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2006年02月20日
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cont.


十五

つた つた つた。

郎女は、一向《ヒタスラ》、あの音の歩み寄つて來る畏しい夜更けを、待つやうになつた。
をとゝひよりは昨日、昨日よりは今日といふ風に、其跫音が間遠になつて行き、此頃はふつに音せぬやうになつた。その氷の山に對うて居るやうな、骨の疼く戰慄の快感、其が失せて行くのを虞れるやうに、姫は夜毎、鷄のうたひ出すまでは、殆、祈る心で待ち續けて居る。
絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寢たきりで、目は晝よりも寤《サ》めて居た。
其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。
現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板《ツシ》の面《オモテ》の光り輪にすら、明盲《アキジ》ひのやうに、注意は惹かれなくなつてゐる。

山も、野も、春のけしきが整うて居た。
野茨の花のやうだつた小櫻が散り過ぎて、其に次ぐ山櫻が、谷から峰かけて、斷續しながら咲いてゐるのも見える。
麥原《ムギフ》は、驚くばかり伸び、里人の野爲事に出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。
都から來た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と佗びる者が殖えて行つた。
廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくと思はなかつたし、まだどれだけ續くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に會ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隱れた戀人を思ふ心が、切々として來るのである。
女たちは、かうした場合にも、平氣に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何か、と爲事を考へてはして居る。
女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。
身狹乳母《ムサノチオモ》の思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人數な奈良の御館《ミタチ》の番に行け、と言つて還され、長老《オトナ》一人の外は、唯 雜用《ザフヨウ》をする童と、奴隷《ヤツコ》位しか殘らなかつた。
乳母《オモ》や、若人たちも、薄々は帳臺の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の樣子を感じ出して居た。
でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎ[#「かたぎ」に傍点]の女たちである。
やはり、郎女の魂《タマ》があくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と單純に考へて居る。

乳母は一口に言ひ消した。
姫樣、當麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした當麻眞人《タギマノマヒト》の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。
當麻語部とか謂つた蠱物《マジモノ》使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。
その節、山の峠《タワ》の塚で起つた不思議は、噂になつて、この貴人《ウマビト》一家の者にも、知れ渡つて居た。
あらぬ者の魂を呼び出して、郎女樣におつけ申しあげたに違ひない。

かうして、魂《タマ》の游離《アクガ》れ出た處の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。
こんな風に考へて、乳母は唯、氣長に氣ながに、と女たちを諭し/\した。
こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて櫻の後、暫らく寂しかつた山に、躑躅が燃え立つた。
足も行かれぬ崖の上や、巖の腹などに、一群々々《ヒトムラヽヽヽヽ》咲いて居るのが、奧山の春は今だ、となのつて居るやうである。
ある日は、山へ/\と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。
凡數十人の若い女が、何處で宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髮にかざして、降りて來た。
廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林《ツヽジバヤシ》が練つて降るやうだ、と聲をあげた。
ぞよ/\と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。
其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ來た。
當麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。
其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。
]
こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田ぢやげな。

若人たちは、又例の蠱物姥《マヂモノウバ》の古語りであらう、とまぜ返す。
ともあれ、かうして、山ごもりに上つた娘だけに、今年の田の早處女《サウトメ》が當ります。
其しるしが此ぢや、と大事さうに、頭の躑躅に觸れて見せた。
もつと變つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舍咄をして行つた。其を後《ノチ》に乳母《オモ》たちが聽いて、氣にしたことがあつた。
山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう/″\と踏みおりて來る者がある。
ようべ、眞夜中のことである。
一樣にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、眞下へ眞下へ、降つて行つた。
がら/″\と、岩の崩《ク》える響。
――ちようど其が、此廬堂の眞上の高處《タカ》に當つて居た。
こんな處に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の定《ヂヤウ》、赤岩の大崩崖《オホナギ》。
ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は殘つて居なかつた。
其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく/\、子から丑の間に、里から見えるこのあたりの峰《ヲ》の上《ヘ》に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪《イツトキオロシ》の凄い唸りが、聞えたりする。
今までつひに[#「つひに」に傍点]聞かぬこと。
里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。
こんな話を殘して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい/\のかざしの躑躅花を(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている)して歸つた。
其は晝のこと、田舍は田舍らしい閨の中に、今は寢ついたであらう。
夜はひた更けに、更けて行く。
晝の恐れのなごりに、寢苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寢入つてしまつた。
頭上の崖で、寢鳥の鳴き聲がした。
郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。
續いて今ひと響き、びしとしたのは、鳥などの、翼ぐるめき裂かれたらしい音である。
だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。
郎女の額《ヌカ》の上の天井の光りの暈《カサ》が、ほの/″\と白んで來る。
明りの隈はあちこちに偏倚《カタヨ》つて、光りを竪にくぎつて行く。
と見る間に、ぱつと明るくなる。
そこに大きな花。
蒼白い菫。
その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、佛の花の青蓮華《シヤウレンゲ》と言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ淨らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。
仄暗い蕋の處に、むら/\と雲のやうに、動くものがある。
黄金の蕋をふりわける。
其は黄金の髮である。
髮の中から匂ひ出た莊嚴な顏。
閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。
あゝ肩・胸・顯はな肌。
――冷え/″\とした白い肌。
をゝ おいとほしい。
郎女は、自身の聲に、目が覺めた。
夢から續いて、口は尚夢のやうに、語を逐うて居た。

おいとほしい。お寒からうに――。



cont.

(~死~)





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最終更新日  2006年02月20日 10時37分41秒
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