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posted by (C)りと様
名取市閖上の日和山富主姫神社です。
1996年3月発行の地図より。
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posted by (C)りと様
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posted by (C)りと様
おそらく、津波の時に根こそぎもっていかれた元の鳥居?かと思われます。
上の画像に写っている鳥居は、震災後に建てたようです。
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posted by (C)りと様
階段には、元は手摺りもあったようでしたが、これも津波で破壊されたみたいです。
日和山の上。
町が何もない。。
アパート?は流されなかったようです。
この周辺で、まともに形のある状態で残っていたのは、この建物くらいだったかもしれません。
個人的に感じたのは、「サイパンのバンザイクリフにそっくりだな。。。」と。
バンザイクリフ同様、たくさんの供養等が建っていました。
大人二人で手を合わせ、子供にはりと様が手を合わせさせました。
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posted by (C)りと様
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posted by (C)りと様
桜の苗木を植えたようです。
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posted by (C)りと様
基礎しか残ってない住宅の跡。
yuriage
posted by (C)りと様
以前の街並み。
9月18日の日記に、「生協」の前の道(閖上中学校の前)の画像をアップしたのですが、
以前は川沿いの道がメーンストリートだったのが分かります。
そこは、本当に壊滅してしまったので、今は通行できないのかもしれません。
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posted by (C)りと様
我が家の本棚に、故・秩父宮勢津子妃の自伝「銀のボンボ二エール」という本ありますが、
その中に、
大正12年(今から88年前)の関東大震災の話が載っています。
当時14歳だった勢津子妃は、
養育係の『こんな災害は二度とあってはならないことですが、こういう不幸なことがあったという事実をちゃんと見ておおきになることは、決して無益ではないと存じます。』という進言で、
質素な真岡木綿の着物に下駄、怪我をするからというので足袋をはかされ(華族のお嬢様だったので、すでに洋服を着ていたようです。)
養育係と二人で、他にお供もなしで、被災地を歩いたそうです。
「遺体はだいたい片付いていましたが、中にはまだ取り残されているのもあり、
思わず目をつぶりたいところでしたが、養育係に促されて二人で手を合わせました。
日本橋には人の影もなく、川にはまだ幾つか遺体が浮いていました。」(要約)。
さらに、勢津子妃は、
若松城の落城は、御自分が生まれる前の話なので、
「身近な出来事であるのに、歳月に昇華されてしまって、遠く幻のようにしか感じられませんでしたが、これは自分の目で見た生々しい現実でした。」と、書かれています。
娘(震災当時2歳)の甲状腺検査結果その2 2015.03.18 コメント(4)
甲状腺検査結果 2015.03.18