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【孤独になっても、孤立してはいけません】 ●この世には、自分と他人しかいない。 自分はひとりで、その他のすべてが他人である。 だから、利己主義で生きていると、孤立してしまう。 そうならないように、徳、つまり他者のために自己の最善を 尽くし切って生きていきなさい。 (老子の言葉より)________________________________________ ●人間、孤立するほど恐いことはありません。 本当に孤立してしまったら、衣食住もままならなくなります。 「お金さえあれば大丈夫」と思いますが、それでは甘すぎます。 孤立するというのは、誰からも一切の援助が得られないことです。 だから現実に、孤立して生きている人はいないのです。 誰もが、いつだってほかのだれかと、何かとつながっているから 生きていられる。そこを、忘れてはいけません。 他者とのつながりを、ないがしろにしていると自分の利益のこと ばかりを考えて、利己主義になり、孤立してしまいます。 そこで問われるのが「徳」を身につけているかどうか、です。 徳とは、利己主義ではなく、利他主義で生きるように努めること。 そういう人なら、何かあっても人は協力を惜しみません。 孤立せず、多くの人たちとつながって生きていけます。 (参考文献:田口佳史「老子の言葉」三笠書房)________________________________________ *たとえひとりぼっちになっても、孤立さえしなければ、まわりの 人たちとつながることはできる、という教えです。 さらに言えば、自分からまわりの人のために生きていくことが、 最高の生き方になるということです。
2017年05月15日
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【気まずい相手と話す時は】 ★渡部 卓氏の言葉から― ◎相手に言いにくいことを言わなければいけないとき、断りにくいことを 断りたいとき、相手が怒っているとき、気まずい雰囲気で話をしている とき、相手のどこを見て話しをすれば良いか困るものです。 相手の目をしっかりと見返す気の強さを持っている人なら良いのですが、 心が折れやすい人の多くは自分を責めやすい人であり、相手をにらみ つけることなどできない人です。 相手から「目をそらさないで!」などと言われると、日本人のほとんどが ドキドキしたりして、とても居心地が悪いものです。 相手が怒っていて、にらみつけたりでもすれば、胃がキリキリと 痛みますね。 そこまで気まずい状況でなくても、シャイな性格で、相手の目を見るのが 苦手な人もたくさんいると思います。 そこで、良い方法があります。何も相手の目を見る必要はないのです。 相手の鼻やあごを見ればよいのです。 相手が男性ならネクタイの結び目を見ていてもかまいません。 鼻やあごや首元を見ていても、相手から見るとあなたの視線は目を 見返えしているように見えるのです。 社会人にも学生にも「相手の目を見て話すのが苦手なんです」という人 が多いので、わたしはよくこのアドバイスにそって、実際にその場で ペアをつくって練習をしてもらいます。 そして「できました。気が楽になりました!」と、とても好評です。 視線をわずか10センチほど下げるだけ。 それだけで気まずい対人関係が楽になります。 (参考文献:渡部 卓著 「折れない心をつくるシンプルな習慣」日経ビジネス文庫)________________________________________ *相手の目を直接見ないで話す、これは人見知りしやすい人にとっても 効果的だ。 このやり方は、心理療法にある、行動療法というものに当る。 これを、習慣化できるようになると、自分に自信がつくことにもなる。 自信がつけば、物事の見方、とらえ方も変わってくるに違いない。 そして結果的に、認知、すなわち受け止め方のクセを変え、心の状態を 変えるという認知療法になる。 プレゼンテーションのときや、多くの聴衆の前で話すときは、目の前の 多くの人の顔を見るより、遠くの方にある会場の入り口付近に目線を もっていくと緊張しにくいそうだ。 慣れてくると、逆に聴衆の顔がよく見えるようになり、その表情や 雰囲気を素早く感じとることができるようになるという。 噺家などの人は、そういう経験を積んで自分の芸を磨いていく。 これは、一般社会の人にも共通していえることで、自分の苦手な分野 にも、行動を変え、物事の見方を変える習慣を、身につけていけば 人生も広がってくる。 一度に変える必要はなく、少しずつでいいから変えていく。 これが、自分に成長につながっていく。
2018年10月30日
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【感情の二層構造】~「一喜一憂する自分」と「淡々としている自分」の二層構造を作っておく~ ★斎藤孝氏の言葉から― ◎気持ちがいつも安定していて、ストレスが少ない人は、感情が二層構造に なっているような気がする。 二層の上の方は、その時どきの出来事に反応して一喜一憂するが、下の方 は「変化しない自分」が淡々として存在し続けている。 一層しかない典型が、リオのカーニバルかもしれない。 カーニバルの最中は思い切りはじけるが、そのあとの虚脱感がすさまじい らしい。 祭りが終わったあとのリオの街の寂寥感、虚脱感は経験したものでないと わからないくらい寂しいものだそうだ。 何か一つ達成したことによって、虚脱感や気のゆるみに襲われる人は、 限りなく一層型のタイプに近いから、気をつけたほうがいい。 私は一層目の「やった、やった~!」という達成感の余勢をかって、次の ものに気持ちを進めるようにしている。 一層で燃え尽きない工夫である。 よくスポーツ選手でも、優勝した翌日はもう「次の試合に備えます」と 言って練習を始めるが、これも達成したあとの気のゆるみを生じさせない 知恵だろう。 先日、宝塚の男役トップスターの水夏希さんと対談をした。 宝塚の場合、一つの舞台のために、ものすごく準備をして練習もする そうだ。 そしてやっている最中は、芝居にどっぷりつかって、エネルギーを燃焼 しつくす。 だが終わったあとは「おつかれさま」という感じで、すぐ次の舞台の 稽古に入るという。前の舞台のことはほぼ完全に忘れるそうだ。 つまり「仕事をする」ということにおいて、変わらぬものが地下水の ように流れている。 一層目:そのつど目の前の舞台に没頭して、出来不出来に一喜一憂する。 二層目:トップスターとしての、宝塚を支えるという変わらぬ意志。 という構造だ。 宝塚の人たちにとっても、宝塚という舞台を背負う責任感や志、仕事の 倫理観があって、それが二層目に流れている。 だから一回一回の舞台で一喜一憂する一層目の自分と、もう少し下のほう で、そんなことに流されてはいられない、責任ある二層目の自分との 二層構造になっている。 それがあるから、あれだけ華やかな舞台が終わっても、リオのカーニバル 状態にならずに、次の舞台に向かう前向きな気持ちが生まれるのだ。 つまり目先の一層だけではなく、変化しない二層目を築いておくことが 大切だ。 (参考文献:斎藤孝著「脱力すればうまくいく 前向き力」ちくま文庫)________________________________________ *感情を二層構造と考えたらわかりやすい。 表面は、風や嵐にあうと揺れたりするが、その下は根っこのように ブレないでしっかり支えている。 一喜一憂することはあってもおかしいことではない。 しかし、それがすべてではなくて、その底流には確たる自分自身が 存在する。 もし、自分は「一喜一憂しやすいところがある」、と気づいたらその奥に ある変化しないような自分に変えていけばよいのだ。 そのためには、変化しやすい感情を意志の強化で安定させることだ。
2018年02月22日
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【なぜ報われない? と思う前に】 ★たかたまさひろ氏の言葉から― ◎正義感と責任感。 言うまでもなく、これらは人間にとって非常に重要なことです。 正義感のない人は、自分が得をするためなら「悪いことをしても、見つから なければよい」と考え、利己的になりがちです。 また、責任感のない人は、自分を守ること、面倒から逃げることばかり考え 自分の怠惰が他人に迷惑をかけているという意識がありません。 正義感と責任感は、一人前の大人として認められるための最低条件でしょう。 しかし、これらは、「確固たる自己」が形成された結果として、自然に生じる べきものです。 自分に自信のない人が、やみくもに正義感や責任感で自分を縛りつけること はよくあります。 自分は、会社で与えられた仕事を責任もってこなしているのに、まったく 報われない。 母親として、妻としての務めをきっちり果たしているのに、夫は評価して くれない。 責任感の強い人ほど、激しいストレスに悩まされてしまいます。 もちろん、自分に与えられた責任を果たすことは、それだけを取り上げて 考えれば、決して間違ってはいません。絶対に正しいことです。 しかし、「自分は間違っていないのに、なぜ報われないのか」という、他人 への怒りに悩まされてしまいます。 そこで、原点に立ち返り、「何のための責任感か」ということを考え直す 必要があります。 責任感それ自体は正しいことなのですから、改めることはありません。 しかし、責任感とは、「自分自身への誇り」の自然な結果として生じるもの なのです。あくまで、心豊かに生きるためのものです。 自分の不安をごまかすものでも、他人を批判するためのものでもありませ ん。 責任感がかえって自分を苦しめるなら、やはりその動機が間違っています。 自らの意志で責任感を「もつ」のではなく、「もたされている」という意識 だと、結局、「自分だけが我慢している」という不満を抱いてしまいます。 自分に誇りをもっている人は、むしろ正義感や責任感というものに、ことさ らに意識することなく生きています。 (参考文献:たかたまさひろ著 「こころのおそうじ」 だいわ文庫)________________________________________ *正義感や責任感を、心豊かに生きるためのものとして意識するのは結構 難しいことです。 もともと、人間にはそうしたものを本能的に備えもっているとはいえ、 自己防衛のためという場合が多いからなのかもしれません。 ただ、著者がいうように、「自分に誇りをもっている人は、正義感や責任感 をことさら意識しない」ということには同感です。 自分に誇りを持っている人は、他人に対して寛容性があります。 極端ですが、正義感や責任感を振りかざす人に対しても、「そういう考えを もつ人もいるんだな」と、とりあえず受け止めることができます。 それと同時に、正義感や責任感を大げさに振りかざす人に対して、あえて 自分の正義感・責任感で立ち向かうことの愚かさを知っているからでもある でしょう。 また、これらの正義感や責任感を、情報発信力という武器を使い拡散する人 もいます。 もちろん、そうした人たちの中には、社会をよくしたいという善良な考えの 持ち主の方がいることも事実です。 私たちが生きやすい社会をつくるには、やみくもな正義感や責任感を叫ぶの ではなく、自分の足元を見て冷静な判断をしていくことも大事なことだと 思います。 まず、自分自身が、自分に誇りを持てる人間になれるように心がけていき たいものです。
2019年06月17日
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【自分らしく主体的に生きる】◎ある高校の職員室に2年生の男子生徒が、担任の先生に相談をしに来ました。 ふだんは快活な生徒は元気がありません。 「どうしたの? 相談したいことは何?」と先生は問いかけます。 「先生、僕はなぜ、勉強しなくてはいけないのですか?」 「何を言ってるんだ。勉強しないと、希望の大学に行けないし、いい会社にも 就職できないじゃないか。よけいなことを考えずに、勉強に集中しよう」 先生はそう答えたものの、よく考えると最近その生徒の成績が少しずつ落ちて いることに気づきました。 何人かの同級生から追い抜かれている状況でした。 彼の家は、母子家庭で母親の期待も大きく、本人もその願いに応えなければ、 というある種の責任感を背負っていたのも、先生は知ってはいたのでした。 先生は、小さい頃、テレビで放映されていた一休さんの番組が好きで、その 影響もあり一休禅師の本も読んだりしていました。 先生は家に帰ると、一休禅師の教えに、生徒の指導に役立つものはないかと 本を開きました。 その中に、一休の次の言葉に目がとまりました。 そのままに 生まれながらの 心こそ 願わずとても 仏なるべし 意訳ですが、 「自分らしく生きることを心がけなさい。そういう生き方をしていくと自然に 仏のような自在の人生を送ることができる」 というものです。 生徒は、母親の期待に応えよう、むしろ、応えなければという気持ちがあり、 それが、成績が落ちていくことに不安になり、リラックスすることを忘れて いたのではないか、と先生は気づきました。 数日して、先生は生徒に会って話しました。 自分が将来やりたい仕事があるなら、もう一度考えてみること。 お母さんの期待に応えなければ、と自分を追い詰めないこと。 人生は、自分の主体性を持って生きると頑張ることができること。 このことを、生徒に伝えました。 その後、生徒は大学の経済学分野を目ざしていましたが、文学の道を歩みたい と文学部の志望校に変えたそうです。 成績は以前のレベルまで戻り、表情にも笑顔が見られるようになったとの ことです。 人生は自分がどう生きたいか、という主体性が大切です。 それが、自分らしく生きることにつながるものです。 それは、年齢に関係なく、定年後に新たに起業する人も多く見かけます。 自分らしく生きるには、いつからでもスタートできるのです。 (by ハートリンクス)
2020年03月18日
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【捨てたほうがよいもの】◎~自分らしい生き方をするために、捨てたほうがよいもの ・自分にはできないこと ・あきらめるしかないもの ・自分には似合わないもの ・飾り上げていたもの ・無理をしていたこと~ (斎藤茂太) これらのことをしばらく考えていると、逆に自分らしさがなくなるのでは ないかと思ってしまいます。 そして、次のような反論をしたくなります。 自分にはできないと思うより、できると信じることも必要ではないか。 あきらめるより、あきらめない気持ちは持っておくべきだ。 自分に似合わないことでも、やってみたいと思うこともあるだろう。 自分を飾りたいという気持ちが、やる気を起こすこともある。 少々の無理はみんなやっている。 などのことが思い浮かびます。 しかし、斎藤さんが言いたいことは、いったん全部捨ててみて初めて、自分 が本当にしたいこと、やりたいことが見えてくる、ということです。 あれもしたい、これもやってみたい、周囲からよく見られたい、など何かを 抑えながら、自分以外のものに自分を合わせようとする人が、心の不調を 抱えるという、斎藤さんの医師としての目線があるのでなないでしょうか。 自分らしさとは、他人がどう思うかよりも、自分はこうありたいと思える 生き方です。 それが、個性というものでしょう。 自分は無理をしていないか、それは無理をしているのに、無理をしていない ふりをしているだけではないのか。 心が悲鳴をあげる前に、自分自身をいたわることも必要です。 (by ハートリンクス)
2020年04月17日
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【三感力】 ~「運感力」「喜感力」「恩感力」~ ★西田文郎氏の言葉から― ◎本当の成功者というのは、3つの感じる能力を持っています。 「三感力」とは、運感力、喜感力、恩感力のこと。 私がつくった造語です。 〔運感力〕 運の強さ、運の良さを感じる力のことです。 成功者は、うまくいっているときはもとより、窮地に立たされているとき でさえ、「自分は運がいい」「自分はツイてる」と口にします。 この能力が高いと、「どんな困難でさえ、自分なら乗り越えられる」と 自分を信じることができます。 「自分には運がない」と思っている人は、仕事に対する信念、やり遂げる 執念が稀薄です。 〔喜感力〕 人を喜ばせる力、人の成功や幸せを喜ぶ力のことです。 この能力が高いと、「どうすれば、人を喜ばせることができるか」を 考える習慣が身につき、斬新なアイデアやヒラメキが起こります。 〔恩感力〕 恩を感じる力、感謝する力のことです。 成功者の陰には、功労者、援助者、犠牲者がいます。 その人たちへの感謝の気持ちがなければ、「人間的成功」は望めません。 なぜなら、成功できたのは、「必要なときに、必要な人」に支えられた 結果であり、自分ひとりの努力だけでは成し遂げられないからです。 とんとん拍子に進んだ経営者は、ひとりもいません。 必ず一度は途方もない苦しみにを経験している。 途方もない苦しみにみまわれたとき、「恩感力」を持っていれば、必ず 誰かが手を差し伸べてくれます。 (参考文献:西田文郎著 「一瞬で人生が変わる 恩返しの法則」 ソフトバンククリエイティブ)________________________________________ *この、三感力の中でいちばん難しいのは、恩感力にある感謝すること だと西田氏は述べている。 私たちは、頭では感謝しているけれど、心からの感謝の感情は動いて いないという。 だから、心の底から感謝の心に気づくためにしなければならないこと、 それは「行動」であると述べている。 感謝という感情を行動に落とし込まなければ、本当の感謝ではない。 そのためには「恩返し」をすることが一番だという。 私たちは、誰かのおかげ、何かのおかげで生きている。 この事実は変えようがない。 ご恩を返すことは、モノで返すこともあるかもしれないが、言葉で きちんと伝えることも大事なことなのだ。 気持ちのこもった言葉を、きちんと伝えるという行動ができる人間で ありたいものだ。
2018年04月07日
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【短所は長所のこやし】 ★最福寺法主・池口恵観師の言葉から― ◎仏教の教えでは、“真理”や“悟り”といったものは、知らないものや 遠くのもののなかにあるのではなく、意外なほど身近にあるものだと いわれます。 お大師さま(空海)は、次のように説かれています。 「真理は遠いところにあるのではない。自分のうちにあるのだ。 悟りも外にあるのではないのだから、自分以外、どこに求めることが できるだろう」。 誰でも自分の長所、短所については自覚しているものです。 しかし、物事がうまくいかなくなると、短所ばかりが意識されてしまう のではないでしょうか。 短所ばかりがクローズアップされるあまりに、長所はぼやけてしまう。 「自分は引っ込み思案で、人づきあいも下手。人前では意見もはっきり 言えないし・・・・」 短所ばかりをあげていけば、誰でもダメ人間になってしまいます。 しかし、この世の中どうにもならないダメ人間などいないのです。 伸ばすべき長所が、自分の中に見つからない人などいないのです。 不思議なのは、短所は長所の邪魔をしているどころか、こやしのように 長所をさらに伸ばす役割をしていることです。 それは樹木の下に茂る雑草にも似ています。 樹木を育てることを考えれば、雑草など無用のもの。はびこれば樹木の 栄養分を奪うことにもなるし、さっさと刈り取ってしまえばいい、という ことになります。 しかし、それは短絡的な見方でしょう。 じつは、雑草はひとまず放っておいて、とにかく樹木を育てることを 考えるのがいいのです。 雑草に栄養分を取られるなら、そのぶんよけいに手をかければいい。 もちろん雑草も育っていくわけですが、樹木が大樹になり、枝いっぱいに 葉を茂らせるようになったら、雑草は日陰の中で衰え、やがては枯れます。 樹木は長所、雑草は短所です。 短所に目を向けるより、長所を伸ばし活かす生き方のほうが、長期的に みれば、いい結果をもたらすのです。 (参考文献:池口恵観著「空海・折れない心をつくる言葉」三笠書房)________________________________________ *長所と短所は、コインの裏と表、という例えをよく耳にすることがある。 これは、“表裏一体”というように考えれば、長所も短所もお互いが それぞれにとって必要なものであるということになる。 長所というのは、短所があってのもの。 また、短所も長所があってのもの。 どちらもなくてはならないものだ、と思えば短所は長所の肥やしとなる いう考え方にも納得がいく。 やっぱり、物事はとらえ方しだい、ということなのだ。
2017年12月03日
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【自分に対する見方を変えてみよう】 ★境野勝悟(さかいのかつのり)師の言葉から― ◎『一心上乗なり』(いっしんじょうじょうなり):道元禅師 〔一心:大宇宙の生命のこと 上乗:その上に乗っかっていること〕 船に乗って、急流をすーっと下ってゆく。 両側の岸ばかり眺めていると、いつのまにか両側の岸が、どんどん 後ろへ動いていると思ってしまう。 「あれ、岸が動いている。おかしい」と感じて、目を船のほうへ移して くると、船が川の上を走っていることに気づき、自分も船に乗って進ん でいることがわかる。 道元は、こんな例え話をしながら、人間は目まぐるしく変化する世間の 上に乗って生きている、世間の上で生きていると思っているが、そうでは ない。 自分の目を外界の世から、自分の体に移してみよ。 自分が宇宙の生命の上に乗って、宇宙の生命とともに生活していることを 実感せよ。 「一心」とは宇宙の生命、仏性である。 「上乗なり」とは、その宇宙の生命の上に乗っかって生きている、という 意味である。 目を自分の体に向けて「一心上乗なり」と大宇宙にまたがって生きれば、 世間でうけた悩みや苦しみは、あっという間に消え去る。 ところが、目を自分に向けよと言われても、世の魅惑にはなかなか勝てず、 つい外を向いて引きずられる。 (参考文献:境野勝悟著 「道元・禅の言葉」 三笠書房)________________________________________ *私たちが、「生きている」ということを考える時は、仕事に追われ、 育児に追われ、家事に追われているという現実の中にいる自分を、認知 しての自覚である。 道元禅師は、そうではなく宇宙の生命とともに生きている自分自身を 認知しなさい、と説く。 その自覚ができれば、日々の悩みや苦しみに振り回されることもないの ですよ、ということなのだ。 しかし、この考え方を信念として生きていくことができないところに、 人生の意味がある。 何かの問題に出会った時、自分に対する見方を変えてみるよい機会では ないか、世の中への見方を変えてみるチャンスとらえたい。
2017年12月08日
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【人の気持ちが分かるには経験も必要】 ★心屋仁之助氏の言葉から― ◎自分が今体験している気持ちや苦しみ、楽しさを、誰かに聞いてもらって 分かち合いたいのに、わかってもらえない―そんなときは、ちょっとつらい ものです。 「そのぐらい、何ともないでしょ」「もっと、がんばれよ」 自分がなかなか前に進めないときに、こんな言葉をかけられて、悔しい思い をすることもあるかもしれません。 しかし、あなたももしかしたら、励ましの言葉をかけたつもりが「なんで、 わかってくれないんだろう」と相手に思われていたことが、あったかもしれ ません。 他人の気持ちや言葉を「わかる」ためには、経験が必要です。 それは「痛い目を見る、悲しい思いをする」というしんどい経験かもしれない し、「がんばったことが結果としてついてくる。人に感謝される」という嬉し い体験かもしれません。 いずれにしても人は、自分自身が「体験」したものしか、本当はわからない ものです。 つまり今、目の前にいる人が、あなたの言葉や気持ちが「わからない」「理解 できない」のは、まだ、そのために必要なことを「経験」していないから。 経験値が違えば、理解度にも違いがでてくるのは当たり前。 たった、それだけのことなのかもしれません。 僕自身も、クライアントさんの「怖さ」と「勇気をだせないこと」を感じた くて、バンジージャンプに挑戦したことがあります。 でも、実は怖すぎて飛べませんでした。ええ、三度も挑戦しましたが全滅 でした。 このときはじめて、「なかなか勇気を出せない人の気持ち」を体感できた気が します。 「勇気を出す」って本当に怖いですよね。 それ以来、クライアントの心にもう一歩近づけた気がします。 また、人には「成長の速度」にも差があります。男女の差や育ち方の差に よっても、相手を理解するのに時間がかかったりするものです。 そんなときには、必死に伝えようとしても、「言葉が耳に届かない」ことも あります。 だから、「なんで、こんなこともわからないんだろう」「なんで、わかって くれないんだろう」「誤解されて、悲しい」 こんなふうに感じてイラだったり、落ち込んだりしたときには、 「そうか、まだわからないんだな」「まだ、経験していないんだな」という だけのことなのです。 だから、躍起になった説明する必要もないし、誤解を解こうとしなくても いいのです。 時が経てば、経験を積めば、立場が変われば、わかってもらえるときが、 きっとくるのです。 それまでは、「わかってもらえない」ということを受け止めてみましょう。 そして今、自分も「理解されないという経験」を積んでいる最中なのです。 (参考文献:心屋仁之助著「心が凹んだときに読む本」王様文庫)________________________________________ *私たちは、時によって自分の気持ちを誰かにわかってほしい、と願うこと もあれば、相手から「私の気持ちをわかってほしい」、と望まれることが ある。 いずれの場合でも、その時のポイントになるのは、「自分の経験」である。 自分が経験したことの中で、忘れることもあるが何かの時に、同じような ケースを見たり聞いたりすると、自分が過去に経験したことを思い出す。 誰でも、大人になり、年齢が高くなるほど経験数は多くなる。 ただ、自分の経験したことが一番正しいことだと、つい思ってしまうこと に注意しなくてはいけない。 経験から人は学び、成長していくが、自分の経験だけにとらわれず、他人 の経験の中からも学ぶという、謙虚さは必要だ。 今も、経験を積んでいる最中であることを自覚したい。
2019年03月18日
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