2015年12月27日
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初めは介護保険の認定を受ける予定はありませんでした。
それは末期がん患者が介護保険を受けられるってことを
知らなかったせいでもありますが。。。




母は転移したものだろう肝臓の癌が先に見つかったために
原発巣をはっきりさせるために検査入院をする予定になっていました。
当初の予定は2~3日。
入院予定日は10月20日でした。
しかし運の悪いことに検査入院の前日に左足が倍くらいの大きさに
腫れあがってしまったのです。





そのためにまったく歩けなくなってしまい、とりあえず血栓を溶かす治療を
することになりました。
担当医は当初、抗がん剤の治療をする、と言っていたのですが
実際にはあまりやる気がなかったようです。
静脈の血栓についてもバルーンを入れる手術をする、という話でしたが
それもなされませんでした。




血栓を溶かす治療を始めてから2週間たったころ、
弟(内科医)から「退院してももう歩けないだろうから
車椅子とか借りたら?介護保険の申請はした?」と言われたので
いろいろ調べて紆余曲折はありましたが、介護保険の申請をしました。
それが11月2日です。





11月10日です。
申請後に依頼したケアマネージャーさんの話では
11月中には認定結果が出るでしょう、とのことでした。




入院してから癌に対しては何もしなかったので当然癌は進行していました。
母はそのことをすごく気にしていました。

母は歩けるようになったら家に帰りたがっていたのです。




ご存じのように入院中は介護保険は使えません。
というわけで申請はしたけれども使う機会があるかどうかは
私にもわかりませんでした。
ところが私は話を聞いていなかったのですが、
弟が担当医と話して母は転院することになっていたのです。




母を家に帰らせてあげたかった私と姉は反対したのですが
担当医が「リハビリを兼ねて転院して歩けるようになったら
一時退院でもして帰ればいい、それくらいの時間はあると思っています。」
というのでそうなのかな~と思いつつ、転院することに。
転院する予定の病院の空き待ちの時間が続くことになりました。




11月19日(木)に転院先の病院から空きがでましたという連絡があったと、
入院先の病院から連絡がありました。
私はその時、
「明日いったん退院させて家に連れて帰りたい!」と思ったのです。
病院から病院に直接転院させるより
少しでもいいから家に連れて帰ってあげたいと思ったのです。




早速私はケアマネージャーさんに電話しました。
「自費でもなんでも構いませんからベッドと車椅子を借りることができますか?」と。
するとケアマネージャーさんは
「申請をしているので一度退院するなら介護保険が使えますよ。」ということで
急遽、電話した当日にベッドと車椅子、歩行器を持ってきてくれたのです。
ポータブルのトイレは購入しました。
本当にありがたかったです。
それがなければ母を家に連れて帰ることができなかったのですから。




そして入院先の病院に「転院する前に一旦退院できますか?」と連絡しました。
大体病院は土日・祝日などは退院・入院ってできませんよね。
その時は11月20日(金)に退院すれば土日&23日の月曜の祝日を入れれば
4日間は家に連れて帰ることができる!と思ったのです。
そうして母は数日間、家に帰ることができました。




母は24日(火)に転院しました。
母はもちろん私もリハビリして少し歩けるようになれば
家に帰れると思っていました。
しかし、介護保険の認定は11月終わりに近づいても出ませんでした。
ケアマネージャーさんが市役所に問い合わせると
前医からの意見書が出ていないとのこと。
そのために認定が出なかったのです。




12月になっても認定は出ませんでした。
ケアマネージャーさんが病院に催促をしてくれたのことだったのですが。。
そして12月3日くらいから母の左足の指先が黒くなっていきました。
血管がつまっていたのが悪化したのです。
先生からは足先が腐ってしまうかもしれないと。




癌そのものの痛みは母はほとんどないと言っていました。
内服の鎮痛剤で抑えられるくらいのものだったのです。
しかし、足のほうの痛みがひどくてその痛みを抑えるために
麻薬系の薬を使うことになりました。
12月5日(土)のことです。
その薬をつかったせいか、母は意識を二度取り戻すことがありませんでした。
そして12月7日1時30分に亡くなりました。
4日(金)まで普通に話ができていたのに。。。。




12月11日(金)に前の病院の事務の方から電話がかかってきました。
”もう亡くなってしまったので
今さら介護保険の申請をしても無駄ではないか”的な内容でした。
とても腹が立ちました。
早く亡くなってしまったというのは結果論です。
誰にもそんなことはわからなかった。
早く亡くなってしまったのでレンタル費用は自費で払ったとしても
たいした金額ではなかったけれど、そういう言われ方をされるのは
どうでしょう?????
こちらには手続き的には何の不備もないはずだし。




結局、当日先生が意見書を書いてくれたということで
「12月14日(月)に市役所に持って行きます。」という連絡がありました。
そして18日(金)に認定がおりました。
要介護2でした。




どうして先生が意見書を書いてくれなかったのか、
その真意ははかりかねますが、
末期がんの患者さんの介護保険の申請は早めにされたほうがいいと思います。
しかし、私が市役所に介護保険の申請に行った時も
「入院してる時は使えませんけど?」と難色を示され、
市役所から審査に来た方にも
「先生から申請しろって言われたんですか?」と問われ
まるで申請するのが間違っているかのような対応でした。




母の癌が見つかったのは10月16日、亡くなったのが12月7日。
その時間が短すぎて私はまだ心の整理がついていません。







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最終更新日  2015年12月27日 23時08分24秒
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Re:末期がん患者の介護保険認定の難しさ(12/27)  
うめこ さん
早すぎですよね。素人考えだけどモルヒネ投与は早すぎたのではと思ってしまいます。あれってものすごく厳密に量とか決めて
最後の最後にペインコントロールが出来なくなった方に使うものだと思ってたわ。
それに介護保険が使えるのは知らなかった。そういう情報どこの病院もあまり教えてくれないですね。
うちの母が脳梗塞になった時もリハビリ専門病院に転院と言われて本人が帰りたいというので一旦退院してから考えていいですか?って
聞いたら退院したらもう入れないって言われました。リハビリは間が空くとあかんかもしれないので一緒ではないだろうし、結局退院したけど。
うちのガンで亡くなった人の場合もそのガンの権威がいる大学病院に入院したけど攻めの治療ばっかりで却って余命が短くなった気がしたよ。
改めてお母様の御冥福をお祈りします。
(2015年12月27日 22時30分32秒)

介護保険のことなんてわかりにくい!  
あっぷるまんごー さん
うめこさん

先生を含めみんなの考えがちょっと甘かった気がする。
私は痛みがなくなって母が楽になるなら・・と思ったのだけど
結局、モルヒネを解毒できるほどの肝機能の働きがなかったってことです。
昏睡したあとモルヒネが切れたら今度は獣のように唸りだして
もうどうしたらいいかわからなくなった。

介護保険は申請してれば見込みってことで使えるらしい。
いろいろあたって地域の包括センターっていうところに行ったらそういわれて居宅のケアマネージャーさんを紹介してくれた。
たぶん、がん患者でそういうのをレンタルする人ってこのあたりじゃ珍しかったのかもしれない。

おかあさん、退院されて正解だったんでしょ?
病院の言ってることが正しいってことはないんだよね。
患者のことだけを考えての意見ではないもの、決して。

ご主人も癌だったんですね。
母は手術でも抗がん剤でもなんでもやって治りたかったみたいだったけど弟が抗がん剤とか使ったら余計寿命が短くなる!って何もしない緩和ケア科のある病院に転院させた。
ご主人は若かったから進行も早かったのでしょう。
攻めの治療で余命が短くなった可能性あるよね。
本人はどっちを望んでいたのかな。
その道の権威の先生がいる病院で何もしないっていう選択肢はなかったんだろうから難しかったかもしれませんね。








(2015年12月27日 23時03分25秒)

介護認定取ったときにちょっと勉強したけど忘れたw  
うめこ さん
そういえば医療保険なのか介護保険なのかすごいややこしかった覚えがあるわ・・・ 

ああしたらよかったとかこうしとけばよかったとか後で考えちゃうよね。うちの場合は原発巣を切除したら他の転移がいきなり活発化して医者さんもびっくりって感じだったしあっという間だったわ。モルヒネも使ったけど最終決定を家族にさせるのやめてって思った。すごい痛そうだったから使うことにしたんだけど本人はちょっと嫌がったんだよね。でもそのときは痛みが治まったらまた元に戻るって説明されてたし、私も自分が見てるのがつらくてモルヒネ使うように本人に勧めてしまった。結局そのまま目も見えなくなって意識も混濁して誰が誰かわからなくなった。麻薬系でももっとゆるい薬もあるみたいなのに選択肢もなかったし。

後で義兄に手術しないほうがよかったのにって言われたけどそんなんそのときにわからないもの。

うちの母は元々リューマチで歩行はよたよたしてたからか脳梗塞だからって急激に歩けないとかはなくて本人も家でリハビリらしいこともしてなかったけどあんまり変わらないかな。

弟さんお医者さんだから心強いよね。当時はネットで調べまくったけど脳みそがついていかないw
大学病院だったからやっぱり治療しないなら緩和ケアの所に行く感じだったわ。抗がん剤の投与も系列の個人病院(大学の先生がくる)でだったし。最後はまた大学病院だったけど患者さんも入れ替わり立ちかわりでベッドもないから。本人は治ると思ってたと思う。ステージは悪かったけど最初は腹膜播種もないって言われたし。結局遠隔転移してたんだけど。
ああ、長くなっちゃったごめん。読み飛ばしてw

あっぷるまんごーさん
>うめこさん

>先生を含めみんなの考えがちょっと甘かった気がする。
>私は痛みがなくなって母が楽になるなら・・と思ったのだけど
>結局、モルヒネを解毒できるほどの肝機能の働きがなかったってことです。
>昏睡したあとモルヒネが切れたら今度は獣のように唸りだして
>もうどうしたらいいかわからなくなった。

>介護保険は申請してれば見込みってことで使えるらしい。
>いろいろあたって地域の包括センターっていうところに行ったらそういわれて居宅のケアマネージャーさんを紹介してくれた。
>たぶん、がん患者でそういうのをレンタルする人ってこのあたりじゃ珍しかったのかもしれない。

>おかあさん、退院されて正解だったんでしょ?
>病院の言ってることが正しいってことはないんだよね。
>患者のことだけを考えての意見ではないもの、決して。

>ご主人も癌だったんですね。
>母は手術でも抗がん剤でもなんでもやって治りたかったみたいだったけど弟が抗がん剤とか使ったら余計寿命が短くなる!って何もしない緩和ケア科のある病院に転院させた。
>ご主人は若かったから進行も早かったのでしょう。
>攻めの治療で余命が短くなった可能性あるよね。
>本人はどっちを望んでいたのかな。
>その道の権威の先生がいる病院で何もしないっていう選択肢はなかったんだろうから難しかったかもしれませんね。









-----
(2015年12月28日 09時55分42秒)

後から考えると・・・  
うめこさん
>そういえば医療保険なのか介護保険なのかすごいややこしかった覚えがあるわ・・・

わかんないよねぇ、そういうの。
体験して初めてちょっとわかるっていうか。。

>ああしたらよかったとかこうしとけばよかったとか後で考えちゃうよね。うちの場合は原発巣を切除したら他の転移がいきなり活発化して医者さんもびっくりって感じだったしあっという間だったわ。モルヒネも使ったけど最終決定を家族にさせるのやめてって思った。すごい痛そうだったから使うことにしたんだけど本人はちょっと嫌がったんだよね。でもそのときは痛みが治まったらまた元に戻るって説明されてたし、私も自分が見てるのがつらくてモルヒネ使うように本人に勧めてしまった。結局そのまま目も見えなくなって意識も混濁して誰が誰かわからなくなった。麻薬系でももっとゆるい薬もあるみたいなのに選択肢もなかったし。

そうそう、後からああすればよかった、こうすればよかったって思うけどその時はそうするのがベストだと思ったからそうしたんだろうし、結局、思ったような結果にならなかったのは
生体の反応だからしかたないのかもしれないね。

ご主人も痛みがなくなったらもとに戻るって考えられていたんだね。
私も痛みがなくなったら本人が楽になっていいなって思ったんだけど結果はそんなに甘くなかった。
病院においてあったモルヒネの使い方を説明した絵本のようなものには、薬を飲みながら働いてる人の話とか痛みがなくなって旅行に行った人の話とか載ってたし。
最終決定は家族にさせないと自分たちの責任になるからそうするんだろうね。

>後で義兄に手術しないほうがよかったのにって言われたけどそんなんそのときにわからないもの。

わかんない、わかんない。
すべては結果論だよね。
誰も悪い方向に進むと思って決断してないよね。

>うちの母は元々リューマチで歩行はよたよたしてたからか脳梗塞だからって急激に歩けないとかはなくて本人も家でリハビリらしいこともしてなかったけどあんまり変わらないかな。

やっぱりちゃんと歩けるのが一番の健康のあかしになるよね。
父がパーキンソン病でリハビリしてた時、けっこうな運動してた。
健康な時に見てても大変さがわからないけれど、
自分がその立場になったら辛いんだろうな。

>弟さんお医者さんだから心強いよね。当時はネットで調べまくったけど脳みそがついていかないw
>大学病院だったからやっぱり治療しないなら緩和ケアの所に行く感じだったわ。抗がん剤の投与も系列の個人病院(大学の先生がくる)でだったし。最後はまた大学病院だったけど患者さんも入れ替わり立ちかわりでベッドもないから。本人は治ると思ってたと思う。ステージは悪かったけど最初は腹膜播種もないって言われたし。結局遠隔転移してたんだけど。
>ああ、長くなっちゃったごめん。読み飛ばしてw

いや、同じ立場を経験したものとしてほんとに身につまされるお話です。
ご主人若かったからさぞご本人も無念だったでしょうね。
うちの母も治るというか退院できると思ってたし、
やはり自分が死ぬっていうことが信じられないことってあると思う。
10月に入院した直後、母に「まさかあと半年っていうことはないやろうね??」って聞かれて
今までの人生で一番言葉に詰まった。
でもその時は私も来年の春くらいまでは寿命はあると思ってはいたのだけれど。。。
弟は医者でも別に何の役にも立たないよw
あ~もうしかたないわ、みたいなスタンスだった。
冷静すぎるやろ!って思った。
やっぱり近くに住んでいて実際に面倒を見れる人が大事。
それに弟が両親の死に目にあっても一粒の涙も流さなかったのが私には違和感あったな。
いくら死んでいく人を見慣れてるといっても両親の死に対してくらい泣けよ!ってなぜか思ったw

遠隔転移かぁ。
どこに転移しても不思議はないからねぇ、残念。
原発とったら転移したところが活発になったって
なんだか癌が意志を持ってるようで怖いね、憎いね。
川島なお美さんも前の日かなんかに撮った写真では笑ってたから容体が急変したのかな。
悪くなったら早いよねぇ、ほんとに。




(2015年12月28日 18時26分20秒)

弟さんは  
うめこ さん
誰も見てないとこで泣いてるのかもよ。
うちの父親も自分の親の葬儀のとき平気な顔して笑ってたけど夜中に仏壇の前で号泣してた。

前旦那のガンはいつできたんですか?ってお医者に聞いたら1年~1年半って言ってて、原発巣もすごいでかかったけどたちも悪いのだったんだと思う。短期間でリンパに転移して全身に散ったから。でもその前に体の不調はあって病院にかかったりしてたから何故そこで見つけられなかったのかなあって不思議に思うわけです。

ゲームみたいにリセットして元に戻ったら別の道を選択するんだけどなーw 

同じ時期にもっとひどいステージでみつかった知り合いはまだぴんぴんしてるから本当にわかんないよねー。別の知り合いはちょっと会わない間に痩せてたからダイエットしたんー?とか言って笑ってたのに次は訃報だったからすごい無神経なこと言っちゃったし。

パーキンソン病の解説読んできたわ。名前は知ってたけど症状は知らなかった。大変でしたね。
うちは父親は体はぴんぴんしてるけどだいぶ脳のほうが?になってきた。1月には目の手術に連れていかないとだめだし。父親が動けなくなったら大変やわー。 (2015年12月29日 09時34分37秒)

弟は泣いてないと思うw  
あっぷるまんごー さん
うめこさん
>誰も見てないとこで泣いてるのかもよ。
>うちの父親も自分の親の葬儀のとき平気な顔して笑ってたけど夜中に仏壇の前で号泣してた。

なんかそんな感じまったくなかったし。
でもあれは嫁さんがなくなった時は泣くな。

>前旦那のガンはいつできたんですか?ってお医者に聞いたら1年~1年半って言ってて、原発巣もすごいでかかったけどたちも悪いのだったんだと思う。短期間でリンパに転移して全身に散ったから。でもその前に体の不調はあって病院にかかったりしてたから何故そこで見つけられなかったのかなあって不思議に思うわけです。

私も母の癌っていつできたんだろうってそれを考えた。
まぁ年寄だと長年のしわ寄せ来たかな感もあるけどご主人みたいに若い人ならいったいいつから??って気になるよね。
母はすい臓が原発だったけどすい臓の癌はとても小さかったよ。
転移した肝臓のがひどかったな。
調子が悪いっていって行った病院でそんな癌が見つけられなかったとしたらほとんど医療ミスレベルな気が??

>ゲームみたいにリセットして元に戻ったら別の道を選択するんだけどなーw 

私も3日でいいから元に戻してほしいって思った、

>同じ時期にもっとひどいステージでみつかった知り合いはまだぴんぴんしてるから本当にわかんないよねー。別の知り合いはちょっと会わない間に痩せてたからダイエットしたんー?とか言って笑ってたのに次は訃報だったからすごい無神経なこと言っちゃったし。

ほんと、人によるよねぇ、癌の予後って。
私も母が「食欲落ちて3キロも痩せた。」って言った時に
気が付けばよかったのに、気が付かなかった。
馬鹿だなぁ。。

>パーキンソン病の解説読んできたわ。名前は知ってたけど症状は知らなかった。大変でしたね。
>うちは父親は体はぴんぴんしてるけどだいぶ脳のほうが?になってきた。1月には目の手術に連れていかないとだめだし。父親が動けなくなったら大変やわー。

体の大きな人が動けなくなったら実際ほんとうに大変。
動けなくなった人ってほんとに重いの。
ベッド上で体の向きを変えたりとか持ち上げたりとか
ほんとに自分一人じゃできないからね。
お風呂も大変だし。
父は家にいる時はヘルパーさんに来てもらってお風呂にいれてもらってた。
母親はまだいいんだけど父親の裸ってなんか正視できないから
私は着替えさせるとかほとんどできなかったなぁ。。
でも一回服を脱がせて上半身裸になった時、なんてガリガリなんだろうって思った。
親が年とったっていう実感って自分が年とるよりなんか辛い。 (2015年12月30日 00時56分12秒)

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