぐってしまったけど」とかいう類の話も、ハイライズのビルや交通渋滞を見て育った私には想像が難しかったが、今回はその祖母から聞いた『宴』の話を書いてみる。

 鹿鳴館と言えば、明治時代では社交界のトップに挙げられる迎賓館的な建物だったことは歴史にも残っているが祖母は何度も行ったという。

「とくに舞踏会は、それはそれは盛大でね。外国人が来るというのでローヤルデコルテで参加なさった方もいらして、びっくり。今でも忘れられないのは、柴山海軍大将の奥方がお召しになっていたローブ。それはそれは見事でね、目を見張ったものよ。薄いレースの髪飾りに、なが~い絹のお引きずり。ドレスの前にはデイジーの花がちりばめてあって、その真ん中に電球がはいっていてチカチカと点いて奇麗だったわ」というのを聞いた時、まだ13,14歳だった私はディズニーアニメのシンデレラみたいだろうと想像していた。因みに柴山海軍大将は父方祖父の又従兄であった。

 母が最後にカリフォルニアの我が家に来た時持ってきた祖母のアルバムをめくっていた時、それと思しき写真が現れた。「あら、もしかして、これおばあちゃんが鹿鳴館のパーティーで見た柴山さんの写真じゃない?まるでウェディングドレスね。しかも、この花の真ん中にチカチカと明かりが灯ったなんて、かなり悪趣味ね」などと軽口をたたいたのだった。つまり外国の風習もよく理解していなかった百年前の日本人には、素晴らしく見えたのであろうが、西洋人がみたら吹き出したかもしれない。西洋人の着物姿を笑う日本人と似ている。しかし人間はこうやって互いの文化を学んでいくのだろう。

 個人的な『宴』の話をしてみると、華族の殆どは能楽をやっており、明治、大正時代の祖母達の宴もハンパなく贅沢で「伊達さん、志賀さんと私の三人で三番叟(さんばそう)のお披露目をしようという事になって、おそろいの着物と帯をつくらせて三百人招いたのよ」と、いとも簡単に言っていたが、その一度の宴の為に着物と帯をあつらえたと言うのである。(三番叟の意味に興味のおありの方は、ウィキペディアをご覧になっていただきたい)私のように、我が家の集まりにワインを一本にしようか二本にしようか、などと迷ってる人間には とうてい想像ができない贅沢さである。第一、数百人も集まれる大広間などない。

 ちなみに上に書いた伊達さんというのは仙台の伊達政宗の子孫で、伊達家のお姫様であった。政宗は何事にも派手で、『だておとこ』という言葉が生まれた位であるが、数百年後の伊達家子孫で祖母の親友だった人も可なり派手だったという。祖母は、「やすこさん」と呼んでいたが、そのやすこさんが男勝りで祖母の事を気に入ってしまったらしく、「やすこさんね、ふざけて結婚式やろうといって友達を大勢招いて、結婚式を開いたこともあるのよ」という位派手であったそうな。祖母は既婚者だったが、やすこさんは生涯独身を通したそうだから、ひょっとしたらレスビアン的な関係だったのかもしれないなぁと思っている。

 『どこでもドア』で現実に戻って夢をつぶすようで申し訳ないが、数日前に一週間我が家で過ごしたヨーロッパの娘の為に、さよならパーティーをやったばかりである。普段着で客に手伝わせたり皿をさげさせたりする形だが、気取らず実に平和で楽しい集まりだった。そして我々はその残り物でこの数日暮らしている。つまり我々のパーティーは、誰にでも手軽に出来る一番好きな『宴』である。







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最終更新日  2024.11.30 10:34:44 コメントを書く


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