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2006年02月20日
"死者の書"(21)
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cont.
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十四
貴人《ウマビト》はうま人どち、やつこは奴隷《ヤツコ》どち、と言ふからの――。
何時見ても、大師《タイシ》は、微塵《ミヂン》曇りのない、圓《マド》かな相好《サウガウ》である。
其に、ふるまひのおほどかなこと。
若くから氏上《ウヂノカミ》で、數十|家《ケ》の一族や、日本國中數萬の氏人《ウヂビト》から立てられて來た家持《ヤカモチ》も、ぢつと對うてゐると、その靜かな威に、壓せられるやうな氣がして來る。
言はしておくがよい。
奴隷《ヤツコ》たちは、とやかくと口さがないのが、其爲事よ。
おのづから、話も合はうと言ふもの。
此身が、段々なり上《ノボ》ると、うま人までがおのづとやつこ心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。
家持は、此が多聞天か、と心に問ひかけて居た。
だがどうも、さうは思はれぬ。
同じかたどつて作るなら、とつい聯想が逸れて行く。八年前、越中(ノ)國から歸つた當座の、世の中の豐かな騷ぎが、思ひ出された。
あれからすぐ、大佛開眼《カイゲン》供養が行はれたのであつた。
其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、八十種好《ハチジフシユガウ》具足した、と謂はれる其相好が、誰やらに似てゐる、と感じた。
其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。
その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて來たのである。
かうして對ひあつて居る主人の顏なり、姿なりが、其まゝあの廬遮那《ルサナ》ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。
お身も、少し咄したら、えゝではないか。
昔ながらの氏は氏――。
なあ、さう思はぬか。紫微中臺の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。
家《ウチ》に居る時だけは、やはり神代以來《カミヨイライ》の氏上《ウヂノカミ》づきあひが、えゝ。
新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土《モロコシ》の才《ザエ》が、やまと心に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。
家持は、感謝したい氣がした。
お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。
あんな若い年で、わせだつたのだなう。お身は――。
お身の氏では、古麻呂《コマロ》。
身の家に近しい者でも奈良麻呂。
あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。
兵部大輔は、やつと話のつきほを捉へた。
お身さまのお話ぢやが、わしは、賦の類には飽きました。
どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て來る元になつて居る――さうつく/″\思ひますぢやて。
ところで近頃は、方《カタ》を換へて、張文成を拾ひ讀みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成ぢや。
ぢやが、お身がその年になつても、まだ二十《ハタチ》代の若い心や、瑞々しい顏を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。
まだなか/\隱れては歩き居《ヲ》る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保證する。
おれなどは、張文成ばかり古くから讀み過ぎて、早く精氣の盡きてしまうた心持ちがする。
――ぢやが全く、文成はえゝなう。
あの仁《ジン》に會うて來た者の話では、豬肥《ヰノコヾ》えのした、唯の漢土《モロコシ》びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾《ウベナ》うてくれるだらうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、讀んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい氣さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな經驗《オボエ》は、おありでがな。
大ありおほ有り。毎日々々、其よ。
しまひに、どうなるのぢや。
こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。
ぢやが、女子《ヲミナゴ》だけには、まづ當分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。
第一其が、われ/\男の爲ぢやて。
家持は、此了解に富んだ貴人に向つては、何でも言つてよい、青年のやうな氣が湧いて來た。
さやう/\。
智慧を持ち初めては、あの欝《イブセ》い女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、横佩墻内《ヨコハキカキツ》の――
此はいけぬ、と思つた。
同時に、此|臆《オク》れた氣の出るのが、自分を卑《ヒク》くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なのだ、と感じる。
好《エヽ》、好《エヽ》。
遠慮はやめやめ。氏(ノ)上づきあひぢやもの。
ほい又出た。
おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた訣やぢあ、なかつたつけの。
瞬間、暗い顏をしたが、直にさつと眉の間から、輝きが出て來た。
身の女姪《メヒ》が神隱しにあうたあの話か。
お身は、あの謎見たいないきさつを、さう解《ト》るかね。
ふん。いやおもしろい。
女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。
實はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。
大きに。
今度は輕い心持ちが、大膽に押勝の話を受けとめた。
お身さまが經驗《タメシ》ずみぢやで、其で、郎女の才高《ザエダカ》さと、男擇びすることが訣りますな――。
此は――。
額《ヒタヒ》ざまに切りつけるぞ――。
免せ/\と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。
藤原の氏姫ぢやからの。
枚岡《ヒラヲカ》の齋《イツ》き姫にあがる宿世《スクセ》を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、彈く、彈く、彈きとばす。近よるまいぞよ。
はゝはゝゝ。
大師は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顏を見ながら、きまじめな表情になつた。
ぢやがどうも――。
聽き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿彌陀經の千部寫經をして居たと言ふし、樂毅論から兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習もしたらしいし、まだ/″\孝經などは、これぽつちの頃に習うた、と言ふし、なか/\の女博士《ヲナゴハカセ》での。
楚辭や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。
霜月・師走の垣毀雪女《カイコボチヲナゴ》ぢやもの。
――どうして其だけの女子《ヲミナゴ》が、神隱しなどに逢はうかい。
第一、場處が、あの當麻で見つかつたと言ひますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない處でもない。
天(ノ)二上は、中臣壽詞《ナカトミノヨゴト》にもあるし……。
齋《イツ》き姫《ヒメ》もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる氣を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。
のどかな氣持ちばかりでも居られぬて――。
押勝の眉は集つて來て、皺一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顏も、思ひなし、ひずんで見えた。
何しろ、嫋女《タワヤメ》は國の寶ぢやでなう。
出來ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、――人間の高望《タカノゾ》みは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい――。
ともかく、むざ/″\尼寺へやる訣にはいかぬ。
ぢやが、お身さま。
一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが……。
九族が天に生じて、何になるといふのぢや。
寶は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。
どだい兄公殿《アニキドノ》が、少し佛|凝《ゴ》りが過ぎるでなう――。自然 内《ウチ》うらまで、そんな氣風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。
時に、お身のみ館の郎女《イラツメ》も、そんな育てはしてあるまいな。
其では、家《ウチ》の久須麻呂が泣きを見るからの。
人の惡いからかひ笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出さうと努めるのは、考へるのも切ない胸の中が察せられる。
兄公殿《アニキドノ》は氏(ノ)上に、身は氏助《ウヂノスケ》と言ふ訣なのぢやが、肝腎齋き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、神《カン》さびたものよ、と思うたぞ。
今《モ》一代此方から進ぜなかつたら、齋き姫になる娘の多い北家の方がすぐに取つて替つて、氏(ノ)上に据るは。
兵部大輔にとつても、此はもう、他事《ヒトゴト》ではなかつた。
おなじ大伴幾流の中から、四代續いて氏(ノ)上職を持ち堪《コタ》へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせが重かつたからである。
其には、一番大事な條件として、美しい齋き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた爲でもある。
大伴の家のは、表向き壻どりさへして居ねば、子があつても、齋き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。
今の阪(ノ)上(ノ)郎女は、二人の女子《ヲミナゴ》を持つて、やはり齋き姫である。此は、うつかり出來ない。此方《コチラ》も藤原同樣、叔母御が齋姫《イツキ》で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。
大伴・佐伯《サヘキ》の數知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。
かう考へて來た家持の心の動搖などには、思ひよりもせぬ風で、
こんな話は、よそほかの氏(ノ)上に言ふべきことでないが、兄公殿《アニキドノ》があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表面《オモテ》だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二處に二度づゝ、其外、週《マハ》り年には、時々鹿島香取の東路《アヅマヂ》のはてにある舊社《モトヤシロ》の祭りまで此方で勤めねばならぬ。
實際よそほかの氏(ノ)上よりも、此方《コチラ》の氏助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏(ノ)上の氣持ちになつたりする。
――もう一層なつてしまふかな。
お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。
氏(ノ)上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂げさせるものはない。
上樣方に於かせられて、お叱りの御沙汰《ゴサタ》を下しおかれぬ限りは――。
京中で、此惠美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言ふ。
門は、左京二條三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を廣く空《ア》けて、深々とした山齋《ヤマ》が作つてある。
其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。
東の中《ナカ》み門《カド》、西の中《ナカ》み門《カド》まで備つて居る。
どうかすると、庭と申さうより、寛々《クワンヽヽヽ》とした空き地の廣くおありになる宮よりは、もつと手入れが屆いて居さうな氣がする。
庭を立派にして住んだ、うま人たちの末々の樣が、兵部大輔の胸に來た。
瞬間、憂欝な氣持ちがかぶさつて來て、前にゐる大師の顏を見るのが、氣の毒な樣に思はれる。
cont.
(^死^)
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最終更新日 2006年02月20日 10時27分25秒
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