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2009年08月16日
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佐和山城
     ■  佐 和 山 城 跡  ■
 佐和山城の歴史は古く、鎌倉時代初期に近江源氏佐々木定綱が、佐和山の麓に館を構えたのが始まりと伝える。
その後、佐々木氏は湖南の六角氏と湖北の京極氏に分かれて対立。佐和山城は両勢力の境目の城として攻防が繰り返された。
やがて湖北では京極氏に代わって浅井氏が覇権を確立し、湖南の六角氏との間で佐和山城争奪戦が展開されることになる。
 信長・秀吉の時代にも、佐和山城は近江の要衝を守る城として重視された。信長は佐和山城に重臣の丹羽長秀を配し、安土
城築城までの間、佐和山城が安土城の機能を維持した。秀吉の代も、堀秀政、堀尾吉晴、そして五奉行筆頭の石田三成の入城と、
法華丸などが連なり、山下には東山道に面した大手門が開き、2重に巡らされた堀の内外には侍屋敷・町屋そして足軽屋敷など
の城下町が形成された。



彦根駅北側に位置する佐和山は石田三成の居城で、5層の天守を持つ立派な城があったと伝えられる。

関が原の合戦で井伊直政の居城になったが、金亀山に彦根城が築かれてから廃城となった。

井伊家ゆかりの神社仏閣点在し、湖東焼の窯元もがある。



こちらの駐車場に着き、佐和山城跡へ行こうか迷っていると、犬の散歩に来られているおじいさんから、「石があるだけで何もありませんよ」と・・・

時間が時間なので今回は諦めました。。。


石田三成石田三成


石田三成館跡(?)うっそうとした木立の中で三成さんの像を発見!









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最終更新日  2009年08月31日 12時48分35秒
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